SUUMOでは関西で住みたい街ランキング1位に4年連続で輝いたのが西宮北口である。西宮北口、略して西北(せいほくではなくにしきた
大阪と神戸の中点の様な所で、梅田からも三宮からも阪急特急なら15分掛からない。西宮北口は特急停車駅なので非常に便利なのは言うまでもない。阪急のブランド力は、殊に不動産関係では安定して凄いものがあると思われる。
この周辺のエリアは西宮でも山の手で「90平米規制」がある様な所も多く、狭い敷地の小さい家は新しく建てられない。隣接するエリアも夙川・甲陽園・苦楽園・失楽園・錚々たる御屋敷セレブエリアである。
西宮七園という言葉を聞いた事が無いか?
その七園を挙げると、苦楽園・甲陽園更に甲東園・香櫨園・甲風園・昭和園そして甲子園で西宮七園である。ざっとしたロケーションを言うと甲子園以外は阪急沿線若しくはそれより山側で甲山の麓に所在する。そこから広げて行くと西宮・芦屋・神戸市東部には甲〇と付く地名等が多い。国道2号171号、山手幹線、名神高速道路等が近く、更には国道43号阪神高速神戸線・湾岸線等も遠くない。阪急神戸線・今津線・甲陽線JR東海道本線阪神本線が通っている。

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中津・十三間で淀川を渡る7000系7008F特急梅田行き、今はこの場所から撮影出来ない

ニシキタこと西宮北口駅から直ぐのエリアに再開発が進められている。西宮ガーデンズ西側開発計画とも呼ばれるプロジェクトらしい。
西宮ガーデンズが開業が2008年11月、小生はオープン初日に足を運ぶ事が出来た。その時丁度運良く関西に行っていたので足を運ぶ事にした。西宮スタジアムの跡地に作られたのは分っていたが、随分な変わり様に改めて驚いた記憶がある。
このガーデンズ4階のデッキには球場時代のホームベースがあった事を示すモニュメントが埋め込まれていて、球場の1983年当時の姿のジオラマや阪急ブレーブスのメモリアルな展示物は5階の阪急西宮ギャラリーにある。
実を言うとガーデンズの前身にあたる阪急西宮スタジアムにも1度足を運んで阪急ブレーブス日本ハムファイターズのナイターを観戦した事がある。1983年8月の事だったが、キャップやヘルメットのHマーク最後の年(翌84年からユニがフルモデルチェンジ)。
この時の阪急ブレーブスのメンバーと言えば、福本豊、佐藤義則(その日の負け投手)、山沖之彦(その日の先発)、山田久志、今井雄太郎、簑田浩二(この年所謂Triple Three達成)、水谷実雄、ブーマー・ウェルズ(Gregor Boomer Wells=この年が来日初年)、中沢伸二、弓岡敬二郎、石嶺和彦、小林晋哉、松永浩美、山森雅文、南牟礼豊蔵なんて言うあたり。監督は上田利治で投手コーチが梶本隆夫、打撃コーチに住友平がいた。
因みにヴィジターの日本ハムは派手派手なオレンジのユニフォームに変わった2年目で監督が親分こと大沢啓二。選手では柏原純一、トニー・ ソレイタ(Tony Solaita)、トミー・クルーズ(Tommy Cruz)、高代延博、島田誠、江夏豊、工藤幹夫、二村忠美、大宮龍男、古屋英夫といった面々がいた。
ブレーブスは1982年オフに長年の功労者である加藤秀司(英司)をトレードで追い出して、その交換で獲った水谷実雄が83年の打点王を獲得。両リーグで打点王という快挙を達成してしまったという話もある。ニシキタというとアラフィフな小生にとっては阪急西宮スタジアムのイメージが未だに抜けなかったりする。日本が明るく活気があった時代の幻影と言えばそれまでの話なのだが。
「行くぞブーマー! ホームラン! V を目指して それ行けブーマー!」
「かっ飛ばせかっ飛ばせ松永! それ行けかっ飛ばせ松永! ホームラン打つぞ!ホームラン打つぞ!レフトスタンドへ~っ!」なんて言うのも超懐かしい。


晴れたる青空 我等のブレーブス 萌え立つ緑か 我等のブレーブス
勝利を目指して鍛えし技を 此の日も示さん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス
守りは鉄壁 我等のブレーブス 攻めては怒涛か 我等のブレーブス
勝利を誓いて力を合わせ 歓呼に応えん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス
輝く伝統 我等のブレーブス 心は一つぞ 我等のブレーブス
勝利を称えて 明日に備え 女神と謳わん 我等のブレーブス
阪急 阪急ブレーブス おお、阪急ブレーブス
この歌を覚えている御仁は45歳以上ほぼ確定である。

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神崎川を渡る8000系8003F

ガーデンズのオープンから10年という節目に当る2018年11月、ガーデンズゲート館が西宮北口駅真横にオープン。そこからガーデンズまで2階のデッキで繋がった。そこから今度再開発で建つ部分とペデストリアンデッキみたいなもので繋がって行くらしい。

スタジアムと並んで西北の象徴だったものに、西宮名物ダイヤモンドクロスがあった。神戸線と今津線が十字に平面交差していたのだ、若い人は知らない可能性がある。今でも松山の伊予鉄道で大手町駅付近で軌道と鉄道の十字平面交差があるが、西北のそれは鉄道同士。
小生がスタジアムで観戦した1983年はまだ辛うじてこのダイヤモンドクロスも残っていた時であった。ダイヤモンドクロスを列車が渡るのに1回当り72秒かかったらしい。そこに来て、特に神戸線は本数も増やして両数も増やしたいとなれば、平面交差は邪魔でしかなかった。1984年3月に神戸線は10両対応の橋上駅舎になりダイヤモンドクロスは消滅し、今津線は分断された。



Part 2へと続く!


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