Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

タグ:JR貨物

この企画、越年させるつもりは無かったが、パソコン死亡とか色々あって思う様には行かないものである。

ヨンサントウ改正は戦後鉄道史の中の一大イベントだったという事に異論は差し挟めないであろう。これに合わせる様にデビューしたのは EF66 以外にも、EF81 485系 583系 というまさにそれぞれのジャンルに於ける決定版といえる車達で、それぞれが長年に渡りウルトラ級の大スターであり続けたのである。

このカルテットと同い年に当る御仁達を挙げて行くと…
羽田美智子、森口博子、松下由樹、紫吹淳、菊池桃子、荻野目洋子、鈴木京香、いしのようこ、和央ようか、杉本彩、大塚寧々、河合美智子、井森美幸、生稲晃子、長嶋三奈、重太みゆき、勝間和代、小野文恵、高嶋ちさ子、Chara、
城之内早苗、濱田マリ

つんく♂、木山裕策、内野聖陽、渡部篤郎、佐々木蔵之介、岡田圭右、葉加瀬太郎、名倉潤、月亭方正

スポーツ界に目を遣ると、野球界からは桑田真澄、野茂英雄、山崎武司、金本知憲、矢野燿大、長谷川滋利、杉浦正則、緒方耕一、緒方孝市、飯田哲也
その他スポーツ界では琴錦功宗(朝日山親方)、北沢豪、原田雅彦、深堀圭一郎、伊澤利光、永田裕志、ブル中野、尾崎魔弓、ミスター雁之助、ハヤブサ、邪道、鈴木みのる、薬師寺保栄、小川直也、長崎宏子


海外のスター達から挙げると、Celine Dion(セリーヌ・ディオン)、Kylie Minogue (カイリー・ミノーグ)、Lisa Loeb(リサ・ローブ)、Naomi Watts(ナオミ・ワッツ)、Will Smith(ウィル・スミス)、Mark Anthony(マーク・アンソニー)、
スポーツ界、特に MLB では90年代~2000年代のスタープレイヤーが目立つ(当然だが)。
Frank Thomas(フランク・トーマス)、Mike Piazza(マイク・ピアッツァ)、Sammy Sosa(サミー・ソーサ)、Jeffery Kent(ジェフリー・ケント)、Gary Sheffield(ゲイリー・シェフィールド)、Jeffery Bagwell(ジェフリー・バグウェル)、Roberto Alomar(ロベルト・アロマー)、Mike Mussina(マイク・ムシーナ)、
その他のスポーツでは、Paolo Maldini(パオロ・マルディーニ=サッカー)、Mika Hakkinen(ミカ・ハキネン=F1)、Colin McRae(コリン・マクレー=ラリー)、Michael Stich(ミヒャエル・シュティッヒ=テニス)、Kurt Angle(カート・アングル=プロレス)
極め付き?は、Felipe VI=現・スペイン国王フェリペ6世

余談かも知れないが、ゼロロク世代には小生の知っているバーテンダーさんにも結構いる訳でバーテンダー界でも一寸した Golden Generation だったりもするのか?

ただ、この世代を見てゆくと実は飛び抜けたスターが少なく、全般的にやや小物感が否めない所がある。その中ではやはり横綱に EF66 、大関には 485系 583系 EF81が列せられるのは間違いなく、C. ディオンやW. スミス、S. ソーサ、K. アングルで関脇・小結という感じだろうか?

「同期デビュー」という視点に変えて見ると、
Deep Purple(ディープパープル)King Crimson(キングクリムゾン)、Yes(イエス)、ジュンとネネ、池乃めだか、大谷直子、和田アキ子、丘みつ子、水木一郎
プロ野球では高田繁、関本四十四、川藤幸三、松岡弘、村田兆治、小川亨

更に他では出前一丁、ボンカレー、霞が関ビルディング、道路交通法違反点数制、日商岩井、ソニー・トリニトロン、トヨタコロナマークⅡ(現・マークX)、日産ローレル、いすゞ117クーペ、タカラ人生ゲーム、少年ジャンプ、ゴルゴ13、ゲゲゲの鬼太郎(アニメ)、郵便番号、文化庁、全仏オープン(オープン化がこの年)、キイハンター、巨人の星、お昼のワイドショー、3時のあなた、夜のヒットスタジオ、オールナイトニッポン

こんな辺りが挙げられる。


そんな事は兎も角、ここでは東北本線でも活躍していた頃の ゼロロク様 の絵を紹介して行きたい。
午前10時半頃にワシクリを通過する3096レ(当時)に充当されていた(黒磯以南)
この時代には 0番台 も廃車が進んでいたので、運用の大部分はサメちゃんだったのは言うまでも無かったが、運が良ければ ゼロロク閣下 にも出会えたのである。


6626@krky01

いつだったかは判らないが、ワシクリで ゼロロク 初撮影となったのは 26号機
でもこれは本当は失敗例と考えるべき。引き付け気味に撮ろうとして架線柱の処理を誤った典型例。本来ならもっと奥に追いやるべきだったのだろう。この時は久し振りのワシクリだったが、その当時多用していた撮り方と違う撮り方に挑戦したらこんな失敗。
この失敗で引き付けて撮るのが怖くなってしまった小生、以下の構図(従前の形)で撮る様に戻ってしまった。


6633@krky01

裏被り食らった 33号機 、相手はEF210 のコンテナ列車。何故かこういうケースが多かった。
以上 2点は K-5 Ⅱ時代の作例。これ以下は K-3 (2015年1月購入)へとバトンタッチ。




ここで EF66 御登場の1968年はどんな年だったかを振り返ってみると、それは「激動の時」という言葉で表現される事も多い。
先ず、この国は東京五輪(Ⅰ)から4年後で翌々年には大阪万博(Ⅰ)を控えていた高度成長の時代だった。この機関車は高度成長の末にGNP 世界第2位となり先進国の仲間入りを目前にした時代の申し子の様にして誕生したとも、高度成長の歩みが必然的に産み出した怪物とも呼べるのである。


安保闘争はクライマックスに近い状態で全共闘その他の過激派が暴れていて、ヴェトナム反戦運動もピークに達し、東大闘争も始まった。10月には新宿騒乱=新宿解放区なんていう事件まで起きた。三里塚闘争を始めとした成田闘争も最高潮に近い状態で、第1次~第3次成田デモ事件等々が起きている。
他では横須賀線電車爆破事件、金嬉老事件、日大闘争の引き金になった20億円使途不明金事件、3億円事件もこの年の事件。
公害問題もクライマックスとなり、水俣病が公害病認定を受け、カネミ油症事件が起こったのもこの年であった。


年明け早々にプラハ(当時はチェコスロヴァキアだった)の春が起きて、続いてヴェトナム戦争では所謂「テト攻勢」も始まったが、これを対抗する様にフォンニィ・フォンニャットの虐殺、ハミの虐殺(この 2つをやらかしたのはバ完酷)、更に米軍によりソンミ虐殺事件も起こった。
春になるとワルシャワで「 3月事件」が勃発。アメリカでもキング牧師(Martin Luther King)が 4月に暗殺されると人種暴動勃発の引鉄が引かれた。6月には RFK ことRobert F. Kennedy (JFK の実弟)暗殺事件も起きている。
フランスでも所謂「 5月革命」が3月~7月にかけて起きたが、5月の大規模ゼネストがそのピークであった。
8月にはプラハの春に対抗してワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵攻するチェコ事件が発生。10月にはメキシコでも五輪の10日前に民主化要求デモが起こり、これに対し警官隊が発砲し数百人の死者が出た。



現代史の話はここまでにして閑話休題という訳で…

6633@krky02

K-3 での ゼロロク様 初撮影は2015年2月上旬で 33号機 だったが、又も裏被りを食らってしまう=[ 悲報 ]

なんでこんな構図で撮っていたのかという理由だが、その一つとしてこの場所では線路の脇に道路があるのだが、線路から離れてしまうとそこを車や歩行者が入ってしまうと完全にアウトなので、そのリスクを避けるという事もあった。踏切の手前なので微妙な所に障害物が出来てしまったりで当時の小生はこういう撮り方しか考えなくなってしまった。(猛省)


6621@krky01

こちらは 21号機 =2次形最初のカマ
裏被りがなく撮れたのは良いが、途中で空コキが連続して非常に間抜けな感じになってしまった。これは臨貨なのか代走なのか今となっては解らないが、前出の #33 と同日撮影であった。一度に2回も 0番台 のシャッターチャンスが訪れるなんて夢の様な日もあったのだ。



6624@krky01

ダブル撮影の約一週間後、裏被りなしでほぼフルコンで #24 も捉えられた。
2015年2月は 0番台様 に逢える機会が比較的多かった様に思うが、嗚呼、帰れるならこの時に帰りたい。


6626@krky02

2015年10月中旬、 26号機 は2回目だった。
また少しアングルを変えてと思って撮ってみたが、今一つな形に
架線柱が中央付近に来てしまったのは悔いが残る。今の小生ならこういう構図はない90~100mm相当でもう少しだけサイド気味に引き付けて撮る。


6630@sam01

年は変わって2016年1月、黒小屋ばかりだとマンネリ過ぎるので佐間のストレートで撮る事にしたが、それが結果的にしくじりだった。
その日3096レでやって来るのは 30号機 、歩道橋からの俯瞰アングルでとも思ったが、線路の脇道に歩行者等が入り込むと完全にアウトなので、それを避けようと地上に降りて撮影した。そうしたらこんな絵に。(黒小屋に撮影地変更するにも既に他の撮影者で埋まっている危険性があったので佐間で我慢)


この時期は、その少し前に都内で起きた架線柱倒壊事故を受けてか、急に架線柱の架け替えを行う事にしたのか?、従前の物に加えてコンクリートのゴツい架線柱が増やされていたのである。聞いた所では、前年末から急に増殖したらしかった。増やされた奴のせいで、画面全体が串刺しという惨劇になってしまった。俯瞰撮影ならリスクはあってもここまでの惨劇は起こらなかっただろう。(パン抜きは至難中の至難になっただろうが)

その後3月からは東北本線は EH500 独壇場になってしまった事もあって、結局これがワシクリ、そして東北本線での ゼロロク様 ラストショットになってしまった。



小生が EF66-0 番台を捉えられた回数は、実を言うと屁みたいな数でしかない。
何でもかんでも片っ端から追い駆けられる訳ではないが、以前からもっと情報にアンテナを張りゼロロク様を優先して真剣に追い掛けていれば、結果は全然違っていただろう。消え行こうとしているこの 偉大なる領導機様 とのシャッターチャンスを慈しみたかった。そしてこれからも、残った1機 とまだ巡り会えるチャンスがあると信じて、諦めずに待って逃さない様にしたい。。

てなわけで、今回の一曲として、Dionne Warwick (ディオンヌ・ワーウィック)の " Never Gonna Let You Go " をこの偉大なる車両に捧げたい。註1彼女は故・Whitney Houston (ホイットニー・ヒューストン)の従姉としても知られる。この曲は実を言うと Sergio Mendes (セルジオ・メンデス)の曲としての方が有名だが註2、実質的オリジナルは彼女の方。
この曲は元々Earth, Wind and Fire のために書かれたが、それがレコーディングにも至らずで、D. ワーウィックが1982年のアルバム " Friends In Love " に収録したのが最初となった。
翌年、アルバム制作の為にバラード曲を探していたメンデスがこの曲に注目し、カヴァーしたのがシングルとしてもリリースされて全米(Billboard Top 100)でもTop 5 入りするヒット曲になり、以降は大変有名な曲となった。


D. ワーウィックのオリジナルの方は こちらのYouTube を参照いただきたい、
S. メンデスのカヴァーのライブヴァージョンもリンクさせておく事とする。(メンデス氏は殆ど映っていないが…)


両者で曲の構成と歌詞が若干異なるが、掲載の lyrics は D. ワーウィックのヴァージョンの方である。

I was as wrong as I could be to let you get away from me
I’ll regret that move for as long as I’m living
And now that I’ve come to see the light, all that I wanna do is make things right
So just say the word and tell me that I’m forgiven


You and me, we’re gonna be better than we were before
I loved you then but now I intend to open up and love you even more, this time you can be sure


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Looknig back now, it seems so clear, I had it all when you were here
Oh. you gave it all and I took it for granted
And if there’s some feeling left in you, a flicker of love that still shines through
Let’s talk it out, Let’s talk about second chances


When you see it’s gonna be sweeter than it was before
I gave something but now I intend to dedicate myself to giving more, this time you can be sure


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Let me hold you to my heart, let me say that you’re a part of me
And you always will be, I’ve come to see there’s no one else but you
So, won’t you say you want me too


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go...  ( repeat and fade out )


その 唯一残った0番台 はまだ出て来てないが、それはどうしたかって?
その辺の事も含めてPart 3 へと続く!




註1)Dionne Warwick は1940年12月New Jersey 州生まれで、本名はMarie Dionne Warrick。大学時代に音楽を専攻し、音楽プロデューサーの Burt Bacharach と出会う。大学卒業後の1963年にデビュー、翌年 " Walk On By " というヒット曲を放つとその後は70年代後半の不振を除いての活躍は夙に有名。
註2)Sergio Mendes は1941年2月・ブラジル生まれのブラジル人。幼少期はクラシックを学んでいたが、その後はボサノヴァ・ジャズを手掛ける様になる。80年代に入るとadult contemporary にも進出。その際のヒット曲が " Never Gonna Let You Go "




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今年も大きなアニヴァーサリーを迎えた車両は色々存在したが、その中の真打はやはりコレに尽きるだろう。日本鉄道界最大のスターとして君臨し続けたあの機関車

小生、正直言うと幼少期には EF66 といってもピンと来なかった。小生の幼少期は1970年代だが、この時代勿論100番台(サメちゃん)は存在せず、走っていたのは基本番台(即ちゼロロク様)。EF66 はそもそも貨物用の罐で、(高速貨物用に開発されたのだから当然だが)旅客列車を牽引するなんてありえない時代だった。小生は子供心に、関係ない遠い世界の存在みたいに看做していた様に思う。


都内で生まれ育った小生は貨物列車を見かける機会に恵まれず、それもあってか機関車というと EF64 EF65 EF81 にシンパシーを感じていた様に思い出される。それでもその圧倒的な存在感は否定しようがなく、旅客列車を牽引する日が何れ来ないかと思っていたのも確かである。

tomix660b

モデル撮影会の小道具として2016年春に導入したTOMIX のHO ゲージ模型、価格は23000円程度。
尤もTOMIX のヤツだからその値段で収まったとも言える。天賞堂だったら幾らになるのか考えるだけで gkbr 。分割払い購入したが、HO ゲージのサイズでも小道具としてなかなか目立たせる事が出来ないのは計算外だった。


tomix660a

スタジオポートレートでもこの偉大なる ゼロロク様 の御事跡を残そうと頑張っている小生だが、この画像の様にレールに乗せて両面テープで仮止め的に固定して相手の娘に持たせると、「わぁ重い!」と言われる。値段を言うと ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル になってしまう娘もいる

tomix660d

模型を撮影するのは意外と難しい。寄って撮ると被写界深度が稼げないから、1.4m程度離れて中望遠レンズの70㎜(APSC)で撮影。少し離してやった方が被写界深度も稼ぎ易いと考えたのである。
それでも思ったようにはいかない。これでも F18 まで絞って300W のモノブロックストロボを使用して撮っている。そのストロボも300W という割にパワーがない。




EF66は御存知の通り、その試作機が EF90(後に EF66-901 となる)として制作され、2年近いテストを経て伝説のヨンサントウ改正=1968年10月に合わせる様な形で15機が投入された。それが EF66 半世紀の歩みの始まりだった。
登場から17年、貨物専用だった EF66 に一大転機が訪れた。予てからこの機関車にブルトレを牽いてもらいたいと思っていたファンは多かった筈である。3月14日のダイヤ改正でそれがついに現実のものとなったのであった。
寝台特急はやぶさのロビーカー連結により EF65 ではパワー不足という事になり牽引機として ゼロロク様 が抜擢された。同時に他の九州方面寝台特急もこの機関車が牽引する事となり、ブルトレ EF66 という時代が訪れた。
そのダイヤ改正から18日後の4月1日に「夕焼けニャンニャン」がスタートした。当時ティーンエイジャーだったおニャン子達(小生と完全に同世代)も今やその大部分が五十路なのである。若作りが過ぎる渡〇美奈代でさえ来年50になるのである。


更にその翌年11月には貨物でもスーパーライナーという花形運用が登場して、日本鉄道界の真の花形役者としての地位を確立したといえる。この両方とも国鉄民営化を見越した対策だったのは言うまでもない。


6620@kkgw01

2008年10月、加古川に赴いた際にたまたま巡ってきたシャッターチャンス。やや曇り気味であった事が幸いした。改正なら周囲の建物の影が落ちてしまうか、サイドは丸つぶれだった可能性は高い。
ゼロロク様の初撮影はこの 20号機 だった。同機はこの翌年に廃車になってしまった。60年代製造の1次車を撮れたのはこれが最初で最後という事になってしまった。
この 20号機 は 1次形である為、運転台上の「弁当箱」が付かなかった。内部機器の制限の関係でクーラーが付けられたのは 21号機 以降の 2次形のみである。因みにこの20号機は1987年8月から約5年間 特殊試験塗装 で走っていた。(どう考えても評判は悪かったのは間違いない)


6624@otbs01

2008年12月、JR 東海の尾頭橋駅から並走する名鉄を狙っていたら、東京方面へ向う 24号機 がやってきた。慌ててカメラを向けて撮ったは良いが、顔に架線柱の影が架かってしまった。シャッターを切るのが早すぎたようだった。普通ならこんなのはNG として棄ててしまうのだが、相手は何せ ゼロロク様 という事で残しておいた。
今の K-3 Ⅱならあたり構わず博打的にでも高速連射をかけてしまう所だが、この時の K-20 は連射が遅すぎて使い物にならず、基本的にワンショットで使っていたのがここでは裏目に出たか。本命より外道の方が遥かに素晴らしいのは言うまでもなく、こういうのもセレンディピティと呼べるのであろう。



6628@otbs01

実は 24号機 を撮る4か月前(8月下旬)、同じく尾頭橋で 28号機 も捉えていた。
あのクソ経営で国民に迷惑を掛けまくった国鉄が、この半端ない機械芸術を作ったなんて信じられない様な事実でもある。(尤も、クソ経営になったのは国鉄自体だけの責任とは言えないが…)

光線状態等々を考えると決して褒められたショットではないが、今となっては大事な宝物である。




さて、この国の鉄道史に燦然と輝く金字塔である 偉大なる領導機様 を讃え申し奉る一曲として先ずは今回セレクトしたのはコレ!
Carpenters (カーペンターズ)が1970年に放った有名曲、"(They Long to Be) Close To You " である。このデュオにとっては最初の全米#1ヒットであり、カナダ、オーストラリアでも#1となり、全英チャートでもTop 10 入りをして、翌年のGrammy Award も獲得に繋がる。

2回続けてかよ!と思われるかもしれないが、この曲を出す事は以前から決めていたのであった。

それこそ有名過ぎて犬でも猫でも知っているというレベルで、もはやスタンダードの域に入っているといえるが、曲については こちらのYouTube でもご覧頂きたい

中京地区の方々は、嘗て中京テレビのクロージングとして1999~2007年にかけて使用されていた Cubic U (宇多田ヒカル)のヴァージョンを思い出されるのではないだろうか。


Why do birds suddenly appear everytime you’re near ?
Just like me, they long to be close to you
Why do stars fall down from the sky everytime you walk by ?
Just like me, they long to be close to you


On the day that you were born, the angels got together and decided to create a dream come true
So, they sprinkled moon dust in your hair of gold and star light in your eyes of blue


That is why all the girls in town follow you all around
Just like me, they long to be close to you


On the day that you were born, the angels got together and decided to create a dream come true
So, they sprinkled moon dust in your hair of gold and star light in your eyes of blue


That is why all the girls in town follow you all around
Just like me, they long to be close to you
Just like me, they long to be close to you


Waaa..., close to you... Waaa..., close to you... Ahhh..., close to you…

小生は勿論、鉄道ファンならそれこそ誰もが傍にいたいと思う存在、それが ゼロロク様 である!

てなわけで、Part 2 へと続く!



)1970年のアルバム、 " Close To You " のタイトルトラックでもある。この曲、実はカヴァーである。オリジナルは Richard Chamberlain (リチャード・チェンバレン)が1963年にリリースしたものである。作曲者は Burt Bacharach (バート・バカラック)とHal David (ハル・デイヴィッド)



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今の時代、直流区間の主として君臨しているのが、ももちんことEF210。東海道・山陽本線の沿線で撮影をする御仁達はその名前を聞くだけで胸焼けがする程である。勿論小生もその一人

実は先月末、訳あって岡山に 2日間出向いたのだが、神戸より西に行ったのは実は10年振り。この秋は不順な天候に悩まされたが、空模様にも恵まれそうだという事で岡山での初の撮り鉄をと洒落込んだのだった。
当初は瀬戸大橋を渡ってことでんをとも目論んでもいたのだが、瀬戸大橋の通行料金が意外と高い事等々を鑑みて、そちらは諦めて岡山エリアでの撮影に集中する事と相成った。初日、朝からレンタカーを飛ばして先ずは備中箕島付近で瀬戸大橋線を撮影。それから午前11時前に中庄付近に移動。


普通に381系やくもを中心に山陽本線を撮影出来たらエエかなと思っていたが、現場に着くとやや激バ状態。ポジション探すのも一苦労、何と何と、その原因は PF 牽引の 大サロ
そんな事とはつゆ知らず、ポジション確保に四苦八苦していると、そんな小生を嘲笑うかの様に PF and 大サロ が倉敷に向って通過
その後、何とかポジションを確保して構えていると、DE10 プッシュプルの乗務員訓練列車もキターーー!、てなわけで特にネタなんてあるとは思わず向った場所だったが、ネタも撮れて充実した時間を過ごせた。


乗務員訓練列車の後は人が減って行き、良いポジションも空いてきて撮影には絶好の状況となった。この日は土曜だったが 3連休の中日、貨物もウヤが多かろうと思い、又来たとしても罐はももちんというのも判ってはいたので期待はしていなかった。

210137@naks01

見たところ何の変哲も無いももちんだが、来てしまえばやや事務的にシャッターを切ってしまう。
ただこれ、3連休だというのに臨貨があった!という事で137号機の8053レ 機関車次位が空コキというのが気に入らないが、山陽の貨物初撮影で貨物を撮る事自体も5ヶ月ぶり。


210160@naks01

8053レから丁度1時間後、更に線路に寄ったアングルで160号機(1059レ?)こちらは空コキも目立たず、コンテナも揃っていてなかなかエエ感じやった。
この後は件の 大サロ の返し、更には87系瑞風初撮影も達成。14時頃撤収し総社まで北上し桃太郎線(吉備線)の今後貴重となるディーゼルの姿を撮って終了。




そして翌日(2日目)、再びレンタカーを駆って前日のポイントからやや庭瀬に寄った地点で撮影開始。9時半過ぎと10時頃で貨物は合計3本ある筈である、本来ならその内2本は EF66 のスジである。レジェンド 27号機 なんて無論期待し様もないが、折角の山陽遠征なのでサメちゃんでもこの場所で押えられればと期待していたのだが・・・

210152@naks01

5074レ(多分)は EF66 のスジ(吹 A17 )、それがももちん代走=152号機、気勢を殺がれる。
あくまでも単なるサブターゲットとはいえ、貴重な EF66 のスジにまでEF210 に入られると胸焼けどころの話ではなくなる。
悪い事は続くもので、この後の5070レ(EF66・吹 A22)も結局は・・・



210118@naks01

またテメェか、コラ! もうエエ加減にせぇや畜生!
こちらもEF210 が代走していた=118号機
これが関東では殆ど見られない 300番台 、若しくは新塗装の 107・108号機 なら我慢も出来るが、何の変哲も無いヤツでは虚しくなるばかりである。


210124@naks01

序みたいに撮った124号機(1052レだろうか?)
この機関車、その存在が薄~いというか軽~い感じがして、耐えられなかったりもする小生である。



その後は一旦中庄駅近くのコンビニに寄ってから、前日のポイントに移動して山陽本線の撮影を続ける。この日は前日に比べて正午前後の時間帯で貨物の本数が多かった。貨物のダイヤが乱れ気味だったのだろうか?
本来なら9時台・10時台に通過する列車が遅れてこの時間に来た可能性が高い。


210155@naks01

11時丁度にやって来た155号機、この時間だとまだ正面が陰りがちである。


210134@naks01

正午過ぎにやってきた134号機 宅急便 のコンテナが目立つ。
この日は前日に比べて湿気ていて、被写体側は80%程度晴れていたのだが、背景では正午頃から雲が広がってしまった。この時期日本の南方海上には熱帯低気圧がウロウロしていたのいうのだから、この秋からのエルニーニョ現象は相当なものである。
カモレは桃太郎ばっかりという刺激に欠ける状況下でも、3連休最後とはいえこの日も臨貨=8053レがあってしかもクマイチ(#901)が来るというのが唯一の救いだった。
ただ、背景には雲がドンドン増えてきて気持ちが折れそうになる・・・



210901@naks01

8053レを牽いてやってきたクマイチ。小生の記憶が確かなら 4年前にワシクリで撮って以来の再会を果たせた事になる。被写体側も空が霞んで日差しがやや弱くなってしまっていた。

210135@naks01

ここまで来ると本当にただのオマケ、135号機。ただ、ほぼフルコン状態。

もう1本撮っているのだが、見ている方々も胸焼けしてきていると推察され、絵的にも今一つなので割愛。実はこの日の普電も前日と打って変わって末期色ばかり、国鉄形に飢えている関東在住の小生も途中からは事務的にシャッターを切る感じになっていた。
この日は瀬戸大橋線の備中箕島付近に再び足を運んで、16時過ぎに岡山での撮影を終えた。総体的には、381系115系117系105系キハ40系、更にはマリンライナー、しおかぜ、南風等々色々撮れたので釣果は大きいといえるが、カモレが何でコイツばかりなのだろうと思うと暗澹たる気持ちになってしまう。


この場所も二昔前位なら、 P F  EF66 変電所殺死と云ったあたりが入れ食いでバランス良く釣果も挙がっていたと思われる。思えばそれは美し過ぎる時代だったのであろう。



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今年で生誕50年を迎えた EF81、通称パーイチ。従前の EF80 をさらに進化させた謂わば「交直流機の決定版」として1968年12月に登場した。今月で丁度50年になったのである。
EF80 には1台車1電動機を採用していた事等から生ずる各種問題があり、新たな標準的交直流機の開発が必要だった。そこで50 / 60HZ の交流+直流の「 3電気対応機」として同世代の EF65 をベースに開発されたのがこのパーイチ様だったのである。


当時は交流機でサイリスタ位相制御が実用化されていて、パーイチも当初はサイリスタチョッパ制御の採用も検討されていたというが、抵抗制御という事で決着してしまった。汎用機として、日本海縦貫を中心にほぼ全国で使える様にするという大前提があった上、3 電気対応の為の各種機器を搭載する事等も考慮され 6軸(F級)で抵抗制御というシステムが採用された。

2014年北陸に遠征する事2回、この時のメインターゲットは 681/683系 はくたか であったのだが、サブターゲット達も豪華な大正義だった。無論、その中にはここで取り上げる富山の EF81 もあったのである。


2014年北陸遠征の1回目は5月末だった事は他の記事でも述べているが、初日の朝も500番台だったが新潟方面に向って来ていたのであった。
しかし、レンタカーの貸出手続きに手間取り、急いで撮影地に向ったが、到着したところで通過してしまい唯々見送るだけという破目になった。
(ジャパ〇レン〇カーは 24H 営業というのは助かるが、何せ場所が悪くて不便で対応もダラダラして今一つの事が多い)
その後 9時前の新潟方面もEF510-500番台だったので、パーイチ様は午後の部までお預けになってしまった




81721@tak01

初めて撮れた貨物パーイチは721号機の単機だった
関東在住の小生にとってはパーイチというと寝台特急を始め回送、工臨、イベント列車等々を牽引するJR 東日本所属機、真っ赤なパーイチのイメージが強かった。
正統派のパーイチはこの色であると確信した次第であった。


81404@tak01

富山にいた基本番台は運転記録装置の取付を機に600番台に改番されたが、こちらは404号機。元々は131号機だったが、九州用となり404号機に改造された、2007年に富山に転属。2011年には御覧の様な富山更新色に変った。
2015年以降はJR 東日本から移籍してきたEF510-500番台に役目を譲り、富山パーイチの運用が消滅。404号機は 2016年4月に門司に帰還を果たし再び九州内での運用に就いている。


そして翌日・・・。前日取り逃した7時台の 北 越 もパーイチも逃さずキャッチするぜぇ~という訳で

81725@tak01

7時半頃新潟に向う725号機=元125号機。湖西線開業に合せて1974年に投入され、旧敦賀第2機関区で活躍した後に富山に。入梅前の朝日の中でやってきた。

81735@tak01

2日目の午後に単機でやってきた735号機=元135号機・1975年製造、ヒサシ付きというのがマニア受けするらしい。ただ、ヒサシは上越線運用対応化の為の後付という事らしい。これも日本海縦貫での運用を失ってその挙句、去年廃車になってしまった

81729@tak01

この日の午後2本目のパーイチは荷のある 729号機だったが、編成長を読み違えてしまいケツが切れるという失態を犯してしまった 地方線区のカモレは不慣れなので編成長は余計に読み難いのは確かだが、多少長くても良い様に対応しておくべきだったと反省する小生である。
今から思えば、5月末で時刻も15時を過ぎていたのでここから少しだけ西高岡寄りのカーブでも撮れた気がする。それを思うと余計に残念なショットになってしまった。


同年9月末に遠征した時には、既にEF510 (0番台・500番台)が主体になっていた。門司所属だった500番台は続々と帰還してしまっていて、しかも撮影した場所が高岡ではなく富山だった事もあって、パーイチ様に出会う望みは叶わず、EF510 しか捉えられなかった。



81725@meis01

同年11月、名神クロスで晴天の下捉えた725号機。この罐とは半年振りの再会を果たせた事にはなるが、運用離脱が進んでいた事もあってこれが富山パーイチのラストショットになってしまった。この725号機も2016年に廃車されてしまった。
名神クロスでパーイチを撮るという一つの夢は何とか一度だけでも叶ったので良しとせねばならんのか?


元々九州用だった400・500番台以外でも門司に転属して走っているのは 717、716、718 の3機であり、2016年に721・725号機、2017年には726・735号機、今年には719号機が廃車になってしまっている。



参考がてらに旅客会社の方の EF81 も序に乗せておく

81101nhk@yod01

今は亡き敦賀の101号機(=JR 西日本所属)・2011年に淀川の鉄橋にて撮影
この101号機は2013年廃車、最後まで残った原色=106・108号機は2017年廃車となり原色は姿を消した。トワエク仕様の物でも先日 44号機 が廃車され残存するのは 113・114号機 のみとなっている


8198casp@krky01

JR 東日本所属 98号機牽引のカシオペア紀行=2017年2月撮影 98号機真っ赤なボディに流れ星マークの入った所謂北斗星カマ
E26 系も通常のカシオペアとしての運行は2016年春に終了し、以来はツアー列車として運行を続けているが、今年に入ってからその頻度は下がっている。



EF81 EF66 の様な圧倒的な存在感は無いのは事実、決してハイスペックでもない。汎用機というだけに一見平凡にも見えるが、同時に偉大なる平凡というものの凄さを確認させてくれたのだった。
生まれも育ちも東京で、EF81 というと嘗ての東北寝台特急のイメージを持ってしまう小生、貨物の EF81 とは御縁に恵まれなかった訳で、貨物のパーイチ様のこれだけしか押えられていない。
それならもっと早くから日本海側に足を運ばなかった?と突っ込まれれば返す言葉は無いが、小生も往還自在というには程遠い立場で、足を運ばなければと思っている内に2014年まで来てしまったのだった
JRFパーイチはまだ九州で走っているし、それも含めて国鉄形機関車は長寿である、非常に使い易いとされる事がその背景にあろう。 EF64 では1000番台=80年代製造ばかりになってしまったが、1970年製の 37号機JR 東日本)はまだ生きている。 EF65 でも70年代後半以降のロット(勿論PF1000番台)は 国鉄特急色 に復帰するなどしてまだまだ健在である。その一方、「JR 形」の 3桁機関車がそんなに長生き出来るのかは、はっきり言って疑問である。(多分ダメだろう・・・)



てなわけで、そんなパーイチ様に小生から捧げる珠玉の一曲は、この曲と相成った
Peter Cetera (ピーター・セテラ)並び Amy Grant (エイミー・グラント)がデュエットし、1986年の末に全米#1 をも獲得した超有名曲である " The Next Time I Fall " 
Peter Cetera は Chicago (シカゴ)のヴォーカルを長らく努めた後、脱退してソロに転向したばかりだったが、" Glory Of Love " に続く2曲連続の全米#1 獲得となりソロシンガーとして非常に良い滑り出しを見せた格好であった。
一方、Amy Grant は元々ゴスペルシンガーだったが、この曲の大ヒットでポップスシンガーとして認知度を上げて、その後90年代に入ると一気にメジャーな名前になった。(註1)(註2
因みに作曲者は Paul Gordon (ポール・ゴードン)と Bobby Caldwell (ボビー・コールドウェル)


この曲のPV はこちらのようつべでも御覧頂きたい。当時20代半ばだったエイミーは結構美しかったが・・・


Love, like a road that never ends
How it leads me back again to heartache, I’ll never understand
Darling, I put my heart up on a shelf‘
Til the moment was right and told myself


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., oh, oh, oh,
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Now, as I look into your eyes
Well. I wonder if it’s wise to hold you like I wanted to before
Tonight, oh, I was thinking that you might
Be the one who breathes life in this heart of mine


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I’m gonna follow through
And if it drives me crazy, I will know better why the next time I try


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I fall in love... ( next time I fall ), oh, oh, oh, oh...
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you...




註1)Peter Cetera=ピーター・セテラは1944年9月・イリノイ州生まれ=長池徳士、安仁屋宗八、杉良太郎、平泉成、内田勝正、渡瀬恒彦、野川由美子等と同い年に当る。
Chicago の前身時代(The Big Thing)を含めて1967~1985年までリードヴォーカル兼ベースと務め、1985年に41歳で脱退しソロ活動に転ずる。1986年のアルバム " Solitude Solitare " 及び1988年の " One More Story " は大ヒット作品となった
註2)Amy Grant=エイミー・グラントは1960年11月・テネシー州生まれ=清水ミチコ、コロッケ、安寿ミラ、福良淳一、津田恒実、旭富士正也(伊勢ヶ濱親方)、氷室京介等と同い年になる
1976年にゴスペルシンガーとしてデビュー、1982年のアルバム " Age to Age " はゴスペルとしては異例のミリオンセラーを記録。" The Next Time I Fall " の大ヒットを機にポップスに進出し、1991年のアルバム " Heart in Motion " からのシングル " Baby Baby " でソロでの全米#1を獲得。90年代はポップスシンガーとして大活躍。その後21世紀に入るとゴスペルに復帰。




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このネタも中盤戦の Part 3 に入る。
ここでは初公開ネタとなる「The Legend」「国宝」「産業遺産」、 ゼロロク様 こと EF66-0番台 をフィーチャー



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世界で一点だけのタペストリー。自作したと言いたい所だが、さすがに無理なので用意した画像から業者に作ってもらった。
掛ける為の紐も付いているのだが、こういうスタジオには殆どフックが無い。適当に紐をテープで仮止めして使うのだが、これだけで結構大苦戦。テープで付けられる様なフックも自前で用意してしなければ使えないのか?
上は今は亡き 26号機 =黒小屋踏切で撮影、下は独りぼっちになってしまった " 国宝 "  27号機 =八甫ストレートで撮影、何れも東北本線の運用に就いていた時の懐かしい画像である。



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タペストリーの次は模型、見栄えがする様にHO ゲージを購入。これが TOMIX の物で24000円程度。これでも十分高価だが、あの天賞堂謹製ならもう一桁上がる可能性もある?

高価な模型を導入しておいてだが、重大な欠点を発見してしまった。手で直接持たせると、手に隠れてしまうのである。これでは折角大枚叩いて買った HO ゲージの存在感が消えてしまう。この解決策として後に短いストレートのレールを買い、その上に引っ付けて使うという形で何とか解決したのであった。

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模型とタペストリー同時にフレームインさせる。因みに、彼女は長い事埼玉に住んでいたらしく、ワシクリのクリ=栗橋という名前に直ぐピンと来た。(旧栗橋町=現在は久喜市)

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本来ならタペストリーを左、彼女を右サイドに置くと収まりが良いのだが、タペストリーを下げられる場所が限られていて、理想的な構図を作れない

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この際荷の方はどうでも良いと言わんばかりの構図で作ってみた。
JR 貨物は企業が顧客という事もあって、一般ファン向けのグッズを作ってもビジネスチャンスには繋がらない。確かにこれは事実であろうが、 EF66 グッズを大々的に売り出せばファンには大うけ間違いなしで、売り上げは稼げる筈である。 EF66 は今年が50周年で(パーイチと一緒)、来年は鉄道貨物輸送近代化完了から50周年という事もあって、JR 貨物 27号機 がまだ生きている今だからこそグッズで売上アップのチャンスと思うのだが


このネタはまだ続く、次は勿論 Part 4

Mar. 25th, 2017、Pulchra 撮影会@新宿5丁目デプススタジオ(Depth Studio)
PENTAX K-3+smc DA star 16-50mm f2.8 / smc DA 35mm f2.4
バッテリーストロボ=Cononmark i6T EX、LED ライト使用





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