Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

2015年05月

今回のモデル撮影記だが、去年6月、成城のStudio Aya での撮影会の画像を載せて行く。 モデルの名は、黒石沙和未

宣材画像から受けた印象程大人っぽい感じは少なく、キュートな感じが強かった。梅雨時という事もあって随分蒸し暑い日だったので、小生はやたらと汗をかいていた。

スタジオ撮影会というと撮っている方はやたらと暑かったりするのに、梅雨時ともなれば湿気まで加わるから辛い。それでも真夏よりは全然マシ。
先ずは比較的ノーマルでシンプルなショットから…、これはあくまでも立ち上がりとして。

kur001  kur002

どことなく「あいにゃん」こと福元愛菜嬢(NMB48→よしもと新喜劇)似の彼女、女優志望という事らしいが、音楽活動も並行して行っている模様。

kur003  kur004

この辺はほんの小手調べww、勿論、次からが本題。この後、話も弾み盛り上がる撮影会になったのは少々予想外だった。
てなわけで、Part 2 へと続く!


Jun. 29th, 2014 at Studio Aya
PENTAX K-5+smc DA☆50-135mm f2.8・モノブロックストロボ2機使用



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jun. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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大阪について独断と偏見を述べた序に、大阪キタの少しだけメジャーな夜景スポットの画像を紹介する。
大阪キタの夜景スポットというと、スカイビルブリーゼタワー等は直ぐに浮ぶであろうが、大阪駅前第3ビルもそこそこ有名らしい。 このビルの32・33階が展望フロアになっていて、高さは約130mと程々の高さは確保している。


osk3bil09a
 
西方向を向いた窓から撮った作例。画面中央部の幹線道路は国道2号で、手前は梅田・北新地、向こうは尼崎・神戸方面という構図になるが、梅田エリアの高層ビル群が主体になる。
この撮影は2009年5月上旬なのだが、小生滞在中数日に渡って天気は悪かった。実は5月にしては珍しく台風が接近していて、どうにもならない空模様だった。
見晴らしの良い日ならもう少し華やかな夜景に恵まれるであろう。 夕暮れから薄暮に向かうところの、夜景ベストタイム前段階的な時間の絵である。


osk3bil09b

いよいよ薄暮で夜景らしい趣が出て来る。西方向と東方向にしか展望窓が無いから、アングルは当然限られる。南と北はレストランの中になってしまう。展望フロアはこのビルの売りの一つらしいが、実際行ってみるとそれらしい感じは薄く、寂れた感じすら受ける。
カメラの向きを変えて多少はヴァリエーションが作れるが、そんなに多くは期待できない。 西方向は、国道2号を中心にした構図、東方向は国道1号を基準にした構図となる。


osk3bil09d

手前側には扇町・天満のエリアが入って、見晴らしの良い時なら、枚方や生駒辺りまでは見通せるらしいが、西方向に比べると、明らかに見劣りはする。夜景としては全然悪くないレベルだが、華やかさに欠ける。郊外の方を向いていく形なので仕方が無い部分ではある。

osk3bil09e

やや南東方向に振ってみると、中之島、北浜、高麗橋、淀屋橋近辺のエリアも覗ける。ただ、手前にあいおいニッセイフェニックスタワーが「被ってくる」感じなのが残念。 ここからの夜景も質としては悪くないが、一番美味しいアングル=南方向が見えないのが如何せん痛過ぎる。

平日なら、オリックス本町ビルに行く方が良い
かも知れない。実を言うと昨日まで大阪に遠征していたのだが、事情があって、本町ビルに行く事は叶わなかった。この時期は夜景の時間が遅く、湿度も高い事が多いので、夜景撮影には本来不適である。
機を改めて、出来れば湿度が低く空色と見晴らしに恵まれる時を狙って行きたいと思う。


使用機器=PENTAX K-20+smc DA 14mm f2.8、卓上三脚、暗幕等使用


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ハシゲ氏は大阪都構想なんてブチ上げて、遂に府民投票が行われる事態となった。二重行政解消による行政のスリム化等々を根拠に挙げていたが、大阪府・大阪市を都に変えた位で大阪にどんだけ良い事があるというのだろうか?東京の人間からすると、ここの所が今一つ見えて来ない印象が拭えなかったが、投票率は66%台にまで達した。
御存知の通り、結果としては否決となって、ハシゲ氏の政治生命は一応終わったのであるが(取敢えず現時点でww)、今直ぐは辞任しないのが不思議である。これで維新の党もジ・エンドになる危険性も充分にある。
ただこの事が維新の党だけの問題として片付けられない可能性があり、少々ややこしい。
極私的な印象ではある事を先に述べておくが…、大阪都構想なんて中途半端な話はいっその事飛び越してここまでやってしまった方が良かった様に思われる。


281ha06@aig
(281系はるか・摂津富田~茨木間の安威川土手)

大大阪(だいおおさか)連邦共和国 feat. 関空島 として日本から独立した方がエエの違うか
という事をここで言いたいのである!
大阪都構想で、49%の支持があったというのは驚きだったが…、 もし独立国家になるといったら意外に60%位の支持を取り付けられたの違うか?、と思ってしまう。
東京で生まれ育ち、現在も在住している小生からすると、大阪に足を運ぶ度に、日本であって日本でない所がある様に感じてしまう。


287fc06@aig
(287系こうのとり送り込み回送・同所にて)
ワッ! コイツ、何にもあれへん顔や!ww 素うどんみたいな顔!www (by 内〇勝則?)

偏見だと思われるかも知れないが、大阪の人は日本人である事より大阪人である事を優先している様に見える。アイデンティティの根拠は日本ではなく大阪であるように思われる。
大阪人の持っているその精神性の強烈さは恐ろしいものがある。そして、これだけの大都市でありながら、土着性もかなりのモノで、これは稀有な事かも知れない
そういう背景もあって大阪の文化も強烈なものがある。日本人という以前に大阪人である事から逃れられない。大阪人としての精神性と文化的背景を押し通さざるを得ない。大阪を離れて久しい人間でも、大阪が直ぐに噴出してしまうケースが多い様に思う。よって郷に入って郷に従いたくても従えないのではないかと思ってしまう。
又、それ位に大阪に対するプライドと帰属意識が強い様に見えてしまう


223w23@aig
(223系新快速・同所にて)

東京の下に何時までも置かれる事自体に、潜在的には不満を抱いている筈であるし、不満を抱かなければ大阪人ではない様にも思われる。(かなりの独断偏見ww)

小生は実を言うと、強烈なキャラを発揮している大阪という所を羨ましく思う部分が有る。東京は中央政府の御膝元、東京都という自治体はあっても、永田町や霞が関の御歴々達に何から何まで握られるから独自性なんて発揮し様がないのである。都議会議員選挙、都知事選挙、市区町村長・議会選挙も投票率は非常に低い。
東京という精神性とアイデンティティは何処に見付けられるのかと云われると、見付らない。都民と云っても、その大部分が他所の出身者で、生活圏と居住圏が非常に離れているケースも多い。 東京都民の中でも東京への帰属意識なんて無いに等しいのであろうし、そんなものを持てというのが所詮無理と云わざるを得ない。


東京という所は基本的に、住む人を感化する力が無い!
 
此処が大きな問題だと思う。これでは世界に冠たる様な都市にはなれるわけがない!

そこで小生の提案としては、東京の中心及びその付近は、いっその事、中央政府直轄地=天領にすべきである。つまりアメリカに於けるWashington D.C. の方式である。そしてその周辺も再編すべきだ。政府直轄にした部分は政治行政に特化した街にして、商業的なセクションはその周辺でも、又は他の地域の都市に移してやればよい。


極論だとは思うが、大阪は独立し、東京(少なくとも都心部及びその周辺)は天領になるべきだと言いたい! ところで、N.Y. は「ラグジュアリーシティ」を目指した為に、街自体が贅沢品になったという事を聞く。中間層以下にとっては極めて住み難く、その人たちはN.Y. に異常な程のプライドや執着があるといっても、結局去らざるを得ない者が増えて、ホンマのニューヨーカーが消えるともいわれる。
東京もオリンピックを口実に、この「ラグジュアリーシティ」を真似する可能性は高い…、ただ東京人が消える事は無い。抑々、東京人なんて殆ど存在しないからであるwww



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阪急の「オートカー」兄弟の内、2000系が比較的早くに編成消滅した(600V 用に作られ1500V 用に改造された事が災いしたといわれる)これに対し、2300系は当初から1500V 対応だった事が幸いしたのか、2000年の2311F まで廃車が無かった。
ただ、これを皮切りにじわじわと廃車が進み、嵐山線の4連が2010年に消滅。そして、2014年に入る時点で7連×5のみになったが、これも休車も含めての数である。


2012、2013年と2300系には遭遇する事なく過ぎてしまった。そして2014年になると、遂に1000/1300系が旧型車を駆逐すべく出陣してきた。4月に2300系1300系の両方を押える事も目的の一つとして、大阪に遠征した。(その時のあらましはこの記事を参照されたい)

それが何と…、初日朝からいきなり、予定が狂った。7:10大阪駅北側のBT に到着予定だったのが、予定時刻を過ぎても着く気配が無い。結局、20分以上遅れて到着、原因は渋滞だった様だが、これが悲劇だった

それから撮影地に徒歩で向かったが、その途中で京都方面に向かう2300系を見てしまった。この朝に2300系を撮れるチャンスは殆ど無いと判ってしまった。もしバスが予定通り着いていたら、撮れた可能性が高かったと思うと、憤懣遣る方無い状態だった。

hk9301@yod01

9300系の作例、通勤特急の表示があるのが如何にも朝という感じ。この場所は障害物があるせいで、アングルが限られ、窮屈な絵作りを強いられるというのが欠点。晴れていたとはいえ、空が何処か黄色く濁った感じである。黄砂と花粉の為だろうか。

hk1300@yod01

1300系
に初遭遇、主目的の一つは達した。1300系1300F はこの後トラブルで落ちたらしい。 阪急は次の日に賭けようと思い、この後は京阪叡山電鉄と転戦してしまった。

2日目の朝も件の場所に向かったが、空気は湿気ていて、空は一面曇り。当初の天気予報は晴だったのに、外れ!
ここ数年、4月は本当に天候が読み難い


hk2313@yod

やって来たのは2313F だった、まぁ、一回も撮れずに終わるという最悪の事態は免れた、が、前日の晴天の下で撮りたかった! 渋滞によるバスの遅れが本当に恨めしい!怒りで腸が煮えくり返る!とはこの事である!
そして、天候が好転はしないと悟り、鈍足な神戸電鉄を午後の撮影対象として選択してしまったのである。


そして、それから時は過ぎて11月、遠征付き出張w と相成った。
2014年は夏~秋にかけて天候不順が続いていたが、その時期は不思議と殆ど晴っ放しだった。(その時のあらましは既に昨年12月アップしている)
その中でも、1日丸々フリーだった日があって、その日午前中は京阪、昼時はJR と転戦。 13:30頃安威川から引き揚げたが、当然まだ明るい。もう一勝負と行きたい所である。
ただ、11月下旬ともなれば、陽が落ちるのは早い。遠くに移動は出来ず、ダメで元々と思い、南茨木に移動したのであった。


14:30頃に駅に着いたが、予想通りサイドが暗くなりそうな光線状態。やはりここの午後アングルは春夏向き。そこで、駅近くで豚丼を食ってもう少し陽が西に回るのを待った。 15時頃あの有名な踏切に行くと、その日は土曜という事もあって既に2名の先客。歩行者専用の狭い踏切で、良いポジションも取れず、アングル作りには苦心。

hk6354@mib01

いきなり6300系・京とれいん!小生としては3年振り2度目の撮影。後2両が架線柱と箱に被ってしまったorz この時期に南茨木のこの場所で完全順光なんて殆ど無理だったのである。 この後、もう少しだけ線路に齧り付かせてもらう事が出来たものの…、状況はあまり好転せず。

hk7323@mib01

7300系
同士で危うく被りかける。架線柱だけでなく、箱も邪魔であるのが恨めしい。 あまり気持ちが入らない状況だったが、せっかくここまで来たのだから、ブサイクな絵でも取敢えず出来る範囲内で撮ってはおこうと、シャッターを切っていた。
この時正直期待してはいなかったが、15:30に2300系2325F がやって来た!


hk2325@mib

このアングルでも、7両ならギリギリ架線柱や箱に被らず抜けた。
15:30だというのに、列車を照らす光線は夕方のそれであるというのが晩秋という趣でもあり、この事が更には、半世紀を超える歩みを重ねた名車の黄昏というニュアンスを与えたかも知れない。
この日この場所での最大の収穫は言うまでもなくコレ!
結局小生にとってはこれが2300系のラストショットになってしまい、この2325F も同系列の終焉を待たずして運用離脱し廃車となった。


2000/2300系
は阪急初のモノコック構体車でもある鋼製車のモノコック構体は1952年の西鉄313形を皮切りに当時増えつつあった。その中で阪急も構造の単純化と軽量化、そしてコストダウンを優先しこの流れに乗る形で、車輛の寿命を縮めるリスクを負ってまでもセミモノコック構造を採用した。

2000/2100系
は1500V 神宝線昇圧時に回生制動廃止もあり片パンとなり、オートカーでもなくなった。それでも、先頭パンタをキープ(神戸/宝塚側=他系列とは逆)していた。それも冷房化時にパンタ位置変更によって前パンでもなくなった。
一方、2300系はというと、1978~81年の冷房化&界磁チョッパ化の際に「オートカー」ではなくなったが、御存知の通り、終生2丁パンタをキープした。 車輛の寿命を縮めるリスクを負ったといいながらも、半世紀以上の年月に渡って走り続けて来られたその背景としては、阪急の経営状態が必ずしも芳しくないという事もあろうが、同社の保守技術の高さも大きく貢献したと思われる。


御存知の通り、3月22日のさよなら運転を以って半世紀を超える歩みにピリオドを打ったが、奇しくも北総7260形のラストランと被ったのは、何だかラストランの潰し合いをしているのかと穿ってしまった。(こんな事思う時点で既に病気か?www)

てなわけで… ラストショットを見て思い浮かんだこの曲2300系に捧げてこの記事を締めたいと思う。

3月22日の大阪も晴天に恵まれた様で、春先の青空の下でそのファイナルモーメントを飾ったのであろう。 その曲とは、(若林)世莉奈 嬢の「ラミネートスカイ」(彼女の紹介記事はこちら

これは彼女が祖父の死に面した時のエピソードを基に書かれた曲で、彼女が2011年にリリースした最初のCD「Revolution☆Station」に収録されていたものである。
 

ser21 (画像は先日のとことこタワーまつり2015で撮影)


ねぇ、気付いたらまた隣で笑ってる気がして
ねぇ、どの位願えば神様に伝わったのかな
涙が零れない様に空を見上げた
何処までも続く透き通った青さに終りなんてないと思った


明日が微かな光だって
信じて生きようとするあなたの姿に
自分が情けなくなって凄く恥しくなった
この気持ちが色褪せない様に
ラミネートスカイ 胸に刻んだ


まだ温かい頬や波打つ首筋の鼓動を
ただ確かめては無常にも迫る時と向き合った
守りに入って生きてきたこんな私に
歩くべき道と今ある大切な全てに気付かせてくれたよね


誰かにとっては変わり映えの無い
長い一日だったとしても
誰かにとっては大事に繋ぎ止めたい一秒と一秒なんだ


明日が微かな光だって 
信じて生きようとするあなたの姿に
自分が情けなくなって凄く恥しくなった


誰かにとっては変わり映えの無い長い一日だったとしても
誰かにとっては大事に繋ぎ止めたい一秒と一秒なんだ
この気持ちが色褪せない様に ラミネートスカイ 胸に刻んだ


どの様な曲であるかは、You Repeat に上がっているライブ映像(川口市で収録、日時は不明)でも御覧頂きたい


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小生が再び2300系を収められたのは、2011年5月の事だった。
場所は柴島浄水場付近=崇禅寺~南方間、今は無き撮影地。連続立体化工事用の高いフェンスに囲まれて、線路を覗く事すら出来ない。


この日の午前中は他の場所で撮影し、昼時は一旦神戸&芦屋に行き、この人の為の土産を買いつつティータイムを楽しんだが、予想以上に時間を食ってしまい、大阪に舞い戻って阪急京都線をこの場所で撮影出来たのは15時過ぎからだった。 京都線の撮影地でこの時期の午後順光というと、南茨木の有名なあの場所や、正雀駅南側の踏切等があるが、芦屋からの移動を考えると此処しかなかったのである。しかもこの場所なら特急と雖もスピードは控えめであるから撮り易いという判断もあった訳である。

hk2313@sozj01

大阪市内、背景に色々建物が入るのは御容赦頂きたい、てなわけで、先ずは2313F をキャッチ
見逃している御仁もおられるかも知れないが、ドアにはステップが付いている。ミニ規格新幹線のE3系・E6系にもあるアレである。
2300系の場合、このステップがリトラクタブルでない(当たり前か)のは御愛嬌?この車は神宝線の車体幅に合わせて作られた。それが、京都線専用になった時、幅のギャップを埋めるためにステップが付けられたのであった。その為、神宝線には入れなくなってしまった。


hk2315@sozj01

2313F の後、あまり時間をおかずに2315F もキャッチ。現場到着が予定より遅くなった上に、16時を過ぎたあたりから集合住宅の影が落ちて来るわ、曇りだしてくるわで予定より早く切り上げざるを得なかったので、釣果は少なめだった。 そしてこの後、再び2300系と相まみえるまで3年の歳月が掛ってしまったわけである。

この日、昼だというのにティータイムを楽しんだ店は、芦屋のpatiscceria, bar, osteria Amarena=アマレーナ芦屋本店 patiscceria, bar, osteria とは、ケーキ屋にしてバール、レストランでもある事を意味する今でもこの店は存在し、評価も高い様である。(この店のウェブサイトはこちら

amarena01

この店の人気メニューの一つ、Torta di Stagione=季節のタルトこの時はマンゴーたっぷり!

amarena02
 
無造作に小型シュークリームを積んだだけの様に見えるが、Profiterole(プロフィトロール)というれっきとしたドルチェ。懸けてあったクリームはピスタチオ風味。(ピスタチオは小生の大好物でもあるw)
この時はまだ、これ位のものは立て続けに易々と食えたのだが、最近は胃力が落ちたらしく、胃にもたれる可能性があるorz

ここからは、この後リストラ対象になりそうな車両達を…、とはいえそのスピードは比較的緩やかになると思われるが。
それでも、「気付いた時にはラストラン」てな事にならない様に注意されたい、一応念の為。


hk3327@set01

言わずと知れた3300系、現時点で116両が存在し阪急京都線の最大派閥である。(阪急全体でも7000系・6000系に次ぐ第3位)。ただ、1300系の増備は間違いなく、代替が着実に進んで行くであろう。

hk5106@okmc

5100系
1000系増備で、本線から姿を消す日が意外と近くなるかも知れない。

hk5146@tynk

5100系
後期型=2丁パンタ車を捉えたのはこの一回のみ。宝塚線の撮影自体まともにやった事が無いから仕方が無いのだが… 最近少々話題になったこの5146F だが、先日正雀に回送されたが、単なる定期検査か能勢電鉄への譲渡の為の整備かは情報が錯綜している様だ。
この編成はリニューアルを受けているので、今直ぐ能勢電行きとは考え難いが…。
この後期型だけ2丁パンタなのはなぜかと疑問に思っていたが、製造時期からして5300系に合せたからだと思われる。
関西私鉄(阪神以外)では「大阪万博世代」と呼べる車両達が大量に残っているが、その車達はこれから続々と50の大台に乗って行く。
まさに未曾有の高齢化となるが、さすがに阪急では1000/1300系南海では8300系京阪でも13000系導入(増備)でそれなりのスピードで淘汰して行く事になる模様。
2012年は阪急の撮影機会自体が無く、2013年も一度行っているものの、その時取れた時間が短かったせいもあってか、2300系のシャッターチャンスは無かった。こうして時は2014年まで進んでしまったという事である。


さて、このシリーズ恒例の、今回の一曲という事でw
Chicago が1974年に放った有名曲、" Wishing You Were Here "を捧げたい


アルバム " Chicago Ⅶ " からの3枚目のシングルとして全米Top 20 入りした曲である。
この時代、Chicago のヴォーカルというと、Peter Cetera の名が直ぐ出て来るが、この曲のメインヴォーカルはTerry
Kath(1978年に拳銃の事故で死去) その上、Beach Boys がバックヴォーカルで参加している。そして、この辺からこのバンドの売りであったホーンセクションを抑え目にした曲も増えて行く事となるのであった。


 因みに、1974年というとChicago にとっては第一次黄金期といった感がある。
この年は御存知の通り、長嶋茂雄が引退した年であるが、時代劇「大江戸捜査網」では主演が杉良太郎から里見浩太朗に交代している。阪急では6300系すら登場していなかった。


どの様な曲かについては、こちらを参照されたい。

Sleepless hours and dreamless nights and far aways
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were here
Heaven knows and Lord it shows when I’m away
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were,wishing you were here

Same old show in a different town on another time
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were here
Even though you’re far away, you’re on my mind
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were, wishing you were here

And I’d like to change my life, and you know I would
Just to be with you tonight, baby if I could
But I’ve got my job to do, and I do it well
(Change my life)  So I guess that’s how it is
Ooo, wishing you were here
Ooo, wishing you were here
Ooo, wishing you were here, wishing you were here
Wishing you were here…, you were here...

On the road, it’s a heavy load, but I’ll be by
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were, wishing you were here
Pay the price, make a sacrifice, and still I’ll try
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were here
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were here
Ooo, ooo, ooo..., wishing you were here
Wishing you were here…

この名車の最期の時に向けて…、Part 3 へと続く!



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