時は2012年9月から2013年4月の遠征へと移ろう。この時は50000系しまかぜがデビューした直後で、ネットもその絡みで沸いていたのは記憶にしっかり残っている。伊勢志摩は当然そのオマケ的ターゲットとなる。
名古屋行きの高速バス+近鉄で三重に向かい、明野駅付近で午前~昼前の1つ目の撮影をしたが、4月中旬にもなると光線は昼時前には殆どトップライト状態。しかも初めてで勝手も分らずであまり良い絵は撮れなかった。その後伊勢名物の伊勢うどんを食べて13時半位から午後最初のの撮影に臨んだ。
とはいえ場所は同じでアングルが違うだけだったのだが…
明野駅から300mほど小俣寄りに行ったところなのだが、致命的な欠点がある。この鉄塔である。これなら櫛田~漕代間の方がまだマシというものである。それでも移動は出来ないからこんな絵で我慢せざるを得なかった。
レンタカーがあれば急遽移動するという選択があるが、この時は経費節減で車を借りなかったのが裏目に出た格好である。
イエローは急行に裏被りを食らった。この後、宮川の鉄橋に行ってしまかぜ(当時は2本)を狙ったが15時過ぎには完全に曇られてアウト。4月の空は本当に読み難い。
この年の11月、この時は大阪線の真菅カーブに行ってみた。120 - 400㎜なんていうとっても重い長物まで用意して。重いし暗いのであまり使う事は無いが、こんな場所はこれに限る。
大阪線午前中下りの ISL は土休日で9時台に2本、平日は10時台に1本あるだけである。阪伊・京伊・名伊の運用を6編成だけで賄うのであるから、大阪線・京都線・名古屋線に分れた状態でのシャッターチャンスは少ない。この日撮れた23000系はこの1回だけになってしまった。
伊勢志摩ライナーこと近鉄23000系は2編成が1993年12月に竣工し、翌1994年1月に3編成が追加され同年3月15日から伊勢志摩ライナーとして運行を開始した。この時は5編成の体制だったが、95年11月になって1編成が追加され6編成による運用になった。
見た通りデザインは21000系アーバンライナーの続編みたいな感じとなり、足回りは22000系ACE のマイナーチェンジみたいな形になった。当然の如くVFD 制御だが、4M2T というレイアウトなったが編成出力を22000系と同一にするためモーターは1基当り200kwとなった。
現在は全編成が高安に所属しているが、2005~2009年は西大寺検車区に所属していた。2012~13年にかけてのリニューアルで23101・23103・23105編成はカニカマカラーに、23102・23104・23106編成はイエローになった。
2014年は飛ばして2015年11月に進む。今度は伊勢市駅手前のカーブで昼時の列車を狙った。
きちっと晴れてはいない、かといって曇りでもないというモヤモヤした空模様で対応が少し難しかった。その時期はエルニーニョ現象の真っ只中で、晩秋らしい奇麗な秋晴れは殆どなかった。
昼時は賢島方面に向かう ISL のラッシュ、土休日と平日では差があるものの、夕方前から夜にかけては大阪京都名古屋方面にボチボチと帰って行く。
こちらはイエローの作例、先ほどのレッドに比べて光線がサイド気味に移行しているのも判る。
現在5200系が大阪線の運用に入るのは少ないが、その少ない奴と並んだショット。少なくとも土休日の昼時は被りのリスクがそれなりにある様である。本当の狙いだったしまかぜ3連発は難波しまかぜが被られてアウトになった。
この車両、私鉄では初めて130㎞/hでの営業運転を行うという金字塔を打ち立てたという輝かしい経歴を持ち、それだけでも十分にスターの資質はあるのだが、そういう風に思っている人間は何故か少ない様に見える。
~伊勢志摩ライナーの悲運?~
近鉄23000系の同期デビューというと、先ず挙がるのは今や関西の帝王ともいうべきJR 西日本223系電車がある。丁度、関西国際空港が開業した年で、先ずそこに合わせて阪和線に0番台が投入された。何故か1両だけ指定席があってそれが不評だった関空快速ウィングなんていうのも懐かしい。(運行期間=1995.4~1999.5)
同じく関空絡みで出て来たのが第38回(1995)ブルーリボン賞獲得車となった南海50000系 [ rapi:t ] だった。あの癖がスゴイ!スタイリングで一躍人気者になったのは言うまでもない。
そしてサンリオに身売りするとかいう噂まで出た?、あの281系もこの年の9月にデビューしている。
悲劇はそれだけではなく、JR 北海道が初代FURICO ことキハ281系を3月にデビューさせ(第35回ローレル賞獲得)、更に名古屋の極右カルトが 381系 抹殺兵器として383系をデビューさせたのもこの年。年末には株式配当まで出す第3セクター、智頭急行がスーパーはくとのHOT7000系を送り出している。新幹線初の全車ダブルデッカーとなったJR 東日本のE1 系もこの年がデビュー。
国鉄民営化から7年が経ち、車両も国鉄からの継承車からの世代交代が本格化した時に当り、関空開業絡みで華々しくデビューした車両達もいるゴールデンジェネレーションとなった中では伊勢志摩ライナーと雖も日陰の存在になってしまうのは致し方無い事だったのだろうか?
斯くして、このネタも Part 3 へと続く!
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名古屋行きの高速バス+近鉄で三重に向かい、明野駅付近で午前~昼前の1つ目の撮影をしたが、4月中旬にもなると光線は昼時前には殆どトップライト状態。しかも初めてで勝手も分らずであまり良い絵は撮れなかった。その後伊勢名物の伊勢うどんを食べて13時半位から午後最初のの撮影に臨んだ。
とはいえ場所は同じでアングルが違うだけだったのだが…
明野駅から300mほど小俣寄りに行ったところなのだが、致命的な欠点がある。この鉄塔である。これなら櫛田~漕代間の方がまだマシというものである。それでも移動は出来ないからこんな絵で我慢せざるを得なかった。
レンタカーがあれば急遽移動するという選択があるが、この時は経費節減で車を借りなかったのが裏目に出た格好である。
イエローは急行に裏被りを食らった。この後、宮川の鉄橋に行ってしまかぜ(当時は2本)を狙ったが15時過ぎには完全に曇られてアウト。4月の空は本当に読み難い。
この年の11月、この時は大阪線の真菅カーブに行ってみた。120 - 400㎜なんていうとっても重い長物まで用意して。重いし暗いのであまり使う事は無いが、こんな場所はこれに限る。
大阪線午前中下りの ISL は土休日で9時台に2本、平日は10時台に1本あるだけである。阪伊・京伊・名伊の運用を6編成だけで賄うのであるから、大阪線・京都線・名古屋線に分れた状態でのシャッターチャンスは少ない。この日撮れた23000系はこの1回だけになってしまった。
伊勢志摩ライナーこと近鉄23000系は2編成が1993年12月に竣工し、翌1994年1月に3編成が追加され同年3月15日から伊勢志摩ライナーとして運行を開始した。この時は5編成の体制だったが、95年11月になって1編成が追加され6編成による運用になった。
見た通りデザインは21000系アーバンライナーの続編みたいな感じとなり、足回りは22000系ACE のマイナーチェンジみたいな形になった。当然の如くVFD 制御だが、4M2T というレイアウトなったが編成出力を22000系と同一にするためモーターは1基当り200kwとなった。
現在は全編成が高安に所属しているが、2005~2009年は西大寺検車区に所属していた。2012~13年にかけてのリニューアルで23101・23103・23105編成はカニカマカラーに、23102・23104・23106編成はイエローになった。
2014年は飛ばして2015年11月に進む。今度は伊勢市駅手前のカーブで昼時の列車を狙った。
きちっと晴れてはいない、かといって曇りでもないというモヤモヤした空模様で対応が少し難しかった。その時期はエルニーニョ現象の真っ只中で、晩秋らしい奇麗な秋晴れは殆どなかった。
昼時は賢島方面に向かう ISL のラッシュ、土休日と平日では差があるものの、夕方前から夜にかけては大阪京都名古屋方面にボチボチと帰って行く。
こちらはイエローの作例、先ほどのレッドに比べて光線がサイド気味に移行しているのも判る。
現在5200系が大阪線の運用に入るのは少ないが、その少ない奴と並んだショット。少なくとも土休日の昼時は被りのリスクがそれなりにある様である。本当の狙いだったしまかぜ3連発は難波しまかぜが被られてアウトになった。
この車両、私鉄では初めて130㎞/hでの営業運転を行うという金字塔を打ち立てたという輝かしい経歴を持ち、それだけでも十分にスターの資質はあるのだが、そういう風に思っている人間は何故か少ない様に見える。
~伊勢志摩ライナーの悲運?~
近鉄23000系の同期デビューというと、先ず挙がるのは今や関西の帝王ともいうべきJR 西日本223系電車がある。丁度、関西国際空港が開業した年で、先ずそこに合わせて阪和線に0番台が投入された。何故か1両だけ指定席があってそれが不評だった関空快速ウィングなんていうのも懐かしい。(運行期間=1995.4~1999.5)
同じく関空絡みで出て来たのが第38回(1995)ブルーリボン賞獲得車となった南海50000系 [ rapi:t ] だった。あの癖がスゴイ!スタイリングで一躍人気者になったのは言うまでもない。
そしてサンリオに身売りするとかいう噂まで出た?、あの281系もこの年の9月にデビューしている。
悲劇はそれだけではなく、JR 北海道が初代FURICO ことキハ281系を3月にデビューさせ(第35回ローレル賞獲得)、更に名古屋の極右カルトが 381系 抹殺兵器として383系をデビューさせたのもこの年。年末には株式配当まで出す第3セクター、智頭急行がスーパーはくとのHOT7000系を送り出している。新幹線初の全車ダブルデッカーとなったJR 東日本のE1 系もこの年がデビュー。
国鉄民営化から7年が経ち、車両も国鉄からの継承車からの世代交代が本格化した時に当り、関空開業絡みで華々しくデビューした車両達もいるゴールデンジェネレーションとなった中では伊勢志摩ライナーと雖も日陰の存在になってしまうのは致し方無い事だったのだろうか?
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