Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う。 連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう

タグ:南海電鉄

高野山というと今や一大観光地。日本を代表する霊峰、世界遺産。そしてそこに新たなマチュピチュ候補が登場していた。
小生もあるようつべで知ったのだが、それは和歌山県高野町の桜ヶ丘という所。桜ヶ丘なんて如何にもという名前がついているが、そこはあの高野山。凡そニュータウンなんて想像つかない場所にあるが、このまま行けば近い将来、和歌山のガチなマチュピチュになる事間違いなしである。
この場所、高野山の奥の院から徒歩10分程度の所にあるというのだ。奥の院の前を通る国道371号をそのまま東に進めば桜ヶ丘に辿り着く。映像やその他で見る限り山間部のニュータウンとしてもかなり小さい様である。


そしてそこにあるのが国道371号、しかも狭隘区間というのがまたイイ!
371号は改良が進んだとはいえまだまだ山間部に狭隘区間、更には不通の所を2箇所も残す関西酷道のクイーンとも言うべき存在。(キングは425号か)
橋本からこの辺りまでが371号北部の「おいしい区間」らしいが、大多数の高野山へ行く車は国道370号+480号(旧高野山道路)を通るのでこの区間を走る車は多くなさそう。
最寄りバス停は桜峠下という事になってはいるが、そこへ行くのは1日1往復しかなく奥の院前行きに乗って終点から歩くというのが現実的といえる。因みに桜峠下は高野三山登山道の入口らしい。


nk2040@abkm01
(大運転の南海2000系なら極楽橋まで1本・2015年5月撮影)

関西でニュータウンというと大阪等の大都市へ通う人が、バブルで住宅が高くて仕方なく買ったというイメージだが、それとは違うようである。
(高野山の山奥から大阪へ「通う」のは如何せん非現実的な気がする。)
山奥に住んでいた(奥の院でも十分山奥だが、もっと山奥という事か)人達がこのニュータウンに移住して来たらしい。山奥なのに何故か集合住宅が何棟かある一方で空き家や空き地も結構目立ち、道路の舗装も酷く荒れている様である。そこには高野山大学の寮もあったりするのだが、坊主のなり手も少ないし、今いる人間も殆どが高齢者の様である。
50年程前に国有林が払い下げられ、高野町主導で開発がすすめられたというこのニュータウンも近い将来、ガチで天空の廃墟になってしまう可能性が高い。亀岡なのに北摂とか茨木と名乗っている詐欺ニュータウンとどっちが先にマチュピチュになるかというのも興味深いが、こっちの方が霊験あらたかでその分だけでも付加価値がありそうだ。
最寄りのコンビニは2.5㎞離れていて、その他の買い物は371号を橋本まで下りないとならないが、現在は移動販売車が来ている。


ここから371号を橋本寄りに走り、丹生川という川沿いに走る町道?に分かれて暫く走ると筒香という所に辿り着く。正式には上・中・下筒香に分かれていて、少しは人の住んでいる集落がある模様である。因みにあの225の出身地は堺市である。



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前回に引き続いて南海グッズとのコラボしたヤツの第2弾。そもそも南海グッズをフィーチャーした絵を撮る事もあまりないであろうから、こんな時にでも大々的に載せておく。

南海のグッズはこのタオル2種だけなので、早速バルーンとの複合技に走る。バルーンのコーデは現在の装飾帯のカラーリングであるブルーオレンジ

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床にタオルを彼女を挟むように並行に置いて、バルーンを「普通に」持たせる。この時点で南海タオルとバルーンのどっちがメインか判らない状態。
このタオルを背景として使える様に出来たら、南海にもっと主張してもらえたと思うと少々残念。
鉄グッズ+バルーンという複合技も当たり前になっていて、やりたくって仕方がなくなっている小生である。


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風船を抱かせてのショット。複合技というより、早々にバルーンシリーズに入った様な錯覚すら覚える。両脇はタオル、直ぐ前には風船という形で結構窮屈だったかも知れないが、固まる事なくそれなりに変化をつけて撮れた。

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風船を抱えている姿自体はとても可愛らしいが、「南海はどこ行った?」という絵になってしまった。まぁ、南海自体が大手私鉄の中でも影が薄い部類なのでこの辺で丁度イイかと言えなくもないがw
これで背景がライトクレーだったら南海にピッタリになるのだが。


このスタジオの中でもこのフロアはやたら白い 。壁も殆どが白で床も結構白い。色々な物の色は邪魔しないが、壁や床の反射率が高くなり、それが思わぬハレーションを引き起こし被写体のコントラストを落としたり色の出を悪くする事には用心が要る。
ただ、初めてのスタジオで、使える機材にも限りがある事を思うとそこの部分は結構つらい。


Part 4 へと続く!


Oct. 24th, 2015 Pulchra撮影会 at Studio Coucou (江東区高橋)
PENTAX K-3+smc DA 35mm f2.4 Profoto B1(レンタル)使用




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汲沢芽衣子 嬢のPart 2 はこのブログ初登場になる南海電鉄グッズとのコラボ。
この年の5月に南海7000系等を狙って大阪に遠征した際に難波駅のショップで購入したのが、撮影会の小道具として活躍する事に。

小生が南海という言葉を口にした途端、彼女から返って来た言葉に少々驚いた。
南海ホークスの?」
彼女の出身が大阪とはいえ、年代からして南海ホークスなんて記憶にない筈である。実は彼女、野球オタクでもあった事が後に判った。(小生の事前調査不足

因みに、40代の小生ですら大阪球場に足を運ぶ事は叶わず、なんばパークスになってから数回足を運んだ程度である。
大阪球場のスタンドの急傾斜はテレビで見ただけだが、小生の記憶には今でも強く残っている。(実際に泥酔客の転落事故もあった様だが
なんばパークスでは、大阪球場時代のホームベースとピッチャーマウンドがあった場所にそれぞれメモリアルプレートが設置され、南海ホークスメモリアルギャラリーも9階に存在している。そのなんばパークスも完全オープン(第2期建設部分開業)から今年で10年になる。


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こうや特別塗装を記念してのタオル。フィーチャーされたのは30000系・30001Fの「赤こうや
2016年が高野山開創1200年という記念の年になるのを記念して、2015年3月から約1年だけ特別塗装で走っていたのは記憶に新しい。
この30000系も30年オーヴァーとなり、何時まで「高野線のクイーン」でいられるのか?
この年の5月に大阪に遠征した目的の一つが、この特別塗装こうやだったのだが、思う様に行かず(夜行バスが新名神の工事等で遅れた事が最大の原因)。この赤こうやは撮れずじまい


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2015年の夏、南海電鉄創業130周年記念事業の一環で、7000系が引退となるそのメモリアルとして7037F10000系10004F がリヴァイヴァルカラーとなり、なつかしの緑色サザンとして運転されていた。それをフィーチャーしたのがこのタオル。

gumi011

横位置でも撮ってみたが、長いタオルのおかげで違和感なく出来た。
南海電車も現在のカラーリング(グレー又は無地にオレンジの装飾)で走るようになって今年で25年になる。


Part 3 へと続く!

Oct. 24th, 2015 Pulchra撮影会 at Studio Coucou (江東区高橋)
PENTAX K-3+smc DA 35mm f2.4 Profoto B1(レンタル)使用




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古い話になるが、小生の幼少時代=1970年代というと、東京や大阪でも片開き扉の通勤型電車を頻繁に見る事が出来た。又当然の如く、それらの殆どは鋼製車体であった。
その時の小生は正直、片開き扉というとダサい、古臭い、田舎じみているというイメージしか持てなかった。
その時代、国鉄の主要路線を走る通勤・近郊型で片開き扉は存在していなかった。片開き扉は私鉄にまだまだ多かったのであった。ざっと挙げてみると、京王5000系、2000系、3000系(第1、2編成のみ)、京急1000形(先代)400形700形(2代)西武351系、501系、東急5000系、小田急2200形京成3000~3150形(所謂赤電シリーズ)、京阪1900系、阪神7801/7901形(1次車)、3301/3501形…、こんなあたりだろうか。


 「両開きって下品な感じがする、片開きの方が上品に見える」これは小学校時代の同級生が小生に言った一言だが、何故か今も忘れられない。
確かに特急型や急行型は片開き扉又は片折戸を採用していたし、今でもJR・各私鉄の特急用車には片開き扉が圧倒的に多いからこの見方も判らぬではない。 両開きの方が開閉のスピードは稼げるから、乗降時間も短縮出来る。(間口の幅が同じ場合)これが現代の鉄道界の常識(


小生が中学生になった1980年代に入るとさすがに、片開き扉の車両達は数を減らして行き(一部は地方私鉄に譲渡されたが)、90年代になると殆ど見掛けなくなった。
最大で356両という大所帯を誇り、近年までしぶとく残った京急1000形(初代)も、2010年6月に姿を消した。上述の鉄道界の「常識」に最後まで異議を唱えていたのはこの京急であったが、1985年登場の1500形以降は両開き扉に「改宗」した
ここで在りし日の初代1000形の画像を載せる。何れも2008~2009年にかけて撮影したもの。


kq1309@ktsn

京急110周年記念ありがとうギャラリー号となった1309編成(6連)
2008年2月から同年末まで、1950・60年代の塗装に変えられて最期の時を過ごした
戦前の塗装をフィーチャーした歴史ギャラリー号=1321編成4連も存在したが、こちらを押える事は叶わず。


kq1345@sng01

画像の一部が欠けているが、当時使用していたK-20 では時々起きていたトラブル。この機械では他にもSDカード内にお化け領域が出来たり使い易いボディとは言えなかった。
 
kq1363@sng01

普通新逗子行きというのが懐かしい。
品川で見る普通は金沢文庫、浦賀、神奈川新町又は京急蒲田行きが殆どである。


実を言うと、初代1000形を撮った画像はこれ位しかない。今でこそ京急目当てに横横を飛ばして三浦の方にまで繰り出す事もある小生だが、この時期は馬込坂で 500系 を撮った序に品川界隈で京急を撮影したのが何回かあるという程度だったからである。


さて、西日本に目を移すと…
何と言っても、塩害大王の名を欲しい儘にした?南海7000系が終焉を迎えたのが記憶に新しい。


小生もその最後の雄姿を捉えようと5月に大阪まで足を運んだ。その時点で残存は4連4本・2連3本のみで、しかも4連1本が旧塗装に戻るために入場していた事もあり、逢える確率はさらに低くなっていた。遠征2日目の朝、鶴原に向かったが、7000系を撮影出来たのは結局この1本だけだった。8両の内、後4両は7100系というオチまで付いてしまった。(関連記事はこちら
 
nk7049@tshr01

先頭2丁パンタが貫録を醸し出して何とも嬉しい!
南海では先頭2丁パンタは少数派で、この秋の7000系引退で南海線では1000系のみになってしまった。 この後梅雨明け後の夏にリベンジマッチをと思い帰京したが、何やらエルニーニョと中国人に阻まれた格好になってしまい、それは叶わなかった。
先ず、何と言っても宿が取れない!京阪神地域のホテルは夏場は盆休みと高校野球があるから取り難い事が多いのに、今は爆買い中国人に占拠されている状態が続いている。夜行バスまで取り難い。
そこに加えて、8月下旬からは天候不順が続きそのまま9月まで傾れ込んだ形になって其のままタイムアップ…、てなわけでこの画像が小生にとって7000系の唯一のショットになってしまった。


「こんな事言うんなら、前からもっとしっかり撮りに行かんかい! 」
と言われたら反論は出来ひんけど、「こんなネタでも無ければ南海なんかわざわざ撮りに行くかい!」というのも御尤も。
そして今、大手私鉄の鋼製片開き扉通勤車で生き残っているのはこれだけである。

 
kq821@sng01

上述の「常識」に抗い続けた京急の珍作品?現・800形である。何が珍作品かと云えば、達磨とも呼ばれるこのルックスに加えて18m車体に4扉という仕様である。
「片開きでもドア数増やせば上場時間は短縮できるだろ!」という当時の京急の論理に基づいて誕生したのであった。登場した1978年は創業80周年に当たるという理由で800形と命名されたらしい


この800形は少しずつダラダラと製造されたので、最終製造は1986年であるから辛うじて20代の車両もある。
同期デビューに当るVISTA-EX こと近鉄30000系はリニューアルされてまだまだ走り続ける公算が高いが、その一方京急800形は廃車が進行中で、70年代製造の車は殆ど残っていない。18m4ドアという車体も災いしてあと数年内にも消える可能性が高いと思われる。 片開きドアというと、この車を思い出す御仁も多いのではないか?


nk6029@abkm01

鉄道界のブギーマンこと南海6000系! 
片開きドアだが、鋼製ではなくステンレスボディ、残念~っ!
1962年の登場から50年以上経った今も廃車どころか他社譲渡も無し! 
72両が高野線の主力を担っている。同い年に当る松田聖子の様な華やかさも美しさも無いが、乗車するとクラシックな風格と奇跡のオーラすら感じるから不思議である。(先々月も難波から堺東まで乗車出来た 



※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Dec. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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初日朝の撮影が、消化不良気味な形で終わったので、2日目に高野線リベンジを考えざるを得なくなった。その夜に思い悩んだ末に、当初の予定通り南海線に繰り出す事を決意。

明けて2日目、6:40頃に宿を出たが、朝から暑い!難波から和歌山市行きの急行に乗ろうとしたが一足違いでアウト、仕方なく約10分後の空港急行を選択。和歌山行きの急行より停車駅が多く、結果としてやや遅い
貝塚で降車したが、後続の普通まで10分近くあった。改札を出て直ぐにタクシーで鶴原を目指したが…、途中は結構混んでいた、何せ朝の通勤時間帯である。


貝塚といえば、ユニチカ!、ユニチカといえば横山樹里…って、古過ぎるやろwww
)貝塚の象徴みたいだったユニチカだが、近い将来その名が貝塚の町から消えるかも知れないらしい。
二色の浜の辺りで泉佐野市に入り、鶴原に到達。駅の前でタクシーを降り、線路の反対側に渡ろうとしたら、踏切が閉まり…、やって来たのは、件の続行の普通。 10分待って普通に乗った方が良かったやないか!ドアホ! 戦闘開始が予定より遅れて8時になってしまった。取敢えず、駅南側直ぐの踏切の隅に陣取ってみる、が…


nk7157@tshr01

4両の普通なら撮れるが、6連以上では無理(架線柱とケツがモロ被り)と判って、作戦を練り直して10m 程移動。しかしそこでも苦難と誤算に見舞われた。

nk7133@tshr01

南海線の主役・特急サザン7100系10000系 如何に足掻いてみても、編成を架線柱に掛けずに完全に抜く事が不可能と判り、こんな撮り方しか出来なかったのは誤算だった。しかも4連の普通だと、架線柱と編成末尾がモロ被りなので、6連・8連の優等列車に懸ける事とした。

nk8011@tshr01

こちらは8000系サザンプレミアム12000系特急サザンだが…、何とも無機質、人呼んで6月的(=湿気ていて取り立てて何も無い)ルックスwww この秋から登場とされる8300系使用のサザンも登場するのであろうか? 8300系増備に合せて12000系も再増備という事になった場合、いよいよ10000系もカウントダウンに入るのか?又、12000系に続き8300系も後パンなので、南海は前パン車は作らないという事になるのか?

nk3513@tshr01

一見、東急8000系の亡霊と見紛う様な感じだが、勿論これも南海車泉北高速からトレードされて来た3000系空港急行)も南海線で捉えた。泉北時代の車番やエンブレムの跡が痛い感じだが、南海に移籍しなかったらこの路線で見る事は出来なかった。 これならもっと井原里寄りのポイントで構えた方が良かったか?結果は如何だったか分からないが。ネット等でそれなりには下調べをして行ったのだが、実際やってみるまで分からない事も多い。現地ロケハン無しの、ぶっつけ本番の様な形でやれば、悲惨な結果になる事も多い。

nk1005@tshr01

南海
での推しメン(推し電?)がこの1000系だったりする。先頭2丁パンタで、しかも塗装車!これはポイント高い! 空港アクセスの急行は京急ではエア急(エアポート急行)だが、南海ではそのまま空港急行 トータルで2時間弱粘ったが、結局メインターゲットの7000系8連は来ず…、早々と羽倉崎に行ったままお休みしてしまったらしい。 7000系自体は1回だけ撮れたが、それも7100系との混結。梅雨明けを見計らってリベンジしようかと思い始めている小生である。梅雨明けには既に旧塗装復刻版サザンが走っている筈なので、押えに行く価値はあるか? 終了後は8000系普通→1000系急行と乗り継いで難波に戻り、一風呂浴びる。最後に入る冷水風呂がこの日も効く~っ!

ここからは午後のショットを数点…

281@umeda01


午後、新梅田シティの近辺に行き、梅田貨物線を走る381系くろしお及びはるかを収めたが、その時点で15時を少々過ぎた程度。当然、お疲れ様には早過ぎる。中津から南茨木に移動し、あの有名な踏切で阪急京都線を撮影。異なるアングルで撮った画像2点を紹介する

hk7304@mib01

7304F
試運転 車番の表示位置が変り、前照灯もLED 化されているが、7320F の顔面整形と比べると中途半端でインパクト薄ww 前にも触れたが、あの箱(画面左下付近)が如何せん邪魔である

hk8300@mib01

8300F
普通梅田行き、正調の額縁スタイルのままなのが良い!このアングルだと240mm 相当になるので、シャッタースピードを徒に早くせず、その分絞って被写界深度を少しでも稼ぐのが得策。 17:30まで何とか粘り、漸く閉店、ガラガラ!

南茨木駅ビル内の喫茶店で休憩後、準急5300系に乗り淡路で天下茶屋行き=8300系に乗り換えて、堺筋線に入り南森町へ。堺筋線に乗ったのは何年振りか記憶が無い位であった。(西天満には南森町より北浜の方が若干近い事が後に判明したw)

そして、夜は遠征の仕上げとして西天満のこの店でウィスキーを嗜んだ。小生としては大阪に行って Bar Rosebank に行かない訳には行かない。新大阪からのぞみ64号(N700系K 編成)で帰京したが、帰宅した時は当然の如く日付が変っていた。


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Jun. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



)ニチボー貝塚時代は1959~66まで258連勝を記録。62年のバレーボール世界選手権に単独のクラブとして参加し優勝という信じられない偉業も達成。チーム名は69年からユニチカ貝塚、77年にユニチカとなり、91年にユニチカ・フェニックスになる。 97年の貝塚工場操業停止に伴い、2000年7月に活動停止。日紡貝塚からの通算で国内主要タイトル獲得回数は60近くに上る。同年9月に東レにチーム移籍し、東レアローズ女子チーム(本拠地は大津)になって今に至る。
現在、ユニチカ・フェニックスの名は同社のラグビー部に引き継がれている。




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