小田急線を彩った名優達 Ⅱ
小田急の名物といえば、ロマンスカーと呼ばれる一連の特急車群。その中でもハイデッカーと呼ばれるつまり高床式の特急車2形式が引退となってしまった。しかもこの2形式は共にブルーリボン賞受賞車である。
HiSEこと10000形はデビューから25年、RSEこと20000形は20年、早過ぎる終焉だった。こうなったのも所謂交通バリアフリー法によるものである。鉄道車両は20年前後で大幅な更新・改良が必要となる。2000年の交通バリアフリー法施行を受けて、この2形式は更新をせずに然るべき時に引退させるという事になったのである。
でもそんな事を言うのなら、近鉄の某V***A ?X こと3***0系の立つ瀬が無い?
引退直前に漸く撮ったショット。鶴巻温泉駅のやや東側の築堤を見上げる形で。本来ならもっと伊勢原よりの場所まで歩ければもっと良いショットが撮れたのだが…。
引退記念イベント「The Last Greeting」での一枚。
2日間に渡ったイベントの初日に行ったのだが、午後は一時かなりの雨になったが、最後の方になって晴れ間ものぞく。そんな中でも人出は多くかなりの賑いで撮影は苦労を極めた。閉場間際に人が減って漸くこの程度のものなら撮れる状態になった。
2005年の50000形VSE登場時に2編成が運用離脱、4連接に減車の上で長野電鉄に無償譲渡され同社1000系ゆけむりとして走っているが、先日最後まで小田急に残った第1編成は相模大野に廃車回送されたので、すでに解体に入っていると思われる。HiSEから廃SEになってしまった。
3月16日午後のRSEあさぎり。RSEは失敗続きで撮れずにいて、正直焦っていた。最後の日の午後、賭け同然で新宿駅至近の踏切から撮影。この踏切も激バ状態でまともな写真にはなっていない。でもこれはRSEあさぎりの下りラストランだった。(新宿駅では記念の出発式が行われた)
言い訳がましくなるが、2月~3月は季節の変わり目で空模様が安定せず、失敗が連続したのである。それでも何とか最後の最後で走行写真は撮れたという事だろうか。 関東の鉄道は何時でも撮れると思ってあまり一生懸命撮らなかったりする事の罰が見事に当たったのである。
「何時までもあると思うな鉄道車両!撮れる時に兎に角撮っておけ!」これが今回の格言か。
仕方が無いので、引退記念イベント「The Last Greeting」でのショットを載せておく。バブルと共に登場したHiSE、バブルの中で開発されたRSE、まだまだ全然活躍出来る上に、特急車らしいグレード感も存在感もある。真に勿体無い話である。
私がRSEに乗車したのは1回だけだったと思う。沼津から8号(上り最終)で新宿まで乗ったのが約7年前だったと記憶している。 上述の通り、HiSEは長電に移って走っていいるが、その一方RSEに関して富士急行への譲渡の話もある様だが、去就は決まっていない様である。仮に富士急に譲渡されると、フジサン特急こと2000形(元国鉄165系)が押し出されて廃車になると思われるので、何とも微妙な所である。
Part 5 もある!
小田急10000形・HiSE
1987~89年に4編成が日車・川重で製作される。小田急電鉄開業60周年を記念して導入された。同社初の「インフレナンバー」採用、11連接の抵抗制御車で、関東の私鉄では少数派の下枠交差型パンタを搭載。設計上の最高速は145km/h。1988年ブルーリボン賞を獲得。第2・第4編成は現在の長野電鉄1000系ゆけむり号。
小田急20000形・RSE
1991年、JR東海・小田急で交わされた相互直通運転車両の規格使用に関する議定書に基づき製作・導入され、初代3000形(SE)を置き換えた。同社特急車としては2300形以来のホギー車だが、箱根特急の運用にも入る前提でLSE・HiSEと編成長を合せて7両ユニットになった。HiSE同様、下枠交差型パンタを搭載。設計上の最高速は140km/h。1992年ブルーリボン賞を獲得。
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jul. 2012)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
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