横浜高速鉄道・みなとみらい線が20歳の誕生日を本日迎えた。2004年2月1日、みなとみらい線=横浜~元町・中華街間が開業し、同時にY500系(要は東急5050系)もデビューした。Y500系と入れ代わる様にこの時期に東急8000系が大々的に廃車された。
先ずは、1月29日からY500系の1編成を20周年記念トレインとして、特別な装飾を施して運行開始した。これは12月までの予定になっている。
本日から今月いっぱい記念のスタンプラリーが開催されている。又、記念の硬券セットも発売された。
3日にはみなとみらい駅でみなとみらい線まつりが行われる。又、この日から7月31日まで1700枚限定で、みなとみらい線開業20周年記念1日乗車券を発売する。(大人用=460円、子供用=230円)
横浜マリンタワーも3日まで、みなとみらい線をイメージして、白・青・黄の3色を用いたオリジナルの記念ライトアップを実施。
更に、アメリカ山公園では今月いっぱい、“ROOFTOP ILLUMINATION~みなとみらい線開業20周年記念STAR TRAIN~”なるイルミネーションイベントが開催される。
横浜方向に向かうY500系505F・自由が丘駅付近にて
横浜高速鉄道=Yokohama Minatomirai Railway Companyという会社は、1989年3月29日に発足している。神奈川県・横浜市が出資する第3セクターで、旧東急電鉄(現・東急)が民間の最大株主である。他の出資者は三菱地所、日本政策投資銀行、京浜急行電鉄、都市再生機構、横浜銀行、相鉄HD、三菱UFJ銀行といった所。
1989年と言うとバブル真っ只中、その頂点と言える1年。この年が市制100年ということもあり、横浜に於いては、横浜高速鉄道設立以外にも、ベイブリッジ・臨港パーク・横浜美術館等が爆誕した。横浜博覧会=YES’89も開けれて、みなとみらい(西区)という住所も誕生した。
多摩川を渡河して東京都内に進入するY500系501F
みなとみらい線の1日平均利用者数が当初目標=137000人に達したのは2006年、飯能から横浜までという5社直通=横浜高速鉄道・東急・東京メトロ・西武・東武に入ったのは2013年3月。1日平均利用者数が20万人を超えたのは2016年で、この年に経常損益も黒字になった。
尚、横浜高速鉄道最初の路線はこどもの国線である。(1997年・第3種鉄道事業者として)
会社自体も今年で35歳になる。みなとみらい線の工事着工は1991年11月であったので、営業開始まで12年3ヶ月程を要した計算になる。
みなとみらい線開業で廃線になった横浜~桜木町間の高架線跡は、処遇が決まらぬまま20年近く残骸として、国道16号沿いに姿を留めている。小生の年代だと東横線といえば、JR(国鉄)と並行するこの高架線のイメージは強い。
去年・12月22日のTOWERS Milight“UP”の時の作例から2点
みなとみらいという所は、抑々が三菱重工の造船所や高島線やその貨物駅、更には新港埠頭・高島埠頭が存在していた港湾施設エリアだった。今でもその往時を偲ばせる場所が近隣にある。
1965年(当時の市長は何と、飛鳥田一雄!)に横浜市六大事業が提唱されてから来年で還暦。これが今の横浜の街のグランドデザインになったといっても華厳の滝のナイアガラ、じゃなくて過言ではない。そして横浜市の人口も60年前の時点で150万人程で、それに見合った都市基盤の整備が急務だったのは容易に想像が付く。
(因みに同市人口は1968年に200万人突破、1985年に300万人到達。去年末で377万人とされ、市としては断トツ日本最大。)
1979年に、細郷道一市長(当時)の下で打ち出された横浜市都心臨海部総合整備計画・基本構想に基づき、みなとみらい21事業が着工したのが1983年。みなとみらいの開発は、西区の横浜駅周辺エリアと中区の関内・元町・石川町等々のエリアを繋いで、横浜の中心部を一体的に開発し発展させる役目を持っていた。
みなとみらいがこんなに賑わう様になったのは開発が着工して10年経って、1993年にランドマークタワー等がオープンした辺りからである。みなとみらいも去年で実質30歳になったと言える。2000年辺りまでは結構未開の空き地もあった様に記憶している。
25年以上前の話だが、DEODEO(エディオン)が10年の期間限定で出店していたのを覚えている御仁はどれだけいるだろうか?
みなとみらい21を開発するなら、そっちへと人の流れを引き入れなければ意味が無い、高島町・桜木町へ延びていた東急東横線がみなとみらい方向に向きを変えたのは当然の成り行きであった。
みなとみらい線20年の歴史は同エリアが横浜の顔というか主のレベルに伸し上がった歩みだとも言えないか。
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先ずは、1月29日からY500系の1編成を20周年記念トレインとして、特別な装飾を施して運行開始した。これは12月までの予定になっている。
本日から今月いっぱい記念のスタンプラリーが開催されている。又、記念の硬券セットも発売された。
3日にはみなとみらい駅でみなとみらい線まつりが行われる。又、この日から7月31日まで1700枚限定で、みなとみらい線開業20周年記念1日乗車券を発売する。(大人用=460円、子供用=230円)
横浜マリンタワーも3日まで、みなとみらい線をイメージして、白・青・黄の3色を用いたオリジナルの記念ライトアップを実施。
更に、アメリカ山公園では今月いっぱい、“ROOFTOP ILLUMINATION~みなとみらい線開業20周年記念STAR TRAIN~”なるイルミネーションイベントが開催される。
横浜方向に向かうY500系505F・自由が丘駅付近にて
横浜高速鉄道=Yokohama Minatomirai Railway Companyという会社は、1989年3月29日に発足している。神奈川県・横浜市が出資する第3セクターで、旧東急電鉄(現・東急)が民間の最大株主である。他の出資者は三菱地所、日本政策投資銀行、京浜急行電鉄、都市再生機構、横浜銀行、相鉄HD、三菱UFJ銀行といった所。
1989年と言うとバブル真っ只中、その頂点と言える1年。この年が市制100年ということもあり、横浜に於いては、横浜高速鉄道設立以外にも、ベイブリッジ・臨港パーク・横浜美術館等が爆誕した。横浜博覧会=YES’89も開けれて、みなとみらい(西区)という住所も誕生した。
多摩川を渡河して東京都内に進入するY500系501F
みなとみらい線の1日平均利用者数が当初目標=137000人に達したのは2006年、飯能から横浜までという5社直通=横浜高速鉄道・東急・東京メトロ・西武・東武に入ったのは2013年3月。1日平均利用者数が20万人を超えたのは2016年で、この年に経常損益も黒字になった。
尚、横浜高速鉄道最初の路線はこどもの国線である。(1997年・第3種鉄道事業者として)
会社自体も今年で35歳になる。みなとみらい線の工事着工は1991年11月であったので、営業開始まで12年3ヶ月程を要した計算になる。
みなとみらい線開業で廃線になった横浜~桜木町間の高架線跡は、処遇が決まらぬまま20年近く残骸として、国道16号沿いに姿を留めている。小生の年代だと東横線といえば、JR(国鉄)と並行するこの高架線のイメージは強い。
去年・12月22日のTOWERS Milight“UP”の時の作例から2点
みなとみらいという所は、抑々が三菱重工の造船所や高島線やその貨物駅、更には新港埠頭・高島埠頭が存在していた港湾施設エリアだった。今でもその往時を偲ばせる場所が近隣にある。
1965年(当時の市長は何と、飛鳥田一雄!)に横浜市六大事業が提唱されてから来年で還暦。これが今の横浜の街のグランドデザインになったといっても華厳の滝のナイアガラ、じゃなくて過言ではない。そして横浜市の人口も60年前の時点で150万人程で、それに見合った都市基盤の整備が急務だったのは容易に想像が付く。
(因みに同市人口は1968年に200万人突破、1985年に300万人到達。去年末で377万人とされ、市としては断トツ日本最大。)
1979年に、細郷道一市長(当時)の下で打ち出された横浜市都心臨海部総合整備計画・基本構想に基づき、みなとみらい21事業が着工したのが1983年。みなとみらいの開発は、西区の横浜駅周辺エリアと中区の関内・元町・石川町等々のエリアを繋いで、横浜の中心部を一体的に開発し発展させる役目を持っていた。
みなとみらいがこんなに賑わう様になったのは開発が着工して10年経って、1993年にランドマークタワー等がオープンした辺りからである。みなとみらいも去年で実質30歳になったと言える。2000年辺りまでは結構未開の空き地もあった様に記憶している。
25年以上前の話だが、DEODEO(エディオン)が10年の期間限定で出店していたのを覚えている御仁はどれだけいるだろうか?
みなとみらい21を開発するなら、そっちへと人の流れを引き入れなければ意味が無い、高島町・桜木町へ延びていた東急東横線がみなとみらい方向に向きを変えたのは当然の成り行きであった。
みなとみらい線20年の歴史は同エリアが横浜の顔というか主のレベルに伸し上がった歩みだとも言えないか。
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