1940年代から走り続ける 近鉄特急 の顔といえば、今こそアーバンライナーしまかぜという事になるのだろうが、しまかぜ登場は2013年であり、1988年にアーバンライナーが登場する前は間違いなくビスタカーだったといえる。そのビスタカーが去年60周年を迎えていたのである。
ところが近鉄はこの大きな節目を「VISTA、か~んれきぃ~!」という感じで大々的に記念する事もなくあっさりスルーしてしまったのである。


ktv@masug01
阪伊特急として単独で賢島に向かう 2013年11月・松塚~真菅間

ktvas@masug01
22600系AT 編成を付けて鳥羽に向かう 1枚目と同日同所

ktvnn@tomsh01
12410 or 12600系?を従え名阪運用に就く 2013年4月・川越富洲原~近鉄富田間にて


ビスタカーは御存知の通り、初代が 10000系 、2代目が 10100系 、3代目が現・VISTA EX 30000系 である。

初代ビスタカー 10000系 の運用開始は1958年の7月11日、その編成構造は 2両+3連接+2両=4両+3連接で 7連という珍妙なものだった。しかもこの車両の存在自体がダブルデッカーの実証実験だったのである。実証実験という事で、7連ユニット 1編成のみが投入された。
3連接の両端(3・5号車)がドーム構造ダブルデッカー構造で、更には簡易運転台まで付いていた。この連接部分と連結される 2・6号車にも入れ替え用運転台があったから、4号車以外は運転台を備えていた事になり、7両中で6箇所も運転台があったというだけでもびっくりである。
何でこんなヘンチクリンな編成にしたのかといえば、3つのユニットに分割出来る様にしておいて、運用の自由度を上げたかったらしいのである。
標準軌車両という事もあり、高出力に最適なWN ドライブで駆動している。この駆動方式が日本に初導入されてから 5年(白黒テレビカーこと京阪1800系が最初)、この車両に於けるWN 採用はこの国の鉄道でも非常に早い部類に入る。


小生としては、この実車を見た経験すらないが、4枚折戸というのは興味をそそられる。
4枚折戸なんてバスの話かよと思われるであろうが、2枚折戸は今の鉄道やバスでも見かける事がある。昔の路面電車にも 4枚折戸の採用例はあるが、鉄道車両だと 711系試作車 を思い浮かべる方もおられよう。でもやはりその決定版はクロ157-1 、唯一存在した クロ157 という形式、つまり御料車(貴賓車)であった。幼少期にこれを図鑑で見た小生の脳裏には 4枚折戸の鉄道車両は特別な物だという認識が生じたと思われる。


ビスタカーという名前、本当はヴィスタカーと書かなければならない筈である。Vista という言葉はイタリア語で、英語にすると view、即ち眺望・景色という意味になる。大阪市電5号形電車がこの国での初採用例とされている。そう考えると、Vista Car なんて本来成り立たない言葉である。ここは本来、 macchina della vista (マキーナ・デラ・ヴィスタ)若しくは  view car (ヴュー・カー)にしないとならない筈なのだが、そんな事を気にするのは小生位だろうか?

そして、1959年には早くも2代目となる 10100系が登場する。それは始祖となる 10000系の登場から1年後の事だったが、要は中間3連接の部分を抽出し独立させた様な格好になった。3連接の中央部分だけダブルデッカーにしたが、こちらは非ドーム構造で2階が広くなり席数も増やせた。

実はこの10100系、小生は一度だけ乗車した経験があるのである、しかも中央の2階席だった。家族旅行で連れられて乗車したわけだが、その時の小生は小学校低学年だったので、余り鮮明な記憶はないが、インプレッションとしては何しか予想したより狭かった様な気がする。

この 10000系 だが、僅か13年という短い生涯だったものの、その間に2回の魔改造を受けている。1966年11月の河内国分での追突事故で伊勢側先頭部分が大破して、これを機に伊勢側先頭部は非貫通から貫通型に付け替えられ、同時に 4枚折戸も 2枚折戸に変更された。編成の両端の形状が全く違うものになってしまった事になる。1970年には、トイレが垂流し式からタンク式に変更され、同時に1か所は移設されている。
そして、1971年即ち大阪万博(Ⅰ)翌年の5月に13年の生涯を終えた訳だが、この13年というのは鉄道車両の減価償却が計上出来る年数のリミット(税法上)である。そこは何とも上手いタイミングだったとしか言い様がない。


何故、初代・2代目のビスタカーが連接構造だったのか、明確な答えは出し辛い。ただ連接という構造がこの両者の寿命を大きく縮めたと言って差し支えない。この国内では連接は使い辛いというのは間違いない。 フランスの誇る TGVThalys は19m級車体の連接構造だが、ヨーロッパの強固な地盤の上を走れるという環境的な部分並びに動力集中構造である事が組み合わされてそのメリットが出せているのである。
その一方、軟弱地盤の場所が多く動力分散方式が圧倒的主流となった日本では、軸重が増えやすいとかメンテナンスが面倒臭い等のデメリットが大きくなってしまうという違いがある。


ktv@kusdgw01
単独で京都に向かうべく櫛田川を渡る 2012年9月・櫛田~漕代間 

ktv@matdk02
阪伊特急として単独4連で難波に向かう 2013年11月・松塚~大和高田間

ktv@iss02
晩秋の昼下がり伊勢市駅にアプローチする賢島行き 2015年11月・宮川~伊勢市間

1959年は伊勢湾台風の襲来があった。近鉄も大打撃を受けたが、これを機に名古屋線の改軌に成功、当初は伊勢中川でのスウィッチバックという形だったが名阪直通列車という悲願達成と相成った。それに伴い新設された名阪ノンストップ特急10100系 が充当されたのだった。それが大当たりしたのか、名阪間の利用者シェアでは当時の国鉄を大きくリードして、国鉄にとってはまさにデンジャラス  K という存在になったのであるが、それも 5年だけだった。
1964年に東海道新幹線が開通すると状況は逆転、名阪特急は影の薄い存在として隅に追いやられて行った。近鉄特急も名伊・阪伊がメインになると、ビスタカーも伊勢志摩方面の運用に回された。(同車両は1975年に名阪特急運用終了)
そして時は流れて1978年末、あの車両が登場するのであった。


この先は其の弐へと続く!



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