Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う。 Make 大和民族 Great Again! 今こそ日本を大和民族の手に!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう

カテゴリ: 風景

其の弐で東京ミッドタウン日比谷を取り上げたので、今回其の参では本家の六本木にあるミッドタウンをフィーチャーしてみた。ミッドタウンも竣工から来年で15年になる
久し振りにsmc da 14mm f2.8 を使ってみた。14mm(=フルサイズでは21mm相当)という超広角が高層建築の撮影に役に立つと思ったが結構嵌った。作品にする際は各種補正やトリミングもあるので撮影したそのままの画角では無い事は了承頂きたい。


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左画像=東京ミッドタウンレジデンシィズ
右画像=東京ミッドタウンガレリア(右側)及びガーデンテラス(左側)入口近辺とその奥にミッドタウンタワー。サントリー美術館はガレリア3階に、リッツカールトン東京やミッドタウン・カンファレンスはタワーに鎮座している。



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円形に突き出したガーデンテラスの曲線フォルムはミッドタウンでも特徴付ける存在になっている。

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以前なら3月末辺りになると桜花の回廊として賑わっていたこの通路もロックダウンに近い状態では侘しい。
チョン池百合子は都議会議員選挙まで緊急事態を引っ張って事実上のロックダウンを続けたいのは明らか。自分以外は選挙運動が実質上非常に制限されるからである。
緑のBBAとしては、国内資本を潰滅させて、そこに中国から巨大資本を入れさせてその下で経済の完全垂直統合化を図るのがもう一つの狙いなのは明らか。「その為に良く働いた」となれば論功行賞的においしい所が山ほど回って来て中国でバカ儲けというコイ桂銀淑の算段なのは見え見え。コイ桂銀淑小泉チョン次郎も兎に角無能過ぎて反吐が出るというもので、そんなもんに大きな権力を与えると本当に国が簡単に滅びると分かる。
中獄は儲かるなんて言うのは今や幻想になってきているというのに…、政治家でこれから媚中して濡れ手に粟と行こうにもババを掴まされるのが落ちであろう。それこそBBAがババ食らうのはピッタリフィットである。)



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ガレリア・ガーデンテラス・ミッドタウンタワーの3点セットを横位置で撮った作例。
レンズがsmc da 14mm f2.8だと歪曲が意外と少ない。高い物を直下から見上げて取る形だとパースが大きいのはある程度仕方が無いが、歪曲が少なくて補正し易いのは助かる。


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Oakwood Premier Tokyo Midtown(オークウッド・プレミア・トウキョウミッドタウン)とミッドタウンタワーの組み合わせ。
オークウッド~は〇彅剛とか香〇〇吾等の有名人も住んでいた(いる)とされるホテル兼サービス付きアパートメントとして有名。ミッドタウン隣接の檜町公園で〇〇剛氏は泥酔状態の所を警察に保護されるという事になったのだが、その事件も最早隔世の感がある。因みに、ミッドタウンの付かないOakwood Premier Tokyo は丸の内1丁目に所在する。


三井不動産が開発を手掛けるミッドタウンシリーズには新ヴァージョンが登場する。六本木・日比谷に続いて八重洲に登場する。そこにはブルガリ(BVLGARI )のホテルと小学校が入居する予定らしい。
(取り合わせが斬新で凄すぎる


画像の製作方法は以下の通り。このサイトの画像は今全てこの方式を採用。
DNG(RAW)→現像しTiffを書き出し→Tiffを現像、ウォーターマーク挿入しTiffに再度書き出し→再現像してJpg.書き出し。2種類の現像ソフトを使い分けて行う。


其の四へと続く!



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K-3 MarkⅢ試し斬り作例集の2回目からは屋外・街中の風景編となる。先ずは4月末のある日の良く晴れた青空の下、湯島の方に用事があって行っていたので御茶ノ水の駅のすぐ近くの聖橋の上からという事で屋外では初の試し斬りを敢行。

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聖橋から秋葉原方向を向いてのショット。左手前に入るのは湯島聖堂敷地だが木が大き過ぎて建物は映らない。その木々の中には楷書の名の由来になった楷の木もある。
画面中央部に映る黒いビルは今年竣工したばかりの住友不動産お茶の水ビル。手前に見えている坂は昌平坂(相生坂)。1927年に関東大震災復興事業の一環で作られた橋は、湯島聖堂とニコライ堂を結んでいるので聖橋という名になった。
湯島聖堂は徳川綱吉の治世に建立された孔子廟である。(孔子学院ではないので注意!)今、CCPの工作機関である孔子学院が世界中にはびこっていて大問題になっているが、孔子廟は昔からアジア各地に建てられて孔子を祀っている。直ぐ近くに湯島天神がある為混同され易いが湯島天神は神社で、聖堂は孔子廟であって神社ではない。
現在の東京医科歯科大学病院敷地は元々湯島聖堂に付帯する御殿や学寮だったのである。

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聖橋は東京メトロ丸ノ内線でも四ツ谷駅付近や後楽園駅と並ぶ数少ない撮影地でもある。6両全ては入れられないが、工夫次第で4両位なら入れられる。

ここからは日比谷・内幸町界隈で撮った画像を載せて行く。5連休のある日の午後遅め15時半~16時近辺の撮影であった。
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日比谷交差点・江戸城日比谷見附跡から銀座方向を向いての絵。
右側に見えるのはペニンシュラ東京それから道を挟んで左側にあるのは日比谷サンケイビル・ニッポン放送・蚕糸会館・DNタワー21というあたり。
農林中金有楽町ビルと第一生命館を部分保存の上で再編し建て替えたのがこのDNタワー21である。第一生命館は第2次世界大戦直後にGHQに接収されていたあの建物である。DNとは第一生命・農林中金の略称。
因みに国道1号・20号は画面左下から手前側に折れる形になる。


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手前は日生劇場その右奥は東京宝塚ビル、東京で宝塚ファンの出待ちが起きたりもするのが東京宝塚劇場。
この劇場、Google Mapでは「気品高く洗練された劇場」となっている阪急阪神東宝グループの東宝東京宝塚の意味。画面真ん中に聳える大きなビルは東京ミッドタウン日比谷。東京ミッドタウンは六本木だけではなかった。


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上のミッドタウンを含む絵を縦位置で撮ってみたのが左画像。ミッドタウン日比谷∔日生劇場∔帝国ホテルを縦位置で撮ったのが右画像。
APSC なのでかなり広角で撮らないとならないが、広角で見上げる態勢で撮る事となるので、パースやディストーション等の補正に苦労する。高い建造物を直下から取った場合は自然な形に補正するのが一苦労である。


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搔い摘んで行くと左奥から東京商工会議所・DNタワー21、日比谷交差点を跨いでミッドタウン日比谷・日生劇場・帝国ホテル・日比谷U-1 ビル・NTT日比谷ビルという取り合わせのラインナップだが、ミッドタウン日比谷のデカさが目立つ。

一番右手前に一部だけフレームインしているNTT日比谷ビルだが、1961年竣工の老舗ビルで60年と高齢なため再開発の話が進んでいる。三井不動産・TEPCOグループ・NTT都市開発が組んで帝国ホテル・NTT日比谷ビル・東京電力本社ビルを含む街区を「内幸町再開発」と銘打って約15年掛けて再開発するとの事である。

其の参へと続く!


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5年前の節分の時の事だった。
気が進まない中でも用があって静岡に行って、天気は非常に良かったのでただそのまま帰るのもつまらなさ過ぎると、確か7年振りとなる熱海での夜景撮影を敢行した。熱海なんてそう頻繁に行くところではない。年に数回は通過するが、立ち寄るのはせいぜい数年に一度である。


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熱海というと昔は100万ドルの夜景売りにしていた時代もあった。熱海というとその名の意味は海底温泉という意味なのであるが、街の規模も大きくはなく商業都市とは呼べず、温泉街の観光地であるのに日本有数の夜景の街としても有名だったのは結構不思議である。ビーチに大きな照明があってライトアップされるというのも、しかも年がら年中らしいのでそんな場所もあまりないであろう。
海から山に張り付く様な狭い斜面にこじんまりとした街が広がっているが、その大半が旅館やホテルという日本ではやや珍しい構造の街になっているが、嘗ては日本のマカオなんて呼ばれた時代があったりしたのである。


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熱海というあの程度の町で夜景スポットになるのは駅周辺から親水公園に至るこの温泉街だけである、何処からどのアングルで切り取るかの違いだけみたいな感じである。
親水公園(サンビーチ)・熱海城の入口付近・錦崎庭園隣接の展望台・熱海城から山を登れば桜木町の山道というのもあるが、狭いエリアなのでスポットも限られる。メインは渚親水公園辺りから北から北北西向きのアングルという事になる。
因みに熱海で他の観光名所というと、アタミロープウェイ、山頂展望台、伊豆山神社、熱海梅園、走り湯、トリックアート美術館、アカオハーブローズガーデン等がある


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熱海というと、ハトヤに代表される温泉旅館郡、このビーチ、熱海城等が浮かぶであろう。あくまでも江戸時代以前からの温泉街でその後現代まで観光地であって、地元生活者の事はあまり考えられていない様に見える。
そんな熱海という町でも、伝説となった?スーパーマーケットが生れていた。伝説というスーパーマーケットの名はヤオハンである。今はイオン傘下のMaxvalue東海であるが、元々は小田原の八百屋だった。その後、八百半商店として熱海に進出。1950年に熱海大火が起き、街の25%程が焼失。1956年に八百半食品デパートとして再出発。今でいうEDLPの路線で旅館を相手にした商売から一般客相手に食品主体に売るという形に変えて1年で黒字化。日本一物価が高いとされた熱海の街で明朗会計で適正価格販売を売りにして成功した。


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このヤオハンは生〇の家(有名宗教団体)と強く結びついていたのでも有名で、一時期は社員教育もこの宗教団体の施設を使っていたほどである。
海外進出が好きで、破綻の原因も海外展開失敗だった。日本国内より海外で積極的に展開していた。ブラジルで失敗した(オイルショックが絡んで)ものの、その後シンガポール・アメリカ・コスタリカ・マレーシア・台湾・カナダ・香港では一定の成功を収めた。潰れたボウリング場を使って少ない初期投資で店舗を増やして日本国内でも勢力を伸ばした。
ただ、中国に入れ込み過ぎて、特に上海の店舗が思いっきり足を引っ張って、そこに粉飾決算も加油してヤオハンは一気に破綻に向かったとされる。今も昔も中国に入れ込んだら結局はロクな結果にならないという事の好例かも知れない。
昔は「スーッと出て来てパーッと消えるからスーパーだ」なんていう言葉があったが、1997年9月に会社更生法適用申請し経営破綻、負債は約1600億円。ヤオハンジャパンイオンの傘下で再建された。パーッと消える事態は何とか逃れたとは言える。それに対し、2001年に破綻したマイカルは10年後に消滅し「おしマイカル!になったのである。(イオンリテールに吸収された)


江藤慎一が主宰していた江藤塾~天城ベースボールクラブ(1985~91)とヤオハンが提携して出来たのがヤオハンジャパン硬式野球部(1982~97・本拠は沼津)で都市対抗野球等にも出場した事があった。同チームからはプロ選手も数名出ている(大西崇之・岡本真也等)

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ムーンテラスから熱海城方向(南向き)だと光量が足りない。山の稜線が綺麗に出ればそれが救いになる。これでISO100の場合、F9で45秒程度の露光時間が必要という計算である。


静岡から熱海と移動し、熱海サンビーチの夜景を撮った後は帰京という事になる。一晩位は熱海に泊まれれば良かったのだがそうもいかない。交通・旅行系YouTuberさんなら強引にでも宿を取って動画の1本も作るのであろうが…
普通ならこだまで帰京すれば(東京まで40分弱)良いと思うだろうが、財政的な事もあって小田原まで東海道線普通列車で、小田原からは小田急ロマンスカーで帰れれば良いと思い、先ずは東海道線普通列車で小田原に向かった。小田原まで普通列車で25分、結構掛かるものである。
その後小田原でロマンスカーに乗るべく、発車5分位前にロマンスカーのチケットを買う腹積もりだった。そういう事で駅構内で時間を潰していたのだが、いざとなって券売機に行ったら乗りたい特急の発車が近付きチケット発売は終わっていて、予定していた列車には乗り損ねるという大失態。


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約80分も8000形の4ドアロングシートに揺られたのだった

こんな場合、約30分後の次のロマンスカーまで待つというのが常套手段かも知れないが、10分後の快速急行8000形10連で先ずは行けるだけ行こうという事にした。途中で次の特急に追い付かれるなら上手く場所を見計らって特急にスイッチすればエエだけの事と思って始発駅からで余裕で座れた事もあって、取敢えず快速急行で小田原を発った。本厚木でも町田でも特急がすぐ後ろに迫る気配すらない。抜かれるなら新宿には後からの特急が先に着く旨のアナウンスがされる筈だが、それも全くない。結局快速急行で新宿に先着してしまった。小田急では快速急行特急に抜かれる事はないという原則を知ったのである。


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前記事の大江橋から西に進んで(距離的には僅か)中之島ガーデンブリッジまでやって来た。小生がこの橋を知ったのは実を言うとこの撮影の1ヶ月位前だったか。そして、この橋が何やら隠れた夜景スポットの様に紹介されていたので、この時の夜景撮り歩きを思いついたのであった。

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見ての通り歩行者専用の橋で、1990年の大阪花博に合わせて架けられたそれなりに由緒ある橋梁なのである(曝)。更には、突貫工事で開幕日の4月1日午前4時に完成させたという逸話がある。
大阪では既に万博が 2回開催されたことになるが、1970年は一般博(現在の登録博)、1990年は特別博(現在の認定博)という違いがあり、花博はどうしても格下になるのである。2025年(開催できればの話だが…)は1970と同じく登録博になる。



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画面の中央=橋の中央でもある、に鎮座し青白く光るのは故・松岡阜制作のモニュメント「そよかぜ」である。同氏は甲子園球場にある野球王ベーブルースの碑(レリーフ)の制作者としても知られる。

阪高の下を潜ってANA クラウンプラザホテルの前に辿り着けるのだが、そこにある階段の横には堂島米市場跡記念碑がある。この米市場は徳川吉宗の時代である1730年から1939年に米穀配給統制法(戦後の食糧管理法の基となる)施行で日本米穀(株)に吸収されるまで約200年間存在していた。


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ガーデンブリッジから西側を向いて撮ると、そこは 阪神高速 の中之島JCT である。手前でカーブするのが 1号環状線で奥側のストレートが 11号池田線(上り)、右奥にこっそり見えるのが堂島入口である。
川面には両岸に立つビル群の灯りと共に、土手下側のライトアップが花を添える。


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土手のライトアップ、実は色がコロコロ変わる。この時はに変わっていた。色の変化もこのスポットで撮影する上での結構な重要エレメントかも知れない。

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アングルを少し北寄りに変えて撮ると、 阪神高速 の高架がより強調される絵になる。このアングルではグリーンパープルの 2種類ゲット

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ポジションを橋の中央付近に移動して川を正面に入れて撮る。この時は土手のライトアップの色がグリーンからレッドに変わる途中だった。

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土手の下が真っ赤に染まる。小生としてはこのレッドが一番好きである。

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夜景の塩梅が良い時間も終わりに近かったので、ガーデンブリッジをちゃっちゃと後にして、渡邊橋の手前まで歩を進めた。渡邊橋に向かう途中で北北西方向を向いて撮った作例。右側にはアクア堂島、そこから四ツ橋筋を挟んでサントリービル、古河大阪ビル等が見える。四ツ橋筋を北上すると北新地の西の端となる。

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渡邊橋の上から西向きのアングルで撮影してみた。中之島JCT でも西側の部分で環状線から池田線下りに入るカーブと池田線から環状線に入るストレートが見える。土手の下はピンクに染まっていた
中之島フェスティバルタワーは入らなかったが、住友中之島ビル・中之島三井ビル等は部分的に入れられた。この時点で18時前になり「夜景のおいしい時間」は終りになったので、ここで打ち止めにした。


堂島川と土佐堀川の夜景撮り歩きをコンプリートするのはなかなか難しい。堂島川すらまだ終わっていないが、機会を見つけて他のスポットでも撮りたいが、コンプリートにはまだ数年掛るかも知れない。タイミングと条件が合わないのにただ撮ってもロクなものにならないから意味がない。



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大阪は水の都を昔から自称していた。年末には「OSAKA 光のルネッサンス」なるイベント(大阪・光の饗宴の一環)も行われるなど、水の都的な所を観光資源として売りにしようと官民挙げて躍起になっている様にも見える。
水の都・大阪の中でも大きなアイコンともいえるのが中之島界隈である。「中之島」という通りに 2本の川に挟まれて中州みたいになっている。寝屋川と大川がテレビ大阪のある寝屋川橋で合流するものの、そこから約1km西の天神橋付近で 2本に分かれて堂島川と土佐堀川を形成している。この 2本が大阪市中央卸売市場付近で再合流し安治川になるのである。


ここでは2017年11月下旬に撮影した作例を紹介する。光のルネッサンスは開催前でイルミネーションの賑やかさはないが、普段でも所々ライトアップがあり全国区の夜景スポットではある。

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夜景はトワイライトからブルーモーメントになる時間を狙うのが定石である。ただその時間は限られたものなので、ポイントを絞る必要があった。八軒屋浜や玉江橋の辺りは過去に撮影しているの事もあって、この時は大江橋からスタートし西に向かって進み渡邊橋まで進む事にした。
16時過ぎに仕事が終わってその後この界隈に移動しての撮影だったが、こんなシャッターチャンスがあろうかと思って、smc DA 14mm f2.8 (ここ数年あまり出番がなかった)を用意していたのが嵌った。
17時前に現場に着いて軽くロケハンした後、大江橋での最初のショットは西側を向いて撮ってみた。西の空は綺麗な茜色が出始めていたがまだまだ明るい。
そこで橋の逆サイドに移ってブルーモーメントに入り始めた東側から撮り始める事とした。



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北北東寄りにカメラを振って撮ると阪高の奥に西天満界隈が入る。西天満は大阪地裁が有名で法曹関係の場所が多く地味な場所なので、光量も少なめで今一つパッとしない。川に架かるアーチ橋は水晶橋と思われる。この橋の灯りがアクセントになっているのが救いだろうか?

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こちらは水晶橋に正対するアングルで撮った作例。右サイドは大阪市役所になる。12月になるとこのサイドはイルミネーションでもう少しきらびやかになるのだろうか?
これならもっと東にある難波橋あたりからスタートしても良かっただろうか?



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御堂筋を渡って西側に戻ると、漸く夜景らしくなってきた。西側の地平線近くには適度に茜色が残り、ブルーモーメントが始まる時の幻想的な空である。この日は見ての通り一日中快晴、晩秋から冬に移ろう一日で黄砂も無く湿度も低く絶好の夜景日和だった。
「夜景撮るのは何時ですか? こういう時でしょう!」という典型のシチュエーションだった。


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少し角度を変えて撮ってみる。堂島川なんてどう考えてもドブ川に毛が生えた程度の物なのだが、堂島浜のビル群の水鏡が出来るとそんな感じはあまり受けない。

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更にポジションとアングルを変えて撮るとこうなる。
ここで一つの大きなポイントとなるのが阪神高速 1号環状線なのだが、この日は通行量が思ったより少なめでアピールに欠けてしまった。渋滞しない程度にもっと通行量があると光量と華やかさが稼げたのにそこは残念だった。


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大江橋から西に移動し中之島ガーデンブリッジとのほぼ中間点から北西方向を臨む。この時点でほぼ完全にブルーモーメントに入ったのだが、このアングルだと左奥に新梅田シティが大きく映り込んでくる。阪神高速の下に映る橋が中之島ガーデンブリッジである。

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更に歩を進めてガーデンブリッジの手前で撮るとこんな作例も出来る。

其の壱と謳っているという事は、当然これにはまだ続きがあるって事で…、そこは其の弐にて!



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