この企画では、今年2022年に「大きな記念の節目」を迎える人や出来事、物を挙げている。今回Chapter 5では、中老・五十路=50歳・50周年・半世紀を迎えるものをフィーチャーして行く。
この年も色々大きな出来事があった。この国の戦後史の大きなターニングポイントとなる事が幾つもあった。
1972年といえば、何と言っても沖縄返還=沖縄の日本復帰・沖縄県発足=5月15日。これなくしてこの年は語れない。
返還の3日前の5月12日にアメリカの沖縄民政府解散、沖縄統治が終了
今年は復帰50周年という事で、5月15日の記念式典は東京と沖縄で同時開催する事が検討されている。5月14日・15日に沖縄を愛する全ての人達で、本土復帰50周年を祝う為のイベントを県内ライブ会場で開催し、子どもたちが楽しめるスポーツイベントやヒーローショー、ドキュメンタリー映画「結どぅ宝」の発表、更に沖縄出身の大物アーティストによる音楽ライブを企画しているとの事。
沖縄には「結515プロジェクト」というのがある。このプロジェクトは、2022年5月15日の「本土復帰50周年」を迎えるに当たり、1972年生まれの「復帰っ子」世代の有志が集い、「結どぅ宝 =生きているから笑いあえる。生きているから未来がある。」をスローガンに活動している団体らしい。
沖縄県は日本復帰50周年記念事業として記念シンボルマークデザインを募集するのだそうだ。この事について県の公式ウェブから抜粋引用させて頂く。
「沖縄県は令和4年5月15日に本土復帰50周年を迎えます。この意義深い歴史的節目の年を県民とともに記念し、これまでの沖縄の発展のあゆみや将来の可能性を広く発信していくため、県では復帰50周年事業として様々な事業を実施することを予定しています。復帰50周年記念シンボルマークは、沖縄が復帰後歩んできた道のりを証明するシンボルであり、復帰50周年記念事業のプロモーションの中心に来るものです。ついては、より多くの県民の皆様とともに国内外に50周年を発信していくため、シンボルマークデザインを以下のとおり募集します。」
50度オーヴァーの泡盛も最近は入手困難で、高いorz…
日本が主権を回復して、独立国家に戻ったのは1952年の所謂サンフランシスコ平和条約発効だとされる。そこから沖縄返還=1972年までは20年掛かっているが、これって不思議だと思わないか?主権を回復する時点で元々日本の領土だった沖縄も返還されて然るべきではないか?
沖縄を支配したのはソ連ではない、同盟国になったアメリカである。沖縄については、南樺太や千島列島とは違い、Franklin D. Roosevelt(フランクリン・ルーズベルト)とIosif V. Stalin(有田芳生、ヨシフ・スターリン)との間に密約は無かった筈である。
戦後になって、欧米諸国は国共内戦で寄ってたかって狂惨党を勝たせた。これで中禍人民凶和国が成立。しかも喜多長賤こと超賤民主主義人民共和国も成立。ソ連+厨獄+喜多超賤が繋がり、東西冷戦の火蓋が切って落とされて、赤化の流れがアジアにも広がろうとしていた。1950年代には朝鮮戦争が起きて、超賤半島は南北に分断されこれが固定化した。
日本は東西冷戦における西側=自由主義陣営のフロントラインとして重要になって行った。アメリカの安全保障世界戦略に於いて、日本殊に沖縄は欠かせない存在になったのは事実。そういう背景が沖縄日本復帰に20年も掛かった大きな要因の一つと思われる。
第2次世界大戦において枢軸国の主要な存在だった、日本・ドイツ・イタリアは揃って西側陣営のフロントラインにされている。日本はアジアでソ連+厨獄+喜多超賤と対峙し、戦前は日本領だった超賤半島は南北分断で冷戦のフロントラインそのものになり、70年以上経った今でも続いている。ドイツは東西分断を喰らってヨーロッパにおける冷戦のフロントラインそのものになった。イタリアも隣はユーゴスラヴィアだった。更にその東にはハンガリー、ブルガリア、ルーマニアといった共産主義陣営が控えていた。
返還50周年の今、沖縄が新冷戦米中対立の中で、台湾と並んで極めて重要な場所としてクローズアップされている。日本のみならずアメリカ更に自由主義陣営にとってもシーレーンの最重要地点として守り抜かなければならないのが、今の沖縄である。
沖縄の野党議員には、「沖縄は独立すべし」「独立したら中国との関係強化で潤う」なんてぬかす御花畑のバカがいる様だが、お願いだからそんな奴等には即刻タヒんでもらいたい。そんなクソどもは全員死ね!
1972年の話は長くなるかも知れない、という訳でChapter 6へと続く!
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この年も色々大きな出来事があった。この国の戦後史の大きなターニングポイントとなる事が幾つもあった。
1972年といえば、何と言っても沖縄返還=沖縄の日本復帰・沖縄県発足=5月15日。これなくしてこの年は語れない。
返還の3日前の5月12日にアメリカの沖縄民政府解散、沖縄統治が終了
今年は復帰50周年という事で、5月15日の記念式典は東京と沖縄で同時開催する事が検討されている。5月14日・15日に沖縄を愛する全ての人達で、本土復帰50周年を祝う為のイベントを県内ライブ会場で開催し、子どもたちが楽しめるスポーツイベントやヒーローショー、ドキュメンタリー映画「結どぅ宝」の発表、更に沖縄出身の大物アーティストによる音楽ライブを企画しているとの事。
沖縄には「結515プロジェクト」というのがある。このプロジェクトは、2022年5月15日の「本土復帰50周年」を迎えるに当たり、1972年生まれの「復帰っ子」世代の有志が集い、「結どぅ宝 =生きているから笑いあえる。生きているから未来がある。」をスローガンに活動している団体らしい。
沖縄県は日本復帰50周年記念事業として記念シンボルマークデザインを募集するのだそうだ。この事について県の公式ウェブから抜粋引用させて頂く。
「沖縄県は令和4年5月15日に本土復帰50周年を迎えます。この意義深い歴史的節目の年を県民とともに記念し、これまでの沖縄の発展のあゆみや将来の可能性を広く発信していくため、県では復帰50周年事業として様々な事業を実施することを予定しています。復帰50周年記念シンボルマークは、沖縄が復帰後歩んできた道のりを証明するシンボルであり、復帰50周年記念事業のプロモーションの中心に来るものです。ついては、より多くの県民の皆様とともに国内外に50周年を発信していくため、シンボルマークデザインを以下のとおり募集します。」
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日本が主権を回復して、独立国家に戻ったのは1952年の所謂サンフランシスコ平和条約発効だとされる。そこから沖縄返還=1972年までは20年掛かっているが、これって不思議だと思わないか?主権を回復する時点で元々日本の領土だった沖縄も返還されて然るべきではないか?
沖縄を支配したのはソ連ではない、同盟国になったアメリカである。沖縄については、南樺太や千島列島とは違い、Franklin D. Roosevelt(フランクリン・ルーズベルト)とIosif V. Stalin(
戦後になって、欧米諸国は国共内戦で寄ってたかって狂惨党を勝たせた。これで中禍人民凶和国が成立。しかも喜多長賤こと超賤民主主義人民共和国も成立。ソ連+厨獄+喜多超賤が繋がり、東西冷戦の火蓋が切って落とされて、赤化の流れがアジアにも広がろうとしていた。1950年代には朝鮮戦争が起きて、超賤半島は南北に分断されこれが固定化した。
日本は東西冷戦における西側=自由主義陣営のフロントラインとして重要になって行った。アメリカの安全保障世界戦略に於いて、日本殊に沖縄は欠かせない存在になったのは事実。そういう背景が沖縄日本復帰に20年も掛かった大きな要因の一つと思われる。
第2次世界大戦において枢軸国の主要な存在だった、日本・ドイツ・イタリアは揃って西側陣営のフロントラインにされている。日本はアジアでソ連+厨獄+喜多超賤と対峙し、戦前は日本領だった超賤半島は南北分断で冷戦のフロントラインそのものになり、70年以上経った今でも続いている。ドイツは東西分断を喰らってヨーロッパにおける冷戦のフロントラインそのものになった。イタリアも隣はユーゴスラヴィアだった。更にその東にはハンガリー、ブルガリア、ルーマニアといった共産主義陣営が控えていた。
返還50周年の今、沖縄が新冷戦米中対立の中で、台湾と並んで極めて重要な場所としてクローズアップされている。日本のみならずアメリカ更に自由主義陣営にとってもシーレーンの最重要地点として守り抜かなければならないのが、今の沖縄である。
沖縄の野党議員には、「沖縄は独立すべし」「独立したら中国との関係強化で潤う」なんてぬかす御花畑のバカがいる様だが、お願いだからそんな奴等には即刻タヒんでもらいたい。そんなクソどもは全員死ね!
1972年の話は長くなるかも知れない、という訳でChapter 6へと続く!
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