Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

2014年06月

蒼い稲妻?、これも結局一度きりだった orz&泣

小生がスカイブルーこと1001F を捉えられたのは、2012年4月中旬の事であった。
Part 2 の チョコバナナこと1007F と同日であったのだ。この日は、先ずは朝、ワシクリ(八甫=県道との立体交差)で寝台特急2本と臨時列車を撮ったが、その後、武州荒木~東行田のあの定番ポイントに向かった。


ct1001apr12a

午前10時過ぎの熊谷行きでいきなり捕獲成功!と思ったら、思いっきり面潰れ。この場所は冬の場合、10時位でほぼ完全順光になるのだが、4月だと太陽が南方向へ回り込むのが遅かったのは計算違いだった。

ct1001apr12b

しかし、その後、熊谷行きの返しに当る羽生行きは完全順光! それにしても行先表示幕の汚れが酷い…

ct1001apr12c

羽生行きの返しが影森行きとなったところを新郷駅付近で撮影。
この一本後がPart 2 1007F であったが、前位パンタを完全に抜ききれんかった(要懺悔)


ct1001apr12d

影森行きの返しのそのまた返しを、前出の定番ポイントの午後アングル(線路を挟んで反対側)で撮れた。
この約30分後、Part 2 の 1007F も捉えてから、高速を飛ばして帰京し、秋葉原のスタジオでのモデル撮影に臨んだ (その撮影記は2013年1月に掲載済み)。
一日の内で、寝台特急~秩父鉄道~モデル撮影会なんて云うスケジューリングはあまり聞かないw。


リバイバルカラーと称して旧国電風に単色化された1000系の中でも、スカイブルー1001F は結構人気があったと思われるが、京浜東北線で101系が使われたのは1970~78年の間でしかなく、しかも5編成のみ(約7%)と超少数派でしかなかったので、小生の中では101系と青22号は結び付き難いのである

小生がこの1001F を捉えられたのはこの日の4枚だけだった。その理由としては、秩父鉄道はどちらかというと地理的に追い掛け難いものであり、他のネタとの兼ね合いがあって、この後1年半程、秩父鉄道から遠ざかってしまった事が大きい。
更に丁度この時期、小生の車が原因不明のトラブルを抱える様になり、遠出をする事が困難になってしまったのである。遠出の為にレンタカーを借りる始末にもなった。そういう間にも1000系の運用は減って行き、殆ど運用に就かない日もかなりあった様である。 この1001F は2013年10月12日にイベントを最後に引退し廃車になってしまった。
廃車直前の1001F の状態は相当悪く、殊に中間車からは異音が出ていたという話もある。


てなわけで、今回の一曲は…、
このブログでも取り上げた事のある、"心のお薬シンガー" こと伊藤さくら 嬢の 「 Blue Sky 」 (…全く何のひねりもないww)
この曲は、彼女が2009年にリリースした1st ミニアルバム「 7 Days Supple 」にイシューされている。 如何いう曲かについては
この動画でも御覧頂きたい。

itosak528太陽に急かされる様に 眩しい陽で目覚める
空っぽの予定に感謝して シーツに隠れる
鏡に映る起き抜け顔閃き カーテンを開いた
Blue Sky 時間忘れる程の綺麗な空
Fly to the Sky 流れる雲が
心解いて行く 前髪くすぐる風に 小さく微笑む


そよぐ風誘われた気がして 背伸びでカメラ取り出す
脱ぎ捨てたパジャマ お気に入りに袖を通した
緑をくぐり風と遊びながら ファインダー覗いた

Blue Sky 空を見上げて沢山シャッター切る
Fly to the Sky いつもの景色
光でお洒落して 私の心も光で飾り付けた


隠してた笑顔の裏側 この空は知っていた

Blue Sky オレンジ色で私を染めるから
Fly to the Sky 誰も知らない素直な顔になる
気付かれない様に強がり蹴飛ばす
Blue Sky 特別はない だけど贅沢時間
Fly to the Sky 街の明かりが夜を彩る頃
開けたままカーテンを笑顔でそっと閉めた


(伊藤さくらの画像は、2014年4月下旬横浜クロスストリートで撮影)

まだまだ続く、次は当然 Part 5 !

秩父鉄道1000系
種車は言わずと知れた旧国鉄101系非冷房車。1986~89年にかけて旧国鉄/JR東日本から36両が譲渡され、一部機器の交換や先頭車の冷房化を経て、最大で3連×12本が存在した。その種車の殆どが0番台だが、2両だけ1000番台だった車が含まれていた。




※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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オレンジ色の憎い奴www!

オレンジ色の憎い奴なんて、どこかの夕刊タブロイド紙が昔使っていたキャッチフレーズみたいだが リバイバルカラーで中央線時代のカラー=オレンジヴァーミリオン(正確には2代目)になった1003Fだが、国鉄101系と云えば、1980年代に入る頃まで中央線快速中央総武緩行線は殆どこの車だった。
103系も混じってはいたが、少数派であった。 幼少期の小生は四谷、水道橋、代々木にある進学教室に通っていて、そこへの行き帰りに乗っていた/見ていたのが101系であった。10連から3連になり、あの時絶対あり得なかった先頭2丁パンタなんて姿になっても、思い出の電車である事には変わりないのである。

ct1003dec11a
 
2011年12月上旬に 1002F を撮った後、撮影した1003F
さすが12月!空の青が美しく、オレンジヴァーミリオンが映える!(自画自賛ww)
この 撮影地は羽生・行田両市の境にある国道125号BP行田大橋のすぐそばで、何回もこの場所に通う事になるが、まだこの時点では、そこまでは思っていなかった…。
今回の3点は全て後追いになってしまったorz


ct1003dec11b

その1週間後に同じ場所で1003F を捉える、ただしやや面薄状態。 この返しの光線状態は期待出来たが…、何と失敗!orz
この後、6000系急行秩父路5号(熊谷始発)を始めとした午後の撮影にリベンジを期して、ひろせ野鳥の森付近に移動した。


ct1003dec11c

ケツ打ちながらリベンジは一応成功? 2枚目画像の列車の返しのその又返しにあたるスジと思われる。この時は午後2時すぎであったが、少し夕方っぽい感じの色が早くも出始めていた。
12月中旬と言えば日没が最も早いのであるから仕方が無いが。
毎度の事だが、フレーミングが超カツカツww、それにケーブル類の影の映り込みが恐ろしいorz。


この場所、単線にしては敷地が妙に広くww、実は片持ち架線柱が両サイドにあるのである。複線化計画でもあったのだろうか?
画像に映ってはいないが、使われていない架線柱に電線類が掛けられている。 線路の向きと光線状態の関係を考えると、冬場向きなのだが、太陽の角度が低い事が絡んで、電線類がえげつなく映り込んでしまう。

 
今日はこんな所です、というノリで、Part 4 に続く!


秩父鉄道1000系

種車は言わずと知れた旧国鉄101系非冷房車。1986~89年にかけて旧国鉄/JR東日本から36両が譲渡され、一部機器の交換や先頭車の冷房化を経て、最大で3連×12本が存在した。その種車の殆どが0番台だが、2両だけ1000番台だった車が含まれていた。



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本当の「一期一会」になってしまったバイカラー(bi-color) ~旧標準色2種類  1002F 1007F


2011年11月の初撮影に続いて、翌月上旬にも足を運んだが、武州荒木~東行田間の有名な撮影地は初めてだった。ワシクリに寝台特急を撮影しに行く場合、そこから車で30分程度走ればこのポイントに着く。カシオペア&北斗星の行掛けの駄賃になるという事にやっと気付いたのであるww。 少なくとも2010年末の時点でこの事を知っていたら、 1008F 1009F を押えられた可能性も僅かながらでもあったので、それを思うと余計に惜しく、自らの不勉強を反省せざるを得ない。(orz&泣)

ct1002dec11a

この撮影地に着いて、セッティングが完全に終わらない内に踏切が鳴ってしまった。 しかもやってきたのは "小豆色" (もえのあずきではないw)こと 1002F
少々ギャンブル的にシャッターを切らざるを得なかった。フォーカスは完全に合って成功作ではあるが、左右はカツカツで上下のバランスも良くない、その上に2個目のパンタが被りになっている。更には、正面への光線の当りが少し弱い。
でもこれが何と、 1002F との最初で最後の対面になってしまったorz。
このころから運用に就く機会が大幅に減っていて、2012年5月に廃車になってしまった。
1002Fのカラーは1980年代半ばまでの標準色。100形、300系、500系(新幹線ではないww)もこのカラーリングだった。奇しくもこの1000系導入を機に リゲインともチョコバナナとも言われるあのカラーリングに変えられたのである。
この頃になると、1000系の中でも芳しい状態の車は少なくなっていて、運用も減らさざるを得なかったという事も背景にあるのではないかと推測される。


ct1007apr12a

2012年4月の事である。前出の有名ポイントで撮影し、1001Fをキャッチした後、正午頃に新郷駅西側のポイントに移動。 そこにやって来たのが 1007F 。先ずは羽生行きの後追い

ct1007apr12b

1001F
影森行きを捉えたその後、先程の羽生行きの返しになった熊谷行き。 新郷での2枚は折角の先頭パンタが被ってしまい台無しである。構図作りの失敗である。
線路わきの畦道から撮ったわけだが、歩行者や車に被られるのを恐れるあまり、畦道でも一番線路寄りに構えてしまったのがミス。実際は人通りも車通りも極めて少ない畦道だったのだから、もう少し距離を取って構えるべきだった。
ロケーションももう少し駅から離れるべきだった。 この時はほぼ快晴で、シャッタースピードの心配も要らない状況下で、スピードが低い所で撮ろうという大きな理由もなかったのであった。


ct1007apr12c

15時過ぎになって、武州荒木~東行田間の定番撮影地に戻った。線路の西側から撮るとこうなるが、冬場以外なら午後遅くバリ順で捉える事が可能である、ただし、余計な電線類の事は御容赦。 1001F 三峰口行きを捉えたその約30分後、再び 1007F を捉える事に成功した。これで16時位の状態である。 この日は1001F(後に登場)共々複数回捉える事が出来て、超グッドな収穫であった。

その一方、4月は 黄砂やスギ花粉の影響 だろうか、おまけに湿度も上がって来る事もあってか、空色が綺麗でない事が多く、絵作りには苦労する。 この 1007F を撮れたのはこの日が最初で最後になってしまった。
秩父鉄道ばかり追いかける訳にも行かず、その上、後に述べる事情もあり、機会そのものに恵まれなくなってしまったのが大きい。
ただ、もしそうでなかったとしても、 1007F 自体運用に就く事も減ったようで、更なるチャンスに恵まれたかどうかはわからない。この 1007F は2012年12月に廃車になってしまった。
嘗て豊富なカラーヴァリエーションで線路を賑せて我々を楽しませた1000系も、この時期になると櫛の歯が欠ける様に、1本また1本と御グルメな御重機様の餌と消えて行くのであった。
1000系廃車のニュースを耳目にする度に、 まだまだ撮れる機会が欲しかったと悔しさや悲しさすら覚える様になったのである


という事で…、1000系に捧げる今回の一曲は、
Toni Braxton註1)が1996年に放った大ヒットナンバー、" Un-Break My Heart " (註2


月並みな選曲という感もあるが、どの様な曲であるかについては、こちらをご覧頂きたい


Don’t leave me in all this pain  
Don’t leave me out in this pain
Come back and bring back my smile  
Come and take these tears away
I need your arms to hold me now
The nights are so unkind  
Bring back those nights when I held you beside me

Un-Break my heart..., Say you’ll love me again
Un-Do this hurts you caused
When you walked out my door and you walked outta my life
Un-Cry these tears, I cried so many nights
Un-Break my heart, my heart

Take back that sad word goodbye  
Bring back the joy to my life
Don’t leave me here with these tears  
Come and kiss this pain away
I can’t forget the day you left
Time is so unkind and life is so cruel without you beside me

Un-Break my heart..., Say you’ll love me again
Un-Do this hurts you caused
When you walked out my door and you walked outta my life
Un-Cry these tears, I cried so many nights
Un-Break my heart, my heart

Don’t leave me in all this pain  
Don’t leave me out in this pain
Bring back those nights when I held you beside me

Un-Break my heart..., Say you’ll love me again
Un-Do this hurts you caused
When you walked out my door
And you walked outta my life
Un-Cry these tears, I cried so many,so many nights
Un-Break my,
Un-Break my heart, oh, baby  

Come back and say you love me
Un-Break my heart, sweet darling…without you, I just can’t go on
Say that you love me, say that you love me, tell me you love...
Un-Break my heart...( can’t go on )
Say that you love me, say that you love me, tell me you love… 
Un-Dreak my...
Say that you love me, say that you love me, tell me you love… 
Un-Break my...
Say that you love me, say that you love me, tell me you love…


こんな所で終わるわけもなく、Part 3 に続く!


秩父鉄道1000系
種車は言わずと知れた旧国鉄101系非冷房車。1986~89年にかけて旧国鉄/JR東日本から36両が譲渡され、一部機器の交換や先頭車の冷房化を経て、最大で3連×12本=36両が存在した。その種車の殆どが0番台だが、2両だけ1000番台だった車が含まれていた。


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註1) Toni Braxton は1967年生まれで出身はMaryland州、日本でいえば「桑田清原世代」に当たり、南野陽子、北斗晶、高橋靖子(吉本新喜劇)、坂上忍、小橋建太等とも同い年になる。 1989年に自身の妹4人と共にThe Braxtons を結成しデビューするが、直ぐにソロ転向。 1993年に1st アルバムを出すと、そこから快進撃が始まり、一躍R&B シンガーとして世界的に有名になる。その後、自己破産や乳癌等に見舞われるが、再起を果たし現在はシンガー以外に女優としても活躍。

註2)彼女の2nd アルバム " Secrets " からシングルカットされ、Billboard Hot 100 での11週連続#1 を始めとし、世界的に大ヒット。言うまでもなく、彼女にとっての代表曲である。



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日本初の「高性能型電車」!鉄道史上に名を残す金字塔!

これを "Super Star" として扱う事に相当な御異存もあろうかとは思われるが、国鉄101系が日本の鉄道史上重要な存在であった事は明らかで、それがつい先日まで、秩父鉄道1000系として日本国内で営業運転に就いていた事も奇跡とも言えるので、躊躇を覚える理由はない。 1990年代の終わりのある日の事である。
国道140号をドライブしていた際、場所は長瀞辺りだったであろうか、懐かしい国電スタイルでありながら、先頭2丁パンタ、3分割式クーラーキセ、見慣れぬカラーリングという珍妙にも思える電車の姿が見えて、一瞬「これ何やろか」と思ったのである。実はこのシーンが秩父鉄道1000系との遭遇だった。この頃の小生は鉄活はしておらず、写真も撮っていなかった。 それから10年以上を経てからになるが、小生が秩父鉄道1000系を撮りに行く様になったのは、この
くらまろ氏のブログ等によるところも大きい。

秩父鉄道の沿線と言えば、羽生、行田、熊谷、寄居、長瀞、秩父という訳で、都内在住の私の場合、簡単に足を運べる場所とは言えない。撮りに行く機会がなかなか作れず、時間だけが過ぎて行き、秩父鉄道の初撮影は2011年11月になってしまったorz

11月も中旬に入ったある日、Google Map のストリートビューなどを参考に、場所を持田~熊谷間に決めて、1000系が来るのを只管待った。持田~熊谷間でもやや熊谷寄り、デキ4号が保存されているあの辺りである。 この時点で、1000系の廃車も進み、主力は既にステンレス軍団に移行し、カナリアイエローこと1012F や、ウグイスこと1009F 等は既に消えていた。1000系に逢える確率と言えば、然程高いとは言えない状況だった。 11月というと、何と云っても日が短い!太陽高度も非常に低いので、線路沿いの建物の影も落ちやすい。何せ時はもう午後である、早く来てくれる事を願うしかないのだが、待つ間にも焦りが出て来たのは事実である。

ct1010nov11a

この日、現場に着いたのが午後1時半位だったと記憶しているが、約1時間待って待望の時が来た。 これが小生にとって1000系の最初のショット。
標準色の1010F 塗装が変り前パンになっても、この顔は紛れもなく101系のもの、103系ではない。序に述べると、101系と103系の顔はほとんど変わらない様に見えるが、運転席の窓の高さと行先表示部分の大きさが違うので見分けが付く。


ct1005nov11a

その30分後に1005Fもやって来た。(羽生行きの後追い)
秩父夜祭のHMが11月であるのを物語る。 11月だと午後3時位でも太陽が低くなってきて、建物の影が線路上に落ちそうになる。色という部分でも、夕方っぽい感じが出て来てしまう。 それにしても、脇に掛るみすぼらしい電線類はどうにかならんのか?
近鉄の場合の様に強烈な自己主張はしていないだけマシとも言えるが。 兎にも角にもその姿を収める事が出来て一安心だったのは間違いない。そしてこれが、第一歩という事になったのである。


The Legendary Super Star シリーズ恒例になった (えっ?!&ww)、今回の一曲は…、

Lionel Richie
が1983年に放った超有名曲、" HELLO "

40代以上であれば御存知の御仁も多かろうが、如何いう曲かについては、この
ライブ映像や、 この絵でも御覧頂きたい


I’ve been alone with you inside my mind
And in my dreams I’ve kissed your lips a thousand times
I sometimes see you pass outside my door
Hello, is it me you’re looking for ?
I can see it in your eyes, I can see it in your smile
You’re all I ever wanted, and my arms are open wide
Because you know just what to say and you know just what to do
And I want to tell you so much I love you

I long to see the sunlight in your hair
And tell you time and time again how much I care
Sometimes I feel my heart will overflow
Hello, I’ve just got to let you know
Because I wonder where you are and I wonder what you do
Are you somewhere feeling lonely or is someone loving you ?
Tell me how to win your heart for I haven’t got a clue
But let me start by saying I love you

Hello, is it me you’re looking for ?
Because I wonder where you are and I wonder what you do
Are you somewhere feeling lonely or is someone loving you ?
Tell me how to win your heart for I haven’t got a clue
But let me start by saying I love you


遅きに失していた感はあったが、まさに、Let me start by saying I love you. という心境での秩鉄1000系初撮影だった。

今日はこれ位にしといたる!という事で、Part 2 に続く!

秩父鉄道1000系
車は言わずと知れた旧国鉄101系非冷房車。1986~89年にかけて旧国鉄/JR東日本から36両が譲渡され、一部機器の交換や先頭車の冷房化を経て、最大で3連×12本が存在した。その種車の殆どが0番台だが、2両だけ1000番台だった車が含まれていた。



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jun. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



)彼が1983年10月にリリースした2nd ソロアルバム、"Can't Slow Down" からの3枚目のシングル、1984年2月に全米#1を獲ると、全英でも#1に。アルバムのセールスは全米で1000万枚を超え、全世界で最終的に2000万枚に達した。このアルバムからカットされたシングル5曲全てが全米でトップ10入りし、2曲が#1に。



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