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マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:神戸

西北とかいう関西人気No.1」というシリーズがあったのを覚えておられるか?
最近は「2022年、大きな節目」シリーズその他に掛かりきりになって、このシリーズはPart 11で一度休止状態になり、2月に再開したがPart 14の後は再び放置状態になってしまった。
ここでもう一度再開し、最終回まで持って行きフィニッシュしようと思う。


西宮でもエエとこの夙川はで有名だが、香櫨園浜から苦楽園駅までの4㎞程・18haの夙川河川敷緑地が整備されている。R2から南の部分はオアシスロードとなっている。
1920年代に阪神地域の河川も次々と改修された。近隣の芦屋川・石屋川・住吉川も相次いで改修された。西宮市は夙川に関しては宮水と松林を護る河川敷公園として整備する事を国に申し入れ、1932年に都市計画事業としての整備が決定。その財源の一部は沿道の市民の寄付で賄われたので、市民が作った川という所だろうか?

河川敷公園は1937年に竣工したが、その時分その河川敷に植わっていたのは松ばっかりだった。
そこにが植えられたのは1949年からだが、桜の植樹に際しては「桜博士」の異名を持っていた笹部新太郎氏に樹の管理に関するアドバイザーを依頼。現在は笹部さくら資料室が白鹿記念酒造博物館内に所在する。笹部氏の死後1978年に同氏が所蔵していた文献や資料、美術品等が市に寄贈され、1982年に白鹿記念酒造博物館に寄託されて資料室になった。


1965年の市制40年で市花がと定められ、その翌1966年からさくら祭りが行われている。1975年までの会場は甲山だったが、76年から夙川河川敷に変更となった。西宮生まれの桜品種も存在し、西宮権現平桜と夙川舞桜がある西宮権現平桜は笹部氏が日本一の山桜とした権現平桜から生まれている。夙川舞桜は夙川周辺にあったの自然交配で生まれた品種とされ、2005年に市民の投票で名付けられた。

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夙川ではカトリック夙川教会(1932~)も有名で、パリのSainte Chapelle(サント・シャペル)聖堂をモデルに建てられたネオ・ゴシック建築である。柱の無いチャペルやステンドグラスが有名で、あの遠藤周作も洗礼を受けていた。阪急の駅の南側には1934年~1995年まで存在したLa Pavoni(ラ・パヴォーニ)という喫茶店は有名で、野坂昭如や小松左京といった文化人達にも愛された超人気店だったが、阪神大震災でダメージを受けた事もあって消滅。
1971年にはR2より南に川沿いの遊歩道も整備された。去年で丁度50年であった。

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夙川は晩秋の桜が紅葉する時期もエエ!

夙川の歴史を語る上で欠かせない人物がいる。商船会社の支店長として1948年、日本にやって来たW.J. オハラ氏とベティ婦人である(Walter John and Betti O'Hara)オハラ夫妻が戦後の貧窮にあえぐ夙川希望の光が差す事を祈って、1948年から駅のすぐ近くにある羽衣橋にクリスマスツリーを建てた。
夫妻は帰国した後も知人を経由して飾りつけの為のバジェットを送り続けていた。そして夫妻の死後もその娘と自治会の間で交流があるという。羽衣橋のツリーだが駅前の再開発を機に1983年には大きな5mのモミの木が駅前のロータリーに植えられ、そっちに移動した。それ以来自治会を主体として年末の点灯式が行われ続けている。
ベティ・オハラ女史はカメラマンでもあったので、夙川居住時代に撮った3000点程のフィルムはアメリカ帰国時、夙川自治会に寄託されて貴重な資料として保管されている


夙川駅の西にはW. ヴォーリス所縁の建物等が建っていた上に、戦前は外国からの商社マン・銀行員・領事館関係者・宣教師等が沢山暮らしていて、特に旧パインクレストホテル(終戦直後の米軍接収時代に野坂昭如氏が働いていた事があったらしい)周辺は「外人村」なんて呼ばれた。 夙川駅の北側の雲井・殿山には終戦後進駐軍に接収された洋館も多く存在した。
戦後暫くすると駅前に商店が増えてきて、1950年に40店舗が入った夙川市場が出来た。阪神西宮の所の公設市場から人の流れが移って来た。


1974年、駅南側に高い建物を建て駅前の商店を移設し、再開発を図るという「夙川駅前再開発事業」がスタート。1977年10月に夙川のランドマークとも言える夙川グリーンタウンがオープンしたが、この再開発と同時並行で区画整理事業が進められた。民間組合による再開発と市主体の区画整理が同時に行われるのは当時はレアケースだった。

次回が最終回の予定、Part 16へと続く!



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兵庫県の蒸留所の内、前記事で触れていない所が一箇所ある。京都・伏見の大手、黄桜酒造が2018年に立ち上げた丹波蒸留所である。丹波の名の通り丹波篠山市の山間、標高300mに位置している。
焼酎用から流用したステンレス製スティルが先に稼働し、ジンやモルトウイスキーの蒸留を開始。2021年11月に漸くモルトウイスキー用にForsyth(フォーサイス)社製スティル・1対(初溜+再溜)を稼働させた。2022年にはこの丹波の原酒を使ったウィスキーがデビューするが、2024年末まではステンレス製スティルで蒸留された原酒が専ら使われる事となる。


ウィスキーに先行して2021年5月デビューしたのがクラフトジンの「花物語」。風味を決めるボタニカルだが、杜松(ジュニパーベリー)以外では、黄桜=ウコンザクラを始めに宇治抹茶柚子・山椒等を使用し日本・京都テイストをアピールする内容らしい。度数は47度で700mlボトル、化粧箱無しなら3900円程度。


さて、阪神地域唯一の蒸留所である六甲山蒸留所についてだが、これを運営するのは徳島のAXAS(アクサス)という会社。

AXASという名は一般にあまり馴染みがないかも知れない。だが、洋酒ファンには一定の知名度がある筈である。この会社の裏ラベルが付いたウィスキーその他各種酒類のボトルは量販店や専門店で結構見かけるからである。以前、「セルバ徳島支店」という記載の裏ラベルが付いた酒類を見た事がある筈である。AXASの酒販部門は2007年にこのセルバを吸収合併している。

同社は徳島市に本拠を置き、2006年創業と若い会社。ドラッグストア(Charley)、リカーショップ(Our Liqour)、インテリアショップ(PLAZA ALEX・ALEX COMFORT)、文房具専門店(文具館Charley)、スポーツ用品店(アレックススポーツ)その他諸々を展開する。この親会社(持株会社)=AXAS HDはJASDAQ上場企業である。

同社は更に阪神間では「元町WHISKY」・「芦屋WHISKY」というウィスキー専門ショップ2店舗を展開、東京では「青山WHISKY」というオーセンティックバーを開店している。青山のバーではホグスヘッド(hogshead)からヴァリンチ(valinch)と呼ばれる銅の長いスポイトで吸い上げ、そのままウイスキーを提供するという新しい飲み方を提案しているのだそうだ。
(ヴァリンチ(valinch)なんて蒸留所でハンドフィルのボトルを作る時に使うものというイメージだろうが…)


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神戸ポートタワーから六甲山方向=北方向を望む。

六甲山中に蒸留所を作るといっても、そこは瀬戸内海国立公園内なので、新たに大きな建物は建てられないし、使える物件探しも非常に苦労した。構想から8年を経て、最終的に或る製薬会社の古い小規模な保養所だった建物を買い取って蒸留所に改装したのが六甲山蒸留所である。誰が見ても蒸留所とは思えない外見の建物は3階建てではあるが、如何せん蒸留所として使うには小さいし色々制限があった。

肝心のスティルに関しては日本のメーカーに発注しようとしたが、スペースが小さ過ぎると悉く断られた。結局はドイツのArnold Holstein(A. ホルスタイン)社が漸く応じてくれたという。因みに同社は4世代続く蒸留機メーカーで、30 数名のハンドクラフト職人を擁している。各種ブランデー、ウイスキー、ジン、ウォッカ等の為の各種専用機に加え、ハーブ抽出蒸留機や複数蒸留酒対応のハイブリッドタイプ蒸留機も製作しているという。

建物に入れられる蒸留器は1500ℓのサイズ(極小)で1基入れるのが精一杯という訳で、この1基で初溜も再溜も行う事になる。モルトミルなんて持てないから麦芽は挽いてグリストの状態で納入してもらう。(麦芽は日本のビール会社が輸入、フェノール値=50ppm)
蒸留を開始したのが2021年7月の事、仕込は現在は週1回しか出来ない模様。ワンバッチで麦芽300㎏使用して1500ℓの麦汁を作る。それを発酵させウォッシュにするが、ウォッシュバックは2基あるので一度に2バッチ分行うらしい。こうしてできた1500ℓ弱のウォッシュから初溜1回で500ℓのローワインを得る。これを2バッチ分行い合計1000ℓのローワインから、1回の再溜を行うという仕組みになっている。1回で得られるスピリッツは1回で300ℓ弱程度と推察される。


AXASのCEOである久岡卓司氏自身が蒸留所建設の音頭取りをした。ウィスキー製造の陣頭指揮も久岡氏が執っている。蒸留所見学も毎週日曜日、1回10名×4回という形で行っている。実は観光客受け入れが蒸留所開設の許可条件に入っているかららしい。
CEO久岡氏の道楽なのか、将又ウイスキーと観光を通じてAXASの宣伝になれば良いという事か?これをステップにして将来は地元徳島にも蒸留所をオープンするという展開になっても面白いとは思う。六甲山蒸留所単独ではどう考えても商売にはならない。


阪神地域に新しく蒸留所を作るとするなら、国立公園は避けて、土地や水も確保出来て、色々な規制も少ない所を狙うしかなかろう。そうなると、六甲の麓まで住宅地が開発されている六甲の南側は極めて難しいと言わざるを得ない。そこでワンチャンあるなら福知山線方面という事になるのか。宝塚市なら武田尾の様に市街からやや外れたエリア、西宮市なら名塩あたり、神戸市なら道場あたりに可能性があるかも知れない。
あの辺のエリアにも限界ニュータウン(マチュピチュ候補)が点在している様なので、チャッチャとぶっ潰して蒸留所でも作った方がマシではないかと思うのは小生だけだろうか?。


Part 15へと続く!


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このシリーズ、西北どころか西宮、延いては阪神地域までも完全に飛び出して、「兵庫県を応援しませう」というノリになっているが、これは今に始まった事ではないし、改めて何卒御容赦願いたい。

ところで、六甲山蒸留所を御存知だろうか?
これは、現在阪神地域に存在する唯一のウイスキー蒸留所で、規模も日本国内最小の筈である(あの長濱より小さい)。兵庫県下でもウイスキーの蒸留所は江井ヶ嶋海峡(共に明石市)、更には黄桜酒造が運営する丹波蒸留所、今日現在で合計3ヶ所である。
酒造りで有名な灘や西宮市街にクラフト蒸留所が1ヵ所かそこらあってもおかしくない様に思うのだが、作られるとかいう話すらない。蒸留所を作るにも用地確保を始めとして、環境面を含めた各種規制をクリアするのは困難で、地方や郊外に集中する


アイルランド首都のダブリンにも嘗ては沢山のウイスキーディスティラリーが市内にあったが、アイリッシュウイスキーの低迷が数十年と長く続いた事もあって、殆どが消えてしまった。アイリッシュが盛り返して来た21世紀、今も数か所のディスティラリーが市内やその周辺で操業している。そこは嘗ての「ウィスキー中心地」という意地を見せているか?日本でも都市部市街地の蒸留所という物がもっとあって良いと思う。

蒸留所を作っても、固定費は重いが、蒸留してもウイスキーとして出荷するのに最低3年は掛かり、その間は換金が出来ない。ウイスキーと並行して細々とジンその他のスピリッツやリキュール等をリリースして日銭を稼がなければならないが、蒸留所の規模が小さいとそれも難しい。ジャパニーズウイスキーの蒸留所を名乗るも、スコットランド等から輸入した原酒を使って「ワールドウイスキー」みたいな物をリリースして資金稼ぎをしている所も多い。

仕込水の確保も大きな問題になる。ウイスキー製造は非常に沢山の水を消費してしまう。糖化・発酵は勿論、蒸留時の冷却、製品出荷時の度数調整といったプロセスで大量の水が要る。水という部分もディスティラリーを建てるにはネックになり易い。

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神戸ポートタワーから明石方面=西方向を臨む

阪神地域からやや外れるが、明石市では江井ヶ嶋蒸留所が有名。同社は卜部兵吉が1888年に設立。2007年に同社初のシングルモルト=ホワイトオークあかし8年をリリース、近年のウイスキーブームも追い風にして世界の愛好家から大注目を集める存在に躍り出る。2020年には「江井ヶ嶋」という新シリーズを立ち上げ、6種類のボトルをリリースしている。
蔵は1889年に操業し、日本酒醸造から始まった。実を言うと日本酒の一升瓶はここが始祖。1919年には焼酎やウイスキーの製造も開始。1963年には山梨のワイナリーをオープンし、「シャルマンワイン」を世に送り出す。
江井ヶ嶋酒造のウイスキー作りは年3ヵ月程だったが、近年のウィスキーブームで仕込みに使う日数も増やして、日本酒造りが忙しい時期以外(年9ヶ月程)は行う様になった。しかも日本酒の杜氏がウィスキーの仕込みも行う。オークの新樽を水酛仕込(生酛に近いやり方)の純米酒で1年半程シーズニングしてからウヰスキー熟成に使うという、本来が日本酒の蔵らしい?試みも行っている。
現在のウイスキー蒸留設備は1984年に建てられた。奈良のシルバーウイスキー蒸留所のポットスティルを譲り受け更にこれを改造し本格的にウイスキー製造に踏み出した。2019年にはポットスティルが新調されてた。現在、明石の本社敷地内には7か所の蔵が建つ。これ等にプラスして2020年にウィスキー熟成庫が1棟追加され、糖化槽・発酵槽も新調されている。
明石市でも同社がある辺りは江戸時代には「灘」と呼ばれていたらしい。神戸の「灘」が有名になったのでこちらの灘は「西灘」と呼ばれる様になったとの事。


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神戸で食べた所謂「明石焼き」

同市では2017年創業の明石酒類醸造株式会社の海峡蒸留所もある。蒸留所を含む現在の会社敷地は経営者の米澤家本家があった場所で、国道2号沿いでJR朝霧駅山陽電鉄大蔵谷駅のほぼ中間地点である。日本酒蔵と蒸留所が同じ敷地に所在し、直売所「酒笑本館(しゅまいるほんかん)」もある。更に将来は蒸留所のビジターセンターも作る予定である。

同社の創業は1856年、そこから日本酒・みりん・焼酎・ニュートラルスピリッツの製造を行っていた。そして、国内の消費が低迷を続ける中、2005年に海外輸出に活路を見出すべく方針転換。英国のインポーターの眼に止まったのが、同社の日本酒「明石鯛」だった。以降この酒はイギリス各地の高級ホテル・レストランでオンリストされている。
こうしてイギリス・そしてヨーロッパとの繋がりを得た同社はウィスキー蒸留に手を染める事になる。上述のインポーターがオランダのMarussia Beverages(マルシア・ビヴァレッジ)傘下に入り、同傘下でSkye(スカイ島)にあるTorabhaig(トラベイグ)蒸留所とは一種の姉妹関係を結んで、ウィスキー造りの研修も受けられた。
2017年にForsyth(フォーサイス)社製のスティル1基で先ずは蒸留を開始。このスティルはドイツの会社が発注していたのがキャンセルされて明石に回って来た。こういう幸運でも無いとスティル1基手に入れるのも非常に困難で、発注出来ても数年単位で待たされるのはザラ。2019年になって2基目が入って漸く初溜+再溜=2基1対の体制で蒸留出来る様になった。

蒸留所のスタートから5年近くが経つがウイスキー「波門崎」(HATOZAKI)は日本国内未発売で、クラフトジン「135°EAST」だけが入手可能である。



酒類販売業者でアミューズメント事業等も手掛ける、株式会社ウィズワン(大阪市=創立は2000年)は、兵庫県北部、豊岡と朝来の間にある養父(やぶ)市にウイスキー蒸留所を新設すると、去年秋にアナウンスした。養父市は清流のまちをウリにしている所で、天滝渓谷ミズバショウ公園樽見の大桜といった景勝地や数箇所のスキー場もある。
蒸留所は2022年秋の完成を目指し、シングルモルトなど月間2万本を製造する見込みだという。ウィズワンは「ゲームワン」、「リカーショップONE」、「酒の和」、「カラオケZERO」といった店舗チェーンも展開している。


本丸になる六甲山蒸留所についての話は、次回Part 14へとキャリーオーバー!



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西北とかいう…」のネタ、約3ヶ月振りと随分開いた形になる。その間に打ち切りも考えなかったわけでは無かったが、中途半端に打ち切るのはプライドが許さない部分もあったので、何とかネタを見付けて続行し、完遂したいという事で再開する。

さて、今回Part 12の話だが…、JR東海道本線阪急今津線(南)が跨いでいる所、そこはJR西宮駅の600m程東側で阪急の阪神国道駅に隣接する場所。阪急今津線国道2号名神高速道路東海道本線が4辺になって囲んでいる大きな敷地がある。ここには建物解体から約8年が経った今も大きな更地で残っている部分があって、今津線の期間限定の撮影地になっているらしい。この場所は住所でいうと西宮市津門大塚町になる。この巨大な敷地には嘗てアサヒビール株式会社の西宮工場が存在していた。同工場はアサヒスーパードライやクリアアサヒを含む6品目を生産し、2010年生産量は大瓶換算で約23,200,000ケースだった。

このアサヒビール工場跡地は如何せん、約185000㎡というあまりにも大きな場所である。跡地利用としてエルガーノ西宮=高齢者用集合住宅、レクサス・スズキ・スバル各社のディーラー・ロイヤルホームセンター西宮中央店が建っているが、それでも未開発の大きな区画がまだ残っている。
この敷地の中でも、R2阪急今津線に面したパーセルの大きな空き地再開発として、兵庫県・西宮市が連携して県立西宮病院と西宮市立中央病院を統合再編して新たな県立病院を建設するプロジェクトが動き出している。
新しい病院は10階建・延べ床面積約54300㎡・病床数552床というスペックで、阪神地区の中核病院として再生医療・ゲノム医療の分野における臨床研究・治療を実施するなど先進医療への対応を図るらしい。2022年度に建設工事を開始。2025年度中の開院を目指すとの事。病院建設に充てられる土地は26000㎡程らしく、跡地全体の14%程の面積で、未だ未開発でかなりの土地が残ってしまう可能性は高い。興行用アリーナ兼体育館の構想もあったが、こちらは撤回されている。


1927年10月~2012年8月22日まで約85年間に渡って操業したアサヒの工場だが、直ぐ近くにある子会社工場に設備を譲り渡す結果になったのである。
名神高速道路より東側の津門飯田町にはニッカウヰスキー西宮工場がまだ操業中。(こちらも2024年に操業終了か?)1959年創業の西宮工場、元々はウイスキーを製造していたが、2001年アサヒビールの完全子会社となった後は、アサヒビールが料飲店向けに販売する「樽ハイ倶楽部」の生産を行っている。すぐ近所のアサヒビール工場閉鎖で譲り受けた生産設備で酎ハイの自社生産へと移行した。


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左画像=スーパーニッカ・特級時代、右画像=ニッカ傘下のBen Nevis(ベン・ネヴィス)、古い超レアボトル

西宮というと灘五郷という様に日本酒の伝統があり、ウイスキーとか洋酒のイメージは無いだろう。しかし、ニッカウヰスキーの創業者でジャパニーズウイスキー開祖の一人である竹鶴政孝氏甲東園にあった芝川家の果樹園は深い縁があったという

芝川家6代目当主・芝川又四郎は、ニッカ創業者・竹鶴政孝氏がイギリスから帰国後に住んだ大阪・帝塚山の居宅の大家であった。この家は英国人リタのために洋式トイレを備えたアメリカ風の洋館であった。しかもリタはその家で芝川又四郎の娘達に英会話を教えていたらしい。

この事が縁で後年、竹鶴氏大日本果汁ニッカウヰスキー前身)を設立するにあたり、芝川氏は資金提供する事になる。この芝川家の別邸・果樹園が西宮市は上甲東園一帯にあった。甲東園駅~関学大までの道路は、元々、芝川氏自身の果樹園のために作った道路で、関学大も果樹園の一部だった。
加賀正太郎・芝川又四郎・柳沢保恵の3名はニッカの主な出資者になる。加賀・芝川の両者は本拠を大阪に持っていたが、別荘を須磨の海岸沿いに隣り合って構えていた。


竹鶴氏と加賀氏には深い関係が出来ていた。1923年、竹鶴政孝は鳥井信次郎に招聘され寿屋に入社、山崎蒸留所建設とウイスキー製造に携わっていた。その当時に山崎に別荘を構えていのが加賀正太郎氏だった。加賀氏も一橋大卒業後、イギリスを始めとしたヨーロッパでの留学経験が豊富で、イギリス等から持ち帰ったモダンな生活様式を日本に定着させようとしたらしい。
この天王山山麓に建てられた加賀家別荘=大山崎山荘は、現在の「アサヒビール大山崎山荘美術館」になっている。サントリーの聖地である大山崎に、アサヒビールの美術館なんて存在するのはこんな繋がりがあっての事である。この美術館はサントリーの蒸留所から約600m東に行った所に所在している。


ニッカは21世紀にアサヒビールの子会社となったが、上述の通り、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏は一時期、サントリーの前身=寿屋に勤務して山崎蒸留所立ち上げにも大きく関与している。余談だが、サントリーの「トリー」は鳥居信次郎から取られている。

ニッカというと余市や宮城のイメージが強く、西宮とはあまり結びつかないかも知れないが、ニッカと西宮は非常に深い繋がりがあった。今はウイスキーこそ作ってはいないが、西宮北口の南隣に当る阪神国道が最寄駅という西宮工場が今も操業中というのは偶然ではあるまい。ただ、ニッカ・西宮両者の繋がりや絆を示す存在も数年内に消えてしまう可能性は高い。都市部で酒造工場を運営するのは非常に厳しいものがあるのは間違いない。

阪急なのに阪神国道って何でや?と思われるかも知れないが、阪神間を結ぶメインの国道が国道2号線で別名が第1阪神国道である。(他には43号171号阪神国道駅の出入口はこの国道2号線に直結している。

次回=Part13へと続く!



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西宮北口の話をするのも久し振りだと思う。このネタ、シリーズとして始めた以上は完遂したい。西宮北口→阪急神戸線という事でお高く留まっているイメージもあるだろうが、それだけではない。ガーデンズ至近の場所には「たけふく」という店がある。和風カレー丼が有名らしい。
角打ちの出来る店がアクタ西宮・西館にはある。西田酒類販売という酒屋だが、角打ちの食べ物も結構充実しているらしい。
駅の北西サイドだと、駅から徒歩1分にはふじや本店という大きな居酒屋があるが、緊急事態宣言や蔓延防止が施行されてしまい長期間の休業を強いられいて、10月1日に部分的に営業を再開したばかりである。7月31日にはグループ内の店舗で駅の南側にあったふじや民芸店が閉鎖されている。この民芸店は阪神大震災の折にいち早く店を開けて復興を支援した。今世紀に入っては、地元になる関西学院大出身メンバーによるロックバンド「キュウソネコカミ」(2009結成、2012インディーズデビュー、2015メジャーデビュー)結成にも関わったというのは関西では知られた話。ただ、この調子だとふじやグループ自体の経営破綻も時間の問題になってしまうのだろうか?


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3000系が本線を普通に走っていた時の懐かしい画像、2009年2月御影のS字にて

西北の西隣は夙川、東隣の駅は武庫之荘。今、阪急が武庫川を越える所が「沸いている」?
無論「沸いている」と言っても、気候変動が一線を超えて川が沸騰した…という訳では無い。さすがにそういう事態なら人類及び殆どの動植物が死滅する。


マスゴミは気候変動でも、局地的且つ一時的に起きた極めてイレギュラーな現象を切り取って異様な危機を煽って「脱炭素」「ゴミは無くせ」「資源は使うな」「兎に角環境だ」「環境の為にドンドン増税すべき」と喧伝してはグレタやチョン痔瘻なんて恰も救世主の様に持ちあげる。今の内閣は所詮選挙管理内閣でしかない(11月の特別国会までの命)から、そこの大臣の発言なんて適当でもイイのだろうが、あのポエム野郎から環境大臣を引き継いだ山口壮(あの2Fの側近だった)も「グレタに共感する」なんてアホバカ発言をやらかした。環境省では頭に沢山電極を付けるとかして変なイニシエーションでもやっているのだろうか?

こういった事は抑々、D.ステイトの指示が絡んでいるのは明らかで、CNNに代表されるマスゴミはその指令通りに動いてプロパガンダを拡散して恐怖と不安を煽っているだけなのではないかと思われる。
気候変動、それは〇〇〇ウイルス以上に長期的に恐怖の超危険煽り運転で大衆を騙して奴隷化出来るのだから、こんなにオイシイものは無いのかと踏んでいるいうギ・ワ・クがズドゴ~~ン!。
この煽りですっかり乗せられて「気候変動真理教」信者になっている国会議員さえいるのである。


岸田政権で財務省の鼻息は荒い。ここぞと云わんばかりにやりたい放題である。
総裁選で岸田氏を勝たせたのは、財務省を中心に蔓延りまくる「開成人脈」だという部分は大きい。開成高校擁する開成学園で現在のトップは財務事務次官だった人間である。「財務省政権」は野田佳彦政権以来約10年振り、岸田氏自身の周りが財務省だらけなので、同氏は必然的に財務省のチンピラ奴隷なのである。「プライマリーバランス真理教」に基づく「環境とタグ付けて」の「グレタ大増税」+「超緊縮財政」は既成事実である。これ、実は安倍政権の時からその地均しは進んでいたのである。COP26でも削減目標なんて話が纏まる訳もなく、炭素税強化≒グレタ大増税に舵を切っている。



閑話休題、脱線事故にならない様に元に戻すと、西宮北口武庫之荘は3.3㎞も開いている。阪急神戸線・京都線の駅間は長い傾向にある。それにしても3.3㎞なんて都市部の私鉄路線の駅間としてはエラく長い。
SNSでは塚口が特急停車駅になると言っている奴がいるが、塚口当たりの一部住民が希望を込めて騒ぎ立て世論誘導をしようとしたと考えられる。塚口なんかに終日止めたら最早「特急」とは呼べないであろう。特急を名乗るなら停車駅は最低限にすべきだと思う。
京都線の特急も今や特急とは呼べない、急行に毛の生えた程度でしかない。武庫川の上の駅というと阪神武庫川駅がある。阪神ではこれ以外に阪神芦屋香櫨園が川に掛かっている。阪急神戸線では夙川芦屋川が川の上に掛かっている。

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H. Charpentier(アンリ・シャルパンティエ)のザッハトルテ

武庫川を跨ぐ新駅設置予定地(仮)では神戸本線の上下線の間隔が広がっている。一見すると少々不自然であるが、新駅設置が前提でその島式ホームを作るために準備していたかのようにも見えるが、この配置は兵庫県の武庫川河川整備事業がきっかけとなっている。堤防の嵩上げに合わせ、老朽化した橋梁も架け替える事となり、それまで存在した複線の両側に現在の橋梁を作った。
新駅のホームは上下線の間に設けられるが、「島式」ではなく上下別の「背反式」にするらしい。単式ホームを線路の外側に配置して対向式にして、内側に通過線を設けて追越可能にする(新幹線によくある様な形)事もあり得たが、追越は隣の西宮北口で行われるので、追越可能にする必要は無いという事になって、上下線間に背反式ホームという事にされるらしい。
今から遡る事79年、1942年の西宮市と旧瓦木村との合併条件の覚書には阪急武庫川西堤防への停留所設置の実現に努力する事が明記されていたという。旧瓦木村は現在の西宮北口駅付近から武庫川西岸辺りに存在していたが、西宮市への編入受け入れも駅設置の要望とワンセットみたいなものだったのでは、というギ・ワ・クもぬぷぬぷぬぷぬぷ…である。
神戸本線の開通は1920年だから、開通当時から川の辺りの駅を要望する声があったとしても不思議ではない。川の東西で温度差が大きかったらしい。西=西宮市側は積極的だったが、東=尼崎市側は意欲が無かった…、無かった…チーン…。理由は財政面が一番らしいが、西宮と尼崎では事情が違う。武庫川を挟んで「天国と地獄」が存在するみたいな話で、極論すると西側の西宮=天国・東側の尼崎=地獄という事もあるらしい。


尼崎では南北方向の交通が貧弱とされ、こちらの充実を優先したかったらしい。阪急の新駅よりバスによる南北交通網の整備拡充と、既存の駅の自転車駐輪場確保や放置自転車問題に注力したいところだった。西宮市側では、2000(平成12)年に旧瓦木村管内の自治会、町内会、農会など12団体が「阪急武庫川駅誘致推進協議会」を設立し、2012(平成24)年には「武庫川周辺阪急新駅に関する検討会」が設置され、兵庫県、西宮市、阪急電鉄が参加したが、尼崎市は応じていない。
西宮市は新駅の造るか否かにかかわらず人口は増加傾向だが、これに対し尼崎市の人口は減少傾向にあるというファクトも温度差の要因であろう。
2013年、尼崎市は「駅設置を前提としないゼロベースからの勉強会」という認識の下、件の検討会に参加する。共同で調査の上、南北方向整備と新駅のどちらを優先すべきか見極めようとしたと思われる。


調査の結果、尼崎市にとっても利点が大きい話になった。立花や甲子園口へ向かう東西方向の交通需要が新駅に集約されるだけでなく、立花武庫之荘へ自転車で向かっていた人も新駅へ転じるため、両駅の駐輪場不足と放置自転車問題が緩和される。
また、人口が減少しているとはいえ、地価の上昇によって固定資産税収入は増加する見込み。そうなると、相続などで土地の再編が緩やかに進み、マンションに建て変わることで生産人口の転入が増える。なんて虫の良い出来過ぎた話が出るわ出るわ、尼崎市側から見ても、「武庫川新駅」は良い話という事になった。
これには、尼崎を巻き込むために薔薇色の話作り上げたというギ・ワ・クがズドゴ~~ン!である。大型開発や公共事業に付き物の「Goサインを出すための出来過ぎた話」に見えるのである。


新駅関連の費用は鉄道施設で約50億円+駐輪場が約5億円=合計55億円となっている。国の社会資本整備総合交付金が得られた場合、国が1/3、西宮市・尼崎市が合計で1/3、阪急電鉄が1/3を負担する。阪急電鉄の負担があるという事で、自治体が建設する所謂「請願駅」ではなく、阪急電鉄側も利点を評価している事になる。JRの甲子園口駅、立花駅利用者の一部を奪えると踏んでいる事も阪急のmotivationになった様である。

Part 12へと続く!



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