初代のぞみとして御馴染みだった300系

民営化されたJR が航空機に対抗する新兵器として東京~新大阪を150分で結べる列車を開発する事になった。最高速も従来の220km/hから270km/hに引き上げる必要が生じたのである。開発の進められた時期は折しもバブル全盛で、開発にも金を賭け易かったという幸いな一面があったのは事実であろう。

軸重を11.3tに押さえる必要があり、100系に対し平均で25%の重量減が必要だった。新幹線として未知の領域に足を踏み入れる事でもあったので、デビュー後も初期トラブルは頻繁に起こった。居住性が問題視される事も多かった。クズ物入れがやたら小さくて直ぐ溢れてしまう事等も含めて問題は多かった。

300系には新技術がふんだんに盛り込まれ試作的要素も強い車で、それゆえの難しさもあった
だが、この国の鉄道輸送における大きなbreakthrough であったのは疑いようが無い。
試作車J0編成(後のJ1編成)が1991年2月に試験走行で325.7km/hを記録している。 300系の天下もそうは続かなかった。1992年のデビュー以降、1993年から急ピッチで0系置き換えも兼ねて増備されたが、1997年に 500系 が、1999年に700系がデビューするとあっという間に脇役に追いやられてしまった。

300j61@tmch01
この画像は2009年田町駅付近で撮影

2007年にN700系が登場すると、JR 東海のC 編成の廃車が進んで行った。JR 西日本所属のF 編成は製造された9本が残っていたが、2011年になって、それをを淘汰する為に、JR 東海が700系C 編成の初期車を譲渡するという事までおきた。
ファイルの整理をしていて気が付いたのであるが、実は300系の画像は殆ど撮っていないのである。
以前は 500系 という絶対のターゲットがあり、外道としてN700系700系も少しは撮っているが、300系は雑魚?として無視した事も多かった。
2010年3月以降は新幹線の撮影に殆ど行っていない。 後悔先に立たずとはこういう事かも知れない。


300j60@mgmz01

この画像は馬込坂で2011年7月に撮ったJ60編成。
馬込坂での撮影も最近は厳しくなった様である。近隣住民の中にクレームを申し立てる人間がいるという話もあり、長時間の撮影は止めた方が良いかも知れない。


2012年3月16日、100系共々ラストランになった。東海道ではJ57編成のぞみ329、山陽ではF7編成のぞみ609号として走った。両列車とも全席指定だったが、発売から1分程で完売したというのは記憶に新しい。609号は岡山で100系ラストランのひかり445号との並びを見せた。色々叩かれた300系であったが、終焉が迫ると300系目当てのファンが沿線には多く集まった。ラストランの時には沿線各駅には大変な数のファンが押し寄せたのはニュース映像でも見たであろう。

300系がこの様な形で終焉を迎えた理由として、短編成化が非常に難しい構造であった事があるであろう。0系、100系は2両単位、 500系 以降の車は4両単位である。これに対して、300系は3輌単位で、1+3×5=16という形だった。
加えて、 500系 700系E編成 も存在する中で、最高速が270km/hという「中途半端」な性能の300系を無理に転用する理由も見当たらなかった事も想像に難くない。



300系新幹線電車
1990年に試作車が登場、テスト期間を経て1992年のぞみの運行開始に合わせてJR東海のC編成が正式デビュー。デビュー直前の試乗会が新幹線とも係わりの深い小田急初代3000型(SSE)のさよなら運転と同日だった。1993年から大量増備が始まり、JR西日本もF編成を導入。1992~98年の間に1120両が造られる。 アルミ合金のシングルスキン構体を採用、新幹線としては初のVVVF車(GTOサイリスタ使用)&回生ブレーキ搭載車であった。
1993年度ローレル賞受賞だが、JR九州787系(特急つばめ)に敗れブルーリボン賞は取れなかった。


Part 3 以降もある!

※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2012)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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