去る11日にあれから20年の節目を迎えた。その「あれ」とは言わずもがな所謂「9.11」である。2001年9月11日はアメリカで、Al-Qaeda(アルカイダ)が「同時多発テロ事件」を起こした日である。そあいて、そこから20年に渡るアフガン戦争が始まったのであるが、所謂「テロとの戦い」の始まりでもあった。戦争の相手が、それまでの「国家の軍隊」ではない、大規模な国際テロ組織のシンジケートというかクラスター紛いなものという、それまでにあまり想定されなかった形式での戦争が始まる事になったのである。
9.11なんて今の20代以下は殆どリアルタイムでは知らないであろう。現代史上の出来事としては知るかも知れないが、「9.11」は無論決して終わった出来事ではなかったが、こんな形でクローズアップされるなんて思いもよらなかったという人は多いだろう。
2001年生まれというと、加藤清史郎、平手友梨奈、佐々木朗希、宮城大弥石川昂弥奥川恭伸黒川史陽菊田拡和、久保建英、本田真凜寺本莉緒敬宮愛子内親王という辺り。活躍しているメンツが何か少ない気もするだろうが、何せ20歳、これから芽を出す又は現在芽を出しつつある人間が大半である。



FBIは9月11日に、この「同時多発テロ事件」に関連する捜査記録の一部を機密解除し、大統領令によって初回分を初めて公開した。この大統領令は、同時多発テロ事件の遺族らが送付した書簡に対応したもので、書簡では、サウジ政府当局者がテロを支持し関与していたことも示唆していた。(CNNによる)
O. ビン・ラディンはサウジアラビア人だが、同国は同時多発テロ事件の共犯であるとの疑いは全面的に間違いであるとも主張していた。ワシントンのサウジアラビア大使館は最近、FBI捜査記録の開示を歓迎するとの立場を表明した。
件の文書だが、FBIは当初、あるサウジアラビア人の学生をサウジの情報機関要員ともにらみ、ハイジャック犯2人への旅行面での支援、宿泊や資金援助での便宜供与に深く絡んでいたともみていた、となっている。
だが、この20年目の節目に当ってバイデンのスピーチは…、無かった!無かった…(ゴーンッ…)
アフガンでの大失態に続いて、ダンマリでは批判の火に油を注ぐ形になりそうである。あのお地蔵さんには、ヘラヘラ笑うだけオバハンと一緒に「消えたぁ!消えたぁ!…チーン…、ヤッタァ~!」になって欲しいと思うのは小生だけだろうか?
その日は今シーズン最後の「Subway Series」(=NY Derby)の2戦目がShea Stadiumで行われ、試合前には黙祷等のセレモニーがあった。この試合ではA. Judgeに2ホームラン、B.Gardenerにも一発が出たNYYが何とか勝利。

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ではこの9.11をタイムラインと共に簡単に振り返ってみようと思う。
ハイジャックを受けたのは4機で、その内2機はNYにあったWorld Trade Centre(世界貿易センタービル)=WTCに突っ込んで1機はワシントンDCのペンタゴン(国防総省)に突っ込んだ残り1機は墜落した(撃墜された可能性大)
最初の飛行機がWTC北棟に突っ込んだのは現地時間で9月11日8時46分だった。
ハイジャック犯5人を含む乗客乗員92人を乗せたBoston発LA行きのAmerican Airlines・11便=Boeing(ボーイング)767が、WTCのNorth Towerに突入した。
それに続いて、ボストン発LA行きのUnited Airlines・175便=ボーイング767型機がハイジャック犯5人を含む乗客乗員65人を乗せたまま、WTCのSouth Towerの方に突入し、大きな爆発が起きた。これが現地時間9時3分。
このテロ攻撃の報告が大統領の所に行ったのは2機目がWTCに突っ込んだ2分後だったという。


大統領は「航空機突入がテロリストの攻撃とみられる」と述べ、これらの行動を起こした者たちを追い詰めて見つけ出す徹底的な捜査を命じた。それが現地時間9時30分。
9時37分、ハイジャック犯5人を含む乗客乗員64人を乗せたDulles発LA行きのAmerican Airlines77便=ボーイング757が、ペンタゴン本庁舎の西側正面に突入した。


午前9時42分、米連邦航空局(FAA)は米国を飛行中の全航空機に対し、速やかに着陸するよう命令。そしてこれに先立ち、全航空機の離陸停止を命じていた。
この後ほぼ10時丁度になって、WTCのSouth Towerが完璧な爆破解体でもしたかの様に、凄まじいスピードで崩壊した。


午前10時3分、ハイジャック犯4人を含む乗客乗員44人を乗せたNJ州はNewark発でSF行きのUnited Airlines・93便=ボーイング757が、ペンシルベニア州Shanksville(シャンクスヴィル)近郊の草原に墜落。乗客と乗員らは墜落前に他の航空機の突入を知り、ハイジャック犯に立ち向かっていた結果の墜落とされ、乗客と乗員は「名誉の戦死」とされたが、それは嘘で実際は撃墜されたという説が有力になっている。

この4機に共通しているのは、北東部始発で西海岸行きのフライトだという事。NY、DC、ペンシルベニア州も東海岸、East to Westで非常に長いフライトで離陸間もない=燃料の積載量も非常に多い状態の飛行機が狙われた。燃料が多い飛行機の方が少ない状態の物より建造物に突っ込ませた時の火力とそれに伴う破壊力が大きくなる。
10時28分には、WTC北棟が崩壊。American Airlines11便の衝突からおよそ100分後だった。


WTCタワーの構造設計は、航空機が衝突する可能性を考慮して行われていた。1945年7月には濃霧の中で方向感覚を失ったB-25爆撃機が、Empire State Building(エンパイア・ステイト・ビルディング)の78~79階に突っこむという事故が起こっている。1946年には、ある航空機が40 ウォール・ストリートビル(40 Wall Street)に衝突していた。因みに、このビルは1995年に寅様が買収して、現在はTrump Building(トランプ・ビルディング)になっている
アメリカ国立標準技術研究所(NIST)は、WTCタワーの構造設計に関する3ページのホワイトペーパーを発見したという。それだと、WTCはBoeing707クラスの飛行機が時速600マイル程度で突っ込むという想定で設計されていたと言われるが、この根拠となる証拠書類は発見されなかった。
因みに、9.11でWTCに突っ込んだ飛行機の速度も時速550~570マイル程度だったと言われる。航空機が衝突する可能性を考慮して設計されたビルだったが、そこに事故ではなくテロ攻撃で飛行機が衝突し、呆気なく一気に粉砕されて崩落。「事実は小説より奇なり」と言うのが…、ズドゴーン!

ブッシュ大統領はWhite House大統領執務室で演説を行い、「邪悪で卑劣なテロ行為」だと攻撃を非難。被害者が数千人規模だとの見解を示すとともに、米政府が「これらの行為に関与したテロリストと、その者たちをかくまった者を区別しない」と表明したのがその夜8時30分だった。

日本では夜遅い時間帯だったが、このテロ攻撃を喰らったWTCの映像が中継されて飛び込んで来たのを見た人は殆どが理解不能状態から唖然としたに違いない。恰もハリウッドのSF映画の様な光景が現実世界で見せつけられたのであった。1995年の阪神大震災の折の阪神高速3号神戸線の倒壊横倒しも非常に衝撃的で現実と受け止めるのに時間が掛かったが、9.11はその比ではなかった。

9.11の後、「東京都庁にもあれ位の飛行機が突っ込めば良いのに」と思った小生がいた。
都庁=バブルの塔は目障りで、そこに飛行機が突っ込めば、バブルの塔はブッ壊せる。その上、増殖し過ぎた邪魔者=似非日本人・似非都民も恐れをなして東京から大量に一気に逃げ出せば、東京も住み良くなって社会秩序も正常になるだろうと期待したからである。
今でもこの考え自体は間違っていないと自信を持っているし、純正な東京都民なら持つべき思想だとすら思う。


Part 2へと続く!



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