長い歴史で戦争に関してはほぼ不敗、そういう国がある。ブリカスとも呼ばれる、Great Bretain and North Ireland、またの名をUnited KingdomUK、つまりイギリス

今からジャスト40年前にイギリスアルゼンチン相手に戦争を起こした。当然、あっという間にボコって圧勝。時代が時代なら、アルゼンチンは世界地図の上からも消されて、アルゼンチン人も殆ど皆殺し若しくは奴隷か臓器にされていた可能性もある。
40年前の戦争とはフォークランド戦争若しくはマルビナス戦争と呼ばれるものである。

Falkland Islands(フォークランド諸島)という島嶼は、2つの大きな島(東西のフォークランド島)と、Carcass(カーカス)・West Point(ウェストポイント)・Bleaker(ブリーカー)等々200程の小さな島から構成され、東西約260km、南北約140kmという範囲に広がる。西経60度・南緯50度付近に位置し、総面積は約12000㎢で、これは新潟県と同等。気候は、海洋性気候だが、南緯50度とロケーションに標高が高い事もあってやや寒冷で、6月辺りは冬の強風が吹き荒ぶ事も多い。
道路は未整備な所が多く、軍事車両を走らせる事は非常に困難な上に泥炭地や岩石地で歩兵の移動も困難という場所である。ここに冬場の強風も加われば、地上戦は非常にきついので、当然この冬を見越しての戦いを強いられた。


英語圏ではFalkland Islandsと呼ばれるこの島嶼、アルゼンチンではスペイン語でIslas Malvinasと呼ばれる。南極大陸に向かう上での寄港地でもあるこの場所、中心となる町は東フォークランド島の北東部にあるStanley(スタンリー)で、ローカルなLegislative Assembly(立法議会)がGilbert House(ギルバートハウス)という建物に所在する。2009年にはこの島嶼独自の憲法=Constitution of the Falkland Islandsが発効している。この町にはDockyard Museumがあって、この島々の歴史を記録している。勿論、あの40年前の戦争の記録もある。
又、black-browed albatross(マユグロアホウドリ)のコロニーがあり、Magellanic penguin(マゼランペンギン)の営巣地にもなっているのでも有名である。

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この島嶼、現代特に第2次大戦後は、別に世界戦略・安全保障の重要地というわけではない。
この島嶼には大規模な軍事基地などは存在せず、主要産業は牧羊業という事で牧草地が広がるが、その多くは所謂不在地主の所有である。その人口は1931年の時点でも2392人であった(近年でも2900人程度)。島の産業といっても牧羊以外は漁業しかなく、収入は羊毛の輸出に頼るだけでUKからの定期便もなかった。更に、UK領といいながら、社会インフラはアルゼンチンに完全に依存していたのも事実である。



この島々の近世以降の歴史だが…
1598年にオランダの探検家・Sebald de Weert(セバルト・デ・ウェールト)氏がこの島嶼を訪れ、オランダでは同氏の名前を冠した。
英語名Falkland Islandsの名付け親は、1690年に東西のフォークランド島の間を航行したJohn Strong(ジョン・ストロング)船長。そしてこの航海の援助をしたAnthony Cary(アンソニー・ケアリー)氏がViscount of Falkland=フォークランド子爵だったのでこの爵位を冠したという事である。


その後18世紀、フランスUKの探検家達が1760年あたりに町を建設し始めたものの、そうするとスペインは猛反発。これを受けてUKフランスの入植者達は数年内に島を離れて行ったが、UKは自国の領有権を主張する記念碑だけはしっかり残していった。スペインからの入植者も入っていたが、19世紀初頭の時点で撤退。

1816年、アルゼンチンスペインからの独立を宣言。その4年後にはマルビナス諸島の領有権を主張したが、独立によって、島はアザラシ漁の無法地帯と化していた。そこで、1829年にアルゼンチンから島の総督に任命されたLuis Vernet(ルイス・ベルネ)は、アメリカのアザラシ漁船3隻を拿捕し、秩序を取り戻そうとした。これに怒ったアメリカの軍用船=USS Lexington(レキシントン号の船長で海軍司令官Silas Duncan(サイラス・ダンカン)は、島へ乗り込んで軍事施設を根こそぎ破壊し、政府支配からの島の解放を宣言すると、揚々と国へ帰っていった。
アザラシ漁産業の成長に伴って、島の将来性に目を付けた英国は、1833年1月3日、誰もいない島へ舞い戻り、英国国旗を掲げて実効支配を開始。そして1840年、この島嶼を英国領と公式に宣言した。


この時代、アザラシ漁は世界の広範囲で行われていて、そのペルト・肉・脂肪は、ランプ燃料・潤滑剤・食用油・石鹸の成分・赤黄土色塗料ベース・革やジュートなどの加工材料としてよく使用されていた。アザラシ漁は今でもカナダ等の北太平洋地域で限定的に行われているが、狩猟の画像・映像は保護・動物福祉・動物権利擁護の為の象徴的なシンボルとして宗教勢力や左翼どもに利用されている。アザラシ漁反対というムーヴメントはクジラやイルカに対するそれと非常に良く似ている。

「現代では~」と述べたが、それ以前は違った。1914年のパナマ運河開通以前は、大西洋・太平洋を結ぶマゼラン海峡・ビーグル海峡に近いという事で、輸送上戦略上の要衝であった。また、2回の世界大戦で東フォークランド島のスタンレーは、イギリス海軍にとっての重要な給炭港あるいは兵站基地として機能した。第1次世界大戦で英独間ではフォークランド沖海戦が起きている。

次回=Chapter 60へと続く!



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