Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

カテゴリ: wine

ワインのインプレッション記事は本当に久し振りである。
実は、知り合いの酒屋のデッドストックとして長年保管されていたワインを1本分けて頂いたので、先日そのテイスティングしたので、インプレッションをアップロードする訳である。
コルクの事からいうと、コレが相当ヤバかった。抜栓時に瓶内にすとんと落ちてしまった。痩せていたのだろうか?、結局コルクリフターで引き出した。20年を超えるとこういうリスクが大きくなる。画像を見れば分かるが、店の方でコルクがヤバいと判明した時点で蜜蝋を使い蝋封を施したらしい。
言っておくが、1998というのは決してミスタイプではない!

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Domaine Labry(ドメーヌ・ラブリ)は日本で殆ど聞かない名前であろう、小生もこのボトルを頂くまで知らなかった、調べるとAuxey-Duresses(オーセイ・デュレス)至近のMelin(メラン)という所に所在する家族経営のドメーヌで、現当主Sophie Labry(ソフィー・ラブリ)で3代目だという。
初代のAndré Labry(アンドレ・ラブリ)は1948年にここに居を構えてワイン造りに専念する事となった。その息子のBernard(ベルナール)と共に1970年代には良く仕立てられた葡萄の樹々を揃えた。1980年代初頭には竪琴状に樹を仕立てる方式を取り入れた。(lyre trained vinesというが、実際はY字の様になる)
1986年の時点でドメーヌの畑は凡そ13haになった。今は白のHautes Côtes de Beauneを筆頭に、MeursaultAuxey-DuressesMonthélie等という所も生産している。
ワイン造りについて、赤ワインではマセラシオンが15日程度と長めで、白ワインに関しては、発酵時の温度管理を最重要視しているとの事。
この時代のエティケットを見ると、“A&B Labry”とあるが、初代Andréと2代目BernardでA&Bだったのだ。


このワイン、Hautes Côtes de Beaune(オート・コート・ドゥ・ボーヌ)なんてついているが、Village=村クラスにもならないrégion=地域という格のワイン、単なるBourgogne Blancと殆ど一緒の扱いになってしまう。このHautes Côtesは、Côtes de Beauneの西側に隣接し、その名の通りにCôtes de Beauneより標高も少し高い。この地域は南北に長く、その中に幾つかのワイン生産エリア群が存在する。


実際のインプレッションはというと
色は基本濃い目のイエローで若干だけアンバーが入る。25年近いという割には印象的に若い。
香味のエレメンツを拾い出して行った結果は
第1のディレクトリにあったのは、蜂蜜、ミラベル白桃花梨カモミールヘリクリサム、エルダー、Chartereuse Jaune
その次には、 ティートゥリー、シナモン黄桃完熟梅マーマレードビワ胡桃ヘーゼルナッツヌガー
更に続いてはスダジイの花、白檀、馬浩、ベルガモットグレープフルーツ、乳酸菌飲料の類、Drambuie、ホワイトチョコレート、ニルギリティーといった所か。


つまみは魚介系でなく、ナッツハード系チーズ類、若しくは淡泊な肉類という辺りがフィットする。
25年近く経っている訳だが、酸は強いわけではないがステディにしっかりしている。フィニッシュ~アフターも或る程度明確にしかも長く出ているが、この部分が解き放たれるのに時間を待たねばならなかった。畑と造りの良さが分るであろう。「生きている」いうレベルではなかった。


5年以内に飲み切ってしまうのが普通といわれるこの区域のワインだが、25年弱を経てこれだけのパフォーマンスを発揮したのは正直おったまげぇ~であった。Hautes Côtes de Beauneのワインでも、このDomaine Labryの物は元々評価が高いらしい。

採点はボトルの状況をそれなりに考慮せねばならないが…、17.5 / 20
ワインの格を考えると十分過ぎる内容であろう。




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この2023年は皇紀2683年である。皇紀元年はBC660年。神武天皇即位の年とされる。諸説あるが、記紀でもこの辺が神代から完全に人の世の歩みに移行する所ともいわれる。

ここで話は飛んで…、スペインの東側=地中海側にバレンシアという地域があって、これは有名。今はバレンシア州になっていて、そこに複数の県がある。州都であるバレンシアから西に進んだ内陸の中山間部で同州でも西の端に所在するワイン産地のD.O.=Denominación de Origen(原産地呼称)がUtiel Requena(ウティエル・レケーナ)である。

バレンシア州でも、西隣のCastilla-La Mancha(カスティーリャ・ラマンチャ)州と境を接するこのDenominaciónは以下の9つの町で形成される=Camporrobles、Chera、Fuenterrobles、Venta del Moro、Villargordo del Cabriel、Utiel、Requena、Caudete de las Fuentes、Sinarcas。
そのD.O.名の通り、中心になっている2つの町がUtielとRequenaである。葡萄栽培面積は凡そ32000ha、その中の65%程でスペイン土着品種のBobal(ボバル)種が栽培されている。

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Murviedro(=創業は1927年)のBobal 2015 Colección Edición Limitada Reserva

あまり知られているように思えないこの葡萄だが、スペインに於いての栽培面積が2位で、密かに最近注目を集めている様である。現地の原産地統制委員会からも、和食と合せるというアプローチも含めて日本でも売り込みが掛けられているスペインワイン葡萄で絶賛ブレイク中の物というと、Mencia(メンシア)が思い浮かぶが、Bobalはそれに続けるであろうか?

この品種からの赤ワインについては、「ストラクチャーがしっかりとした、ボリューミーなワインで、味わいはバランス良く、香りはとても個性的。熟した果実、ほのかに皮、ドライフルーツ、リコリス、スパイスを思わせる。このD.O.のワインらしさを持つ、個性的なワインとなる。この葡萄はとても濃く、長期熟成にとても適していて、若い時では縁は非常に濃く、はっきりとした紫色をしているが、熟成させると熟したチェリーのような色になり、ゆっくりと茶色へと近付いて行く」との事。(原産地統制委員会の弁)
この品種100%でできたワインには、一定条件を満たせばBobal Alta Expresiónをラベルに記載出来て、更にD.O.の規定を満たせばBobal con Mencíon Específicaを記載し、Crianza・Reserva・Gran reserva等を名乗れる。この産地のワイン、小生は偶然手に入れたので、こういう所で取り上げたが、この国でこんなマイナー産地(多分)のワインを知っている人間がそう多くいるとは思えない。


そして何つったって、このデノミナシオンのワインの歴史は、2600年以上遡れるというのである。つまり皇紀元年の辺りでワイン造りが始まった可能性が高い。ここのワイン造りは、世界に現存する国で最古とも称せられる日本と同世代だともいえる。

この地域では石器時代の遺跡から、ワインを醸造していた事を示す証拠が見付っており、イベリア人の時代から現在に至るまで、途絶える事無く続いてきた事が分かっているらしい。
石をくりぬいて作ったラガール(lagar)や、アンフォラ(amphora=ワイン造りに使う素焼の大きな壺)、史料のほか、葡萄の種なども見つかっており、この地ののワイン文化は、イベリア半島のワインづくりの起源まで遡るという事で、世界遺産への登録も申請中だという。(原産地統制委員会の弁)


そういう事で、前述の「和食に合わせる」というアプローチに何かガチコーン!と接続出来る様に見えるのは小生だけだろうか?
日本には皇室があるが、スペインは王国なので王室がある。




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春を代表する食い物というと、山菜類ホタルイカ春キャベツ辺りが思い浮かぶか?そこから初夏にかけてはアスパラガス、新玉ねぎ、蚕豆グリーンピース更には新ジャガイモ。4月位はやたらを買っては自分で下茹でして料理するのが定番になった。今年だが、春キャベツが入手し難く価格もやたら高い印象だったから春キャベツは殆ど楽しめなかった。

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山菜の定番の一つ=こごみこごみは見ての通り、シダの一種であるクサソテツの若芽
東京周辺で買わずに獲れる山菜は虎杖スギナ(土筆含む)、葛の新芽の蔓、芥子菜、浜大根、野蒜ユキノシタとか、そんな所か。


この季節なら新玉葱を使った料理も良い。
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新玉葱をふんだんに使って、ヒネ鶏もも肉とニンニクを煮込んだジェノヴェーゼ。ヒネ鶏もも肉はA-Priceで2㎏入りの冷凍品を購入(約1300円→約1800円と最近値上りしてしまった)。
鶏は解凍し塩をしてドリップ等も取って、その後はrissoler(リソレ)して、次に白ワインでdéglacer(デグラッセ)して鍋に鶏肉と一緒にブチ込む。そこに大蒜と新玉ねぎスライス(繊維に直角方向で切る)をタップリ入れて沸くまでは中火、その後は蓋をしてとろ火で煮込んで行く。玉葱は途中から焦げ易くなるので注意が要る。最後は蓋を取って軽く煮詰めるると非常に良い。


コクを出すためにフォンドヴォーを多少使った事もあって色が茶色い。新玉ねぎで作るなら本来はもっと淡い色になる。新玉葱を使うか通常のヒネ玉葱を使うかで扱いが当然変わる。ヒネ玉葱なら茶色くじっくり炒めるという工程が要る。目指す仕上がりも当然異なる。

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このジェノヴェーゼに生クリーム等を加え生パスタ(fettuccine)と絡めたのがこちらの作例。クリームと合せる以外にもセミドライトマトを加えて味を変えるのもOK。
パスタに絡めるのでなく、リゾットに乗せるとかいうのもアリ。

ジェノヴェーゼは本来豚肉を使うらしく、塩・スパイス・ハーブ・ワインでシーズニングした豚挽き肉を軽く練って固めて焼き、それを煮ながら崩して行って仕上げるという料理もOK。

春らしい組み合わせというなら、ホタルイカなんていう組み合わせもイイ。ここで使ったは自分で茹でて下ごしらえをした。以外ならアスパラ蚕豆うすい豆も全然OK。ホタルイカ以外でもパンチェッタというのもアリだが、イタリアパンチェッタが入らなくなっているのは痛い。
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パスタはショートパスタのorecchiette(オレキエッテ)、ばりカタで茹でてソースの中でアルデンテを目指して煮て行く。ホタルイカの一部は刻んで大蒜と一緒にオリーブオイルで炒め、クリーム入りのブイヨンで筍と煮る。残りのホタルイカはバットに乗せてバーナーで炙り臭さを消して香ばしさも出す。ソースにばりカタで茹でた麺と炙ったホタルイカを入れて少し煮込んで、最後は胡椒やチーズを加えて仕上げる。は先の方の柔らかい部分のみを使用した。

富山のホタルイカ今年不漁だった模様だが、富山産の物は抑々ブランド贅沢品なので、山陰地域産のものを食べている。ここで使ったホタルイカも山陰の物。

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こちらはトマトソースを使用したヴァージョンで麺は全粒粉スパゲッティ、調理は今流行りのワンパン。ホタルイカの処理は一緒で、トマトソースにブイヨンを加えてその中で麺も茹でて行く。

新ジャガイモが出回って来たので、小ぶりなヤツをアヒージョみたいにして食すのもこの時期の楽しみである。酒のアテにはピッタリである。



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【悲報】ピエモンテで、Dolcetto鬼才生産者Lo Zerbone消える

ワインの記事は本当に久方振りだが、それがこんな悲報なんて…これについて小生は横浜市内某所の酒屋から知らされたのだった。
ところで、Lo Zerbone(ロ・ゼルボーネ)ときいてピンとくる御仁は少なかろう。それはPiemonte(ピエモンテ)に多いDolcetto(ドルチェット)種のワインでは鬼才と呼んでいい生産者だった。赤・ロゼはDolcetto種、白は主にCortese(コルテーゼ)種から作っていていずれも凄かったのに、その価格はバーゲンプライスみたいなものだった。


白ワイン用のCorteseという品種、北イタリアでは多く使われる。これがかなり曲者で房が大きくなる。そこで収量を抑えて粒の熟度も均一化するために房の下側を切り落とす作業が本来は必要になる。

Fabio E. Somazzi(ファビオ・ソマッツィ)氏が2003年に起業したのがAgienda Agricola Lo Zerbone(アジエンダ・アグリコラ・ロ・ゼルボーネ)だった。本拠はPiemonte州でも南東の外れでLiguria(リグーリア)州に近いRocca Grimalda(ロッカ・グリマルダ)という場所で、DOCで言うとDolcetto Ovada(ドルチェット・オヴァダ)がある辺り。現にこの蔵もDOC Dolcetto Ovadaも作っていた。(2005vtのこのワインも出色だった!)
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左=Lo Zerbone Rosso 2017・IGTですらない単なるVino Rosso、右=Lo Zerbone Vino Bianco Le Ghiare 2017

こうした自分の好きなスタイルで納得の行くワインを自分の出来る範囲でしか作らないという拘りの塊の様な蔵は、生産するワインのラインナップも年毎に変っていた様である。そのワインの非常に良心的な価格もあってかマニアには人気の「分る人には分る」蔵であったが、実質夫婦2人でやっていたマイクロワイナリーだった。

つい数年前に当主Fabioが大病を患ったらしく、その時点で廃業という話もあったが、その時は復帰したらしい。その後は近隣の蔵の葡萄をZerbone流で醸造したワインを出していた模様だが、クオリティ的にZerboneのそれではなく、Fabioも結構な年になっていたのでワイン造りは廃業したらしい。又彼の妻が最近になって亡くなったという情報もある。
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左=Nèjr 2007 DOC Dolcetto Ovada、右=Vino Rosato Ciarèt 2019

Dolcetto種を低収量からの~全房発酵で丁寧に仕立てた赤ワインには、ワイン歴35年の小生も「眼から鱗」で「ビックリしたなぁもう!」だった。
だが、こういう小規模生産者には資金力枯渇、後継ぎ不在という問題が常に付き纏う。フランスでもイタリアでも、それこそ生産国を問わず、1代2代で儚くいつの間にか消えてしまった秀逸な生産者は仰山ある。蔵自体が名門貴族だったり大きなパトロン若しくは資本が付き続ける事でもないと中々サスティナブルにはならないというのがワイン造りというビジネスの大きな現実なのだろう。


最後に、1年程前にテイスティングしたNèjr 2007 Dolcetto Ovadaのインプレッションを簡単に載せる。
色はルビーパープルガーネットの中間位で、クリアで濃さは中程度だが艶やかさはしっかりある。
シナモンリーフ、キームンティー、黒胡椒、スミレアマレーナクランベリーブルーベリーぶどうジュース若めのバルサミコ
薔薇イングリッシュラヴェンダー、ジャスミン、カシスマルベリーセミスウィートチョコクリムゾンルバーブ


Dolcetto種というとデイリーワインで安いイメージが強い。そんなDolcettoのワインで14.5年という年数の割に全然若いのには正直驚き。酸やタンニンも十分シッカリで、ボディも全然ブレず崩れる気配はない。フィニッシュ~アフターという所も非常に優秀なレベルだが、伸びや盛り上がりは「凄くある」と所までは現時点で行っていないものの、この先更なる覚醒を起こす可能性もある。「Dolcettoを馬鹿にすんなよ!舐めんなよ!」と言えて、更に思いっきり御釣りが来る出来なのは間違いない!。これだけのポテンシャルを持ったワインが2500円程度だったのは、マジで鬼の様なバーゲンプライスという他はない。

まだまだ発揮し切っていないと思われるそのポテンシャルも考慮して…、18or18.5 / 20を辺りを付けても問題ないと思われる。このテイスティングを受けて、前述の横浜の酒屋に行って残っていた1本を追加購入した小生であった。

まだ出ていない部分のポテンシャルがあると鑑みれは…18 or 18.5 / 20位は献上出来るだろうか。



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小生のワインライフ重要な原点の一つが、銀座に嘗て存在した松坂屋の「世界のワインフェスティバル」だったというのはこの記事で書いた。そして銀座松坂屋と並んでこれ又重要な原点の一つだった場所があと数日で姿を消す
ところで、デパートというと斜陽産業とかオワコンという言葉しか出ない様になって長い。小生もデパートを利用するのは月1~2回程度で、デパ地下若しくは物産展位しかない。購入金額だって高が知れている。


渋谷で百貨店というと、嘗ては西武渋谷店東急百貨店東横店東急百貨店本店と存在していた。
その中で、渋谷駅直結だった東急東横店。2013年に閉鎖された東館以外で残っていた、西館・南館は2020年3月31日に一部テナントを残して閉店。B1のフードショー、2Fの本家しぶそば、笹八渋谷店も9月で閉店、享年86歳。今は2024年を目標に絶賛解体中である。その後の跡地には渋谷スクランブルスクエアの中央棟・西棟が2027年に立つ予定。


そしてこの度、本店(あの場所は道玄坂2丁目)も1月31日を以て閉店という事に相成ったが、1967年11月の開業なので55年少々の歴史にピリオドである。東横店・本店共に老朽化していたのは明らか。そこに渋谷自体の大規模再開発もあって、この様な流れになった。本店は過去3回の大々的リニューアルを行っているが、もうこれが限界という事なのだろう。

東急百貨店は東横店に続いて本店も消滅するが、これに対応して食料品関係並び化粧品関係はマークシティ・渋谷ヒカリエShinQs・渋谷スクランブルスクエアにおける取扱商品の幅・売場を拡大する。百貨店跡の再開発で現れる商業施設は「東急百貨店」とは別の形になるであろう。

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東急百貨店本店・最後の雄姿

東急百貨店本店小生が20代だった1980年代終盤~1990年代に掛けてワインを学んだ場所でもある。1988年頃から年2回のワインフェアを大幅拡充1989年春にはボルドーワインの空輸した物を並べるという少々バブリーな芸当も見せた事もあった(これには物品税廃止と酒税法改正が絡んでいたらしい)。東急百貨店本店は斯くしてこの時期からワインに注力する姿勢を鮮明にした。

その後90年代になって、地下のワイン売り場を拡大、ウォークインセラーを含むワイン売り場には常にワインフェア状態で、週末を中心に大盛況だった。週末毎のワイン売り場内で行う有料テイスティングもここが元祖(使用されるグラスもLOBMYER・Ballerina=一脚当り当時でも1万円超え!)、結構凄い銘柄もテイスティング出来る機会にすら恵まれて、更にたまたま御一緒した他の御客様からゴチになる事もあった。
そこに集う愛好家達から、ある時は教官とか師匠にもなってくれる様な、そんな御仁も現れた。その様な御仁方から実践的なレクチャーも色々授けられて、沢山の知識も教えて頂いた。今から思えば、かなり良い基礎を叩きこんでもらえたものだと思う。

90年代半ばからは、背後に瀟洒なセレブ住宅街が控えるという場所柄、有名人も事実上の広告塔にして「セレブ達の集うワインの聖地」「ここでワインを買うのがステイタス」みたいな感じを売りにする様になって行った。東急百貨店本店、実際に表では渋谷の繁華街に面していながら、Bunkamuraのある方は、松濤等の高級セレブ住宅街に面している。

だが、90年代後半から21世紀に入る頃になると、ワインショップが雨後の筍の様に増えて、ワインは専門店で幾らでも買える物となった。「増えて」と書いているが、その中には勿論、存在を知らなかった店をただ単にdiscover(ディスカヴァー)出来ただけというケースも多い。
兎にも角にも、世紀を跨ぐ頃からデパートのワイン売り場は小生にとってオワコンとなって行った。そして今は、実店舗・ネット通販を問わず「ワイン専門店」・「ワインショップ」を名乗る店が掃いて捨てる程見付かる時代である。


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Bunkamura入口のイルミネーション

斯くして渋谷のデパートは西武だけという事になる。その西武百貨店でも旗艦店の池袋西武は2月1日を以て外国のファンドに売却される。東急本店跡地の再開発にも外国の企業=L Catterton Real Estate(あのLHMVと関係が深い)が大きく絡み、Luxury retail(ラグジュアリーリテイル)に大きく舵を切った再開発はこの場所なら納得が行く。
渋谷という街は、本来は松濤・円山・鉢山等の山手屈指の高級住宅街にも隣接し、青山・恵比寿・代官山・六本木・麻布・赤坂・代々木公園・明治神宮といったスポットにも囲まれたこの町は、山手カラー出しまくりセレブっぽいステイタス的な部分が強くてもおかしくはない所。


それが何故か1970年代後半、特に1979年4月の109(イチマルキュー)オープン前後から「若者の街」になっていった、背景にはこの時代の「女子大生ブーム」も絡んでいた様だ。まぁ、この時代の大学生は今より全然高級なものだったが…。
よって、50代の小生でさえ「若者の街」になる以前の渋谷は知らない。


1990年代後半にはコギャルだのチーマーだのそんな下層階級の餓鬼どもに蝕まれまさに世紀末状態。その後は田舎からの観光客や不良害酷塵まで多数たむろする場所になってしまった。小生も若い時は割とよく足を運んでいた事もあるが、今世紀に入ってからはその頻度も減って行った。
渋谷という所は地形も悪い。渋谷のその名の通りに谷底で、狭い道や急坂が非常に多い。しかもここ20~25年位の間に町自体が随分レベルダウンしてクソになったもので、まさに堕落衰退して駄目になって行く日本の国家社会の大きなアイコンにも見えると言っても華厳の滝のナイアガラ、ではなく過言ではない。

これからの渋谷は繁華街ではなくオフィス街として売って行くという意見もあるが、丸の内・銀座・日本橋という様な都心の界隈と違い、大企業本社は少ない。20年以上の昔は「Bit Valley=ビットバレー」と呼ばれ、IT関係が沸いたものの、それも今は昔。1年程度であっという間に萎んだこの熱狂、今や「そんなもんあったんかい?」という感じで、ビットバレーすら覚えている人すら少ないか?
それでも近年はIT企業が再び集まる様になって、DeNAGoogle(日本法人)、GMO、Cyber Agentビズリーチ等が本社を構えている


渋谷はIT企業が集まるとは言え、都心部と比較すればやはり大企業の高給取りは少ないからその分購買層は低い。高級住宅街が近隣に控える場所柄を生かしてセレブ住民を取り込むというにも限界があろう。松濤や鉢山の住人達は渋谷ではなく青山や代官山に逃れてしまう可能性は高い。本店のある一角は天国と地獄の間の緩衝地帯の様にも見え、その近隣ではセンター街や道玄坂ラブホテル街の様な「猥雑極まりない地獄」が目立ち過ぎである。
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東急5000系の1stナンバー=5101F・つくし野付近にて

渋谷の再開発に絡んで東急沿線の地価・家賃は暴騰しているという情報も一時期はあったが、このパンデミックを受けてそこはどうなのか?
今世紀に入った辺りから東急本店ワイン売り場を利用する事は無くなってしまったが、思い出の場所である事には違いない。そんな所が無くなってしまう事には寂しさを感じるのは当然である。




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