Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う。 Make 大和民族 Great Again! 今こそ日本を大和民族の手に!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう

タグ:JR西日本

実はこの撮影会で一番最初に撮ったのは485/489系ボンネット・トレインマークのシリーズ。ただ、編集の都合でPart 3 に持ってきた、それだけである。
shigemam@edg001  shigemam@edg002
名門列車と呼ぶべき雷鳥が消滅してから丁度10年になる。最終運行日は何と東日本大震災と完全に同日。関東では雷鳥ラストランは全く話題にならなかった。(当たり前か?)
東日本大震災は九州新幹線博多~鹿児島中央全通の前日にも当たっていた、リレーつばめも雷鳥と同時に津波で消される格好になってしまっていたのである。
一方、関西のメディアでは結構な大騒ぎだったらしい。そして、あれから10年というマイルストーンに大震災の余震だという大きな地震が起きた。10年後に余震というのだから、東日本大震災のスケールの大きさには今更ビックリたまげたである


shigemam@edg003  shigemam@edg004
白鳥も日本海縦貫でなくなって青函連絡に転じて20年、北海道新幹線開通で廃止されて5年が経つ。その北海道新幹線は相も変らず苦しいままらしい。DS武漢ウイルスで更に窮地らしい。五輪も新幹線も「行くも地獄止めるも地獄」の状態である。

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はくたか自体は北陸新幹線の列車として運行しているが、かがやきと比して非常に地味である。長野以北で原則各駅停車である。ここに出て来るトレインマークはボンたか仕様の物だが、これも消滅してジャスト10年という一種のマイルストーンとなる。

ここからは趣を思いっきり変えて、関西私鉄特急からコレを!
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京阪特急3000系(Ⅰ)8000系
京阪特急をコーディネイトしたルビーレッドゴールデンロットのバルーンを手にした重盛まみ嬢は非常に嬉しそうであった。


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風船がダブルになって非常にヴィヴィッドに目立つが、見よ、彼女の風船を手にして嬉しそうな表情!
こんなのを見てしまうとこちらとしても作戦を多少なりとも変更せざるを得なくなるのだった。


shigemam@edg052

京阪特急タオルの位置をもっと下げるべきだったと今更ながら思う。タオルがもっと低ければも少しズームしてもっと訴求力のある絵が撮れたかも知れなかった。

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彼女が座っているのは床ではなく、波状になっている窓際。平らではなく波型で傾斜があるから、座り易くはない筈だが、そんな事をおくびにも出さず、物凄く嬉しそうに風船や鉄道グッズと戯れていた。

元々快速急行用だった3000系(Ⅱ)PREMIUM CAR が加わって特急専用状態になった。3000系(Ⅱ)PREMIUM CAR 記念のマフラータオルはリリースされていない。
これに3000系(Ⅱ)が加わると初代2代目が同時にコーディネイトされる事になるが、カラーがとなってどこぞの某宗教団体を想起させて一寸具合が悪いという人もいるかも知れない。


次回=Part 4 へと続く!



May 2nd, 2019 @ Pulchra撮影会、文京区水道Force Studio
PENTAX K-3Ⅱ∔smc da 35mm f2.4、FA limited 43mm f1.9、DA star 16-50mm f2.8
300Wバッテリー式オフカメラストロボ使用





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そろそろ上げようと思い続けていたものの、一昨年の画像になってしまった。
去年秋にはアップするつもりで準備を開始した所で、当初の予定通りでも十分に遅れているのだが、そこに加えて倒れて3ヶ月も入院してしまったので、アップも今にずれ込んでしまった。
2019年5月2日、平成から令和に移った次の日の事だった。大型連休と重なったためか撮影会の予約が本当に少なく、催行出来るかがギリギリだった模様で、急遽割引価格で募集となった。普段だと価格の御高めな彼女の撮影会もリーズナブルになったので迷わず予約を入れて当初の予定には無かった撮影と相成った。

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ブログ上では485・183系等の電気釜シリーズから始まる。(実際とは順不同になった)
それもいきなり巻き終わりって。巻き終わりというと185系がこれを晒して走っているのは数回見た事がある。485系や183系にも当然トレインマーク部分で巻き終わり(これ以上巻くな)があるのは幕を使っているなら当然なのだが

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あやめも廃止されてから6年になる。今度の3月で7回忌という事だが、此奴如何せん地味過ぎる。千葉方面のJR の凋落のアイコンみたいになってしまった。
1975年登場時にはエル特急指定もあったが、10年後には佐原以東が普通列車にされて、5往復あったのも90年代前半に4往復廃止でエル特急指定も外され1往復に。2004年にすいごう・ホームタウン成田を併合するが、その後も凋落は止まらず粛清の対象でしかなかった。

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特急ときなんて知らない人が増えている。上越新幹線が開通して39年にもなる。大宮以北しかなかった時代も知らない世代が増えている。上野に新幹線リレー列車が185系113系で走っていたなんて40代以上でしか知らんやろ。

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この日はボンネットシリーズもやっていて、北陸日本海縦貫系は多少そっちに譲ってしまっているので、電気釜シリーズでは 白 山 だけになってしまった。 雷 鳥 程騒がれなかったかも知れないが、東京と北陸を長野や上越を介して結んでいたから今の北陸新幹線の素となる大きな存在だったともいえる
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ひたちといえば、先日は夜行列車として走ってしまったのは話題になった。東日本大震災の余震だという福島県沖地震の為、那須塩原以北で東北新幹線が通行止め状態になったので、常磐線が元々の役割である東北本線のバイパスとしての役割を如何なく発揮する形になった。ダイヤが大きく乱れていた所に地震に加えて荒天も加わって度々の徐行や停止があって、走りの方は「フォルテシモ」とは行かずにピアニシモ的な感じになってしまった。それだって、何とか深夜まで掛かっても上野に辿り着いた事が大事であった。

shigemam@edg017  shigemam@edg018
東北新幹線も常磐線もダメで東北本線だけがOK である場合、ひばりが臨時ででも運転されるのであろうか?それこそE657系が東北本線を北上するのであろうか興味がわく所でもある

これはほんの序の口か? Part 2 へと続く!

May 2nd, 2019 @ Pulchra撮影会、文京区水道Force Studio
PENTAX K-3Ⅱ∔smc da 35mm f2.4、FA limited 43mm f1.9、DA star 16-50mm f2.8
300Wバッテリー式オフカメラストロボ使用


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1995年は阪神大震災やオウム事件等があった年だが新快速誕生から四半世紀の節目でもあった。そしてここから10年以上に渡って223系が大量投入された。同時に新快速はいよいよ鬼畜スピードキングへと歩み出す。

同系列の0番台は前年に阪和線でデビューしていたが、東海道山陽向けの車両が1995年8月12日に1000番台として48両の陣容でデビュー。0番台とは見た目も変って、前照灯は丸形2灯から角形4灯に変り、221系も巻いていた帯に加えてサイドの窓部分に21世紀の関西急電である事を主張するかのようにライトブラウンのガーニッシュを付けられた。
其の2年後、44両が追加投入された。まだこの頃は骨組み工法で作られ車体に5本だけビードがあった。これはほんの軽いプロローグに過ぎなかった。
1999年に外版に強度を持たせる工法で作られた(E217系と同じ工法)2000番台が投入開始となる。車体からビードが無くなりフラットなボディになった。


2000年3月11日に新快速は223系に統一されて130㎞/hでの運行を開始し、爆走王伝説が幕を開けたのであった。コロナ禍で恐怖を煽っている最中にも130㎞/h運転開始から20年という節目の時を迎えていたのであった。221系が新快速でいられたのは僅か11年であり、新快速は21世紀を鬼畜大爆走の世紀とする事になったのである。
2000年の1次車236両を手始めに2003年の2次車80両、2004~05年に3次車として172両、新快速敦賀乗入れに合わせて4次車32両(2006)、2007年の5次車28両という具合である。(6000番台は除く)
1000・2000番台合計で約400両という陣容で「新快速21」を形成するのだった


223w14@yod01

2001年だったと思うが130㎞/h運転を開始した新快速に乗車した際、関東人である小生は再び大きいカルチャーショックを覚えたものだった。それは幼少期の153系の時より大きかったと思う。全車転換クロスで時間帯によっては補助席も使える、多少の揺れは気にするなと言わんばかりに全力疾走するのは関東にはない事だった。席に座って神戸から大阪に一っ飛びなんて時は恍惚すら覚えたものだった。(揺れが凄くてパンタグラフが離線しストップしたという事もあった様だが)
4ドアロングシート兎に角詰め込めでチンタラ走るJR 東日本にはうんざりである。


223w16@mes01
あのバンパーは無い方がイイ

225i1@yod01
225系、こちらは0番台でしかもI1編成=トップナンバー

そして2010年、JR西日本は223系だけで満足する様な会社ではないと言わんばかりに送り出して来たのが225系である。東海道山陽には0番台68両が投入された
2016年、意味不明なマイチェン車である100番台が登場。
なぜたった6年で顔がこんなに変わる?しかも1000番台ではなく100番台?、0番台と編成記号一緒なのは何で?という疑問を感じた小生である。


225i9@yod01
こちらがちょっと丸みを帯びた魔変更?の100番台

221系は支線に散りながらも一部は網干に残留し本線運用=東海道・山陽での運用に就いていた。ところが2020年それも全部支線に追いやろうと、100番台144両の製造を開始した。
地域輸送も広域輸送もこなすモンスターマシン新快速を京阪神なんてドメスティックな所に閉じ込めておく事が良いのだろうか?
この50周年を機に、新快速も外国に輸出すべきではないだろうかと考える。
それこそ手始めに台湾なんてどうだろうか?
台湾は国土が狭く新幹線は力を持て余し気味であるから、意外とこっちの方が有用だったりするか。北部の基隆(Keelung)~台北(Taipei)~新北(New Taipei)~桃園(Taoyuan)~新竹(Hsinchu)辺りは有望かも知れない。


昭和の爆笑王が林家三平なら、平成そして令和の爆走王はこの新快速様である。

乗車券だけで大阪~姫路1時間、大阪~神戸20分、大阪~京都30分、しかも転換クロスシート。関東なんかでは到底望めない夢のシティコミューターにしてグランドツアラー。この曲を以てこの18キッパーの強い味方、近郊型GTを称えて締めたい。

てなわけで、今回の一曲はVan Halen (ヴァン・ヘイレン)が1986年に放ったヒット曲、" Dreams "
ヴォーカルのD.L. Roth (D.L. ロス)が一度目の脱退の後、Sammy Hagar (サミー・ヘイガー)を迎えて1986年3月リリースしたアルバム” 5150 ”(fifty-one fifty と読む)にイシューされ、同アルバムからの2nd シングルでもあった


どの様な曲かについてはこちらのようつべでも参照されたい。

World turns black and white, pictures in an empty room
Your love starts falling down, better change your tune, yeah
You reach for the golden ring, reach for the sky
Baby, just spread your wings


We’ll get higher and higher straight up we’ll climb
We’ll get higher and higher leave it all behind


Run, run, run away, like a train running off the track
The truth gets left behind and falls between the cracks
Standing on broken dreams, never losing sight, oh
Well just spread your wings


We’ll get higher and higher straight up we’ll climb
We’ll get higher and higher leave it all behind


So baby dry your eyes save all tears you’ve cried
Oh, that’s what dreams are made of
Cause we belong in a world that must be strong
Oh, that’s what dreams are made of


We’ll get higher and higher straight up we’ll climb
Higher and higher leave it all behind
Oh, we’ll get higher and higher who knows what we’ll find


So baby dry your eyes save all tears you’ve cried
Oh, that’s what dreams are made of
Cause we belong in a world that must be strong
Oh, that’s what dreams are made of


And in the end on dreams we depend
Cause that’s what love is made of




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1970年に新快速が誕生して10年後の1980年、3代目の117系が投入される。
117系185系は親戚に当る。関西の117系は料金不要の近郊型として生を享けて賞賛を得たが、関東の185系は急行用だったのが東京の本社の意向で遜色ぼったくり特急形となり世の顰蹙を買いまくった。


117s4@mesc01
117系のこの姿はもう見られない

足回りは特急形の台車+制御器は381系のアップグレード版+その他は115系アップグレード版。外見は157系の発展型だが、フロントに4灯式ライトで中央部にタイフォンが備わる独特なもの。そして嘗ての関西急電を模したカラーリング。
内装が近郊型のレベルではなかった。転換クロスシートで吊革無し、蛍光灯はカヴァーされ内壁は木目調という具合に、競合相手を意識して当時の国鉄としたらギリギリの勝負をしたのではないかと思われる内容である。
大阪鉄道管理局だからこそここまでの意地を見せたと思われる。185系なんて駄作を作る様な東京の本社とはエライ違いである。

そして、1987年に国鉄はばらされて民営化されたが、今から思えば国民がグローバリストとその手先どもに騙されたティピカルな例である。(詳しくは割愛するが)分割民営化なんてあんなバカげたやり方しか選択肢が無かったとは到底思えない。

そんな117系だがその天下は決して長く続かなかった
登場から10年に達する辺りで陳腐化していたのである。高速化と同時に地域輸送の充実化を狙っていたJR西日本、1980年頃に確立されていなかった新しい技術もドンドン実用化されて鉄道車両も新しいステージに入ろうとしていた。機械的には古い技術の焼き直しで作った117系は最高速度110㎞/h、両開き2ドアでデッキこそないものの乗降に手間取る。
新快速の運行形態にも変化は起きていて、運転区間の拡大と停車駅の新設が少しずつ起きていた。1978年に神戸、1985年に新大阪、1986年に山科に停車開始と同時に彦根まで区間延長、1990年にデイタイムのみ芦屋・高槻への停車開始(後に全日停車に)


117s6@kyt01
抹茶色、決して「成れの果て」と呼んではならない

JR西日本としてはローカル輸送にて京阪神間で私鉄との競争に勝つと同時に広域輸送という本来の強みを生かす事が民営化成功へのカギとなった。そんな中1989年、快適性と利便性を両立出来る新たな刺客として1990ローレル賞受賞車みんな大好き221系が登場し、3ドア時代に突入。3ドアで乗降しやすくなって遅延のリスクは減ったが、そこはさすが221系。車内は全て転換クロスシートで居住性も◎。アメニティライナーという名称が付けられたが、それは浸透しなかった
機械的には国鉄末期型の211・213系等の正常進化型みたいな所だが、最高速度は120㎞/hと特急型並みになった。私鉄王国を本格的にブッ壊すための第1弾の刺客としては申し分ないものである。


221a2@mescr01
こういう絵はもう撮れない

251b18@yod01
数年内にこの鉄橋でも見られなくなる

そんな221系、1989年~92年まで6次に渡っての396両の増備だったが、117系を完全に駆逐するには至らなかった。それでも1991年にラッシュ時以外の新快速221系となりデイタイムは120㎞/hに最高速度を引き上げた。1992年の6次車投入で新快速を全部8両以上での運行に改めた。
しかし登場から数年で主役の座を奪う奴が東海道山陽で増殖を開始する。1995年、阪神大震災からの復旧と共にあのモンスターがやって来るのである。


その爆走モンスター登場後の話はPart 3 で取り上げる事とする



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今日は10月1日、東京なら都民の日。小生が子供の頃は公立学校は休校日だった。ただ小生は中学から私立に通っていたので、小学校の時しか都民の日の恩恵にはあずかれなかった。

今日2020年10月1日。それは私鉄王国をブッ壊す、関西の爆走王、特急を抜かす危険なヤツ、そして何といっても18キッパーの強~い見方。そういえば答えは一択、みんな大好き新快速(京阪神)が50周年を迎えた記念すべき日である。
これを機に10月1日を新快速の日にすべきではないかと思う小生である。


223w38@yodg01

件の新快速のご先祖様に当る関西急電といえば42系・52系が活躍し戦後は80系が活躍した伝説の列車である。1934年から42年及び1950年から57年の間で合計約15年走っていた。
1957年に名古屋~大阪間に準急列車(準急料金が必要)が設定され、それと料金不要の急行電車が被る区間があるのはおかしいという事で快速に改められた。時を同じくして80系電車の湘南色への塗装変更も始まった。こうして関西急電は消えていった。


ところで、50年前の1970年というと大阪万博があったのは御存知だろう。当時1歳半だった小生も家族に連れられて行ったというのだが、まるで記憶にない。その期間中は国鉄としても当然、明けても暮れても万博の臨時輸送であったが、コレが終ったらどうするかという事になる。既に国鉄財政は非常に苦しくなりかけていた上に京阪神ではどうしても各大手私鉄と競争になる。

そこで生まれたのが新快速というサービス、関西急電の形を変えた事実上の復活だった。当初は京都~西明石間でデイタイムに1時間おきの6往復が設定されていた。停車駅は大阪・三ノ宮・明石のみという鬼畜な設定は今も語り草である。
初代新快速113系だったが、横須賀線から万博輸送の為に転属したスカ色の車両が充てられた。それが湘南色に中途半端に塗り替えられていったため、混色の新快速が増えていった。


113mh109
スカ色の113系

113l17@kyt01
JR 西日本の113系

嘗ての関西急電は大阪鉄道管理局の意地の様な存在だった。東京の本社に対するレジスタンスでもあった。
新快速もその部分を受け継いだのか、運行当初は同時発車で列車線を走る特急「雷鳥」を新大阪(当時は特急も新快速も通過)辺りで電車線から抜かすという光景があった。(余裕時分の関係もあった)
これでは本社側=東京のメンツが立たぬとパターンダイヤをずらせと指示したが、当時の大阪鉄道管理局は首を縦に振らず、結局は本社が特急のダイヤを変更したという伝説もある。
72年になると、山陽新幹線が岡山まで開業。山陽方面の急行に使われていた153系が余った。失業した153系新快速で使い倒すという荒業に出たのがブルーライナー2代目新快速の登場である。


153系時代の新快速に小生も乗車した事が1度だけあった。先ず新大阪を通過するというのが信じられなかった(当時は特急も新大阪通過)。京阪神という三都をダイレクトに結ぶ速達列車で関西のシンボルという存在だったから、敢えてデッキがあって乗降が不便で老朽化していても153系で良かったのであろう。
見方を変えれば平準化が国鉄のモットーで独自の車両も作る余裕もないから、近郊型より格上な急行形を持って来るのが精一杯だったと言えなくもない。
これが乗車券だけで乗れる事を含めて当時幼かった小生は色々とカルチャーショックを受けた様に記憶している。


117s4@ymsi01
まだシティライナー色の頃の117系と223系との並び

そして1970年代終盤~80年代になると国鉄改革そして民営化という怒涛の流れが忍び寄る、新快速も例外でなかったと言えるだろう。そこで導入されたのが117系だった。

80年代以降の話は、Part 2 へと続く!



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