全車指定席商法、はたまた駅の利用者に使役を課す様な態度を取ったり、何かにつけて自分達の勝手な理屈を振り翳し、利用者を虐めるブラックな893企業ぶりを発揮しているJR 東日本。
それに対し、交通・鉄道系と称するYouTuberやブロガーは斟酌や忖度という美名のもとに、893企業の論理を無批判に受け入れた上に時代の流れだと喧伝する。斟酌忖度提灯だらけで、「良いものは良い、悪いものは悪い」とは言えないのか?
身内や関係する官吏ども相手にはホワイトなつもりでも、利用者には思いっきりブラックだと言われても反論の余地はないだろう。成り立ちからして正当性が薄い、インチキ八百長の塊という所がある。
東日本だけはどんなインチキをやってでも成功した事にすれば良いというのが民営化時の裏の理屈。
仙台までの区間延長も車両運用の都合でしかなかった。
この度の福島県沖地震、東京も激しくはなかったが、長い間揺れた。2011年3月11日14時半頃、東日本大震災の時の東京も長い間大きく揺れていたのがつい先日の事の様に思い出される。今度の福島の地震はその大震災の余震だというからビックリである。これで東北新幹線は設備に被害を受けて、架線柱が折れるなどして24日には復旧する予定だと言うが、あれだけの被害から10日で復旧するなんて大したたまげたというものだが、それでも10日近くは不通という事である。
そこで、ひたち2往復については本来がいわき止まり(始発)の所を仙台まで延長運転して、延長運転の所は特急としてではなく臨時快速として運転した。通常は定期の特急ひたち3往復の所に臨時を2往復追加する形になった。
15日運転の22号は爆弾低気圧による荒天と余震のダブルパンチがあって、仙台を出る時から大幅に遅れて、それでも「フォルテシモ」で送り出されて東京に向かったが、度々の徐行や停止があって、走りの方はピアニシモ的な感じになってしまった。それだって、何とか深夜まで掛かっても8時間遅れで上野に辿り着いた事が大事であった。車掌が乗客に受験生がいないか確認して回ったとか、SNS 等ではやたら美談の様に取り上げるケースも多かった様だが、果たして美談になる様な話なのだろうか?
緊急とは言え、新幹線の代替手段としては本数が少ないと思わないといけない筈である。通常は3往復しか無いとは言っても、2往復追加だけとは車両運用の都合だけでやったとしか思えない。サービスより自分達の内輪の論理を優先して打ち出したとしか思えない。ひたち22号も感動とか美談とかで納得して片付けられない話であると思われる。
臨時快速運転最終日=24日も強風の為、大幅な遅延が生じた様である。ここ最近は天気が荒れるケースが多い気がする。
実を言うと、東京周辺で2月に大荒れ、しかも大雪というのは2月に結構起きる。思い出深いのは2014年2月バレンタインの大雪であった。秩父の三峰口辺りでは3m積もったという。西武秩父線も約1週間運休だった。再開しても列車が雪の壁の間を縫う様に走らざるを得なかった。そんな状況下で同月23日に秩父ウイスキー祭は行われた。小生もチケットは買ってしまっていたので残雪のスゴイ中で行ったのであった。
ウイスキー祭当日の西武秩父駅周辺の様子
そんな事は兎も角、本来のサービスより生産効率をあくまでも優先という事なら、JR と雖も先の展望は暗澹たるものでしかなかろう。
こんなディーゼルの3連って…=キハ110形2連・越生付近にて
仙台~一関~盛岡でも臨時快速の運転が行われた。
仙台以北の東北本線は全て交流電化。という事は、E721系でも充てるのかと思われたが、まさかまさかのキハ110の3両編成。新幹線だって仙台から北は利用者が少ないといっても、代替措置がキハ110、しかも3連とは意表を突かれたという御仁も多かろう。
要は「この程度しか用意出来なかった」という事だと思われる。抑々、車両数にも然程の余裕を見て保持している訳では無かろうから、こういう時の対応もこのレベルになってしまう。以前なら485系仙台車や583系秋田車が出て来ていた可能性は高かったであろうに…。
「どうせ、〇〇〇ウイルスによる緊急事態宣言で戒厳令下みたいな状態で、倹約令も厳しいし」と移動需要なんてほとんど無いだろうと高を括っていたわけでは無いだろうが…。
Fひたち用K301編成時代のE653系=現・U101編成
21~23日は、E653系による臨時快速が那須塩原~仙台で運転され、24日には福島~仙台間で臨時快速が運転された。
当初の予想では暇を持て余している様な勝田の疑似国鉄色K70編成であったが、実際にその任に就いたのは新潟のU101編成。新潟~大宮~那須塩原と回送するより勝田~友部~那須塩原の方がイイだろうと思うのだが、国鉄色は疑似でも特別過ぎてこういうケースには使えないという事なのだろうか?
グリーン車は通例通り?通路扱いで客扱いは無しだったが、それはそれで案の定現場では利用者とクルーの間で揉めていたという。
地震があったのは13日、塩原~仙台の快速が運転されたのは21~23日、もっと早く運転されるべきではなかったか?
どう見てもK70 を使用した方が早いと思う。
ネットではこの度の臨時快速を持ち上げる様な投稿も目立っていたが、物珍しさだけで提灯していないか?考える必要があるのではないか。
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それに対し、交通・鉄道系と称するYouTuberやブロガーは斟酌や忖度という美名のもとに、893企業の論理を無批判に受け入れた上に時代の流れだと喧伝する。斟酌忖度提灯だらけで、「良いものは良い、悪いものは悪い」とは言えないのか?
身内や関係する官吏ども相手にはホワイトなつもりでも、利用者には思いっきりブラックだと言われても反論の余地はないだろう。成り立ちからして正当性が薄い、インチキ八百長の塊という所がある。
東日本だけはどんなインチキをやってでも成功した事にすれば良いというのが民営化時の裏の理屈。
仙台までの区間延長も車両運用の都合でしかなかった。
この度の福島県沖地震、東京も激しくはなかったが、長い間揺れた。2011年3月11日14時半頃、東日本大震災の時の東京も長い間大きく揺れていたのがつい先日の事の様に思い出される。今度の福島の地震はその大震災の余震だというからビックリである。これで東北新幹線は設備に被害を受けて、架線柱が折れるなどして24日には復旧する予定だと言うが、あれだけの被害から10日で復旧するなんて大したたまげたというものだが、それでも10日近くは不通という事である。
そこで、ひたち2往復については本来がいわき止まり(始発)の所を仙台まで延長運転して、延長運転の所は特急としてではなく臨時快速として運転した。通常は定期の特急ひたち3往復の所に臨時を2往復追加する形になった。
15日運転の22号は爆弾低気圧による荒天と余震のダブルパンチがあって、仙台を出る時から大幅に遅れて、それでも「フォルテシモ」で送り出されて東京に向かったが、度々の徐行や停止があって、走りの方はピアニシモ的な感じになってしまった。それだって、何とか深夜まで掛かっても8時間遅れで上野に辿り着いた事が大事であった。車掌が乗客に受験生がいないか確認して回ったとか、SNS 等ではやたら美談の様に取り上げるケースも多かった様だが、果たして美談になる様な話なのだろうか?
緊急とは言え、新幹線の代替手段としては本数が少ないと思わないといけない筈である。通常は3往復しか無いとは言っても、2往復追加だけとは車両運用の都合だけでやったとしか思えない。サービスより自分達の内輪の論理を優先して打ち出したとしか思えない。ひたち22号も感動とか美談とかで納得して片付けられない話であると思われる。
臨時快速運転最終日=24日も強風の為、大幅な遅延が生じた様である。ここ最近は天気が荒れるケースが多い気がする。
実を言うと、東京周辺で2月に大荒れ、しかも大雪というのは2月に結構起きる。思い出深いのは2014年2月バレンタインの大雪であった。秩父の三峰口辺りでは3m積もったという。西武秩父線も約1週間運休だった。再開しても列車が雪の壁の間を縫う様に走らざるを得なかった。そんな状況下で同月23日に秩父ウイスキー祭は行われた。小生もチケットは買ってしまっていたので残雪のスゴイ中で行ったのであった。
ウイスキー祭当日の西武秩父駅周辺の様子
そんな事は兎も角、本来のサービスより生産効率をあくまでも優先という事なら、JR と雖も先の展望は暗澹たるものでしかなかろう。
こんなディーゼルの3連って…=キハ110形2連・越生付近にて
仙台~一関~盛岡でも臨時快速の運転が行われた。
仙台以北の東北本線は全て交流電化。という事は、E721系でも充てるのかと思われたが、まさかまさかのキハ110の3両編成。新幹線だって仙台から北は利用者が少ないといっても、代替措置がキハ110、しかも3連とは意表を突かれたという御仁も多かろう。
要は「この程度しか用意出来なかった」という事だと思われる。抑々、車両数にも然程の余裕を見て保持している訳では無かろうから、こういう時の対応もこのレベルになってしまう。以前なら485系仙台車や583系秋田車が出て来ていた可能性は高かったであろうに…。
「どうせ、〇〇〇ウイルスによる緊急事態宣言で戒厳令下みたいな状態で、倹約令も厳しいし」と移動需要なんてほとんど無いだろうと高を括っていたわけでは無いだろうが…。
Fひたち用K301編成時代のE653系=現・U101編成
21~23日は、E653系による臨時快速が那須塩原~仙台で運転され、24日には福島~仙台間で臨時快速が運転された。
当初の予想では暇を持て余している様な勝田の疑似国鉄色K70編成であったが、実際にその任に就いたのは新潟のU101編成。新潟~大宮~那須塩原と回送するより勝田~友部~那須塩原の方がイイだろうと思うのだが、国鉄色は疑似でも特別過ぎてこういうケースには使えないという事なのだろうか?
グリーン車は通例通り?通路扱いで客扱いは無しだったが、それはそれで案の定現場では利用者とクルーの間で揉めていたという。
地震があったのは13日、塩原~仙台の快速が運転されたのは21~23日、もっと早く運転されるべきではなかったか?
どう見てもK70 を使用した方が早いと思う。
ネットではこの度の臨時快速を持ち上げる様な投稿も目立っていたが、物珍しさだけで提灯していないか?考える必要があるのではないか。
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