Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

2019年06月

国鉄の話も何やらかんやらで遂に其の七まで来てしまった。
民営化時点での国鉄の累積債務は約37兆円だったが、その内11.6兆円をJR本州 3社JR 貨物と新幹線保有機構が、残り25.5兆円を清算事業団が引き受けた。JR 各社で束になっても37兆円丸侭背負うのは如何せん重過ぎるという事だったのだろう。


時はバブル景気で不動産価格も高騰し、1987年春の時点で大都市の中心部にも抱えていた沢山の遊休地の資産価値は15兆円はあると言われていて、1988年の時点では土地の実勢価格の合計は30兆円と見積もる専門家もいたほどである。この機を逃さず一気に売却を進めれば債務の大幅圧縮も可能だった様にも見える。でも実際はその真逆に近い様な事が平然と行われた結果、債務が減るどころか巨額の利払いもあって寧ろ増えてしまうという超大しくじりに終わってしまった。
清算事業団というスキーム自体に問題が多過ぎたと考えるべきで、当然の事だが清算のやり方も杜撰という他はない様に思われる。


103la3@kyobs01
環状線103系最後の残党だった近モリLA3 編成 2017年8月京橋駅にて

国鉄の清算にはツッコミ所が多過ぎて草どころか木が生えまくって挙句の果てにジャングル化してしまうのであった。僅かだがその一例を挙げて行くと…
清算計画の時点で15兆円はあると見込まれた土地資産の売却見込みの金額が7兆円と見積もられていた。(その根拠は不明)
普通に考えれば売れる資産は売り時を見極めながらも高く売れるうちに売却して債務の圧縮に努めるという常識的な措置が取られた形跡は殆ど無い。
清算事業団はJR 各社の株式も大量に保有していたが、国鉄改革法の不備によって簿価での評価額計上になっていて、実際の市価に比して恐ろしく安価に計上されていた
東京駅周辺の土地が解散直前になって一斉に投げ売りになった
事業団といいながら、そのコアとして一定の収入が継続的に見込めるという部分の事業が抑々存在しない
これ以外にも恐ろしいツッコミ所は幾らでも出て来るのは間違いない


8181@omy01
EF81-81、ホシ釜時代=2011年10月・大宮車両センター一般公開にて

国鉄清算事業団が引き継いだ長期債務は約25兆円、1998年の解散時にはそれが28兆円にまでなっていた。その内の8兆円は無利子負債だった事もあり債権者である国によって結局は免除され、年金の部分=約4兆円は鉄建公団(後に鉄運機構=JTTR)に継承。残る16兆円は国の一般会計から返済されて行く事となり、その為に増税が為される等して国民の負担となり続ける始末になった。因みにその返済計画は60年であるから、まだ今からも40年続く事となる。

無責任と官僚主義、更には後先考えない政治的ディールの挙句にこの様な茶番が展開されたのであった。
国鉄38年の歴史、崩壊後の一連の茶番や清算の失敗を見ておきながら「当事者達はそれぞれ正しいと信じて行った事の結果に過ぎない」「誰も悪くない」などとぬかす評論家やライター達がいるが、一体どの口が言わせるのだろうか?


清算事業団が保有していた土地やJR 株もバブルの時代に売却する事は罷りならぬと止められてしまい、バブル崩壊後の1994年になって漸く進められる運びとなったが、それが完了したのは何と2017年=国鉄崩壊30年という時だった。(最後まで残ったのは大阪のウメキタと仙台の長町)
バブル期での資産売却にストップを掛けた政府の判断(=バブル抑制の目的)は正しかったという説があるが、これには疑問を感じざるを得ない所がある。
元々無理があるとしか思えないスキームを作って、政府が色々介入しては弄り倒して事態を拗らせて最悪としか思えない様な展開を招いた事については、「国民を騙した」と看做されても仕方ないだろう。


まだ30年以上戦争の事には触れられていない、つまりこの先はその八へと続く!という事である。



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国鉄70周年の話も其の六まで来てしまった。
その国鉄だが、表面上は32年前の1987年3月31日に消えた。だが本当は21世紀の今になっても終わってはいない上に、我々はこれをまだまだ引き摺って生きていかねばならないのである、少なくともあと数十年は。


183b63@yod01
なんちゃって183系のフクB63編成 2011年・淀川鉄橋にて

1987年のあの時、何で国鉄を民営化に際して6つにも切り刻んだか?
それこそ東西に割る位で良かったのではないかと思う御仁もおられよう。因みにNTT (電電公社民営化で1985年発足)の場合、地域会社に分割されたのは1998年で東日本・西日本の 2社に分割されたのみである。
民営化を推進した当時の政権の意図に於いて国鉄の経営再建というより、野党の支持基盤であった総評を支えた一大勢力である国労=国鉄労働組合の解体に重きを置いたのは誰もが知る所。現に当時の総理も「国労が崩壊すれば総評も崩壊するという事を意識した」という旨の発言をしている。この発言には改革の功労者の一人である葛西敬之も批判を口にした。こんなに切り刻まれた事で今でも利用者にとっては色々不便な事も未だに起きている。「30年以上戦争」もこんなに切り刻んだ事と関りがあるのは間違いない


「30年以上戦争」を語る前に、「20年戦争」もあった。ここでは20年の方を語る事とする。
民営化に際して労組はどうなったかというと、1986年7月に国労から離脱した真国労が鉄労・動労・全施労と共に国鉄改革労協を結成し87年2月には鉄道労連となった。更には国鉄改革に反対する不良職員のJR 採用は断じて許さないという旨の決議を採択し、当時の国鉄総裁(杉浦喬也、後に国鉄清算事業団理事長→ANA 会長)にも国労・全動労・動労千葉組合員をJR に採用しない様要請した。この要請自体は労働組合による不当労働行為要請と見る事も出来て、一種とんちんかんな事象とも考えられる。とんちんかんといえば分割民営化に反対しながら、JR には採用しろと要求し続けた国労側も一緒ではある。


国労組合員の内、JR に採用されなかった者達は国鉄を継承した法人である国鉄清算事業団に送られたが、1990年に解雇された。その時点で残っていた1047名の国労組合員は国労闘争団を結成し、JR への不採用は不当労働行為であると各地の地方労働委員会に不服を申し立てた。そこから闘争団と国・JR との20年戦争が始まる、これが所謂 JR 採用闘争であった。団員達はアルバイト等をしたり、物販等の事業を興してそれぞれの生活費や活動費を捻り出した。因みにその事業の中には現在でも継続しているものもあるらしい。
地方労働委員会が国労側の不服を認めると、JR 側が中央労働委員会に再審査を要求するものの敗れてしまい、次は東京地裁に中労委を相手取り提訴。1998年にJR 側が勝訴し中労委決定は覆されて、2003年末に最高裁判決が確定し「不採用が不当労働行為であったとしても国鉄を継承していないJR に責任なし」という事になった。その後国労闘争団は国鉄清算事業団を引き継いだ鉄建公団、更にそれを引き継いだ鉄運機構(JTTR)を相手取り訴訟を起こした。
この20年戦争の方は、鳩山政権下の2010年になって一応の最終的な決着を見る事となったが、その20年の間に一部の人間は鬼籍に入る等して全体も高齢化した。何と言っても闘争団員のJR への復帰は叶わなかった。
2009年9月の衆議院選挙で勝利した民主党政権が成立すると、翌年4月9日に民主・国見新党・社民党の与党に加えて公明党も加わって和解案が作られ、国土交通省もこれを了承。これに対し国労サイドも同月26日に行われた臨時全国大会にて和解反対派を議場から締め出して採決するという暴挙まで使って受入を決議して取敢えず和解が成立。約900人(物故者50人の遺族を含む)に対して約200億円の和解金が支払われた。そして和解案の内容を受けて当時の政府から2011年6月に改めてJR 7社への雇用要請も行われたが、連名での拒否回答が出された。国労本部も翌月に雇用要請を断念する事となり闘争団員達のJR 復帰の芽は断たれた。
これで国・JR 対国労という20年戦争は終結となったが、この以前から国労本部にとっては闘争団員達は邪魔な存在でしかなかったのも確かであった。

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115系岡山車D29編成 2018年11月・備中箕島~早島間

国鉄改革に寝返ってJR への大幅採用(希望者の99%)を勝ち取った鉄道労連側だが、これが一枚岩になんぞなる訳もなかった。鉄道労連=全日本鉄道労働組合連合会(87年以降の略称はJR 総連)は、何せ鉄労・動労を始めとした寄合所帯に過ぎず、案の定最初から判り切った様なアングルが作られて鉄労系と動労系で抗争勃発。鉄労は労使協調を打ち出しどちらかというと穏健路線、これに対し動労は本来が国労に負けず劣らずの武闘派なのがウリで、しかもそこには革マル派が入り込んでいるという背景があった。

実はJR 総連分裂の引き金を引いたのが上述の中労委決定だった。これを受けて動労色の強いJR 東日本労組が国労闘争団員の再採用をスト権再確立闘争をしてでも絶対阻止するとブチ上げた事で、これに鉄労系の人間達が反発。西日本・東海・四国・九州の組合が総連を離脱して鉄労系のJR 連合が1992年に発足。(国労から分離した鉄産総連との合流)
東海並び西日本ではJR 連合系が幅を利かせ、四国と九州にはJR 連合系の組合しか存在しない。これに対し関東以北と貨物ではJR 総連系が幅を利かせている。
そして何と、東日本・北海道・貨物を中心に国労も息を吹き返して、現在は組合員数を少数派(全体の約6.3%程度)ながらも9000人近辺まで再び増やしている。


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485系A06編成パノラマグリーン 2008年・大阪駅にて

2005年4月の福知山線事故をきっかけに、一時JR西日本を中心に大問題となった所謂「日勤教育」も、元々は国鉄民営化に端を発していると言える。この日勤教育を巡っては訴訟沙汰も起きているが、これも国鉄民営化が絡んだ所に端を発している。民営化直前の1986年になると、「人材活用センター」「要員機動センター」なるものを設けて民営化反対の国労組合員をここに押し込み、只管雑用を押し付けて締め上げた上で国労脱退もしくは国鉄退職を迫るというブラック企業紛いな事を行ったのが、その後JR にまで引き継がれてしまったという事らしい。


労使関係の話はここまでとするが、国鉄に絡んではこれとは全く比較にならない程の大変な事象を今も又、これからも引き摺っているのである。
という訳で、国鉄誕生70周年の話は其の七へとキャリーオーバーする。





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生チョコ、今となっては牛馬犬猫の類でも知っている様な言葉になった。ここでだが、これは一体いつ頃からポピュラーな言葉になったのか?
デパ地下だろうが街中の路面店だろうが、それこそ何処に行っても厭という程「生チョコ」を見掛ける様になったのは、勿論今世紀に入ってからであろう。


「生チョコ」と似た様な物でガナッシュ(Ganache)という物もある。生チョコとガナッシュを無理やりにでも区別するなんて事をしているのは日本だけであろう。この両者、チョコレートにクリームを加えて一度ペースト状にして加工するという所はまるっきり一緒である。こんな両者を区別する必要なんて無く、「生チョコ」なんていう言葉自体が非常にナンセンスにしか聞こえないと考える小生である。

因みに公取委のチョコレート類の表示に関する公正競争規約によると、
チョコレート生地にクリームを含む含水可食物を練り込んだもので、チョコレート生地が全重量の60%以上で、且つクリームが全重量の10%以上のもので水分量が全体の10%以上
前号に適合するチョコレートにココアパウダー、粉糖、抹茶等の粉体可食物をかけたもの、又はチョコレート生地で殻を作り、内部に前号に適合するチョコレートを入れたものであって、当該チョコレートが全重量の60パーセント以上で且つチョコレート生地の重量が全重量の40パーセント以上であることが生チョコと名乗れる条件との事。


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Silsmaria のチョコレート生菓子 3種類

では日本特有の生チョコという言葉というかコンセプト的な物を作り出したのは誰で、それが何時だったのかというと…、実は何と、昭和の内に生み出されていたのである。
先日、小生が横浜の馬車道に出かけた際の事だった。イタリアワインで有名な「Il Calice」(イル・カリーチェ http://www.il-calice.jp/)を数年ぶりに訪れてワインを購入、その後車を置いたコインパーキングに戻る途中、 Silsmaria (シルスマリア)馬車道店の前を通り掛かった。普段甘い物をあまり購入しない小生だが、抑々チョコレート系の菓子が好きでこれも何かの縁だと思い買い物をしてみる事にした。そこで店のスタッフさんから聞いた話に小生少々驚愕
実は Silsmaria の平塚にある本店が生チョコ生誕の地だったというのである。時は1988年、まだギリギリ昭和という時で世はバブル真っ只中、そんな中この店のオーナーシェフだった小林正和氏がガナッシュをもう少し日持ちする様にとアレンジして作ったのが生チョコなのだそうだ。


生チョコ=1988年生まれという訳で…
近鉄21000系5200系名鉄1000系小田急1000形東京メトロ02系・03系・05系東急1000系西武2000系(Ⅱ)
田中将大、坂本勇人、前田健太、柳田悠岐、石川 歩、秋山翔吾、Craig Kimbrel (クレイグ・キンブレル)、Russel Wilson (ラッセル・ウィルソン)、Ricky Fowler (リッキー・ファウラー)、Sergio Agüero(セルヒオ・アグエロ)、 Mesut Özil (メスト・エジル)、乾 貴士、Marin Cilic (マリン・チリッチ)、小塚崇彦、
三浦翔平、松坂桃李、辻井伸行
新垣結衣、戸田恵梨香、吉高由里子、菜々緒、May J.、小嶋陽菜、大島優子、樫野有香、大本彩乃、福田彩乃、
佐々木希、ホラン千秋、近江友里恵、福原 愛、浅田 舞
こういった面々が「生チョコ」と同い年になるという事である。


生チョコの誕生から5年後、小林氏が監修・制作したある商品で生チョコが世間に広まり始める。その商品とは明治からリリースされた「Melty Kiss」であった。ここから各製菓メーカーもこのジャンルに乗り込んで来て生チョコは一気に市民権を得た


現代の我々の生活に馴染んでいる物で、日本での発祥が横浜という物は多い。ガス、街灯、塗装業、写真、アイスクリーム、近代型の水道、タンメン、ナポリタン、食パン、ビール等々がこれに当る。平塚発祥になる生チョコは一寸掠ってしまったという所が残念か?
余談だが、今年2019年は日本におけるアイスクリーム発祥から150年目の節目である。(発祥当時はあいすくりん)




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国鉄発足70周年という訳で、今回=其の伍では国鉄の70年代以降~民営化前夜までの事を車両の変遷というアングルで見て行く事とする。

前にも述べた様に70年代の国鉄は停滞が目立ったとはいえ、1973年に381系がデビュー、75年にはキハ66形、77年にはキハ40系50系客車がデビューしている。
激化した労使紛争も鎮静化を見せ始めた80年代では1981年に201系185系、83年にはキハ183系が登場。だた当時の国鉄財政状態の悪化のアイコンとも言えるのが、あくまでも急行用として開発された185系が、途中から特急型という事にされてしまった話である。急行料金と特急料金ではそれなりに差があるからより高い金の取れる特急として運転せよという事だったが、そのため、特急から普通まで使えるという触れ込みが付いた185系は完全に遜色特急車となって不評を買ってしまった
更にはその遜色を誤魔化すために新特急なんて言うヘンチクリンな名称まで生れてしまった。


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185系大宮車C3 編成 「湘南ブロック」時代の2016年12月・原木~韮山間

80年代に入って201系や185系の登場、更には東北新幹線開通もあって首都圏でも風景の変化があった。更に東海道新幹線で100系がデビューした85年あたりになると民営化後を見据えて作った様な車両群が登場し、全国レベルでその風景に変化が加速した。
1980年代初頭までの時代でいえば、ステンレスカーは東急の専売特許みたいな所があり、他では南海・京王・静岡鉄道・各地の地下鉄が導入していた位だった。



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205系日根野車 205系でも西と東では前面が少し異なる 2015年・上野芝駅付近にて

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千葉時代の211系、2012年2月・佐倉~南酒々井間

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本当にギリギリで国鉄形という213系 2018年11月・備中箕島~早島間にて

1985年以降はステンレスの時代に突入した。80年代に入ると軽量ステンレス構体が登場し、鋼製車体に比べて若干でも軽量化出来てしかも全体的な溶接が不要で納期も短く出来て、更には塗装の手間も要らないという事でステンレスカーが一気に勢力を伸ばし始めるのであった。
当時国鉄財政は火の車でありながら民営化後を睨んで、発足するJR 各社の初期投資負担を減らすという事も重大事とされていて、首都圏を中心に老朽化や陳腐化の始まった古い車両を交代させたいという狙いで新車をある程度纏まった数で急いで導入する必要に迫られた。


そこで国鉄は東急車輛に対し「205系を大量発注してやるから、その代わりにステンレス加工に関する技術情報を公開しろ」というディールを持ち掛け、東急車輛サイドも渋々このディールに応じた。そしてこれが鉄道車両の歩みに於ける大きなターニングポイントにもなったのである。
非常に硬度の高い合金であるステンレスの加工は鋼鉄やアルミのそれに比べて難しく、鉄道の様な大型の物になると余計に難しかった。これに対し東急電鉄と東急車輛は挑戦を重ねて軽量ステンレス構体を編み出したが、これは1社独占の技術でありこのままでは広範囲に普及させる事は出来なかった。


東急車輛が国鉄に歩み寄った事で、最期の2年程の間でラストスパートを仕掛けてある程度の数の新車を導入出来たのだが、205系、211系、213系、415系後期形、キハ185系、キハ31・32・37・38・54形といった辺りの、国鉄末期型ともいわれる一連の車両達の大部分には軽量ステンレス構体が用いられたのである。
それから30年近い年月を経て2012年に東急車輛の鉄道関係部門はJR 東日本に買収されて現在の J-TREC =総合車両製作所になったのである。

意外な長期戦になったこのネタもラストスパートに向けて、其の六へと続く!




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去る5月11日、今や草加名物ともなったミュージックレインボー Vol. 83 が開催された。数日前の時点では空模様が心配されたが、その日が近付くにつれて予報も良い方向に変わり実際にもかなり良く晴れた時間が多かった。

当日12:30から始まったこのイベント、出演者の出身地も関東だけに留まらずそれこそ北海道から沖縄まで多岐に渡る。そして何と言ってもこの日は後半に「プチ九州フェア」とも呼べる時間帯が形成されたのである。ゆきこhr 嬢=宮崎出身、田中ミズホ嬢=佐賀出身、ほのかるび嬢=長崎出身という訳で、出演者が 3人続けて九州出身者というのはこの手のイベントでも稀なケースだが、それが15時40分から17時20分頃まで大凡100分続いたのであった。


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ゆきこhr 嬢はこの日がミュージックレインボー初登場!
やっちょんなぁ~、やっちょんよぉ~」という訳で、小生もこれのために草加に足を運んだ様なものだった。その途中、国道4号でDQN な軽自動車に攻撃を食らいそうになったが寸での所で何とか交わして予定より早めに現着出来た。
彼女はSHOWROOM 配信をしていて(そういう御仁をSHOWROOMER とでも言うのだろうか?)、その中でも音楽部門上位ランカー(プロのカテゴリ)でもある。このMR で司会進行をしているぼんちゃんという方もSHOWROOM ラジオ配信部門にエントリーして活動している(アマチュアカテゴリ)という事で、その方の強い希望でこの日の出演が実現したという模様である。


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彼女の出番の時は運悪く雲の多い時間帯が出来てしまったが、初夏の夕方前の光線に照らされたタイミングの画像を中心に選んで載せている。
川崎や町田とは違う絵が撮れたのは小生としても嬉しい限り。


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この日のゆきこhr嬢だが、通常の25分ステージの後でMC のポンちゃんさんとのトークセッションもあったので、出番は40分弱と長めになった。
若し上田利治氏が今も御存命であったなら、「ええで、ええで」を連発したかも知れない。(適当)(古っ!)
ここ最近は福岡・大阪・札幌等で小規模ながらもライブを開催する等してその活動範囲を広げて来ている。そんな彼女に対して小生も2月末の川崎(いさご)で4ヶ月ぶりにご対面となったが、3月4月はチャンスが無く、5月になってその分を取り返すかの様に4日=町田ミュージックパーク・11日=草加ミュージックレインボー・18日=川崎いさご通り~という訳で 3週末続けてのご対面となった。





折角なので、残りの2人についても取敢えず紹介して行く事にする。

tnkmiz@sok01  tnkmiz@sok02

tnkmiz@sok03  tnkmiz@sok04

田中ミズホ
1995年8月5日佐賀県(鳥栖の辺りか?)生まれで、実家は2014年まで30年程パン屋を営んでいたのだとか。2016年までは福岡を拠点に活動していて、東京エリアにも年数回出現していた模様だが、2017年春東京に移る。
本人によると、「自分が知らないものが東京にはたくさんあって東京の音楽も面白いと感じて、足を突っ込んでみようと上京を決意した」との事で、東京で歌う様になった時に、福岡と大きく違うと感じたのはファンのマナーだったのだとか。
現時点ではアマチュアカテゴリだがSHOWROOM 配信をしている。


hnkrb@sok01  hnkrb@sok02

hnkrb@sok03  hnkrb@sok04

ほのかるび
かるびは焼肉のカルビに由来する。彼女の母親が肉類を苦手にしていて、焼肉とは無縁な幼少期を過ごしていたが、中学生時代の部活の打ち上げで初めて焼肉を食べた折にカルビでテンション上がってしまい、それ以来あだ名もほのかるびになりその後にはカルビになってしまったらしい。そして音楽活動を始める時に芸名も「ほのかるび」にしたと言っている。(そこまでするか、普通…)因みに好きな動物は鰐だとか
現在は主にライブ活動と並行して、ようつべで自身のチャンネルを開設して毎日に近いペースで投稿中。


見ての通り、プチ九州フェアの時間帯を中心に良く晴れた時間が続いた。しかし、ゆきこhr嬢の時は何故か雲の多い時間が出来てしまった。実を言うと、「いさご通り~」等でも彼女の出番になって曇られるというケースも結構多い。



丁度その頃は玉川高島屋で、下旬には日本橋高島屋で九州物産展が行われていた。物産展というと北海道と九州は鉄板ネタらしくどの場所でも毎回結構な盛況になるらしい。小生、件の高島屋での物産展に繰り出す事は忘れなかった。お目当ての燻製屋のブースが出ていたからである。
その御目当てとは唐津市に所在する燻や」(有限会社たなべ屋)である。


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合鴨ロースのスモーク、これで1枚1600円程度。値段はかなり高めだがそこら辺で売っている安い物とは訳が違う、しっかりとした肉の味と燻製フレイヴァーが主張していて、手作り少量生産でなかなかの逸品である。ワインのあてとしても素晴らしく、小生の推しでもある。

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通販では手に入らず、こういうイベントで直に買うしかない幻の逸品其の壱は合鴨ロースの生ハム!
スモークよりさらに高価(一枚2500円程度)だが、スライスして脂が溶け出す温度になるのを待って食べると熟成の効いた赤ワインにはピッタリ!
まだ出会って2年位だが、既に小生のハートを掴んで離さない。


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スルメイカの開き燻製、見ての通り丸侭一杯のスモーク。今月前半の玉川高島屋でのフェアにて初購入したが、白ワイン・シェリー・日本酒のあてとして大活躍で、こちらにも小生ドハマり。下旬に日本橋高島屋で行われた九州展で再度購入。これも一枚で1300円前後する。


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日本橋高島屋の九州展で購入したこのレモンは、佐賀県の岡屋Farm&Ily が低農薬で生産する「宝韶寿」(ほうしょうじゅ)という品種。日本で生産されるレモンはその殆どが海外品種だが、この宝韶寿は日本生まれとの事。爽やかさやシャープさは少ないが、香りがやや甘く酸味も綺麗でまろやか
ジントニックで使うのも良いが、小生的にはジンリッキーがお勧め。(ジンは良い物を使う事!)
通年出荷可能だという話で奇跡のレモンという謳い文句まで付いている。このレモンを使ったジュース・シロップ・アロマオイル等の商品はMuta Pattano (ムタ・パターノ)というブランドで販売されている。




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