Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:イタリアワイン

今日の記事はまたまた御馴染の、「最近のPostから」。これで拾七=17回目になる。毎度の事ではあるが、必ずしもPostした原文通りではなく、一部に添削加筆がなされている事は御了承賜りたい。
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◎連接式Post=10月21日
ここの所、著名人の訃報が続いている。
財津一郎(財津永栄)氏=享年89歳。名脇役として幅広く活躍。出世作の「てなもんや三度笠」で出したギャグ「キビシーッ!」や「チョーダイ!」は流行語にもなった。新三共胃腸薬やタケモトピアノのCMも有名だった。(続く)
(続き)谷村新司氏=8日死去・享年74歳。御存知、アリスのメンバーとして、ソロでも活躍。アリスでデビューして去年が50周年だった。ミュージシャンとしてのみならず、ヴァラエティ司会者、ラジオパーソナリティその他でも活躍、モノマネの対象としても勿論凄かった。


ORICON NEWSへのquote=10月24日
BUCKTICK、そのデビューは1987年なので昭和。櫻井敦司氏も57歳だった=小生と同世代。この世代の著名人で死因が脳幹出血というと、橋本真也氏(2005死去)を思い浮かべずにはいられない。脳の病気を経験している小生としては、身につまされる部分がある。Rest In Peace…

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◎=10月27日
只今、「活動終了」というのがトレンド入り。
此奴等は即刻活動終了してほCンゴねぇ~
岸田文雄、稲田朋美、自民党、脱糞民主党、共産党、立浪和義、チュニドラ…、挙げればザクザク出まくってキリねぇわ、アヒャヒャヒャ(゚∀゚)アヒャ


こいつらを忘れてはならない!この事件を風化させてはならない! bot版へのquote=10月27日
この爺(上級爺の飯塚幸三)も80辺りでくたばってりゃ、こんな事にならずに済んだ。90年100年生きていていい様に人間は出来ていないのは明らか。老害は百害あって一利なし。どこぞのJBとかいう大統領もタヒんでどうぞ!
と言いたいが、Kamala Harrisとかいうゴキブリが大統領に昇格するのはマズ過ぎ。(あちゃ~('◇')ゞ)


◎連接式Post=10月28日
イタリアのピエモンテ州にAgienda Agricola Lo Zerbone(アジエンダ・アグリコラ・ロ・ゼルボーネ)というワイン生産者があった。Fabio E. Somazzi(ファビオ・ソマッツィ)氏が2003年に起業した。15年程で儚く消えた蔵だが、Dolcetto種から恐ろしいワインを作っていた。(続く)
(続き)高名でもブランド価値が高いわけでもない。でもLo Zerboneのワインを明らかに上回る物を作れる生産者がピエモンテ州でもどれだけ存在するのか?、そんなに多くはないだろう。
小生、この儚く消えた蔵の名を忘れはしない。そしてこれだからワインがやめられない。

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Lo Zerboneの赤ワイン2種

◎=10月30日
28日=横浜ビブレNiigo広場、29日=ゆかり堂まつり(永福町オータムフェスティバル)
先週末の小生は結局纏めると、「小出美里スペシャル」になったか。SDXCをチェックしたらショット数が1000超えた。ここから先ず使えるものを取り出して、整理するだけでも大変。


事件速報(@tokyoaccident)へのquote=10月31日
戸田中央総合病院で銃撃事件→蕨の郵便局に立て籠る。戸田・蕨ともあの川口に隣接する町、蕨は「ワラビスタン」と揶揄される。何ちゃらスタンと名の付く国から入り込んでいる者が多い。
◎=10月31日
蕨郵便局の事件現場にあの煉獄コロアキ(杉田一明)が凸したが、失敗したらしい。お~ん、そらそうよ!
もうすぐ41になるというのに、アホ過ぎ~!馬鹿に付ける薬はないとはこの事?


◎=11月1日
アメリカ時間というのがトレンド入り。XTwitter Circle機能がアメリカ時間の11月1日0時に廃止されるらしい。アメリカ時間といっても本土だけでUTC-5~-8まである。日本時間はUTC+9なので、日本より14~17時間遅れている事になる。これがサマータイムになると時差が1時間縮まる。


ORICONNEWSへのquote=11月1日
あぶない刑事、小生もリアルタイムで再放送で観ていたが…
2023年の現在、柴田恭兵=72歳舘ひろし=73歳浅野温子=62歳仲村トオル=58歳(敬称略)
帰ってきたはイイが、この方々の体は動くのだろうか?、そこは非常に心配。


921さんへのquote=11月1日
会津若松市で80歳女性が頭から血を流し倒れているのが発見され、その後死亡が確認された。当初はツキノワグマの仕業とも見られたが、後に轢き逃げと分かった。熊は冬眠前で餌探して人里に出易い時期だろうが、そこを間違えるか?


◎=11月1日
JR貨物JA全農は、「2024年問題」へ対応すべく、米専用列車全農号」の定期運行を開始するとアナウンス。初列車は5日夜に八戸を始発して日本海縦貫線を途中数か所に寄りながらひた走り、6日夕方に大阪の百済貨物駅まで米500トンを輸送する。
やい!立浪和義!何か言う事あるか?

列車のイメージ↓
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◎=11月2日
日本酒造組合中央会主催で行われた第42回全国きき酒選手権大会(アマチュア対象)で採点ミスが発覚。優勝以下入賞者は殆ど全員取り消し。主催者側は採点をやり直し新たな入賞者を参加者に発表した。
小生は思う、これなら大会そのものを無効試合にしたらエエやんか!




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気候変動ガー、CO2ガー、化石燃料ガーと喚いている連中は、教条主義の塊でカルト宗教に洗脳された様な奴等が多い。国連なんて今や一種のカルト集団、その傘下のWHO等々も勿論カルト集団。此奴等纏めて破防法の対象にでもしたろうか?

前記事で地中海周辺が軒並み40℃以上になっていると書いたが、この元のソースのその又大元も何しか少し怪しい。現地からの情報とされるものでは40℃には届いていないというものも多く、恐怖を煽るべく盛られて操作されている可能性が十分にある。
仮に40℃に行ったとしても、どれだけの時間そういう状態なのか、日陰の場所に避難出来るのか否か等という事も大きなファクターである。こういう部分にもリテラシーが必要という事を書いておきたい。
それ以前に、39℃と40℃でどんだけ違うんだい?と言われると…、そんなには違わないかとなる。


数年前、南仏はMontpellier辺り(Languedoc地方の入り口)で46℃に達し、ワイン用の葡萄樹が一斉に枯死したという映像がTVで流れたが、これだって本当かどうか極めて疑わしい。気温の問題以前に病気が起きて枯死した可能性もある。更に自動車販売店の奴等がやって来て除草剤を撒いていた可能性だってあるLOL
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パンデミックの後は、気候変動で恐怖を煽り立ててボロ儲けする」みたいな事をCNNの幹部が豪語している所を、Project Veritas(O’Keefe氏がいた時分)による潜入取材で暴かれたというのも記憶に新しい。この時はO’Keefe氏が僅か数年で追い出されると予想出来た御仁はいただろうか?

それはともかく、CO2ガーの温暖化ガーの気候変動ガーの奴等は、スポット的な気象現象を切り取りレッテル張りして大騒ぎして、カルト宗教紛いなCO2削減政策をゴリ押しする。これはヨーロッパだけでなく、日本でも勿論一緒。ヨーロッパにおける「CO2無くせ!」は、兎に角過激でそれだけで社会全体を破壊し尽くす様な勢いで、ヨーロッパはマルクス主義の本場なのだと妙に納得する小生である。

イタリアのLa Repbulica紙、最近の記事がアホ過ぎクソ過ぎだという。
“Con piu sole il Covid si diffonde meno.”=2022年9月7日、訳すと「Covidは暑くなると感染は収まる」
“Virus con il caldo estremo i contagi corrono”=2023年7月18日 、訳すと「極端な暑さでウイルスが感染爆発する。」
この2つを並べたら、お前、どっちやねん?と言いたくなる。
今年の方ではCovidという表現を使っていないのは、突っ込み喰らった時の逃げ道か?


同紙ではこんな記事もあった
”Sainta tedesco in visita in Italia : Qui il turismo non ha futuro. Usare le chiese come celle frigorifere.” 「イタリアの観光業に未来はない。教会を冷蔵庫の様にして逃げ場にするしかない。」
これは、ドイツの保健相=Karl Lauterbach氏がイタリアをヴァカンスで訪れて言った言葉。
イタリアの観光業に未来はない…、はぁ?。テメェ何のためにイタリアにヴァカンスで行ったんかい?、冷やかしの為だけか?、そんな事言うて楽しいか?。このチンカス!。


こういう所で相手を下げて否定しまくるのはパヨク得意のやり方。ドイツ医師会が欧州全土でsiestaをする様にと言っているとか?ドイツではそんな必要は殆どないにも拘らずである。ドイツメルヘン媚中パヨクし過ぎて完全アタオカになったらしい。ドイツなんか見習う必要なない。
日本はドイツの様にならなければならないと喧伝する奴はパ・ヨ・ク!、ろ・く・で・な・し!このLauterbachとかいうろくでなしには、それこそ日本共産党からスカウトが来るかもしれない。


小生からすると、猛暑でパンデミックが起きないと困るのはWHOやMega Pharmaではないか?というギ・ワ・クがズドコ~ン!なのである。
WHOは「パンデミック条約」をすでに用意していて、去年のG7でもパンデミック時には世界各国の政府がWHOのコントロール下に入るという旨の覚書が作られている。


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ここからは、この記事で参考にさせて頂いた、Miho女史がryuchell(比嘉龍二)氏の急死に絡んで、若者の突然死(急死)について述べられていたので、それを基に小生も見解を述べる。
原因不明の突然死の情報がイタリアでも色々出回っているという。但し、それはメインストリームメディア以外である。因みに、欧米キリスト教文化圏では抑々自殺が少ない。キリスト教で命は天与(神与)のもの=自殺は極めて大きな罪になるからである。イスラム教でもこれと似た様なものである。
これに対し、日本や奸酷では自殺自体に対する抵抗が抑々少ないとも考えられる。


だが、原因不明の突然死=自殺、はぁ?である。
日本では死人に口なしという言葉の通り、こういう突然死に関して兎に角真っ先に自殺とレッテル貼りして真相を闇に葬りたがるという指摘がある。突然死は自殺にしてそっ閉じにすれば、疑惑が及んで場合によっては重罪や重い法的責任に問われる者が出ないで済む、臭い物に蓋をして、罪から逃れられれば一石二鳥三鳥で巨悪も闇に隠れられるという訳で、色々繋がって疑惑はFire~!で深まった!という事にもなる。
警察サイドも自殺だったら面倒が無くて都合が良いと言えるだろう。自殺・事故・病死何れも事件性無しで、その部分では一緒なのだが。


比嘉氏の死の真相を丁稚上げて、左翼思想満載で勝手なお気持ちツイートをやらかしたフェミ議連の松戸市議・増田薫とかいう奴は200%論外。

※この記事は、Miho女史(イタリアの食卓Miho’s Kitchen)、及川幸久氏(The WISDOM CHANNEL)、モハPチャンネル、その他諸々のソースを参考にして書いている。



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世界中記録的猛暑!大変だぁ!、人類滅亡待ったなし!…、はぁ?
この猛暑でウイルスが猛威を振るってパンデミックが起きる!、はぁ?
猛暑でロックダウンになる!、はぁ?、こいつ等バカかよ!LOL


世界中で猛烈な暑さ=異常気象になっているという恐怖を煽る印象操作をイタリアのメディア(La Repbulica紙?)が仕掛けたが、敢え無く失敗!
因みにその記事のタイトル=「Caido record, allarme globale. "Nel sud Europa il clima del Sahara"」
この印象操作記事、どう見ても国連地球沸騰化と騒いでいる事とガチコーン!と接続している。
彼方此方からこんなに暑くないという情報が集まって、この印象操作がウソだったのがバレバレになった。南半球では冬なのに、そこまでが猛暑になっているという画像はさすがにおかしい。だが、決して笑い事ではない。


参考動画はこちら

「(Mega Pharmaの言いなりの)メディアはPablo Escobar(パブロ・エスコバル)と同レベルで腐っている」と、主要メディアを強い主張で批判したのは、Tucker Carlson(タッカー・カールソン)氏の名言だが、何処へ行っても主要メディアは本当に腐っている。自らの腐敗を隠そうともしない。
※Pablo Escobarはコロンビアの麻薬王と呼ばれ、Medellin Cartel(メデジンカルテル)を作った男


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どう見てもフォカッチャではないが、何故かFocacciaとして売られていた。
オリーブオイル各種ハーブがかなり効いていた。去年都内某所で購入

今のヨーロッパ南部、特にイタリアスペインギリシャ等では確かに40℃を超えている。サハラ砂漠から熱気が北上して来て地中海沿岸地域を襲っている事に起因するらしい。ギリシャの観光地アクロポリス等では高温の為に数日閉鎖が続き、その後も昼間の数時間は閉鎖状態(siesta)らしい。序に言うとドイツの医師会がヨーロッパ全体でsiestaを導入すべきと言っていた様だが、ドイツではこのシエスタが必要な状況とも思えないLOL。
ギリシャトルコクロアティアチュニジアモロッコ等で大規模森林火災が続発している。
この山火事についてだが、欧州砂漠化という恐怖を煽りまくりたい連中が火を点けて回っているのではないかというギ・ワ・クがズドコ~ン!の大~爆~発!である。


ヨーロッパでそんな猛暑になっているのは寧ろ地中海周辺に限られていて、欧州全土がそんな暑さになっている訳ではない模様。更にはヨーロッパは大陸なので抑々極端な暑さや寒さが起り易いという条件も考えるべきだ。地中海周辺でが暑くともヨーロッパ北部では平年並み、若しくは低温になっているケースもある様だ。
ヨーロッパの記録的猛暑というとアルプスの氷河が溶けた?2003年が記憶に新しいが、現在の暑熱はそのレベルにも及ばない様だ。実際にイタリアの内陸部では夏場に数日程度40℃になる事は決して珍しくはないという。更にイタリアの地域によっては6月の前半に肌寒い事もあったという(現地情報)


ごく最近の気象現象の話題だと、北イタリアではテニスボールサイズの雹が降った事で、ソーラーパネルがブッ壊れまくった。アメリカではノースカロライナ州にあるPfizerの工場が竜巻で思いっきりブッ壊された!。この2つの話はもう香ばしくって堪らない!の一言で、これだけで旨い酒が飲めるというものである。

確かにヨーロッパでは南部でさえエアコンが普及し始めたのはここ数年で、非常に旧いレンガ造り石造りの住宅が非常に多い環境下ではエアコンを付けようにも非常に難しい事が多い様だ。一時的にでも猛暑になるとそこで熱中症等で死亡するリスクは一気に高まるという事は言える。
猛烈な暑熱の中で下手にロックダウンなんかすれば家の中で熱中症になって却って続々タヒ!という危険性は高いのではないか?
グローバリストは人口減らしの為にそれも狙っているのか?という疑惑が、ズドコ~ン!である。


其の弐へと続く!

※この記事は、Miho女史(イタリアの食卓Miho’s Kitchen)、及川幸久氏(The WISDOM CHANNEL)、モハPチャンネル、その他諸々のソースを参考にして書いている。



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【悲報】ピエモンテで、Dolcetto鬼才生産者Lo Zerbone消える

ワインの記事は本当に久方振りだが、それがこんな悲報なんて…これについて小生は横浜市内某所の酒屋から知らされたのだった。
ところで、Lo Zerbone(ロ・ゼルボーネ)ときいてピンとくる御仁は少なかろう。それはPiemonte(ピエモンテ)に多いDolcetto(ドルチェット)種のワインでは鬼才と呼んでいい生産者だった。赤・ロゼはDolcetto種、白は主にCortese(コルテーゼ)種から作っていていずれも凄かったのに、その価格はバーゲンプライスみたいなものだった。


白ワイン用のCorteseという品種、北イタリアでは多く使われる。これがかなり曲者で房が大きくなる。そこで収量を抑えて粒の熟度も均一化するために房の下側を切り落とす作業が本来は必要になる。

Fabio E. Somazzi(ファビオ・ソマッツィ)氏が2003年に起業したのがAgienda Agricola Lo Zerbone(アジエンダ・アグリコラ・ロ・ゼルボーネ)だった。本拠はPiemonte州でも南東の外れでLiguria(リグーリア)州に近いRocca Grimalda(ロッカ・グリマルダ)という場所で、DOCで言うとDolcetto Ovada(ドルチェット・オヴァダ)がある辺り。現にこの蔵もDOC Dolcetto Ovadaも作っていた。(2005vtのこのワインも出色だった!)
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左=Lo Zerbone Rosso 2017・IGTですらない単なるVino Rosso、右=Lo Zerbone Vino Bianco Le Ghiare 2017

こうした自分の好きなスタイルで納得の行くワインを自分の出来る範囲でしか作らないという拘りの塊の様な蔵は、生産するワインのラインナップも年毎に変っていた様である。そのワインの非常に良心的な価格もあってかマニアには人気の「分る人には分る」蔵であったが、実質夫婦2人でやっていたマイクロワイナリーだった。

つい数年前に当主Fabioが大病を患ったらしく、その時点で廃業という話もあったが、その時は復帰したらしい。その後は近隣の蔵の葡萄をZerbone流で醸造したワインを出していた模様だが、クオリティ的にZerboneのそれではなく、Fabioも結構な年になっていたのでワイン造りは廃業したらしい。又彼の妻が最近になって亡くなったという情報もある。
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左=Nèjr 2007 DOC Dolcetto Ovada、右=Vino Rosato Ciarèt 2019

Dolcetto種を低収量からの~全房発酵で丁寧に仕立てた赤ワインには、ワイン歴35年の小生も「眼から鱗」で「ビックリしたなぁもう!」だった。
だが、こういう小規模生産者には資金力枯渇、後継ぎ不在という問題が常に付き纏う。フランスでもイタリアでも、それこそ生産国を問わず、1代2代で儚くいつの間にか消えてしまった秀逸な生産者は仰山ある。蔵自体が名門貴族だったり大きなパトロン若しくは資本が付き続ける事でもないと中々サスティナブルにはならないというのがワイン造りというビジネスの大きな現実なのだろう。


最後に、1年程前にテイスティングしたNèjr 2007 Dolcetto Ovadaのインプレッションを簡単に載せる。
色はルビーパープルガーネットの中間位で、クリアで濃さは中程度だが艶やかさはしっかりある。
シナモンリーフ、キームンティー、黒胡椒、スミレアマレーナクランベリーブルーベリーぶどうジュース若めのバルサミコ
薔薇イングリッシュラヴェンダー、ジャスミン、カシスマルベリーセミスウィートチョコクリムゾンルバーブ


Dolcetto種というとデイリーワインで安いイメージが強い。そんなDolcettoのワインで14.5年という年数の割に全然若いのには正直驚き。酸やタンニンも十分シッカリで、ボディも全然ブレず崩れる気配はない。フィニッシュ~アフターという所も非常に優秀なレベルだが、伸びや盛り上がりは「凄くある」と所までは現時点で行っていないものの、この先更なる覚醒を起こす可能性もある。「Dolcettoを馬鹿にすんなよ!舐めんなよ!」と言えて、更に思いっきり御釣りが来る出来なのは間違いない!。これだけのポテンシャルを持ったワインが2500円程度だったのは、マジで鬼の様なバーゲンプライスという他はない。

まだまだ発揮し切っていないと思われるそのポテンシャルも考慮して…、18or18.5 / 20を辺りを付けても問題ないと思われる。このテイスティングを受けて、前述の横浜の酒屋に行って残っていた1本を追加購入した小生であった。

まだ出ていない部分のポテンシャルがあると鑑みれは…18 or 18.5 / 20位は献上出来るだろうか。



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銀座の国道15号は時折通る、銀座でショッピングする事も月に1度位はある。小生は東京でも都内出身という事もあって、銀座は結構慣れ親しんだ場所で、同時に大変思い出深い場所でもある。銀座のある所を抜きにして小生のワインライフは語れないのであった。
小生にとってワインとの付き合いは30年を超える。小生がワインと邂逅し目覚めだしたその時はバブルの時代であった。
その時、高級ワインブームがあったとはいえ、ワインのマーケットとしては未発達のお寒いもので、ボジョレーヌーボーなんて言っただけでワイン通なんて呼ばれてしまう、そんなレベルだった。バブルの中、美術品や車と同じ様に「転がして」=転売して財テクする物だと本気で思い込む奴等も多かったのが現実だった。
信じられないかも知れないが、「ワインはレストラン以外では飲んではならない」「ワインは上級市民の物」なんていう訳の分からんhorse-stagな話まであった。これはレストラン業界と結び付いた奴等のポジショントークから広がったという疑惑がドバドバドバドバ…、なのだが。


バブルの日々、酒で言えば成功と富の象徴が、伝説の「ピンドンコン」だった。大きなブランデーグラスにクラッシュアイスを入れて、その上からピンドン=Dom Pérignonのロゼ、そしてCognac(主にHennesy又はRémy MartinのX.O.クラス)。これを銀座・赤坂・六本木辺りの夜の店で御姐ちゃん達を侍らせてオーダーするというのが、成金のアイコンの一つであった。
30年前と今ではピンドン
コニャックも味が全然違うので、その時の味は殆ど再現出来ない。コニャックのその時代のボトルが何とか手に入ってもドンペリはほぼ不可能。

ワインに出会った小生が最初にワインのレッスンを受けたのは、デパートのワインフェアである。ワインフェアと言っても春と秋の年2回、催事場を使って大々的にフェア(セール)を行っていたのである。これを古くから行っていたのが銀座の松坂屋八重洲の大丸だった。その後に東急本店小田急ハルクが加わった。
小生にとってワインライフの原点の一つが銀座松坂屋のワインフェア=世界のワインフェスティバルだった事は論を待たない。これがあったかこそ今のワインラヴァ―の小生があり続けられるのである。
銀座松坂屋は銀座で最初のデパートだった、土足入場も初で、屋上に動物園があったり、制服を100%洋装にしたのもこのデパートだった。


どうでも良いエピソードで恐縮だが、1994年10月29日、長嶋巨人が西武を倒して日本一の胴上げをしたその時は、世界のワインフェスティバルでワインを買っていて、日本一の吉報は松坂屋のパーキングビル内のTVモニターを見て知ったのだった。

そんな時代から25年以上が経った今、実店舗・ネット通販を問わず「ワイン専門店」・「ワインショップ」を名乗る店が掃いて捨てる程存在している。昔のあの当時とはエライ違いである。20歳の頃から、しかも30年以上前の時代、その時点でワイン愛好家への道を進んでいた小生は「世界を逸脱した」存在だった。そして、それを支えてくれて、いろいろ勉強する機会を与えてくれた場所の重要な一つが銀座松坂屋だったのだ。感謝しかない。
90年代後半から銀座松坂屋にワインを買いに行く事は無くなったが、2013年に閉店となった際には思い出の場所が消えるという事に一抹の寂しさは禁じ得なかった。Nothing Stays The Same.という事だから仕方が無いが…。

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小生のワインライフの原点だった銀座松坂屋は2013年閉店、今はGINZA SIXに変わっている。


世界のワインフェスティバル」が追憶の彼方に去ってしまった21世紀の今でも、銀座は大小のワインショップがひしめいている所ではある。先日も7丁目にあるSpain Club(スペインクラブ)のgourmeteria y bodega(グルメテリア・イ・ボデガ)でシェリーの高級品を購入したばかりである。

小生も20台前半の頃なんていうと、本を立ち読みして得た様な僅かな知識しか持っていなかったが、幸運にも前述のワインフェア等のイベントで、そこに集う愛好家達の中である時は教官、又或る時は師匠にもなってくれる様な、そんな仲間に出会う事が出来た。そこで色々と実践的なレクチャーみたいなものを授けられて、沢山の知識も教えて頂いた。それだけでなく、結構「ごっちゃん」にもなったものだった。今から思えば、かなり良い基礎を叩きこんでもらえたものだと思う。

30年前の時代、そんなイベントで売られていた品というとその大部分がボルドーで、ブルゴーニュその他は添え物程度だった。Robert Parker Jr.(ロバート・パーカー・ジュニア)の「Wine Advocate」(ワイン・アドヴォケイト)なんかが日本でも紹介されて(1978年にアメリカでスタートして約10年後)、恰もバイブルの様に扱われ始めた時代が約30有余年前という事である。尚、ブルゴーニュが日本でメジャーになったのは90年代半ば以降だろうか?
1990年代前期~中期の専門店・デパート等で行われていたワインセールのプライスリストを保存していたのを見返してみた事があった。その衝撃の内容にはビックリ!であった。
例を挙げれば…、今では平気で100,000円に届く物が10,000円そこそこで売られていたり、今は普通に2,000,000円は下らないRomanée-Contiが「正規品」なら150,000円程度、やはりこちらも1,000,000円コースに乗ったLa Tâcheだって、その時は50,000円位で売られていた事も実際にあった。
多くの物では大体が1桁違って、総体的に今の相場の1/3~1/8位だったと思ったら良い。あの時代を知らない若い世代が見たら信じない話であろう。
その時代からインフレーション基調の世界に背を向けて、デフレーションを長い事続けて来たのが日本という国なのだ。国の借金ガー、プライマリーバランスガー、財政破綻ガーで緊縮財政ばかり続けて来た結果がこのザマ。


フランスワインではBordeaux・Bourgogne・Champagne・Loire・Rhône・Provence・Alsaceその他、それに加えてイタリアスペインドイツその他諸々の欧州各国、更に所謂新大陸各国や日本という所のワインが鎬を削っていて、世界各地の銘醸ワインが手に入るという今の日本のマーケット今から30年以上前の昭和と平成の境の時期に想像出来ただろうか?
小生のワインの購入場所が、デパートのフェアからワイン専門店へとシフトし始めたのは90年代後半からで、小生がワインを買える店が彼方此方に増えた(discoverしていった)事の証左でもあった。
そして、この流れは90年代後半のワインブームにガチャコーン!と連結していったと思われる。21世紀に入るとここにネットショッピングが加わったのであるが、小生としては店で実際のモノを手に取って、買って運んで帰るという「儀式」を行う事が大事だと思うのと同時に、そこに高揚感を覚えるのである。


90年代後半(これだって四半世紀の昔なのだ)から東急本店では、ワイン売り場拡充という形で年がら年中一寸ずつワインフェア状態にして、上級市民のワインの聖地という形になって行った。他のデパートでもワインフェアやワインフェスティバルみたいなものは規模縮小若しくは廃止という流れが出来て行った。
そして90年代末から21世紀に入る頃になると、ワインはワインショップで買う物・専門店で幾らでも買える物となった。(当たり前といえば当たり前だが…)


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「フランスでもイタリアでも、ネットでも実店舗でも何処でも来いや!」と構えられるのは感謝すべき光栄?
左=フランスからの1例・Côte Rôtie Les Grandes Places 2005 Clusel Roch
右=イタリアからの1例・No. 3(Numero Tre)Venezia Giulia IGT 2001 Bressan
 
話は少しそれるが、ワインを学ぶにはスクールに通う事が必要と思い込んでいる御仁も多い。そんなのは、業者の宣伝に乗せられているだけで、実際に膨大な数のワインに触れて体験しないと身に付かない。日本人は学校というものにやたら縛られる様で、「同学年」「同級生」「学年ガー」「先輩後輩ガー」「〇〇学校の第〇〇回卒業」がやたら出て来るのには辟易させられる。小生も「どこのワインスクールに行っていたんだ?」としつこく詰問されて大迷惑した経験がある。

ワインの場合、スクールなんかに通うより実際のフィールドワークを積む方が余程勉強になる。スクールで教えられる事は机上のものでしかない上に、所詮は日本ソムリエ協会のご都合に合わせて決められた事である。そんな程度の事を覚えた位でワインについて体得した気になられても困る。

今迄ワインブームなるものは7回やって来ていると言われているが(諸説あり)、小生にとってそんなブームは端から存在し得ない。小生の場合は、20歳から50過ぎまで「ワインライフ真っ只中」みたいな状態がデフォルトなのだから。
首都圏のみならず、中京圏、京阪神、更にはその先でも撮り鉄+ワインショップ酒屋巡礼の旅をまだまだ続けたい小生である。




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