Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

タグ:JR貨物

このシリーズも鉄グッズ系に戻ってのPart 5 は去年で登場50年となった EF66-0 番台 ネタ
3日後の6月1日には日本国有鉄道も70歳=古希を迎える


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タペストリー+HO ゲージのみの構成から。
テーブルは何のためにあるのかというと一見邪魔にも思えるが、右下の絵の様なポージングを可能にしている。


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直流機カラーに合わせて青いバルーンも加えた構成。左上ではスティックに付けて持たせたが、手で直接持ってもらった方がポージングの自由度が増すようであった。

EF66 が登場から50年を迎えたという事は数回触れて来た事だが、0番台で唯一アクティヴな#27しかり、最近まで残っていた#30、#33、#36等といった所も2次車であり1973~74年にかけての製造分である。それらでも約45年に渡って活躍したのだから鉄道界の国民栄誉賞モノである。
ただ、この2次車でも最近まで残ったのは殆どが73年組で、74年組の廃車の方が早く進んだという理由はブルトレにある。国鉄からJR 西日本に継承された16機は74年組だったが、ブルトレ縮小~全廃という中で貨物に移籍出来たのは4機のみだった。
西日本ブルトレ全廃に恰も符牒を合わせる様なリーマンショック並びその後の経済低迷と混乱の中で74年組ゼロロク様は一気に消えていった。
この機関車の特徴の一つでもある半吊り掛け(中空軸可撓)駆動方式=クイル式駆動の変形も寿命を縮めた大きな要因かも知れない。軸重を軽減する事には寄与したが、構造が複雑化してゴムブッシュの劣化等によるメンテナンスコストの増大というリスクも高く、使い難い機関車になってしまった事は否めない。


関連記事=EF66 The Greatest! ~EF66 生誕50周年~ Part 1  Part 2  Part 3

このネタもいよいよ終盤戦に向かって行く所で、次回はPart 6 !


Apr. 2018 東京近郊での或る撮影会(現在は廃止)
PENTAX K - 3 Ⅱ+smc DA star 16 - 50mm f2.8 / smc DA 35mm f2.4
モノブロックストロボ1基及び LED ライト使用




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水野鈴菜 嬢の Part 3 は鉄グッズシリーズでも歴史の浅い(曝)EF66 (勿論0番台)ネタ。

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模型単体ヴァージョンから始めてみる。TOMIX のHO ゲージを線路に置く。この時目立たない様に両面テープで軽く固定しておく。
模型とモデルの間の距離にも注意を払わなければならなかった。模型をモデル側に引き寄せておかないと被写界深度の関係でぼけてしまって台無しになる。


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HO ゲージは大きくて重くて高い!といっても、こうしてみると所詮は模型なので小さい。彼の偉大なるゼロロクであってもその存在感を演出するのは至難の業だと判る。

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縦位置にしてしまうとテーブルが手前で大きく目立つため、横位置に変更して撮ったが、バランスは向上したのが明らかである。

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何でこんな模型と一緒にフレームインしているのか?と内心は思ったかも知れない。

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モデルと鉄グッズのコラボ。日本の鉄道史の栄光に溢れた所を、スタジオポートレートで表現し若い世代にも伝え残す。そこが小生の設定したテーマだったりする。

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模型を横のアングルで持ってもらって、サイドを強調

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今度は正面気味にしてもらって顔を強調しようとしたが、このサイズでは強調する所までは行かない。

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顔の近くに持ってきてもらうと双方の主張が強められ、絵にも訴求力が増すだろうか(適当)
テープで仮止めしておくと、手に持ち易いのは間違いない。レールの部分を持たせて模型の下回りも映しやすい。


模型+タペストリー(上が#26、下が#27で連番になっている)だとEF66 ワールドという感じがする。タペストリーを吊るしたハンガーラックの骨が所々露出してしまったのは汚点だったか?、そこはもう少し慎重にしたかった。
ゼロロク様のタペストリーだが、変化を付けるため第2弾でも作ろうかと思う様になった小生である。
彼女と出会ったのは草加駅前だったが、タペストリーの画像撮影地はワシクリ。同じ埼玉県内でも40km以上離れている(国道 4号BP 経由で)


それまで何回もステージの数メートル前から望遠で切り取っている相手だが、こうして間近で接すると違った部分が透けて見えてくる。

このネタもそろそろ中盤戦に差し掛かる所で Part 4 へと続く!

Jan. 27th, 2018 Pulchra 撮影会 杉並区内のスタジオにて
PENTAX K-3Ⅱ+smc DFA 35mm f2.4, DA-Star 16-50mm f2.8
オフカメラストロボ・LED ライト使用




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去年お亡くなりになった名神クロス、名神高速と共に東海道線を跨ぐ一般道が出来たのは2005年位といわれているので、その生涯は僅か10年少々と短いものだった。
2017年秋の時点で線路南側の農地は潰されるという情報は受け取っていたので、その時から名神クロスの御臨終は覚悟していた御仁も多かろう。
線路の際まで 3階建てみたいな住宅がびっしり建てられるとまでは正直予想していなかったが、近い内の人口減少が目に見えているこんな場所で今更宅地開発を推し進めるなんて、旧態依然の土建国家っぷりには反吐が出てしまう。



210102@mescr01

直流区間の主役面をして我々を辟易とさせているEF210 、名神クロスでもデカい面をしてのさばっていた。この102号機は岡山のカマなので正式な桃太郎=100番台1次車・1999年投入

21016@mescr01

こちらは18機しか存在しない 0番台=16号機・1998年投入
901号機投入=1996年から2年後の1998年になって量産型機がデビューしたが、でもその翌々年の2000年3月には100番台にいきなりジャンプした。0番台から彼方此方変更されたらしいが、それなら最初(0番台)から変更しておけと突っ込みたくもなる。



66131@mescr01

こちらはEF66-131 号機、空コキ1両が一寸残念
EF210 がのさばる中でも午前中にEF66 のスジが確実に存在した時期もあり、運が良ければ2回捉えることも出来た。ただ、名神クロスに限らず関西で今まで小生が捉えたEF66 は何れもサメちゃんである。年に数える程しか関西に行く機会がないので、なかなかそうは上手く問屋が卸してくれない様である。

66108@mescr01n

普通電車に並ばれかかる108号機、空コキの隙間から207系の顔が覗いてしまった。

51002@mescr01n

この場所では日本海ルートからの列車も来るので、関東では見られなくなった EF510 が両パン状態で拝める。(敦賀以北では交流なので片パン)

510504@mescr01n

500番台もここで撮影出来たが、寝台特急牽引機時代の小綺麗に保たれた姿を何度も目にしている小生からすると、どこかやるせない気持ちにさせられる。この500番台レッドサンダーになる事なく全検をクリアしてしまったが、青いからといってブルーサンダーは名乗れずそんな「宙ぶらりんな状態」を何時まで続けるつもりなのか?

※ここまでは2014年11月、2015年10月撮影の画像を使用

81103nhk@mes01

EF81-103 の牽く日本海、2011年10月撮影
2011年の後半はトワ罐に牽引されるケースが非常に多かったと記憶している。
山に囲まれた場所である為か、急に曇られたりするパターンにも結構泣かされた。これも完全にマンダーラである(´;ω;`)


蛇足かも知れないが、名神クロスからも割と近い上牧築堤は如何かというと…

225i6@kamk01

225系網干車8連の新快速、2015年10月に名神クロスと掛け持ちして撮影したもの。

名神・新名神高速高槻JCT に繋がる府道79号が上を跨ぐ様になってしまったこの場所だが、築堤もこの有様に変わってしまった。現場に行くと何やら余計なものがあって色々煩い。初見という事もあり、どういう構図で行くか答えが出難かった。もう少しサイド気味のアングルで行くべきなのだろうが、それでも絵的に大きく改善する様にも思えない。



ここからはざつだん形式…

これは西山天王山が悪い! 阪急が悪い!
西山天王山・大山崎からも約1kmやけど、この辺をバスはほとんど走っていないし決して便利な立地でもない。


奥さんが車で駅まで送ってくれて、あとは電車という郊外型のパターンで行くんやろ。

そんな尽くしてくれる嫁なんて殆どおらんから、駅までチャリやろ。

これはこれは、開発してなけりゃ死んでしまう土建国家病が日本を巣食っているぜ~っ!

戦後すぐに日本人を思考停止に追い込んで、アメリカ式郊外型消費生活を無理やり刷り込んだGHQが悪い!

アメリカの物を大量に買わせて、郊外開発で土建屋と住宅メーカーを食わせられるという一石二鳥という話やったけど、結局それで幾つの街をダメにした?、エッ!

戦後60年間は人口が増えてきたからそれでも良かったんや!

日本国中何処も彼処も同じ景色同じ看板って頭がおか C

土建業界には完酷塵超賤塵がタップリ入り込んでる、道路や宅地を開発すればする程そいつらに富が吸い取られる

街がドーナツ化して旧市街がゴーストタウンになって、それはな、根付いてきた歴史や由緒、文化が蒸発してしまう事なんやで!

道路開発+宅地開発→ショッピングセンター+病院+ラブホテルのセットという定期
工場なんか作っても何処から来たか分からない様な派遣労働者ばっかり増える。

それって田舎の話やろ、大都市圏と一緒に語るな!

抑々今って、あの辺のJR って撮るモンあるんか?





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この企画も年を跨いでしまったが最終回、Part 3 までしかやれないというのがとても情けない
で…、件のあの1機は撮ってるんかい?如何なんか? そんな声が聞こえそうな気もするが…
撮っていないわけ無いやろ! てなわけで、「国宝」 ニーナ様 の御登場。


「最後の原色機」 #27 は国鉄時代の姿を長らく留めて走り続けていた。2006年の更新工事で屋根がグレーに変わると云った変更はあったが2014年5月までその姿で走り続けた(つまり全検1回分)。
その後広島で保留車として保存されていたが、2015年6月6日に全検出場で復活した(EF66 に合わせて6月6日という洒落のおまけつき)
あの時ネットも ニーナ様 関連の話は随分バズっていたみたいな事を今更ながら思い出した小生である。


同年10月下旬、朝からワシクリ・八甫に繰り出し某寝台特急等を撮影、10時半頃の3096レに合わせて黒小屋に移動しようと考えていた。この時期は所謂「ポテト」・「カルビー」・「ジャガーズ」等と呼ばれる臨貨も走る可能性もあり、場合によっては PF の配給もあったりする。そこで10時過ぎまでは動かずに八甫にて待とうと考えた。

6627@hap01

待っていたら、10時数分前にその時はやって来た!多分臨貨とは思うが、ついに ニーナ様 とご対面~っ!
その時八甫で撮っていたのは小生一人だけで、国宝独り占め成功!



~素晴らし過ぎるが故の…~
1968年に量産開始した EF66 は定格出力3900kw= EF65 の 5割増しを叩き出し、文句なしの国鉄最強機関車だった。現に電気機関車としてブルーリボン賞を獲得した唯一の存在であるのは御存知の通り。
この 0番台 の製造は1968年から1974年とあるが、見方によれば1974年で断念せざるを得なかったとも考えられる。
ニクソンショック(Nixon Shock、1971年8月)、更には1973年の第1次オイルショック(Oil Crisis)によって日本の戦後高度成長は終りを告げて、国鉄も更なる窮地に追い込まれていった。そしてその後製造された国鉄形直流機は EF64・EF65 であった。


そして国鉄民営化直後の1989年になって ロクロク であって ロクロク ではないとも評されるサメちゃんこと100番台がバブル真っ只中に製造された。そして同期生に当るEF81 も九州用に追加製造されたのである。
事実、 P F は非常に使い易いという話はよく聞く。これに対しEF66 は元々汎用性は二の次なので、決して使い易いものではなかったのだろう。EF65 だって前はあれだけウジャウジャいたのが、今となっては新鶴見に40数機、旅客会社の物も含めても60機程度しか残っていない。そうは言っても、近年に於ける P F のしぶとさにはまいっちんぐである。
この機関車の歴史、そして近年の廃車の進行には車齢という以外にも、「素晴らし過ぎるが故の悲劇」なるものが付いて回っている事は否定出来ない。




そして時は流れて2017年10月になる。27号機が5097レ(9:45新鶴見発)で稲沢に向かうという情報は前日にキャッチしていた。その日午後から仕事だったにも関わらず、朝9時には現地入りしての場所取り。
2017年の9~11月というと度重なる台風襲来と天候不順に辟易とさせられていたが、この日はゼロロク様を歓迎するかの様な青空に恵まれた!(午前中だけだったが)



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この瞬間が迫って来る時って凄く緊張する、誰でも同じだろうが。その出来栄えは見ての通り、歯抜け無しのフルコン!、しかもコンテナもしっかり揃うこの統一感!、素晴らしい
因みに、この鶴見川では DA star 50-135 の出番である。(ここ2年位鉄道では SIGMA 70-200 ではなくDA star 50-135 がメイン)


ここで主だった電気機関車の出力を比較してみる
EF66=3900kw、EF64=2550kw、EF65=2550kw、EF81=2550kw(直流)・2370kw(交流)、EH10(元祖マンモス)=2530kw、EF58=1900kw
" 変電所殺死 " EF200=6000kw(名目上)、EF210=3390kw(60分)・3540kw(30分)、EH500(金太郎、又の名を平成のマンモス)=4000kw(30分定格)・4520kw(60分)、EH200(Blue Thunder、又の名を山男、ロクヨン殺死)=4520kw(60分定格)・5120kw(30分定格)


クソ機関車と云われるEF210が見た目の割に高性能で、その出力が EF66 の87%程度= EF65 の133%である事は意外と注目されない。同時に元祖マンモスことEH10 の出力が EF65・64 と同程度(に留まる)という事にも驚く。


12月に入り、秋の天候不順も終わり天候も安定してきた。そんな中、2ヵ月振りのビッグチャンスがやって来た!

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12月9日、2ヵ月振りの 国宝様 、この時もしっかりフルコン

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12月21日にも再びチャンス到来、朝から晴れるという予報だったのだが、雲がなかなか去らずしかもカマの後ろが空コキで結局はこんなショットに

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この月3度目のゼロロクチャレンジは23日、休日という事もあってか空コキが続いて思いっきり歯抜け。カマは2回続いた #27 ではなく #30
これがX'mas eve の24日だったらもっと良かったのにというのはあるが、それでも小生には勿体ない程のクリスマスプレゼントになった。これは同時に居合わせた方々にとっても同じではないか。




今世紀に入って 基本番台 も老朽化が目立ったのか廃車が始まった。本格化したのは2005年頃からと思われるが、その中でも廃車数が目立つのは2009年・2010年・2016年である
2010年までの廃車は主にJR 西日本に受け継がれた旅客用機であり、これはブルートレインの縮小・廃止に合致する。JR 貨物に譲渡された罐もあるが、2009年の はやぶさ・富士 廃止=西日本方面ブルトレ完全消滅で廃車が加速した。
そして第2のピークが2016年、北海道新幹線開業である。それとこれとどんな関係があるのかといえば、これに合わせてEH800 が青函用に投入、これでEH500 の運用に大きな余裕が出来た。東北線でも黒磯でのカマ替えが廃止。更には金太郎の運用も相模貨物まで伸びて、これで首都圏での直流機運用数をカット。これで EF66 EF200 その他の旧世代直流機の淘汰を加速させたという指摘もある。
牽強付会かも知れないが、この廃車が本格化するのと符牒を合わせるかの如くに、90年代に花開いた「平成前期のプロレス」換言すれば「四天王・三銃士」世代のプロレスが終焉に近付いた様にも見える。この時代のプロレスの主役達も続々と終焉(「事実上の」も含めて)を迎えていった。
註1

又このEH500 は東海以西の方々にはピンと来ないであろうが、1時間の定格でも4000kw、30分なら4500kwに達する上にブースト機能で瞬間的には5000kwオーヴァーの出力も出せる。さすが H 級という実力の持ち主で、 EF66 でさえ凌いでしまう平成のマンモスなのである。


210160@naks01
EF210-160、2018年11月・中庄駅付近で撮影

kint76@krky01
EH500-76、2015年10月・黒小屋踏切にて

てなわけで、この両者は ゼロロク様 殺害の共同正犯になるのである。(許せん、成敗してやる



年は明けて2018年、年明け以降ゼロロク様に御目通り願えるチャンスはないまま3月に入っていった。この時期小生は終焉が迫った 小田急7000形LSE を主なターゲットにしていた。
3月上旬のある週末、この LSE EF66-30 を掛け持ちして狙えそうだという事になり、勿論挑戦しない訳にはいかない。先ずは昼時の LSE を酒匂川や開成辺りで狙い、午後はそこから転戦してカモレを狙うというプランで朝から東名を飛ばして現地に向かった。酒匂川の東サイドの土手からと考えたがが…、酒匂川の辺りはとても無理だった。松田町さくらまつりという行事があって周囲は混雑、臨時駐車場から現場まで15分も歩かされる羽目になり、それが祟って狙っていた LSE を一足違いで逃すという惨事。


odk8555@sakgw01

仕方なく後続の急行(8000形)を撮ったが、東側の土手から狙うと家が邪魔である、この他にも色々障害物が待ち構えていてロクな絵は撮れなかった。開成へ移動して午後一番の LSE をとも考えたが、この日はもう 30号機 に全てを賭けようと移動開始。松尾踏切へという選択肢もあったが、旅客列車に被られるリスクを考えざるを得ず、この際だから静岡県まで行って撮ろうと東名・新東名を走り長泉沼津IC 経由で三島へ。川原ヶ谷地区の築堤、トライしてみたかった場所だったのだが…


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185系踊り子修善寺行き、13時半過ぎという事もあって顔に陽はあまり当たらない。光線状態はさておき、問題なのは伸びまくったまま刈られていない枯れ薄
JR 東海の保線は一体何をしているのだろうか?確かに、熱海~三島間の列車本数は非常に少ない。でもこれは酷杉内である!「貧しさに負けた~」とか「世間に負けた~」とは言い訳しても許さへんでぇ!
でも、ここまで来てしまった以上この環境下で何とか撮るしかない


66115@mism01

14時直前に通過したサメちゃん#115、こちらのスジはダイヤ改正後も残っている。
サイドは0番台とあまり変わらないのだが、正面だけはどうしてこんなデザインにしてしまったのだろうか?この「サメちゃん顔」が JR 世代直流機デザインの基本線になっているのが判る。


6630@mism01

そして15時直前、本日のメインイベント! 30号機 、しっかりフルコン! やはり ゼロロク ゼロロク である、枯れ薄に負けず素晴ら C

この時点で取敢えずミッションコンプリートではあるのだが、これだけで帰るのは勿体ないので、R136 BP (伊豆中央道)経由で伊豆箱の牧之郷近くまで飛んで夕方前の伊豆箱を撮影。

izh3011@mkngo01

作例として、3000系・第6編成=ラブライブ仕様ラッピング、サイドが何とも賑やかだ(白目)

結局枯れ薄まみれの築堤ショットが No. 30 を捉えたラストになってしまった。実を言うと、この月末にもうワンチャンスあった筈なのだが、5097レの運用に就くというので鶴見川に朝早くから陣取ったものの、何とそれが幾ら待っても結局来ず!「フラれた」格好になった。
前日からの東北本線貨物ダイヤが乱れた模様で、その影響で当該列車の運行も大幅に狂ったらしいのだった。松尾踏切に行って賭けに出る事も考えたが、その勇気がなかった
あとはご存知の通り、4月18日吹田から No. 27 の次位ムドで広島に廃車回送されてしまった。
夢のタッグとも呼ぶべき ゼロロク様 ダブルがこんな形で実現した事に寂しさを覚えざるを得ないのである。この廃回が前日にでも判っていれば英賀保辺りにでも弾丸で飛んで行ったかも知れないのにと後悔する小生だった。




最後にこの締めとして 偉大なる歴史的領導車 に捧げ申す一曲は、Bobby Caldwell (ボビー・コールドウェル)の " Heart of Mine "
この曲自体は Boz Scaggs (ボズ・スキャグズ)のヒット曲として有名だが、小生はどちらかというとコールドウェル氏のヴァージョンの方が好きである。両者とも Adult Contemporary の名手として日本でも有名で、未だに根強い人気がある。因みにこの曲、小生位の世代だと、アメリカンブルーのアレでもお馴染みであった
註2

どの様な曲かについてはこちらのYouTube でも御参照賜りたい
自由と安らぎの香りがするので(曝)序にライブ映像のリンクもこちらに貼っておく



One day you may find true love that will last forever, and ever
Tell them you'll spend a lifetime wishing on together
I never thought she'd say goodbye, and I never understand the reasons why


Heart of mine..., how will you keep from dying ?
Stop reminiscing who is she kissing
Heart of mine..., oh, what's the use in trying, no one can mend you now


Love plays fool games, I can't believe she's found another lover to love her
Does she miss me ?, sometimes I just can’t help but wonder
If I could stop the hands of time, then I'd know she'd always be forever mine


Heart of mine..., how will you keep from dying ?
Stop reminiscing who is she kissing
Heart of mine..., oh, what's the use in trying, no one can mend you now


Then I'd know she'd always be forever mine

Heart of mine..., how will you keep from dying
Stop reminiscing who is she kissing
Heart of mine..., oh, what's the use in trying, no one can mend you now


Oh..., heart of mine
Stop reminiscing who is she kissing
Heart of mine..., oh, what's the use in trying, no one can mend you now


Oh..., heart of mine..., oh..., heart of mine..., oh..., heart of mine... (fade out)

※ Boz Scaggs のヴァージョン(こちらのようつべVEVO参照)とは歌詞が一部で異なる




註1)例を挙げて行くと…、Terry Gordy =2001年死去、高田延彦=2002年引退、冬木弘道=2002年引退・翌年死去、Steve Williams=2004年引退・2009年病死、橋本真也=2005年急死、Bam Bam Bigelow=2005年引退・2007年死亡、Mike Alfonso(The Gradiator)=2005年引退・翌々年に自殺、三沢光晴=2009年リング上で事故死、川田利明=2010年休業→実質上引退、小橋建太=2013年引退、佐々木健介=2014年引退、
金村キンタロー=2016年引退、蝶野正洋=2017年に事実上引退、高山善廣=2017年に頸椎完全損傷(回復ほぼ不可能)、ミスター・ポーゴ=2017年死去、Vader (Leon White)=2018年死去

註2)Heart of MIne の作曲者はBobby Caldwell、Jason Scheff(1985~2016までは Chicago のヴォーカルだった)、Dennis Matkoskyの3人。
Boz Scaggs が1988年のアルバム " Other Roads " にイシューしてシングルカットした。翌年、Bobby Caldwell がアルバムのタイトルトラックとして収録




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この企画、越年させるつもりは無かったが、パソコン死亡とか色々あって思う様には行かないものである。

ヨンサントウ改正は戦後鉄道史の中の一大イベントだったという事に異論は差し挟めないであろう。これに合わせる様にデビューしたのは EF66 以外にも、EF81 485系 583系 というまさにそれぞれのジャンルに於ける決定版といえる車達で、それぞれが長年に渡りウルトラ級の大スターであり続けたのである。

このカルテットと同い年に当る御仁達を挙げて行くと…
羽田美智子、森口博子、松下由樹、紫吹淳、菊池桃子、荻野目洋子、鈴木京香、いしのようこ、和央ようか、杉本彩、大塚寧々、河合美智子、井森美幸、生稲晃子、長嶋三奈、重太みゆき、勝間和代、小野文恵、高嶋ちさ子、Chara、
城之内早苗、濱田マリ

つんく♂、木山裕策、内野聖陽、渡部篤郎、佐々木蔵之介、岡田圭右、葉加瀬太郎、名倉潤、月亭方正

スポーツ界に目を遣ると、野球界からは桑田真澄、野茂英雄、山崎武司、金本知憲、矢野燿大、長谷川滋利、杉浦正則、緒方耕一、緒方孝市、飯田哲也
その他スポーツ界では琴錦功宗(朝日山親方)、北沢豪、原田雅彦、深堀圭一郎、伊澤利光、永田裕志、ブル中野、尾崎魔弓、ミスター雁之助、ハヤブサ、邪道、鈴木みのる、薬師寺保栄、小川直也、長崎宏子


海外のスター達から挙げると、Celine Dion(セリーヌ・ディオン)、Kylie Minogue (カイリー・ミノーグ)、Lisa Loeb(リサ・ローブ)、Naomi Watts(ナオミ・ワッツ)、Will Smith(ウィル・スミス)、Mark Anthony(マーク・アンソニー)、
スポーツ界、特に MLB では90年代~2000年代のスタープレイヤーが目立つ(当然だが)。
Frank Thomas(フランク・トーマス)、Mike Piazza(マイク・ピアッツァ)、Sammy Sosa(サミー・ソーサ)、Jeffery Kent(ジェフリー・ケント)、Gary Sheffield(ゲイリー・シェフィールド)、Jeffery Bagwell(ジェフリー・バグウェル)、Roberto Alomar(ロベルト・アロマー)、Mike Mussina(マイク・ムシーナ)、
その他のスポーツでは、Paolo Maldini(パオロ・マルディーニ=サッカー)、Mika Hakkinen(ミカ・ハキネン=F1)、Colin McRae(コリン・マクレー=ラリー)、Michael Stich(ミヒャエル・シュティッヒ=テニス)、Kurt Angle(カート・アングル=プロレス)
極め付き?は、Felipe VI=現・スペイン国王フェリペ6世

余談かも知れないが、ゼロロク世代には小生の知っているバーテンダーさんにも結構いる訳でバーテンダー界でも一寸した Golden Generation だったりもするのか?

ただ、この世代を見てゆくと実は飛び抜けたスターが少なく、全般的にやや小物感が否めない所がある。その中ではやはり横綱に EF66 、大関には 485系 583系 EF81が列せられるのは間違いなく、C. ディオンやW. スミス、S. ソーサ、K. アングルで関脇・小結という感じだろうか?

「同期デビュー」という視点に変えて見ると、
Deep Purple(ディープパープル)King Crimson(キングクリムゾン)、Yes(イエス)、ジュンとネネ、池乃めだか、大谷直子、和田アキ子、丘みつ子、水木一郎
プロ野球では高田繁、関本四十四、川藤幸三、松岡弘、村田兆治、小川亨

更に他では出前一丁、ボンカレー、霞が関ビルディング、道路交通法違反点数制、日商岩井、ソニー・トリニトロン、トヨタコロナマークⅡ(現・マークX)、日産ローレル、いすゞ117クーペ、タカラ人生ゲーム、少年ジャンプ、ゴルゴ13、ゲゲゲの鬼太郎(アニメ)、郵便番号、文化庁、全仏オープン(オープン化がこの年)、キイハンター、巨人の星、お昼のワイドショー、3時のあなた、夜のヒットスタジオ、オールナイトニッポン

こんな辺りが挙げられる。


そんな事は兎も角、ここでは東北本線でも活躍していた頃の ゼロロク様 の絵を紹介して行きたい。
午前10時半頃にワシクリを通過する3096レ(当時)に充当されていた(黒磯以南)
この時代には 0番台 も廃車が進んでいたので、運用の大部分はサメちゃんだったのは言うまでも無かったが、運が良ければ ゼロロク閣下 にも出会えたのである。


6626@krky01

いつだったかは判らないが、ワシクリで ゼロロク 初撮影となったのは 26号機
でもこれは本当は失敗例と考えるべき。引き付け気味に撮ろうとして架線柱の処理を誤った典型例。本来ならもっと奥に追いやるべきだったのだろう。この時は久し振りのワシクリだったが、その当時多用していた撮り方と違う撮り方に挑戦したらこんな失敗。
この失敗で引き付けて撮るのが怖くなってしまった小生、以下の構図(従前の形)で撮る様に戻ってしまった。


6633@krky01

裏被り食らった 33号機 、相手はEF210 のコンテナ列車。何故かこういうケースが多かった。
以上 2点は K-5 Ⅱ時代の作例。これ以下は K-3 (2015年1月購入)へとバトンタッチ。




ここで EF66 御登場の1968年はどんな年だったかを振り返ってみると、それは「激動の時」という言葉で表現される事も多い。
先ず、この国は東京五輪(Ⅰ)から4年後で翌々年には大阪万博(Ⅰ)を控えていた高度成長の時代だった。この機関車は高度成長の末にGNP 世界第2位となり先進国の仲間入りを目前にした時代の申し子の様にして誕生したとも、高度成長の歩みが必然的に産み出した怪物とも呼べるのである。


安保闘争はクライマックスに近い状態で全共闘その他の過激派が暴れていて、ヴェトナム反戦運動もピークに達し、東大闘争も始まった。10月には新宿騒乱=新宿解放区なんていう事件まで起きた。三里塚闘争を始めとした成田闘争も最高潮に近い状態で、第1次~第3次成田デモ事件等々が起きている。
他では横須賀線電車爆破事件、金嬉老事件、日大闘争の引き金になった20億円使途不明金事件、3億円事件もこの年の事件。
公害問題もクライマックスとなり、水俣病が公害病認定を受け、カネミ油症事件が起こったのもこの年であった。


年明け早々にプラハ(当時はチェコスロヴァキアだった)の春が起きて、続いてヴェトナム戦争では所謂「テト攻勢」も始まったが、これを対抗する様にフォンニィ・フォンニャットの虐殺、ハミの虐殺(この 2つをやらかしたのはバ完酷)、更に米軍によりソンミ虐殺事件も起こった。
春になるとワルシャワで「 3月事件」が勃発。アメリカでもキング牧師(Martin Luther King)が 4月に暗殺されると人種暴動勃発の引鉄が引かれた。6月には RFK ことRobert F. Kennedy (JFK の実弟)暗殺事件も起きている。
フランスでも所謂「 5月革命」が3月~7月にかけて起きたが、5月の大規模ゼネストがそのピークであった。
8月にはプラハの春に対抗してワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵攻するチェコ事件が発生。10月にはメキシコでも五輪の10日前に民主化要求デモが起こり、これに対し警官隊が発砲し数百人の死者が出た。



現代史の話はここまでにして閑話休題という訳で…

6633@krky02

K-3 での ゼロロク様 初撮影は2015年2月上旬で 33号機 だったが、又も裏被りを食らってしまう=[ 悲報 ]

なんでこんな構図で撮っていたのかという理由だが、その一つとしてこの場所では線路の脇に道路があるのだが、線路から離れてしまうとそこを車や歩行者が入ってしまうと完全にアウトなので、そのリスクを避けるという事もあった。踏切の手前なので微妙な所に障害物が出来てしまったりで当時の小生はこういう撮り方しか考えなくなってしまった。(猛省)


6621@krky01

こちらは 21号機 =2次形最初のカマ
裏被りがなく撮れたのは良いが、途中で空コキが連続して非常に間抜けな感じになってしまった。これは臨貨なのか代走なのか今となっては解らないが、前出の #33 と同日撮影であった。一度に2回も 0番台 のシャッターチャンスが訪れるなんて夢の様な日もあったのだ。



6624@krky01

ダブル撮影の約一週間後、裏被りなしでほぼフルコンで #24 も捉えられた。
2015年2月は 0番台様 に逢える機会が比較的多かった様に思うが、嗚呼、帰れるならこの時に帰りたい。


6626@krky02

2015年10月中旬、 26号機 は2回目だった。
また少しアングルを変えてと思って撮ってみたが、今一つな形に
架線柱が中央付近に来てしまったのは悔いが残る。今の小生ならこういう構図はない90~100mm相当でもう少しだけサイド気味に引き付けて撮る。


6630@sam01

年は変わって2016年1月、黒小屋ばかりだとマンネリ過ぎるので佐間のストレートで撮る事にしたが、それが結果的にしくじりだった。
その日3096レでやって来るのは 30号機 、歩道橋からの俯瞰アングルでとも思ったが、線路の脇道に歩行者等が入り込むと完全にアウトなので、それを避けようと地上に降りて撮影した。そうしたらこんな絵に。(黒小屋に撮影地変更するにも既に他の撮影者で埋まっている危険性があったので佐間で我慢)


この時期は、その少し前に都内で起きた架線柱倒壊事故を受けてか、急に架線柱の架け替えを行う事にしたのか?、従前の物に加えてコンクリートのゴツい架線柱が増やされていたのである。聞いた所では、前年末から急に増殖したらしかった。増やされた奴のせいで、画面全体が串刺しという惨劇になってしまった。俯瞰撮影ならリスクはあってもここまでの惨劇は起こらなかっただろう。(パン抜きは至難中の至難になっただろうが)

その後3月からは東北本線は EH500 独壇場になってしまった事もあって、結局これがワシクリ、そして東北本線での ゼロロク様 ラストショットになってしまった。



小生が EF66-0 番台を捉えられた回数は、実を言うと屁みたいな数でしかない。
何でもかんでも片っ端から追い駆けられる訳ではないが、以前からもっと情報にアンテナを張りゼロロク様を優先して真剣に追い掛けていれば、結果は全然違っていただろう。消え行こうとしているこの 偉大なる領導機様 とのシャッターチャンスを慈しみたかった。そしてこれからも、残った1機 とまだ巡り会えるチャンスがあると信じて、諦めずに待って逃さない様にしたい。。

てなわけで、今回の一曲として、Dionne Warwick (ディオンヌ・ワーウィック)の " Never Gonna Let You Go " をこの偉大なる車両に捧げたい。註1彼女は故・Whitney Houston (ホイットニー・ヒューストン)の従姉としても知られる。この曲は実を言うと Sergio Mendes (セルジオ・メンデス)の曲としての方が有名だが註2、実質的オリジナルは彼女の方。
この曲は元々Earth, Wind and Fire のために書かれたが、それがレコーディングにも至らずで、D. ワーウィックが1982年のアルバム " Friends In Love " に収録したのが最初となった。
翌年、アルバム制作の為にバラード曲を探していたメンデスがこの曲に注目し、カヴァーしたのがシングルとしてもリリースされて全米(Billboard Top 100)でもTop 5 入りするヒット曲になり、以降は大変有名な曲となった。


D. ワーウィックのオリジナルの方は こちらのYouTube を参照いただきたい、
S. メンデスのカヴァーのライブヴァージョンもリンクさせておく事とする。(メンデス氏は殆ど映っていないが…)


両者で曲の構成と歌詞が若干異なるが、掲載の lyrics は D. ワーウィックのヴァージョンの方である。

I was as wrong as I could be to let you get away from me
I’ll regret that move for as long as I’m living
And now that I’ve come to see the light, all that I wanna do is make things right
So just say the word and tell me that I’m forgiven


You and me, we’re gonna be better than we were before
I loved you then but now I intend to open up and love you even more, this time you can be sure


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Looknig back now, it seems so clear, I had it all when you were here
Oh. you gave it all and I took it for granted
And if there’s some feeling left in you, a flicker of love that still shines through
Let’s talk it out, Let’s talk about second chances


When you see it’s gonna be sweeter than it was before
I gave something but now I intend to dedicate myself to giving more, this time you can be sure


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Let me hold you to my heart, let me say that you’re a part of me
And you always will be, I’ve come to see there’s no one else but you
So, won’t you say you want me too


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go


Never gonna let you go, I’m gonna hold you in my arms forever
Gonna try and make up for the times I hurt you so
Gonna hold your body close to mine, from this day on, we’re gonna be together
Oh, I swear this time, I’m never gonna let you go...  ( repeat and fade out )


その 唯一残った0番台 はまだ出て来てないが、それはどうしたかって?
その辺の事も含めてPart 3 へと続く!




註1)Dionne Warwick は1940年12月New Jersey 州生まれで、本名はMarie Dionne Warrick。大学時代に音楽を専攻し、音楽プロデューサーの Burt Bacharach と出会う。大学卒業後の1963年にデビュー、翌年 " Walk On By " というヒット曲を放つとその後は70年代後半の不振を除いての活躍は夙に有名。
註2)Sergio Mendes は1941年2月・ブラジル生まれのブラジル人。幼少期はクラシックを学んでいたが、その後はボサノヴァ・ジャズを手掛ける様になる。80年代に入るとadult contemporary にも進出。その際のヒット曲が " Never Gonna Let You Go "




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