K-3 MarkⅢ試し斬りはここで風景編に戻って、この時期は光線状態が良くなるバスタ新宿/NeWoman・ミライナタワーの絵から。
手前の低く平らな部分はバスタ新宿/NeWoman、奥の異様に高い建物がミライナタワーという事である。
新宿の次は東京駅周辺でも丸の内サイドを
左画像=和田倉門の所から北北東を向いて。正面には日本生命丸ノ内ガーデンタワー、その脇にはR1・20(共用区間)、金融機関の建物群=みずほ丸の内タワー・全銀協・三井住友銀行本店東館、その更に奥には大手町ファーストスクエア等が入る。
右画像=新丸ビル。駅前の通りを挟んで立っている丸ビル=丸の内ビルディング(2002~)とは兄弟みたいな物。新丸ビルは新丸の内ビルディングが本名、新丸ノ内ビルヂング(1952~2004)が建替えられて今の新丸の内ビルディングになったという事(2007~)。新丸ノ内ビルヂングの方は1952年竣工なのでコイ桂銀淑、水谷豊、草刈正雄、松坂慶子、簑田浩二等と同い年。
上の左画像の横位置ヴァージョンだが、正面に見える日本生命丸の内ガーデンタワーのその左隣はパレスホテル東京である。手前には和田倉噴水公園が入る
帝室林野局庁舎からホテルテートになり(1947年)1949年に運営が国から東京會舘に移って、1959年に国有資産ホテルテートは東京會舘に払い下げられた。1960年2月に起工式が行われたがそれに先立ちホテルを所有し運営する会社としてのパレスホテルが設立された。その後ホテル(初代)は1961年に竣工した。1970年代以降はパレスホテルチェーンが構築されて行く事となる。
増改築を繰り返しデカくなった丸の内のパレスホテルだが、出来てから4周りが経過した2009年に営業を終了、750億円を投じて2代目に建替えられ2012年から今の姿になっている。その際に従前の390室から290室に部屋数は減らされているが、その代わり料金は大幅に値上げされている。
小生にとって丸の内と言うとパレスホテルは直ぐ出て来る名前であるが、思い浮かぶのは初代の方である。ロビーの中に入った事があるのも初代の方。初代の建物はシンプルな箱形だった、今みたいに中がくぼんだ様な形には何となく違和感がある。くぼんでたり出っ張りがある今の形だと、千里セルシーを思い浮かべてしまったりもする。
大宮とか立川にもパレスホテルはあるが、丸の内の本店は格が違い過ぎる!
D.J. トランプ氏はアメリカ大統領時代に2回来日しているが、何れも迎賓館には宿泊しなかった。2017年は帝国ホテル、2019年にはパレスホテル東京に泊まった。
東京駅丸の内サイド、居てはならない筈の外国人バ観光客も多い。「特段の事情」を適当に作って「裏口入国」なんて簡単に出来るのがこの国の現実。
周囲の高層ビルの影か掛かってしまう事が多いが、この季節の15時・16時台は影の掛からない部分も多くて綺麗に撮り易い。
中央口寄りの場所から北口を写した作例
丸の内南口、バックは八重洲サイドの高層ビルで駅の両サイドで凄い対比である。
この丸の内中央口の正面・皇族用出入口には丸ビルの影が掛かる時間が続いていたが16時近くになると影も画面右に「退いて」くれるのでこんなショットも撮れる。待つ甲斐もあるというものである。東京駅開業は1914年だが、神戸・大阪・名古屋・上野・新橋というあたりと比べると後発になる。1896年の帝国議会で中央停車場を作る事が可決されて、日露戦争を挟んでその終了後の1908年から建設が本格化。皇居の正面に位置したため東京駅と命名された。
其の七へと続く!
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手前の低く平らな部分はバスタ新宿/NeWoman、奥の異様に高い建物がミライナタワーという事である。
新宿の次は東京駅周辺でも丸の内サイドを
左画像=和田倉門の所から北北東を向いて。正面には日本生命丸ノ内ガーデンタワー、その脇にはR1・20(共用区間)、金融機関の建物群=みずほ丸の内タワー・全銀協・三井住友銀行本店東館、その更に奥には大手町ファーストスクエア等が入る。
右画像=新丸ビル。駅前の通りを挟んで立っている丸ビル=丸の内ビルディング(2002~)とは兄弟みたいな物。新丸ビルは新丸の内ビルディングが本名、新丸ノ内ビルヂング(1952~2004)が建替えられて今の新丸の内ビルディングになったという事(2007~)。新丸ノ内ビルヂングの方は1952年竣工なのでコイ桂銀淑、水谷豊、草刈正雄、松坂慶子、簑田浩二等と同い年。
上の左画像の横位置ヴァージョンだが、正面に見える日本生命丸の内ガーデンタワーのその左隣はパレスホテル東京である。手前には和田倉噴水公園が入る
帝室林野局庁舎からホテルテートになり(1947年)1949年に運営が国から東京會舘に移って、1959年に国有資産ホテルテートは東京會舘に払い下げられた。1960年2月に起工式が行われたがそれに先立ちホテルを所有し運営する会社としてのパレスホテルが設立された。その後ホテル(初代)は1961年に竣工した。1970年代以降はパレスホテルチェーンが構築されて行く事となる。
増改築を繰り返しデカくなった丸の内のパレスホテルだが、出来てから4周りが経過した2009年に営業を終了、750億円を投じて2代目に建替えられ2012年から今の姿になっている。その際に従前の390室から290室に部屋数は減らされているが、その代わり料金は大幅に値上げされている。
小生にとって丸の内と言うとパレスホテルは直ぐ出て来る名前であるが、思い浮かぶのは初代の方である。ロビーの中に入った事があるのも初代の方。初代の建物はシンプルな箱形だった、今みたいに中がくぼんだ様な形には何となく違和感がある。くぼんでたり出っ張りがある今の形だと、千里セルシーを思い浮かべてしまったりもする。
大宮とか立川にもパレスホテルはあるが、丸の内の本店は格が違い過ぎる!
D.J. トランプ氏はアメリカ大統領時代に2回来日しているが、何れも迎賓館には宿泊しなかった。2017年は帝国ホテル、2019年にはパレスホテル東京に泊まった。
東京駅丸の内サイド、居てはならない筈の外国人バ観光客も多い。「特段の事情」を適当に作って「裏口入国」なんて簡単に出来るのがこの国の現実。
周囲の高層ビルの影か掛かってしまう事が多いが、この季節の15時・16時台は影の掛からない部分も多くて綺麗に撮り易い。
中央口寄りの場所から北口を写した作例
丸の内南口、バックは八重洲サイドの高層ビルで駅の両サイドで凄い対比である。
この丸の内中央口の正面・皇族用出入口には丸ビルの影が掛かる時間が続いていたが16時近くになると影も画面右に「退いて」くれるのでこんなショットも撮れる。待つ甲斐もあるというものである。東京駅開業は1914年だが、神戸・大阪・名古屋・上野・新橋というあたりと比べると後発になる。1896年の帝国議会で中央停車場を作る事が可決されて、日露戦争を挟んでその終了後の1908年から建設が本格化。皇居の正面に位置したため東京駅と命名された。
其の七へと続く!
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