伊豆箱根鉄道のNo. 1 撮影地で富岳バックと洒落込んで見事に曇られたのが2016年12月、それ以来2年程リヴェンジのチャンスは待たなければならなかった。
2017年は一度もなく、2018年も 3月に EF66-30 を追い掛けた序に牧之郷付近で少しだけ撮っただけであった。
そして件のリヴェンジマッチ敢行は2018年11月半ばと相成った。静岡方面に行く機会があり、その序に午前中三島に寄ろうという訳だった。3000系第1編成が 6月の時点で軌道線カラーに変えられていたのだが、小生がそれを知ったのは秋になってからだった。
駿豆線には185系5連の特急踊り子が乗り入れているが、この春からはE257系による置き換えが進む事になっている。置き換えを機に駿豆線撮影の醍醐味の一つでもある踊り子乗り入れの光景も見られなくなる可能性がある。
この日の天気はズバリ快晴!ただ、11月半ばだったとはいえ既に暖冬傾向、よって富岳を飾る雪は少なかった。そして、陣取ってから15分程度でこの日のメインターゲットもあっさりゲット。
この軌道線カラーだが、去年が駿豆線開業120周年だった事を記念してのものらしい。伊豆箱最古の路線は1898年に豆相鉄道によって開業したこの駿豆線。(BenRiach =ベンリアック蒸留所と同い年になる)
その8年後=1906年に駿豆電気鉄道が軌道線を開業させるが、これが静岡県内初の電車営業でもあった。この軌道線は三島六反田電停(現・三島広小路駅)から沼津駅前電停まで旧東海道(現在は県道145号沼津三島線)の上を走っていたらしいが、1963年にモータリゼーションの煽り等を受けて廃止されてしまった。
1912年に駿豆電気鉄道は豆相鉄道(伊豆鉄道)を吸収し、その後1916年に一旦富士水力電気という電力会社に吸収されるも、数ヶ月で駿豆鉄道を設立して独立し現在の伊豆箱の基となる。
2年ぶりに撮った1300系西武復刻塗装。小生にとって幼少期から見慣れた西武101系・301系のカラーだが、701系・801系・401系・2000系・9000系は塗分けの無い黄一色である。3000系も元々は101系カラーだったが1996年から黄一色に変えられてしまい、新101・301系もいつの間にか準末期色となった。
この1300系に於いてはドアがステンレス無地なのも忠実に再現されている
ドアが赤いのが特徴的な3000系第3編成。
この時は電車移動だったので新幹線のダイヤの関係で1時間弱しか撮影出来なかったが、それから約3ヶ月、今月に入って静岡に行く事となったので、朝から寄り道して挑戦する事となったが、この日は車で東名・新東名を飛ばして現場に向かった。
天気予報は昼頃迄は晴れで間違いなく午後から下り坂で曇るという話だった。現場に行ってみると、本当のクリアな青空とまでは行かないまでも、撮り鉄的には全く問題の無い状態だった。
再び出会った3000系軌道線カラー。富士山頂に小さな雲が現れ始めているが、この時点では外国語でよく見かけるアクセント符号みたいにも見える。空自体も少し湿気ている感じでコントラストが低い。
こちらも2回連続でお目にかかった3000系第3編成。富士山頂付近に雲の塊が出来始めているのが判る。
笠雲が山頂に現れ始めた、こんなに判り易い笠雲をハッキリ捉えたのは記憶にない。こんなにしっかりした笠雲までバックに入れて撮れたのは奇跡かも知れない。
この編成は有名ドラマ「逃げるは恥だが~」(2016・新垣結衣嬢主演)のロケにも使用されたらしい。今年に入って1月7日~2月24日までスマホゲーム「刀剣乱舞 on line 」とのコラボトレインとして運行されていた事もあり、この撮影時点では少々賑やかな状態だった。
7000系第1編成三島行きが通過したが、笠雲は更に太りだしていた。
ドアの部分だけ広告ラッピングになっているのは最早伊豆箱の御約束みたいになっている。7000系第1編成のドアは缶コーヒーの広告(サ〇〇リーのB××Sというブランド)が付いている。
顔だけ真鍮色になった第2編成はOver the Rainbow 仕様ラッピングにもなっているが、真鍮顔の状態では捉えられていない。
この日は90分程度撮影した後、12時丁度にこの地を後にして伊豆縦貫道・新東名経由で静岡に向かった。長泉沼津以西の新東名を走ったのは初めてだったが走り易い道だった。午後の静岡は一気に曇りだして16時頃には雨が降り出した。
帰りの東名は予想通り横浜町田~秦野中井間で15kmを超える渋滞。秦野中井から海側へ逃げて1号BP 経由のルートに変更したが、茅ヶ崎界隈大渋滞、新湘南BP を抜けた先での国道1号が戸塚警察署(横浜の方)を先頭に断続で15km渋滞という具合にどうにもならない状態だった。ここ数年神奈川県内の主要道路の渋滞は酷くなるばかりの気がする。
東海地方のローカル私鉄と言えば、この伊豆箱以外にも伊豆急行、岳南電車、静岡鉄道、大井川鉄道、遠州鉄道、豊橋鉄道、三岐鉄道、養老鉄道が存在し、所謂第 3セクターも複数存在する。
伊豆箱は大部分が、静鉄、遠鉄は全車自社発注である。運行頻度も地方私鉄としては高く、私鉄としてのレベルは悪くない。
伊豆急は東急の孫会社で、東急8000系が幅を利かせる様になってしまったが、「東の塩害大王」2100系も 3編成残存し更には特急踊り子や伊豆クレイルも乗り入れる。
三岐鉄道三岐線の電車はすべて西武OB であるものの、会社自体が太平洋セメント系列であることから貨物列車という武器がある。加えては近鉄から北勢線を引き取りナローゲージもその見所に入れた。
豊橋鉄道渥美線では懐かしの東急7200系がカラフルトレインとなって走っている。
関西の様に大手・準大手の猛者達がひしめき合い鎬を削る様な場所ではないが、東海地方は静かにローカル私鉄王国していると言って過言ではない。
関連記事=EF66 The Greatest! Part 3 ~EF66生誕50周年~
さよならの後は… June of 2012 伊豆箱根鉄道1100系
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2017年は一度もなく、2018年も 3月に EF66-30 を追い掛けた序に牧之郷付近で少しだけ撮っただけであった。
そして件のリヴェンジマッチ敢行は2018年11月半ばと相成った。静岡方面に行く機会があり、その序に午前中三島に寄ろうという訳だった。3000系第1編成が 6月の時点で軌道線カラーに変えられていたのだが、小生がそれを知ったのは秋になってからだった。
駿豆線には185系5連の特急踊り子が乗り入れているが、この春からはE257系による置き換えが進む事になっている。置き換えを機に駿豆線撮影の醍醐味の一つでもある踊り子乗り入れの光景も見られなくなる可能性がある。
この日の天気はズバリ快晴!ただ、11月半ばだったとはいえ既に暖冬傾向、よって富岳を飾る雪は少なかった。そして、陣取ってから15分程度でこの日のメインターゲットもあっさりゲット。
この軌道線カラーだが、去年が駿豆線開業120周年だった事を記念してのものらしい。伊豆箱最古の路線は1898年に豆相鉄道によって開業したこの駿豆線。(BenRiach =ベンリアック蒸留所と同い年になる)
その8年後=1906年に駿豆電気鉄道が軌道線を開業させるが、これが静岡県内初の電車営業でもあった。この軌道線は三島六反田電停(現・三島広小路駅)から沼津駅前電停まで旧東海道(現在は県道145号沼津三島線)の上を走っていたらしいが、1963年にモータリゼーションの煽り等を受けて廃止されてしまった。
1912年に駿豆電気鉄道は豆相鉄道(伊豆鉄道)を吸収し、その後1916年に一旦富士水力電気という電力会社に吸収されるも、数ヶ月で駿豆鉄道を設立して独立し現在の伊豆箱の基となる。
2年ぶりに撮った1300系西武復刻塗装。小生にとって幼少期から見慣れた西武101系・301系のカラーだが、701系・801系・401系・2000系・9000系は塗分けの無い黄一色である。3000系も元々は101系カラーだったが1996年から黄一色に変えられてしまい、新101・301系もいつの間にか準末期色となった。
この1300系に於いてはドアがステンレス無地なのも忠実に再現されている
ドアが赤いのが特徴的な3000系第3編成。
この時は電車移動だったので新幹線のダイヤの関係で1時間弱しか撮影出来なかったが、それから約3ヶ月、今月に入って静岡に行く事となったので、朝から寄り道して挑戦する事となったが、この日は車で東名・新東名を飛ばして現場に向かった。
天気予報は昼頃迄は晴れで間違いなく午後から下り坂で曇るという話だった。現場に行ってみると、本当のクリアな青空とまでは行かないまでも、撮り鉄的には全く問題の無い状態だった。
再び出会った3000系軌道線カラー。富士山頂に小さな雲が現れ始めているが、この時点では外国語でよく見かけるアクセント符号みたいにも見える。空自体も少し湿気ている感じでコントラストが低い。
こちらも2回連続でお目にかかった3000系第3編成。富士山頂付近に雲の塊が出来始めているのが判る。
笠雲が山頂に現れ始めた、こんなに判り易い笠雲をハッキリ捉えたのは記憶にない。こんなにしっかりした笠雲までバックに入れて撮れたのは奇跡かも知れない。
この編成は有名ドラマ「逃げるは恥だが~」(2016・新垣結衣嬢主演)のロケにも使用されたらしい。今年に入って1月7日~2月24日までスマホゲーム「刀剣乱舞 on line 」とのコラボトレインとして運行されていた事もあり、この撮影時点では少々賑やかな状態だった。
7000系第1編成三島行きが通過したが、笠雲は更に太りだしていた。
ドアの部分だけ広告ラッピングになっているのは最早伊豆箱の御約束みたいになっている。7000系第1編成のドアは缶コーヒーの広告(サ〇〇リーのB××Sというブランド)が付いている。
顔だけ真鍮色になった第2編成はOver the Rainbow 仕様ラッピングにもなっているが、真鍮顔の状態では捉えられていない。
この日は90分程度撮影した後、12時丁度にこの地を後にして伊豆縦貫道・新東名経由で静岡に向かった。長泉沼津以西の新東名を走ったのは初めてだったが走り易い道だった。午後の静岡は一気に曇りだして16時頃には雨が降り出した。
帰りの東名は予想通り横浜町田~秦野中井間で15kmを超える渋滞。秦野中井から海側へ逃げて1号BP 経由のルートに変更したが、茅ヶ崎界隈大渋滞、新湘南BP を抜けた先での国道1号が戸塚警察署(横浜の方)を先頭に断続で15km渋滞という具合にどうにもならない状態だった。ここ数年神奈川県内の主要道路の渋滞は酷くなるばかりの気がする。
東海地方のローカル私鉄と言えば、この伊豆箱以外にも伊豆急行、岳南電車、静岡鉄道、大井川鉄道、遠州鉄道、豊橋鉄道、三岐鉄道、養老鉄道が存在し、所謂第 3セクターも複数存在する。
伊豆箱は大部分が、静鉄、遠鉄は全車自社発注である。運行頻度も地方私鉄としては高く、私鉄としてのレベルは悪くない。
伊豆急は東急の孫会社で、東急8000系が幅を利かせる様になってしまったが、「東の塩害大王」2100系も 3編成残存し更には特急踊り子や伊豆クレイルも乗り入れる。
三岐鉄道三岐線の電車はすべて西武OB であるものの、会社自体が太平洋セメント系列であることから貨物列車という武器がある。加えては近鉄から北勢線を引き取りナローゲージもその見所に入れた。
豊橋鉄道渥美線では懐かしの東急7200系がカラフルトレインとなって走っている。
関西の様に大手・準大手の猛者達がひしめき合い鎬を削る様な場所ではないが、東海地方は静かにローカル私鉄王国していると言って過言ではない。
関連記事=EF66 The Greatest! Part 3 ~EF66生誕50周年~
さよならの後は… June of 2012 伊豆箱根鉄道1100系
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