どうしても倒したい国民党、だからこそ国民党の人間になった。国民党から総統になったが、2000年に国民党政権がぶっ倒れた。これに29年の歳月がかかった。
羊の様に見えて実はライオン、それが李登輝と評した人もいる。


1988年に蔣経国が死去すると、規則に則り副総統だった李登輝が総統になった。蔣経国の残りの任期を務めるという形だった。その時はお飾りみたいなものと高を括られていた。終身議員なんて言うのがいて、多大な影響力を持っていたどころか議会(国民大会)の多数を占めていた。一部だけが増員分として選挙で選ばれるという体制だった。

1987年に38年も続いた戒厳令は解除されたが、その一方で戒厳令より厳しい動員戡乱臨時条款という国共内戦の為の総動員体制は1948年から続いていた。
ここで、野百合運動(三月学運ともいう)というのを御存知か?
李登輝が総統に就任したのとシンクロナイズする様に1990年3月に沸き起こった学生の民主化改革運動である。6000人が集まり臨時条款廃止・国民大会解散・国是会議開催・政治経済改革タイムテーブル提出を訴えた。
(因みに、台湾では2014年にひまわり学生運動があって、当時与党に返り咲いていた国民党が統一地方選挙で敗北するという事態に繋がっている。)


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(李登輝という男、見た目に似合わず激辛であったか)

終身議員達を引退させるべく第一期資深中央民意代表依願退職条例が1989年1月に立法院で可決されたが、李登輝は終身議員達を一人一人説得しそれなりの待遇・退職金と引き換えに一人また一人と引退してもらうという恐ろしく地道な事も実はやっていた。
更にはその一方で何と、野百合運動の主要メンバーを総統府に招いて、学生達の要求を汲んだのである。李登輝も学生達も基本的ポリシーほぼ一致していたという事になる。この学生運動が李登輝にとっては援軍になったと思われる。野百合運動に参加した若者たちの中に林佳龍=前台中市長・現交通部部長、鄭文燦=現桃園市長更には范雲=台湾大准教授・選挙出馬予定といった今の民進党政権の重要な地位を担う者達もいるのである。


こうして同年に国是会議を開催し、翌年には臨時条款を廃止した。同時に中華民国憲法増修条文を交付、これで終身議員565人を新しく選ばれた議員達でリプレイスする事が出来た。

そして1994年7月の国民大会で総統を直接選挙で選ぶ事が決まった。
終身議員は大陸側に中華民国政権があった時からの「大陸側各省の代表」を名乗る議員が多数、換言すると大陸から追い出されて来て台湾に居座り威張り散らしていたという事になる。こうして台湾で全中国を代表しての議会だというフィクションが作られてもいた事になる


6年任期の総統を終身議員が殆どを占める国民大会(万年国会)の中の形式的選挙で決めていたが、蒋介石・経国の時はそれでも良かったのだろう。
実際に李登輝も万年国会の中の選挙で総統に選ばれた人間でもある。1990年の総統選、初めて複数候補者の間で争われそれに勝利した。そして、これが大きくものをいう事にもなった。


国民党の中で大きな権力(権力の裏付け・正当性)を得た李登輝、野百合運動、民主進歩党、その他改革を渇望する若い世代の民衆といった所がスクラムを組んで近代化・民主化への流れが進んでいく事になったと思われる。

其の伍へと続く!



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