1982年ワインでは伝説のヴィンテージと呼ばれる事も多いが、ヨーロッパの主要産地で出来が素晴らしかったのはBordeauxChampagnePiemonteRiojaNavarraという辺りで、それに続くのがToscana辺りになろうか。この中でも特にBordeaux(殊にSaint-Estèphe、Pauillac、Saint-Julien、Pomerol、Saint-Emilion)の出来が極めて秀でていたとされるので、この年のワインが悉く素晴らしかった様に言われるが、ヨーロッパ全体を見てみるとビッグヴィンテージといえる所は少ない

1982年というと、欧州のワインより全然伝説的だったのが日本のアイドルだった。
当時中学生で男子校通いだった小生は、「異性=アイドル」という世界観が植え付けられて、百花繚乱なアイドル達が出ていたテレビに齧りついていたものだった。その時代、アイドルの出るTVとしては、ザ・ベストテン夜のヒットスタジオザ・トップテンという謂わば歌番組「3巨頭」は言うに及ばず、レッツゴーヤングヤンヤン歌うスタジオレッツGOアイドルなんて所もマストで、ザ・ヒットステージ、パリンコ学園No.1、歌謡ドッキリ大放送!!(後に歌謡びんびんハウス)、アイドルパンチといったややマイナーな歌謡バラエティもよく観ていた。更にはアイドル達の出演も多かったクイズ・ドレミファドン!も観る事が多かった。
この時代、アイドルがラジオ(主にAM)で冠番組を持つ事も多く、それらも頻繁に聞いていた記憶がある。日曜22時・ニッポン放送のSONY Night Square「松田聖子 夢で逢えたら」なんて、放送自体はたった2年間だったがその存在は今も伝説である。当時思春期の小生もほぼ毎週聴いていた。(これの事実上の後継は「愛にくちづけ」となる)
因みに2021年10月には「松田聖子のオールナイトニッポンPremium」という110分の特番が放送された。


テレビの公開生放送に足を運んだ事もあった。この時代は、デパート屋上広場や遊園地等では休日になるとアイドルのステージ+握手会が行われていたものである。小生も大学時代まではこの手のイベントにもそれなりの回数足を運んでいたものである。
今でも彼方此方でのフリーライブの類や、川崎駅周辺等での路上ライブを追い掛けたりする事のその源流は此処にあるという事なのか?
そうすると自分自身で言うのも何だが、「筋金入り」ともいえるのか

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花の82年組」という言葉を聞いた事があるであろう。1982年はアイドル大豊作と言われて、アイドルブームの頂点を迎えた年だったといえる。この年デビューした面々は今年で40周年となって、年齢も50代後半であるが、その名前を挙げて行くとこうなる。
括弧内はデビュー曲のタイトルとリリース日
中森明菜(スローモーション=5月1日)・小泉今日子(私の16才=3月21日)・早見優(急いで初恋=4月21日)
川島恵(ミスター不思議=2月21日)・堀ちえみ(潮風の少女=3月21日)
原田知世(悲しいくらいほんとの話=7月5日)・北原佐和子(マイ・ボーイフレンド=3月19日)
松本伊代(センチメンタル・ジャーニー=81年10月21日)・新井薫子(虹いろの瞳=3月21日)
白石まるみ(オリオン座のむこう=1月21日)・三田寛子(駈けてきた処女=3月21日)
石川秀美(妖精時代=4月21日)・真鍋ちえみ(ねらわれた少女=5月1日)・あみん(待つわ=7月21日)
伊藤さやか(天使と悪魔=5月21日)・渡辺めぐみ(ときめきTouch Me=4月1日)
川田あつ子(秘密のオルゴール=4月21日)・坂上とし恵(き・い・てMY LOVE=7月21日)
つちやかおり(恋と涙の17才=6月21日)・中原めいこ(今夜だけDANCE・DANCE・DANCE=4月21日)
シブがき隊(NAI・NAI 16=5月5日)・新田純一(Hop・Step・愛=6月21日)
嶋大輔(Sexy気分の夜だから=2月10日)
更に同年に女優でデビューしたのは渡辺典子・伊藤かずえ・川上麻衣子=前年11月デビューながら広義の82年組になる。歌手デビューを基準にすると、薬師丸ひろ子もここに入る事となる。
極めつけは、稲垣潤一・BOØWY・安全地帯・鳥羽イチロー・Janet Jacksonも同期デビューという事になる

82年組の中で小生が一番好きだったのは、健康的な美ボディを武器にしていた石川秀美だった。(余談だが、彼女の握手会やTV公開生放送にも行った事がある。)

1982年に対し、この前年1981年と翌年83年は不作の年と呼ばれているものの、1983年デビューの面々を挙げると、伊藤麻衣子・松本明子・武田久美子・岩井小百合・森尾由美・大沢逸美・富田靖子・飯島真理・桑田靖子という辺りがいる。確かに82年組に比べて地味だが、不作という程の惨憺たる出来とは思われない。
本当に不作なのは1981年ではなかろうか。この1年前の1980年は、田原俊彦・ひかる一平松田聖子・河合奈保子・柏原芳恵・浜田朱里・三原じゅん子・甲斐智枝美・岩崎良美・EPOといった辺りを輩出した伝説というより神話に近いヴィンテージである(鉄壁の80年組という表現もある)。
そんなレジェンダリーな80年と82年の間に挟まれた「谷間」という言葉が1981年にはピッタリである。81年組では伊藤つかさ・島田歌穂(後に舞台女優→大学教授)・近藤真彦・沖田浩之・堤大二郎・竹本孝之という所を押えておけば良かろう。

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そしてその後の1984年組というと、菊池桃子・岡田有希子・可愛かずみ・戸川京子・松本友里・荻野目洋子・長山洋子・安田成美・辻沢杏子・倉沢淳美・工藤夕貴・渡辺桂子・麻生祐未・おかわりシスターズ・おあずけシスターズ、プリンセスプリンセス(当時は赤坂小町)・キララとウララ・少女隊(30億円を溶かして或る意味で伝説)・吉川晃司中川勝彦(娘が中川翔子)という所に加えて、ダメ押しで沢口靖子も入る。
そして、84年組というとチェッカーズを抜きにしては語れまい(実際は83年9月下旬デビューだが当時の業界の慣習で84年組扱いという事になる。)
ただ残念だが、自殺者を含め既に鬼籍に入った者も多く、「魔の84年組」になってしまった感は否めない。


その次の1985年になると中山美穂・斉藤由貴・南野陽子・本田美奈子・芳本美代子・松本典子・浅香唯・井森美幸・森口博子・大西結花・志村香・渡辺美里・網浜直子・森下恵理・いしのようこ・佐野量子・森川美穂・宮崎ますみ・江原由希子(後のYOU)・高橋真美・山崎美貴中村繁之がデビューする。
そして何と言ってもこの年はおニャン子クラブが爆誕するのである。そこから河合その子が9月にソロデビュー第1号となる。(彼女の握手会にも行った=85年11月)
世飢魔Ⅱ小比類巻かほるTUBESHOW-YAも同期である。同年10月に元あみん岡村孝子がソロにbranch out、彼女のその後は知っての通り。
80年代も半ば~後半になるとデビューするアイドルも小生と同輩は当り前で年下というのも結構出てきた。80年代のアイドルブームも86年位から終焉に向かって行く。


21世紀の今、日本はアイドルと言っても色々な種類・形体が存在する。どこかのペニンシュラ南半分な国みたいに「世界基準」で統一金太郎飴されていない。「世界基準で作られていないから日本のアイドルはダメだ」という評論家は多いが、小生はそういう論理には与しない。日本は日本の個性を押し出して良いのだ。
「今のアイドルは個性が薄い・レベルが下がった」というのもある意味事実だが、そうは言っても、市場のシステムがすっかり変ってしまった事も考慮しなければならない。
それこそどこぞの半島の国みたいに世界基準を振り翳し、結果没個性になって、超インチキまで世界に輸出するよりは数段マシなのではないか。(通貨スワップも絶対にNO!)

80年代アイドルブームから35年以上ほぼ40年経った今、川崎で路上ライブをやっている女の子達は、小生とはガチで親子ほど歳が違ったりするのである。先週末も川崎駅東口で路上ライブをやっている娘が数名いた。

この記事も敬称略で書いたという事で、次回Chapter 43に続く!



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