Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

2018年06月

このサイトでは5年ぶりの登場となる Taurasi (タウラージ)、南イタリアは夜景で名を馳せ、しかもあの Diego Maradona(ディエゴ・マラドーナ)もいた街としても有名な Napoli(ナポリ)を擁する Campagna (カンパーニャ)を代表する銘醸品である。
イタリアワインでは北の Barolo 、Barbaresco という大スターがいるなら、南の一大看板は紛れもなく Taurasi である。


この生産者 l’Azienda Vitivinicola di Prisco (ラジエンダ・ヴィティヴィニコラ・ディ・プリスコ)= Pasqualino di Prisco の歴史は新しく、デビューは1995年。ラインナップは Taurasi を筆頭に、Fiano di Avellino、Greco di Tufo、Greco di Tufo Pietra Rosa と少なめだが、そこは如何にも Campagna という並び。
このタウラージだが、2000・2001ヴィンテージが日本にも導入され(スポット輸入だった?)高評価だったものの、その後見掛ける事は殆どなくなった。Taurasi を始めとした Campagna のワインはこの国で人気は出ないし、このワインを作り出す Aglianico (アリアニコ)種も認知度が高まらない。


日本での認知度が低いタウラージだが、その中でも Mastroberardino(マストロベラルディノ)、Feudi di San Gregorio (フェウディ・ディ・サン・グレゴリオ)、Antonio Caggiano(アントニオ・カッジャーノ)、Perillo(ペリッロ)、Terradora(テラドラ)、という辺りが第 1 グループみたいになってしまい、新興勢力の範疇に入るこの蔵は少々マイナーである。


taur2kprsc01小生がこのボトルに出逢ったのは嘗て江戸川区内にあったイタリアワイン専門のショップだったと記憶している。ヴィンテージすら背面のラベルにスタンプで押してあるだけというケチぶりには今更ながら恐れ入ったのであった。

さて、肝心のインプレッションに入り、先ず色についてだが・・・、深度のあるやや暗めのガーネット
最初は全体的に篭り気味。鞣革牛レバーという所が出てきてスタート。
そこから徐々に打ち解けて来て、ビターチョコ、カカオニブブラックベリー、カシス、ブルーベリー、ブランデー漬けのレーズンミント
BénédictineFernet Blanca、という辺りが第1グループ

続いてはカラメルタブ昔のヴェルモットCognacクランベリー、
Groseiile
、陽に照らされたコンクリート

呑みこんだ時の跳ね返りの中からは黒胡椒、キュンメルクミン黒文字ラヴェンダー
ローズティー、更には梅酒紹興酒


タンニンもまだまだ強い、それだけでなく酸もしっかりしている。タンニン、酸、果実の完熟感、熟成から顕れる旨味感が先頭交代しながらバランスを保つ。

一旦突き刺さる様なモーションを見せてから、残響の様に広がりそこから五感に染み入る様な形の全体像。
熟成が足らないという事もないのだろうが、それでも真価を発揮するのはあと2~3年先だというであろうか? 各要素が強くグリップしながら複雑でアフターも長いのは言うまでもなく、水平にも垂直方向にもバランス良く広がる。
デビュー6シーズン目にしてこのレベルに平気で達したディ・プリスコのポテンシャルが非常に高い事は明々白々で、日本での入手チャンスが生まれる事を強く希望する。入手時の価格は6000円弱だった様に記憶しているが、最近になっても殆ど高騰してはいない模様である。
フランスに於ける生産量の低下やカリフォルニアの大規模山火事等を受けてイタリアワインに必然的に注目が集らざるを得ない状況下で手を付けるインポータがあって然るべきだと思うのは小生だけか? 今がチャンスでっせ!

最後にお約束のスコアリングだが・・・ 18.5 / 20 は与えて良いか





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今日こそこのシリーズ最終回
Part 7 から年は明けて2018年、実は3月まで京急を撮りに行く事は無かった。小生の中でも飽きたという部分も多少はあったかも知れないが、それ以上に大変な事態が発生。
その時期に小田急で70000形 GSE が試運転を開始したのだが、これは同時に LSE 7000形の最期が一気に迫って来た事を意味していたからである。
・・・てな訳で、小生も年明けから LSE 絶対優先状態にシフトしてしまった。それこそやれ伊勢原だの秦野だの開成だのと何回も東名を走り、帰りは渋滞を避けようと悪足掻きして小田厚(R271)や R1 西湘BP 等にルートチェンジしても結局渋滞に捕まって疲労困憊という様な事を繰り返していたのであった。
(これって秋頃にでも LSE の話やるっていうフリですかぁ・・・?


それでも、3月に入って京急から2000形の引退スケジュールが発表されそうだという話になって、終焉までにもう一度撮っておこうと向ったのは・・・
やっぱりココになってしまった・・・


ただ、空模様については晴れるという確信まではなかった。3月なんて季節の変わり目でもあり、現場に着いてその直後から急激に曇るなんて最悪の事態が起こる危険性も高い時期である。空模様にセンシティヴになりながら高速を飛ばしている間も、彼方此方に雲の塊が見えていたので正直不安であった。
それでも八景駅直ぐのパチンコ屋のビルの駐車場に車を入れて現場まで歩くと、背景の空には流れる積雲達が目立つものの、陽はしっかり照っていて撮影には問題なしだった。


という事で、いきなり本題には入らず先ずは「外道達」の作例から

kq1057@kanzb03

今や ハマの末期色 とも呼ばれる 1057編成
2月まで SR 式列車無線取付工事のために暫く運用から外れていたが月末に復帰。3月7日から5月13日の68日間だけ「しあわせのキイロイトリ」仕様だった貴重な画像という事になろうか?



この日2000形最後の雄姿を狙ってという所でありながら、それらを抹殺した「 京急の一寸変な奴等 」も続けざまに撮れたのはシニカルな事象だったといえるのか?

kq1185@kanzb01

フルラッピング車= 1185編成 はこの場所での初撮影となった
1000形はこれからフルラッピング方式で通すのかと思いきや、塗装という暴挙?に出たため、このエディションも今のところ2編成だけというレアな存在になっている。
(「今のところ」といったのは、将来既存の ステ千 もこういう風に変えられるかも知れないからである)


kq1801@kanzb01

2400番台車を駆逐した 1800番台 、これが初撮影
1800番台 は4連が3本というレアな存在だが、何故こんな物を中途半端に作ったのか未だに疑問である。


この日は当然の如く2061 2011 両方が運用に就いていて、先に2061、後から 2011 を狙うという手筈になっていた。
ここではエア急及び普通と快特ではカメラの設定を変える。その理由は快特が飛ばしてくる反面、エア急と普通はこの区間で飛ばして来ないからである。

しかしこの日はそれが途中からいつもと様子が違う感じになって来た。ハッキリした事は判らないが、どこかでダイヤが狂った可能性があり、エア急まで一寸飛ばすようになってしまった。それでも高を括ってしまった小生は、カメラの設定を快特用のものに変更せず2061編成に挑んだが、その列車も飛ばしてきていたのでシャッタースピード不足となり失敗。


嗚呼、なんてこった、パンナコッタ 今の聞いた? なんてこった、パンナコッタやって

これ以降エア急快特と同じ設定で撮る事にして、新逗子からの返しの後追いは何とか決めて少しでも無念を晴らそうと気持ちを切り替えた。


kq2061@kanzb41

15時近くになると背景に目立っていた雲も減って青空が広がる様になった。
羽田方面に走り去る2061はこんな絵でも何とか撮影し、最低限のリヴェンジは叶った。
逗子線からの上り列車は4番線から文庫に向うため、窮屈なアングルを強いられるが、手前の引込線に事業用車等が居座っていなかったので何とか撮影出来た。


これであとは 2011 を待つ事となった。

kq2011@kanzb41

こちらは失敗せずにキッチリ撮れた。
普段ならこの返しなんて無理して撮らないのだが、シャッターチャンスがもう最後かも知れない上に返しまで約30分とあれば、言うまでもなくそこまではステイ
2061の返しの出来を参考にしながら構図を調整し、待つ事約5分・・・


kq2011@kanzb42

まあまあこれでも納得の出来で撮影を締め括る事が出来たのは良かった。そして、これで別れを告げる事になってもまぁ仕方がないとは思えた。


そして月末25日の引退記念運行から28日の運用離脱までの4日間だけ 2011編成 がヘッドマークを付けて走るというので、最後の一足掻きでそこも何とか押えようと思ったが・・・
如何せんチャンスは4日間と少なく年度末の忙しい時期でもあってそれは叶わなかった。そして御存知の通りに28日夜の久里浜行き快特を以て運行終了となり、かくして小生のこの形式を追っての旅も終わってしまった。


この2011編成の数奇な?車歴だが、1701編成に命を救われる格好となったと前に述べた。1701編成が2012年9月に追浜~田浦間で土砂崩れで被災、復旧叶わず廃車になった事は有名だが、これで2014年からの2000形代替のロードマップが修正を余儀なくされたと指摘する説もある。
そして、このズレがこの編成の延命に繋がったとすれば、試作がてら作られた第1編成が最後まで残るという事と併せて大いなる皮肉だとも言えるのではないか。

若し、同世代に当る京阪6000系の様なフロントデザインだったら今日この日も走っていた可能性は充分にあったと思われる。少なくともエア急に幽閉されて終るという中途半端な寂しい事はなかったであろう。



結局8回に渡る事となったこのシリーズだが、
悼尾を飾る1曲として小生は、Mr. Big (ミスター・ビッグ)の1996年のナンバー " Stay Together " を捧げる事とした。

この曲は同年にリリースしたベスト版である " Big, Bigger, Biggest !  The Best of Mr. Big  " の中に未発表曲として挿入されたものであった。このコンピレイションアルバムだが、不思議な事に日本版だけ曲順と曲数が異なる。因みにこのアルバム、日本での売上は約100万枚に達している(

この曲の PV がようつべにもあるのでこちらにリンクを貼る

It’s a shame that our paths should have crossed so young
Who’s to blame for the tears and damege done
All I know is I can’t forget the time we had, and I’m sorry if it turned out bad
Even though I want you, even though I need you
Even though my heart is screaming still believing we could fall in love
Even though I want you, even though I need you
Even though we won’t find better, we can’t stay together


Tell me why there were secrets you never told, oh, no
It’s a crime the cliche of a love gone old
All I know is I’ve given all I can to you, and there’s nothing more that I can do
Even though I want you, even though I need you
Even though my heart is screaming still believing we could fall in love
Even though I want you, even though I need you
Even though we won’t find better, we can’t stay together


It’s all right, happiness only comes to few, but in time, you may find it in someone new

Even though I want you, even though I need you
Even though my heart is screaming still believing we could fall in love
Even though I want you, even though I need you
Even though we won’t find better, we can’t stay together
Stay together..., stay together..., oh, no



現在2051編成は久里浜で解体中の模様だが、2061 2011編成 はまだ解体に入っていない様である。高松琴平電気鉄道(ことでん)では嘗て2000形が置換えた600形(先代)が大魔改造を受け1070形として、700形1200形1000形(旧)1080形・1300形として在籍している。2000形をことでんに譲渡して1070形(既に還暦!)を置換えるというのも良いだろう。2061編成から両先頭車と中間車2両を取り、中間車の先頭化改造と機器組換えを行えば、2連が2本作れるのでこれでピッタリ置換えられる。
仮に若しこれが実現すれば32年前の様に行った置換えを今度は香川で再現出来る事にはなる。




私鉄無料 2ドア特急車の行方は?
京急では 2100形 によって置換えられた2000形は一般車に改造されてしまった。京阪では 1900系 が同パターン。そして、阪急では6300系は 2ドアを貫いたものの 3ドアの9300系に置換えられた。
その一方、 京阪3000系(Ⅰ) は生涯 2ドアを貫き、未だに富山の地で走り続ける。そして 1両が有料化(プレミアムカー)してしまったが、基本的に乗車券だけで乗れる 8000系 偉大と言うべきであろう。ただ、関西私鉄でもホームドア設置は進んで行く可能性はあるし、そうでなくとも 2ドア故の使い辛さはどうしても付き纏う。
これからを考えると、こうした 2ドア無料特急車が何時まで走り続けられるのかは予断を許さない。



kh800608a
京阪8006F・8008F =2017年11月 西三荘駅にて

hk6354@mib03
阪急6354F 京トレイン=2017年8月 茨木市~南茨木間

kq2117@kang01
京急2117編成 =2017年5月 仲木戸~神奈川間

Thanks for Reading!



)Eric Martin(エリック・マーティン)、Billy Sheehan (ビリー・シーアン)、Paul Gilbert (ポール・ギルバート)、Pat Torpey (パット・トーピー)の4名で L.A. にて結成され1989年にデビュー。1999年にメンバーチェンジがあり、2002年には一度解散してしまうが、2009年にオリジナルメンバーで再結成し今に至る。
これまでにスタジオアルバム=8タイトル、ライブアルバム=12タイトル、コンピレイションアルバム=5作をリリースし、" To Be With You "、" Green-Tinted Sixties Mind "、" Just Take My Heart " 等のヒット曲を持つ。
今年2月に P. トーピー(ドラム)がパーキンソン病で死亡している(享年64)



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昨日6月21日に都営地下鉄浅草線(小生位の世代だと都営1号線と呼ぶ方がしっくり来る)と京急との相互乗入開始から50年周年を迎えた。
京急線内に於ける都営車の運用は主に泉岳寺~羽田空港間という事になるが、1981年までは急行運用で京急川崎・羽田空港(旧駅=現・天空橋)までの運用だった。81年に新逗子への運用が追加された。


そんな歴史もあって、平日のラッシュでは三崎口への運用があったりもしてはいるし、エア急に入るデイタイムの運用は以前からあった。でもそれは平日に限られた話だった、2017年10月までは
それが2017年10月末以降、その都営車エア急運用が土休日にも拡大していたのであった。


この都営車運用だが、現在その運用に就いているのは・・・
言うまでもなく白い悪魔こと東京都交通局5300形
つまり、これは彼の西城秀樹氏も草葉の陰でおったまげぇ~というあのソウルフル and パワフルな絶唱が神奈川県内で土休日も繰り広げられる事を意味している。
歌うといえば SIEMENS 社製の機器を積んだ2100形や1000形がその代名詞だったが、それは絶唱というより軽やかに歌うという感じだったか。しかも機器更新で歌う事すらしなくなった。
これに対し、東京都5300形はさすが悪魔の名に値する程のパワフルサウンドを奏でて、絶唱という言葉はこちらが相応しい。


bttm5308@kanzb01

41T 運用で土休日の絶唱を本格的に開始して間もなくの撮影=2017年11月上旬
土休日デイタイムの都営車運用がある事を知らずに、陽も下がって来て後どれ位撮影出来るかと思っていた所にやって来てビックリ。


ただこの車も2020年を目安に全て置換えられる模様なので、この絶唱も長く聴けるわけではない。土休日にもチャンスが拡大した今こそ、神奈川県在住の御仁達もこの最後の絶唱を聴き惚れるが良い!
京急の沿線は住宅地多いのに土休日も絶唱されたら迷惑だって? そんな野暮は無しですぜぃ~!




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遂にこのネタもこれで最終回という筈だったが、急遽分割する事にしたので Part 8 まで製作する事となった。決して最終回詐欺のつもりはない。
時は2017年の秋まで進んだ。この時期になると2000形もそう長くはないとは判っていたから、最後の一足掻きとしてチャンスを見出して撮りに行くしかなかった。


kq2011@tsmg32

10月1日、この日は久し振りに EF67-27 が5097レに入り午前中に鶴見川を渡るというので、勿論それが最優先。件の ニーナ殿 は快晴の下で無事押えた後、延長戦として京急側に移動。そこで2011編成を撮影と相成った。
しっかり晴れてはいたのだが、背景の空には早くも雲が出始めた。この日は当初、一日を通して良く晴れるという予報だったのだが、昼過ぎから完全に曇り。如何にも不順な10月を予感させるスタートになってしまった。


この月は台風直撃が2回に加えて秋雨前線が強くて長雨も酷かったから、中旬以降はシャッターチャンス自体が殆ど無かった。

kq2011@tsmg33

月も変って11月半ば、かなり綺麗な青空の下で改めて 2011編成 を捕える事に成功。10月1日のものとはエライ違いである。
小生の場合、下がれるだけ下がって60~75mm相当あたりの画角で撮っていたが、前へ出て撮っている人間もいた。ただ、鶴見川という看板があってそれが障害物になってしまい、この場所に於けるアングルの自由度を著しく下げている。


この年の12月は ゼロロク様 のシャッターチャンスに恵まれた月だった。その序として、 ゼロロク様 の後の10時台は京急狙いというパターンになった。( EF66-0 番台の話は機を改めるが)

kq2051@tsmg32

12月9日、 EF66-27 を撮影した後に2051編成 
空の青さも際立つが、線路脇の白い建物の写り込みも凄い この日撮影出来た2000形はこの1本のみだった.。この日は、こちらも終焉が近付いた東京の白い悪魔ちゃんを撮影しようと京成の中川の鉄橋まで一気に北上してしまった。



2017年も本当の終わりが近付いた。この年最後の京急撮りもやはり鶴見川の鉄橋だった。この時も勿論偉大なるゼロロク様の序という形ではあったものの、クリスマスも直前に控えた日の事だった。

kq2061@tsmg33

10時前に今は亡き EF66-30 を撮影した後、京急側に移動して10時半頃に2061編成を撮影

運用情報サイトで 2011編成 は11時過ぎの通過というのを確認すると、一旦貨物線側に戻り10時50分頃の桃タキを撮ってからこっちに戻っても間に合うの違うかという事で・・・、機材を担いで走って堤防も昇り降り

210110@tsmg01

カマは110号機、休日だったが結構な長さも確保されていたのはポイント高し(冬季以外は土休ウヤ)
別に撮らなくても良いような列車かも知れないが、2016年以降貨物列車を撮る機会が激減した小生なので、この際序に桃タキでも一応撮っとくかという事だった。因みに、このスジが3月のダイヤ改正でブルサンタキに変った上に、EF210 新塗色化 107号機 を皮切りに開始になったのでこの絵も近い将来に貴重な絵になるかも知れない?


さて残り時間は 8分、撤収を急いで護岸を走り、途中で一旦階段を登ってそこから土手の道に飛び降りるという下半身に堪える様な事をやって、何とか京急側に戻りセッティング


kq2011@tsmg34

2分程度の余裕を確保し、そして無事に 2011 も確保
この日は5097レの待ち時間も入れて2時間+α 程度だったが、その中でまこと偉大なる ゼロロク 様、しかも 30号機 からの~2000形2本という釣果でも充分に思える程で、小生にとっては結構大きなクリスマスプレゼントとなった。2017~18に架けての冬が非常に寒かった事はもうお忘れかも知れないが、寒風の中で待ち続けてもこれなら報われたと言えるだろう。


その後も少しだけ撮影を続けたら、コイツもやってきた。

kq2133@tsmg02

2133編成が青空に擬態してしまうの巻

製造時の想定に無かった3ドア化改造、これが2000形の寿命を縮める大きなファクターだった可能性は高い。人間でも手術でメスを入れると体力が元に戻らないというケースは結構多い。それど理屈は一緒と言えるかも知れない。
京急自体、この形式の事を如何考えていたのかが判然とし難い所もある。一般車化改造でその立ち位置が中途半端になったのは明らかで、VFD 制御への変更や、更には貫通化改造があっても不思議ではなかったのにそれもなされなかった。
機器更新や改造を行いつつ使い倒すより、安い新車に切り替えた方が合理的という時代に入ってしまっていたという背景があるのは言うまでもないが・・・。


次こそさすがに最終回、クライマックスの Part 8 へ!



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多くのイベント会場では手荷物検査は実施されている。マスゴミは国家権力の移行を忖度して直ぐ不安や恐怖を煽る。
この二つ、一見繋がらない事柄にも見えるが今、新幹線での手荷物検査待ったなしという論調で大いに盛り上がりかけていて、既に「抜き打ちでなら直ぐに実行できるから、明日からでも行うべきだ」という論理が拡散してしまっている。そこには、一般大衆の一寸した脅しにも弱いという部分に付け込まんとする警察権力の意向が見え見えである。


流動化と不安定化が止まらない今の世界に対して漠然と抱いている不安に付け込んで議論をミスリードさせたい勢力(普通に考えれば警察権力とその取巻きども)の思う壺に嵌ってはならないが、早速その壺に嵌ってしまった奴らもネットを見ていると相当数いる様である。警察の偉大なる将軍様達がこれをチャンスに出来るとこっそりほくそ笑んでる光景すら想像出来る。

逃げ場がないから手荷物検査を徹底すべきだという論理には強引さが見える。新幹線の場合、飛行機と決定的に違うのは緊急停止すれば逃げ場を作る事は可能で、墜落の危険性もない。
パニックを煽るマスゴミもクズだが、通り魔事件の一種がたまたま新幹線の中で起きたと考えるのが一番妥当なのだろう。そもそも、大多数の人間達は新幹線の安全性に過度な期待と要求をしていないか?、もしそうならそれこそ一つの御花畑ではないか。


恐怖や不安を煽るのは古今東西どの政権でもよく使う常套手段ではあるが、近年ではやはりアメリカのブッシュ(2号)政権下、2001年9月の所謂「911」直後にやった情報操作や国民洗脳の数々は記憶に新しい。その当時のアメリカ社会は健全で合理的な判断能力を欠いてしまったと思われる部分は大きかった。(アメリカ社会にそんなもの端から期待するなという向きもあるが)


n700n3@mgmz01

安全対策強化でとなれば、警察がドンドン首を突っ込んで来るのは必然である。
ただでさえも、ラグビーW 杯やオリンピックを控えて警察、特に公安は此処が一大チャンスとばかりに、権限の大幅拡大強化と予算獲得に躍起になっているのは明白。


抜き打ちなら良いとといってやった場合、どうしたって公平性は欠く。公平性を欠くというのを越えて、幾らでも恣意的に行えてしまう。そこはまさに警察権力の18番である。抜き打ちを装って特定の思想信条信仰を持った人間を狙い撃ちという事も簡単に出来るのである。
これを利用して警察が何をやらかすかは想像が付くというものである。兎に角ドンドン身柄を押えて取り調べをやらせろというのは明白。国民の全てを監視統制したい勢力が勢い付けば、将来的に中獄や北朝鮮の様な国に堕ちてしまう事も覚悟せねばならない。


鉄道で手荷物検査を実施している国は中獄やインド等の例はあるが、中獄は元があんな国であるし、インドは治安が悪くテロや紛争も多い国である。
テロがアレだけ頻発する西欧諸国でも鉄道で手荷物検査を行う例は非常に少ないはずである。イギリスは国際列車で実施しているがそれは入出国審査の一環と考えるべきである。(同国は所謂シェンゲン協定に加入していないという事情がある)


安全性という錦の御旗を振りかざしたらそれは際限なく広がってしまう可能性は高い。在来線の特急や快速の様な速達性の列車、高速バス、海上ならフェリーといった各種交通機関まで手荷物検査を広げろという事になってしまう。各種事業者で対応するにも限界はあり、しかもその負担は恐ろしい事になるのも容易に想像が付く。
そして今回の事件の様な事は埼京線でも大阪環状線でも普通に起き得る。これ位の事件なら3分もあれば起せるのである。
20代以下は知らないと思うが、1995年3月サリンが撒かれたのは新幹線ではなく霞ヶ関を通る地下鉄であったのだ。だが、その際に地下鉄で手荷物検査をやれなんて言い出す奴はいなかった。その5年後に「西鉄バスジャック事件」が起きた時も同様だった。


利便性の問題は大事だが、利便性とセキュリティの二者択一という問題に摩り替えさせてはならない。移動の自由が脅かされるという危険性も考えなければならないがもっと突っ込むと、プライヴァシーとその中にある思想信条や信教の自由等という極めてセンシティヴにして権力の規制から一番遠い所にあるべきものにまで何時でも簡単に手を突っ込める社会にしたいのであろうか。我々国民は常にこういう所まで考えなければならないのである。

現政権下で一人一人の権利を厳しく制限し「公共の福祉」を全てに優先させろという風潮が作られつつある今の日本だからこそ、錦の御旗が振り翳されても、それに騙されない様に性急な議論は慎むべきである。

今回のこの事件でまだ他にほくそ笑んでいる奴等がいるとすれば、JR 東海の怨敵である JR 東日本とその敬虔な信者達であろう。




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