Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:阪急電鉄

去年6月から丁度1年に渡り断続的に展開していた「西北とかいう関西人気No.1」のシリーズ、今回で区切りを付ける事とする。

さて、西宮には名所や名物もあるが、同市が発祥のものとして人形操りがある。阪神西宮駅の北西側、県道♯193(えべっさん通り)和上町交差点・NTT西宮ビル(住所は西宮市産所町)の前に「傀儡師故跡」「人形操り発祥の地」と書かれた銅像と説明板、「史跡 傀儡師故跡」(くぐつしこせき)の標柱が立っている。
室町時代以降、西宮神社周辺に住んでいた傀儡子=人形遣いが諸国をまわって、「えびすかき」と呼ばれる人形操りで、戎様の御徳を広めたとされる。このえびすかきは西宮神社の御神札を配りながら、首から下げた箱からえびすの人形を取り出し、大きな鯛を釣り上げ、「めでたい、めでたい」と叫んで門付けた。傀儡(くぐつ)は英語ならさしずめ「Japanese marionette」で、傀儡子は大道芸人の様なもの(英語ならstreet performer若しくはbusker)だった、恵比須様の信仰がメジャーになって今日のように全国に広まったのにも大きく寄与したと言われている。
だからここで小生は歌うのだ。「鏡の中の傀儡、操る糸を断ち切って、鏡の中の傀儡、自分の為に踊りな!」


傀儡子達は西宮に集団で居住し各地をを巡回していた模様である。この日本式マリオネットは後に 淡路・阿波の人形浄瑠璃や大阪の文楽に発展したとされる。
このえびすかきは明治中期に吉田小六という最後の傀儡師が廃業して一旦は途絶えたが、それから100年以上を経て、2006年から西宮の町興しのシンボルとして「人形芝居えびす座」が結成されて、地域文化遺産としてのえびすかき復興に取り組んでいるという。


hk7010@yodg01
阪急沿線はやはり天国か?

話は変わって、天国と地獄(High and Low)と言うのがある。1963年公開の黒澤明監督による映画は有名だ。これはEd McBain(エド・マクベイン)の原作を元に作られた映画だが、この映画の模倣犯ともいうべき類の犯罪すら起きている。

ところで、関西は天国と地獄・High and Lowのコントラストが非常に大きい様に思える。
日本も格差社会と言われて長いが、それもここ25年位の事と思われる。そんな日本の中でも、関西は関東とは比べ物にならない筋金入りの格差社会・階級社会である様に見え、誤解を恐れず言えば「差別社会」である様に思われる。
首都圏でも言うまでもなく格差はあるが、京阪神の格差は首都圏のそれに比して何しか全然エグい気がする。そうなる原因としては、社会の歴史が長い(古い)上に土着性も強い事を挙げざるを得ない。


西宮の辺りで天国と地獄・High and Lowを隔てるシャッターはどの辺にあるのだろう?天国でも地獄でもない、謂わば「この世」と言うのもあるのだろう。
阪急より上の山側は言うまでもなく、超ウルトラ天国。阪急沿線の武庫川以西は間違いなく天国である。JR沿線・国道2号より上もこの世若しくは天国。
hs9210@iskr01
地獄と奈良を行き来する?阪神電車=9000系

これに対し、阪神沿線旗色がどう考えても悪い。天国でも地獄でもない「この世」と地獄がモザイク状に混じっているのだろうか?特に、尼崎市の阪神沿線ともなると最悪か?
阪神工業地帯の中核として発展し、素性不明の荒くれ者が多数集まって形成された町が尼崎。阪神尼崎駅の直ぐ近くの自称一等地はパチンコ屋ばかりが幅を利かす。これが尼崎・阪神沿線の現実なのだろう。
大物とか杭瀬なんてあの有名な尼崎事件と関係が深い。因みに尼崎事件が発覚し主犯の角田美代子が自殺して今年で丁度10年である。勃発から発覚まで25年を要したあの事件だが、角田が生を享けたのは尼崎城の直ぐ近くで、大物駅からも近い。(国鉄尼崎港線の廃線跡に角田美代子の生家跡もある。)


尼崎というと労働者の街で汚くてガラが悪いというイメージを持たれるかも知れないが、ここに城があるのは今や有名。1617の戸田氏鉄による築城~1873年の廃城取壊しまでの間、尼崎は城下町であったという事になる。
明治維新と共に消えた尼崎城だが、旧ミドリ電化エディオン傘下)創業者の安保詮氏は、創業の地に恩返しがしたいと考えた。同氏は「10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈したい」として、2015年11月に市との間で「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結した。
市の方も一口城主や一枚瓦による寄付や城基金を募集して、その甲斐もあって尼崎城は恙なく復元されて、2019年3月29日にグランドオープン。そこから5ヵ月で来場者が10万人を突破し、当初の予想以上の数字を叩き出して観光スポットとして期待された。だが、翌年のプランデミックで期待も水泡に帰した。ここから巻き返せるかに期待がかかる
しかも困った事に、この城のすぐ裏には2018年の時点だが、犬小屋等々で道路が不法占拠されている一角があるらしいが、この不法占拠は解決したのだろうか?
まぁ、そこは阪神沿線尼崎クオリティ、城自体が阪神尼崎の南東側、庄下川東サイドで大物駅からも300m程度なので、抑々どういう場所か想像が付くというもの。


武庫川の東の尼崎は武庫之荘の一部を除いて地獄寄りだろうか。これが阪神沿線でも西宮以西で芦屋や御影なんていうとシャレオツなスポットもそこそこあったりするが、その直ぐ近くに「地獄」を感じさせる場所もある様である

阪急が新駅を建設する武庫川、その川を南に下ると武庫川団地の近くに行く。阪神武庫川線終点・武庫川団地前から歩いて数分の場所にあるURの巨大団地だが、32棟全てが2桁階数、中でも2・19号棟は25階もある。築年数40年近くで鉄道アクセスも微妙に不便であるという理由で、武庫川団地自体は2000年代から空き家が増加しているらしい。古いボロ団地というと、外国人労働者が集まりそうなものだが、この武庫川団地の場合その兆候すら見られないとの事。
当然そこの治安はかなり悪い模様で、武庫川団地とググると、「武庫川団地 スラム」という検索候補が出てくる。これも最早立派に地獄なのであろうが、阪急の新駅予定地(ほぼ天国)から5㎞と離れていない。


嘗て一世を風靡した?野々村何某とかいう「号泣県議」=政務活動費913万円を詐取した犯罪者は、ここの3号棟・15階の一室で暮らしながら兵庫県議として活動し、この団地の家賃=6万円台を事務所扱いにしてそれを政務活動費として報告していたが、事務所使用自体がUR賃貸住宅の規約違反だという。この元県議、城崎カラ出張の話は有名だが、武庫川でも余罪があったわけである。


武庫川団地も甲子園球場も、人気No/1である西宮北口、夙川、苦楽園、甲陽園、六麓荘、更には名塩にある険しい山中の崖に張り付くニュータウン郡も西宮なのだ。
JRの西宮名塩駅前とニュータウンの間を全長150mの斜行エレベーターが片道約2分で結ぶ。山の上のニュータウンは駅開業から5年後の1991年に街開きしてほぼ同時に斜行エレベーターも整備された。どう考えてもバブルの夢の跡である。駅とニュータウンとその両者を結ぶ唯一の動線が斜行エレベーターというのは、山梨県上野原市にある「コモアしおつ」と一緒。四方津駅(中央本線)も近年は乗降者数が大幅に減っている。


名塩のニュータウンも街開きから約30年、当然の事ながら住民には高齢者の姿が多いらしい。2030年位には新たなマチュピチュになるのではないかと期待される。名塩だと亀岡や豊能あたりにあるマチュピチュ団に比べると辺境度合いがまだ低いのかも知れないが、こんな山中のニュータウンなんか潰して、蒸留所でも作った方がまだエエの違うかと思うのは小生だけだろうか?

223ma01@yod01
天空の街・名塩へは便利な丹波路快速で!

西宮は兎にも角にもヴァラエティに富んでいて奥が深い!5㎞程度の距離に地獄~この世~天国が揃い、加えて天空の城(の出来損ない)まであるというから至れり尽くせり。
人口減少に悩まされる阪神地域、特に尼崎・神戸の両市は顕著で、神戸市のそれは特に酷く、2023年には人口が150万人を切りそうで、川崎市・福岡市には既に抜かれている。(市町村ランキングで5位→7位にダウン)。こういう状況下でも西宮市は2019年まで微増を続けて今や48万人を超えて、健闘が光っている感じである。


最後に天国の一角である夙川の話を一つ。
どうでも良い話かも知れないが、夙川駅の梅田方面行きホームにひっそりくっ付いている、夙川名物IC専用のミニ改札を出て神戸本線・甲陽線の短絡線を渡るとそのほぼ正面のビルの1階に、珈琲豆専門店で兵庫県下に4店舗を持つ「まめや総本店」の1号店である夙川店が所在している。
この店では、店内喫茶でコーヒーを飲む事も出来る。自家焙煎+その場で煎りたて+オーダーメイドというコーヒー豆を作ってもらう事も可である。小生もそこでオーダーメイドっぽいブレンドを深煎りで仕上げてもらった事が数回ある。


これでこのシリーズはフィニッシュするが、阪神地域は瀬戸内(大阪湾)側から山の方に上がって行くと場所によっては、僅か5㎞程で地獄から天国まで見られる海と山が迫っていて、その狭い所に非常に古くからの人の営みが存在していたという証左があるという事でもある。こういう光景は関東や東海では決して見られない世界である。

凋落の続いた神戸だが、三宮駅周辺の再開発も漸く重い腰を上げて進められる事となった。大阪や京都にブランド力という点でも大きく遅れを取ってしまったこの現状からどれだけ盛り返せるのだろうか?
必ずやろう!神戸再興!必ずやろう!兵庫再興!
Make Kobe Great Again! Male Hyogo Great Again! Make Kobe Strong Again! Make Hyogo Strong Again!
神戸が復活する事で、西宮も又更に輝けるのは間違いない。




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

西北とかいう関西人気No.1」というシリーズがあったのを覚えておられるか?
最近は「2022年、大きな節目」シリーズその他に掛かりきりになって、このシリーズはPart 11で一度休止状態になり、2月に再開したがPart 14の後は再び放置状態になってしまった。
ここでもう一度再開し、最終回まで持って行きフィニッシュしようと思う。


西宮でもエエとこの夙川はで有名だが、香櫨園浜から苦楽園駅までの4㎞程・18haの夙川河川敷緑地が整備されている。R2から南の部分はオアシスロードとなっている。
1920年代に阪神地域の河川も次々と改修された。近隣の芦屋川・石屋川・住吉川も相次いで改修された。西宮市は夙川に関しては宮水と松林を護る河川敷公園として整備する事を国に申し入れ、1932年に都市計画事業としての整備が決定。その財源の一部は沿道の市民の寄付で賄われたので、市民が作った川という所だろうか?

河川敷公園は1937年に竣工したが、その時分その河川敷に植わっていたのは松ばっかりだった。
そこにが植えられたのは1949年からだが、桜の植樹に際しては「桜博士」の異名を持っていた笹部新太郎氏に樹の管理に関するアドバイザーを依頼。現在は笹部さくら資料室が白鹿記念酒造博物館内に所在する。笹部氏の死後1978年に同氏が所蔵していた文献や資料、美術品等が市に寄贈され、1982年に白鹿記念酒造博物館に寄託されて資料室になった。


1965年の市制40年で市花がと定められ、その翌1966年からさくら祭りが行われている。1975年までの会場は甲山だったが、76年から夙川河川敷に変更となった。西宮生まれの桜品種も存在し、西宮権現平桜と夙川舞桜がある西宮権現平桜は笹部氏が日本一の山桜とした権現平桜から生まれている。夙川舞桜は夙川周辺にあったの自然交配で生まれた品種とされ、2005年に市民の投票で名付けられた。

hk8035@kzkgw01

夙川ではカトリック夙川教会(1932~)も有名で、パリのSainte Chapelle(サント・シャペル)聖堂をモデルに建てられたネオ・ゴシック建築である。柱の無いチャペルやステンドグラスが有名で、あの遠藤周作も洗礼を受けていた。阪急の駅の南側には1934年~1995年まで存在したLa Pavoni(ラ・パヴォーニ)という喫茶店は有名で、野坂昭如や小松左京といった文化人達にも愛された超人気店だったが、阪神大震災でダメージを受けた事もあって消滅。
1971年にはR2より南に川沿いの遊歩道も整備された。去年で丁度50年であった。

shukugawa2k08c
夙川は晩秋の桜が紅葉する時期もエエ!

夙川の歴史を語る上で欠かせない人物がいる。商船会社の支店長として1948年、日本にやって来たW.J. オハラ氏とベティ婦人である(Walter John and Betti O'Hara)オハラ夫妻が戦後の貧窮にあえぐ夙川希望の光が差す事を祈って、1948年から駅のすぐ近くにある羽衣橋にクリスマスツリーを建てた。
夫妻は帰国した後も知人を経由して飾りつけの為のバジェットを送り続けていた。そして夫妻の死後もその娘と自治会の間で交流があるという。羽衣橋のツリーだが駅前の再開発を機に1983年には大きな5mのモミの木が駅前のロータリーに植えられ、そっちに移動した。それ以来自治会を主体として年末の点灯式が行われ続けている。
ベティ・オハラ女史はカメラマンでもあったので、夙川居住時代に撮った3000点程のフィルムはアメリカ帰国時、夙川自治会に寄託されて貴重な資料として保管されている


夙川駅の西にはW. ヴォーリス所縁の建物等が建っていた上に、戦前は外国からの商社マン・銀行員・領事館関係者・宣教師等が沢山暮らしていて、特に旧パインクレストホテル(終戦直後の米軍接収時代に野坂昭如氏が働いていた事があったらしい)周辺は「外人村」なんて呼ばれた。 夙川駅の北側の雲井・殿山には終戦後進駐軍に接収された洋館も多く存在した。
戦後暫くすると駅前に商店が増えてきて、1950年に40店舗が入った夙川市場が出来た。阪神西宮の所の公設市場から人の流れが移って来た。


1974年、駅南側に高い建物を建て駅前の商店を移設し、再開発を図るという「夙川駅前再開発事業」がスタート。1977年10月に夙川のランドマークとも言える夙川グリーンタウンがオープンしたが、この再開発と同時並行で区画整理事業が進められた。民間組合による再開発と市主体の区画整理が同時に行われるのは当時はレアケースだった。

次回が最終回の予定、Part 16へと続く!



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年、大きな節目」も重苦しいテーマの続いたが、このChapter 25では1972年の鉄道の話題を行きたい。1972年は日本の鉄道100周年、今年2022年は150周年である
横浜・京都・東京で路面電車廃止が一気に進んだ年でもあった。横浜で市電とトロリーバスが全て廃止になったのは4月1日、東京都電も荒川線以外の路線は11月12日までに廃止になっている。京都でも3路線(四条線・千本線・大宮線)が廃止された。
この時期は、大都市への人口集中とモータリゼーションがガチャコーン!と接続して、地方私鉄の廃止も目立った一方で、国鉄ではキングボンビーこと鉄建公団に作らされた「国鉄殺死の」ローカル線の開業は結構あった。
横浜の市電は春に廃止されたが、年末12月16日には市営地下鉄1号線(現ブルーライン)が伊勢佐木長者町~上大岡間=5.2㎞で開業。
山陽新幹線が出来て=新大阪~岡山、新幹線が新大阪から西に延びたのもこの1972年。
総武本線が東京駅に乗り入れたのもこの年。同線が東京駅に乗り入れた事で、起点も東京になり、御茶ノ水~錦糸町は支線に降格。


この年、今でも在来線特急として貴重な地位を占める列車が運行開始となった。
その一つはぐったり吐くもじゃなかった、やくも。1972年3月15日の国鉄ダイヤ改正でデビューしたこの列車、運行開始当初は1日4往復のみだったが、翌73年に往復になった(50年後の現在は最大15往復)

381-3806@naks01

くろしおがげろしおでなくなった今、エチケット袋必須なのはこのやくものみになった
この列車も最初から381系で吐くもだった訳では無い。1972年当時の伯備線は非電化だったのでキハ181系だった。1975年にディーゼル列車で初めてエル特急指定を受けた。
運行開始から10年の記念の年、1982年7月から伯備線全線+山陰本線・伯耆大山~西出雲間電化に伴い、381系導入+エチケット袋必須化と相成った。序に急行「伯耆」を吸収した事もあって8往復化。381系やくも」も今年で40周年ということになった。今年のダイヤ改正で一部列車が不定期化された。
これから導入予定の273系ではエチケット袋はホンマに不要になるのだろうか?(抑々吐く事ありきみたいな列車はアカンやろ!)


8005@bicmin01
やくもの爆誕と同時にデビューした列車の中に、やはり現在は岡山に発着しているしおかぜ南風がある。四国における初の特急列車でもあった。しおかぜは今でこそ全て電車だが、1972年当時はキハ181系での運行で、1993年まで使用されていた。1992年には8000系電車が導入されたが、2016年ダイヤ改正(8600系導入)まで気動車の運用が残っていた。しおかぜと共に爆誕したのが南風で、運行開始時はキハ181系だった。使用車両も現在の2700系で4代目である。
運行開始時は高松始発だったのは言うまでもない。岡山に発着する様になったのは1988年の瀬戸大橋線開業からである。これ等の列車の運行開始には山陽新幹線開業が深く絡んでいる。(南風は岡山始発で・高松始発列車はしまんとになっている)


jrsk2010@bicmin01
2000系南風はもう見られない。

岡山というと嘗て下津井電鉄・電鉄線が存在していた。同社は今もバス会社として存在しているが、1991年までは鉄道(762㎜ナローゲイジ)も経営していた。茶屋町~下津井の約20㎞の路線があったが、1972年4月1日にその凡そ70%に当る茶屋町~児島間が廃止になった。


hk5321@mib01
5300系5321F=2017年の8連時代(現在は7連)

阪急5300系も50周年である。3300系の駆逐が進んで、今度は5300の番かと言われる。
梅田方が先頭Wパンタというレイアウトは2800系・2300系で始まり、5100系後期型と5300系で定着したと言える。6300系は例外だが、その後9000/9300系まで続いた。


183h61@okfk01n

1972年登場の車両でこれを抜きに語れないという存在が、何と言っても183系であろう。485系ブラザーズと共に21世紀まで国民的特急車であり続けたその功績の偉大さは、これ以上語る必要になるもない程語られている。

ko6774@hyjk01
京王では20m4ドア時代の幕開けになった名車6000系のデビューがこの年。京成では3500形、横浜市交通局では初代になる1000形、小田急ではガイコツこと9000形(1973年のローレル賞はコイツ)

kt-ax17@tsusmc01
先日、一般型電車の大々的世代交代が発表された(ホンマにやれるのか?)近鉄では、1000系・1010系・1200系(Ⅰ)・2610系・2800系がデビュー50年になった。40~50年クラスの車両がまだウヨウヨしている近鉄だが、この世に永久の物なんて無い


色々な車両もデビューしたが、前述の通りにこの年地方私鉄で廃止になったのは、加越能鉄道(加越能バスの前身)加越線、北陸鉄道能登線、花巻電鉄(後に岩手県交通に吸収)といった辺り。

北陸トンネル火災事故もこの年の出来事だった。11月6日の午前1:04頃、全長13870mの北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行きEF70牽引の急行「きたぐに」=10系客車15両の、11号車食堂車(オシ17)の喫煙室椅子下から火災が発生。古い車両で燃えやすい素材も多く使われていて、長大トンネル内の場合における火災対策の不備だった事も加わって、乗務員1名を含む30名が死亡し、714名が負傷した。犠牲者の死因は焼死ではなく、一酸化炭素中毒死であった。
若し、当時のマニュアルを無視してでもトンネル内で緊急停止せず、出口まで行っていたら被害は大幅に少なくて済んだと言うのが現在の定説である。「トンネル内火災時は、トンネル抜けるまで停車しない」という運転マニュアルはこの事故を契機に追加されたものである。又、車両の難燃化工事も進められていった。


次回=Chapter 26へと続く!



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

兵庫県の蒸留所の内、前記事で触れていない所が一箇所ある。京都・伏見の大手、黄桜酒造が2018年に立ち上げた丹波蒸留所である。丹波の名の通り丹波篠山市の山間、標高300mに位置している。
焼酎用から流用したステンレス製スティルが先に稼働し、ジンやモルトウイスキーの蒸留を開始。2021年11月に漸くモルトウイスキー用にForsyth(フォーサイス)社製スティル・1対(初溜+再溜)を稼働させた。2022年にはこの丹波の原酒を使ったウィスキーがデビューするが、2024年末まではステンレス製スティルで蒸留された原酒が専ら使われる事となる。


ウィスキーに先行して2021年5月デビューしたのがクラフトジンの「花物語」。風味を決めるボタニカルだが、杜松(ジュニパーベリー)以外では、黄桜=ウコンザクラを始めに宇治抹茶柚子・山椒等を使用し日本・京都テイストをアピールする内容らしい。度数は47度で700mlボトル、化粧箱無しなら3900円程度。


さて、阪神地域唯一の蒸留所である六甲山蒸留所についてだが、これを運営するのは徳島のAXAS(アクサス)という会社。

AXASという名は一般にあまり馴染みがないかも知れない。だが、洋酒ファンには一定の知名度がある筈である。この会社の裏ラベルが付いたウィスキーその他各種酒類のボトルは量販店や専門店で結構見かけるからである。以前、「セルバ徳島支店」という記載の裏ラベルが付いた酒類を見た事がある筈である。AXASの酒販部門は2007年にこのセルバを吸収合併している。

同社は徳島市に本拠を置き、2006年創業と若い会社。ドラッグストア(Charley)、リカーショップ(Our Liqour)、インテリアショップ(PLAZA ALEX・ALEX COMFORT)、文房具専門店(文具館Charley)、スポーツ用品店(アレックススポーツ)その他諸々を展開する。この親会社(持株会社)=AXAS HDはJASDAQ上場企業である。

同社は更に阪神間では「元町WHISKY」・「芦屋WHISKY」というウィスキー専門ショップ2店舗を展開、東京では「青山WHISKY」というオーセンティックバーを開店している。青山のバーではホグスヘッド(hogshead)からヴァリンチ(valinch)と呼ばれる銅の長いスポイトで吸い上げ、そのままウイスキーを提供するという新しい飲み方を提案しているのだそうだ。
(ヴァリンチ(valinch)なんて蒸留所でハンドフィルのボトルを作る時に使うものというイメージだろうが…)


kbpt2k17apr15
神戸ポートタワーから六甲山方向=北方向を望む。

六甲山中に蒸留所を作るといっても、そこは瀬戸内海国立公園内なので、新たに大きな建物は建てられないし、使える物件探しも非常に苦労した。構想から8年を経て、最終的に或る製薬会社の古い小規模な保養所だった建物を買い取って蒸留所に改装したのが六甲山蒸留所である。誰が見ても蒸留所とは思えない外見の建物は3階建てではあるが、如何せん蒸留所として使うには小さいし色々制限があった。

肝心のスティルに関しては日本のメーカーに発注しようとしたが、スペースが小さ過ぎると悉く断られた。結局はドイツのArnold Holstein(A. ホルスタイン)社が漸く応じてくれたという。因みに同社は4世代続く蒸留機メーカーで、30 数名のハンドクラフト職人を擁している。各種ブランデー、ウイスキー、ジン、ウォッカ等の為の各種専用機に加え、ハーブ抽出蒸留機や複数蒸留酒対応のハイブリッドタイプ蒸留機も製作しているという。

建物に入れられる蒸留器は1500ℓのサイズ(極小)で1基入れるのが精一杯という訳で、この1基で初溜も再溜も行う事になる。モルトミルなんて持てないから麦芽は挽いてグリストの状態で納入してもらう。(麦芽は日本のビール会社が輸入、フェノール値=50ppm)
蒸留を開始したのが2021年7月の事、仕込は現在は週1回しか出来ない模様。ワンバッチで麦芽300㎏使用して1500ℓの麦汁を作る。それを発酵させウォッシュにするが、ウォッシュバックは2基あるので一度に2バッチ分行うらしい。こうしてできた1500ℓ弱のウォッシュから初溜1回で500ℓのローワインを得る。これを2バッチ分行い合計1000ℓのローワインから、1回の再溜を行うという仕組みになっている。1回で得られるスピリッツは1回で300ℓ弱程度と推察される。


AXASのCEOである久岡卓司氏自身が蒸留所建設の音頭取りをした。ウィスキー製造の陣頭指揮も久岡氏が執っている。蒸留所見学も毎週日曜日、1回10名×4回という形で行っている。実は観光客受け入れが蒸留所開設の許可条件に入っているかららしい。
CEO久岡氏の道楽なのか、将又ウイスキーと観光を通じてAXASの宣伝になれば良いという事か?これをステップにして将来は地元徳島にも蒸留所をオープンするという展開になっても面白いとは思う。六甲山蒸留所単独ではどう考えても商売にはならない。


阪神地域に新しく蒸留所を作るとするなら、国立公園は避けて、土地や水も確保出来て、色々な規制も少ない所を狙うしかなかろう。そうなると、六甲の麓まで住宅地が開発されている六甲の南側は極めて難しいと言わざるを得ない。そこでワンチャンあるなら福知山線方面という事になるのか。宝塚市なら武田尾の様に市街からやや外れたエリア、西宮市なら名塩あたり、神戸市なら道場あたりに可能性があるかも知れない。
あの辺のエリアにも限界ニュータウン(マチュピチュ候補)が点在している様なので、チャッチャとぶっ潰して蒸留所でも作った方がマシではないかと思うのは小生だけだろうか?。


Part 15へと続く!


当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

このシリーズ、西北どころか西宮、延いては阪神地域までも完全に飛び出して、「兵庫県を応援しませう」というノリになっているが、これは今に始まった事ではないし、改めて何卒御容赦願いたい。

ところで、六甲山蒸留所を御存知だろうか?
これは、現在阪神地域に存在する唯一のウイスキー蒸留所で、規模も日本国内最小の筈である(あの長濱より小さい)。兵庫県下でもウイスキーの蒸留所は江井ヶ嶋海峡(共に明石市)、更には黄桜酒造が運営する丹波蒸留所、今日現在で合計3ヶ所である。
酒造りで有名な灘や西宮市街にクラフト蒸留所が1ヵ所かそこらあってもおかしくない様に思うのだが、作られるとかいう話すらない。蒸留所を作るにも用地確保を始めとして、環境面を含めた各種規制をクリアするのは困難で、地方や郊外に集中する


アイルランド首都のダブリンにも嘗ては沢山のウイスキーディスティラリーが市内にあったが、アイリッシュウイスキーの低迷が数十年と長く続いた事もあって、殆どが消えてしまった。アイリッシュが盛り返して来た21世紀、今も数か所のディスティラリーが市内やその周辺で操業している。そこは嘗ての「ウィスキー中心地」という意地を見せているか?日本でも都市部市街地の蒸留所という物がもっとあって良いと思う。

蒸留所を作っても、固定費は重いが、蒸留してもウイスキーとして出荷するのに最低3年は掛かり、その間は換金が出来ない。ウイスキーと並行して細々とジンその他のスピリッツやリキュール等をリリースして日銭を稼がなければならないが、蒸留所の規模が小さいとそれも難しい。ジャパニーズウイスキーの蒸留所を名乗るも、スコットランド等から輸入した原酒を使って「ワールドウイスキー」みたいな物をリリースして資金稼ぎをしている所も多い。

仕込水の確保も大きな問題になる。ウイスキー製造は非常に沢山の水を消費してしまう。糖化・発酵は勿論、蒸留時の冷却、製品出荷時の度数調整といったプロセスで大量の水が要る。水という部分もディスティラリーを建てるにはネックになり易い。

kbpt2k17apr14
神戸ポートタワーから明石方面=西方向を臨む

阪神地域からやや外れるが、明石市では江井ヶ嶋蒸留所が有名。同社は卜部兵吉が1888年に設立。2007年に同社初のシングルモルト=ホワイトオークあかし8年をリリース、近年のウイスキーブームも追い風にして世界の愛好家から大注目を集める存在に躍り出る。2020年には「江井ヶ嶋」という新シリーズを立ち上げ、6種類のボトルをリリースしている。
蔵は1889年に操業し、日本酒醸造から始まった。実を言うと日本酒の一升瓶はここが始祖。1919年には焼酎やウイスキーの製造も開始。1963年には山梨のワイナリーをオープンし、「シャルマンワイン」を世に送り出す。
江井ヶ嶋酒造のウイスキー作りは年3ヵ月程だったが、近年のウィスキーブームで仕込みに使う日数も増やして、日本酒造りが忙しい時期以外(年9ヶ月程)は行う様になった。しかも日本酒の杜氏がウィスキーの仕込みも行う。オークの新樽を水酛仕込(生酛に近いやり方)の純米酒で1年半程シーズニングしてからウヰスキー熟成に使うという、本来が日本酒の蔵らしい?試みも行っている。
現在のウイスキー蒸留設備は1984年に建てられた。奈良のシルバーウイスキー蒸留所のポットスティルを譲り受け更にこれを改造し本格的にウイスキー製造に踏み出した。2019年にはポットスティルが新調されてた。現在、明石の本社敷地内には7か所の蔵が建つ。これ等にプラスして2020年にウィスキー熟成庫が1棟追加され、糖化槽・発酵槽も新調されている。
明石市でも同社がある辺りは江戸時代には「灘」と呼ばれていたらしい。神戸の「灘」が有名になったのでこちらの灘は「西灘」と呼ばれる様になったとの事。


akashiyaki001
神戸で食べた所謂「明石焼き」

同市では2017年創業の明石酒類醸造株式会社の海峡蒸留所もある。蒸留所を含む現在の会社敷地は経営者の米澤家本家があった場所で、国道2号沿いでJR朝霧駅山陽電鉄大蔵谷駅のほぼ中間地点である。日本酒蔵と蒸留所が同じ敷地に所在し、直売所「酒笑本館(しゅまいるほんかん)」もある。更に将来は蒸留所のビジターセンターも作る予定である。

同社の創業は1856年、そこから日本酒・みりん・焼酎・ニュートラルスピリッツの製造を行っていた。そして、国内の消費が低迷を続ける中、2005年に海外輸出に活路を見出すべく方針転換。英国のインポーターの眼に止まったのが、同社の日本酒「明石鯛」だった。以降この酒はイギリス各地の高級ホテル・レストランでオンリストされている。
こうしてイギリス・そしてヨーロッパとの繋がりを得た同社はウィスキー蒸留に手を染める事になる。上述のインポーターがオランダのMarussia Beverages(マルシア・ビヴァレッジ)傘下に入り、同傘下でSkye(スカイ島)にあるTorabhaig(トラベイグ)蒸留所とは一種の姉妹関係を結んで、ウィスキー造りの研修も受けられた。
2017年にForsyth(フォーサイス)社製のスティル1基で先ずは蒸留を開始。このスティルはドイツの会社が発注していたのがキャンセルされて明石に回って来た。こういう幸運でも無いとスティル1基手に入れるのも非常に困難で、発注出来ても数年単位で待たされるのはザラ。2019年になって2基目が入って漸く初溜+再溜=2基1対の体制で蒸留出来る様になった。

蒸留所のスタートから5年近くが経つがウイスキー「波門崎」(HATOZAKI)は日本国内未発売で、クラフトジン「135°EAST」だけが入手可能である。



酒類販売業者でアミューズメント事業等も手掛ける、株式会社ウィズワン(大阪市=創立は2000年)は、兵庫県北部、豊岡と朝来の間にある養父(やぶ)市にウイスキー蒸留所を新設すると、去年秋にアナウンスした。養父市は清流のまちをウリにしている所で、天滝渓谷ミズバショウ公園樽見の大桜といった景勝地や数箇所のスキー場もある。
蒸留所は2022年秋の完成を目指し、シングルモルトなど月間2万本を製造する見込みだという。ウィズワンは「ゲームワン」、「リカーショップONE」、「酒の和」、「カラオケZERO」といった店舗チェーンも展開している。


本丸になる六甲山蒸留所についての話は、次回Part 14へとキャリーオーバー!



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ