Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:ブルゴーニュ

クソ暑い7月だというのにBeaujolais Nouveau(ボジョレー・ヌーヴォー)の話なんて気が早すぎると言うかも知れない。
この新酒は1980年代から日本では不思議と崇め祀られてきた。世界の主要国の中で単に時差の関係で一番早く解禁されるという事で、世界で一番乗りとバカ騒ぎ
以前の記事でも書いたが、約35年前のこの国も高級ワインブームがあったとはいえ、ワインのマーケットとしては未発達の非常にお寒いもので、ボジョレーヌーボーなんて言っただけでワイン通なんて呼ばれてしまう、そんなレベルだった。「新酒でバカ騒ぎする」と一度決めたら、変える事無く馬鹿の一つ覚えになってしまっても、忠実に続けるという日本人の愚かな悪癖が此処にも見て取れる。


11月に航空便で入って来るボトルの値段は最低でも2500円、物によっては4000円を超える物もザラ。10月位になると予約販売で煽って売り付けに来る酒屋も多い。Beaujolais Nouveauなんて所詮はたかがBeaujolais、本来はただの安い地酒、煽ってまで売る価値なんか無い物である。
こんなインフレになる前は、現地では安い物なら5€程度、高い物でも10€+α程度だった様な記憶がある。
日本にやって来るボジョレー新酒は結構イイ値段になるが、あの価格の内、かなりの部分は航空便の運賃と保険代なので、原価なんてタカが知れていた。昔はクリスマスの頃に船便のボトルが入って来て、コッソリ航空便の半額程度で売られていた事もあった。人気を煽る為の宣伝費も結構なものであろうし、それもキッチリ乗せられている。


regnie2k13decb01
Cru de Beaujolais、例えばこのRégnié(レニエ)だってやっぱり10年前後は見た方が良いか

色々言っても、ボジョレーをバカにしてはならないのも事実で、我々が一般的に思うBeaujolaisの範疇を超越したヤツは幾らでもある。
Gamay種を侮ると痛い目に遭うし、高級品のCru de Beaujolais(クリュ・ドゥ・ボジョレー)に入る10区域のワイン、更にそれ以外のボジョレーでも、侮れないワインはある。10年以上平気で熟成するワインも多いのである。
余談だが、Cru de Beaujolais10区域は以下の通り。Régnié・Saint-Amour・Chénas・Chiroubles・Côte-de Brouilly・Brouilly・Fleurie・Julienas・Morgon・Moulin à Vent


ボジョレーのワインの内、ヌーヴォーの割合は30%前後にも達する。ヌーヴォーは超早く換金が出来る、作る上でも手間が多少省けるとなれば、生産者サイドでも具合が良い。日本などで持て囃してもらえていい商売にもなるという事ならヌーヴォーが30%というのも仕方がない。

ある酒屋から聞く所だと、今年のボジョレー・ヌーボーは「駄目っぽい」という。
ダメなのは作柄云々ではなく航空運賃の問題。航空運賃が2.5倍に跳ね上がっている様だ。基本航空運賃は重量に対して掛かるものだが、プラスチックボトル等を採用して重量を抑えたとしても高騰した運賃分を吸収するのは無理だという。然るに、ボジョレー・ヌーボーの必要コストは高くなって販売価格も大きく上がる破目になる。これってロックダウンばかりやっているアタオカなチュウ獄狂惨盗とあのホワイトハウスに寄生するヴォケ爺の責任は重いだろう。

今年はBeaujolais Villages Nouveauクラスでも5,000円を越える物が続出する可能性が高いらしく、そこはいくら良いワインでも販売価格には限度があるので、インポーターが今年産の取り扱いは中止するというケースが出て来る模様である。そこには更に「買い負ける」というケースも続出する可能性もあるだろう。たかがヌーヴォー高級品のCru(クリュ)より高いという逆転現象がデフォになってしまうかも知れない

新酒を楽しまなければならないという法律がある訳ではない、新酒を楽しむにもボジョレーだけではない。新酒は他の産地で幾らでもある。ボジョレーでも新酒に捉われず通常の物にじっくり向き合う方がそれこそサステイナブルである様に思う。
毎年11月にヌーヴォーで騒いで煽ってそれで終わりというのはいい加減にやめて本質的な部分にじっくり迫って付き合う方向にシフトしないと、大和民族自体までドンドン堕落して滅んでしまう気がしてならない。Beaujolais Nouveauにはこちらから「OUT」を宣告してやったらイイ!


序に朝〇新聞には「OUT」どころか死刑を宣告したらエエわ!



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

銀座の国道15号は時折通る、銀座でショッピングする事も月に1度位はある。小生は東京でも都内出身という事もあって、銀座は結構慣れ親しんだ場所で、同時に大変思い出深い場所でもある。銀座のある所を抜きにして小生のワインライフは語れないのであった。
小生にとってワインとの付き合いは30年を超える。小生がワインと邂逅し目覚めだしたその時はバブルの時代であった。
その時、高級ワインブームがあったとはいえ、ワインのマーケットとしては未発達のお寒いもので、ボジョレーヌーボーなんて言っただけでワイン通なんて呼ばれてしまう、そんなレベルだった。バブルの中、美術品や車と同じ様に「転がして」=転売して財テクする物だと本気で思い込む奴等も多かったのが現実だった。
信じられないかも知れないが、「ワインはレストラン以外では飲んではならない」「ワインは上級市民の物」なんていう訳の分からんhorse-stagな話まであった。これはレストラン業界と結び付いた奴等のポジショントークから広がったという疑惑がドバドバドバドバ…、なのだが。


バブルの日々、酒で言えば成功と富の象徴が、伝説の「ピンドンコン」だった。大きなブランデーグラスにクラッシュアイスを入れて、その上からピンドン=Dom Pérignonのロゼ、そしてCognac(主にHennesy又はRémy MartinのX.O.クラス)。これを銀座・赤坂・六本木辺りの夜の店で御姐ちゃん達を侍らせてオーダーするというのが、成金のアイコンの一つであった。
30年前と今ではピンドン
コニャックも味が全然違うので、その時の味は殆ど再現出来ない。コニャックのその時代のボトルが何とか手に入ってもドンペリはほぼ不可能。

ワインに出会った小生が最初にワインのレッスンを受けたのは、デパートのワインフェアである。ワインフェアと言っても春と秋の年2回、催事場を使って大々的にフェア(セール)を行っていたのである。これを古くから行っていたのが銀座の松坂屋八重洲の大丸だった。その後に東急本店小田急ハルクが加わった。
小生にとってワインライフの原点の一つが銀座松坂屋のワインフェア=世界のワインフェスティバルだった事は論を待たない。これがあったかこそ今のワインラヴァ―の小生があり続けられるのである。
銀座松坂屋は銀座で最初のデパートだった、土足入場も初で、屋上に動物園があったり、制服を100%洋装にしたのもこのデパートだった。


どうでも良いエピソードで恐縮だが、1994年10月29日、長嶋巨人が西武を倒して日本一の胴上げをしたその時は、世界のワインフェスティバルでワインを買っていて、日本一の吉報は松坂屋のパーキングビル内のTVモニターを見て知ったのだった。

そんな時代から25年以上が経った今、実店舗・ネット通販を問わず「ワイン専門店」・「ワインショップ」を名乗る店が掃いて捨てる程存在している。昔のあの当時とはエライ違いである。20歳の頃から、しかも30年以上前の時代、その時点でワイン愛好家への道を進んでいた小生は「世界を逸脱した」存在だった。そして、それを支えてくれて、いろいろ勉強する機会を与えてくれた場所の重要な一つが銀座松坂屋だったのだ。感謝しかない。
90年代後半から銀座松坂屋にワインを買いに行く事は無くなったが、2013年に閉店となった際には思い出の場所が消えるという事に一抹の寂しさは禁じ得なかった。Nothing Stays The Same.という事だから仕方が無いが…。

r15gsix01
小生のワインライフの原点だった銀座松坂屋は2013年閉店、今はGINZA SIXに変わっている。


世界のワインフェスティバル」が追憶の彼方に去ってしまった21世紀の今でも、銀座は大小のワインショップがひしめいている所ではある。先日も7丁目にあるSpain Club(スペインクラブ)のgourmeteria y bodega(グルメテリア・イ・ボデガ)でシェリーの高級品を購入したばかりである。

小生も20台前半の頃なんていうと、本を立ち読みして得た様な僅かな知識しか持っていなかったが、幸運にも前述のワインフェア等のイベントで、そこに集う愛好家達の中である時は教官、又或る時は師匠にもなってくれる様な、そんな仲間に出会う事が出来た。そこで色々と実践的なレクチャーみたいなものを授けられて、沢山の知識も教えて頂いた。それだけでなく、結構「ごっちゃん」にもなったものだった。今から思えば、かなり良い基礎を叩きこんでもらえたものだと思う。

30年前の時代、そんなイベントで売られていた品というとその大部分がボルドーで、ブルゴーニュその他は添え物程度だった。Robert Parker Jr.(ロバート・パーカー・ジュニア)の「Wine Advocate」(ワイン・アドヴォケイト)なんかが日本でも紹介されて(1978年にアメリカでスタートして約10年後)、恰もバイブルの様に扱われ始めた時代が約30有余年前という事である。尚、ブルゴーニュが日本でメジャーになったのは90年代半ば以降だろうか?
1990年代前期~中期の専門店・デパート等で行われていたワインセールのプライスリストを保存していたのを見返してみた事があった。その衝撃の内容にはビックリ!であった。
例を挙げれば…、今では平気で100,000円に届く物が10,000円そこそこで売られていたり、今は普通に2,000,000円は下らないRomanée-Contiが「正規品」なら150,000円程度、やはりこちらも1,000,000円コースに乗ったLa Tâcheだって、その時は50,000円位で売られていた事も実際にあった。
多くの物では大体が1桁違って、総体的に今の相場の1/3~1/8位だったと思ったら良い。あの時代を知らない若い世代が見たら信じない話であろう。
その時代からインフレーション基調の世界に背を向けて、デフレーションを長い事続けて来たのが日本という国なのだ。国の借金ガー、プライマリーバランスガー、財政破綻ガーで緊縮財政ばかり続けて来た結果がこのザマ。


フランスワインではBordeaux・Bourgogne・Champagne・Loire・Rhône・Provence・Alsaceその他、それに加えてイタリアスペインドイツその他諸々の欧州各国、更に所謂新大陸各国や日本という所のワインが鎬を削っていて、世界各地の銘醸ワインが手に入るという今の日本のマーケット今から30年以上前の昭和と平成の境の時期に想像出来ただろうか?
小生のワインの購入場所が、デパートのフェアからワイン専門店へとシフトし始めたのは90年代後半からで、小生がワインを買える店が彼方此方に増えた(discoverしていった)事の証左でもあった。
そして、この流れは90年代後半のワインブームにガチャコーン!と連結していったと思われる。21世紀に入るとここにネットショッピングが加わったのであるが、小生としては店で実際のモノを手に取って、買って運んで帰るという「儀式」を行う事が大事だと思うのと同時に、そこに高揚感を覚えるのである。


90年代後半(これだって四半世紀の昔なのだ)から東急本店では、ワイン売り場拡充という形で年がら年中一寸ずつワインフェア状態にして、上級市民のワインの聖地という形になって行った。他のデパートでもワインフェアやワインフェスティバルみたいなものは規模縮小若しくは廃止という流れが出来て行った。
そして90年代末から21世紀に入る頃になると、ワインはワインショップで買う物・専門店で幾らでも買える物となった。(当たり前といえば当たり前だが…)


crlgp2k5cruroc01  num3bres2k1a
「フランスでもイタリアでも、ネットでも実店舗でも何処でも来いや!」と構えられるのは感謝すべき光栄?
左=フランスからの1例・Côte Rôtie Les Grandes Places 2005 Clusel Roch
右=イタリアからの1例・No. 3(Numero Tre)Venezia Giulia IGT 2001 Bressan
 
話は少しそれるが、ワインを学ぶにはスクールに通う事が必要と思い込んでいる御仁も多い。そんなのは、業者の宣伝に乗せられているだけで、実際に膨大な数のワインに触れて体験しないと身に付かない。日本人は学校というものにやたら縛られる様で、「同学年」「同級生」「学年ガー」「先輩後輩ガー」「〇〇学校の第〇〇回卒業」がやたら出て来るのには辟易させられる。小生も「どこのワインスクールに行っていたんだ?」としつこく詰問されて大迷惑した経験がある。

ワインの場合、スクールなんかに通うより実際のフィールドワークを積む方が余程勉強になる。スクールで教えられる事は机上のものでしかない上に、所詮は日本ソムリエ協会のご都合に合わせて決められた事である。そんな程度の事を覚えた位でワインについて体得した気になられても困る。

今迄ワインブームなるものは7回やって来ていると言われているが(諸説あり)、小生にとってそんなブームは端から存在し得ない。小生の場合は、20歳から50過ぎまで「ワインライフ真っ只中」みたいな状態がデフォルトなのだから。
首都圏のみならず、中京圏、京阪神、更にはその先でも撮り鉄+ワインショップ酒屋巡礼の旅をまだまだ続けたい小生である。




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

今年初のワインの記事となるが、5月から飲酒は再開となってワインも飲みだした。
今回はブルゴーニュでもクラシックな作り手として名高い George Mugneret (ジョルジュ・ミュニュレ)の作品を紹介するが、この板では2回目(多分)。
George Mugnuret、その名は1988年に 59歳で死去した先代で、その死後は Marie-Christine(マリー・クリスティーヌ)、Marie-André(マリー・アンドレ)という 2人の娘に引き継がれて今に至る。Mugneret は Vosne Romanée では何世代にも渡って見られる名門というべき名前である。このドメーヌは先々代に当る André (アンドレ)及び Jeanne (ジャンヌ)の Gibourg (ジブール)夫妻によって1933年に創立され、その一人息子で薬剤師をしていた George に引き継がれ彼の名を冠する様になった。
ピュアで繊細にしてトラディショナルなワインを目指すという素晴らしいプリンシプル(principle)を貫いているのは間違いない。先々代の時からの畑は Mugneret-Gibourg (ミュニュレ・ジブール)を名乗り、先代はGeorge Mugneret を名乗っていたが、2009年ヴィンテージから統合され、Geroge Mugneret Gibourg(ジョルジュ・ミュニュレ・ジブール)となった。


ruchamb2k01geougn01
このワインも黄色っぽいエティケットが懐かしい。(現在は白地の物を採用)15年程度前に購入したと思うのだが、その時の相場は今と比べ物にならないほど安く、笑ってしまうレベルだが、その当時はコイツも8000円台だった様に記憶している。
現在、この作り手の特級(grand cru)に至っては¥50000に迫る等、草も生えず不毛としか言い様がない所までゴ~~ンぬっという訳である。


色は薄旨的な色の典型でクリアな大人しい感じのガーネット。くすんだ感じが微かにあるが、色調は明るめ。
拾い出せたエレメンツを挙げて行くとこうなる
第1の集団として、リコリス野薔薇、野苺、ラズベリー、赤スグリ、クランベリー、ハイビスカスティー煎ったカカオ(中南米系)ルバーブ桑の実Griottineコケモモタイベリー
サブになるものの一団は、Bénédictine、Jägermeister、Armagnac、ニルギリティー、キームンティー、黒文字、シナモン、フェヌグリーク、ハスカップブラックチェリー、プルーン乾式葉巻山査子
更にその下にはAmaro系リキュールスミレビターチョコ、楠、クコの実ドライデーツ


きめ細かいタンニンは結構大人しく見えるが、その代わりというか酸が強めに主張して全体を締めてくる。酸に締められてはいるものの、その酸がアフターまでを形成する。さすがはクラシックスタイルの厳格さがありながらシルキーなBourgogne という所か?その酸は旨味をシッカリシームレスに乗せているのが明らかで、更にそれに引っ張られる様なアフターはやや静かだが確実に非常に長い。特級(grand cru)にしては細く感じるかも知れないが、2001というヴィンテージの性格とこの生産者のスタイルがマッチしている結果と考えられる。

溶け込み感と旨味感が前面近くに出て来るのにはそれなりに時間が掛かると思った方が良い。酸が長くて美しい上に力を確実に感じさせる。厳しいながらも優しさ華麗さシルキーさそして抜ける様な青空の如きクリアネス・美しい海の様な深さがある様に見える。
(テイスティングは2021年5月)



本当に久し振りとなるスコアリングの結果だが…、18 / 20



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

今回フィーチャーする René Engel (ルネ・アンジェル)を覚えている方々はどれだけおいでだろうか?
ワイン好きを自称されている様な御仁から、その道のプロという御仁まで含めて、ブルゴーニュワインに対する知識をある程度以上持っておられないとこの名前は中々直ぐに思い出されないであろう。何せ、この生産者は15年前に消えてしまったのだから。
1910年に創設されたこの蔵は Vosne Romanée(ヴォーヌ・ロマネ)に本拠を置いていた。創設者は勿論 René Engel 氏だが、この生産者をスターにしたのはその孫に当る Philippe Engel (フィリップ・アンジェル)氏である。フィリップが蔵を継承した1980年代以降は特に目覚しい活躍で高い人気と知名度を博していた。
所有する畑は総計で6ha程と規模としては非常に小さいものだったが、Clos-Vougeot(クロ・ヴージョ=1.37ha)、Grands-Echézeaux (グラン・ゼシェゾ=0.5ha)、Echézeaux (エシェゾー=0.5ha)という特級畑 3箇所、しかもそれぞれ最上級の区画を持っていた


2005年、この生産者を突然の悲劇が襲いその歩みが絶たれてしまった。この年の5月に休暇でタヒチを訪れていたフィリップが心臓麻痺に襲われて急死したのであった
ドメーヌは廃業となりその 6haの畑はFrançois Pinault (フランソワ・ピノ)率いる Groupe Artémis (グループ・アルテミス)に13億ユーロ=当時のレートで約19億円で売却された。これを受けて Château Latour やあの Gucci や Yves Saint Laurent を抱えるこのグループによってDomaine d'Eugenie (ドメーヌ・ドゥジュニ)が造られて今に至っている。



cvou99rnengl01
ここからはワインのインプレッションとなる。
最初に色だが、中間的な深さだが澄んだ感じのガーネットでエッジに少しレンガ色が入る。これだけなら非常に期待出来る感じに見える。


拾い出したエレメンツを挙げて行くと…、
先ずはリコリス黒文字鞣革、トリュフ、腐葉土、夏の土、乾燥したモリーユ、丁子、煎ったカカオ高級肉まんの中身シナモン
その後出て来たものとしてはプラムブラックチェリーハスカップ古い時代のFernet 系アマーロ系Bénédictine、薫茶
ローレル(生)ラズベリー焼きたてバゲットセミスウィートチョコ、Kirsch、ラヴェンダー野苺


香味のトーンが総体的に暗い。20年の熟成を経ている事もあって熟成によって顕在化したエレメンツが表に立って来ている印象。
ボディの厚味は結構なもの。酸に不足感はないがキレ上がってくる感じは今一つで、バックラインでの主張も思った程強くはない。1999という年の感じが強く出ている気がする。



妙な断層はなくシームレスな躯体を見せてくれるものの、タニックな所が目立つのも事実。若さと固さもまだ見出される。
そうはいってもしっかりした美しい溶け込みでパワーは完全にグランクリュという事なのだろうか。ただ、後半終盤フィニッシュにかけての盛り上がりと吹け上がりが少々弱く見えてしまう。酸のパワーが少し不足気味だからであろう。
そうは言っても時間経過と共にトーンは少し明るくなってしかもアフターはかなり長い物に変わるが、何しか本当の美麗さに少し欠ける様な印象。極めて誠実に作られた濃密なワイン、これこそがアンジェルの武器だったのだが、小生の期待が大き過ぎたのだろうか。

Clos-Vougeot はその畑面積が50ヘクタールを超えるから、偉大なものからへなちょこまで格差がデカいのだが、ここのワインは勿論偉大な方に入るどころかトップクラスだったのは間違いない。

最後にスコアリング結果の発表…、少々迷ったが結局 18 / 20



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 酒ブログ ワインへ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

Henri Perrot-Minot (アンリ・ペロ・ミノ)、要は Domaine Perrot Minot (ドメーヌ・ペロ・ミノ)
その本拠は Morey-St.-Denis (モレ・サン・ドゥニ)で、現当主の Christophe(クリストフ)で4代目になる。3代目の Henri によって Domaine Perrot-Minot として興されたのは1973年、クリストフに継承されたのが1993年だった。継承した畑からのワインにはアンリの名が付き、93年以降に購入した畑からの物はクリストフの名で売っていたが、2005年からは Domaine Perrot-Minot に統一した。今回登場するのは先代から所有していた1級畑からのワインで、畑自体は村の中心に接する細長い所である。因みに他の生産者でこの MSD La Riotte が有名なのは Hubert Lignier (ユベール・リニエ)、Taupenot-Merme (トプノ・メルム)という辺り。



msdrio99permi01
この作り手は、90年代は凝縮感を売りにするスタイルだった。(当時の圧倒的な流行りでもあった)この1999VT のワインもそういう作り。2000年代以降は作りの方向性が変わったとされる。


色はBourgogne としてはかなりダークでくすんでいる。
丁子、セミスウィートチョコ、リコリスがお出迎え
ブラックチェリー、ブラックベリー、ハスカップ、シャンボールリキュール、そして鞣革、堆肥
酸よりタンニンの甘苦さが目立つというブルゴーニュワインとしてはやや異例な展開。それも時間と共に変化するかと思ったが、なかなか変化しない。兎に角甘ったるいフィーリングが延々と続いてしまうのには参った。
遅ればせながら苺ジャム、ラズベリー、クランベリー、野薔薇Bénédictine
返りの中からプラリネ、生キャラメル
時間が経っても基本的なバランスは変化せず、やや鈍重なフィーリングに徹してしまった。結構な値段出して買ったのにこれかよ(怒)というより他はない。アフターに向かっての盛り上がり・伸びやかさが然程感じられない。



酸のプレゼンス自体は時間経過と温度上昇によって少し回復したが、ブルゴーニュとして欲しいレベルに達していない。構造の維持を凝縮感に頼ってしまう感が強かった。以前、この蔵について「濃いけど余韻が短くてどこか雑な造り」という批評は彼方此方であったが、それが見事に当った様なボトルであった。
21世紀に入ったからのペロミノと比較するには良いのかも知れないが、今世紀に入ってからのこの蔵のワインは異常な値段であるから現実的ではない。


スコアリングは仕方なくしたという感じにはなったが、16.5 / 20
まぁ、こんな程度だろう。




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 酒ブログ ワインへ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ