Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:PENTAX

今日=11月30日はオートフォーカスカメラの日だという。この事を小生は、今日夕方出先のエレベーターの液晶モニターで知った次第である。
小生はマウントがPENTAXなのでそのオートフォーカスを正直あまり信用していない。そこに来て、近年のデジタル一眼機種ではライヴビューで拡大してピントを詰められる事もあり、可能な限りMFを使うのでオートフォーカスの使用頻度は低い


小生の個人的撮影スタイルの話は置いておいて、AFカメラは1977年11月30日に爆誕した小西六写真工業(当時)のコニカC35AFが最初である。これはジャスピンコニカとの別名で呼ばれ、2年間で100万台を売るヒット商品となった。
70年代当時に行なわれた市場調査の結果では、撮影済みフィルムの失敗要因の36%がピンぼけであることが判明した。これはシャッターを押すだけで自動的にピントを合わせてくれるというエポックメイキングなカメラであった。この後、数年でAFのカメラが次々登場するが、これらはレンズ一体型カメラであった。

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これはMF置きピンで撮っているが…東京都交通局10-300形を京王永山駅付近の「電車見橋」から俯瞰で

小西六の名は小西屋六兵衛店に由来する。小西屋という大商店の6代目の小西屋六兵衛(本名=杉浦六右衛門)が、25歳の時に写真館で撮影した写真に感動し、写真材料の取り扱いを始めた。その後独立して、日本橋に写真材料と薬種を取り扱う小西六本店を開業した。これが小西六写真工業→コニカコニカミノルタと変遷して、このイメージング部門は2006年にSONYへ売却された。
小西本店は1903年、チェリー手提用暗函という物を爆誕させ、カメラが一般人の手に近付いて行くきっかけを作った。小西本店は現在の東京工芸大学の前身になる小西写真専門学校を1923年に設立する等、写真産業の「中興の祖」でもあったともいえる。

AF一眼レフを世界で最初にリリースしたのは実をいうとリコーであった。PENTAXだと思われている場合が多いが、それは間違い。1981年2月にリリースされた、リコーXR6にAFリケノン50mmF2という組み合わせ、これが世界初の市販AF一眼レフ(フォーカス制御はレンズ側)だったが、リコーがカメラメーカーとしてはマイナー過ぎて話題にならなかった。当時のリコーはKマウントだった、これってPENTAXと一緒。
世界初AF一眼レフとよく言われるPENTAXのME F+SMC PENTAX AFズーム35-70mmF2.8というセットが出されたのはこの年11月の事だった。ボディにTTLフォーカスセンサーがあり、ここで検知したピントをマウントを通じてレンズに伝え、レンズ内のモーターがレンズを駆動するというAF形式を採用している。それから約30年後にペンタックスイメージングはKマウントリケノンレンズを作っていたリコーに買収されてRICOH IMAGINGになるのであった。

この方式のAF一眼レフはオリンパスも開発してリリースしている。
ニコンもこれに続いてプロレベルのAF一眼レフを出した。ニコンF3AF+AiAFニッコール80mmF2.8S・AiAFEDニッコール200mm3.5S・TC-16Sというセットだった。


COSINA(コシナ)はAF制御をレンズ側で行う2種類のレンズを出していて、7種類のマウントに対応するラインナップだった。そのレンズは75-200mmF4.5AF及び28-70mmF3.5-4.8AFだった。

しかし初期のAF一眼レフは技術的に熟成不足で、対応レンズも殆どなく商業的成功なんぞ望めなかった。これが世間に広まるのは、1985年2月にミノルタがα‐7000(アメリカではMaxxum 7000)をリリースして「αショック」を巻き起すまで待つ事となる。ミノルタはレンズシステムもAF用に一新して、東芝製AFセンサー+IHI製ロータリーエンコーダー+自社開発の光学システムという組み合わせで、X-600のフォーカスエイド機能で搭載した従前のHoneywell(ハネウェル)製のTCLモジュールと比べるとAF性能は大幅に向上した。ミノルタはこの半年後にプロ用機のα‐9000を出している。以降フィルムのαシリーズは2004年まで出され続けた。デジタルのレフ式αシリーズは2010年まで出ていたが、2013年にEマウントのミラーレスにαの名は引き継がれた
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こういう物の撮影はライヴビュー+MFでピントを詰めて撮影した方が良いか…

こうしてαショックを巻き起こし、鼻息荒くアゲアゲだった筈のミノルタだったが、そこにアメリカから超特大の鉄槌が下ってしまった。(´;ω;`)
サブマリン特許の訴訟代表例としてよく知られる、「ミノルタ・ハネウェル特許訴訟」である。これはHoneywell(ハネウェル)が、AF一眼レフカメラのαシリーズのAF機構が自社の特許4件を侵害し、また技術移転に関する契約に違反していると主張して、ミノルタとその現地法人を相手取り1987年4月に起こした訴訟である。


この争点の主な部分は「401号特許」と「オガワ特許」であったが、結局1992年にミノルタがハネウェルとの和解に応じ、127,500,000USDを支払うことになった。単に知的財産権の問題に留まらず、貿易摩擦という問題も大きく絡んでいたのは明らか。因みに「4件の特許侵害」のうち「401号特許」と「オガワ特許」は認められたが、残り2件は認められなかった。今では当たり前の様に生活に彼方此方で溶け込んでいるAF技術だが、抑々は軍事技術として誕生したのは間違いない。

その後、ハネウェルはこの勢いを駆って、AFカメラを生産していた日本の各メーカーに同様の請求をした。これでハネウェルは凡そ3.1億USDを、キャノン以下日本国内の10社以上から追加でふんだくる事に成功した。
日本はバブル崩壊の直後で30年以上を失い続けるその始まりで、アメリカは史上最大ともいわれる繁栄を享受し始めたとされる時だったが、まさにその流れを象徴する出来事の一つだった。
写真産業に大きな足跡を残したミノルタがカメラ産業から撤退せざるを得ない状況になったのは、抑々の原因がこの事件といわれている。αショックを巻き起こし、ミノルタ黄金時代を築いたAFが、カメラメーカーとしての終わりの始まりになってしまったのはironicな事である。


小生が以前、あるメーカーの関係者に聞いたところだと、デジタルの受光面(CCD・CMOS等)はフィルムより全然薄いので、その分フォーカスに遊びが無いフィルムに比べてデジタルのフォーカスは超シビアにならざるを得ないらしい。



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K-3 MarkⅢ試し斬り特集第11弾になるが、其の拾に続いて東急の多摩川鉄橋で撮影した奴の作例を載せて行く。
其の拾が東横線なら今宵は目黒線の作例。この橋梁は複々線になっているが、路線別でアウトサイドが東横線でインサイドが目黒線である。目黒線と言っているが、小生の世代だと目蒲線というイメージが未だに強かったりする。再来年に目蒲線からの通算で100周年であるが、目黒線と多摩川線に分割されて今の様な形になったのが2000年8月だった。
昭和の時代は緑の初代3000系5000系が走っていて都会にあってこんなローカル線というギャップがズドーーン!という感じの「或る意味でえげつない」路線だった。その後平成になって初代30005000は消えた!。と思ったら今度は7000・72007600・7700の楽園になった、この点は池上線も同様だった。
目黒線は今世紀に入って一気にメタモルフォーゼ!7000ブラザーズは消えた、消えた…!それは残念だが、一気にアーバンな幹線として結構な御出世!ズドコーン!
斯くして「東横線・田園都市線の次のポジションをGetだぜ!」になったが、一方で池上線は多摩川線(目黒線から切られた)とくっつけられて(=運用は共通)、3連で走るローカル線として冷や飯を食らい続けている。池上(彰)という名前が悪いのだろうか?
尤も7600系や7700系が最後まで残っていたのでそれが好きだったが。


tmt9805@tamg01
東京メトロ9000系でもB修繕施工車はボディ上部にもブルーグリーンの帯を巻く。ホームドア越しにも見えて誤乗が防げるという理屈であろう。それだけ無塗装で個性に乏しいヤツが増えたという事であろう。
この9105編成は最初にB修でリニューアルされた編成である。B修された9101~08編成では側面下部のラインカラーが波打った形になっているのも特徴。


tmt9810@tamg01
目黒線は来年以降、更なる出世が見込まれる。一部は8両化され新横浜を通って湘南台や海老名まで乗り入れる。湘南台や海老名まで行くのは東急の車両は間違いないが、メトロの車両はどうなるのだろうか?8000系の中間車を改造して挿入なんて話も出ている。
「キングジム」の別称を頂いてしまった東京都交通局6500形は8連で投入されて当然の如く相鉄対応準備ではあるらしい。6300形も編成替えの上で大部分を使い倒すのかと思いきや、キングジムで順次置き換えるという事の様である。
埼玉高速鉄道の車両については8両化の計画はあるらしいが、具体的な話は聞こえて来ていない。


src2810@tamg01
埼玉高速鉄道2000系は機械的な部分は基本的に東京メトロ9000系と一緒と思って良い。ドアの材質は東京メトロ9000系と異なりステンレスを使用しているので、ドアが少し違って目立つ。基本的に川崎重工業製で6両10本が存在しているが、最後の3本はOEMで近畿車輛での製造だが銘板には川崎重工業とある。
埼玉高速鉄道もホームの8両対応化工事は進めている。でも車両は直ぐに8連にしないとしてもおかしくはない。8連運用は他社に任せて、自分達は相鉄に乗入れなければ取敢えず6連でも良い。2014年に事業再生ADRを余儀なくされていて、その頃から比べて経営環境はかなり上向いている様だが、今の経営能力からしたらホームの工事が精一杯で車両の8連化や相鉄対応工事は直ぐには出来ない相談という事もあり得る。
ただ、編成を見ると21XX-22XX-25XX-26XX-27XX-28XXとなっている。欠けている23XXと24XXをインサートする準備は最初からあるという事と考えられる。


bttm6309@tamg01
6300形でもこの度置き換えられる6309編成
相鉄への乗り入れについては東急車のみと考えるのが妥当。8連化という事については、東京都交通局に於いては混雑緩和が狙いであろう。相鉄まで行く気は無いと思われる。相鉄まで行ってしまうと走行距離調整や車両使用料の問題が出て来てそれが東急と絡むのでかなりややこしく、その割にメリットは少なくて、相鉄なんて所までまで行かされるのは東京都のメンツにも傷がつくという論理であろう。(相鉄をバカにしているのは明らか、それが東京都庁というもの)

bttm6317@tamg01
キングジムで置き換えられる事になってしまったのは6300形でも1993/94年製造の1・2次車13編成78両。209系で採用された川重の2シート貼り合わせ工法で作られた事が災いしたのか、30年足らずで置き換えられるらしい。
209という名が出た序に言うと、千葉でお払い箱になった209系が伊豆急に譲渡される事となり旅立った。
3次車の144両は1999・2000年製造という事もあり、編成替えで8連化の上で使い倒される予定だったのだろうが、6連24本から8連16本を捻出すると考えられる。


bttm6337@tamg01
この日の撮影時の目黒線は東急車は殆ど来ず、折角僅かに来た奴も東横線に被られアウト。撮れたのは都営地下鉄・東京メトロ・埼玉高速鉄道の車ばかりだった
この撮影は先ずはK-3 MarkⅢ試し斬りである、そして予行演習である!予行演習でしかないとも言える。


あと1年数ヶ月で来る!御降臨は近し!あの待ちに待った!萌える闘紺が!
燃える闘魂(78)は大分年老いてしまったが…萌える闘紺はいよいよこれから本番ダァ~ッ!
20000系10連だ!21000系8連ダァ~ッ!


既に21000系もトップナンバーが下松から横浜に運ばれたぞ!お楽しみはこれからだ!ズドコーン!
元気があれば海老名に行ける!元気があれば瀬谷にも行ける!元気があれば湘南台にも行ける



ところで…
東京都における感染症対策の最高責任者は都知事!仮に感染が爆発したら感染者が激増したらその責任について問われるのは都知事
さざ波を大津波と狼少年みたいに喧伝しては大騒ぎ、なのに批判されないチョン池+ワイドショー連合軍が都議選で事実上勝利してしまった。
中国非難決議すら、身内に妨害されて国会提出すら出来なかった自民党の無能と国際感覚の明らかな欠如もスゴッで、これで随分と票を失った可能性は高い。
それを考えても、東京でサル以下の脳ミソしかない低能が如何に多いか都知事が「ず・る・や・す・み」「く・も・が・く・れ」で仮病演出偽装入院ときても、「かわいそう」「我々都民の為を思って一生懸命頑張って下さっている知事様をお支え申し上げなければ」等といって無能の塊の都民F(あの無免許乱闘オバハンがいたのもここ)に票を入れてしまうなんてサル以下、というのもサルに失礼。「ミドリムシ以下」で丁度イイ!
選挙に欠かさず行くのも60代以上で、ワイドショーに簡単に洗脳される情弱が多い。都議選の投票率は42.39%という悲惨さで、そんな低脳情弱爺婆のウェイトが高くなる。
序に都民を名乗る奴等の知能程度が如何に低いかが良く分かって、非常に恥ずかしい。
知的レベルの低い奴等には東京の土を踏ませるな!兎に角追い出せ!ズドコーン!

てなわけで、其の拾弐へと続く!



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K-3 MarkⅢ試し斬りの記事も10アイテム目であるが、東急で多摩川を渡る列車を撮ったのでそれをフィーチャーしたい。
東急東横線・目黒線の多摩川鉄橋=東京都・神奈川の都県境の神奈川サイド(川崎市)この季節は鉄橋の15時位から西側で撮影したものになる。
この日は晴れというのに16時位までは全体で曇が多めだったが、西側はその後に晴れて状況は好転。しかし川の東側(背景側)ではその後も薄い雲が取れず綺麗な青空にはならなかった。ここでは東横線と目黒線の両方を狙える。今回は東横線列車の画像を載せて行く。


tq5821@tamg01
世界最大最悪のの欺瞞偽善との呼び声も高いSDGsラッピング5121F5050系でなく5000系の8連東横線用タイプで8連4本しかないからかなりの少数派。5121Fは田園都市線から移った編成。2020年9月にラッピングでの運行開始した。この仲間に緑の5000こと5122Fもいる

SDGsに引っ付きさえすれば多額の補助金等々の公的補助が付く事もあるのでそれだけでボロ儲けする事も夢では無いのであろう。SDGsとはsustainable development goals=持続可能な開発目標の事で、誰一人取り残さない、経済・社会・環境を生み出すための、個人や企業といった全てのセクターにとっての目標という事らしい・2015年に国連総会で採択された2030年に向けた具体的行動指針が示され、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標から成る。
こう聞くと何しか聞こえは非常に良いが、これにはディー〇ス〇〇トによる新しいバカ儲け・更なる搾取・新しいタイプの人類奴隷支配の為のトラップが数え切れない程埋め込まれているのは間違いない。国連はその言いなりで追認したに過ぎないのであろう。
SDGsなんて言われて無邪気に踊りたがる〇〇チョン次郎なんていう奴が大臣なんてやっていて総理にしたい男なんて呼ばれるこの国はどうしようもなく腐っている。


この場所では裏被りや被りが酷い余りにも多過ぎてヤル気が萎える。東横線は裏被り食らってボツというケースが多かった。
この絵でも左隅で都営地下鉄6300形に裏被りされている。


tq4010@tamg01
50㎜(実際は75㎜相当)でもアングルの作り方に工夫が要る。兎に角10連はカツカツになるから注意が必要。5000(5050)系でも少数派の4000番台10連車、4010Fはお馴染みShibuya HIKARIE号で2013年4月に登場した時からこの姿。

tq5853@tamg01
東横線用5000・5050系では多数派の8連車

y504@tamg01
Y500系Y504Fだが、Y500系を捉えるチャンスは少ない
この場所で裏被りや被りを食らわずにしっかり捉えるとなると完全に運任せではあるが、難易度が上がる。橋梁の西側から撮る場合、上り電車(渋谷方面・目黒方面)を後追いで狙うのが無理が無くて良い。春夏期は午後遅く橋梁の西にあって多摩沿道道路を跨ぐ歩道橋上から撮る形になる。
秋冬時期は東側の中原街道の丸子橋に行って昼前の下りを狙うのが良いという事になる。


tmt10132@tamg01
東急・メトロ・西武・東武・横高の直通優等列車ではエース的存在の東京メトロ10000系、Alexander Neumeister監修のデザインでその気合の入り方からして、この形が東京メトロのデザインの基本になるのかと思われたが、違った様だ。




tmt7131@tamg01
ドアの窓が長くて大きいのは2007年以降にB修繕+副都心線対応工事を施した証拠。未だに何しか違和感がある。この7131Fは88年登場の5次車、これだって昭和の車なのだ。

tmt7116@tamg01
この7116Fは1974年製の1次車なので昔は連結面に特徴的なキノコ型貫通路があった編成である。
17000系8連の増備もこれから本格化するらしいので、メトナナも風前の灯火になろうとしているから、撮るなら今のうちにという事である。2007年までは有楽町線の黄色い帯の電車だった、こんな生キャラメルみたいな飾りになって10年以上になる。最初に導入されて47年、新陳代謝が早い傾向にある関東の鉄道では相当な古株である。これでも関西ではひよっこでしかない?


tb51071@tamg01
東武からは9000系のほかに50000系50070形も東急に乗り入れ。その中のトップナンバー51071Fを捉えられた。50070形は数は意外と多くなく、10連が7本あるのみである。
50050は半蔵門・田園都市線用で、東横線・副都心線等に入るのは50070、TJライナーとかになるのは50090と分かれている。


sb40002@tamg01
西武40000系S-TRAINも東急の多摩川の橋を走って行く。S-TRAINを東横線で捉えた=土休日に撮影したのがバレるという事だ。
一見すると西武だか東京メトロだか区別が付き難い感じだが、西武がこんな車両を入れて来るなんて時代は変わったものである(LOL)


今回の撮影は東急を撮るだけが目的ではない。本来の目的はお試しである。
来年以降に予定されるあの事に備えての東横線も目黒線もテストで撮影しておく必要があったのだ。
闘紺込め~てぇ~、青空へ~、電車飛ぶ飛ぶ~(飛ぶわけねぇだろ!)炎と燃えて~(燃えたら危ねぇだろ!)」という訳で、一応感じは掴めた気がするので意味があっただろうか?
巨人軍多摩川グラウンドはこの対岸の東京都側にあった=現・多摩川緑地広場硬式野球場)


其の拾壱へと続く!



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K-3 MarkⅢ試し斬り特集も9記事目となる今回は、東急東横線の都心から一番近い撮影地でもある学芸大学・自由が丘間の場所に行ってみた。
ここも具合のイイ撮影地ではなかった。良いポジションの定員は1名と思って良い。そのポジションもその撮影地を根城にして領有権を主張している様な奴がいるので使えない。
行っておいて何だと言うかも知れないが、撮影地としては実質殆ど役に立たないと思って良い。

tmt17103@tordg01
東京メトロ最新鋭今年3月デビューの17000系だが、他とどこが大きく違うのだろう?という感じである。10両編成6本と8両編成15本を投入する予定で、10連の投入は完了という事で、これからの増備は8連だけらしい。

ここではFA Limited 43mm f1.9 も使ってみた。DA Star 50-135mm f2.8(ワイド端)の作例と混じっている。FA Limited 43mmは確かに優秀なレンズなのだろうが、鉄道には今一つ向かない。FA、つまりフィルムカメラ時代のレンズで、ピントと絡んでの写りもピーキーな所がある。解放がF1.9なのでかなり明るい単玉だが無理した明るさとは言えない。このレンズ、カリカリシャープはあまり得意ではない様で、その代わりある程度絞ってポートレート辺りで使うには非常に有能である。


tmt7132@tordg01
メトナナも8連車ばかりになってしまった。10連車は7101F1本だけである。
それにしてもメトロの車でこの長細い窓の付いたドアには未だに馴染めないというか違和感を覚えてしまう。営団地下鉄の車両のドアというとガラスは小さく正方形に近いものだという固定観念が小生の世代にはあると思われる。ドア窓のガラスが広い方が大きく採光出来るので明るくて圧迫感も軽減されてイイのは分かっているのだが…。8000系7000系6000系、3000系、5000系しかりである。


この撮影地でベストなポジションを取れない場合、8連だとケツが架線柱に被ってしまう。10連だとケツは架線柱の後ろに抜ける形となるが、こんなんだと鉄道写真としては不細工で気持ちも乗って来ない。

tb9102@tordg01
東武9000系で最初の量産車となる9102Fがやって来た。50050系がいながら9000系も東横線に入る。
試作車に当る9101F(1981~)は先日東武東上本線内を準急森林公園行きとして走行中に、床下機器から出火したらしく、途中北坂戸で運転打ち切りで森林公園検車区に留置されて運用離脱している模様。9151F、9104Fも現在離脱中らしい。試作車から量産開始まで6年も掛かっているのである。


tq5823@tordg01
青ガエルこと5000系(初代)のオマージュとして2代目5000系(5050系)にグリーンのラッピングを施した5122F。このラッピングは2017年に始まって2018年に1回目の延長、2019年に再延長で今に至っている。どこかの〇〇事態宣言みたいであるが、こういう延長はイイ。
渋谷駅前で観光案内所として使われていた5001号車は渋谷区の持ち物になっていたが、去年8月に秋田県の大館市に寄贈された。両自治体は忠犬ハチ公繋がりの交流がある。


sb6051@tordg01
東横線で見かける機会が意外と少ない西武6000系・アルミ車。これはDA Star 50-135mm f2.8を使った作例。小生はステンレス車よりアルミ車の方が撮っていて嬉しいのだが。アルミ車体でも6000系はライトグレーの塗装、20000系・30000系・40000系は無塗装、001系は一見無塗装に見えるが大日本塗料のスーパーブライト2000で塗装している。本来自動車に使われる事が多いアルミ顔料をベースにした金属調塗料だが、それが鉄道に使われたのである。(実際は多目的の塗料である)

tmt10123@tordg01
東京メトロ10000系(キャラメルサタンとも呼ばれるか?)は東京メトロ発足後初の新造系列だったという事もあって、Alexander Neumeister(アレクサンダー・ノイマイスター)がデザインを監修。この名前、どこかで聞いた名前と思った人は勘がイイ!、JR西日本500系新幹線電車のデザイン監修を行った人である。それだけ気合が入っていたという事でもあろう。
前照灯のデザインは300形(丸ノ内線)へのオマージュらしい、東京メトロのアイコン的な存在にしたいという願いが込められていたとか。


tq5865@tordg01
東横線5000系は8連車が5050系、10連車が4000番台を名乗るが8連車が圧倒的多数派である。10連でなければならない運用は4000番台が受け持つが、優等列車だけである。各駅停車は8連でないと具合が悪い。優等列車が止まらない駅は8連にしか対応出来ないからである。10連の電車が東横線を走る様になったのは2013年以降である。東横線=8連、田園都市線=10連という時代が非常に長く続いてイメージとして固定化されているのである。

tq5866@tordg01

わざわざ東急東横線なんか撮りに行かないが、東急5000系の一団は西武や東武の沿線でも撮る機会がある。では何でこんな所にというと、このK-3 MarkⅢ試し斬りという事もあるし、来年以降予定されているある事に備えた予行演習・下調べという意味合いがあるのだった。

遂にこの特集も2桁に乗る、其の拾へと続く!



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K-3 MarkⅢ試し斬り特集は又も京王編だが、平山城址公園の一つ東側の南平駅のすぐそばの場所に行ってみた時の絵を載せて行きたい
レンズはよく使うDA Star 50-135ではなくda 50mm f1.8という単玉を使ってみた。住宅地でもあって架線柱をケアする以上に、路上の電信柱の影が落ちて来るのには十分気を付けなければならない。

ko5782@minmd01
5000系(Ⅱ)第2編製=2017年9月登場、寝ていたのが起こされて八王子へ回送される所だった。数十分後に新宿に特急として向かっていった。ライナーの指定券収入は京王にとって大きい。運賃が安く距離も長くない京王にとって運賃の収入規模が然程大きいとは言えない。1回で数百円程度でも京王では結果的に大きい収入源になってしまう皮肉がある。京王がライナーに力を入れ始めた理由はココにある。

秒当り12コマという最大連射性能は鉄道なんかでは大きなアドバンテージになる。これまで使っていたK-3(Ⅱ)での秒当り8.2コマだって決して遅くはないが、12コマ/秒はCanon EOS 1DX MarkⅢNikon D6に次ぐ速さで、レフ式だけで比較すると第3位に躍り出た事になる=Nikon D500Canon EOS 7D(Ⅱ)より速い。
SDカードも買い替えを余儀なくされた。読み出し速度95MB/S・容量32GBの物から170MB/S・容量64GBの物(海外パッケージ仕様?)に買い替えた(書き込み速度は読み出し速度の半分強位)


ko7759@minmd01
顔がアイボリー京王ピンクの塗り別けに、サイドが京王ピンクのガーニッシュ入りになったのは21世紀になってから。登場時はフロントセクションも無塗装で茶色の帯があるだけだった、その後でフロントはアイボリーの塗装が入った。今のカラーリングになったのは2002年以降

ko7775@minmd01
7776(7726F)7777(7727F)は平山城址公園で捉えたが、その一つ前の7775(7725F)準特急高尾山口行きもこの南平で捉えた。3連番で撮る事が出来た

ko8756@minmd01
私鉄では良くある話だが、10両クラスの編成だとケツが架線柱に引っ掛かり綺麗に抜けないというケース。この南平もそれらしい。所謂「鉄ちゃんバー」(スライディングアーム?)を使ってカメラを線路に寄せても一寸無理かも知れない。因みに、鉄ちゃんバーだって良いヤツは1万円程度する。

ko8761@minmd01
安定の8000系、これは8711F。コイツの発進時の音がイイ!1992年登場(白石麻衣・指原莉乃・本田翼・堀田茜・松山英樹・山田哲人と同い年)でGTO世代の車だが、WN駆動+GTOサイリスタ使用のADFは関東では少数派かも知れない。昭和が終った1989年から始まったリフレッシング京王」運動の延長線で開発された8000系だが、力の入れ方が今時なんかと違ったのだろう。
10連・14本(主に優等列車用)及び8連(主に普通車用)・13本が存在する。下2桁が01~14(0番台?)だと10連車で、21~33(20番台?)は8連車。


ko9755@minmd01
つまらない?9000系普通運用の9705F・8連
9000系97××の下2桁が01~08が8連車(0番台?)で30以上が10連車(30番台?)に附番される。


ko8763@minmd01

平山城址公園に行った際、南平まで歩いて僅かな本数だけ撮影したが、時間が遅くなって雲も増えて空色も悪いので早々に止めた。(この日のレンズはDA Star)
緑の8000系を撮るのはこの日2回目となった次第、最初に平山で撮った奴が新宿に行った後再度下って来た所を捉えた事になる。この日の撮影は緑の8000系で始まり同じく8713Fで終った事になる。その日のリヴェンジで南平を再訪し恙なく青空の下での撮影に成功したのである。


DA Star 50-135のワイド端とda 50mm f1.8の比較だが、鉄道で使った感じだと鉄道に欲しいカリカリな感じではDA Starの方が良く映る気がする。ズームだがDA Star 50-135は使い方次第では非常に有能なレンズといえる、さすがStar☆が付くのは伊達ではない。da 50mm f1.8は価格を思えば非常に良い所もあるが、鉄道や自動車よりポートレートやネイチャーの様な風景でよりそのポテンシャルが出せるかも知れない。

こんなに彼方此方やったらもう試し斬りではないって?
確かにそうかも知れないが、其の九へと続く!




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