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穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う。 Make 大和民族 Great Again! 今こそ日本を大和民族の手に!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう

タグ:台湾

昔、「職業学生」というものが台湾にはあった。
職業が学生というのも変だと思うが、要は国民党のスパイ若しくは監視要員。留学生としてアメリカ等に潜り込み、同胞達が国民党政権に対して批判的・反抗的な言動をしていないかを監視し、党にチクるという役割。
密告するとその数に応じて金がもらえるという仕掛けでアメリカに住む元からの台湾人や留学していたりするエリートが主なターゲット。職業学生は金欲しさに誰彼となく密告する傾向があったという。こうして作られたブラックリストに載せられた人物が台湾に帰国すると、しつこい監視や各種嫌がらせ、場合によっては暗殺という事が待ち受けていた。
国民党独裁、殊に蒋介石の時代はそれこそ現在中凶が香港に対してやっている様なやり方=監視と恐怖で縛り付ける様な政治をやっていたのである。


2008年に国民党に政権を奪還した馬英九も実はその職業学生の一人だった。ハーバード大学留学中に職業学生として活動していた。
国民党の政権奪回の際、絶望した人が焼身自殺したなんていう話がある。国民党に戦後数々の酷い仕打ちをされ続けた人は国民党政権奪還に非常に暗澹とした気持ちになったのは間違いない。政府に対する抗議の自殺や自殺テロ未遂事件が頻発する。
国民党の馬英九政権は不透明な密室政治を使って台湾の中国化を推し進めようとしていた事は明らかで、台湾の人達に危機感を与えた。
物価高騰・不動産価格上昇や貧富の差の拡大が社会の閉塞を招き、大埔事件、洪仲丘事件、パスポート特別対応事件、林益世収賄事件という事件があって、馬英九政権は激しい批判と抗議の波に晒されていた。政権2期目になると、一部の特権階級が私腹を肥やし社会正義が犠牲にされるとして批判と抗議が加油されて行った。そして2014年3月ある事件が起きる。



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台湾の国会に当るのが立法院なのだが、その建物に隣接している教会がある。それは「台湾基督長老教会・済南教会」というプロテスタントの教会である。
そこには李登輝自身も生前、信者として通っていた事もあって、8月14日には納棺・火葬の礼拝も行われた。又彼の娘の結婚式もここで行われていたらしい。因みにこの教会の建立は日本時代の1916年で設計者も井出薫であった。
立法院の隣にあるこの教会、2014年3月18日に政治事件で大きな役割を果たす。レンガ造りの教会屋上から若者達が続々と飛び乗って立法院に進入、そして議事堂を占拠した。これがひまわり学生運動=太陽花学運の勃発である。
済南教会はこの学生運動を支持していて、この教会の信徒である若者の中から多数が運動に参加したという。


抑々、ひまわり学生運動(太陽花学運)とは何かというと台湾の学生らが3月18日から4月10日まで立法院(国会)を占拠し、国民党による「海峡両岸服務貿易協議」(台湾と中国とのサービス貿易協定)への承認強行に反対した事件である。

プラカードで埋め尽くされた議場の様子もさることなが ら、23日晩から翌日早朝にかけての行政院一帯における流血の強制排除、30日の17ヵ国49都市に跨る世界一斉デモにあわせた総統府前ケタガラン通りでの、整然としてゴミ一つ残さない五十万人デモが世界の人々の心を動かし有名になった。背景としては媚中が過ぎる国民党・馬英九政権に対する若者達の危機感と反発と言える。馬英九政権の特に2期目に入ってからの腐敗と社会の閉塞が大きく作用したのも間違いない。
そして中国に追随する馬政権にも、中国と同じ特質があることが明らかになり、中国という人権無視の専制国家に台湾は呑み込まるという危機感が大きくなったと考えられる。


その時使われたスローガンをいくつか挙げてみたい。「独裁が事実となったとき、革命は義務である」、「自分の国は自分で救う」、「公民不服従」、「あとは君たちのことだ」、「同胞は団結すべし、団結こそ力なり」、「私は〇〇だ。私は台湾独立を主張する」
今となっては真偽の程は分らないが、これにも李登輝が絡んでいたという話はある。教会からの立法院進入作戦について何らかの示唆を与えたのではと考える向きはある。


1990年3月の三月学運の時、総統は李登輝だった。この学生運動を通じて民主化への渇望に手応えを感じた彼は、このムーヴメントとメンバーを取り込む事で、民主化への流れを着実に進めた。そして更には民主主義台湾のリーダーになる人物も育てていった。
ゾンビの様に国民党政治が復活したら、今度は太陽花学運でダメージを食らわせた形になったのである。斯くして、この年の地方選挙で国民党は大敗し2016年に李登輝の弟子、蔡英文を擁して民進党が政権を奪還するのである。


まだもう少し書きたい事もあるので、其の拾に続く!



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李登輝の話も最初は3回位で切り上げるつもりでいたが、只今の時点で其の八。まだ数回は出来そうだ。
さて、2020年1月11日の事になるが、その日は台湾総統選挙だった。現職である蔡英文(さいえいぶん・Ts'ai Ing-wen)=民進党が再選を果たした。得票率も60%に迫る圧勝だった。
当時、日本のマスコミは殆ど注目しなかったが、米中対立が激化している中では現代アジアの「関ヶ原の決戦」ともいうべき大事な選挙だったのだ。


中共としては親中政党である国民党(中国との統一を綱領に書いている)に政権を取らせて台湾を事実上手に入れようと裏では選挙の度に色々な工作を仕掛けて来た。去年11月の地方選挙でもそうだったが、サイバー攻撃、金銭による買収、フェイクニュースを流して世論を中共寄りに捻じ曲げさせ選挙に介入しようと仕掛けている。
台湾が中共に寝返ってしまえと、アメリカのアジア戦略も大打撃を受けるどころか崩壊する。日本もアジア全体も中共に制圧されてしまうのは間違いない。
台湾の選挙はアジアの行く末を左右するだけの意義を持ってしまっている。


しかし、そんな状況下でも蔡英文はきっちり圧勝した。
李登輝にしてみれば、蔡英文は自分が見出した愛弟子。彼女が再選を果たした事はこれ以上ない冥土の土産になったのかも知れない。


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これから烏龍茶といえば台湾という時代が来るかもしれない

2000年の総統選に勝って民進党初めての政権の立役者になった陳水扁(ちんすいへん・Chen Shui-bian)なのだが、国民党と中獄凶産党の工作に嵌る様にしてスキャンダル連発となり、2008年の退任後に逮捕され今も形の上では服役中である。(病気療養の為仮釈放中)
当然、この2008年に民進党は政権を失った。蔡英文・民進党サイドはその時の悔しさを忘れていないだろう。2018年の統一地方選でも民進党は大敗したが、風向きは完全に変わり総統選は圧勝。これはトランプ様様みたいな部分はあるが、勿論、中凶への警戒感もドンドン増して行くであろう。


陳水扁も元々李登輝の弟子の様な存在だった。しかし総統2期目からスキャンダル連発になった陳水扁を李登輝が批判し袂を別つ形になった。2018年1月、陳水扁は療養のため仮釈放中となっていて、息子等を伴い李登輝の許を訪れた。こうして約12年振りの会談が実現し和解を果たした。
その際に李登輝が出した言葉は旧約聖書19章11節にある「悟りは人に怒りを忍ばせる、過ちをゆるすのは人の誉である」というものだった。



8月15日の高雄市市長補欠選挙も大きかった。
リコールと書いたが、リコールされたのは国民党の市長で同党一番の人気を誇る韓国瑜(かんこくゆ・Han Kuo-yu)
2018年の統一地方選挙で民進党が強いとされる高雄で圧勝。高雄で国民党の市長というのはある意味快挙だったが、国民党としては糠喜びみたいな形になってしまった。それどころかこれからの弱体化の兆候が見えてしまった。
ではこの韓国瑜という市長(とても禿げている)、何故リコールされたかというと、これがまた酷い話。当選直後に次期総統選挙への出馬を決め、総統選に国民党候補として出馬したその為か、市長らしい仕事はほとんどせず、夜な夜な飲んだくれた挙句に昼頃二日酔いで登庁するのはザラ。市議会に出て来たのも何と2回だけ、そこでも答弁らしい答弁はせず。


中国大陸の奴の末裔らしいと言えばそれまでだが、総統選敗北後に市長職に復帰したら待っていたのはリコールだった。ただでさえも中凶寄りな発言が目立っていた所に、2019年からの香港の惨劇が重なると高雄市民の支持を失ったのは当然だったと思われる。さすがにそれでは市民の怒りを買いリコールされるのも当然だったのだろう。
結局、補選は民進党の陳其邁(ちんきまい・Chen Chi-mai)がリベンジを果たした。投票率は42%だったが、陳氏の得票率は70%に達した。国民党は韓氏の人気に依存する状態が顕わになり、韓氏シンパとそうでない人々との間に隙間風が吹いて党自体が弱体化するとも考えられる。


其の九へと続く!



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先日、チェコ共和国のミロシュ・ヴィストルチル(Milos Vystrcil)上院(元老院)議長が世界の注目を集める演説を台湾立法府内で行った。その名言がコレ
「我是台湾人」=私は台湾人だ
これだけ聞くと、何言うてんの?チェコ人やろ自分!と言うかも知れないが、このオリジナルはJFケネディが1963年西ベルリンで行った演説 " Ich Bin Berliner "
(実際のステイトメントではEin Berliner だが、これはJFK の言い間違いで、正確にはEin は付かない)である。
このエピソードに触れた上でこのカヴァーヴァージョンになる様な発言が飛び出した。


彼のスピーチの概要は以下の通りである。
まずは立法院から立法院国会外交栄誉奨章一等奨章の記念章を頂いたことに感謝したい。台湾の立法機関の頂点にある立法院で発言する機会を得たことは大変光栄であり、心から感謝したい。(中 略)
私は、すべての民主主義者は民主主義の原則を守り、民主主義を作り出す人々を支持する義務があると固く信じている。このため、国会外交の代表として台湾を訪れ、その経験を交換し、互いに支持し、協力の範囲を拡大することができたことを大変光栄に思う。
1963年、当時アメリカの大統領だったJ.Fケネディ氏は西ベルリンで演説した際、共産主義と政権による圧迫を強く非難した上で、ドイツ語で「私はベルリン市民だ」と述べ、ベルリン市民と自由という最高の価値に対する支持を表明した。
私も同様の方法で台湾の人々に対する支持を表明し、立法院での講演を締めくくることをお許しいただきたい。「我是台湾人(=私は台湾人です)」


チェコと台湾には国交がない。チェコでも大統領以下一部の政治家等は親中である。それでも議会の長が政財界の関係者を伴って訪台団として台湾に行ったわけだが、訪台を強く望んでいたのはヴィストルチル議長の前任者=ヤロスラフ・クベラ(Jaroslav Kubera)氏であった。2019年時点で、チェコ特にプラハ市長や多くの政治家達は中共と距離を置く姿勢を明確にしていた模様で、プラハは北京との姉妹都市関係を解消し、台北との姉妹都市関係を締結した。
クベラ前議長が訪台を今年2月に予定している事が分かると、中共の駐チェコ大使(張建敏)が「訪台すれば中国市場に依存しているチェコ企業に大きな損失が出る」という戦狼外交そのものみたいな書簡を送っていた。それ以前にも親中のゼマン大統領を通じてクベラ議長の訪台を止めさせるべく圧力をかけていた
中国大使館の晩餐会に出席したのが1月17日、その3日後にクベラ前議長は急死。17日の時点で心臓に症状が出ていて、遺した言葉が「中国大使館が用意した食事や飲み物を絶対食べない様に」というものだった。
コレ、単なる病死と考えるのは少々無理がある。


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さて、李登輝の話になるが
1999年、総統だった彼が後継=2000年総統選・国民党の候補者として指名したのは宋楚瑜ではなく連戦だった。
当時、有力とみられていたのは宋楚瑜、彼は李登輝を総統に押し上げた影の立役者の一人。台湾省の首長だったが、人気は絶大。ジャージ姿に野球帽という「蔣経国スタイル」で地方遊説するので有名だった。ところが台湾省は1998年12月20日で省としての機能が凍結されていた。宋楚瑜は梯子を外された格好になって李登輝とも袂を別って無所属で総統選に立候補した。
これで国民党支持層は分裂を強いられ、本人の金銭スキャンダルが1999年末に報じられるに至り、2000年の総統選は僅差ながら民主進歩党の陳水扁の勝利となり、国民党は遂に政権の座から滑り落ちた。国民党候補者だった連戦は、陳水扁どころか無所属の宋楚瑜にも及ばずとんだ赤っ恥をかいたのである。
コレ、李登輝の書いた台本通りだったと言われている。


斯くして、国民党政権をブッ壊す事に成功した李登輝だが、来日が何度も阻まれていたのは有名な話である。70~90年代までは台湾政府の幹部であり、日本と台湾は国交がなく中共の反対もあって実現しなかった。2000年時点で200万人の人の往来がある日台間でありながら、22歳まで日本人で夫婦の会話も日本語という彼が日本の地を踏めないというのは笑止千万ともいえるが、90年代までは媚中な田中派とその流れを汲む人達の政権が続いていた事も大いに関係していると思われる
2001年、総統退任後に心臓治療の為に来日が叶ったが、そこにあったのは当時首相だった森喜朗=清和会の英断でビザが降りたからである。その際も、外務省の厄人(アジア太平洋局長)が大ウソをついてまで来日を阻止しようとしていたのである。


其の八に続く!



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日本の「犬」は台湾に何を齎したのか?大陸の「豚」は何をやらかしたのか?
犬は番犬として守ってくれるし、忠誠心もある。それに対して豚はただ食い散らかすだけという意味。という訳で李登輝の話も6回目。


清朝傘下の時代は化外の地とも呼ばれた台湾だが、日本統治下の50年間で、インフラ整備・教育の整備・公衆衛生や医療も整備されて(後藤新平の貢献)民度が上がった。ババ抜きのババだった筈が、当時の世界でも有数の豊かな場所へと変貌を遂げたのである。
阿片の追放、漸禁政策で50年掛けて気長に根絶したのである。阿片は専売制として・使用吸引は許可制として同時に高い税金を課し、税金の挙がった分は阿片根絶の対策費に回すというものだった。
更に脆弱な国土を穀倉地帯に変えた。台南の烏山頭ダムは建設当時アジア最大でそれから100年経った未だに現役である。また現地には技師としてこのダム建設の中心人物だった八田與一夫妻を偲ぶモニュメントが今でも存在しているという。しかもこの碑は蒋介石時代に壊さる事を恐れて一旦隠されたが、李登輝政権下で戻されたらしい。

日本が作った総督府建物は総統府として現役、1999年の大地震を経験したがビクともせずだった。100年前の時点でエレヴェータ4基を備えていたこの建物だが、その当時の4基で1基がまだ稼働しているのである。
人工の10%が日本語を話せるという事だが、1990年以降必須になった高校の第2外国語で最も選択されているのが日本語である。30代以下の人間で日本語を話せる人間が多くなっているのも全く不思議な事では無い。
日本の台湾支配は植民地支配の形としては世界でも類を見ないものである。植民地支配というと専ら収奪して食い散らかすだけというのが相場だからだ。
COVID-19対策で上手く行ったのもこれが大きく貢献していると考えられる。公衆衛生の基礎がしっかりしていたのは日本統治下の政策が功を奏した形となった。


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小生の様なアラフィフ又はそれ以上だと、若い時分には台湾というと何処か野蛮なイメージも持ったりしていた。それは多分に蒋介石時代のイメージが残っていたからだと思われる。折角民度も文化度も上がった台湾を大陸の豚が乗っ取った上に食い散らかしてズタボロにした。しかも、マフィアと蒋介石がくっ付いて白色テロを続けていった事で、すっかり黒社会になってしまったのである。そしてその時代、3~5万人の知識層が落命した(亡命ではない)とされている。(北超賤となんか似ている)
そういう中で李登輝も「大きな事を成そうとすれば迂回せねばならない」からこそ国民党に入った。直線的に行動しても成果は得られないと悟っていたからこその行動と言える。


戦前の日本の徳育の教育によって「人間として生まれたからには公の為に尽くすという事を徹底的に叩きこまれた」と本人も生前よく述べていた。今でも台湾では「日本精神」(リップンチェイシン)という言葉がある。それは礼儀正しい・約束を守る・時間を守る・勤勉で忠誠心があるという事を示すのだという。

教育の話になると蒋介石が入り込んで行った教育は反日教育だった。日本統治下の時代は暗黒だったと宣伝したのである。ただどう考えても暗黒だったのは蒋介石時代ではないかと思われる。そんな反日教育を止めさせたもの李登輝なのである。歴史を見直し「台湾人の台湾の歴史」を確立したのも彼のの大きな功績であると言える。これが1997年に認識台湾として学校教育に導入され、教育制度の変更を経た現在でも形を変えて引き継がれている。

其の七へと続く!



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「台湾を台湾人の台湾にした」(蔡英文)
「台湾のデモクラシーは李登輝が亡くなっても継続されるだろうが、シンガポールのリ・クアンユーの政治体制は彼が死ぬと同時に墓に葬られるだろう」(Samuel P. Huntington=文明の衝突で有名)
(リ・クアンユは2015年に死んだが、ハンティントンの言った通りにはなっていない)


総統の民選に先立つ事2年、1994年から直轄市と各省の知事がそれまで任命制だったのが公選制に代わった。
こうしたステップを踏み、何と6回の憲法改正を行った上で、総統の座も公選で選ばれる事になった。任期は従前の6年から4年に短縮され、2期8年まで=3選禁止となった。元首公選制を採る国の代表例であるアメリカの大統領選挙に倣ったものとされる。そして1996年、中国の妨害は目に見えていた。一つの中国と寝言を言い続け、武力解放まで常に視野に入れていた中共とすれば、台湾民主化でいよいよ独自の道を進むのは当然我慢がならない。そんな中国の脅しもどこ吹く風と言わんばかりに、初の元首公選を成し遂げた。李登輝は54%の得票率で初の民選総統となったのである


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中国の一部なんかじゃない全く別の独自の存在であるというアイデンティティがあって、大陸に乗っ取られた台湾としての自決権を取り戻したい、という多くの人の強い気持ちが醸成されて李登輝を中心にしてまさにスクラムとなって進んだその結果といっても良いだろう。そして1999年には二国論をブチ上げた。
更に日本語が事実上の母国語という李登輝氏は、日台関係を非常に重要視していた。

国共内戦の後、「犬が去って豚が来た」台湾が中共に飲まれなかった事が不思議に思う人もいるだろう。
そこには日本が深く関わっている。正確に言えば日本人である。蒋介石が旧日本軍の軍人を台湾に呼んだのである。日本兵上がりの軍事顧問団が密航して、台湾兵を率いて金門島等で戦い中共を追い返した。当時は海の上で戦う事にはド素人だった中共は殲滅されるしか無かった。(この密航は当時の政府も承知していたものの、黙認していたらしい)
そんな「国日合作」が出来たのは、「終戦直後沢山の日本人が大陸から無事に帰還出来たのは国民党が手伝ったからだろ」という理屈を蒋介石が持ち出して日本兵達を言いくるめて協力させたからだと考えられる。ただ、東アジアでの共産主義の広がりにストップを掛けるのはアメリカにも日本にもプラスだったのは間違いない。(蒋介石もただものではない)


中共を追い払った台湾の軍隊だが、それはあくまでも国民党軍だった。国民党軍が党と切り離され政府の正式な軍隊になったのは李登輝の下でだった。そんな台湾軍も以前は古い形の兵器しかなかったが、最近では何とM-1 A2 戦車105機、F-16V 戦闘機も66機、MK48形魚雷も16機装備する。大きな変わりようだが、現役のアメリカ軍と装備を合わせている事で、スムースな連携を図るという訳である。

其の六へと続く!


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