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マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:JR東日本

先日の事だが、JR東日本から同社のE259系に於ける外観上のリニューアルが発表され、ネット界隈と鉄オタを「ざわわ~っ!」とさせている。顔にデカデカとあった“N’EX”の文字は先頭部のサイドに移る事となり、正面貫通部に於いては地色が黒からシルヴァーに変り、“N’EX”の文字は“EXPRESS E259”に変る。全体としても白・黒・のカラーリングから、シルヴァーが強調されたものへと変えられる。更に、N’EXよりE259をよりフィーチャーしたデザインになる模様である。

更にE259系とググると候補に「転用」「転属」「高崎線」という候補も出て来る。現に以前JRサイドからの情報で、651系E259系によって置き換える予定である事が出されていた。この前提として、例のアレによるN’EX大幅減便がこの後も続くという考えがあったと思われる。(例のアレについて先が見えない恐怖が煽られて、それによって支配されていたという事も言える。)

ただ2022年以降、N’EXの運行は元に戻って行き、ニートだらけだったE259もドンドン「復職」して行ったので、余剰車は殆ど無い状態になった。(22編成中最大で19編成が運用に就く)
これで予定が狂った?のが高崎上越線系統特急置換という事になる。E259による651の置換は無くなり、本来は波動輸送用のE257系5500番台による置換となったが、これはどう見ても大変なグレードダウンにしか見えない。
しかも5編成しかない同番台の内、座席にコンセントの付いた3編成(OM53~55)しか原則的にこの運用に就けない。(※OM51・52は原則波動専用)

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多摩川を渡河するNE009編成=2023年1月

これで困った事が起きた。
この体制では平日に於けるあかぎの運用が回せない事になってしまったので、踊り子として修善寺まで往復している2500番台=東大宮NC編成が運用を肩代わりする事が常態化している。

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房総から伊豆へ行ったNC34編成も高崎線を走る=2022年10月・大仁付近

実は5500番台を6連化しようと思えば出来た筈と小生は考える。0番台付属編成のクモハE257が5両存在したので、ここに差し込めば恐らく可能だっただろう。だがそれをせず5両を維持した事がsynicalにも今回の事で功を奏してしまった格好だ。

これで現実として波動用も余裕がなく、485系改造車等のジョイフルトレイン群も全廃にした事もあって、何故か185系を残して波動用に充てているという少々ちぐはぐな事をしている。651系はさっさと始末する筈だったが、処遇は未定と口を濁し、何と事もあろうに185系で置き換える様な形に現時点ではなっている。
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鶴見川を渡河する185系OM09編成=2018年

波動用に残すのでも四十路の185系よりまだ三十路の651系の方が良い様に見えるのだが、部品の確保が困難になっているのは両車互角かも知れない。ただ腐っても国鉄形で今や大人気の185系の方が広範囲な運用がし易いという可能性はある。

この話、後編へと続く!



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今年もダイヤ改正の季節、関東では東急相鉄直通開始が大きな話題だが、その他での鉄道車両の動向に関する話題を3つ。

この度のダイヤ改正でキハ85が特急ひだの運用から完全撤退。1989年の登場から34年が経過して、HC85に交代。ゴルフでHC85なんてあり得ない数字だが、ここのHCはhandicapではなくhybrid carの事。気動車といいながら各車の形式記号はクモロ・クモハ・モハで完全にここだけ見ると電車である。
キハ85が消えるのは高山本線のひだのみならず、7月には南紀HC85系に交代する。


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安濃川を渡ったキハ85の特急南紀=2017年3月・近鉄津新町駅付近にて

ここで捨てる神あれば何とやらという事で、キハ85の京都丹後鉄道(丹鉄・WILLER TRAINS)への移籍が決まって、既にその第1弾?が既に行われたのはご存知だろう。移籍したのはキハ85#3と#12の0番台非貫通先頭車2両

去る2月23日~3月5日に渡って、京都鉄道博物館でキハ85及びHC85の特別展示が行われたが、キハ85-3・12は名古屋に戻らすその足で西舞鶴まで行った。因みに、JR東海の在来線車両が同施設で展示されるのは初だったという。
2023年3月8日の時点で、丹鉄によると「走るのは2両1編成で、内装や外装を変更する予定は無い、2023年度に車両整備(経年劣化等の通常の整備)を行う予定で、車両の活用法は未定」という事だったが、追加でもう2両が譲渡されるという話もある。KTR001形(3連×2本)を代替するのに2×2=4両が要るのではないかという理由でこういう憶測が出ていると思われる。ただ、丹鉄はノープランで購入だけしたというのだろうか?


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多摩川を渡る横須賀線のE217系(先頭はY144編成・2022年廃車)=2021年11月

横須賀線の主力だったE217系、元祖「走るンです」の一つ。登場から30年が経過して電子レンジによる代替により全廃が予定されているのだが、まだ300両以上が残っている。近年の半導体不足等々の状況によって、電子レンジ増備が当初の予定より遅れているため、E217系の廃車も予定より当然遅れている状態であるという。

ここにきて、E217系の大々的な移籍話が持ち上がっている。インドネシアに300両以上が海を渡るというのである。現時点で残っている同系列の殆どがインドネシアに移るという事になるのではないか。インドネシアの鉄道というと嘗て日本で走っていた車両達がKRL Commuterline(KRLコミューターライン)でセカンドキャリアというか余生を送っている。E217が行くとするとこのコミューターラインという事なのだろうか。今世紀に登場した様な車両は「ハイテクで我々には使いこなせない」という事らしく、E217系はインドネシアでもハイテクでないという話なのだろうか?
これからハイテクでない車両は日本からなかなか出て来難くなる。関西の私鉄ならまだ狙えるかも知れないが。


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大和川を渡河する在りし日の近ヒネ103系低運転台=2015年10月

原型に近い103系が残っていて、しかも列車が走るのは朝と夕方だけというのに、立派に黒字という摩訶不思議な路線。その名は和田岬線。沿線にある三菱重工業神戸造船所等の通勤客が利用する路線で、日中は全く運転が無く、朝晩の通勤輸送に特化したダイヤが特徴。そういう事で非常に珍しい土曜ダイヤも存在、休日ダイヤに至っては1日僅か2往復の運転。この路線の103系はR1編成の1本、これが兵庫~和田岬の1区間2.7㎞をピストンしていた。
この路線には鉄道界でも非常に重要な役割があるのも御存じであろう。川崎車両株式会社兵庫工場JRの線路を繋いで落成した新車を各地に送り出したり、既存車両の改良改造等で入庫させる役割がある。甲種輸送等でよく話題に上るあの線路である。


この路線は神戸市の路線でありながら、神戸市から2011年に廃止要求が出たのは有名。累積赤字が1000億円超にまで膨らんだ市営地下鉄海岸線の利用者を「強制的」に増やしたいという思惑もあるのは明らか。(こんなのも木端役人のクソ発想が見え見え)
ただ、この路線は黒字。JR西日本としては経営に対する要らぬ干渉と言わんばかりに突っぱねた。
因みに地下鉄海岸線は小生も利用した経験があるのだが、端的に言うと「ヤバい」「あかん」「クソ」「要らん」。


ほんの数年前までは阪和線・同鳳支線にはスカイブルーの103系が、奈良線にも鶯色の103系がいた。大阪環状線ではオレンジの103系が走っていた。
その時代阪和線・奈良線共々、「老人ホーム」とか「時代に取り残された所」みたいに呼ばれるか、将又走る博物館みたいにも揶揄された。そんな時代ももやは隔世の感すらしている。


この路線は嘗て旧型客車最後の砦でもあった。旧型客車+ディーゼル機関車(DE10)という列車がバブル末期の1990年9月まで走っていた。そんなこの路線、最近は播但線と並んで103系最後の砦として注目を集めたが、2001年の電化以降22年間ピストン輸送を続けていたスカイブルーの103系近アカR1編成は18日で運行を終了する事となった、後任がR1編成と同じく近アカの207系になるのは確実である。

103系最後の週末」になる筈だった3月11~13日だが、103系の運行はキャンセルされた。鉄道ファンに来させないという「例の病気対策」なのは間違いないと思われる(穿ち過ぎ?)。
本来なら臨時便も走らせて一寸は「商魂込めたい」所であっただろうに…。
この国は行き過ぎのバカみたいな病気対策を何時まで続けるのか?、そこまでして世界の笑い物になりたいのだろうか?




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松本零士こと松本晟(まつもと・あきら)氏が13日に急性心不全で死去したというニュースが20日に駆け巡った。享年は85歳。
ちばてつや氏を始めとする漫画界のビッグネーム達は元より、芸能界の錚々たる面々、各界更には日本や世界の各地からも追悼コメントが多数寄せられている。松野博一官房長官の記者会見で追悼コメントが出されて、フランスでもこの訃報は大きく報道された様で同国在日大使館から哀悼の声明が出された。
鉄道界でも伊賀鉄道から追悼の言葉が発せられているが、鉄道各社からもっと大々的に声明が出されても良いのではないか?、鉄道界及び鉄道ファンにとって神様の一人なのだから。


松本零士ワールドの代表作として、「男おいどん」・「宇宙海賊キャプテンハーロック」・「宇宙戦艦ヤマト」・「銀河鉄道999」・「漂流幹線000」・「銀河鉄道物語」・「新竹取物語1000年女王」・「クイーンエメラルダス」等はあまりにも有名。「国宝級漫画家」とすら評される、それこそ牛馬犬猫の類でもその名を知っている様な巨匠だった。
銀河鉄道999」のTVシリーズの放送開始当時は小学生だった小生、卒業と同時にシリーズも終了した。113話を2年半以上掛けて放送したが、この時代はナイター中継で飛ぶ事が春夏期にはあったからである。
後の再放送もよく観ていた様に記憶している。勿論、同作品の劇場版もリアルタイムで観ている。


同氏は長く大泉学園で暮らしてきた事もあり、2008年には練馬区の名誉区民として表彰され、西武池袋線は大泉学園駅前に 2015年から星野鉄郎・メーテルの像が設置され、駅構内には車掌の像も置かれている。他にも2009年8月3日から4年間限定で、区役所発行の各証明書発行用紙には「銀河鉄道999」の999号・メーテル・鉄郎・車掌のイラストが印刷されていた。

2015年に鉄郎・メーテルのモニュメントが設置された際に松本氏は「このキャラクターたちは大泉で生まれました。私が天国に行っても、このモニュメントは残る。とても嬉しい事です」と述べていた。この駅の発車メロディーも勿論「銀河鉄道999」、駅前商店街はゆめーてる商店街を名乗っている。
鉄郎・メーテルのモニュメントが設置されているのは大泉学園駅のみではない。松本氏が幼少期~思春期を過ごした北九州市は小倉駅前にもインスタレーションされている。同氏は北九州市漫画ミュージアムの名誉館長を2012年~21年の9年間勤めていた。
駅メロとしても採用が多いゴダイゴの超名曲「銀河鉄道999」だが、山陽新幹線の新神戸・相生・姫路・岡山・広島・新山口・小倉・博多の各駅で使われ、他には淵野辺(横浜線・JAXA関連施設の最寄り)等でも流れている。


1999年に敦賀市では、同市開港100周年記念事業としてヤマト並び999のモニュメント合計28点が整備された。ヤマト999→船+鉄道というのがそのインスタレーションを行っている理由だという。

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初代999トレイン=3011F・2011年3月所沢付近

ここでだが、999は銀河超特急と言いながら、何でSL+旧客なのだろう?との疑問を持たれた御仁もおられるかも知れない。小生もそんな疑問を持った一人で、その時代ヨーロッパ各国で走っていたTEETrans Europ Express=後のEuro City)みたいな列車として描いた方がsophisticate and fasciateされた物になろうかと思ったものだった。
(小生は小学生でTEEを書物で知っていて、一寸進んだ?子供だったのだ。そしてこれが後に洋楽少年になる下地だったか?)
松本氏は1956年に18歳で上京したが、その時に復路の汽車賃なんぞ用意できない状況で乗り込んだ夜行列車が999のモチーフだという。同氏の青春の旅立ちに抱く思いは強く、上京時の「死んでも帰らないという思いは鉄郎と同じ」「木造の向かい合わせの座席、床や天井の色など車内もリアルに描ける」と懐述している。同氏にとって「列車は人生そのもの」なのであるから。



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2代目999トレイン=20158F・2016年10月所沢付近

宇宙戦艦ヤマト」も不朽の名作と称えられるが、そのTVシリーズはあの「アルプスの少女ハイジ」と真っ向勝負する形となって敗れている。イスカンダルからたった20分程で帰ってくる破目になったのもこの敗北が原因というのは有名。
蛇足だが、ハイジについてはアメリカでもNFL🏈に絡んだ有名なエピソードがある。(他に機会があれば述べる)
銀河鉄道999」TVシリーズについていうと、つい最近ではTVK(テレビ神奈川)の日曜23:00からの枠で2020年夏から約2年掛けての再放送が行われていた。毎週HDDレコーダーに録画して観ていた小生である。
メーテルのモデルはドイツ人の女優、Marianne Hold(マリアンヌ・ホルト)女史だったと言われている、松本氏は彼女に非常に憧れていたという。
999号の牽引機は漫画・映画ではC62-48という実在した機関車(特急ゆうづる牽引で有名)で、そのナンバープレートは松本氏所蔵になっていた。これに対しTVアニメでは50という実際しない架空の機関車になっている。
(C62は49までしかない、即ちクロマティはいても駒田も後藤もいなかった…古っ、LOL)




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前記事の続きだが、登場した車両以外の話を出してゆく。

この年は有名な大事故も起きた。特に有名なのは成田線の事故、久住~滑川間にあった大菅(おおすげ)踏切での事故は悲惨なもので有名である。
起きたのは9月14日16時過ぎだった。成田線を走行していた1457列車=113系4連の普通電車が、65㎞/hで惰行運転中に突然大型ダンプカーが進行方向右側から遮断棒を突破して大菅踏切内に進入した。電車も直ちに非常停止を行なったものの衝突。当該列車の先頭クハ111‐1038の前頭2軸が進行左側に脱線し、65名のの乗客が負傷。そして運転士は、押し潰された運転室に挟まれ死亡。衝突したダンプカーは大破し、後にダンプ運転手は業務上過失致死傷容疑で逮捕された。
運転士は即死ではなく衝突時点では生きていた。しかし大きく潰れ変形した運転室からの救出は困難を極め、結局運転士は病院への搬送途中で死亡した。


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事故現場にも近い滑川付近を走る成田線209系普通

現場道路は8パーミルの下り勾配で、当該ダンプは最大積載量8.75トンに対し4倍近い土砂を積んで、マンモス過積載状態だった事で当然の如く踏切前で止まれずにそのまま突っ込んだ。JR東日本の上層部を含む社内にも多大なショックが走り、「踏切事故防止キャンペーン」のきっかけになった。既存車の前面に鋼板を追加で貼り付け強度を上げる工事=鉄仮面化を実施。更にこの後に開発された車両ではCrush space(クラッシャブルゾーン)等の生存空間確保構造がデフォになっていった。道路交通法改正によって過積載に対する罰則取り締まり強化も行われた。

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千葉には最後まで113系が残っていた、2009年・物井付近

当時はこの踏切のあった道路は町道から県道になり(県道103号)、1995年から立体交差化が始まり、その3年後に大菅跨線橋が供用開始となり、踏切は消滅。同年千葉地裁でJR東日本が起こした民事訴訟判決でダンプ側の運転手・荷主・砕石会社・砕石会社従業員2名に対し1億円余の賠償を命じられている。


神戸市の山陽本線・須磨付近で起きた寝台特急さくらの「もらい事故」、これも非常に有名である。
4月8日午前0時頃、山陽本線と並走するR2で4WDオフローダーが急に転回しようとした。その時そこを通りかかったトレーラーがオフローダーの転回を避けようと急ハンドルを切ったものの、制御不能になり4WDに衝突し、はずみで線路上に転落。そこで直後に列車線を走行していた下り=長崎・佐世保行きの寝台特急さくらが衝突、更に電車線の普通電車=201系までその巻き添えを喰って衝突脱線した。EF66-55は脱線転覆、14系客車12両の内5両も脱線し、トレーラーの積み荷だった鋼材が一部の客車側面に突き刺さった。被害車のEF66-55は即刻廃車こそ免れ修理の上で運用に復帰はしたものの後遺症で不具合が頻発して1997年2月22日(猫の日)に廃車の憂き目に遭っている。客車では先頭のスハネフ14-2JR九州)が即刻廃車だった。
事故の原因を作った4WD及びトレーラーの運転手は過失往来危険容疑で逮捕。起訴されて有罪判決が下りた(禁固刑+執行猶予)。2台の車の運転手及びトレーラーの運送会社には、関係したJR各社から15億円余りの損害賠償が要求された。
鉄道ファンなら皆が思うだろう、「ゼロロク様をメチャクチャにした4WDとトレーラーの運転手は絶対許さん!公開銃殺!+一族全員流刑!」



関東鉄道取手駅での事故も伝説である。
6月2日朝の事だった。常総線の普通列車=4連が暴走し、取手駅の車止めも超えて駅ビルに激突。


当該列車は西取手駅に停車後、なかなか発車せず、「ブレーキ故障のため今から修理します」とのアナウンスがあって、運転士が車両の下に向かった。「プシュー」という音がして、列車は少し後退して停止。運転士が戻って再び動き出した。列車は取手駅に向かう下り坂で、なぜか速度を上げた。運転士が取り乱した様子でさまざまな機器に触れていた。(乗客談)

緊急事態は明らかだった。「ブレーキが利きません。なるべく後方の車両に移動してください」というアナウンスがなされた。この列車の乗車率は180%に近く、今の関東鉄道では4両運行なんてまずないが、キハ300形・800形で組成された4両には約900人が乗っていたと思われる。この状態でブレーキが利かなくなった当該列車は25㎞/h以上で取手駅8番線(頭端式)に突っ込み車止めを乗り越えその先の駅ビルの壁まで突き破って止まった。死者は1名、負傷者は158名
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在りし日のキハ300

西取手駅でブレーキが解除できなくなった際の対処で、常用ブレーキと保安ブレーキの圧力空気が排出され、両ブレーキとも作動できない状態になった。こうした応急処置をした場合、作業基準などで定めた制動試験が必要だが、13分の遅延に気を取られ、試験をせずに運転再開した。これが第1の原因とされる。西取手で運転手が保安ブレーキのコックを元に戻さなかったため、常用ブレーキも効かなかった。一方、車掌も非常用ブレーキ弁を元に戻していなかった。車掌弁は、元に戻さないと弁のパイプの一端から空気が漏れる構造であったため、圧縮空気がタンクに溜まらず、ブレーキが利かない状態となってしまった。
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現在の関鉄、デイタイムや夜間は単行ばかり。

会社側でもトラブル時のルール・マニュアルが作られているものの、それが現場で守られなければ意味が無い。そこに遅延を許さない企業風土・社会風土による心理的圧迫が起き、これもあってブレーキの復帰作業も怠った。起こるべくして起きたともいえる。

この事故の大きな原因の一つが車両の老朽化によるメンテナンス状態の悪化とされ、その翌年からキハ2000シリーズ・5000シリーズの新造導入による世代交代が進んで行った。この事故の当事車であったキハ800形は1993年に全廃となったが、キハ300(350)形は2011年まで走っていた。製造時期は両形式ともほぼ一緒の1960年代である。キハ300は39両という大量導入だったので、結果的に部品が確保出来て何とか21世紀まで生きながらえたと思われる。


1992年の鉄道界、最大のトピックは同年ホワイトデー=3月14日の300系のぞみの登場であろう。ここから東海道・山陽新幹線の高速化が一気に進んで行くのであった。一時は東海道山陽新幹線の主力になった300系だが、1992年当時はJ0(→J1)並びJ2~5編成という5本だけの陣容だった。のぞみはこの時は1日で僅か2往復しか運転が無かった。1時間maximum12本という現在からは隔世の感がある。301号は新幹線初、伝説の「名古屋飛ばし」+「京都飛ばし」を敢行した。(301号は1997年11月28日まで存在した)

新機軸も多かった車両は初期トラブルも多く、運行開始からの43日間で5編成で183件のトラブルが起きた。この年の5月6日には愛知県内をひかり号で走行中のJ4編成にて、主電動機を固定するボルトが折損し、4時間立ち往生するトラブルが発生。これは重大インシデントと認定された。
のぞみはデビュー当時は全車指定席でこれが2003年秋の品川駅開業まで続いた。そしてこの春、19年半続いた普通車一部自由席が消滅。再び全車指定席に戻る。

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新幹線電車でVFDを採用し、アルミ車体をデフォにしたのはこの300系である。常に270㎞/hでの営業運転という事は新幹線をそれまでのステージから一気に上に持って行ったのは紛れもない事実。
因みに同年デビューの400系山形新幹線はサイリスタ位相制御∔普通鋼ボディという古い感じの構造であった。300系は2012年3月引退だが、400系は2010年4月に引退している。この系列も初のミニ新幹線として新在直通というそれまでなかった新幹線の形を作ったパイオニアである。


まだ終わらない、次回=増7へと続く!



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「これ、まだやってたの?」と言われると思うが、このシリーズも1992年までは完遂しようと考えている。今回の増5では、この年の鉄道界の話題を挙げて行く。

登場した鉄道車両の主だった所を挙げて行くと、こんな辺り。(先行試作車は除く・営業運転開始ベース)

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2022年3月・高田本山付近

近鉄ではACEこと22000系が登場。12200系亡き今は、汎用特急車の中心である。12400トリオや30000系(Vista EX)、更には21000系といった大先輩の陰に隠れてしまい、若手という感じの立ち位置が長かったがもう三十路なのである。関西私鉄は時の流れ方が一寸変なのか?
近鉄の一般車では50年オーヴァーの選手どもが普通に平気で走っている。関西の他社でも阪神以外はそんなモン。会社に関わらず、30年40年クラスなら主力としてウヨウヨ!

このACEと同世代の特急車を挙げて行くと、京成AE100形東武100系SPACIA(1990爆誕)、JR東海371系小田急20000形RSE(1991デビュー)、300系新幹線電車400系新幹線電車JR九州787系(1992爆誕)、JR東日本255系E351系西武10000系(1993爆誕)という所。

これらを制御方式という切り口で見ると、西武10000系は抵抗制御、371系は界磁添加励磁制御、787系400系はサイリスタ位相制御、これに対し300系ACEは、京成AE100形東武100系255系と共にVFD制御システムを採用している。1980年代中盤から採用されだしたVFDだが、当初は特急車で必要とされる大容量には対応出来ず、採用は一般車に留まっていた。1990年デビューの京成AE100形並び東武100系VFD制御で特急車という、1つのbreakthroughの様な形になったと言える。

ただこれらの中でAE100300系は既に無く、東武100系でも9編成中2編成が既に廃車。371系並びRSEは富士急行に移籍し形を変えて走っている。西武NRAも過半数が廃車済み。そんな中、このACEは内装も外観もすっかり変わり、名阪で走る事は無くなったものの、1両も廃車を出さず日々伊勢方面奈良方面を中心に活躍を続けている。

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2008年4月・博多駅にて

JR九州787系、実は300系及び400系という新幹線電車2系列に勝った車である。1993年のブルーリボン賞では300系400系787系ACEというハイレベルな争いを制して受賞している。その時点でレジェンダリーな名車である☆彡。
去年はデビュー30周年、JR九州の主力特急車の地位は揺るがないか?。西九州新幹線開業でこれとコンビを組むリレーかもめは殆どがこれで運用される。883系と885系をソニックに押し込めた形である。日豊本線のにちりん・きりしま・ひゅうがもこの車。

その他では、こんな車達が1992年に登場している

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鶴見川橋梁にて

JR東日本215系
全体がほぼダブルデッカーという構造が災いしてあまり活躍出来なかった。兎に角乗降に手間取るのは事実。過密ダイヤではネック、使える列車がホリデー快速等に限られ、停車駅も減らさないとダイヤが無理ゲーになるらしい。なので、既に全廃である。


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2022年5月・高幡不動~南平間

京王電鉄8000系
6∔4→10連のユニットと8連のユニットが存在するが、10連の方が古い。
2022年は同系列30周年を記念し、5月28日から「8000系デビュー30周年記念乗車券」を数量限定で発売。6月5日には若葉台車両基地にて、事前申込制による同系列の車両展示撮影会を実施、6月6日から1編成が期間限定で記念ヘッドマークを付けて運行している。


京王の会社としては、7000系6000系のマイナーチェンジみたいな位置付けだったので、20年振りのフルモデルチェンジで登場したのがこの8000系だという話。
京王8000系とググると、予測候補で「かっこいい」というのが出て来る。思えば最初にこの車に出逢った時に、「かっけぇ」と思った当時20代半ばの小生だった。バブル時代に開発が進められたと思われ、その事もあってか、気合の入り方も結構なモノだったのであろう。


以前のGTOサイリスタ使用のVFDサウンドもやや独特で好きだった(現在は大部分がIGBT換装済)。当時のパンタグラフはデカパンだった(2005年からシングルアームのPT7110に換装)。現在の在籍数は10連×14∔8連×13=244両だが、第2勢力に甘んじている。

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2022年6月・所沢~西所沢間

西武鉄道6000系
コレは西武初の地下鉄乗入れ用車両。
同系列の前期型0番台は東急車輛(現・J-TREC)製、西武では初だった。この6000系は西武初にして唯一のステンレスカーで、ボルスタレス台車を履いた最初の車でもある。この導入でデイタイムの優等列車10連化も一気に進んだ


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2013年9月・春日部付近にて

東武20000系20050形もこの年12月29日登場
20000系自体は1988年登場だが、両端2両ずつが5ドアになったのが20050形。1996年デビューの20070形では再び全車3ドアに統一されている。今はもうこの姿は見られないが、20000系20410~20440形として南栗橋以北の運用に就き、他ではアルピコ交通20100形としてセカンドキャリアを迎えている物もある。


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系列1stナンバーだが、編成番号は19編成。編成番号は1000系と通しになっている(2008年@姪浜)

福岡市交通局2000系
空港線延伸開業(博多~福岡空港)を1993年に控えていたので、それに先立って1992年に導入されたのが2000系。2015年末からのリニューアルにより呼称が2000N系になっている。延伸に伴う車両増備という位置付けで、この系列は6編成が存在するだけで、18編成が存在する1000系に対してマイノリティである。制御装置は日立製GTOだったが、リニューアル後は同社のIGBT(SiCハイブリッドモジュール使用)
1000N系はその大部分が40年を超えていて、2000N系も30年選手。セミステンレス車体である1000N系代替は今年から2027年にかけて行うと既に発表されている



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1000系1009F=2015年鶴原付近で撮影(ロケ地の選定を明らかに間違えた!もっと井原里寄りに行かねばならなった)

南海電鉄では11000系(りんかん・泉北ライナー)及び1000系がデビューした。
この画像の1000系、前面中央の非常貫通扉の上部に何も配置されていないのは間抜けな感じである。前照灯なり行先表示を配しておくべきだったのであろう。
高野線特急車でも11000系は20m級の車体で大運転には就けないから、りんかん・泉北ライナーでしか走れない。ただ、30000系の事故で高野線特急車が不足した関係で泉北ライナーに50000系が入っているので、11000系は現在りんかん専用である。


他では、京阪電鉄700形横浜市交通局3000形(3000A)名古屋市交通局5050形・鹿児島市交通局2130形・東急電鉄2000系(現9020系)といったあたりがこの年にデビューしている。

次回=増6へと続く!



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