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マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:JR東海

JR東海315系を導入して先ず淘汰されるのがニチョンチョンこと211系。名古屋地区の中央本線からは既に撤退が始まっているが、来年から静岡地区東海道本線でも撤退が始まるであろう。結構な数の廃車が出るこの系列について多少引き取り手がいるのではないかという憶測も一部で出ている。この系列でもJR東海のものはその殆どが国鉄を知らない世代=1988~91の製造、それでも古い物は35年に達しようとしている。
この会社でも315系HC85系は「ドン」「総帥」=葛西敬之氏を知らない世代になる。ここで、葛西氏のおかげでこの鉄道事業者はチュ~獄に媚びる事なくガチの日本企業としてここまで来れた事を心に留めなければならない。


ところで、地方私鉄にてVFD車の導入が難しいケースもあり、その壁になるのは変電所の容量の問題だとされる。VFDでは、回生ブレーキから生じ架線に戻される電流を使う他の列車が抑々少ないと過電流が起きてマズいと言われるが、それ以外に省エネと言いながら起動時の消費電力は非常に大きくなる傾向にある。地方私鉄の変電所容量は小さい場合が多く、こうした事象に耐えられない危険性がある。

更に、VFD車は色々ハイテク装備でしかもその部品がアッセンブリーになっている事も多く、資金力が乏しくハイテクな部分のノウハウも少ない地方私鉄ではメンテナンスに非常に苦心する。
211系の様な古い世代のローテクな車は重宝する可能性は高いとはいえ、国鉄・JRの車両は図体がデカい、80年代以降に造られた系列形式は特にそうである。私鉄は車両限界が大きくない所も多く、デカい奴は入れたくても物理的に無理というケースが多い。ニチョンチョンを引き取りたくても引き取れる鉄道事業者は非常に少ないと思われる。


尚、211系の構成形式にモハ210・クハ210があるが、形式名の通りこれから少女保護(実際は捕獲・拉致~搾取・兵士作り~人身売買や臓器狩りとか人肉狩り?)の為の「電車カフェ」だって作れる事も明記しておくが、キモすぎ尾ビデ哉である。


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JR東海211系LL20編成(静岡電車区)=清水付近にて

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JR東日本長野色の211系=2020年5月@トタハチ

211系の引き取り手になる可能性が一部で指摘されている所は何処かというと…

その一つが伊豆箱根鉄道(駿豆線)ここは20m3ドアだとピッタリ嵌る。特急踊り子が毎日入線している上に、同社の7000系はそもそもJRへの乗り入れを目指して造られたという経緯がある。
20m3ドアというのも伊豆箱の駿豆線ピッタリフィットである。それではどの車両を置き換えるかは微妙な所である。この7000系だが、90年代登場だが中間車だけが2ドアという中途半端で少々使いにくい設計。そういう事もあって2編成しかない。


主力は3000系鋼製ボディの第1~4編成は1979年~82年の製造で全車40年オーヴァー、ステンレスボディの第5編成は87年登場・第6編成(ラブライフ)は1997年製造という事で駿豆線では飛びぬけて若く、ぴちぴちの26歳(曝)。元西武の新101系を譲り受けた1300系だが、1979年製造車なので3000系3001F(軌道線カラー)と同い年になる。211系の車幅は2966㎜、伊豆箱7000系・3000系の車幅は2900~2950㎜、1300系の車幅は2800㎜で、乗り入れて来ているE257系の場合2946㎜という事を考えると、211で代替される第1候補は1300系という事になると予想する。ニチョンチョンは2966㎜と非常に幅広だが、駿豆線では何とかなる様に思われる。

駿豆線を最高速度80㎞程度の各駅停車でちまちま往復している様な運用なので、各所の痛みは年齢の割に少ないだろうが、これから20m3ドアという地方私鉄向きの出物はレアになる。(221系223系初期車でも出てくれば話は別だが、223系はVFDなので秩父鉄道等では難しいか…?)東海の211系なら駿豆線の大部分の車両より若いし、7000系より年上でも使い勝手は良いだろう。大場まで三島経由で全線自走で入れられる可能性は高いので、その点も楽と思われる。

もう一つ上がっている様なのが、秩父鉄道
12系客車がパレオエクスプレスで走っているので、車両限界の問題は恐らくクリア出来るのではないか。同社の主力車両の一つが5000系で元々は東京都交通局三田線にいた6000形。秩父に来たのはその中でも1972~73年に追加製造されたロットの車だが、これだって50年選手で3連×3本が在籍。


7000系=元東急8500系も2編成あるが、これも初期車なので半世紀に達しようとしている。この辺りを交替させるなら今211系を導入するインセンティヴになりうる。秩父の一般車は4ドアなのに、そこに3ドアのニチョンチョンなんて入れられるのか?と思われるかもしれないが、何せ埼玉の田舎なので細かい事は気にしない、それワカチコワカチコっ!。
それはともかく、一度真面目に秩父鉄道で4ドアが必要か?と考えてみると、必ずしも4ドアでなくても良い気がする。工夫次第でいくらでもマネージ出来ると見えるから秩父でもチョンチョンはアリではないか。



651om202@kitur02

東海から211系を引き取って、東日本から651系を引き取るというのは良いアイディアだと思う。
211651両系列で共通する部品も多いというのは便利になるであろう。ニチョンチョンは所謂国鉄末期型で、651系はJR初期型=国鉄末期の続編みたいなものでこの両系列に共通部分は多い。2系列あっても部品確保はその点比較的容易とも考えられる


秩父鉄道なんかはパレオと並ぶ目玉商品として651系を取った方が良い。伊豆箱の駿豆線は20㎞にも満たないが、秩父鉄道本線は全線で71㎞ある、特急車はある程度の距離を走ってこそ生きるというもの。どうせ余生を送るというなら、伊豆箱駿豆線で快速運転で1日数往復でもして「客寄せパンダ」をやるという手もあるし、それはまた歓迎すべきアイディアになるであろう。小生は秩父鉄道で活躍して欲しいとも思う、同社線には高崎線から熊谷経由で列車が直通していた時代があったのを思えば尚更である。(上野~熊谷~三峰口/上長瀞/武州中川)
無論、両方ともという事なら勿論大歓迎。




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今年もダイヤ改正の季節、関東では東急相鉄直通開始が大きな話題だが、その他での鉄道車両の動向に関する話題を3つ。

この度のダイヤ改正でキハ85が特急ひだの運用から完全撤退。1989年の登場から34年が経過して、HC85に交代。ゴルフでHC85なんてあり得ない数字だが、ここのHCはhandicapではなくhybrid carの事。気動車といいながら各車の形式記号はクモロ・クモハ・モハで完全にここだけ見ると電車である。
キハ85が消えるのは高山本線のひだのみならず、7月には南紀HC85系に交代する。


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安濃川を渡ったキハ85の特急南紀=2017年3月・近鉄津新町駅付近にて

ここで捨てる神あれば何とやらという事で、キハ85の京都丹後鉄道(丹鉄・WILLER TRAINS)への移籍が決まって、既にその第1弾?が既に行われたのはご存知だろう。移籍したのはキハ85#3と#12の0番台非貫通先頭車2両

去る2月23日~3月5日に渡って、京都鉄道博物館でキハ85及びHC85の特別展示が行われたが、キハ85-3・12は名古屋に戻らすその足で西舞鶴まで行った。因みに、JR東海の在来線車両が同施設で展示されるのは初だったという。
2023年3月8日の時点で、丹鉄によると「走るのは2両1編成で、内装や外装を変更する予定は無い、2023年度に車両整備(経年劣化等の通常の整備)を行う予定で、車両の活用法は未定」という事だったが、追加でもう2両が譲渡されるという話もある。KTR001形(3連×2本)を代替するのに2×2=4両が要るのではないかという理由でこういう憶測が出ていると思われる。ただ、丹鉄はノープランで購入だけしたというのだろうか?


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多摩川を渡る横須賀線のE217系(先頭はY144編成・2022年廃車)=2021年11月

横須賀線の主力だったE217系、元祖「走るンです」の一つ。登場から30年が経過して電子レンジによる代替により全廃が予定されているのだが、まだ300両以上が残っている。近年の半導体不足等々の状況によって、電子レンジ増備が当初の予定より遅れているため、E217系の廃車も予定より当然遅れている状態であるという。

ここにきて、E217系の大々的な移籍話が持ち上がっている。インドネシアに300両以上が海を渡るというのである。現時点で残っている同系列の殆どがインドネシアに移るという事になるのではないか。インドネシアの鉄道というと嘗て日本で走っていた車両達がKRL Commuterline(KRLコミューターライン)でセカンドキャリアというか余生を送っている。E217が行くとするとこのコミューターラインという事なのだろうか。今世紀に登場した様な車両は「ハイテクで我々には使いこなせない」という事らしく、E217系はインドネシアでもハイテクでないという話なのだろうか?
これからハイテクでない車両は日本からなかなか出て来難くなる。関西の私鉄ならまだ狙えるかも知れないが。


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大和川を渡河する在りし日の近ヒネ103系低運転台=2015年10月

原型に近い103系が残っていて、しかも列車が走るのは朝と夕方だけというのに、立派に黒字という摩訶不思議な路線。その名は和田岬線。沿線にある三菱重工業神戸造船所等の通勤客が利用する路線で、日中は全く運転が無く、朝晩の通勤輸送に特化したダイヤが特徴。そういう事で非常に珍しい土曜ダイヤも存在、休日ダイヤに至っては1日僅か2往復の運転。この路線の103系はR1編成の1本、これが兵庫~和田岬の1区間2.7㎞をピストンしていた。
この路線には鉄道界でも非常に重要な役割があるのも御存じであろう。川崎車両株式会社兵庫工場JRの線路を繋いで落成した新車を各地に送り出したり、既存車両の改良改造等で入庫させる役割がある。甲種輸送等でよく話題に上るあの線路である。


この路線は神戸市の路線でありながら、神戸市から2011年に廃止要求が出たのは有名。累積赤字が1000億円超にまで膨らんだ市営地下鉄海岸線の利用者を「強制的」に増やしたいという思惑もあるのは明らか。(こんなのも木端役人のクソ発想が見え見え)
ただ、この路線は黒字。JR西日本としては経営に対する要らぬ干渉と言わんばかりに突っぱねた。
因みに地下鉄海岸線は小生も利用した経験があるのだが、端的に言うと「ヤバい」「あかん」「クソ」「要らん」。


ほんの数年前までは阪和線・同鳳支線にはスカイブルーの103系が、奈良線にも鶯色の103系がいた。大阪環状線ではオレンジの103系が走っていた。
その時代阪和線・奈良線共々、「老人ホーム」とか「時代に取り残された所」みたいに呼ばれるか、将又走る博物館みたいにも揶揄された。そんな時代ももやは隔世の感すらしている。


この路線は嘗て旧型客車最後の砦でもあった。旧型客車+ディーゼル機関車(DE10)という列車がバブル末期の1990年9月まで走っていた。そんなこの路線、最近は播但線と並んで103系最後の砦として注目を集めたが、2001年の電化以降22年間ピストン輸送を続けていたスカイブルーの103系近アカR1編成は18日で運行を終了する事となった、後任がR1編成と同じく近アカの207系になるのは確実である。

103系最後の週末」になる筈だった3月11~13日だが、103系の運行はキャンセルされた。鉄道ファンに来させないという「例の病気対策」なのは間違いないと思われる(穿ち過ぎ?)。
本来なら臨時便も走らせて一寸は「商魂込めたい」所であっただろうに…。
この国は行き過ぎのバカみたいな病気対策を何時まで続けるのか?、そこまでして世界の笑い物になりたいのだろうか?




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前記事の続きだが、登場した車両以外の話を出してゆく。

この年は有名な大事故も起きた。特に有名なのは成田線の事故、久住~滑川間にあった大菅(おおすげ)踏切での事故は悲惨なもので有名である。
起きたのは9月14日16時過ぎだった。成田線を走行していた1457列車=113系4連の普通電車が、65㎞/hで惰行運転中に突然大型ダンプカーが進行方向右側から遮断棒を突破して大菅踏切内に進入した。電車も直ちに非常停止を行なったものの衝突。当該列車の先頭クハ111‐1038の前頭2軸が進行左側に脱線し、65名のの乗客が負傷。そして運転士は、押し潰された運転室に挟まれ死亡。衝突したダンプカーは大破し、後にダンプ運転手は業務上過失致死傷容疑で逮捕された。
運転士は即死ではなく衝突時点では生きていた。しかし大きく潰れ変形した運転室からの救出は困難を極め、結局運転士は病院への搬送途中で死亡した。


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事故現場にも近い滑川付近を走る成田線209系普通

現場道路は8パーミルの下り勾配で、当該ダンプは最大積載量8.75トンに対し4倍近い土砂を積んで、マンモス過積載状態だった事で当然の如く踏切前で止まれずにそのまま突っ込んだ。JR東日本の上層部を含む社内にも多大なショックが走り、「踏切事故防止キャンペーン」のきっかけになった。既存車の前面に鋼板を追加で貼り付け強度を上げる工事=鉄仮面化を実施。更にこの後に開発された車両ではCrush space(クラッシャブルゾーン)等の生存空間確保構造がデフォになっていった。道路交通法改正によって過積載に対する罰則取り締まり強化も行われた。

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千葉には最後まで113系が残っていた、2009年・物井付近

当時はこの踏切のあった道路は町道から県道になり(県道103号)、1995年から立体交差化が始まり、その3年後に大菅跨線橋が供用開始となり、踏切は消滅。同年千葉地裁でJR東日本が起こした民事訴訟判決でダンプ側の運転手・荷主・砕石会社・砕石会社従業員2名に対し1億円余の賠償を命じられている。


神戸市の山陽本線・須磨付近で起きた寝台特急さくらの「もらい事故」、これも非常に有名である。
4月8日午前0時頃、山陽本線と並走するR2で4WDオフローダーが急に転回しようとした。その時そこを通りかかったトレーラーがオフローダーの転回を避けようと急ハンドルを切ったものの、制御不能になり4WDに衝突し、はずみで線路上に転落。そこで直後に列車線を走行していた下り=長崎・佐世保行きの寝台特急さくらが衝突、更に電車線の普通電車=201系までその巻き添えを喰って衝突脱線した。EF66-55は脱線転覆、14系客車12両の内5両も脱線し、トレーラーの積み荷だった鋼材が一部の客車側面に突き刺さった。被害車のEF66-55は即刻廃車こそ免れ修理の上で運用に復帰はしたものの後遺症で不具合が頻発して1997年2月22日(猫の日)に廃車の憂き目に遭っている。客車では先頭のスハネフ14-2JR九州)が即刻廃車だった。
事故の原因を作った4WD及びトレーラーの運転手は過失往来危険容疑で逮捕。起訴されて有罪判決が下りた(禁固刑+執行猶予)。2台の車の運転手及びトレーラーの運送会社には、関係したJR各社から15億円余りの損害賠償が要求された。
鉄道ファンなら皆が思うだろう、「ゼロロク様をメチャクチャにした4WDとトレーラーの運転手は絶対許さん!公開銃殺!+一族全員流刑!」



関東鉄道取手駅での事故も伝説である。
6月2日朝の事だった。常総線の普通列車=4連が暴走し、取手駅の車止めも超えて駅ビルに激突。


当該列車は西取手駅に停車後、なかなか発車せず、「ブレーキ故障のため今から修理します」とのアナウンスがあって、運転士が車両の下に向かった。「プシュー」という音がして、列車は少し後退して停止。運転士が戻って再び動き出した。列車は取手駅に向かう下り坂で、なぜか速度を上げた。運転士が取り乱した様子でさまざまな機器に触れていた。(乗客談)

緊急事態は明らかだった。「ブレーキが利きません。なるべく後方の車両に移動してください」というアナウンスがなされた。この列車の乗車率は180%に近く、今の関東鉄道では4両運行なんてまずないが、キハ300形・800形で組成された4両には約900人が乗っていたと思われる。この状態でブレーキが利かなくなった当該列車は25㎞/h以上で取手駅8番線(頭端式)に突っ込み車止めを乗り越えその先の駅ビルの壁まで突き破って止まった。死者は1名、負傷者は158名
kant3511@mory01
在りし日のキハ300

西取手駅でブレーキが解除できなくなった際の対処で、常用ブレーキと保安ブレーキの圧力空気が排出され、両ブレーキとも作動できない状態になった。こうした応急処置をした場合、作業基準などで定めた制動試験が必要だが、13分の遅延に気を取られ、試験をせずに運転再開した。これが第1の原因とされる。西取手で運転手が保安ブレーキのコックを元に戻さなかったため、常用ブレーキも効かなかった。一方、車掌も非常用ブレーキ弁を元に戻していなかった。車掌弁は、元に戻さないと弁のパイプの一端から空気が漏れる構造であったため、圧縮空気がタンクに溜まらず、ブレーキが利かない状態となってしまった。
kant2402@mizkd01
現在の関鉄、デイタイムや夜間は単行ばかり。

会社側でもトラブル時のルール・マニュアルが作られているものの、それが現場で守られなければ意味が無い。そこに遅延を許さない企業風土・社会風土による心理的圧迫が起き、これもあってブレーキの復帰作業も怠った。起こるべくして起きたともいえる。

この事故の大きな原因の一つが車両の老朽化によるメンテナンス状態の悪化とされ、その翌年からキハ2000シリーズ・5000シリーズの新造導入による世代交代が進んで行った。この事故の当事車であったキハ800形は1993年に全廃となったが、キハ300(350)形は2011年まで走っていた。製造時期は両形式ともほぼ一緒の1960年代である。キハ300は39両という大量導入だったので、結果的に部品が確保出来て何とか21世紀まで生きながらえたと思われる。


1992年の鉄道界、最大のトピックは同年ホワイトデー=3月14日の300系のぞみの登場であろう。ここから東海道・山陽新幹線の高速化が一気に進んで行くのであった。一時は東海道山陽新幹線の主力になった300系だが、1992年当時はJ0(→J1)並びJ2~5編成という5本だけの陣容だった。のぞみはこの時は1日で僅か2往復しか運転が無かった。1時間maximum12本という現在からは隔世の感がある。301号は新幹線初、伝説の「名古屋飛ばし」+「京都飛ばし」を敢行した。(301号は1997年11月28日まで存在した)

新機軸も多かった車両は初期トラブルも多く、運行開始からの43日間で5編成で183件のトラブルが起きた。この年の5月6日には愛知県内をひかり号で走行中のJ4編成にて、主電動機を固定するボルトが折損し、4時間立ち往生するトラブルが発生。これは重大インシデントと認定された。
のぞみはデビュー当時は全車指定席でこれが2003年秋の品川駅開業まで続いた。そしてこの春、19年半続いた普通車一部自由席が消滅。再び全車指定席に戻る。

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新幹線電車でVFDを採用し、アルミ車体をデフォにしたのはこの300系である。常に270㎞/hでの営業運転という事は新幹線をそれまでのステージから一気に上に持って行ったのは紛れもない事実。
因みに同年デビューの400系山形新幹線はサイリスタ位相制御∔普通鋼ボディという古い感じの構造であった。300系は2012年3月引退だが、400系は2010年4月に引退している。この系列も初のミニ新幹線として新在直通というそれまでなかった新幹線の形を作ったパイオニアである。


まだ終わらない、次回=増7へと続く!



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私事だが、このサイト更新が1週間以上滞ってしまったのは、これまで5年弱使ったパソコンがお陀仏になってしまい、急遽10万を超えるローンを組んでパソコンを買い替えたからである。
注文してから届くまで4日も掛かりその上セットアップだ何だで更に時間が掛り、OSもWindows 11に替ってセットアップが結構やり難く、更に一部のアプリケーションも入れ替える破目になった。SSD等のストレージはまだ生きていたが、マザーボードが御臨終だった。

ところで、「キハ40が今熱い!」と言ったら…
「エンジンで軽油燃やしてんやから熱いの当り前やんか!」と言われればそれで終わりかも知れないが、地味な一般形ディーゼルカーに過ぎなかったキハ40ブラザーズの人気が来てる!
当たり前だが、抑々ディーゼルカーは地方線区(私鉄も含めて)で走る事が多い。国鉄末期からはみみっちくて薄っぺらい感じの車が導入されて、地方私鉄では第2世代レールバス→LE-car→NDCシリーズ・LE-DCなんていう物が蔓延っていった。JRでもキハ120(西日本)・キハ125形(九州)はNDCである。


k403003@ashimr01
キハ40系はボックスシートのイメージが強いが、JR西日本2000・3000番台はロングシート化された車。そして何と言っても軽快ではないと分かる、昔ながらの重厚なルックスが「超Niceですね!」「す・ば・ら・し・い~っ!チャチャッチャチャ~ッ!」

キハ40系は両運転台+片開きドアのキハ40形、片運転台+両開きドアのキハ47形、片運転台+片開きドアのキハ48形の3兄弟である。

k473001@ashimr01
これは2018年になって初遭遇を果たせたキハ47。手前は3000番台・♯3001だが、後ろ側は恐らく別番台車

4年前、晩秋のある日、午前は瀬戸大橋線・備中箕島付近に行き、昼前から中庄付近で山陽本線を狙って、最後は桃太郎線こと吉備線に転戦。E73中国横断自動車道・岡山総社IC至近、足守~服部間の岡山郵便局の辺りで撮影、ここは岡山市北区でまだ総社市に入っていない。

こんな光景もあと数年で見られなくなるかも知れないと言いたい所だが…。2018年4月に纏まってJR・岡山市・総社市の間で調印された吉備線LRT化の計画だったが、例のアレの影響で財政が悪化したという事で計画は2021年に中断され、頓挫した状態。
岡山市を中心に倉敷・総社・備前・玉野という辺りのエリアを包括する交通ネットワーク=岡山県南クリーンモバイル都市圏構想なるものもある様である。(こんな餅が絵に描けるのか?)


西日本のキハ40系というと所謂たらこカラー。JR各社で色々なカラーリングの車があったが、西日本は結局首都圏でもないの首都圏色=たらこに統一した。この会社のキハ40に於いて、機関はコマツ製・SA6D125H-1A又はSA6D125HE-1に換装され、変速機もコマツ若しくは新潟コンバータの製品に換えられている。

キハ40というとDMF15系エンジン+平均で36~37トンという色々な意味で重厚な車体という事で走行性能が低く、加速力自体が低い上に、低速域の引張力が小さいので起動もトロい。電化区間に乗り入れる際はダイヤ作成の障害となった以外に、平坦な非電化線区においてもこの形式が使用される列車はこの形式でも乗れる遅いダイヤを別途に設定しなければならない等、スピードアップ阻害要因として叩かれまくって、ダメ気動車の烙印を押されていた。

キハ40系JR東海継承車はエンジン換装でカミンズ製のC-DMF14HZを搭載、変速機も新潟コンバータ製C-DW14Aに取り換えられて、この外見でキハ75形と同じ機関を積んで、「外は国鉄・中身はJR」という或る意味でハイブリッドな車となった。
思いっ切りヴァージョンアップした東海キハ40だが、新製されたキハ25や転属のキハ75にリプレイスされて消滅。


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旧国鉄一般形気動車標準色に近いカラーリングだったキハ48形♯6502=伊勢市駅で2013年4月撮影。参照記事はこちら

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アイボリーに湘南色の帯を巻くJR東海の気動車標準色・キハ48の6800番台

JRでは東海からは完全に消え、東日本からも観光列車以外では2021年に消えたが、北海道西日本四国九州ではまだ見られる線区がある。その他では道南いさりび鉄道・小湊鐡道錦川鉄道北条鉄道で走っていて、会津鉄道でもAT-400に魔改造されて現役。最近では各種観光列車のネタ元として大々的に改造されるケースも多く、繰り返し改造されて訳が判らん様になるケースもある。
JRからは除籍されても、東南アジアへ(主にミャンマー)渡ってセカンドキャリアを迎えている車もある。


首都圏では抑々電化路線が多いので、キハ40なんてお目に掛るチャンスは少なかった。首都圏にも非電化路線はあったが、キハ35等が多かった。

そしてこの「ダメ気動車」は、21世紀の今は観光資源としても期待され、所によってはアイドルの様に持て囃され?、一部では「客が呼べる存在」とも呼ばれたりもするらしい
こんな日が来るなんて20世紀には一体誰が想像し得たか?


Part 2へと続く!


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(十六代)九郎衛門=じゅうろくだい・くろうえもんという日本酒を御存知か?これを作っている蔵は「最も星に近い酒蔵」といキャッチフレーズで売っているのだそう。
そういう小生もこの酒を知ったのはつい最近。大塚にあるこだまという酒屋に足を運んだ折に見かけた、しっかりしたボディの熟成系の酒を探していたのでそこで勧められて購入。


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2005年から作り始めた山廃酒母で作った酒を2年熟成でリリースしているのが、この美山錦山廃純米。精米歩合は65%で、2年熟成でミルキー感が加わるのだという。小生が入手したのは2017BYで4年熟成になっている。

日本には酒蔵はどれだけあるのかというと2016年の国税庁データによると1400程度は存在する。これでも2000年の時点で1977だったのでそこから600近くは減少した事になる。生産量200kl以下の小規模の酒蔵は半数が低収益で経営難が慢性化している。異業種からの買収による参入やベンチャーでの新規参入も目立つようになった。高価格帯製品の拠出量は増加して総売上高は低下しても純利益は増えている。
蔵の数ベースでカウントすると1位=新潟県、2位=長野県、3位=兵庫県、4位=福島県、5位=福岡県で、生産量ベースだとTop3は兵庫県、京都府、新潟県という順である。灘や伏見に大手メーカーを擁する兵庫や京都の生産量は多くなるという事らしい。大手は他所の契約蔵から原酒を買っている事も多いが、生産量は最終的な製品でカウントするのだろう。


前出の「最も星に近い酒蔵」という酒蔵は湯川酒造店(ゆかわ・しゅぞうてん)という。「天国に一番近い酒蔵」とでも名乗っておればもっとイイとも思うが、何故か「最も星に近い酒蔵」を名乗る。原田知世女史主演映画の「天国に一番近い島」はガチで青春した世代なので、「天国に一番近い酒蔵」名乗ってもらえると嬉しいのだが。
ところで、この蔵は創業370年を迎えるらしく、「木曽路」と「十六代九郎衛門」という2つのブランドを展開している。長野県木曽郡木祖村薮原に所在する蔵だが、中央本線(西線)の藪原駅から北に1㎞程行った場所でほぼ線路沿いにある様だ。名古屋からでも特急WVしなので木曽福島に行って更に普通車に乗って薮原に行くと3時間は掛かる。
最も星に近いという根拠は最も標高の高い酒蔵という事だったが、もっと高い場所に他の蔵が別蔵を作ってしまったので2位に転落。今更「2位ではダメなんですか?」と言ってみたって後の祭り。だがこの湯川酒造店、標高も高いが酒造りのレベルも高い。蔵の目指す作りとしては、「味をしっかり出しつつもキレを高めて、同時に丸くて上品な飲み口である」、「香味のインパクトももちろん必要ではあるが、いつのまにか杯が進む酒に魅力を感じる」と言う事である。
湯川の名の通り、現在は16代目に当る湯川慎一(杜氏)・尚子(社長)夫妻以下、外部の人の力は借りず杜氏と社員だけで酒を醸造している。杜氏が人手不足なのかも知れないが、常に蔵及びそこの酒に接し続けている社員だけで酒を造る方が安定してコストも下げられるという事はあるのかも知れない。
湯川慎一氏が杜氏に就任したのは2012年尚子女史との結婚を機にという事だったが、翌2013年に蔵が火災に遭ってしまった。そんな苦難を乗り越えて今や、中部や信越地域におけるトップコンテンダーに十分食い込んでいると言っても良いだろう。全国の高品質とされる新しい酒米にも積極的にチャレンジして手掛けている。


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江古田の日本酒で有名な秋山という酒屋に行った際には、思わず買ってしまった九郎衛門の山廃・赤磐雄町特別純米原酒=凡そ3600円、中庸からやや高めの価格

低地から山間部の高地まで酒蔵は散在しているが、材料や製品の流通の都合や、優れた仕込み水が手に入るか否かという事が蔵の立地には大きいファクターとなる。
標高が高いと何が影響するか?、気圧が低くなって水の沸騰温度が下がる。山に登って飯盒炊飯なんかやるとコメが生煮えになるのを想像して欲しい、水の沸騰温度が下がると麹や掛米に使う米が充分に芯まで蒸せない事が起きうるのだという。平地では無い様なリスクが起きうるのだが、平地で作る酒にはないメリットも色々あったりするのだろう。設備は若くクリーン・衛生的、洗米は気泡で洗うタイプの機械で行って脱水機でしっかり水分調整を行う。洗いムラが少なく糠の抜けもイイのだという。標高が高い事で麹菌が米に食い込み易いのだとか。酒母造りでは山廃用・生酛用を仕込むのは最後になるという。


ストックに入った2本はいずれもまだ開封していないが、今から楽しみである。夏場ではあっても燗酒が良いだろうか?



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