Dufftown 街角ミュージック

穏健主義の波とマイナーパワーがこの世を救う

タグ:京成電鉄

Is " A.E. " a Cursed Name ? ~AE とは呪われた名なのか?~

前記事でも書いたが、 初代AE は1974年度ブルーリボン賞を受賞する等インパクトは充分であったものの、成田闘争の歴史に翻弄され、傷ついた特急車とでもいうべき状況のまま終焉となった。空港に乗り入れたのは15年足らずであった。
その後継となったAE100形だが、東日本大震災と原発事故に翻弄され、悲劇の特急車となった感がある。 スカイライナーから追われた後の様は寂しいとしか表し様が無い。シティライナーの座を与えられたにも関わらず、シティライナーは大震災の後約半年間運休を強いられた。その後も減便を強いられ、京成本線の新しい顔として定着せぬまま最終的に土日1往復のみとなり、2015年11月に消滅。


京成に2種類の有料特急が並び立てるだけの需要なんて抑々存在し得なかったのかも知れないが、成田空港乗り入れを止めたのはシティライナー的にはしくじりだったかも知れない。
京成本線は線形が悪く(殊に京成津田沼以西)、線路容量も上げられないため、速達優等列車を走らせるには不適当である事も背景にあったと考えられる。


ksae100@senj04

前記事は2011年1月迄の画像を紹介していたが、そこから一気に2015年1月まで飛んでしまう。買ったばかりのK-3 の試し斬りがてら千住のカーブに行った時のショット。
「千住カーブばっかりじゃねぇか!」というのは御尤もだが、何せ東日本大震災以降、AE100形の運用が激減し、その結果、真面に撮れる場所も本当に限られてしまった。実は2011年12月にも一回チャンスはあったのだが、渋滞に巻き込まれて逃してしまっていた。 AE100形とは4年振りの再会、随分と間が空いてしまったものである。
 
ksae100@senj03

その次は2015年3月、でピンと来る方は勘がよろしい! あの北総7260形ラストラン、その日である。 7260形の露払的にやって来たところを捉えたのであるが、予想通り朝早くから激バ状態で、具合の良くないポジションでの撮影を強いられた。
京成を撮りに行く事自体多くは無い。今の京成自体面白いと思えない上に、撮りに行くなら本線より押上線のほうがまだマシという感じだったから、廃車が進んで運用の減っていたAE100形を撮る機会は無いのに等しかったのである。
わざわざAE100形の為に千葉方面まで行く事の必要性までは感じていなかった。 千住カーブ以外でも1回は押えようと2015年4月足を運んだのがこの場所…

 
ks3411@hrki01

その場所とは堀切橋こちらは3400形初代AE形の改造車。御存知の通り、AE100形に役目を譲った後、一大魔改造によって一般車に化け再スタートを切った。それから20年以上が経って、こちらも終焉が近い。
 
ksae100@hrki01

これが小生の捉えたこの車両の最後の姿になってしまった。シティライナー廃止後、今年1月臨時のシティライナー81/82号として復活してくれたが、東北本線で手一杯だった事もあり撮りに行く事は叶わなかった。そして、2月のラストランになった訳だが、超激バが予想されスジも一寸読み難かったのでパスせざるを得なかった。
堀切橋では撮影者同士の小競り合いが起きたため、撮影禁止場所になったという噂も出た。


小生からすると、AE100形のリトラクタブルライト(retradtable headlight、リトラ・隠しライトともいう)を見ると、バブル時代の残り香を感じてしまう。
バブル期とその前後の時代には、スポーツ系の車を中心にリトラクタブルライトを装備した車をいやというほど見かけたのである。TOYOTAではセリカ、トレノ、スープラ、日産なら180SX、シルビア HONDAではプレリュード・アコード、MAZDA ならコスモ、RX-7といった面々がこのタイプのライトを採用していたが、国内では2002年、外国でも2005年を最後にリトラクタブルライトの車は製造されなくなった。
AE100形の場合はリトラクタブルというより、コンシールドライト(concealed headlight)と呼ぶのが正しいのだが。こんな前照灯を見る事も無くなって、バブルの時は本当に遠くなったと改めて痛感するのでもあった。


ライトの事はともかく、このAE100形はインパクトが弱く存在感が薄い様にも見えたのは事実であろう。
今改めてスカイライナーの歴史を見ると、AE という名は呪われている様な気がしてならない。山〇寛〇デザインを売り文句に3代目として華々しくデビューした 現行・ AE 形 はその呪われた歴史を変えられるのであろうか?


ks-ae02@senj01
(2011年12月 ブルーリボン賞受賞記念のステッカー付きで)

嘗てスカイライナーが都営浅草線・京急線を介して羽田空港に乗り入れるという計画があったが実現しなかった。AE100 の貫通扉はその残滓とも言える。
そんな話は誰もが忘れかけている様な今、都営浅草線の支線を作り東京駅の地下に乗り入れさせるという計画が持ち上がっている。
もし仮にこれが実現という事になると、このスカイライナーも大きく変る事になるであろう。都営浅草線対応のスカイライナーを作る事になるのは間違いなく、 現行 AE形 の運命も大きく左右される事にもなろうかと思われる。
そして序に、 N'EX が死ぬのも間違いなかろう。

 

かくして、京成AE100形と東武100系、共に1990年6月生まれ、奇しくも100という数字まで一緒。でも四半世紀を経て、両者の明暗ははっきり分かれてしまったのは間違いない。
スペーシアの方については、現時点で小生も厭というほど撮ってしまった感があるものの、この先も撮る機会には恵まれる事になるであろう。

 
tb103@kask01
(2012年10月 春日部~一ノ割間にて)

tb107@hap01
(2015年3月 ワシクリの八甫にて)

tb106@krky02

(2016年2月、黒小屋踏切から)

因みにJR 北海道785系=JR 初のVVVF 量産車も同期だが、こちらも終焉が近いと思われる。
この車両、見た目に地味で特急車らしい華やかさに欠けるものだが、この春から789系(100/200/300番台)が青函から道央に移る上に、ステンレス車体という事もあり、一般型への改造も困難と見られるので廃車にされる公算が高い。

 

この記事の締めとして、AE100形に捧げるのはこの曲にしたいと思うその曲は、
Gloria Estefan (and Miami Sound Machine)の名曲、" Anything For You "
アルバム" Let It Loose " (1987)から4枚目シングルとして放たれたこの曲は88年5月に全米#1 を記録、全英でもtop 10 入りしている(
40代以上なら御存知の方も多かろうが、実際の曲については、取敢えず
こちらでも御覧頂きたい

Anything for you, though you’re not here
Since you said we’re through, it seems like years
Time keeps dragging on and on, and forever’s been and gone
Still I can’t figure what went wrong

I’d still do anything for you, I’ll play your game
You hurt me through and through, but you can have your way
I can pretend each time I see you that I don’t care and I need you
And though you’ll never see me crying
You know inside I feel like dying

And I’d do anything for you, in spite of it all
I’ve learned so much from you, you made me strong
But don’t you even think that I don’t love you
That for one minute I forgot you
But sometimes things don’t work out right, and you just have to say goodbye

I hope you find someone to please you
Someone who’ll care and never leave you
But if that someone ever hurts you, you just might need a friend to turn to

And I’d do anything for you, I’ll give you up
If that’s what I should do to make you happy
I can pretend each time I see you that I don’t care and I need you
And though inside I feel like dying
You know you’ll never see me crying

But don’t even think that I don’t love you
That for one minute I forgot you
But sometimes things don’t work out right and you just have to say goodbye

I don’t want to say goodbye...



何やらかんやら言うても、早過ぎる終焉だったのは間違いない。富山地鉄や長野電鉄、一畑や秩父鉄道あたりに譲渡されればまだまだ新しいステージで活躍出来たかも知れないのに(足回り交換が必須だが)


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Mar. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



)Gloria Estefan (出生名=Gloris Maria Milagrosa Fajardo Garcia)は1957年9月、キューバ軍人の家に生まれたが、3歳で家族共々アメリカに亡命。
マイアミ大学に進学し在学中の1977年にMiami Sound Machine としてデビューし、翌年Emilio Estefan と結婚。 1984年にEpic/Columbia と契約して以降は一気に大ブレイクを果たす。
80年代後半~90年代前半はまさに全盛期であった。87年まではMiami Sound Machine、その後89年までGloria Estefan and Miami Sound Machine、89年以降はGloria Estefan として活動している。今迄に出したアルバムは20タイトルを超えている。




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少々地味だけど、VVVF 特急車のパイオニア…(の一角)

今では電車どころか機関車までVVVF が当り前になったが、抑々VVVF 元年と云えば1986年である。
その年は東急9000系新京成8800形近鉄3200系、同6400系等の車両が登場した。これらは御存知の通り、VVVF 車の第1世代というべき車両達で、しかも全部通勤型(一般型)車である。
VVVF 開発導入については先行したのは一部私鉄であり、 その他私鉄及びJR(旧国鉄も含む)はかなり遅れをとっていた。旧国鉄の場合、1970年代から財政並び労使関係の極端な悪化が慢性化していた事を鑑みれば仕方が無いと言える。

 
特急車でVVVF が採用される様になるのはそれから4年後という事で少々ギャップがある。特急は加減速の機会が少ないからVVVF の様な省エネシステムを積極的に導入するインセンティヴが見出し難い。その当時はまだVVVF のイニシャルコストが高かった上に、大容量化も難しかった。
1988年デビューの名鉄1000系(パノラマSuper)界磁チョッパを採用し、近鉄21000系(アーバンライナー)抵抗制御であった。翌年デビューの西鉄8000形抵抗制御JR 東日本651系界磁添加励磁制御という具合で、1980年代末でもVVVF 特急車は登場していなかったのである。 それでも、VVVF という波が特急車に及ぶのは時間の問題でしかなかった。


1990年と云えば昭和も終り、バブル真っ只中。この後「失われた〇〇年」という状況が四半世紀を超えて更に継続する破目になるなんて誰もそこまでは予測し得なかった。35歳以下の連中はバブルなんて知らないのである。その年はバブル崩壊の足音が忍び寄っていた。この年の夏は伝説的酷暑(その時代としては)、そしてイラクのクウェイト侵攻(所謂・湾岸危機)なんて言う事が起きていた。

そんな中、VVVF 特急車のパイオニアとして6月19日、京成AE100はデビューした。同年同月デビューなのが、東武100系スペーシアだったのだが、厳密にいうとスペーシアが6月1日デビューという事でVVVF 特急車一番乗りなのである。タッチの差で一番乗りを逃したというのが、後の運命を示唆してしまった感がある。
初代AE形は、苦難の歴史を歩んでしまった。成田空港は過激派の闘争活動のターゲットにされまくって、開港は5年程遅れてしまった。空港に乗り入れる特急電車はあっても、肝心の空港がないという状況が続いたのである。更に開港直前の1978年5月にはスカイライナー放火事件でAE29号車が全焼した他、数両が被害を受け修繕を余儀なくされるという事まで起きた。昭和の歴史に翻弄され、そのポテンシャルを十分に発揮出来たとは言えないまま「悲運の特急車」になってしまった初代AE形の後継車として、AE100形は生を享けたのである


 

ks-ae100@tsg01
(2010年7月 高砂~京成小岩間にて)
AE100形をある程度真面に撮れた最初の画像。スカイライナーとしての最後の姿を何とか捉えられた、が…、時は7月の昼時、完全なトップライト状態だったのが惜しまれる。 この後、年末まで鉄活は僅かしか出来ない状況になって、そんなこんなで年が明けて、2011年

ksae100@nkgw01
 
1月に中川の鉄橋=青砥~高砂間に初めて足を運んで撮れた絵。見事な裏被りにガッカリ。
ここは複々線で列車本数もやたら増えるからこういうリスクは高くなる。北総・スカイアクセス関係の列車と本線の列車が入り乱れる。見ている分には飽きないのだが、撮るとなると大違い。
かなり見上げる様に撮る事になる上に、裏被りリスクも大きいから気の進まぬ撮影地ではある。 その数日後…、今度はド定番の千住のカーブに行ってみた。

 
ksae100@senj01

冬場の青空に白・の車体が映える!でもどことなく、床屋の店先でクルクル回るアレみたいにも見えなくもないww
 
ksae100@senj02

この2つの絵の違い、お判りであろうか?光線状態が明らかに違う!
デビューしたての現・AE 形が話題をかっさらう中、この車両もシティライナーとしてまだ活躍してくれると思っていたのだが、この直後「AE100、お前もか…」という様な悲劇に襲われるのである。

Part 2 へと続く!


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Mar. 2016)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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小生の悪足掻きクライマックス

てなわけで…、臨時特急としてのラストランの後、体験乗車というイベントがその日午後に予定されていて、印西牧の原~矢切間を往復するというので、北総線沿線で撮れないかという望みはあった。 千住の撮影現場で、件の乗車体験運行が14時台後半に印西牧の原出発という情報を受け取ったので、ロケハン&場所取りも考えて昼過ぎを目途に印西に行く事にした。

北総の沿線は高速からは遠い。基本的には不便な場所である。千葉ニュータウンは常磐道柏I.C. 、東関道湾岸習志野I.C. 、京葉花輪I.C. の全てからほぼ等距離で、いずれからも遠い。ルート設定には正直迷ったが、千住から加平まで北上し、首都高速+常磐道で柏I.C. に向かう。その後は国道16号・464号を走り、千葉ニュータウン中央駅付近のコインパーキングに駐車。車で直接印西牧の原に行っても実際に駐車出来る所が無いからである。経験上、京葉エリアから鎌ヶ谷方面に北上すると酷く渋滞すると思い、464号でも多少の渋滞はあったが柏経由にして正解だった様だ。

千葉NT中央から印西牧の原までは北総線を使った、しかし、その運賃にビックリ!
1区間のたった4.8㎞で310円!
この会社の運賃が高いのは有名で、北総と検索しようとすると「北総 高い」という予測候補が直ぐに出て来る。高額運賃は地方私鉄では当り前になっているが、ここは監獄とは言われても、東京近郊である。 ぼったくり防止条例違反で摘発されないのが不思議であるwww


目を付けた所に行ってみると、跨線橋のフェンスも以前より嵩上されていて、撮れるポジションを探すのに苦心した。駅から直ぐの跨線橋では装飾を兼ねた街頭の部分は金網が無く、レンズを楽々覗かせられたのはラッキーだった。
跨線橋に何人も集結するかと思い、早めに行って場所取りしたが、撮影者は然程多くなかった。千住の激バが嘘の様だった。小室や白井の方に集結した可能性がある。 小生も小室辺りを考えたが、この日の太陽の位置を調べると、14:00=228度、14:30=236度、 15:00=242度、15:30=248度。返しまで考えると、線路が東西に完全に寝ていない所が良く、車庫に近い所ならスピードは遅くなって撮り易いとも思い、牧の原を選んだのであった。


3月とはいえ、日差しは結構きつく、遮るものは周りに無い。しかも車に併走を食らわないかと恐れながら待つのだから、結構胃にも頭皮にも悪い状況であったw。
初めての北総線撮影をそれなりに楽しみながらスタンバイしていると、14:22、受け取っていた情報からすると少々早かったが、印西車庫から 7260 が出て来て内線を走ってきた、近くに車はいない!と思ったら…、外線(画面手前側)に思わぬ難敵が…、アクセス特急羽田空港行き、ソイツは京急のレネゲイド 1000形ステンレス
一寸酷くねぇかと思ったが…

hx7268i

一瞬ヒヤリとはしたものの、両者のスピード差はかなりのモノで、裏切り者が過ぎ去ってからじっくり撮れた!40代も後半なので、あまりヒヤヒヤドキドキはしたくないw
予想より時刻が早かった為か、少々面薄になったのは計算外。 Da*n !

高速代・燃料代・駐車料金を掛けて監獄まで来てやったのだからw、これで終わりにはしない。
矢切からの返しを待ちながら、北総線の撮影を続けた。構図を変えるべく、もっと車庫寄りに移動する事も考えたが、他の跨線橋でもフェンスが嵩上されていたので、確実に撮れる場所から動かない方が良いと思い留まる事とした。


ks-ae@izmk01


スカイライナーを千葉県で撮ったのはこの日が実は初めて。監獄は 新幹線の 夢の跡

見よ!この切り通しの広さ!流石は新幹線の計画があった場所であるwww 画面右下部分の新しい道が国道464号BP=北千葉道路の本線車道らしいが、これがあまり役に立っていない様であるwww
常にこの464号を走る車に併走を食らう危険が高く、スリル満点?ww


cflyr@izmk01

見事に併走を食らった一例、 C-Flyer 千葉NT鉄道9100形)は結構好きな車なので、余計に残念である。
併走するのがFerrariLamborghini あたりだったらまだ諦めが付くのだが…
矢切からの返しを待ちながら、曇ってくるかも知れないという不安とも戦う。結局唯待つしかない小生だった。反しの通過予想は15:45頃。


hx7268k


小生の予想より多少早かったが、返しがやって来たのは15:36 光線状態はバッチリ!斯くして小生は 北総7260形 、そして「京成顔」のラストを恙なくSDHC に収めたのであった

撤収後、牧の原から北総に1駅間だけ乗車=再びボったくられるorz そこでやって来たのは、京急1000形1009F 、稀少になってきたドレミファインヴァーターの車。京急の乗車機会が少ない事もあって、間近で聞くのは久し振りだった。千葉NT 中央駅で降りる際も、SIEMENS 社のインヴァーターサウンドを聴きながら見送ったのは言うまでもない!

千葉NT 中央からどういうルートで帰ろうかと思った時に、寄り道を考えてしまった。ただこれが結果的に良くなかったかも知れない。
16号を走って千葉市に入り、若葉区のみつわ台付近にある結構有名なシマ〇という酒屋に久し振りに足を運んで、20年位前のリキュール1本を購入。昔は千葉方面で撮影した序でにその酒屋で買物する事も多かったのだが、最近は足が遠退いていた。
そこからやっと帰途に就いたが、何と渋滞地獄絵巻が待っていた。
京葉・東関道・首都高もほぼ壊滅、一般道だけで帰る事にしたが、湾岸道路も船橋付近で酷い渋滞!京葉間の渋滞は年中無休で酷いケースが多いというのは気のせいではない筈である!

監獄からの帰りは地獄というオチになってしまった訳であるorz


斯くして終焉を迎えた「京成顔」に捧げる掉尾としての一曲は…、
何の捻りもなく単刀直入www
Night Ranger が1985年に放った大ヒット曲、" GOODBYE "
(註)

このバンドが全盛期あった1985年にリリースした3rd アルバム=" 7 Wishes " からのヒットシングルで、アルバム内では締めの曲になっている。
I was never much good at goodbye=別れを言うのはいつも辛いものだった。別れを言うのは誰にとっても辛いもの。
これは世の常どの様な曲かについては、
このDailymotion 動画を参照されたい!

As the sun hides his head for another night’s rest
And the wind sings his same old song
And you on the edge, never close, never far
Always there when I needed a friend
But it’s hard living life on the memory-go –round
Always up, always down, spinning ‘round and ‘round and ‘round

All this could be just a dream
So it seems I was never much at goodbye

There once was a time never far from my mind
On the beach, on the 4th of July
I remember the sand, how you held out your hand
And we touched for what seemed a lifetime
But it’s hard leaving this all behind me now
Like a schoolboy so lost never found until now

All this could be just a dream
So it seems I was never much at goodbye

But it’s hard living life on the memory-go –round
Always up, always down, spinning ‘round and ‘round and ‘round

All this could be just a dream
So it seems I was never much at goodbye
All this could be just a dream
So it seems I was never much at goodbye..., goodbye..., goodbye
Goodbye..., goodbye..., goodbye..., goodbye...  (fade out)


この日、大阪も天候にはかなり恵まれた様で、「阪急顔」を作った2300系もラストランを迎えた
両者のファイナルが同日で「被った」のには正直恨めしさを禁じ得なかった


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Apr. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



(註)1977年結成のRubicon というバンドにいた、Jack Blades、Kelly Keagy、Brad Gilles の3人がThe Stereo というバンドを結成、80年にThe Ranger となって、82年にNight Ranger と改名。
1983年にMCA レコードと契約、84年にアルバム、" Dawn Patrol " でメジャーデビュー。
ここからアルバム3枚が連続でプラチナディスクになる等、快進撃を見せるが、翳りが出始めた1990年に一度解散。
その後、1996年に再結成、以降はメンバーチェンジを数回行いながら、現在まで活動を続けている。リリースしたスタジオアルバムは11作品




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北総7260形 については前記事の通り、2014年の夏の内に3回の撮影に成功してはいた。ただ、北総から運行終了が発表されると、やはりもう一度は押えておきたいという欲求に駆られていた。
これも人の常というものなのか? 運行終了は種車である 京成3300形 と図った様に時を同じくしてという形になったが、車両自体の老朽化もさることながら、リース契約満了が主たる理由と考えられる。


ただ、もう一度と云っても、2月の終りから天候が安定せず、撮影に出かけられる日も少なかった。しかも、 カシオペア パーイチ代走 北斗星 定期運行終了間近という様な事もあって、京成・北総方面に足を運べなかった

運行最終週のある日、品川駅を出発して羽田空港方面に向かう所でも撮ろうと、品川第一踏切に繰り出したが、そこで何と…、一足違いで撮り損うという結果になってしまった。
結局、3月22日のさよなら運転に激バも覚悟で全てを託す事となった。


調べると、その臨時特急は上野始発になっていた。北総車が上野に入るのは殆どない事である。 2月の 京成3300形ラストラン と同じスジで上野に入線し、ほぼ同じスジで上野を出発する形であった。
スジと経路から考えると、撮影出来る場所は限られる。町屋~千住大橋のカーブ、又は印西牧の原駅付近の跨線橋からという選択肢に絞られた。そして、午前中から印西まで行くのはきつい上に、カーブなら曇られても対処し易いと判断して前者を選んだ。


3300形 ラストランの時の経験を踏まえ、その時より更に早く現場に向かったが、現場近くのコインパーキングは殆ど満車で駐車場所確保に苦心した、この時点で嫌な予感がしたが、完全に的中orz
3300形の時より全然早く到着したのに前回と同じポジションしか取れなかった。通過の2時間以上前でこのザマである。


結局3300形の時よりもっと恐ろしい状態となり、激バとすら言えるレベルに達してしまった。天気の心配もあったが、多少霞が掛っていたものの、ほぼ完璧に近い晴天。遂には沿線の住民の中からも参加者が出る状態。
上野入線は10:13、という事は10:05あたりで上野行きは通過する。まずそこをケツ打ちで狙った。 2月の3300形ラストランと全く同じ手筈である


hx7268g

2月28日は見事に失敗したが、同じ轍は踏まず今度は成功!
前回の失敗を踏まえて、ピントをかなり的確な位置に置けた事が大きかったか そして、本番の印西牧の原行きが来るまで、こんなところも撮ってみた。


ks-ae13@senj01

ここでスカイライナーを撮るのはもう何回目になるのだろう?小生的にも見飽きたショットである。
現在、関東の私鉄車両の中で数少ない「神」クラスの車であるから、シャッターを切らない訳には行かない。
駅間撮りでスカイライナーを撮れる場所というと、このカーブ以外だとそんなに多い様には思えない。季節にもよるが、堀切~お花茶屋間、荒川の鉄橋、中川の鉄橋、あとはあの監獄内の数か所となる。
件の臨時特急は上野出発10:20、特急であればこの現場を凡そ8分後に通過。通過予想は10:28 そして緊張も高まり行く中で、いよいよ本番が迫る

hx7268h

予想通りの時刻にやって来た!息を呑んで集中!集中!
こういう時は待ち時間も長く、高い緊張と相俟って、意外と疲れるものである。 そして勿論、ショットは成功!
斯くして、最期の雄姿を恙なくSDHC に収めて見送る事が出来た普通ならこれで終わりという所なのだが…、これだけでは勿体無いと欲を掻いた小生は、午後まで天気は良さそうだという希望的観測もあって、 悪足掻きの延長戦をする決心をしたのであった。


因みにだが、品川第一踏切で撮りたかったのはこういうショットであったのだ。

to5308@ytym01

一部で「白い悪魔」と揶揄される?東京都交通局5300形5308F、ミニスカートの前期型。
この踏切でこの構図なら1/125sec でも止められる、曇っていてもきつくはならない。
中央リニア新幹線開通に合わせた品川~新馬場間の高架化計画があり、この光景もあと数年で見納めか…
この日で元祖?京成顔は姿を消したが、「2代目京成顔」ともいうべきこの車もそろそろ危ないので、撮れるうちに撮らないとヤバい!


ks3441@senj01

それは御存知、 3400形 。8両×5本のみなので、シャッターチャンスは然程多くは無い。
言うまでもなく、 初代AE の「改造車」。当然、中身は 初代AE 形 で、他形式との互換性が無い。
高速用の足回りであるが故に、低速域の加減速性能が悪く、特急運用あたりでしか使い物にならない。
70年代の終りからステンレス車に切り替えていたのに、敢えて普通鋼車体を採用したのも恐らく走行機器とのマッチングも考えてではないかと思われる。


ただ、上物はまだ20年程度なので、本来ならVVVF 化(現3000形と同じ下回りにする等)して使い続けるべきであろうが、車体も普通鋼で、大栄車輌の鉄道部門も消滅しているという背景もあるのだろう、近年は新型車を低コストで導入出来る事も相俟って、延命・改良はせず廃車にするという事らしい。


午後、遂にあの「ぼったくり監獄」に乗り込んでの悪足掻きは…、Part 5 にて!



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2014年の夏は、結果として北総7260形最後の夏となった。まだ御記憶の御仁も多かろうが、関東は恐ろしい暑さなのに天候はあまり安定せず、撮り鉄泣かせの夏だった。
そんな中、小生は7~8月にかけて立石駅付近のカーブに数回足を運んだ。青砥から高架を降りて来て直ぐに急カーブする場所である。
押上線連続立体化工事の用地は確保されている様で、このポイントで撮れるのもあと僅かかも知れない。光線状態としては夏場の15・16時台がイイ!
季節によってポイントやターゲットを分ける事も重要な努めである。

実は夏場に京成を撮りに行く事自体、小生にとって稀で、恐らく4年振り位であったように思われる。京成押上線の撮影も約2年振りとなった。立石界隈というと四ツ木寄りのストレートでの撮影はあったが、このカーブは去年の夏が初めての参戦であった。
この参戦のきっかけは、この7260ではなく、京急1000形1057F=Yellow Happy Train をこのポイントで撮影した画像をネットで見たからなのである。


hx7268d

ここがあくまでも京成の撮影地だが、メインターゲットは京急の色つきの車だった。
1000形1500形600形しか来ないのだが、三浦の方まで行くのは大変であるからこんな所でも良いかと思っていたのであった。あとはC-Flyer千葉NT鉄道9100形)でも捉えればという感じで足を運んだわけで、1編成しかない北総7260なんて出逢ったらそれは本当に奇跡に近いものと思っていた。


ただ、そんな中で北総7260も3回押えられた。結果としてはこれが最大の収穫だったと言える。 ここは意外と有名な場所らしく、7260形を狙っているではと思われる人間が日々数名はいた感じである。
北総7260が一番人気だった様で、先客がいて最適なポジションが取れない事も多かった。最適なポジションを取れるのは2人が限界か。直ぐ近くに自販機があり、熱中症対策に一役買っている。これに日焼け止め、タオル、帽子でもあれば2時間位は撮り続けられる。


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最適なポジションが取れても、実際の構図作りはそう簡単ではない。
画面右側の障害物をかわし、左側では最後部が架線柱に被らない様抜くのは大変である。ただ、下町の住宅地の中を縫う様に走る京成らしさ炸裂という所かww


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上の2点とは少々アングルを変えたショット、というよりは最適なポジションを取れなかった時のショットである。ケツは窮屈にせずに楽々抜けたのだが、住民が勝手に作った生垣?から枝葉が伸びて画面に入って顔に被る。下町の私鉄沿線で、如何にも夏場という光景と諦める他はないが、これも数年内に見納めとなる公算が高いから貴重な絵となるのだろう。
去年の夏は結局、このポイントで京急1000形1057F を捉えるという本懐は遂げられなかったが、それ以上に貴重な獲物は釣れたという事になる。 2014年の夏は先述の様に、天候が安定せず撮影に行けた回数も少なかった中で、最大の想い出はこの北総7260だったという事になるのだろうか。(5月の高岡遠征はあくまでも初夏w


立石のカーブでは厳密にいうと、2つポイントがある。一つは立石駅から2つ目の踏切から直ぐの神社脇の路地。もう一つは寿司屋を目印に町医者の脇から入る路地のポイントである。前者の場合、時折車が来る上に、電線の影がかかってしまう事が多い。
その上、カーブ内側の歩行者や自転車がやたら入ってしまうので勧められない。上記3点の画像はいずれも後者のポイントから撮ったものである。
因みに、前者のポイントで撮った作例はコレ=京急600形606F・アクセス特急久里浜行き


kq606@ttis01

夏が過ぎた後、秋に入ると天候不順等で撮り鉄jの回数自体が少なかった。冬場もワシクリに北上したり、京急方面に南下したりで京成・北総沿線に行く機会は殆ど無かったので、この北総7260に遭遇する事もなかった。そして、再会を果たすのはあの日になるのであった

 いよいよ「京成顔」の最期の時に向けて、Part 4 へと続く!


※ この記事は旧ブログからの移転記事につき、旧ブログにてアップされた時点(Apr. 2015)での事実関係に基いて書かれているので、現在の事実関係とは大きく異なる場合があっても何卒ご了承賜りたい。



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