Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

タグ:JR東日本

去る5日にJR東日本からのアナウンスで、今年度中に常磐線が全線で運行を再開する事と併せて上野~仙台間の特急ひたちが約9年ぶりに復活する事が確実となった。
2011年の東日本大震災によって、それから8年以上を経た今でも浪江~富岡間が不通となっている。原発事故による放射能拡散でこの地域は避難指示が出されているが、この沿線と各駅周辺は特定復興再生拠点区域に指定されて除染とインフラ整備が優先的に進められた。そのため、来年3月までには当該区間の駅周辺における避難指示は解除となる見込みになった。


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E657系は正面から見るとモスラの幼虫みたいだという声もある 2013年10月・水戸~勝田間

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651系K107編成他で11連のスーパーひたち 佐貫~牛久間

今から34年前、小生はまだティーンエイジャーだったが 1度だけ仙台から上野までひたち乗り通しを行った事がある。東北乗り鉄旅の締めがそれだった。正確なルートは覚えていないが、急行津軽や男鹿線に乗った記憶はある。勿論JR は発足しておらずJNR の時代、車両も言わずもがな485系だった。(ボンネットだったか電気釜だったかは覚えていない。)その時は急行ときわとの統合直後で23.5往復が全て11連で運転されていたが、その翌年から26.5往復・9両に変わってしまった。
アラフィフになった今から思えば、485系に4時間も乗車し続けられたなんて、若さの特権という物だったのだろう。確かにこの時代の電車特急は485・489系183・189系が殆どで首都圏の一部で185系が走っていたという程度で画一的だったが、それでも面白い列車は今より全然多かった。鉄道で旅をするという事の楽しさは今とは比較にならないものだったのは明らかである。


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嘗ては特急ひたち=485系だった(画像は在りし日の仙台車A1A2編成)

2010年当初の計画では常磐線特急の運行形態をいわき以南と以北で分割、いわき~仙台間でひたちとは別の特急を運行する予定だった。
そこに来ての東日本大震災と原発事故で常磐線は不通区間を抱えて、それが何時解消するか判らない状況になった。そこで常磐線特急再編計画は頓挫、651系スーパー(フレッシュ)ひたちは結果的に1年延命された。その後2013年から常磐線特急はE657 系に統一され、651系E653系は改造の上で転用された。(651系K103編成を除く)
651系は1年のブランクを経て1000番台となり戦場を高崎・上越線に移した。E653系4連はいわき以北で特急として走り続ける予定だったが、それも白紙になる。そして1100番台H201~204編成になり2015年からしらゆきとして日本海側で走っている。
同系列の7連はいなほ用の1000番台U101~108編成となり羽越本線を主戦場にしているが、あの派手なカラーリングになってから5年も経っていないのに一転、今度はU106・107編成が単色化憂き目にあっている。
そして去年末、U108編成は(E653系で唯一編成替えをされている)K70編成となり国鉄特急色風になって勝田に帰還した。編成名の「K70」は国鉄70周年に掛けたネーミングの様にも思われたが、どうやらそんな事は無かった模様


「もしあの時こうだったら~」というのはナンセンス極まりない事であるのは承知の上でいうが、大震災+原発事故が起きていなかったら、ひたちの仙台直通設定復活も無かったであろう。予定通りいわき以南と以北で運行系統分割になっていただろうから。
震災以来、常磐線完全復活に至るまで9年という事になるが、一時はもう未来永劫無理ではないかとすら思われた時期もあった事を思えば、よくぞここまで漕ぎ付けたとも思えるが、やはり長かったという思いの方が強いのではなかろうか。そういう経緯を踏まえると、来年春の仙台直通ひたち復活のニュースはここで朗報と言い切る事は必ずしも出来ないのではないか?
10両固定のE657系をいわき以北に入線させる事に疑問を呈する向きもあろうが、全線運行再開時には651系K103編成、及びE653系K70編成を記念列車としてでも上野~仙台間でフルに走らせてやってもらいたいと思う次第である。


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現在常磐線に残る数少ないカモレである「安中貨物」

これに合わせて貨物列車がどうなるのかも興味深い所である。震災以降東北本線経由に変わった列車があった筈で、元々東北本線のバイパス若しくは補完的役割も担っていた事を考えると全線復活による関東~東北間の貨物ダイヤ再編という事も考えられなくもない。




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国鉄民営化から32年、國鐵廣島も漸くJR の仲間入りを果たしてしまう等国鉄形車両に逢えるチャンスは少なくなってしまったが、国鉄の亡霊とも呼ぶべき物はまだまだ存在している。
その中でも廃線跡が道路に再利用されるというケースは探すと結構あるがその場合、ローカルな生活道路やサイクリングロードというケースが多い様である。廃線になる様なローカル線の場合、単線で規格も低く用地が狭いので国道や主要地方道の様な幹線道路に転用するのは結構ハードルが高いと考えられる。既に幹線道路が整備されたので鉄道路線が廃止に追い込まれたケースも多かろう。
非常に有名なものとしては、北陸本線の旧線から支線になった柳ヶ瀬線が浮かぶであろう。廃線後は国道365号線、滋賀福井県道140号線、国道8号線に転用されていて柳ヶ瀬トンネルは道路用に拡幅されずに鉄道時代の面影を残しつつ、交互一方通行が故に出入口の赤信号6分に対して青信号はたった30秒という珍現象を見せてくれるが、このトンネル以外の部分は2車線ながらほぼ快走路となっている。R365 上の長浜市役所余呉支所向かいになる中之郷駅跡にはホームが駅標と共にが残されている。


九州では宮原線(みやのはるせん)が久大本線の恵良駅から分岐して肥後小国駅まで走っていた。
その廃線跡の内、恵良~町田~宝泉寺の2区間に於いては国道387号線バイパス(その名も町田バイパス)への転用が進んだ。町田駅の跡はプラットホームが残されてそこに国道が走るという光景が見られる。
一部からはこれを評して「道の駅でもないのにガチで道の駅」「究極の道の駅」「道の駅まちだ」などと呼ばれる事がある。国道の旧道も酷道と呼べる程の物ではなかったが、廃線を使って快走路を作り出した一例といえる。町田と聞くと都会的な物を想像するかも知れないが、山間の超ド田舎であるから悪しからず。
因みに本物の道の駅は旧肥後小国駅跡地に作られて「道の駅小国ゆうステーション」となっていて、そこから北里駅跡までの約4kmに渡る廃線跡が遊歩道として残されている。
因みに、阿蘇の近くの北里という名を聞いてピンと来るだろうか?
次の千円札の顔となる北里柴三郎(=日本の細菌学の父にして日本医師会創設者)の出生地である。




ここでだが、岩手県を走っていた岩泉線を覚えておられるだろうか?
これは言うまでもなく、国鉄の中でもウルトラ級の癌細胞だった最凶ローカル線の一つだった。山田線の茂市駅から岩泉駅を結んでいたこの路線は、1981年3月の国鉄再建法施行に伴い、特定地方交通線が指定されて廃止対象になったが、真っ先に指定される筈だった岩泉線はその対象から外された。それは代替輸送道路が未整備という理由だった。



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岩泉線でも使用されていたキハ110形(画像は200番台高崎車、実際に使用されたのは盛岡の100番台)

この路線の代替になる道路は国道340号線なのだが、これにはマニア心を擽る芳ばしい酷道区間が2区間存在していた(そこはさすが300番台)。その2区間とは立丸峠と押角峠である。立丸峠は遠野市・宮古市の境目にあり(山田線や旧岩泉線よりは南にある)、こちらは去年11月にバイパスが2本のトンネルを含めて供用開始となり、酷道は解消した。
一方、岩泉線に絡むのは押角峠の方である。この路線はご存知の通り2010年7月の土砂崩れに伴う脱線事故以来運休が続いて、2012年3月にバス転換方針が正式に発表され、2014年4月1日に正式廃止。R340 押角峠区間の改良は岩手県にとっては一つの悲願だった。というのも、この国道は東日本大震災の当時津波で大打撃を受けて使えなくなった国道45号線の代替ルートの一つだったが、酷道区間を抱えていて具合の良いものではなかった。


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キハ110形投入前はキハ52も岩泉線を走っていた。

大震災とその後の復興というものが岩手県とJR の双方にとって渡りに船という事態を齎したと言える。復興支援道路として道路整備を進めたいが長いトンネルを一から掘るには余裕がない岩手県と岩泉線を廃止にしたいJR 東日本サイドの思惑が一致したと言える。
廃線となった押角トンネルとその前後の用地が岩手県に無償譲渡され、押角峠を潜っていた約3000mのトンネルを含めた廃線跡は国道340号押角峠道路に生まれ変わり新しい役目を得る事となった。単線用規格だったトンネルの拡幅再整備は既に終了していると思われ、その新しい道路も2021年春までには供用開始になる予定である。酷鉄の亡霊が酷道を解消するという事例を挙げたが、芳ばしい物を求めるマニアの御仁達には辛い事実とも言えるだろう。




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今年に入ってからE257系の踊り子転用の為の改造工事が話題になっている。件の工事は長野と秋田で行われているが、長野で改造を受けたオオN09編成(←モトM112)は改造途中だというのに大宮工場に回送されてしまった。
一方秋田で改造中のオオN03編成(←モトM103)はサイドの塗装も大きく変わり、登場が予定されるE261と合わせたターコイズの部分が大きく入った塗装になっているのも確認されている。
長野での改造は途中で終わって大宮に投げられたのか、謎を呼んでいる。


e257m103@tthc01

現在オオNA03となるべく秋田で改造中の旧・モトM103編成、2017年12月浅川の鉄橋(トタハチ冬用)にて。
丁度良い奴が見つかったので載せておく。




ここからはてつどうざつだん形式に…

最初から大宮でやったら良かったやんか

長野食堂の人間たちは殺める事ばかりやってきたから、新しい命を吹き込むとかそういう事は苦手なんやろ(適当)


チンタラチンタラ改造工事しているうちに…、3月16日ダイヤ改正がもう直ぐ…
「ヤバ! E257が松本から何本も来よるで! 留置線埋まってまうやろ! どないする?」
「エエィ! こうなったら大宮に投げろ!」… こんな感じやったん違う?


大宮・長野・秋田・郡山あたりで編成毎に最初から分担決めてやったらエエだけの事やろ

JR だってそんなにバカじゃねぇだろう。そんな事くらい分かってやってるやろ。

E257系転用後の踊り子の運行形態が今一つ見えて来んのよねぇ~、でも修善寺行きは無くなるの確実か?

湘南ライナーなんて15両要るヤツがあるのに、そっちは如何なる? 修善寺行きよりそっちが大きい問題違うか?

踊り子なんて特急自体が、今時そんな必要か?

185c3@mism01


JR 東海だって国鉄時代からの繋がりで185系は入れていたけど、JR 東日本オリジナルのE257系には協力するわけがない!

E231系は沼津まで入線させた事があんねやから、E257系は絶対にないとまでは言い切れんやろ。

名古屋のあの会社は鬼畜のサイコパスやから、余り絡まん方が宜しい

熱海~三島~修善寺でリレー踊り子みたいな快速にしてお茶を濁すん違うか結局。
しかも 211系ロングシート3両でな! こんな感じやで!


211ll11@mism01
211系+313系普通列車 2018年3月上旬函南~三島間



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今年で生誕50年を迎えた EF81、通称パーイチ。従前の EF80 をさらに進化させた謂わば「交直流機の決定版」として1968年12月に登場した。今月で丁度50年になったのである。
EF80 には1台車1電動機を採用していた事等から生ずる各種問題があり、新たな標準的交直流機の開発が必要だった。そこで50 / 60HZ の交流+直流の「 3電気対応機」として同世代の EF65 をベースに開発されたのがこのパーイチ様だったのである。


当時は交流機でサイリスタ位相制御が実用化されていて、パーイチも当初はサイリスタチョッパ制御の採用も検討されていたというが、抵抗制御という事で決着してしまった。汎用機として、日本海縦貫を中心にほぼ全国で使える様にするという大前提があった上、3 電気対応の為の各種機器を搭載する事等も考慮され 6軸(F級)で抵抗制御というシステムが採用された。

2014年北陸に遠征する事2回、この時のメインターゲットは 681/683系 はくたか であったのだが、サブターゲット達も豪華な大正義だった。無論、その中にはここで取り上げる富山の EF81 もあったのである。


2014年北陸遠征の1回目は5月末だった事は他の記事でも述べているが、初日の朝も500番台だったが新潟方面に向って来ていたのであった。
しかし、レンタカーの貸出手続きに手間取り、急いで撮影地に向ったが、到着したところで通過してしまい唯々見送るだけという破目になった。
(ジャパ〇レン〇カーは 24H 営業というのは助かるが、何せ場所が悪くて不便で対応もダラダラして今一つの事が多い)
その後 9時前の新潟方面もEF510-500番台だったので、パーイチ様は午後の部までお預けになってしまった




81721@tak01

初めて撮れた貨物パーイチは721号機の単機だった
関東在住の小生にとってはパーイチというと寝台特急を始め回送、工臨、イベント列車等々を牽引するJR 東日本所属機、真っ赤なパーイチのイメージが強かった。
正統派のパーイチはこの色であると確信した次第であった。


81404@tak01

富山にいた基本番台は運転記録装置の取付を機に600番台に改番されたが、こちらは404号機。元々は131号機だったが、九州用となり404号機に改造された、2007年に富山に転属。2011年には御覧の様な富山更新色に変った。
2015年以降はJR 東日本から移籍してきたEF510-500番台に役目を譲り、富山パーイチの運用が消滅。404号機は 2016年4月に門司に帰還を果たし再び九州内での運用に就いている。


そして翌日・・・。前日取り逃した7時台の 北 越 もパーイチも逃さずキャッチするぜぇ~という訳で

81725@tak01

7時半頃新潟に向う725号機=元125号機。湖西線開業に合せて1974年に投入され、旧敦賀第2機関区で活躍した後に富山に。入梅前の朝日の中でやってきた。

81735@tak01

2日目の午後に単機でやってきた735号機=元135号機・1975年製造、ヒサシ付きというのがマニア受けするらしい。ただ、ヒサシは上越線運用対応化の為の後付という事らしい。これも日本海縦貫での運用を失ってその挙句、去年廃車になってしまった

81729@tak01

この日の午後2本目のパーイチは荷のある 729号機だったが、編成長を読み違えてしまいケツが切れるという失態を犯してしまった 地方線区のカモレは不慣れなので編成長は余計に読み難いのは確かだが、多少長くても良い様に対応しておくべきだったと反省する小生である。
今から思えば、5月末で時刻も15時を過ぎていたのでここから少しだけ西高岡寄りのカーブでも撮れた気がする。それを思うと余計に残念なショットになってしまった。


同年9月末に遠征した時には、既にEF510 (0番台・500番台)が主体になっていた。門司所属だった500番台は続々と帰還してしまっていて、しかも撮影した場所が高岡ではなく富山だった事もあって、パーイチ様に出会う望みは叶わず、EF510 しか捉えられなかった。



81725@meis01

同年11月、名神クロスで晴天の下捉えた725号機。この罐とは半年振りの再会を果たせた事にはなるが、運用離脱が進んでいた事もあってこれが富山パーイチのラストショットになってしまった。この725号機も2016年に廃車されてしまった。
名神クロスでパーイチを撮るという一つの夢は何とか一度だけでも叶ったので良しとせねばならんのか?


元々九州用だった400・500番台以外でも門司に転属して走っているのは 717、716、718 の3機であり、2016年に721・725号機、2017年には726・735号機、今年には719号機が廃車になってしまっている。



参考がてらに旅客会社の方の EF81 も序に乗せておく

81101nhk@yod01

今は亡き敦賀の101号機(=JR 西日本所属)・2011年に淀川の鉄橋にて撮影
この101号機は2013年廃車、最後まで残った原色=106・108号機は2017年廃車となり原色は姿を消した。トワエク仕様の物でも先日 44号機 が廃車され残存するのは 113・114号機 のみとなっている


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JR 東日本所属 98号機牽引のカシオペア紀行=2017年2月撮影 98号機真っ赤なボディに流れ星マークの入った所謂北斗星カマ
E26 系も通常のカシオペアとしての運行は2016年春に終了し、以来はツアー列車として運行を続けているが、今年に入ってからその頻度は下がっている。



EF81 EF66 の様な圧倒的な存在感は無いのは事実、決してハイスペックでもない。汎用機というだけに一見平凡にも見えるが、同時に偉大なる平凡というものの凄さを確認させてくれたのだった。
生まれも育ちも東京で、EF81 というと嘗ての東北寝台特急のイメージを持ってしまう小生、貨物の EF81 とは御縁に恵まれなかった訳で、貨物のパーイチ様のこれだけしか押えられていない。
それならもっと早くから日本海側に足を運ばなかった?と突っ込まれれば返す言葉は無いが、小生も往還自在というには程遠い立場で、足を運ばなければと思っている内に2014年まで来てしまったのだった
JRFパーイチはまだ九州で走っているし、それも含めて国鉄形機関車は長寿である、非常に使い易いとされる事がその背景にあろう。 EF64 では1000番台=80年代製造ばかりになってしまったが、1970年製の 37号機JR 東日本)はまだ生きている。 EF65 でも70年代後半以降のロット(勿論PF1000番台)は 国鉄特急色 に復帰するなどしてまだまだ健在である。その一方、「JR 形」の 3桁機関車がそんなに長生き出来るのかは、はっきり言って疑問である。(多分ダメだろう・・・)



てなわけで、そんなパーイチ様に小生から捧げる珠玉の一曲は、この曲と相成った
Peter Cetera (ピーター・セテラ)並び Amy Grant (エイミー・グラント)がデュエットし、1986年の末に全米#1 をも獲得した超有名曲である " The Next Time I Fall " 
Peter Cetera は Chicago (シカゴ)のヴォーカルを長らく努めた後、脱退してソロに転向したばかりだったが、" Glory Of Love " に続く2曲連続の全米#1 獲得となりソロシンガーとして非常に良い滑り出しを見せた格好であった。
一方、Amy Grant は元々ゴスペルシンガーだったが、この曲の大ヒットでポップスシンガーとして認知度を上げて、その後90年代に入ると一気にメジャーな名前になった。(註1)(註2
因みに作曲者は Paul Gordon (ポール・ゴードン)と Bobby Caldwell (ボビー・コールドウェル)


この曲のPV はこちらのようつべでも御覧頂きたい。当時20代半ばだったエイミーは結構美しかったが・・・


Love, like a road that never ends
How it leads me back again to heartache, I’ll never understand
Darling, I put my heart up on a shelf‘
Til the moment was right and told myself


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., oh, oh, oh,
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Now, as I look into your eyes
Well. I wonder if it’s wise to hold you like I wanted to before
Tonight, oh, I was thinking that you might
Be the one who breathes life in this heart of mine


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I’m gonna follow through
And if it drives me crazy, I will know better why the next time I try


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I fall in love... ( next time I fall ), oh, oh, oh, oh...
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you...




註1)Peter Cetera=ピーター・セテラは1944年9月・イリノイ州生まれ=長池徳士、安仁屋宗八、杉良太郎、平泉成、内田勝正、渡瀬恒彦、野川由美子等と同い年に当る。
Chicago の前身時代(The Big Thing)を含めて1967~1985年までリードヴォーカル兼ベースと務め、1985年に41歳で脱退しソロ活動に転ずる。1986年のアルバム " Solitude Solitare " 及び1988年の " One More Story " は大ヒット作品となった
註2)Amy Grant=エイミー・グラントは1960年11月・テネシー州生まれ=清水ミチコ、コロッケ、安寿ミラ、福良淳一、津田恒実、旭富士正也(伊勢ヶ濱親方)、氷室京介等と同い年になる
1976年にゴスペルシンガーとしてデビュー、1982年のアルバム " Age to Age " はゴスペルとしては異例のミリオンセラーを記録。" The Next Time I Fall " の大ヒットを機にポップスに進出し、1991年のアルバム " Heart in Motion " からのシングル " Baby Baby " でソロでの全米#1を獲得。90年代はポップスシンガーとして大活躍。その後21世紀に入るとゴスペルに復帰。




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Part 4 は栄光の 国民的特急車 メモリアル・サボプレート編。
これを撮影した約2週間後に 最後の583系 =秋田車はラストランになってしまった
最後の雄姿を納めたかったが・・・仕事とぶつかりそれは叶わなかった


akieri133  akieri134

HO ゲージの模型を小学生の時に買ってもらって、まだ滅失はしていないと思うのだが・・・
探し出せたとしてもプラモデル用の塗料を付けてしまった記憶があり、塗装を剥がして再塗装しなければ仕えない筈である。でも若しそれを復活出来れば大きな戦力になりそうなのだが・・・


それは兎も角、このプレートの 583系 、何処か不自然。色が一寸変。元々実車と比して赤っぽい。

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ファンには大人気だった寝台電車を「昼夜二刀流」と呼べばそれは聞こえが良いが、その実はねぐらに帰る事も許されず超長時間労働を強いられた車である(人間なら完全に不当労働行為)。女工哀史ならぬまさに車両哀史なのであった。



後半は 485系 仙台車ラストラン記念のサボプレート。
彼女だって国鉄をリアルタイムでは知らない世代、紙の上では兎も角実質的には平成生れに近いのである。


akieri137  akieri138

実車の色と比較すると少し違和感がある。でも JR 許諾済の商品なのだ。彼女の口ぶりからすると 485系 に乗車した経験はある様だ。

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サボプレートの絵は、左=あいづ 2パターン、中央=ひばり、右=つばさ 2パターンという構成。
実は 489系  能登 の記念プレートもあるのだが、時間の関係上それは割愛して次のネタに進まざるを得なかった。


こんな所で終わりになるわけもなく、2017-5 へと続く!

Mar. 25th, 2017、Pulchra 撮影会@新宿5丁目デプススタジオ(Depth Studio)
PENTAX K-3+smc DA star 16-50mm f2.8 / smc DA 35mm f2.4
バッテリーストロボ=Cononmark i6T EX、LED ライト使用





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