Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:南海電鉄

「最近のPostから」も24回目。この記事でも去年の年末に色々あった話題をほんの僅かだが、擦って行くので思い出して頂きたい。去年12月の事を3月になって言っている時点で、「最近のPostから」は「看板に偽りあり」になっても文句は言えないが、3ヶ月程度ならセーフという事にしてやって行く。尚、此処の記事は必ずしも原文通りではなく、一部に添削加筆がなされている事は御了承賜りたい。
X=@sakyo_daimonji


◎=2023年12月18日
「おまいら15年前何してたよ」というのがトレンド入り。
2023年の15年前は2008年。2月にコソボが独立宣言。5月には四川大地震。6月には東京で秋葉原通り魔事件(無差別殺傷事件)が起き、大阪では第24次西成暴動が起きた。
8月に北京オリンピックが行われた。
9月には世界金融危機→雇い止め・解雇の嵐で行き場の無い労働者が溢れた事もあった。巨人が阪神を大逆転してセ・リーグ優勝=所謂「メークミラクル」成立
11月4日にアメリカでは、“Yes We Can”でBarack H. Obama(のっちではない)が黒人初のアメリカ大統領に。こんな辺り?
※秋葉原通り魔事件の犯人は加藤智大、智大といえば不祥事で東北楽天ゴールデンイーグルスをクビになったのは安楽智大。智大ってひょっとしてDQNネーム?

◎連接式Post=2023年12月19日
埼玉西武ライオンズでは2023年中軸だった、David MacKinnon(デイヴィッド・マキノン)が埼玉西武からサムソンという「日韓ライオンズ移籍」で去った。そして山川穂高とかいうデブも予定通りFAで去った。
でも、そこは1デブ去って又1デブ=山川の穴を更なるデブで補充する可能性が高いらしい。そのデブの名はJesus Aguilar(ヘスス・アギラル)=33歳。(続く)
(続き)アギラルはベネズエラ出身でMLB通算114HR。身長は190㎝だが体重も125kgあるという。J. アギラル、中村剛也=102㎏、渡部健人=115㎏3人でDEBU DEBU DEBUは続行するというデブ専球団が埼玉西武ライオンズなのだ、アヒャヒャヒャ(゚∀゚)アヒャ、あ~どすこい!(敬称略)

sb1250@shirtd01

ORICONNEWS(X投稿)へのquote・3連接式Post=12月19日
ENEOSエネオスHDの斎藤猛社長が、懇親の場に於いて同席していた女性に酔った状態で抱きつく不適切行為を行った、という内部通報が同社のコンプライアンスホットライン窓口にあった。そこで外部弁護士等の調査の結果、事実と認定され斎藤氏は今日解任された。通報から1ヵ月足らずでの処分。(続く)
(続き)ENEOS経営者の不適切行為は、杉森務前会長に続いて2年連続。人権尊重・コンプライアンス徹底強化の陣頭指揮を執っていた人間がこのザマ。件の飲み会に同席していた谷田部靖副社長は辞任。須永耕太郎常務執行役員その他役員達も悉く報酬一部返上の憂き目に。(更に続く)
(更に続いて)ここで炎上を恐れず言うと、コンプライアンス、ポリコレ(ファッションショーではない、Political Correctnessの事)等々が行き過ぎると、それで個人も企業もドンドン締め付けられて、自由度が無くなり余計な負担も増して行く。更にこういう所から世界の共産化も進んで、差別の当り屋や性被害の当たり屋等々の各種当たり屋が無双して、左翼どもの万歳三唱ガッツポーズが止まらなくなるであろう。

bt901@tsmg01


◎連接式Post=12月19日
Jリーグが念願のシーズン秋春制移行を決定。2026年以降は、8月に始まり年末年始は休み、5月下旬に終了するというスケジュールにしたい様だ。創設当初の構想で秋春制は構想に上がっていたが、スタートから30年という節目の年に悲願が実現する目処が立った。(続く)
(続き)秋春制シーズン導入で、気候が厳しく豪雨も多い夏場の試合を減少させ、選手のパフォーマンス向上に繋げるのと同時に、何と言ってもヨーロッパの主要リーグやACLともシーズンを合せられる事のメリットは大きいとされる。
ただ、日本には豪雪地帯もあるので、冬場の日本海側を中心に、一筋縄に行かない可能性がある。


◎連接式Post=12月20日
泉北高速鉄道が、親会社の南海電鉄に2025年にも経営統合で吸収される事となった。
泉北は1965年12月に大阪府都市開発という第3セクターとして爆誕、50歳を目の前にした2014年7月に南海電鉄連結子会社になった。そして還暦になる2025年に、南海電鉄に吸収され消滅する。(続く)
(続き)関東では京成電鉄が子会社の新京成電鉄を吸収合併するが、こちらはイギリスのハゲタカファンドに「侵略」されたことが原因と思われる。今回の南海泉北のケースでも背後で何が起きたのかと疑いの目を向けたくなってしまうのは小生だけ?

semb7501@yamtg01

◎連接式Post=12月21日
昨日20日は金剛自動車(金剛バス)最後の日だった。
同社は南河内地域で乗合バスを運営していたが、貸切バス事業は3年前、タクシー事業も半年前に廃止。最後まで残った路線バスも採算悪化・10年連続赤字・運転手不足という事で補助金があってもゾンビ企業ですらいられなかったか。(続く)
(続き)今日から地元自治体等が運営主体となり近鉄バス南海バスに協力を仰ぐ形で、金剛バス15路線の内10路線を引き継ぐバスが取敢えず走る事になった。金剛自動車は、前身の金剛自動車乗合組合から通算して、98年の歴史に事実上ピリオドを打った事になる。


幕君(makkun)・X投稿へのquote=12月22日(クソクレーマーオブザイヤーという話で、居酒屋のバイトのとき「アンチョビポテトから魚の匂いがする」って言われて6個返品された)
Anchovy=アンチョビは カタクチイワシ の仲間の事。ジャガイモオリーブオイル+ニンニク+アンチョビなんて言ったら酒の肴のド定番。これを返品しようなんて、無知+センス無さ過ぎ+クソ過ぎ!
因みに小生、食物アレルギーは無い。好き嫌いはそれなりにあるが…。
fegaragfett01
鶏レバーの煮込みを使ったフェットチーネ=小生の自製、これもアンチョビが隠し味に入っている。
魚喰えない、レバー喰えない、そういう奴は多いのか?

時事ドットコム・X投稿へのquote=12月22日
限界左翼どもが沸いてXデモ(旧ツイデモ)やってるわ!
数日前はれいわがデモを仕掛けたし、TwitterXに変わってもこの手のデモは減らないか?
渋谷暴動事件は左翼運動が結構活発だった1971年の話。この日懲役20年の判決を受けた大坂正明被告(中核派)は46年も逃亡していた。


限界左翼どもはこの判決が不当と沸いていた。限界左翼どもはいつも脳ミソ沸いている。

◎=12月24日
「アーノルド」がトレンド入り。誰やと思ったら、Premier LeagueLiverpool FC所属のディフェンダー、Trent Arnold(トレント・アーノルド)の事だった。
小生の世代だと、反射的に、近鉄バファローズに1978~80年の3年間在籍したChris Arnold(クリス・アーノルド)と一瞬思ってしまう。50代の思考回路はこんなもの。




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「これ、まだやってたの?」と言われると思うが、このシリーズも1992年までは完遂しようと考えている。今回の増5では、この年の鉄道界の話題を挙げて行く。

登場した鉄道車両の主だった所を挙げて行くと、こんな辺り。(先行試作車は除く・営業運転開始ベース)

kt-al@takhnz01
2022年3月・高田本山付近

近鉄ではACEこと22000系が登場。12200系亡き今は、汎用特急車の中心である。12400トリオや30000系(Vista EX)、更には21000系といった大先輩の陰に隠れてしまい、若手という感じの立ち位置が長かったがもう三十路なのである。関西私鉄は時の流れ方が一寸変なのか?
近鉄の一般車では50年オーヴァーの選手どもが普通に平気で走っている。関西の他社でも阪神以外はそんなモン。会社に関わらず、30年40年クラスなら主力としてウヨウヨ!

このACEと同世代の特急車を挙げて行くと、京成AE100形東武100系SPACIA(1990爆誕)、JR東海371系小田急20000形RSE(1991デビュー)、300系新幹線電車400系新幹線電車JR九州787系(1992爆誕)、JR東日本255系E351系西武10000系(1993爆誕)という所。

これらを制御方式という切り口で見ると、西武10000系は抵抗制御、371系は界磁添加励磁制御、787系400系はサイリスタ位相制御、これに対し300系ACEは、京成AE100形東武100系255系と共にVFD制御システムを採用している。1980年代中盤から採用されだしたVFDだが、当初は特急車で必要とされる大容量には対応出来ず、採用は一般車に留まっていた。1990年デビューの京成AE100形並び東武100系VFD制御で特急車という、1つのbreakthroughの様な形になったと言える。

ただこれらの中でAE100300系は既に無く、東武100系でも9編成中2編成が既に廃車。371系並びRSEは富士急行に移籍し形を変えて走っている。西武NRAも過半数が廃車済み。そんな中、このACEは内装も外観もすっかり変わり、名阪で走る事は無くなったものの、1両も廃車を出さず日々伊勢方面奈良方面を中心に活躍を続けている。

787bm10@hakt01
2008年4月・博多駅にて

JR九州787系、実は300系及び400系という新幹線電車2系列に勝った車である。1993年のブルーリボン賞では300系400系787系ACEというハイレベルな争いを制して受賞している。その時点でレジェンダリーな名車である☆彡。
去年はデビュー30周年、JR九州の主力特急車の地位は揺るがないか?。西九州新幹線開業でこれとコンビを組むリレーかもめは殆どがこれで運用される。883系と885系をソニックに押し込めた形である。日豊本線のにちりん・きりしま・ひゅうがもこの車。

その他では、こんな車達が1992年に登場している

215yktnl2@tsmg01
鶴見川橋梁にて

JR東日本215系
全体がほぼダブルデッカーという構造が災いしてあまり活躍出来なかった。兎に角乗降に手間取るのは事実。過密ダイヤではネック、使える列車がホリデー快速等に限られ、停車駅も減らさないとダイヤが無理ゲーになるらしい。なので、既に全廃である。


ko8762@minmd101
2022年5月・高幡不動~南平間

京王電鉄8000系
6∔4→10連のユニットと8連のユニットが存在するが、10連の方が古い。
2022年は同系列30周年を記念し、5月28日から「8000系デビュー30周年記念乗車券」を数量限定で発売。6月5日には若葉台車両基地にて、事前申込制による同系列の車両展示撮影会を実施、6月6日から1編成が期間限定で記念ヘッドマークを付けて運行している。


京王の会社としては、7000系6000系のマイナーチェンジみたいな位置付けだったので、20年振りのフルモデルチェンジで登場したのがこの8000系だという話。
京王8000系とググると、予測候補で「かっこいい」というのが出て来る。思えば最初にこの車に出逢った時に、「かっけぇ」と思った当時20代半ばの小生だった。バブル時代に開発が進められたと思われ、その事もあってか、気合の入り方も結構なモノだったのであろう。


以前のGTOサイリスタ使用のVFDサウンドもやや独特で好きだった(現在は大部分がIGBT換装済)。当時のパンタグラフはデカパンだった(2005年からシングルアームのPT7110に換装)。現在の在籍数は10連×14∔8連×13=244両だが、第2勢力に甘んじている。

sb6114@nistok01
2022年6月・所沢~西所沢間

西武鉄道6000系
コレは西武初の地下鉄乗入れ用車両。
同系列の前期型0番台は東急車輛(現・J-TREC)製、西武では初だった。この6000系は西武初にして唯一のステンレスカーで、ボルスタレス台車を履いた最初の車でもある。この導入でデイタイムの優等列車10連化も一気に進んだ


tb21852@kascb01
2013年9月・春日部付近にて

東武20000系20050形もこの年12月29日登場
20000系自体は1988年登場だが、両端2両ずつが5ドアになったのが20050形。1996年デビューの20070形では再び全車3ドアに統一されている。今はもうこの姿は見られないが、20000系20410~20440形として南栗橋以北の運用に就き、他ではアルピコ交通20100形としてセカンドキャリアを迎えている物もある。


fctb2501@meinh01
系列1stナンバーだが、編成番号は19編成。編成番号は1000系と通しになっている(2008年@姪浜)

福岡市交通局2000系
空港線延伸開業(博多~福岡空港)を1993年に控えていたので、それに先立って1992年に導入されたのが2000系。2015年末からのリニューアルにより呼称が2000N系になっている。延伸に伴う車両増備という位置付けで、この系列は6編成が存在するだけで、18編成が存在する1000系に対してマイノリティである。制御装置は日立製GTOだったが、リニューアル後は同社のIGBT(SiCハイブリッドモジュール使用)
1000N系はその大部分が40年を超えていて、2000N系も30年選手。セミステンレス車体である1000N系代替は今年から2027年にかけて行うと既に発表されている



nk1009@tsuhr01
1000系1009F=2015年鶴原付近で撮影(ロケ地の選定を明らかに間違えた!もっと井原里寄りに行かねばならなった)

南海電鉄では11000系(りんかん・泉北ライナー)及び1000系がデビューした。
この画像の1000系、前面中央の非常貫通扉の上部に何も配置されていないのは間抜けな感じである。前照灯なり行先表示を配しておくべきだったのであろう。
高野線特急車でも11000系は20m級の車体で大運転には就けないから、りんかん・泉北ライナーでしか走れない。ただ、30000系の事故で高野線特急車が不足した関係で泉北ライナーに50000系が入っているので、11000系は現在りんかん専用である。


他では、京阪電鉄700形横浜市交通局3000形(3000A)名古屋市交通局5050形・鹿児島市交通局2130形・東急電鉄2000系(現9020系)といったあたりがこの年にデビューしている。

次回=増6へと続く!



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50年前の日本では大気汚染や水質汚染といった公害も大きな影を落としていた。1950~70年代の公害が同時代に左翼が大暴れした事とガチャコーン!と一部で接続しているのである。
1972年7月24日に所謂四日市公害裁判で「喘息の原因は工場から出る煙に含まれるSOX」と認められ、原告勝訴の判決が津地裁で下され、そのまま判決は確定となった。
四日市公害訴訟は1967年9月に9人の公害認定患者が第1コンビナート企業6社を相手に起こした裁判。四日市ぜんそくはイタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病と並ぶ4大公害の一つ。
公害の原因を作ったとされる第1コンビナートは1959年操業開始、第2コンビナートは63年操業開始で四日市市の塩浜地区にあり。公害は1963年辺りから深刻化したと思われる。
この裁判の過程で、公害対策が大きく前進。左翼も調子に乗ったが、1972年に「三重県公害防止条例」=(全国で初の本格的な硫黄酸化物の総量規制を導入)が施行された。


話は変わって「ヨッコイしょういち!」という訳で…、
1972年に入って早々の1月24日、グアム島で元日本陸軍兵士の横井庄一氏が発見され、2月2日に帰国、10日に任務解除。(帰国は札幌オリンピック前日)
今年4月にはCBC中部日本放送で帰国50周年記念TV番組「恥ずかしながら」が放送され、名古屋で劇場版も公開された。神戸女学院大学教授の幡新大実氏は横井氏の甥である。(今年で横井氏死後25年である)


この年爆誕したものを挙げて行くと…、
「チケットぴあ」で御馴染のぴあ株式会社、「太陽にほえろ!」、「必殺仕掛人」、(消える魔球付き)野球盤、「水曜ロードショー」(NTV)、すし太郎(永谷園)、小僧寿し本部、ソックタッチ(白元)、カシオミニ、4代目スカイライン=ケンメリが9月に登場、カローラレビン・スプリンタートレノもデビュー、本田技研はCVCCシステム搭載の初代CIVICを爆誕させ、SUBARUはレックスを売り出した。東北自動車道も初めて開通し(岩槻~宇都宮)、東名・中央両高速道路を繋ぐ日本初の高速道路ジャンクション=小牧JCTが登場。初心者マークもこの年導入。漫画では「ベルサイユのばら」「ドカベン」が連載開始となった。
モスバーガー1号店(実験店@板橋区)が営業開始、北海道文化放送、テレビ神奈川、びわ湖放送が開局


バングラデシュ=旧東パキスタンが改名(1月11日)、所属していたイギリス連邦から離脱(1月30日)
川崎・福岡・札幌の3市が政令指定都市に成り上がった。年末の衆議院選挙では小泉チョンイチロー、加藤紘一、山崎拓、三塚博、村山富市なんていう所が初当選。

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皆様は、嘗て大阪に千日デパートというものが存在していたのを御存知であろうか?
千日デパートの前前身は大阪楽天地=1914~30。経営は南海系列で創業した千日土地建物(日本ドリーム観光の前身)。
楽天地は劇場・演芸場・レジャー施設を含む大正時代の大阪を代表するハイカラな名所だったらしい。1912年のミナミの大火で其のエリアが大々的に焼失し、その焼け跡の再開発として爆誕したのが楽天地だった。展望台・劇場・メリーゴーラウンド・ローラースケート場等を有して、夜がイルミで彩られたという。
その後、楽天地閉鎖後の1932年、その跡地に大阪歌舞伎座が建てられる。1958年まで大阪歌舞伎座は営業するが、同年に大阪・新歌舞伎座に役目を譲って閉鎖。12月1日に閉鎖した大阪歌舞伎座を改築し、新装開業した複合商業施設が千日デパートという訳であった。この千日デパートは日本での大型ショッピングモールの走りだった。21世紀のこの国では当たり前に存在する物の一種のプロトタイプが1950年代の大阪に、しかも郊外でなく中心部に爆誕していたのである。この時代の大阪には時代のパイオニアとなる物が結構存在していた。

nk6507@yamtriv01
日本ドリーム観光には元々南海も絡んでいた。6200系=2018年6月・大和川の岸で撮影

1972年5月13日22時27分頃、大阪市南区難波新地(現・千日前)にある千日デパートビルにおいて、改装の為の電気工事中であった3階婦人服売場付近より出火した火災は、手動閉鎖の防火シャッターが閉められなかったため、エスカレーター開口部を通じて上下階の4階、2階へと延焼した。さらに3階の店舗部分から発生した一酸化炭素を含んだ多量の濃煙はエレベーターシャフトや階段、空調ダクトを通じて上層階へと昇り、火災発生当時、7階で営業していたキャバレー・プレイタウンにいた人々を襲った。

22時30分頃、電気工事作業員が通路で作業中にガラスの割れるような音に気づき見ると、幅約40cm高さ約70cmの赤黒い炎を発見した。彼は「火事だ」と叫び、同僚と付近の消火器などを探しながら3階西側設置の火災報知機を押した。1階の保安室にいた保安係長は、22時34分頃火災報知機の受信盤で3階で火災が発生したことを知り、数分後に119番で消防局に通報した。しかし、このとき営業中であった7階のプレイタウンへは何の通報連絡も行っていない。(解せねぇ!)

火災を発見した作業員や、1階から駆け付けた保安係員らは、消火器や屋内消火栓を使って初期消火を試みようとしたが、いずれも時機を逸したり濃煙に妨げられたりして、初期消火は失敗で1階に退避した。その後、3階の火災は2階と4階に延焼したが、5階への延焼は免れた。
大量の濃煙は主に3つのルートから、多くの滞在客のいた7階のキャバレー・プレイタウンに伝搬していった。その一つは、空調リターン系統のダクトであり、エレベーターシャフトの欠損部分からも煙が入り込んで上昇し、7階のエレベータードアの隙間から場内に煙が噴出した。さらに、大量の煙は階段室にも流入して上昇した。猛煙・熱気・有毒ガスが充満し、停電による暗闇により、室内での行動はほとんど不可能になっており、窓際に移動出来ずに逃げ回った人達や、他に避難路を求めた人達は、全員が息絶えてしまった。
火災発生翌日には自治大臣が大阪市長・大阪府知事を伴って視察にやって来る始末。火災の沈下には2日弱を要して、15日17時30分正式に鎮火が発表された


千日デパートを経営する日本ドリーム観光とプレイタウンを経営する千土地興行は、親子会社の関係にありながらも防火管理や避難誘導について協議したことは1回も無かった様だ。また、ビル火災を想定した消防訓練や避難訓練を共同して行った事も当然なく災害時の連絡体制も何も考えられていなかった。前述の(1階から)「7階のプレイタウンへは何の通報連絡も行っていない」という件も当然であった。
千日デパートの前身は大阪歌舞伎座、その建築は1932年。その時は現在の消防法、建築基準法も存在せず、その後の改築時にも、法令規制は一部を除いて遡及適用されなかった。よって、スプリンクラー設備、自動火災報知設備、火災感知器連動の防火シャッターや防火扉等は未設置であった。つまり違法ではないものの、いわゆる既存不適格の状態であった。


千日前付近でも遺体の安置場所が足らず、現場から4㎞以上離れた大阪市北区の太融寺でも多数の遺体を受け入れる事となったが、この2年前=1970年の「天六ガス爆発事故」で犠牲者の遺体を安置した事から、寺側がこの事件でも遺体の受け入れを決めたという。
ただ、運び込まれたものの引き取り手が決まらずに「捌けない」遺体が多かったので寺の100畳の本殿は一杯になったという。5月ともなれば遺体の劣化も早い可能性があり、本殿も余計に悲惨な状況だった事も考えられる。
現場となったビル7階にあったのはキャバレー(チャイナサロン)、水商売にはありがちな事だが、出入りする人の身元が抑々ハッキリしない事が多い。身元もハッキリしない遺体も多く、引き取り先も見つからないケースも多かった。同寺では事件から50年となる5月13日、犠牲者118名の法要が営まれた。


この火災は、死者118人、負傷者81人という日本のビル火災史上でも最大の衝撃的惨事となった。死者118人の内、22名は転落死であった。熱や煙から逃れようとして飛び降りてしまい、転落死する人が多かった。7階からアーケードの屋根や地面に人が転落する音が周辺には響いていたという。
また、国や消防機関においても、ビルの防火対策の抜本的な見直しや改善の検討が行われ、現在に至るビル防火対策の基本となる事項が定められる契機ともなった。



これについての刑事訴追だが、防火責任者ら3被告が業務上過失致死傷罪で起訴されたのに留まった。その3名も1審では無罪、控訴審で逆転有罪、上告審も有罪だった。(確定は1990年)
民事訴訟の方だが、遺族会統一訴訟は1975年に和解。テナント側と日本ドリーム観光の間の訴訟は1989年に終結した。
1980年1月にテナント側と日本ドリーム観光間において。デパート取り壊しで合意、取り壊しが決定し。翌年4月に取り壊しが完了した。あの大火災から建物消滅まで9年弱を要した事になる。
取り壊してから2年5か月後の1983年9月にエスカール(ESCALE)ビルが竣工、84年1月からプランタンなんばダイエーで営業開始、その後2000年からカテプリなんばになり、その翌2001年からはビックカメラ、キャンドゥとキョーイチからなるエスカールなんばになっている。このビルの現在の所有者は松原興産である(2004~)


この年の大阪では西成も当然の如く荒れていた。釜ヶ崎暴動も第13次~20次までの8回もこの年に、しかも5~10月の間に集中して起きている。

次回、Chapter 29へと続く!



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高野山というと今や一大観光地。日本を代表する霊峰、世界遺産。そしてそこに新たなマチュピチュ候補が登場していた。
小生もあるようつべで知ったのだが、それは和歌山県高野町の桜ヶ丘という所。桜ヶ丘なんて如何にもという名前がついているが、そこはあの高野山。凡そニュータウンなんて想像つかない場所にあるが、このまま行けば近い将来、和歌山のガチなマチュピチュになる事間違いなしである。
この場所、高野山の奥の院から徒歩10分程度の所にあるというのだ。奥の院の前を通る国道371号をそのまま東に進めば桜ヶ丘に辿り着く。映像やその他で見る限り山間部のニュータウンとしてもかなり小さい様である。


そしてそこにあるのが国道371号、しかも狭隘区間というのがまたイイ!
371号は改良が進んだとはいえまだまだ山間部に狭隘区間、更には不通の所を2箇所も残す関西酷道のクイーンとも言うべき存在。(キングは425号か)
橋本からこの辺りまでが371号北部の「おいしい区間」らしいが、大多数の高野山へ行く車は国道370号+480号(旧高野山道路)を通るのでこの区間を走る車は多くなさそう。
最寄りバス停は桜峠下という事になってはいるが、そこへ行くのは1日1往復しかなく奥の院前行きに乗って終点から歩くというのが現実的といえる。因みに桜峠下は高野三山登山道の入口らしい。


nk2040@abkm01
(大運転の南海2000系なら極楽橋まで1本・2015年5月撮影)

関西でニュータウンというと大阪等の大都市へ通う人が、バブルで住宅が高くて仕方なく買ったというイメージだが、それとは違うようである。
(高野山の山奥から大阪へ「通う」のは如何せん非現実的な気がする。)
山奥に住んでいた(奥の院でも十分山奥だが、もっと山奥という事か)人達がこのニュータウンに移住して来たらしい。山奥なのに何故か集合住宅が何棟かある一方で空き家や空き地も結構目立ち、道路の舗装も酷く荒れている様である。そこには高野山大学の寮もあったりするのだが、坊主のなり手も少ないし、今いる人間も殆どが高齢者の様である。
50年程前に国有林が払い下げられ、高野町主導で開発がすすめられたというこのニュータウンも近い将来、ガチで天空の廃墟になってしまう可能性が高い。亀岡なのに北摂とか茨木と名乗っている詐欺ニュータウンとどっちが先にマチュピチュになるかというのも興味深いが、こっちの方が霊験あらたかでその分だけでも付加価値がありそうだ。
最寄りのコンビニは2.5㎞離れていて、その他の買い物は371号を橋本まで下りないとならないが、現在は移動販売車が来ている。


ここから371号を橋本寄りに走り、丹生川という川沿いに走る町道?に分かれて暫く走ると筒香という所に辿り着く。正式には上・中・下筒香に分かれていて、少しは人の住んでいる集落がある模様である。因みにあの225の出身地は堺市である。



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前回に引き続いて南海グッズとのコラボしたヤツの第2弾。そもそも南海グッズをフィーチャーした絵を撮る事もあまりないであろうから、こんな時にでも大々的に載せておく。

南海のグッズはこのタオル2種だけなので、早速バルーンとの複合技に走る。バルーンのコーデは現在の装飾帯のカラーリングであるブルーオレンジ

gumi012  gumi013
床にタオルを彼女を挟むように並行に置いて、バルーンを「普通に」持たせる。この時点で南海タオルとバルーンのどっちがメインか判らない状態。
このタオルを背景として使える様に出来たら、南海にもっと主張してもらえたと思うと少々残念。
鉄グッズ+バルーンという複合技も当たり前になっていて、やりたくって仕方がなくなっている小生である。


gumi014  gumi015
風船を抱かせてのショット。複合技というより、早々にバルーンシリーズに入った様な錯覚すら覚える。両脇はタオル、直ぐ前には風船という形で結構窮屈だったかも知れないが、固まる事なくそれなりに変化をつけて撮れた。

gumi016  gumi017
風船を抱えている姿自体はとても可愛らしいが、「南海はどこ行った?」という絵になってしまった。まぁ、南海自体が大手私鉄の中でも影が薄い部類なのでこの辺で丁度イイかと言えなくもないがw
これで背景がライトクレーだったら南海にピッタリになるのだが。


このスタジオの中でもこのフロアはやたら白い 。壁も殆どが白で床も結構白い。色々な物の色は邪魔しないが、壁や床の反射率が高くなり、それが思わぬハレーションを引き起こし被写体のコントラストを落としたり色の出を悪くする事には用心が要る。
ただ、初めてのスタジオで、使える機材にも限りがある事を思うとそこの部分は結構つらい。


Part 4 へと続く!


Oct. 24th, 2015 Pulchra撮影会 at Studio Coucou (江東区高橋)
PENTAX K-3+smc DA 35mm f2.4 Profoto B1(レンタル)使用




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