Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

2018年01月

今回フィーチャーするドメーヌ、Yves Cuilleron (イヴ・キュイユロン)といえば、ローヌ北部でも最大級の規模を誇り、尚且つ白の作り手として有名で、その本拠はローヌ屈指の白ワイン銘醸地であるCondrieu (コンドリュ)近くの Chavanay という所にある。
同氏は1961年生まれで、ブルゴーニュでワイン作りを学んでから20台半ばで伯父のドメーヌを引き継いだ。それから約30年、所有する畑の面積は60ha近くにまで増えている。
この蔵は辛口主体になっていた Condrieu 貴腐ワインを復活させて一躍スターになった事もあり、白ワインのイメージが強いが、元々Saint-Joseph (サン・ジョセフ)の赤も手掛けていた。更に1990年代以降は Côte Rôtie(コート・ロティ)に進出したのを皮切りに赤ワインの生産でも名声を得られる様にもなった。
ここの特徴として、同じアペラシオンで数種類のキュヴェが出ているのは当り前で、兎に角キュヴェの種類が多くて一寸ややこしく感じられる事もある。


今回取り上げるSaint-Joseph blanc Lyséras は、この蔵が得意にする Saint-Joseh の白ワインの中でも上級品としてMarsanne(マルサンヌ)Rousanne (ルーサンヌ)種の混醸で作られるワインで、木樽で発酵した後に9ヶ月程の樽熟成を施される。

sjlyseras2k5a

摂津→箕面→西宮市と移転したあのインポーターの直営店で購入したこのボトルだが・・・(テイスティングは去年10月)

色はゴールドに近いイエロー、予想したより若い感じに見える。
そこから拾い出せたエレメンツを挙げて行くと、蜂蜜ジャーマンカモミールヘリクリサムオレンジピールグレープフルーツ乾草ミラベル洋梨白桃
そこから副次的に微かにフレッシュな苺リコリス、ムスクという所が付いて来る。
酸は比較的しっかりしていて、その為か躯体が急に崩れる気配は見えない。
Saint Joseph において、はともかくについて中長期熟成というのはしっくり来ないという予断があるせいか、12年という年数には一抹の不安もあったが、それは全くの杞憂に終った。
時間を経ても崩れなく、最後まで心地よくしっかりテイスティング出来た。しかもタッチにきついところは無い。
ボディは厚いと感じられるが、タイトではない。適度な柔らかさを以て接してくる。イイ感じの緩さという事になろうが、諄さには繋がらない。長さもそれなりに確保されている。
まだ少なくとも数年は持ち堪えてくれるだろう。購入した店のスタッフさんもこの点については「まだまだ全然ピンピンしてますよ」といっていたがその通りだった。ここの作る Saint-Joseph は紅白問わず優れている事が改めて判った。
因みにの方でも20年経ったボトルがまだピンピンしてきちっと熟成しているのも確認している。


Les Meilleurs Vins de France 的な感じでスコアリングしてみると・・・、17.5 / 20




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デビューから15年以上が経った今も増殖が止まらない京急1000形、製造数も初代の356両を越えて、遂に400両の大台に乗ったのである。まさに「1000形のどこまでやるの?=千どこ」という状態になっているが、京急この車両を鉄道界の欽ちゃんにでもする気なのだろうか?

それはともかく、去年末更なる笑撃的展開があった訳だが、ステンレス車体ながら全面塗装を施した17次車が登場するというものだった。
納車前の6連車が川重に留め置かれていた動画がウェブに上がっていたので、それを見た時点で、新しい奴はラッピングではなく塗装に違いないと感付いた。ドア枠窓枠まできっちり カラーリング されていたからである。(京急の公式発表より前である)
J-TREC 製造分の1201編成はフロント部分以外を納車後に久里浜で塗装したのである。


今回の塗装ステンレス車導入についてだが、賛否両論があるというより、批判的な意見が目立つ。
「塗装による環境への負荷を無くす為にステンレス車体にしたのに、それを今更塗装するというのはおかしい。」「こんなに彼方此方違う車を1000形として一括りにしているのは筋が通らない。」「京急らしさというものが明確でなく、毅然とした態度が見られない」「一部の利用者に媚を売った結果、一貫性がなくなった」
そうした批判的意見の根底にあるのが、「ステンレス無塗装=エコ」という論理だと思われるが、これははっきり言って乱暴すぎる。そんな事を言うのなら、アルミ車体の方が軽量化に寄与して長期的には「エコ」なのではないか?
この論理は恐らくJR を中心とした一部の企業の意向を汲んだ「専門家」と称する連中の刷り込みを鵜呑みにした結果としか思えない。
 

kq1049@jtc02
快特運用に就く1049編成 2017年11月・J-TREC のある所にて

kq1331@jtc01
エア急として走る1331編成 1049編成と同日同所

kq1607@tsmg02
普通運用で浦賀に向う1607編成 2017年12月・鶴見川の橋梁にて

ステンレス車両に塗装を施す事自体について「非常識」等と言って非難するつもりは毛頭無い。南海1000系箱根登山3000形は塗装車体で登場し、EF81-301・302号機は無塗装=銀ガマだったが、常磐線に一時期転属した際に塗装され今もその儘である。JR 九州883系(白くないソニック)も2005年以降、登場時の無塗装からブルーメタリックに塗装されている。


一貫性を重要視するなら、2007年の ステ千 導入時点で一貫性は失われ、その際に形式名を変更すべきだったという事も出来るが、西武6000系だってステンレスとアルミの両方が存在している。あの0系新幹線電車は20年以上に渡って製造される間に仕様変更を繰り返し「0系であって0系ではない」という言葉を生んだ程である事を鑑みれば、一貫性云々というのは余り説得力を持たない様に見える。

塗装したいならアルミ車体に戻すべきだという意見も多いが、それをやろうにも今更出来ない事情でもあるのだろうか?
一部ではこの様な事象を指摘する声もある。それは京急がJ-TREC と手を切る事が出来ないからだという事である。
1950年代以降、それこそ吊掛駆動の500形から京急の車両の製造は J-TREC (旧・東急車輛)と川重で占められている。その一方で西武・東武はアルミ車体導入に際して発注先を東急車輛(現・J-TREC )から日立に変更している。


J-TREC から金沢八景駅を通り神武寺駅手前まで線路が繋がっているが、これは東急車輛の横浜事業所が元々旧日本海軍の工廠だったので、武器輸送のため京急逗子線の線路を接収していた時代があった事の名残でもある。そこに上述の話の原因があるというのである。
J-TREC は現在ステンレス車体に特化しているに近い状態である。塗装アルミ車体も作ってはいるが、限定的なものに留まる。よって、アルミ車体の再導入には他の私鉄と同様に J-TREC と手を切り日立若しくは川重等に発注する必要が生じると考えられるが、上記の事情があってそれは不可能=ステンレス車体を続ける事を強いられると指摘する声もあるのである。


この点だが、線路が繋がっている事だけを取って、J-TREC と手を切れない事も無いと思われる。そこはビジネスという所でもあるので、お互いその辺は割り切れる筈である。
京急は1942年に大東急に合併されて、1948年の独立時も大東急の第3会社としてだったという過去もあるが、東急車輛も今やJR 東日本系列のJ-TREC であり、東急京急の主要株主に名を連ねているわけでもない。大東急時代からの奴隷根性的慣習をを打捨てるべくJ-TREC と手を切ったとしても非難される謂れは無かろう。
現に京急は川重でもかなりの両数を発注しているので、京阪と同じ様にアルミ車を川重に発注する事に関しては何の問題もない様に思われる。



1000形を彼是いじくり回しても、所詮は1000形である。1000形に埋め尽くされた京急は見たくない。名古屋のあのサイコパス鬼畜鉄道会社みたいになってはならない、1000形を「私鉄の313系」にしてはならない。
「どこまでもやる」のではなく、新形式による思い切った新展開を見せるべきではないか。京急らしさを失わず、全くの新展開による進化をそこに追加するタイミングが迫っていると小生は考えるのである。70回目の independence day (インディペンデンス・デイ)はもう直ぐそこである。




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1000」という数字に鬼の様に拘る会社がある。それは他でも無い京浜急行。2002年4月、初代1000形が残存している時期から2代目1000形を投入し初代を置き換えるという事をしたのである。
初代が消滅した後で2代目が出て来るというのならまだ判るが、先代がまだかなり残っている間に2代目が出てくるという事に、「1000」という数字への異様な拘りを感じざるを得ない。
ただ、京急の車両の車番で最大が2180である事を考えると、電算上の都合でもあって3000・4000というレベルの数字すら使えない事情でも存在しているのであろうか?


kq1001@tsmg01

初期車、9月に更新工事を終えたばかりの1001編成エア急(空港方面)が鶴見川を渡る所を捕える事が出来たが、台風一過の初秋の青空が素晴らしい。
この鶴見川の橋梁だが、午前中の下り列車を東側から撮るのがお決まりのパターンだが、それは秋冬向き。9月半ばだと午後に西側からの撮影も充分出来る。
西側からだと上下線とも撮れるのだが、実際やってみると上り列車をケツ撃ちするのには適しているが、下り列車は下回りが隠れてしまう傾向があるのが難点。


kq1401@kang01

1400番台アルミ車の重連でのエア急(2017年7月 仲木戸~神奈川間)

1988年以来、京急のキャラとして 紅白のアルミ車体 も定着し、現行600形以来のこの顔共々、1000形もそれをキープするものと思われた矢先、なな何と、2007年の6次車からそれが暗転してしまった。
ファンから 「裏切者」「レネゲイド」とも揶揄されるアイツ が登場したのである。


kq1129@nkgw01
(中川=立石~高砂間を渡る1129編成 2017年12月)

そう、これな!
この所謂 銀千・ステ千 は近くで見るとそのサイド部分が安くて弱い感じに見える。顔は達磨みたいになってしまっている。コイツが来ると撮る気が失せる。


それから10年近くが経過してこのタイプがこのまま増殖し続けて圧倒的多数を制してしまうのかと思いきや、2016年2月そこに笑撃!の展開が…
1800番台という先頭形状が全然違うヤツが登場し、利用者とファンを混乱に陥れた。この1800番台を皮切りにフルカラーリングの編成が登場。その後、先頭部のデザインは元に戻され、1177・1185・1601・1607編成(16次車)が登場


kq1185@kang01

東京都の厄人根性炸裂により(?)泉岳寺にすら入れず、現在エア急専用状態の1185編成
仲木戸~神奈川間の小さな踏切から撮影しているが、8連だとギリギリ抜き切れるかどうかという所が苦しい。


kq1607@tsrmg01

鶴見川を渡る1600番台の第2編成にあたる1607編成
フィルムを使用したラッピングによるカラーリングだが、近くで見ると良くわかるが、・白共々色身が今一つで塗装車と比べると少しくすんでいて、鮮やかさに欠ける。これは ステ千 でも同じ事である。その上にドア枠と窓枠の地金が少々目立ってしまう。


そして去年末、更にぶっ飛び~ぃな展開があった事は皆様もご承知の通りである。

てなわけで、Part 2 へと続く!



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E351系の置換えが去年末から始まったが、運用を離脱したS2・S22・S5・S25編成は去年の内に長野送りを食らい、S5・25編成の解体はほぼ終わりに近い模様。
E353 系導入が発表された時点で常識的に見れば E351 の一部が波動用に残り、豊田や長野の 189系 を置き換えるというのが順当と思われたが、報道によると(これが出鱈目というケースも非常に多いが)3月のダイヤ改正で全車廃車となっている。
しかし、その一方で1編成のみが波動用に残るという情報もあり、その点が注目される。



e351s4@tthc01
(淺川=豊田~八王子間を渡るS4+S24 編成のスーパーあずさ)

中央本線に最適化しようとして寿命縮めたのには草生える。その最適化すら出来たかは微妙。

乗務員ゲロらせたらさすがにアカンやろ!

NATURAL BORN BLACK HISTORY ! 完全なるしくじり電車
振子式車体でコストが高い、メンテナンスのコストも高くなる、汎用性が無くて扱いきれない。
上物が普通鋼で結果的に重心が高かった。バブル期に開発を始めたら、途中で弾けて、結局大事な所をケチって鋼製車体→中途半端な作りになって自分の首を絞める。
381系 だってアルミ車体なのに、E351 が普通鋼車体というのは訳判らん。


ワイドビュー死ぬのは軽量ステンレス車体でセーフ! 381系 は「げろしお」「ぐったりはくも」がキャラクターとして確立したのでセーフ!
九州のヤツも水戸岡大正義作品なのでセーフ!


結局は5編成60両しか作らんかった。JR 東日本からすれば、途中で失敗作と気付いてしまった模様。失敗作→早めの殺処分という切り替えの早さに草

中央本線も高規格化してスーパー特急導入なんて誰が言い出したんや?

20年も経てばある程度のリニューアルをするのが普通。でもリニューアルされた形跡無しで内装はボロさが満々やった。

何年も前から見切りを付けて黒歴史として葬り去るという結論やったという事!
試作車は2編成も作って、量産車はたった3編成という摩訶不思議

特殊な車体断面で狭いといわれても、
500系 =鉄道を超えた異次元空間、流石や!、有能! ワンダホー=レジェンドになる事が約束されていた
E351系=無能、何なんコレ、あほす=ブラックヒストリーが最初から約束されていた

松坂〇輔、村〇修一、梵〇心も乗せて長野送りにしてやってクレメンス。(鬼畜
Wow! 御重機様グルメ過ぎぃ~
同じ村〇でも長野送りにしたいのは真一の方やろ、寧ろ!


3人+1系列とも今や単なる無用の長物、転用利かず需要作れず買い手無しのトリプルクラウン(


村〇修一とE351 系で同じ匂いがしている様に見えるから不思議(適当)





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1997年の話をしようにも、Part 12 まで来るとネタも尽きてはくるが、流行は如何だったかを一寸紐解いてみる。
あのたまごっちを憶えているだろうか? 前年に発売されたものの、当初は余り流行らなかったが、年が変わると一転大ブレイク! 入手不能になるほどの大人気を博した。当初のターゲットは10代の女子だったが、それがあれよあれよと老若男女と問わす広がったのであった。
女子中高生といえば、ルーズソックスが流行っていたのがハイソ=ハイソックス主流に切り替わったのもこの頃。その他のファッション関係では裏原宿スタイル、モード系、ホルターネック、109ファッションといった辺りが流行った。
映画「失楽園」の爆発的ヒットを受けて流行語大賞もこれになった。他に流行語として認められたのは、「ガーデニング」 「マイブーム」 「パパラッチ」 「日本版ビッグバン」 「郵政3事業」等であった。
今や老害やDQN の御用達車、路上の迷惑者となったトヨタ・プリウス(TOYOTA PRIUS)や、ハイパーヨーヨーが出現したのもこの年であった。


脇役になっても主役を食う、The 珠玉の名作


2008年から始まった V 編成 へのコンバートに当っては、1~4号車はそのまま1~4号車、旧13号車→5号車、旧10・11号車→6・7号車、旧16号車→8号車という形に組み換えられた。グリーン車だった6号車が普通車指定席でシート配置はグリーン車時代と変わらず。全席禁煙化で3・7号車に喫煙ルーム。パンタ及びカヴァーは700系同様の物に変えられ、2・7号車に配置。
V という編成記号は嘗ての100系グランドひかり=ダブルデッカー4両のもの以来の復活となるが、因みに100系V 編成は275km/hでの運転、つまり高速化も実は視野に入れていたのではあるが、実現はしなかった。


2013年秋~冬にかけては4・5号車の指定席化=2列+2列への改造がしれっと行われた。のそみ時代のグリーン車の旅に近いものが、こだま普通車指定席の料金で再現出来て、更にはこだまという事を活かしてゆったり時間を掛けて楽しめるという超お得なチャンスが広がったのである

小生が 500系 との再会を果たしたのは2010年5月、仕事で大阪に行った際に新大阪で新幹線を降りたその序でだった。

500v3@sosk01

新大阪の20番線から博多に向けて出発する場面を押さえてはみたが、逆光気味のトップライトで醜い絵になってしまった

500v8@sosk01

2011年5月、再び逢う事が出来た。この時も新大阪に降り立った序でなのだが、この時はV8 編成元W 8 編成=関東で最後に撮った編成で1年3ヶ月振りの再会だった。
このアングルでも、夏場の夕方以外は晴れると逆光に近く、ハレーションも出たりするので、余り具合は良くない。 それにしても、ホンマにストイックな体をしている。


500v8@sosk02

この2枚が全く同じショットに見えるかも知れないが、1枚目は中望遠(120mm相当)で、2枚目は下がって望遠域(220mm相当)で撮ったという違いがある。


御存知の通り、 W 編成 時代の営業最高速は300km/hであったが、 V 編成 になって285km/hに変更された。8両の中に必要な機器を全て搭載して300km/hで走行する事は可能なのであるが、安全基準に抵触するので営業最高速を変更している。
「腐っても鯛」という言葉があるが、8両になっても、こだまになっても 500系は500系 なのだ!


300km/hでの営業運転という事にポイントを絞って開発されたこの車だが、存在そのものが高度な機能美であるのに加えて、このフォルムには一種の形式美も備わっているといえ、それは300km/hでの営業運転が無くなっても変わらない。こんな車は世界の鉄道史上でも簡単には見つからないであろう。「走る機械芸術」という言葉を体現した数少ない存在と言える。

虜になった様に何回も 500系 に乗り、狂った様に何回もレンズを向けた、その事が栄誉にすら思える。東海道から去ってしまった今も、その佇まいを前に、思い入れが甦り身を焦がしそうになる。 8両に切られて、のぞみ、さくら、みずほにドンドン追い越される姿であっても、ずっと傍で見ていたい…、我々はやっぱりこんな車両を待っていたのだ…、コイツに代われる奴はいない。
鉄道ファンの憧れそのもの、そしてずっと愛する存在。


この V 編成 だが、山陽のこだま自体がが岡山以西に偏っているので、運用も岡山以西が中心にならざるを得ない。しかも充当列車自体が少ない。なので季節にも依るが撮影地も限定されてしまう事も非常に痛いところである。中山間部をトンネルで貫いている区間の多い山陽新幹線の事なので、駅撮りを除く撮影地は余り多くない。ここから岡山以西に限定すると更に限られる。

防府市(山口県)の国道2号 BP とか、東広島駅から西に少し行った所、高梁橋梁はそこそこ有名だが、他には土井駅(福岡市東区・香椎線)の近所に俯瞰気味で撮れる場所があるとか、福山駅近くの商業施設の屋上駐車場からも撮れるとかいう情報もあるから、探せばまだ見付かるかも知れない。
ただ、低速で走っている都内と違い沿線撮りは相当難しい事を覚悟せねばならず、こだまは全駅停車なので駅に近い場所を見つけて狙うのが無難であろう。
登場から20年が経過した現在、古い車両を末永く使うJR 西日本と雖もこの車両に残された時間はそう長くは無いと思われる。


さて、このネタもいよいよ最後という事で、
Kenny Rogers (ケニー・ロジャーズ)の超有名曲である " LADY " (1980年)を捧げて掉尾を飾る事とする。
これは彼がカントリーからポップスに本格的に転向した時代の曲だった。曲を書いた Lionel Richie (ライオネル・リッチー)がオファーを出して、Las Vegas (ラス・ヴェガス)のスタジオにてたった一晩の内にレコーディングされた。(
1980年の9月にリリースされてから、11~12月にかけて Billboard Hot 100 で6週間#1 になり、彼の代表曲になったが、年月を経た今も色褪せない珠玉の一曲である。
毎度毎度の展開ではあるが、どの様な曲かについては、こちらのようつべでもご参照頂きたい


Lady, I’m your knight in shining armor and I love you
You have made me what I am, and I am yours
My love, there are so many ways I want to say I love you
Let me hold you in my arms forever more
You have gone and made me such a foolI’m so lost in your love, and oh, we belong together
Won’t you believe in my song


Lady, for so many years I thought I’d never find you
You have come into my life and made me whole
Forever, let me wake to see you each and every morning
Let me hear you whisper softly in my earIn my eyes, I see no one else but you
There’s no other love like our love and yes, oh yes, I’ll always want you near me
I’ve waited for you for so long


Lady, your love’s the only love I need and beside me is where I want you to be
Cause, my love, there’s something I want you to know
You’re the love of my life, you’re my lady




ここまで12回に渡って、全てではないものの、1997年組の車両達を挙げていった。確かに 500系 という歴史に残る最高傑作と叡山電鉄900系というスターを擁してはいる。ただ、全体的に見ると、この2系列が突出してしまっている。これでも充分花形世代と言えるのかも知れないが、1988年・1989年組あたりと比べると総体的には見劣りする気がする。
この時代はバブル崩壊から5年以上が経過して、世界の中でも日本が一人負けをしているとすら言われ、この頃から鉄道界でもスターが出難くなって行ったのは間違いない。
タイトルで「結構微妙」と評したのはこのあたりを鑑みての事だった。




)R&B 出身の L. Richie と、カントリー出身の K. Roders がポップスの世界のどこかで出会うという事だったのだろうと、ケニー自信は後に或るインタビューで述べている。
この曲の大ヒットはケニー本人のみならず、当時 Commodoors (コモドアーズ)を脱退したばかりのライオネルにとってもソロとして大成功する地盤になった。




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