パソコンの不具合は何とか回復したが、今度はモニターが故障。廃棄するはずだった古いモニターを引っ張り出し、臨時の体制を取る事を強いられている。当ブログの更新も延びてしまった。

Part 4 は、時を〇〇る少女ならぬ、特急少女の巻!
時間が押しまくったので、鉄グッズシリーズはこれだけになってしまった。
ヘッドマークだけあってもねぇ…、というのは御愛嬌www、さすがに車体までは無理やって!


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はくたか でこのHM が使われたのは 489系金沢車 による代走の時のみだったので、使われた回数は然程多くない筈である。

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雷鳥 でも はくたか 同様、このHM が使われた回数も多くない筈である。

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途中から少し風が出て来た上に日も傾き出した。寒いと言い出したので、上着着用。この時は如何せん、まだ3月である。

485/489系ボンネット というと、この3種類の中では、 白鳥 のイメージが一番強いかも知れない。 関東では 白山 能登 、更には ひたち をイメージする御仁も多かろう。勿論、九州でもボンネットは頻繁に見掛けられた。
九州のボンネット型が国鉄末期の1985年に勝田に移され、 ひたち が全てボンネット型に統一された。そんな美しい夢の様な時代が常磐線では5年間続いた。1990年にクハ481-1100番台=サロ481の先頭車化改造・電気釜ボディの車が投入されるまでの事だったが、その時代と云えば日本の社会自体、現在の何倍も明るかった日々である。


485/489系 でも、ボンネットは1972年以前の初期車に限られる。廃車も早かったが、日本海縦貫が最後の砦になっていた。御存知の通り、2010年3月の急行 能登 定期運行終了で定期運用を失い、翌年3月27日、今や殆ど神話となった「 ありがとう489系号 」で終焉を迎えた。その時、沿線各所は軒並み超激バだった様だが、折しも東日本大震災の直後で、関東以北では小生も含め、撮り鉄遠征どころではなかった御仁が多かった筈である。

という事は…、もしあの地震が無かったら、もっと超激バになっていたという事になるのだろうか?
彼女は特急列車にトレインマークが当たり前の様に付いていた時代を知らないJK であった。小生にとっては子供に当るくらいの世代=新人類ジュニアである。
特急にはトレインマークが欲しい!ぬりかべみたいな顔で顰蹙(ひんしゅく)を買っている何処かのJR 特急車もトレインマーク一つ付けるだけでかなりマシな物に見えるかも知れないのに…。



Part 5 へと続く!

Mar. 22nd, 2014 VOICE撮影会@代官山ストリート
PENTAX K-5+smc DA☆50-135mm f2.8+AF-540FGZ



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Nov. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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