地方にとって、大都市への「距離が縮まる」事は地方にとっては非常に危険な事にもなり得る。便利になって豊かになれると妄信するのは間違いである。高速大型インフラがポンプになってしまうケースが多いのを御存知の御仁も多かろう。
その大きな原因として、大都市と地方都市では、御互いの引力に差があるからである。これは大都市と地方の関係に限らず、世界的に起きている富の収奪・興亡というものにも言える事である。
地域を衰退させるべく高速道路や新幹線を誘致する奴はいない。ただ、それらから生じる非現実的現実、非合理的合理性というものに対して鈍感になってはならない。
一極集中と中央集権を止めて、それこそ道州制の様な形にシフトして、分散化をしないと地方にとっても国にとっても未来はない! 連邦制を敷く位の事をやっても良い!財源から権限まで中央に集めて、そこから地方に配るなんて前時代的で非効率的であるのはもはや論を待たない!
今話題の「中二階」の問題の根源の一つもこのやり方にあると思われる。
来春の北陸新幹線開業によって、富山を基準にすると、東京までは新幹線1本になるが、大阪・京都へは金沢での乗り換えが必要になる。東京へは便利になるが、京阪神に対しては却って不便になる。北前船の時代以来現代の日本海縦貫ルートに至るまで、北陸では関西との繋がり・交流というものがキーになり、発展に寄与してきたのではなかろうか?
歴史の中で、産業のみならず文化まで繋いだこのパイプ、仮にも新幹線でそれが捩り曲げられ、切られる事になってしまったら、皮肉では済まない、我々全体の嘆くべき損失になりかねない。 富山と云えば、北陸の工業の中心として、ドリルで御馴染みの不二越もあれば、YKK が黒部に大規模な拠点を構えている。勿論、製薬関係も盛ん。何やらかんやら言うても、観光資源、産業、発信力、ブランド力、独自のキャラという部分では金沢に及ばず、影が薄いのは事実であろう。
遠征の折には現地の人と話す機会も勿論あった。そこでの話を通じては、富山は東京を向いたという見做される事、更には、東京・金沢からダブルで収奪を食らう危険性についても警戒している人もかなりいるという印象を受けた。それこそ、収奪されまくって、挙句の果てにはスルーを食らい、ディスられるなんて事も十分考えられる。
こういう問題を、北陸新幹線を大阪まで延ばせば解決できるか?
小生の答えはNO である。
第1に、北陸~京阪神との「距離が縮まり」過ぎる。無論、費用対効果や財政という問題も大きく、更に実際問題として北陸と東海道を混走させる事になれば無理が生じてしまうであろうし、JR 東海が許さないであろう。
新幹線をきっかけにして首都圏~北陸間の物流増加という事になれば、東京~長岡~金沢というカモレが増発されるかも知れない。そうなれば、貨物減便で少々お寒くなった高崎/上越線も多少は賑うww。ただ、その分関西~北陸間が減便されたら目も当てられないが。
まぁ、取敢えず、 こんなあたりに頑張ってもらうしかないか… (頑張った所で、どないなんねん?)
9月の遠征の折に、早朝に富山に着いてレンタカーを借りる前に富山ライトレールを少しだけ撮って、2日目の昼時には富山地鉄も少しだけ押えてきた。地鉄は小生にとっての宿題として来年以降も残るので、富山を再訪する事は必至である。
ただ、地鉄にも糞ステンレスカーが侵出してきたので、早めに色々撮っておきたいものである。富山地鉄をローカル私鉄だと思って侮ってはならない。1980年のローレル賞受賞車である14760形を始め、結構キャラの強い古豪達がまだ走っている!。しかも予想より高速で飛ばす所が多い。
富山地鉄の新塗色を見ると、富山が何時からブラジルになったのかと思ってしまうのは小生だけだろうか。地元では南瓜と呼ばれるらしいが、Auri Verde(オーリ・ヴェルデ)と呼んであげた方がマシかも知れない。この新塗色を一部の車両にのみ採用する意味が分らん、富山地鉄といえば、白+グレー+赤のの旧塗色(地鉄特急色)がサマになる。
ここまで色々言ってきたが、高岡は残念ながら既に論外である。
高岡には5月に足を運んだが、そこで見たものとは… 金曜の夕方なのに人が殆ど歩いていない!東京在住の小生としては、この高岡の街中の光景を眼にして異常なものを感じた。殆どゴーストタウンである。
越中国府だった時代から紡がれ続けた風土が蒸散してしまうのは時間の問題である。
その一方、国道8号BP 沿いには何処でも見かける様な店が林立し、通り一遍の良くある光景を見せてくれる。新高岡駅は高岡駅の南側で、旧市街から外れた所にあるから始末が悪い。
たまたま乗ったタクシーの運転手が、「北陸新幹線を大阪まで通さないと意味が無いんですよ!」と偉そうに連呼していた。
この街の光景を見た後の今なら、「この町死んでんのをどうにかしてから言え!」と突っ込める。
早朝、駅前からタクシーでカラオケ屋に行ってレンタカーを借りるという珍妙さ!(某ジャ〇〇〇ンタカー) ダブルでクソワロタwwwww
画像は上から475系6連普通(2014年5月・富山駅)、富山ライトレールTLR0600形(同年9月富山駅北側)、富山地鉄14760形(同9月・常願寺川鉄橋上)
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(nov. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
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その大きな原因として、大都市と地方都市では、御互いの引力に差があるからである。これは大都市と地方の関係に限らず、世界的に起きている富の収奪・興亡というものにも言える事である。
地域を衰退させるべく高速道路や新幹線を誘致する奴はいない。ただ、それらから生じる非現実的現実、非合理的合理性というものに対して鈍感になってはならない。
一極集中と中央集権を止めて、それこそ道州制の様な形にシフトして、分散化をしないと地方にとっても国にとっても未来はない! 連邦制を敷く位の事をやっても良い!財源から権限まで中央に集めて、そこから地方に配るなんて前時代的で非効率的であるのはもはや論を待たない!
今話題の「中二階」の問題の根源の一つもこのやり方にあると思われる。
来春の北陸新幹線開業によって、富山を基準にすると、東京までは新幹線1本になるが、大阪・京都へは金沢での乗り換えが必要になる。東京へは便利になるが、京阪神に対しては却って不便になる。北前船の時代以来現代の日本海縦貫ルートに至るまで、北陸では関西との繋がり・交流というものがキーになり、発展に寄与してきたのではなかろうか?
歴史の中で、産業のみならず文化まで繋いだこのパイプ、仮にも新幹線でそれが捩り曲げられ、切られる事になってしまったら、皮肉では済まない、我々全体の嘆くべき損失になりかねない。 富山と云えば、北陸の工業の中心として、ドリルで御馴染みの不二越もあれば、YKK が黒部に大規模な拠点を構えている。勿論、製薬関係も盛ん。何やらかんやら言うても、観光資源、産業、発信力、ブランド力、独自のキャラという部分では金沢に及ばず、影が薄いのは事実であろう。
遠征の折には現地の人と話す機会も勿論あった。そこでの話を通じては、富山は東京を向いたという見做される事、更には、東京・金沢からダブルで収奪を食らう危険性についても警戒している人もかなりいるという印象を受けた。それこそ、収奪されまくって、挙句の果てにはスルーを食らい、ディスられるなんて事も十分考えられる。
こういう問題を、北陸新幹線を大阪まで延ばせば解決できるか?
小生の答えはNO である。
第1に、北陸~京阪神との「距離が縮まり」過ぎる。無論、費用対効果や財政という問題も大きく、更に実際問題として北陸と東海道を混走させる事になれば無理が生じてしまうであろうし、JR 東海が許さないであろう。
新幹線をきっかけにして首都圏~北陸間の物流増加という事になれば、東京~長岡~金沢というカモレが増発されるかも知れない。そうなれば、貨物減便で少々お寒くなった高崎/上越線も多少は賑うww。ただ、その分関西~北陸間が減便されたら目も当てられないが。
まぁ、取敢えず、 こんなあたりに頑張ってもらうしかないか… (頑張った所で、どないなんねん?)
9月の遠征の折に、早朝に富山に着いてレンタカーを借りる前に富山ライトレールを少しだけ撮って、2日目の昼時には富山地鉄も少しだけ押えてきた。地鉄は小生にとっての宿題として来年以降も残るので、富山を再訪する事は必至である。
ただ、地鉄にも糞ステンレスカーが侵出してきたので、早めに色々撮っておきたいものである。富山地鉄をローカル私鉄だと思って侮ってはならない。1980年のローレル賞受賞車である14760形を始め、結構キャラの強い古豪達がまだ走っている!。しかも予想より高速で飛ばす所が多い。
富山地鉄の新塗色を見ると、富山が何時からブラジルになったのかと思ってしまうのは小生だけだろうか。地元では南瓜と呼ばれるらしいが、Auri Verde(オーリ・ヴェルデ)と呼んであげた方がマシかも知れない。この新塗色を一部の車両にのみ採用する意味が分らん、富山地鉄といえば、白+グレー+赤のの旧塗色(地鉄特急色)がサマになる。
ここまで色々言ってきたが、高岡は残念ながら既に論外である。
高岡には5月に足を運んだが、そこで見たものとは… 金曜の夕方なのに人が殆ど歩いていない!東京在住の小生としては、この高岡の街中の光景を眼にして異常なものを感じた。殆どゴーストタウンである。
越中国府だった時代から紡がれ続けた風土が蒸散してしまうのは時間の問題である。
その一方、国道8号BP 沿いには何処でも見かける様な店が林立し、通り一遍の良くある光景を見せてくれる。新高岡駅は高岡駅の南側で、旧市街から外れた所にあるから始末が悪い。
たまたま乗ったタクシーの運転手が、「北陸新幹線を大阪まで通さないと意味が無いんですよ!」と偉そうに連呼していた。
この街の光景を見た後の今なら、「この町死んでんのをどうにかしてから言え!」と突っ込める。
早朝、駅前からタクシーでカラオケ屋に行ってレンタカーを借りるという珍妙さ!(某ジャ〇〇〇ンタカー) ダブルでクソワロタwwwww
画像は上から475系6連普通(2014年5月・富山駅)、富山ライトレールTLR0600形(同年9月富山駅北側)、富山地鉄14760形(同9月・常願寺川鉄橋上)
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(nov. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
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