Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う。 Make 大和民族 Great Again! 今こそ日本を大和民族の手に!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう

2020年08月

現在世界の注目を俄然集めている台湾、俄かファンも増やしている台湾
その民主化を進め独自の新しい道を進ませて自決権を確立したのは李登輝だと言える。同地域に於ける戦後レジームを書き換えたのが彼だという事も出来た。


台湾の人種構成というと2%の原住民、残り98%が漢民族と思われているが、調べてみるとそれはどうやら違う様だ。小生も騙されていた。日本でもこの嘘を積極的に吹き込み続けていた奴等がいたという事だ。それは誰かと訊かれれば、もうお分かりだろう一つは中国共産党、更には大陸から戦後入って来た「外省人」

本当の漢民族は13%しかいないが、それは殆ど蒋介石と共にやって来た外省人。台湾には15程の人種が存在する多人種地域である。一番古い民族はオーストロネシア語族だと言われる。
1624年にオランダが統治を始めて世界にその存在が知られる様になったが、その時点で50万人が暮らしそれに対してオランダが連れて来た人間は8000人程度だった。その38年後に鄭成功がオランダを追い出して入植したが5000人程度。その鄭成功の母親は田川マツという日本人、純粋な漢人ではなく、長崎生まれという説もある。又その時代に活躍していた海商にも漢族だけでなく日本人その他民族がいたため、鄭政権も純粋な漢民族の政権ではない。


その後、清朝が組み入れたが清朝はそもそも漢族の国ではない。清朝下で大陸サイドから台湾に渡ったのは密航者で殆どが男性。そして密航者=♂と先住民=♀の間で混血の人間が生れていった。
その後近代では日本統治下になって日本人の入植者がいたりして、多人種多民族の台湾という存在が出来ていったと見るべきで、漢民族が主体の場所では決してない。

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台湾を中華圏と呼ぶ事を現地の人達は嫌がる。
日本は1945年まで統治していた台湾及び澎湖島を放棄したに過ぎない。この二島を中華民国が連合国から付与された管轄権を行使していたに過ぎないのを、いつの間にか外省人の国民党が勝手に統治までする様になってしまった。そこで大陸側勢力に乗っ取られ自決権を確立するチャンスを剥ぎ取られる形になったと言える。
だから本来「中華民国」呼ばわりするのは台湾の人達に失礼なのだ、ましてや「中華圏」というのは冒涜と言われても仕方ない。


台湾が「中華民国」と言われる事には本来正当性がない、(台湾民進党の主張と一緒になるが)
ましてや中共が「一つの中国」とほざいてみたりWHO のクソ豚が「台湾省」なんてぬかすのは全くもってナンセンスなのである。
台湾はあくまでも台湾という独自の存在。Chinese Taipei なんて呼び方も使われるがそれだって失礼な話である。


李登輝は年を重ねてからは、日本語と英語で会話する事が殆どになったという。大陸の中国語は一切話さなくなった様だ。(北京語も話せる筈なのだが)
国民党とは本来相容れない筈の李登輝だったが、蔣経国に見出され政権内に入る。1972年10月に政務委員(無任所大臣みたいなもの)になり、1978年に台北市長に任命される。台湾芸術祭に力を入れたばかりでなく、水不足問題にも力を入れて翡翠ダムの建設を推進した。78年には台湾省主席になり、農業政策に力を入れた。そして1984年、副総統に任ぜられた。
それまで副総統といえば有名事実の唯の「スペア」的地位だったが、李登輝は「スペア」に留まらず総統名代の様な形で外国訪問をしたり、軍事会議に出席したりしてその地位を高めていった。
そこには蔣経国の信頼と意向があったのは間違いないが、こうして李登輝は着実にゆっくりとでも「戦後レジームの書き換え」に歩を進めていたのである。


其の四へと続く!



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この記事で登場する Lionel Dufour (リオネル・デュフール)という生産者、ローヌではなくブルゴーニュ地方の生産者。本拠はムルソーらしく、主にコート・ドゥ・ボーヌ(Côte de Beaune)を主力にしている様だが、ロマネ・サン・ヴィヴァン(Romanée St. Vivant)の様なニュイの物もあるらしい。
恐らくドメーヌではなくネゴシアンと思われるが、そういう蔵がローヌのワインをリリースするのは珍しい事ではない様だ。しかもここで出て来るのはCôte Rôtie(コート・ロティ)やHermitage(エルミタージュ)の様に垂涎の的になる様な代物ではなく、地味で実戦向きなSaint-Joseph (サン・ジョセフ)、ハードルはやや低くはなるが「他所の地域」のネゴシアンがどの様に仕上げて来たのかは興味深い。


dufsj2k01ワインのインプレッションだが、先ず色は暗めのガーネット、ルビーパープルは殆ど残ってはいないが、総体的に思ったより若い印象。深度も結構あるがクリアネスもある。

拾い出したエレメンツだがこれが結構多く、
リコリスビターチョコブラックベリーFraises des Boisブラックチェリー、ハスカップ、古い時代のチェリーブランデー湿式葉巻
シナモン、丁子、黒胡椒、黒文字、花椒、土、シャンボールリキュール、カユプテ、若めのバルサミコ
そこから更にローズヒップ、薔薇、クランベリー
何故か奥の奥から風邪薬が時々


飲み始めの温度を下げた事が影響したか、最初、酸が収斂性を感じるほど立っていたが、それは程無くして解決。そうは言っても終始一貫強い。シルキーになって目立たないがタンニンもまだまだ豊富。
肌理は崩れず細かい、典型的で模範解答的なローヌ北部のSyrah という感じは強い。20年経ったSaint-Joseph としては中々堅牢な酒質。トーンは総体的に暗めで決して華やかではないがバランスと溶け込みはドンドン時間経過と共に改善してくる。アフターの盛り上がりとか長さは驚く様な所はなく、それなりにという所だが、不足はない。

採点の結果だが…17.5 / 20 位が妥当だろうか。18まで行って良いのかも知れないが、それは躊躇した。

因みに、このワインと一緒に楽しんだのはコレ
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京都の或る店の鰻丸焼き、味はかば焼き風。うなぎの蒲焼赤ワインに合わせるというのはたまにある事である。蒲焼の味付け赤ワインにも合わせられると言われるが、小生も鰻の蒲焼を買うなんて何年ぶりだろうか。これで2700円程と大奮発となったが、なかなか良い鰻だった事もあり赤ワインと合わせても臭みが出たりとかせず、美味しく頂けた。
この鰻を買った時はロゼシャンパンをと思ったが、今回のSaint-Joseph にチェンジした事は間違いではなかった。
白焼きならさすがにシャンパンだっただろうが。



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今や中共の侵攻からアジアにおける民主主義を守る砦の役割を香港から引き継いてしまった台湾。
台湾民主化は勿論この人無くして語れないという事で、李登輝氏の話の其の弐。


台湾の近世以降というと、17世紀から清朝の統治下にあった。そして1895年に日清戦争の結果を受けての下関条約で清朝から日本に割譲され1945年まで日本領だった。
台湾では福建系・客家系・原住民系が主だった人種であるが、李登輝氏のオリジンは福建で、客家系の血が混じっているとされる。父親=李金龍は警察官で比較的裕福な家庭で、李登輝自身も幼少期から優秀で論語から古事記、夏目漱石全集を読破していたという。


彼は京都帝国大学に進学したが、その理由が農業経済の専門家だった新渡戸稲造(当時は京都帝国大学教授=旧5000円札の人)をリスペクトしていたからというもの。
裕福とはいえ住んでいたのは淡水郡三芝床という当時は田舎(現在は新北市三芝区)。田舎の家に居ては進学も難しいといって12歳で生家を離れ、友人の家で居候生活をして、日本に渡って京都帝国大学に入った。そして、幼少期は母親=江錦に溺愛されて「情熱的で頑固な性格になった」李登輝自身はこの居候生活の間に他者との関わり方を学んだという。


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李登輝の生前の言葉では、「他人と違う人間でいたいという欲(分離)・自分を守ってくれる者との結合という欲求がある」「この二つが拮抗して人間の自己が形成されて行く」「人生の中で離れたりくっついたり、自由と不自由が繰り返す」
「相反するのもがぶつかり合う事は歴史の必然」「人間の歴史は伝統と進歩という一見相反するものがアウフヘーベンして成り立つ」
人の人生も社会や国の歴史も、一見相反するものがせめぎ合いアウフヘーベンして成り立つという事になるのだろう。


相反する様なものがあった時、直ぐにどっちを取るか二者択一みたいな考え方をしてしまうケースが多い。その方が早くて判り易いからと安易に走ってしまわないだろうか。
相反するものでもぶつかり合うのと同時に共存し、アウフヘーベン状態になる。これこそ民主主義の一丁目一番地である。それを端から認めないのは共産主義、つまり中共と一緒である。


李登輝は蔣経国暗殺未遂事件が起きると、木文雄と親交があったという理由で台湾当局の厳しい取り調べを受けたが、農業経済の専門家として重要な地位を得ていた彼は蔣経国(蒋介石の息子)の側近として登用される。1971年の事である。
当時の台湾は外省人の国民党独裁。本省人の役人は犬と言われ、(大陸から来た)外省人の役人は豚と呼ばれていた。外省人が社会の上の方はほぼほぼ独占して本省人を虐げていた時代である。そんな中で国民党政権内に本省人として飛び込んで行く事になる。
そこから総統になるまで17年、民選総統になるまで25年、用意周到に静かなる革命への歩みを進めて行く事となる。
蔣経国政権が、「後継者は蒋の家から出る事は無い」と発言する等、暗殺未遂を機に民主化という方向に舵を切り始めたのも李登輝にとっては幸いだったと言える。70年代といえば中華人民共和国と国交を結ぶ国が増えて中華民国は国際的に孤立を深めた時期でもある。


其の参へと続く!


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元・台湾(中華民国)総統の李登輝(Li Teng Hui=リ・トンホイ)が去る7月30日19時24分に死去、享年97だった。
台湾といえば大多数の日本人にとっては王貞治なのかも知れないが、本来なら真っ先に李登輝の名が出てもおかしくはない。同氏は台湾でも初の民選総統で「台湾民主化の父」「ミスターデモクラシー」「台湾にとって一番の宝」と呼ばれたのは有名である。同氏は1923年台北近郊で生まれたが、当時は日本の統治下にあったので、日本語教育を受けて育ち岩里政男という名で日本人として22歳まで過ごしていた。「22歳まで日本人だった」「幼少期から受けた日本の教育のお陰で今の自分がある」と一貫して語っていた。台湾に戻って以降も終生、日本語で物事を考える事も多かったという。
又、1961年にプロテスタントに入信し、終生それを貫いている。
李明博が池田明博という名の大阪人として過ごしていた時期があるが、そんなのとは一緒にしてはいけないw、余りにも失礼だw)

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(台湾の鴨燻製)

旧制台北高校から京都帝国大学(現・京都大学)農学部に進学するが、20歳の時第2次世界大戦に出征。名古屋の高射砲部隊に陸軍少尉として配属されて、空襲を仕掛けて来た米軍機を迎撃して終戦を迎えたらしい。その後台湾に戻り46年に台湾大学に編入されて49年に卒業、同大学の助手となった。
台湾は日本敗戦と共に中華民国に摂取された。ありがちなパターンだが台湾も例に漏れず、戦前から台湾にいた「本省人」と大陸からやって来た「外省人」との溝は埋まらず、1947年には本省人・外省人間の衝突がエスカレートし、国民党軍が出動し本省人虐殺事件=2.28事件が起きる。大陸から来た奴等が1ヵ月で台湾市民3万人を虐殺して以来40年間白色テロが続く事になる。主に犠牲になったのは将来の指導的立場を嘱望されたエリートに近い人達であった。
49年に国共内戦で国民党が破れ大陸から亡命した国民党政権が支配する様になる。それが独裁支配で1987年まで38年間の戒厳令が敷かれる。因みに、この戒厳令、日本国有鉄道が存在した期間と何故かほぼ一致

因みに、この2.28事件の発端は何とタバコ。台湾では日本統治時代からタバコは専売制、これに対し大陸側は自由販売。これに不満を持ちタバコの闇販売をした女性に厄人が暴行。これで本省人達が激おこ激ギレ、大陸からやって来た外省人国民党政府の腐敗や無能が齎す混乱に対する不満が爆発。デモ隊が台北市庁舎に殴り込んでいった。
この時、デモ隊が歌っていたのは何と「君が代」だったのだ。1945年8月まで日本の一部だったから国歌は君が代だった時代はあったのだ。君が代を歌えない連中は外省人であるとして排除しながら、抗議デモは全土に波及した。


そんな中、李登輝氏は1949年に結婚し翌年長男誕生、52年には最初のアメリカ留学=アイオワ州立大学。53年に台湾に戻って57年からは台湾大学助教授・農復会研究員を務めた。1965年にコーネル大学に留学、68年に帰国し台湾大教授・農復会技師を務めた。
ただ、コーネル大留学中に黄文雄(蔣経国暗殺未遂を起こす)と一緒だった事が結果的にはこの直後の転機に繋がったと言える。


其の弐へと続く!



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龍崎慧流(とうざきえる)嬢の撮影記も漸く最終回、最後もカラフルなバルーンに囲まれての巻。
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真っ赤なルビーレッドの風船がお気に入りだった様で、笑顔も弾んでいた。
tozk@setg43  tozk@setg44
11inchのバルーンは大き過ぎず、しかも小顔に演出してくれる。
tozk@setg45  tozk@setg46
脚を投げ出す様なポーズ。赤い風船がそんなに嬉しいかい?
嬉しそうにしてくれるほど、こっちも嬉しいから全然OK やで

tozk@setg47  tozk@setg48
19歳のフレッシュな笑顔で風船と戯れる。

tozk@setg53  tozk@setg54
こちらはゴールデンロットを持ってもらった絵だが、画面の上部だけ明るくなってしまったのは、如何にかならなかったのか。この反省からバッテリー式でモノブロックストロボを購入しようと決意したのである。

最後は両方とも透けるジュエルカラーで揃える様にして、ルビーレッドジュエルライムの風船をプレゼント。しかしその30秒後、彼女から小生にはショッキングな一言が、「(小生が彼女の)お母さんと歳一緒だ」
マジで親子ほど年の離れた娘を相手にしているのだから仕方ないとはいえ、小生も若くはないと実感させられた。


Nov. 11th 2018, Pulchra 撮影会@世田谷区内某所のスタジオ
PENTAX K-3 Ⅱ+smc DA☆16-50mm、smc DA 35mm
LED ライト、小型オフカメラストロボ使用




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