2014年も時は9月末に移る。この年2度目の北陸遠征。9月末ともなれば 5月とは光線状態が全く違うから撮影地も変る事となる。
5月は高岡~西高岡間の同じ場所で2日間過ごしてしまったが、この時はもう少しヴァリエーションを持たせようと考えた。ただ、余り彼方此方に散らばっても効率が下がるそれだけでなく、富山なんて勝手が分らない場所だというリスクも考える必要があった。


夜行バスで富山に着いて、8時にレンタカー屋が開くまでは 2時間余り。駅前にサウナがあれば先ずそこに行くのだが、富山駅前にそんな物は無かったので富山ライトレールを撮影する等して過した。

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8時前にレンタカー屋が開いたので、早速手続きしてインプレッサで繰り出した場所は東富山~水橋間の急カーブ。富山からの列車が北北東から東へと向きを変える場所である。

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北越急行車JR 車の混結、でも 681系で統一されている。被写体側は晴れているのに、背景は曇ってしまった。頻繁に大きな雲が通過して条件が安定しない。
このカーブ 6両なら入るが、それ以上になると内側に障害物があって隠れてしまう。見ての通り、3両編成の普通電車には不適

そこから東富山駅南側のストレートに移動


510505@htym01

この日の午前中は前日に通過した気圧の谷の影響が残ったのか、頻繁に曇るという困った状況には唯々呆れた。このカモレもマンダーラになってしまう等、ストレスが溜る一方
この日は早々にこの撮影地を諦めて、西高岡~福岡間で能越自動車道を潜る場所に移動。
そこで正午頃のヨンダーはくたか1本ずつを撮って、その後は呉羽~小杉間のストレートに移動して昼過ぎからの列車を狙う事にした。


晴れたり曇ったりが頻繁に入れ替わる困った状況は結局13時前まで続いて、漸く変り易い空も落ち着いた所で 北 越 を迎え撃つ事と相成った。

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R 27 編成使用の北越4号をキャッチした・・・と思ったら富山行きのしらさぎに裏被り食った
この直後の普通電車を撮って、国道 8号BP を飛ばして水橋の方まで行く事とした。常願寺川を渡る辺りでと考えていたのだが、何故か鉄橋の所しか思い浮かばなかった。もっと良い撮影地が川の東側にあったというのに・・・


常願寺川の堤防に近付いた時、後から急に煽る車がいて小生もパニックになった。必至に堤防まで逃げたが、そいつも堤防まで付いて来た。煽って来た奴も小生と目的が一緒、同業者を煽るって何考えとんねん?
ホンマやったら謝ってほ C とも思う所やが、そこは穏便に収めるべく何事も無いようにガマン


暫くしてそいつが帰った後、16時手前になって 北 越 6号 がやって来た。(それまでに413系普通とはくたか1本ずつ撮影)

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充当されていたのはR22 編成だった。背後の山々も入れられる事も期待されたが、見ての通りに煙ってしまいまともに写らなかった。この日は16時半まで撮影した後、寄り道しながら宿泊先のある富山駅前に向った。

2014年9月末の時点では新潟の 485系 は整形手術の R 編成 が 8本残っていた(事故廃車の R24 以外全て)のに対し、オリジナルの形を残した車は T18 K1 編成のみだった。(原形上沼垂色は全滅



さて2日目、朝一番向った場所は件のカーブだった。やってきたはくたか5号は前日の丁度逆で湯沢側がJR 車で金沢方がスノラビというものだった。(ここでも触れておくが、この遠征のメインターゲットはあくまでもはくたかであった)

何せ富山という所が初めてで、勝手が分らない事が多すぎなので、前日と同じ東富山のストレートに移動してしまった。最初から前日も行った呉羽~小杉のストレートに朝から向うという選択肢もあったのだが・・・
この日は前日と打って変わって、朝からほぼ完璧な晴天で撮影も順調にこなせてストレスフリー


11時前になって、 北越2号 のターンが近付く
準備していると、「ここ入って大丈夫ですか?」と声を掛けてくる同業者がいたので、「問題無いですよ」と返した。
そこでこの直前でやってくる奴がいるという事は・・・ひょっとして
微かな期待を込めて「国鉄色でも来るんですか?」と尋ね返すと、「いやいつものR 編成ですよ」と返って来た。そこで一寸ガッカリした小生だが、まぁそんなもんだろうと思い気を取り直し備えた。


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やってきたのは R21 編成
もっと手前まで引き付けた構図にすればケツまでもっと綺麗に抜けたのに・・・という感じではあるが何とか無難に撮れてまぁお K って所だろうか


その後、JR だけではオモロないと思った小生は富山地鉄にターゲットを一旦変更すべく稲荷町駅近くに移動、そこから常願寺川の鉄橋に速攻で移った。

toym14770@inrc01

稲荷町駅付近での作例として、 14760形のブラジルカラー 第 5編成

toym14765@jogjg01

常願寺川の鉄橋での作例として、こちらも14760形だが 地鉄特急色 第 3編成
この常願寺川の鉄橋(地鉄の方)だが、架線柱の間隔が短すぎて参った


そして13時過ぎに東富山~水橋間に行って北陸本線の撮影に戻るつもりでいたのだが、何とこの「浮気」が大きなミスになってしまった。
午後の部最初の1本にと思っていた 北越4号 に間に合わず、実はその後に475系6連運用もあってこちらも現場に着いたその時車の中から見送る羽目に・・・
浮気の代償大き過ぎである

51008@htym01

14時過ぎにやって来た EF510 - 8号機、日本海縦貫のカモレは長さが読み難いが、この時は上手く収まった。関東に住む小生みたいな者にとってはパーイチでなくともレッドサンダーのシャッターチャンスも貴重である。
それにしても、せんろに入ってはいけませんの看板(画面手前左側)はどうにかならんのか?
(線路に入るのは沿線に畑を持つ農家の人達が殆どらしい)

この後、再び移動したが、この日二つ目のミスを犯してしまった。この辺で名撮影地といえば、常願寺川の東側にあるあの築堤であるのは明白なのに、前日と同じく川の堤防に行ってしまった。あの名撮影地の事が頭の中から抜けていたとしか思えない。予めネット等で調べていたにも関わらずである。
勝手の分らぬ場所に行くと、判断が色々狂ってしまうクセも治っていないのか?


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それでも順調に撮影は進み、16時前に通過した R25編成充当の北越6号 も無事撮影
結局この後北陸に遠征するチャンスは無いままあの日を迎えたので、これがラストショットになってしまった。そして、あの築堤に行けなかった事も大いに悔やまれる
鉄橋は橋脚との関係だろうか?、架線柱の間隔が狭い所が多い。普通なら目安として1スパンで2両分かそれ以上あるのに、ここも 1.5両分程度しかなかった。


485系で青森車・仙台車と共にその最後の砦として残った新潟車だが、 国鉄特急色の T 1・K18 編成 R 編成達 も2015年3月以降一気に廃車が進み、 糸魚川快速 の運用に就いた R 26・28編成 も同快速廃止によって2017年春に続々と廃車され 485系新潟車 は全廃となった。



今回、在りし日の特急街道を偲んでこの地味だった特急に捧げる1曲はというと・・・
The EAGLES (イーグルズ)の隠れた名曲 " The Last Resort " (1976年)を小生は選んだ

この last resort という言葉は最終手段と訳される。アメリカという国の成立ちと歩みについての最低限の知識は必要だが、この曲がアメリカの開拓史と環境破壊について歌っている事は容易に想像が付く。
この曲を聴くと、日本に於いて新幹線や高速道路の様な大容量高速交通インフラの罠というべきものが地方を飲み込もうとしている事と何処か共通する匂いが嗅ぎ取れてしまう。
風土と長い歴史に裏打ちされた街がその記憶共々抹殺されて蒸発する様なケースが増えるのとしたら、それは御免蒙るというものだろう。

金沢以東の北陸本線は特急街道としての栄光から一転、だたの 3セクローカル線に落ちぶれてしまった。整備新幹線の矛盾(これについてはこちらの記事でも触れているからご参照を)というものがどうしても見えて来てしまう。仰々しい新幹線と並行するローカル線という状況が作られ、「東京は近くなり地元は遠くなる」という矛盾を抱えた状況。
同時に、はくたかを運行していた北越急行にも勿論不合理と矛盾はあるのだが・・・


新幹線で一流の地域になったと喜び、便利さと表面的な豊かさは一時的にでも手にするであろう。外国人観光客や首都圏から押し寄せる観光客等、そして観光関連で食っているような連中は「新幹線 1本で行ける便利なパラダイスに成り上がった」と言うだろう。
でもその裏で北陸が新たなる収奪のターゲットにされる可能性が高まったという事でもあり、新幹線が出来ても人口減少は止まっていない。それこそ将来、観光客と高齢者ばかりというトンでもない場所に成り下がる可能性だってある。


今、あっちもこっちも整備新幹線を作れと盛り上がっている所は多いが、新幹線が国土政策の矛盾のアイコンになって、地方殺死の文字通り The Last Resort になってしまったら元も子もない
政治新幹線に殺された阿久根(鹿児島)の様なケースが増えるのが文化的だといえるのだろうか?


どの様な曲か御存知ない方も、しっかり聴いてみたいという御仁達もこちらのようつべはお勧めなので参照頂きたい

She came from Providence, the one in Rhode Island where the old world shadows hang heavy in the air
She packed her hopes and dreams, like a refugee just as her father came across the se
a

She heard about a place people were smiling
They spoke about the red man's way how they loved the land
And they came from everywhere to the Great Divide seeking a place to stand, or a place to hide


Down in the crowded bars, out for a good time
Can't wait to tell you all, what it's like up there, and they called it paradise, I don't know why
Somebody laid the mountains low, while the town got high


Then the chilly winds blew down across the desert, through the canyons of the coast to the Malibu
Where the pretty people play, hungry for power to light their neon way and give them things to do


Some rich men came and raped the land,Nobody caught them
Put up a bunch of ugly boxes, and Jesus, people bought them
And they called it paradise, the place to be
They watched the hazy sun, sinking in the sea


You can leave it all behind and sail to Lahaina, just like the missionaries did so many years ago
They even brought a neon sign "Jesus is coming"
Brought the white man's burden down, brought the white man's reign


Who will provide the grand design?,  What is yours and what is mine?
'Cause there is no more new frontier,  we have got to make it here
We satisfy our endless needs and justify our bloody deeds in the name of destiny and the name of God


And you can see them there on Sunday morning
They stand up and sing about what it's like up there
They call it paradise, I don't know why
You call someplace paradise, kiss it goodbye…



これにはまだ続きがある、そちらは番外編にて!


関連記事=メモリーズ 413系国鉄近郊型車体 Part 1 Part 2 Part 3



)1976年の名盤 " Hotel California " (ホテル・カリフォルニア)に収録され、そのからの 2nd シングル " Life in the Fast Lane " の B 面になった曲である。作曲者は Don Henley (ドン・ヘンリー)並び Glenn Frey (グレン・フライ)。



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