5年前の節分の時の事だった。
気が進まない中でも用があって静岡に行って、天気は非常に良かったのでただそのまま帰るのもつまらなさ過ぎると、確か7年振りとなる熱海での夜景撮影を敢行した。熱海なんてそう頻繁に行くところではない。年に数回は通過するが、立ち寄るのはせいぜい数年に一度である。
熱海というと昔は100万ドルの夜景を売りにしていた時代もあった。熱海というとその名の意味は海底温泉という意味なのであるが、街の規模も大きくはなく商業都市とは呼べず、温泉街の観光地であるのに日本有数の夜景の街としても有名だったのは結構不思議である。ビーチに大きな照明があってライトアップされるというのも、しかも年がら年中らしいのでそんな場所もあまりないであろう。
海から山に張り付く様な狭い斜面にこじんまりとした街が広がっているが、その大半が旅館やホテルという日本ではやや珍しい構造の街になっているが、嘗ては日本のマカオなんて呼ばれた時代があったりしたのである。
熱海というあの程度の町で夜景スポットになるのは駅周辺から親水公園に至るこの温泉街だけである、何処からどのアングルで切り取るかの違いだけみたいな感じである。
親水公園(サンビーチ)・熱海城の入口付近・錦崎庭園隣接の展望台・熱海城から山を登れば桜木町の山道というのもあるが、狭いエリアなのでスポットも限られる。メインは渚親水公園辺りから北から北北西向きのアングルという事になる。
因みに熱海で他の観光名所というと、アタミロープウェイ、山頂展望台、伊豆山神社、熱海梅園、走り湯、トリックアート美術館、アカオハーブローズガーデン等がある
熱海というと、ハトヤに代表される温泉旅館郡、このビーチ、熱海城等が浮かぶであろう。あくまでも江戸時代以前からの温泉街でその後現代まで観光地であって、地元生活者の事はあまり考えられていない様に見える。
そんな熱海という町でも、伝説となった?スーパーマーケットが生れていた。伝説というスーパーマーケットの名はヤオハンである。今はイオン傘下のMaxvalue東海であるが、元々は小田原の八百屋だった。その後、八百半商店として熱海に進出。1950年に熱海大火が起き、街の25%程が焼失。1956年に八百半食品デパートとして再出発。今でいうEDLPの路線で旅館を相手にした商売から一般客相手に食品主体に売るという形に変えて1年で黒字化。日本一物価が高いとされた熱海の街で明朗会計で適正価格販売を売りにして成功した。
このヤオハンは生〇の家(有名宗教団体)と強く結びついていたのでも有名で、一時期は社員教育もこの宗教団体の施設を使っていたほどである。
海外進出が好きで、破綻の原因も海外展開失敗だった。日本国内より海外で積極的に展開していた。ブラジルで失敗した(オイルショックが絡んで)ものの、その後シンガポール・アメリカ・コスタリカ・マレーシア・台湾・カナダ・香港では一定の成功を収めた。潰れたボウリング場を使って少ない初期投資で店舗を増やして日本国内でも勢力を伸ばした。
ただ、中国に入れ込み過ぎて、特に上海の店舗が思いっきり足を引っ張って、そこに粉飾決算も加油してヤオハンは一気に破綻に向かったとされる。今も昔も中国に入れ込んだら結局はロクな結果にならないという事の好例かも知れない。
昔は「スーッと出て来てパーッと消えるからスーパーだ」なんていう言葉があったが、1997年9月に会社更生法適用申請し経営破綻、負債は約1600億円。ヤオハンジャパンはイオンの傘下で再建された。パーッと消える事態は何とか逃れたとは言える。それに対し、2001年に破綻したマイカルは10年後に消滅し「おしマイカル!」になったのである。(イオンリテールに吸収された)
江藤慎一が主宰していた江藤塾~天城ベースボールクラブ(1985~91)とヤオハンが提携して出来たのがヤオハンジャパン硬式野球部(1982~97・本拠は沼津)で都市対抗野球等にも出場した事があった。同チームからはプロ選手も数名出ている(大西崇之・岡本真也等)
ムーンテラスから熱海城方向(南向き)だと光量が足りない。山の稜線が綺麗に出ればそれが救いになる。これでISO100の場合、F9で45秒程度の露光時間が必要という計算である。
静岡から熱海と移動し、熱海サンビーチの夜景を撮った後は帰京という事になる。一晩位は熱海に泊まれれば良かったのだがそうもいかない。交通・旅行系YouTuberさんなら強引にでも宿を取って動画の1本も作るのであろうが…
普通ならこだまで帰京すれば(東京まで40分弱)良いと思うだろうが、財政的な事もあって小田原まで東海道線普通列車で、小田原からは小田急ロマンスカーで帰れれば良いと思い、先ずは東海道線普通列車で小田原に向かった。小田原まで普通列車で25分、結構掛かるものである。
その後小田原でロマンスカーに乗るべく、発車5分位前にロマンスカーのチケットを買う腹積もりだった。そういう事で駅構内で時間を潰していたのだが、いざとなって券売機に行ったら乗りたい特急の発車が近付きチケット発売は終わっていて、予定していた列車には乗り損ねるという大失態。
約80分も8000形の4ドアロングシートに揺られたのだった
こんな場合、約30分後の次のロマンスカーまで待つというのが常套手段かも知れないが、10分後の快速急行=8000形10連で先ずは行けるだけ行こうという事にした。途中で次の特急に追い付かれるなら上手く場所を見計らって特急にスイッチすればエエだけの事と思って始発駅からで余裕で座れた事もあって、取敢えず快速急行で小田原を発った。本厚木でも町田でも特急がすぐ後ろに迫る気配すらない。抜かれるなら新宿には後からの特急が先に着く旨のアナウンスがされる筈だが、それも全くない。結局快速急行で新宿に先着してしまった。小田急では快速急行は特急に抜かれる事はないという原則を知ったのである。
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気が進まない中でも用があって静岡に行って、天気は非常に良かったのでただそのまま帰るのもつまらなさ過ぎると、確か7年振りとなる熱海での夜景撮影を敢行した。熱海なんてそう頻繁に行くところではない。年に数回は通過するが、立ち寄るのはせいぜい数年に一度である。
熱海というと昔は100万ドルの夜景を売りにしていた時代もあった。熱海というとその名の意味は海底温泉という意味なのであるが、街の規模も大きくはなく商業都市とは呼べず、温泉街の観光地であるのに日本有数の夜景の街としても有名だったのは結構不思議である。ビーチに大きな照明があってライトアップされるというのも、しかも年がら年中らしいのでそんな場所もあまりないであろう。
海から山に張り付く様な狭い斜面にこじんまりとした街が広がっているが、その大半が旅館やホテルという日本ではやや珍しい構造の街になっているが、嘗ては日本のマカオなんて呼ばれた時代があったりしたのである。
熱海というあの程度の町で夜景スポットになるのは駅周辺から親水公園に至るこの温泉街だけである、何処からどのアングルで切り取るかの違いだけみたいな感じである。
親水公園(サンビーチ)・熱海城の入口付近・錦崎庭園隣接の展望台・熱海城から山を登れば桜木町の山道というのもあるが、狭いエリアなのでスポットも限られる。メインは渚親水公園辺りから北から北北西向きのアングルという事になる。
因みに熱海で他の観光名所というと、アタミロープウェイ、山頂展望台、伊豆山神社、熱海梅園、走り湯、トリックアート美術館、アカオハーブローズガーデン等がある
熱海というと、ハトヤに代表される温泉旅館郡、このビーチ、熱海城等が浮かぶであろう。あくまでも江戸時代以前からの温泉街でその後現代まで観光地であって、地元生活者の事はあまり考えられていない様に見える。
そんな熱海という町でも、伝説となった?スーパーマーケットが生れていた。伝説というスーパーマーケットの名はヤオハンである。今はイオン傘下のMaxvalue東海であるが、元々は小田原の八百屋だった。その後、八百半商店として熱海に進出。1950年に熱海大火が起き、街の25%程が焼失。1956年に八百半食品デパートとして再出発。今でいうEDLPの路線で旅館を相手にした商売から一般客相手に食品主体に売るという形に変えて1年で黒字化。日本一物価が高いとされた熱海の街で明朗会計で適正価格販売を売りにして成功した。
このヤオハンは生〇の家(有名宗教団体)と強く結びついていたのでも有名で、一時期は社員教育もこの宗教団体の施設を使っていたほどである。
海外進出が好きで、破綻の原因も海外展開失敗だった。日本国内より海外で積極的に展開していた。ブラジルで失敗した(オイルショックが絡んで)ものの、その後シンガポール・アメリカ・コスタリカ・マレーシア・台湾・カナダ・香港では一定の成功を収めた。潰れたボウリング場を使って少ない初期投資で店舗を増やして日本国内でも勢力を伸ばした。
ただ、中国に入れ込み過ぎて、特に上海の店舗が思いっきり足を引っ張って、そこに粉飾決算も加油してヤオハンは一気に破綻に向かったとされる。今も昔も中国に入れ込んだら結局はロクな結果にならないという事の好例かも知れない。
昔は「スーッと出て来てパーッと消えるからスーパーだ」なんていう言葉があったが、1997年9月に会社更生法適用申請し経営破綻、負債は約1600億円。ヤオハンジャパンはイオンの傘下で再建された。パーッと消える事態は何とか逃れたとは言える。それに対し、2001年に破綻したマイカルは10年後に消滅し「おしマイカル!」になったのである。(イオンリテールに吸収された)
江藤慎一が主宰していた江藤塾~天城ベースボールクラブ(1985~91)とヤオハンが提携して出来たのがヤオハンジャパン硬式野球部(1982~97・本拠は沼津)で都市対抗野球等にも出場した事があった。同チームからはプロ選手も数名出ている(大西崇之・岡本真也等)
ムーンテラスから熱海城方向(南向き)だと光量が足りない。山の稜線が綺麗に出ればそれが救いになる。これでISO100の場合、F9で45秒程度の露光時間が必要という計算である。
静岡から熱海と移動し、熱海サンビーチの夜景を撮った後は帰京という事になる。一晩位は熱海に泊まれれば良かったのだがそうもいかない。交通・旅行系YouTuberさんなら強引にでも宿を取って動画の1本も作るのであろうが…
普通ならこだまで帰京すれば(東京まで40分弱)良いと思うだろうが、財政的な事もあって小田原まで東海道線普通列車で、小田原からは小田急ロマンスカーで帰れれば良いと思い、先ずは東海道線普通列車で小田原に向かった。小田原まで普通列車で25分、結構掛かるものである。
その後小田原でロマンスカーに乗るべく、発車5分位前にロマンスカーのチケットを買う腹積もりだった。そういう事で駅構内で時間を潰していたのだが、いざとなって券売機に行ったら乗りたい特急の発車が近付きチケット発売は終わっていて、予定していた列車には乗り損ねるという大失態。
約80分も8000形の4ドアロングシートに揺られたのだった
こんな場合、約30分後の次のロマンスカーまで待つというのが常套手段かも知れないが、10分後の快速急行=8000形10連で先ずは行けるだけ行こうという事にした。途中で次の特急に追い付かれるなら上手く場所を見計らって特急にスイッチすればエエだけの事と思って始発駅からで余裕で座れた事もあって、取敢えず快速急行で小田原を発った。本厚木でも町田でも特急がすぐ後ろに迫る気配すらない。抜かれるなら新宿には後からの特急が先に着く旨のアナウンスがされる筈だが、それも全くない。結局快速急行で新宿に先着してしまった。小田急では快速急行は特急に抜かれる事はないという原則を知ったのである。
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