Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:関西私鉄

先日大阪まで出張した際、御堂筋線に乗車した。その時車内で「大阪メトロをご利用頂きまして有難う御座います」というアナウンスを聞いたその瞬間、今年4月1日に大阪市営地下鉄大阪メトロ=大阪市高速電気軌道(株)に変わったという事実を思い出してしまった。
駅構内の細かい所を見れば、新しいロゴが彼方此方にあったりするので、そこからもこの事実を確認出来る。ただ、そこ以外では列車接近時や発車時のメロディ等も変っていない等、大阪市営地下鉄時代と比べても全体的には殆ど変更された点は少ない。
会社組織に変ってからまだ3ヶ月程度で、走っている車両も一緒、駅構内の設備も市営時代から変っていない。自動音声に「何チャラの何某本店へお越しの方はこちらでお降り下さい」等というホンマに如何でもエエ広告放送が差し込まれているのも相変らずである。



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堺筋線の66系 2017年4月・茨木市~南茨木間にて

そういった中で、一つだけおったまげた件があった。
クーラーを使用して、快適にご乗車頂ける車内環境を整備しております


何を今更、ふぁ? こんなん当り前田のクラッカーやろ! こんな事アピールしてどないすんねん?
非冷房車なんて余程の田舎にいっても殆ど走ってへんやろって!
原発全部止まって関西の電力事情が悪いというのは未だに解消してはいないらしいが、電力事情悪くてもクーラーは惜しまず使うというアピール思いっきり草である。
因みにこの日の大阪は最高気温 32℃だったが、6月でも大阪ならこれ位はあり得るかというレベル。

関西の電車に乗ると、5月あたりで 25℃以上になってもクーラーをケチるケースは散見されるが(小生の記憶だと特にJR )、ひょっとしてその辺への当て付けのつもりなのだろうか?民間になったのでそれなりのサーヴィスには務めますという事なのだろうか?

市営時代も車内環境が特に悪かったという事もなく、民営化で一気に快適さが増したという事も無いのであった。




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小生が幼少期に両親に連れられて関西に行った時の事だった、どの駅だったかは覚えていないが自動改札機を見てカルチャーショックを受けた記憶がある。時代は1970年代終盤だったが、東京ではそんな「ハイカラな物」は見られなかった。

自動改札なんて今や地方でも見られるようになった。地方で使われる様になったのはここ数年の間の事だが、JR が自動改札を本格的に導入したのは1990年代に入ってからと記憶している。小生が大学生だったバブルの時代は民営化されたばかりという事もあって、有人改札ばかりだった。

自動改札機は1967年に阪急(当時=京阪神急行電鉄)の北千里駅で導入されたのが最初である。メーカーは立石電機(現・オムロン)だったが、北千里の機械は定期券専用であり、通常の乗車券には対応出来なかった。
磁気式乗車券を使った自動改札は1969年に近鉄奈良線学園前駅で日本信号製の物が試験導入された。


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北千里駅開業と共にデビューした阪急3300系

1971年に標準化された磁気式旅客駅コードが制定されると、その後関西では私鉄や地下鉄を中心に自動改札機の着実に導入が進んだ。そこには新しい物好きの関西人の琴線に触れたという事もあるのかも知れないが、私鉄が旧国鉄を圧倒して私鉄王国と呼ばれていた風土があった事、相互乗入が非常に少ないという背景があった。
70年代に開業した札幌・横浜・福岡の市営地下鉄と北総鉄道は全駅で開業当初から設置していた。


関東では1971年に東急が数駅で導入し、順次少しずつは広げられていったものの主体になる所までは行かなかった。首都圏は官僚組織のお膝元で、国鉄も強かった(私鉄との競争が殆どなかった)、その上相互乗り入れも昔から非常に多かった。国鉄では労組が直ぐ暴れる事を思えば、自動改札なんて到底考えられる訳もなかった。
相互乗入を考えると、乗入先同士で一斉に導入しないと機能しない上に、国鉄絡みの相互乗入も多かった事を考えると、自動改札は広がらないのも当然と言えた。


そして時代は流れて1990年代、1991年からJR 東日本は漸く自動改札機本格導入に本腰を入れ、首都圏の大手私鉄や地下鉄も右へ倣えと自動が当り前の改札に変えて行った。一方、JR 西日本ではJ スルーというシステムが導入される1997年まで待たなければならなかった。
その当時はまだ IC カードなんてものは無くて、プリペイド式カードで切符を購入してから改札を通すか、カードを通すかしなければならなかった。(


そして時は21世紀、2001年にJR 東日本Suica をリリースすると、JR 西日本が2003年11月に ICOCA をリリース、乗車券は IC カード時代に突入。ここで気付かないだろうか、嘗て自動改札では遅れを取っていた関東が90年代以降は逆転して寧ろリードする状況になった事を。旧国鉄時代に自動改札機導入を拒否していた JR 勢が私鉄・地下鉄勢に対して IC 乗車券では先行する形になった事も見逃せない。
関東・関西の違いとして以前あった事象としては、関東では改札に入る時点で初乗り料金が差し引かれたが、関西では出る時点での一括採算だった事も挙げられる。


自動改札機と不可分的な存在にまでなったIC カードであるが、2013年3月に10銘柄の全国相互利用が始まった後も拡大を続けて全国の鉄道事業77社局、バス178社局に広まっている。
そして現在、自動改札では遅れを取った関東の方が関西より普及率が高いという事実がある。首都圏ではその上、殆どが IC カード専用機に変っている駅も多く、IC カードは生活のマストアイテム的な物になっている。
これに対して関西での IC カード普及率はなかなか伸びていない。そこには関東との習慣や風土の違いもあるのだろうが、自動改札誕生から半世紀の歳月の中で、当初リードした関西がいつの間にか関東の後塵を拝する様になった所に現代の日本の歩みと変化の縮図があるのだとすれば非常に皮肉な事であるともいえる。




)オレンジカード=乗車券機能無しから、乗車券機能付のイオカード(io-card)=JR 東日本J スルーカード=JR 西日本に変えられていった



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