Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:ローヌ

銀座の国道15号は時折通る、銀座でショッピングする事も月に1度位はある。小生は東京でも都内出身という事もあって、銀座は結構慣れ親しんだ場所で、同時に大変思い出深い場所でもある。銀座のある所を抜きにして小生のワインライフは語れないのであった。
小生にとってワインとの付き合いは30年を超える。小生がワインと邂逅し目覚めだしたその時はバブルの時代であった。
その時、高級ワインブームがあったとはいえ、ワインのマーケットとしては未発達のお寒いもので、ボジョレーヌーボーなんて言っただけでワイン通なんて呼ばれてしまう、そんなレベルだった。バブルの中、美術品や車と同じ様に「転がして」=転売して財テクする物だと本気で思い込む奴等も多かったのが現実だった。
信じられないかも知れないが、「ワインはレストラン以外では飲んではならない」「ワインは上級市民の物」なんていう訳の分からんhorse-stagな話まであった。これはレストラン業界と結び付いた奴等のポジショントークから広がったという疑惑がドバドバドバドバ…、なのだが。


バブルの日々、酒で言えば成功と富の象徴が、伝説の「ピンドンコン」だった。大きなブランデーグラスにクラッシュアイスを入れて、その上からピンドン=Dom Pérignonのロゼ、そしてCognac(主にHennesy又はRémy MartinのX.O.クラス)。これを銀座・赤坂・六本木辺りの夜の店で御姐ちゃん達を侍らせてオーダーするというのが、成金のアイコンの一つであった。
30年前と今ではピンドン
コニャックも味が全然違うので、その時の味は殆ど再現出来ない。コニャックのその時代のボトルが何とか手に入ってもドンペリはほぼ不可能。

ワインに出会った小生が最初にワインのレッスンを受けたのは、デパートのワインフェアである。ワインフェアと言っても春と秋の年2回、催事場を使って大々的にフェア(セール)を行っていたのである。これを古くから行っていたのが銀座の松坂屋八重洲の大丸だった。その後に東急本店小田急ハルクが加わった。
小生にとってワインライフの原点の一つが銀座松坂屋のワインフェア=世界のワインフェスティバルだった事は論を待たない。これがあったかこそ今のワインラヴァ―の小生があり続けられるのである。
銀座松坂屋は銀座で最初のデパートだった、土足入場も初で、屋上に動物園があったり、制服を100%洋装にしたのもこのデパートだった。


どうでも良いエピソードで恐縮だが、1994年10月29日、長嶋巨人が西武を倒して日本一の胴上げをしたその時は、世界のワインフェスティバルでワインを買っていて、日本一の吉報は松坂屋のパーキングビル内のTVモニターを見て知ったのだった。

そんな時代から25年以上が経った今、実店舗・ネット通販を問わず「ワイン専門店」・「ワインショップ」を名乗る店が掃いて捨てる程存在している。昔のあの当時とはエライ違いである。20歳の頃から、しかも30年以上前の時代、その時点でワイン愛好家への道を進んでいた小生は「世界を逸脱した」存在だった。そして、それを支えてくれて、いろいろ勉強する機会を与えてくれた場所の重要な一つが銀座松坂屋だったのだ。感謝しかない。
90年代後半から銀座松坂屋にワインを買いに行く事は無くなったが、2013年に閉店となった際には思い出の場所が消えるという事に一抹の寂しさは禁じ得なかった。Nothing Stays The Same.という事だから仕方が無いが…。

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小生のワインライフの原点だった銀座松坂屋は2013年閉店、今はGINZA SIXに変わっている。


世界のワインフェスティバル」が追憶の彼方に去ってしまった21世紀の今でも、銀座は大小のワインショップがひしめいている所ではある。先日も7丁目にあるSpain Club(スペインクラブ)のgourmeteria y bodega(グルメテリア・イ・ボデガ)でシェリーの高級品を購入したばかりである。

小生も20台前半の頃なんていうと、本を立ち読みして得た様な僅かな知識しか持っていなかったが、幸運にも前述のワインフェア等のイベントで、そこに集う愛好家達の中である時は教官、又或る時は師匠にもなってくれる様な、そんな仲間に出会う事が出来た。そこで色々と実践的なレクチャーみたいなものを授けられて、沢山の知識も教えて頂いた。それだけでなく、結構「ごっちゃん」にもなったものだった。今から思えば、かなり良い基礎を叩きこんでもらえたものだと思う。

30年前の時代、そんなイベントで売られていた品というとその大部分がボルドーで、ブルゴーニュその他は添え物程度だった。Robert Parker Jr.(ロバート・パーカー・ジュニア)の「Wine Advocate」(ワイン・アドヴォケイト)なんかが日本でも紹介されて(1978年にアメリカでスタートして約10年後)、恰もバイブルの様に扱われ始めた時代が約30有余年前という事である。尚、ブルゴーニュが日本でメジャーになったのは90年代半ば以降だろうか?
1990年代前期~中期の専門店・デパート等で行われていたワインセールのプライスリストを保存していたのを見返してみた事があった。その衝撃の内容にはビックリ!であった。
例を挙げれば…、今では平気で100,000円に届く物が10,000円そこそこで売られていたり、今は普通に2,000,000円は下らないRomanée-Contiが「正規品」なら150,000円程度、やはりこちらも1,000,000円コースに乗ったLa Tâcheだって、その時は50,000円位で売られていた事も実際にあった。
多くの物では大体が1桁違って、総体的に今の相場の1/3~1/8位だったと思ったら良い。あの時代を知らない若い世代が見たら信じない話であろう。
その時代からインフレーション基調の世界に背を向けて、デフレーションを長い事続けて来たのが日本という国なのだ。国の借金ガー、プライマリーバランスガー、財政破綻ガーで緊縮財政ばかり続けて来た結果がこのザマ。


フランスワインではBordeaux・Bourgogne・Champagne・Loire・Rhône・Provence・Alsaceその他、それに加えてイタリアスペインドイツその他諸々の欧州各国、更に所謂新大陸各国や日本という所のワインが鎬を削っていて、世界各地の銘醸ワインが手に入るという今の日本のマーケット今から30年以上前の昭和と平成の境の時期に想像出来ただろうか?
小生のワインの購入場所が、デパートのフェアからワイン専門店へとシフトし始めたのは90年代後半からで、小生がワインを買える店が彼方此方に増えた(discoverしていった)事の証左でもあった。
そして、この流れは90年代後半のワインブームにガチャコーン!と連結していったと思われる。21世紀に入るとここにネットショッピングが加わったのであるが、小生としては店で実際のモノを手に取って、買って運んで帰るという「儀式」を行う事が大事だと思うのと同時に、そこに高揚感を覚えるのである。


90年代後半(これだって四半世紀の昔なのだ)から東急本店では、ワイン売り場拡充という形で年がら年中一寸ずつワインフェア状態にして、上級市民のワインの聖地という形になって行った。他のデパートでもワインフェアやワインフェスティバルみたいなものは規模縮小若しくは廃止という流れが出来て行った。
そして90年代末から21世紀に入る頃になると、ワインはワインショップで買う物・専門店で幾らでも買える物となった。(当たり前といえば当たり前だが…)


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「フランスでもイタリアでも、ネットでも実店舗でも何処でも来いや!」と構えられるのは感謝すべき光栄?
左=フランスからの1例・Côte Rôtie Les Grandes Places 2005 Clusel Roch
右=イタリアからの1例・No. 3(Numero Tre)Venezia Giulia IGT 2001 Bressan
 
話は少しそれるが、ワインを学ぶにはスクールに通う事が必要と思い込んでいる御仁も多い。そんなのは、業者の宣伝に乗せられているだけで、実際に膨大な数のワインに触れて体験しないと身に付かない。日本人は学校というものにやたら縛られる様で、「同学年」「同級生」「学年ガー」「先輩後輩ガー」「〇〇学校の第〇〇回卒業」がやたら出て来るのには辟易させられる。小生も「どこのワインスクールに行っていたんだ?」としつこく詰問されて大迷惑した経験がある。

ワインの場合、スクールなんかに通うより実際のフィールドワークを積む方が余程勉強になる。スクールで教えられる事は机上のものでしかない上に、所詮は日本ソムリエ協会のご都合に合わせて決められた事である。そんな程度の事を覚えた位でワインについて体得した気になられても困る。

今迄ワインブームなるものは7回やって来ていると言われているが(諸説あり)、小生にとってそんなブームは端から存在し得ない。小生の場合は、20歳から50過ぎまで「ワインライフ真っ只中」みたいな状態がデフォルトなのだから。
首都圏のみならず、中京圏、京阪神、更にはその先でも撮り鉄+ワインショップ酒屋巡礼の旅をまだまだ続けたい小生である。




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Côte Rôtie(コート・ロティ)と聞いてそれだけで胸が何処か時めく、そんな人間は中々居ないどころか陰キャ変質者扱い。酒屋も愛好家もボルドーやブルゴーニュ、シャンパーニュばかり拝みたがる所がある。ローヌファンという変節漢を受け止めてくれるインポーターや酒屋は極めて少ない。

この記事でフィーチャーするBernard Burgaud (ベルナール・ビュルゴー)、小生も含めたローヌ・フリークなら飛び付きそうな名前で、この生産者をフィーチャーするのは2回目である。前回は一昨年の2月で1997年の物を取り上げたが、今回は1998ヴィンテージになる。
彼が父親の急死に伴いこのドメーヌを引き継いだのは1980年、当時は2haだった畑を買い増して4haまで広げたが、Côte Rôtie 以外に畑を持っていないので全部でもたかだか4haにしか過ぎない極小ドメーヌである。
それでも今やこのアペラシオンを代表する生産者の一画を占め、その名声は世界的なものと言えるレベルである。抑々そんな規模なので日本での入手は極めて難しいが、それでも一時期は複数のインポーターが入れていたが、いずれもスポット輸入の域を出ず、結局この国内では殆ど見られなくなってしまった。


今から15年位前だっただろうか?、横浜は矢向の酒屋のオヤジが勧めてくれたのがこのワインとの出会いだった。その時期はスポットで幾つかのヴィンテージが入って来ていたので、4ヴィンテージ程は買えたのだが、その後は買うチャンスすら無いに等しかった。


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さすがに新たな入手を半ば諦めていた小生だが、今年になって5月に2016ヴィンテージをネットで入手した。前回の入手から随分と年月が経ってワインの相場は当然上がってるので、それなりの値上がりはあったが、基地外の様な価格になっていなかった。狂乱物価になっていないからこそポチったのだが…。
といっても、世界はインフレが続いて日本だけ20年以上デフレという状況なのは御存知であろうが、これがワインがより「狂乱物価」になってしまう大きな要因だと考えられる。


コート・ロティの名立たる作り手達の中では、どちらかというとモダン系の作りと評される事も多いこの蔵だが、3つの区域で獲れた Syrah 種100%を完全に除梗。30~33度の温度帯で2週間程度掛けて醸して、その後アリエ(Allier)産オークのBarrique (バリック=小樽)・新樽比率20%で15か月程熟成してボトリングしている模様である。生産本数は凡そ15000~20000本程度と推計されている。

ワインのインプレッションに入って行く。先ず、色を見ると全体的にガーネットだが意外と暗め、深度も結構ある。ルビーパープルは殆ど残っていない。
1層目のエレメンツとしては、野苺ブラックチェリーラズベリー、クランベリーシャンボールリキュール
続く2層目は、ブルーベリー赤スグリ煎ったカカオ(中南米系)、黒文字、リコリス、カユプテ、丁子、黒無花果ハスカップ山査子リエージュシロップコケモモ
更に3層目で、スターアニス、Earl Grey、ラプサンスーチョン、ジュニパーベリー、ミントローズマリー昔のFernet系BénédictineAngostura野薔薇花椒乾燥セップ茸乾燥ポルチーニオレガノ、トリュフという辺りが微かに出て来る。



ピーキーな所は無く、なだらかで綺麗なグラデーションを形成している。端正でまだしっかり締まっている。タンニンや酸もまだ結構しっかり主張してはいるものの、アフターもフィニッシュも尖った所は無い上に良い丸さが出ている。一見中庸な感じにも見えるが、最初から最後まで抜けは割と良い感じで、質感は一見凄くはないように思えるが、良く感じてみるとやっぱり結構凄いと思える。
かなり高次元でバランスの取れた躯体であるのは間違いない。


1998というと、このアペラシオンに於いて作柄は凄く良いわけでは無い、隣接する1997や1999に比べると埋もれてしまうかも知れない。更に、この年はローヌでも南部の出来が極めて良いとされ、これに対し北部は割を食った感がある。でも、一寸待って欲しい(LOL)
この脇役達に恵まれたエレメンツを持ったワインは、ひょっとしてひょっとしたらまだ熟成での更なる高みに行く前段階で、メタモルフォーゼ前夜という所なのだろうか?


採点結果は…、18.5 / 20


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Paul Jaboulet Aîné(ポール・ジャブレ・エネ)のHermitage La Chapelle というと、90年代まではJean Louis Chave(ジャン・ルイ・シャーヴ)やChapoutier(シャプティエ)等と共にHermitage(エルミタージュ)の巨頭と呼ばれたが、15年程前に身売りしてボルドーのChâteau La Lagune(シャトー・ラ・ラギューヌ)を所有するベルギー人のJean Jacques Frey(ジャン・ジャック・フレイ)及びその一族の所有となり、娘のCaroline Frey(カロリーヌ・フレイ)がPaul Jabouletの指揮を執る。

この蔵の歴史は1834年に遡るが、初代Antoine(アントワーヌ)の後、その双子の息子Henry(アンリ)とPaul(ポール)が引き継ぎPaul Jaboulet Aînéという形にした。その後はLouis(ルイ)、Jean(ジャン=ルイの弟)という具合にジャブレ一家の下で操業を続ける。ローヌワインの一大レジェンドとなった1961年ヴィンテージはルイの時代の物である。Hermitage La Chapelleで所謂パーフェクトワインは1961、1978、1990の3つのヴィンテージである。これら以外でも怪物の様なそれこそ魂をブチ抜かれる様な作品は幾つも存在する。

90年代に入るとGérard(ジェラール)の弟で共にメゾンを牽引していたJacques(ジャック)がスキューバダイビングの事故で働けなくなる。そして1997年にジェラールが55歳で急死するとリーダー不在の状態に陥り、世代交代にも失敗。ここから経営悪化が本格化する。そしてそこから10年も経たずに身売りである。
ポール・ジャブレを離れた元当主のNicolas Jaboulet (二コラ・ジャブレ)は2007年から、Beaucastel(ボーカステル)でお馴染みのPerrin(ぺラン)一家にくっ付いてMaison Nicolas Perrin(メゾン・二コラ・ぺラン)というネゴシアンをやっている。
(Nicolas Perrinとしての最初のHermitage=2006も飲んだ事があるが、ハッキリ言って大した事は無かった。並の波程度でワロタ)


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ここからはワインのインプレッションに入るが、色の話からすると、25年という割に色は若い。僅かにルビーパープルも残っている、ガーネットにはなり切っていない。色の濃さも深度も結構ある。
出て来たエレメンツを列挙して行くと
黒文字、楠、丁子、スターアニス、リコリス辺りがいきなり先行。そこから少し遅れてカシスブルーベリーシャンボールリキュールブラックチェリーが恰も真打の様に登場。
更に続いて出て来た脇役達はBénédictineJägermeister、Earl Grey、キームンティー、ハスカップエルダーベリー、竹炭、シーダー杉、檜、紫無花果プルーンリエージュシロップ
そこから更に出て来たものは、コリアンダーシード、カユプテ、セルリアック花椒乾燥セップ茸、トリュフ


全体的躯体を俯瞰して見ると、何処となく昔のボルドー(殊にRive Gauche)を想起させる所が結構感じられ、そこも含めて流石のHermitageだと思う。少なくとも言えるのはCôte Rôtie(コート・ロティ)とは明らかにベクトルが違うという事。勿論Cornas辺りとも違う独特のベクトル感である。此奴も正当なHermitageだと言えるだろう。

酸もタンニンもまだまだ全然しっかりしている。このクラスのワインなら普通に当り前でなければならない筈の事が有難く素晴らしく見えてしまう。何かが圧倒的という所はないが、総体的にまだまだ全然boldで、且つ端正に締まって見える、美しい。無論静かでも長い、フィニッシュに掛けて凄く盛り上がるとかいう訳で無いのは残念に思う部分もあるが、しっかり溶け込んだ一体感はガッチリ主張して長い。ワインとしての質感も文句なしどころかスゴイに近いが、それでもこの状況は蛹化以上だが羽化以下という所か?

嘗ての名門も今は色々な意味ですっかり変わってしまったが、超逸品だったHermitage La Chapelleが辛うじて昔の懐かしいその姿であった最後の作品かも知れない。(テイスティングは今年5月)

最後に採点結果を言うと… 18.5/20



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今回登場するCave des Clairmonts(カーヴ・デ・クレルモン)という生産者、マイナー過ぎて情報が本当に少ない。聞く所によると地元の協同組合に参加する生産者らしい。それは1972年に3つの生産者が立ち上げた協同組合らしく現在は14の生産者が加入する程になったという事で、ここもその中の一つだとか。このボトルとの出会いは恵比寿の某所。
Crozes-Hermitage Cuvée des Pionniers(クローズ・エルミタージュ・キュヴェ・デ・ピオニエ)なるワインは Crozes-Hermitage の中のChâssis(シャシ)という区画の古木のSyrah から作られるらしく、そこは非常に痩せた土壌だが葡萄は丸い小石に護られているという。
葡萄は収穫後、除梗されて色素とタンニンの抽出を優しく行うべく18~21日間かけてマセラシオンを行うが、その間にピジャージュとルモンタージュを日々行う。その後の樽熟は12カ月掛ける。まぁこれに関してはこんな所である。


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能書きはこれ位でちゃっちゃとワインのインプレッションに移る。

先ず色を見ると、少し暗めの鮮やかなガーネットだが色だけ見ると27年という割に若く見える。

拾い出したエレメンツをざっと挙げて行くと…
湿式葉巻、腐葉土、セミスウィートチョコ焼き立てのバゲットエスプレッソを第1のレイヤーとして
続いてはラズベリー古い刻み煙草、カラメルスタウト、プチグレインアロマ、ティートゥリー
3段目としてブラックチェリー、ブラックベリーハスカップ、煮詰めた黒葡萄、トドマツアロマ、Bénédictine
更にラヴェンダー八角、アニス、オールスパイス


トーンは全体的に暗いが、北のSyrah に欲しい要素はほぼ満たしていると思う。しっかりした酸とタンニンがボディを裏付ける。熟成した果実味と溶け込み感が非常に心地よい。なかなか甘美な液体に仕上がっている。意外と迫力もある。


最近まで蔵の中にあった事も(一見して明らか)あってか、まだヘタる事無くあと数年は楽しめるであろう。フィニッシュ~アフターも割と静かだが結構長いと来ている。


Crozes-Hermitageでこの出来とは全く侮れないどころか、腰抜かすヤツだっているかも知れない。小生も期待以上でビックリと同時に、これで除梗しているというのだから更にビックリ。ローヌの奥深さを思い知らされた気がする。(テイスティングは2020年6月)

採点結果発表… 18 / 20 もうこれ位遣ってもイイ!



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Côte Rôtie (コート・ロティ)でもモダン系の作り手と言われるBonnefond (ボンヌフォン)。今は西宮にあるミルコート(Bonili Japan)が千里丘にあった時代(ガチでMille CôteだったLOL)に静かに売られていてお勧めになっていたので買ったのが馴れ初め。
1955年に1haの畑から始まった。ドメーヌの拡張は1980年代初頭にCharles Bonnefond(シャルル・ボンヌフォン)が行った。80年代は葡萄をネゴシアンに売っているだけだったが、1990年までに部分的にはワインの自家醸造元詰を行う様になる。
1990年からは代替わりしてPatrick とChristophe のBonnefond 兄弟がドメーヌを仕切る様になり、95年までにはCôte Rôtie で5.5haの畑を持つようになる。それが今は7ha弱まで拡大している。
収穫は遅めにして熟度を最大にするやり方をしている様だ。土壌は鉄分豊かなシストで、平均樹齢は凡そ30年。発酵はタンクで行い、その後のMLF は40%を樽で残りはタンクに残して行う。Côte Rôtie で作る3種類のワインはSyrah 100%で、葡萄は全て除梗。


因みに、今回出て来る Les Rochains(レ・ロシャン)という畑は有名な La Landonne(ラ・ランドンヌ)のすぐ隣の区画で、Brune (ブリュヌ)区域を代表する区画の一つである。新樽使用率は25%、400リッターの樽で熟成を掛けて瓶詰している。年産は300ケース程であり、Bonnefond 兄弟の一番のお気に入りだという事である。

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ボンヌフォンが誇るこのワインのインプレッションに移る。先ずは色だがルビーパープルも結構残ったガーネットで少し暗い。そしてこの時点で少し厭な予感はしていた。
エレメンツを拾い出して分析すると、その「厭な予感」は的中


先頭に来たのは黒胡椒、カラメル。その後程無くしてブラックベリー並びビターチョコが圧倒する展開が結構長く続く。こういうのが小生はイライラする。
そしてその後漸く隙間を縫うようにブラックチェリー干した黒葡萄ラヴェンダーcrème de cacao、フェヌグリーク、シナモンシャンボールリキュール、といった辺りが出て来る。
もっと色々と展開があるのかと思ったら、そこからの変化は殆どなくモヤモヤと終わってしまった。


剛直といえば聞こえはイイが、正直言って単調さが拭えない。タンニンの特に甘苦さが目立つが、主だった要素は足りない訳では無い。そして酸もそれなりにしっかりある。
ただ、溶け込み方が今一つで何処かまだバラバラに主張している所があるとしか思えない。余韻だって決して短くはない、良いレベルだ。
でも結局物足りないしバランスが不満な上に、どこか「ニューワールド臭」までする


これはこの作り手がデビューして10年位の作品。それから時を経た近年のヴィンテージだと作りが変わっている可能性はあるが。

いつもの様に採点してみると、17 / 20 せいぜいこんな所



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