にほんブログ村で起きた大規模障害により前回更新=10月19日の同サイトでの反映が大幅に遅れ、更に画像反映はなされずじまい。その大規模障害の影響を見ながら、この記事の公開する事にした為、この記事の公開が予定より大きく遅れたものである。
1989年のF-1 といえば、ターボ等の過給が全面禁止になった事を受けて、自然吸気元年ともいわれた(註1) 。この時代はF-1 に参加するチームやドライバーが多く、予備予選なんてものもあった。 フェラーリがセミオートマティックトランスミッションを初めて導入したのもこの年。
ターボ禁止になっても、前年同様、ホンダエンジン+マクラーレン(MacLaren)の強さは圧倒的で、その前年に引き続き、A. セナ(Ayrton Senna da Silva)vs A. プロスト(Alain Prost)全面対決一色みたいなシーズンになった。
色々あった挙句の果ての極めつけは、10月22日に日本G.P. (鈴鹿サーキット)で勃発したプロスト&セナによるシケイン激突事件であろう。 その後、セナはコースマーシャルに押し掛けをさせて再スタートしたが、その際にシケイン不通過の反則を取られ失格に。結局プロストが3度目の年間王者に輝いた。
当時の日本は某マスコミの偏向報道によるセナ神格化運動の真っ最中で、プロスト様贔屓だった小生は肩身が狭かった上にイジメまで受けてしまったのである。
話は逸れるが、この頃巷では「何チャラ転がし」という言葉が毎日のように聞こえてきた。絵画美術品・高級外車からワインに至るまで、高名な品々は転売すれば儲かるというアホみたいな話が、「財テク」という名の下に大手を振って罷り通っていたのである。(今の中国がこれに近い?)
バブル入社世代以上の人間にとっては懐かしい話と共に、お送りしてきたこのシリーズも最終回!
この掉尾を飾るのは、この車、京阪神地域のの革命児!
(2011年10月 名神クロスにて)
JR 西日本・221系電車
京阪神に於いて113/115系、さらには117系まで主役の座から追い払った。関東や中京圏では国鉄末期からJR 初期にかけて211系が113/115系を代替していったものの、関西で211系の投入はなかった。
親方日の丸ではなくなり、私鉄各社との競争に向き合う事となったJR 西日本は、先行する私鉄各社に対抗すべく、新時代を強く意識したこの車を新快速と大和路快速に集中して導入した。
一般車で120㎞/hでの営業運転に対応する車はまだ珍しく、私鉄殺しの切り札としての力の入れ様は想像に難くない。3ドアにして転換クロスシートというのは国鉄時代にはなく、民営化されJR になって変ったという所を印象付ける効果もあったかも知れない。
そして、1990年のローレル賞は奇しくも、3ドアクロスシート三羽烏の闘いとなり、この221系がJR 東海311系やJR 九州811系を押えて受賞した。
(2011年5月 上淀鉄橋にて)
新快速時代を想起させる快速運用12連、今となっては貴重なカットか。
大量装備を念頭に、当時はステンレスより安いという理由で鋼製車体になったものの、221系の天下は長く続かなかった。474両というかなりの大量製造ではあったが、VVVF 時代は直ぐそこに迫っていた中、界磁添加励磁制御という「中途半端」なメカだったのは苦しかった。
JR 各社で特急を中心にmax130㎞/hという時代に入っていて、JR 西日本が私鉄各社にスピードで更にアドヴァンテージを稼いで有利に立つには221系では駄目と判断するのは当然だったと思われる。
1994年には223系0番台が製造開始になり、阪和線に投入される。
そして1995年1月、阪神大震災が発生すると、震災後の復興も睨んだ輸送力増強という名目で、221系より性能で上回る223系1000番台が前倒しという形で投入され、1999年からは同2000番台も大量投入されると、新快速の地位から滑り落ちて行く破目になった。
製造両数という点でも223系は900両を超え221系とはほぼダブルスコアになっている。 223系新快速に乗ってみると、その関東では味わえないスピード感は圧倒的で、関東の人間ならカルチャーショックを受けるであろう。
だから221系でさえ翳んでしまうのも仕方ない部分がある。小生も15年位前に223系新快速に初めて乗車した時には「化け物だ!」とすら思ったもので、関西の人間に対し一種の羨望まで覚えたのであった。
(2013年11月 上淀鉄橋にて)
東海道・山陽本線から押し出され、近年では225系まで登場したので、同線区で221系の姿を見る機会も減った。
斯くして221系は奈良線・関西本線・山陰本線を主戦場にするようになった。そして、ここまで来るとさすがに古さを感じてしまう様にはなったが、関東の人間からすれば今でも十分羨ましくなる車なのである。 2011年の上淀の画像の様な12両編成を見る事はもう無いかも知れない。
(2010年11月 京都駅にて)
奈良線・関西本線・山陰本線で運用される様になり、編成替えも行われている。みやこ路快速として発車を待つNC 編成6連。
221系、その後継になる223系・225系、更には811系・311系・313系という辺りは、競争の落とし子と言える部分がある。 中京圏では名鉄、京阪神では阪急・阪神・京阪・近鉄等の大手私鉄各社という直接的な競争相手がいて、スピードとサービスの両面で勝つ必要があったのである。
実はこれと同時に、関東でこの手の車両が登場しなかった理由も見えてくる。 211系がすでに普及していた事は大きい。更に、人口密度が異常に高い故に混雑が異常に激しい。加えて、平野が広く、JR と各私鉄が直接競争するケースが殆ど無いに等しい事、これらに非常に官僚的な土地柄(江戸時代以来)も相俟っての事と思われる。
さて、ここで、この企画の掉尾の一曲として…、
Phil Collins が1989年初めに放った大ヒット曲 " Two Hearts " をぶつけたい!
" Buster " という映画の主題歌だったこの曲はアメリカとカナダで#1、全英でもTop 10 を記録。
御存知の方も多かろうが、曲についてはこちらの映像でも御覧頂きたい。
1988~90年にかけて彼は3曲の全米#1ヒットを生み出し、グラミー賞のRecord of the Year も奪取していて、アルバム "...But Seriously " は全世界で1500万枚以上のセールスを記録。
この時代は彼のソロアーティストとしての絶頂期だったのは間違いない。 (註2)
Well, there was no reason to believe she’d always be there
But if you don’t put faith in what you believe in
It’s getting you no where
‘Cause it hurts, you never let go
Don’t look down, just look up
‘Cause she’s always there behind you, just to remind you
Two hearts, believing in just one mind
You know we’re two hearts living in just one mind
‘Cause there’s no easy way to, to understand it
There’s so much of my life in her, and it’s like I’m blinded
And it teaches you to never let go
There’s so much love you’ll never know
She can reach you no matter how far, wherever you are
Two hearts, living in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts living in just one mind
Together forever till the end of time
She knows (she knows)
There’ll always be a secial place in my heart for her
She knows, she knows, she knows..., yeah
She knows (she knows)
No matter how far apart we are
She knows, I’m always right there beside her
Two hearts, believing in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts believing in just, living in just one mind
Together forever till the end of time
You know we’re two hearts living in just, living in just one mind
Just one mind, just one mind..., till the end of time
Two hearts, two hearts believing in just one mind
Beating together till the end of time... (fade out)
まだほかにJR 九州811系、JR 四国2000系、箱根登山2000形等もこの黄金世代に入っていて、当然取り上げるべきなのだが、生憎、未撮影でネタに出来ない。
811系は6年前に撮り損ない、四国には一回も足を運んでいない。
箱根登山も同様。これらが欠けているために中途半端に終わる印象を持たれるであろう。言い訳は無用!
これは明らかに私の力不足、不徳によるもので自分でも非常に情けない。
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Oct. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
(註1)ターボ禁止から25年、今年からターボエンジン復活、しかもターボで統一www。ターボで統一というのはF-1 史上初!
1977年にルノー(Renault)がターボエンジンを導入し、1988年までホンダ・BMW・フェラーリ・ポルシェ等のターボエンジンが存在し、コスワース(フォード)等の自然吸気エンジンを圧倒していた。
(註2)Phil Collins LVO は1975年にPeter Gabriel と入れ替わる様にGenesis に加入。1981年以降はGenesis と並行してソロ活動も行う。そこからの活躍はつとに有名。
1996年にGenesis を脱退するが、2007年の同バンド再結成時に復帰。ソロで8枚のアルバムをリリースし、7曲の全米#1、全英#1も3曲ある。
2008年、2011年と2回も引退しているが、作曲活動は続けていて、表舞台にまだ復帰する機会を伺っているらしい。彼と同い年(1951年生)の島田一の介や田山涼成と見た目であまり変わらない様にも思われるが、混同しない様注意されたいwww
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1989年のF-1 といえば、ターボ等の過給が全面禁止になった事を受けて、自然吸気元年ともいわれた(註1) 。この時代はF-1 に参加するチームやドライバーが多く、予備予選なんてものもあった。 フェラーリがセミオートマティックトランスミッションを初めて導入したのもこの年。
ターボ禁止になっても、前年同様、ホンダエンジン+マクラーレン(MacLaren)の強さは圧倒的で、その前年に引き続き、A. セナ(Ayrton Senna da Silva)vs A. プロスト(Alain Prost)全面対決一色みたいなシーズンになった。
色々あった挙句の果ての極めつけは、10月22日に日本G.P. (鈴鹿サーキット)で勃発したプロスト&セナによるシケイン激突事件であろう。 その後、セナはコースマーシャルに押し掛けをさせて再スタートしたが、その際にシケイン不通過の反則を取られ失格に。結局プロストが3度目の年間王者に輝いた。
当時の日本は某マスコミの偏向報道によるセナ神格化運動の真っ最中で、プロスト様贔屓だった小生は肩身が狭かった上にイジメまで受けてしまったのである。
話は逸れるが、この頃巷では「何チャラ転がし」という言葉が毎日のように聞こえてきた。絵画美術品・高級外車からワインに至るまで、高名な品々は転売すれば儲かるというアホみたいな話が、「財テク」という名の下に大手を振って罷り通っていたのである。(今の中国がこれに近い?)
バブル入社世代以上の人間にとっては懐かしい話と共に、お送りしてきたこのシリーズも最終回!
この掉尾を飾るのは、この車、京阪神地域のの革命児!
(2011年10月 名神クロスにて)
JR 西日本・221系電車
京阪神に於いて113/115系、さらには117系まで主役の座から追い払った。関東や中京圏では国鉄末期からJR 初期にかけて211系が113/115系を代替していったものの、関西で211系の投入はなかった。
親方日の丸ではなくなり、私鉄各社との競争に向き合う事となったJR 西日本は、先行する私鉄各社に対抗すべく、新時代を強く意識したこの車を新快速と大和路快速に集中して導入した。
一般車で120㎞/hでの営業運転に対応する車はまだ珍しく、私鉄殺しの切り札としての力の入れ様は想像に難くない。3ドアにして転換クロスシートというのは国鉄時代にはなく、民営化されJR になって変ったという所を印象付ける効果もあったかも知れない。
そして、1990年のローレル賞は奇しくも、3ドアクロスシート三羽烏の闘いとなり、この221系がJR 東海311系やJR 九州811系を押えて受賞した。
(2011年5月 上淀鉄橋にて)
新快速時代を想起させる快速運用12連、今となっては貴重なカットか。
大量装備を念頭に、当時はステンレスより安いという理由で鋼製車体になったものの、221系の天下は長く続かなかった。474両というかなりの大量製造ではあったが、VVVF 時代は直ぐそこに迫っていた中、界磁添加励磁制御という「中途半端」なメカだったのは苦しかった。
JR 各社で特急を中心にmax130㎞/hという時代に入っていて、JR 西日本が私鉄各社にスピードで更にアドヴァンテージを稼いで有利に立つには221系では駄目と判断するのは当然だったと思われる。
1994年には223系0番台が製造開始になり、阪和線に投入される。
そして1995年1月、阪神大震災が発生すると、震災後の復興も睨んだ輸送力増強という名目で、221系より性能で上回る223系1000番台が前倒しという形で投入され、1999年からは同2000番台も大量投入されると、新快速の地位から滑り落ちて行く破目になった。
製造両数という点でも223系は900両を超え221系とはほぼダブルスコアになっている。 223系新快速に乗ってみると、その関東では味わえないスピード感は圧倒的で、関東の人間ならカルチャーショックを受けるであろう。
だから221系でさえ翳んでしまうのも仕方ない部分がある。小生も15年位前に223系新快速に初めて乗車した時には「化け物だ!」とすら思ったもので、関西の人間に対し一種の羨望まで覚えたのであった。
(2013年11月 上淀鉄橋にて)
東海道・山陽本線から押し出され、近年では225系まで登場したので、同線区で221系の姿を見る機会も減った。
斯くして221系は奈良線・関西本線・山陰本線を主戦場にするようになった。そして、ここまで来るとさすがに古さを感じてしまう様にはなったが、関東の人間からすれば今でも十分羨ましくなる車なのである。 2011年の上淀の画像の様な12両編成を見る事はもう無いかも知れない。
(2010年11月 京都駅にて)
奈良線・関西本線・山陰本線で運用される様になり、編成替えも行われている。みやこ路快速として発車を待つNC 編成6連。
221系、その後継になる223系・225系、更には811系・311系・313系という辺りは、競争の落とし子と言える部分がある。 中京圏では名鉄、京阪神では阪急・阪神・京阪・近鉄等の大手私鉄各社という直接的な競争相手がいて、スピードとサービスの両面で勝つ必要があったのである。
実はこれと同時に、関東でこの手の車両が登場しなかった理由も見えてくる。 211系がすでに普及していた事は大きい。更に、人口密度が異常に高い故に混雑が異常に激しい。加えて、平野が広く、JR と各私鉄が直接競争するケースが殆ど無いに等しい事、これらに非常に官僚的な土地柄(江戸時代以来)も相俟っての事と思われる。
さて、ここで、この企画の掉尾の一曲として…、
Phil Collins が1989年初めに放った大ヒット曲 " Two Hearts " をぶつけたい!
" Buster " という映画の主題歌だったこの曲はアメリカとカナダで#1、全英でもTop 10 を記録。
御存知の方も多かろうが、曲についてはこちらの映像でも御覧頂きたい。
1988~90年にかけて彼は3曲の全米#1ヒットを生み出し、グラミー賞のRecord of the Year も奪取していて、アルバム "...But Seriously " は全世界で1500万枚以上のセールスを記録。
この時代は彼のソロアーティストとしての絶頂期だったのは間違いない。 (註2)
Well, there was no reason to believe she’d always be there
But if you don’t put faith in what you believe in
It’s getting you no where
‘Cause it hurts, you never let go
Don’t look down, just look up
‘Cause she’s always there behind you, just to remind you
Two hearts, believing in just one mind
You know we’re two hearts living in just one mind
‘Cause there’s no easy way to, to understand it
There’s so much of my life in her, and it’s like I’m blinded
And it teaches you to never let go
There’s so much love you’ll never know
She can reach you no matter how far, wherever you are
Two hearts, living in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts living in just one mind
Together forever till the end of time
She knows (she knows)
There’ll always be a secial place in my heart for her
She knows, she knows, she knows..., yeah
She knows (she knows)
No matter how far apart we are
She knows, I’m always right there beside her
Two hearts, believing in just one mind
Beating together till the end of time
You know we’re two hearts believing in just, living in just one mind
Together forever till the end of time
You know we’re two hearts living in just, living in just one mind
Just one mind, just one mind..., till the end of time
Two hearts, two hearts believing in just one mind
Beating together till the end of time... (fade out)
まだほかにJR 九州811系、JR 四国2000系、箱根登山2000形等もこの黄金世代に入っていて、当然取り上げるべきなのだが、生憎、未撮影でネタに出来ない。
811系は6年前に撮り損ない、四国には一回も足を運んでいない。
箱根登山も同様。これらが欠けているために中途半端に終わる印象を持たれるであろう。言い訳は無用!
これは明らかに私の力不足、不徳によるもので自分でも非常に情けない。
※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Oct. 2014)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。
(註1)ターボ禁止から25年、今年からターボエンジン復活、しかもターボで統一www。ターボで統一というのはF-1 史上初!
1977年にルノー(Renault)がターボエンジンを導入し、1988年までホンダ・BMW・フェラーリ・ポルシェ等のターボエンジンが存在し、コスワース(フォード)等の自然吸気エンジンを圧倒していた。
(註2)Phil Collins LVO は1975年にPeter Gabriel と入れ替わる様にGenesis に加入。1981年以降はGenesis と並行してソロ活動も行う。そこからの活躍はつとに有名。
1996年にGenesis を脱退するが、2007年の同バンド再結成時に復帰。ソロで8枚のアルバムをリリースし、7曲の全米#1、全英#1も3曲ある。
2008年、2011年と2回も引退しているが、作曲活動は続けていて、表舞台にまだ復帰する機会を伺っているらしい。彼と同い年(1951年生)の島田一の介や田山涼成と見た目であまり変わらない様にも思われるが、混同しない様注意されたいwww
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