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マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:アマチュア野球

今日の記事は「スポーツ関係のPostから」、その7回目。
毎度の事ではあるが、必ずしも原文通りではなく、一部に添削加筆がなされている事は御了承賜りたい。
X=@sakyo_daimonji


◎連接式Post=11月11日MLBのSilver Slugger Awardが発表された。Marcus Semien並びCorey SeagerというRangersの二遊間が揃って受賞。Texas RangersはチームのSilver Slugger(新設)も受賞。日本人ではALのDH部門で大谷翔平が2年ぶりの受賞。(敬称略・続く)公式サイト=「Here are your 2023 Silver Slugger winners
(続き・敬称略)今回のSilver Slugger Awardは16チームから合計20名が受賞。捕手+内外野+DH+ユーティリティ=10名、これが両リーグで倍の20名。複数名受賞は3チーム。猛打を見せたAtlanta Braves=3名、Texas RangersとBaltimore Oriolesが2名ずつ。参考動画はこちら


◎=11月11日
Joey Votto(ジョーイ・ヴォト)氏=40歳、2002年入団、2007年メジャー昇格、Cincinnati Reds一筋のFranchise Player。右投左打の一塁専、MLB通算では2135hits・356HR・1144RBIという成績。広角に長打が打てるバランス型の中距離打者であった同氏が17年の輝かしいメジャー生活に別れを告げた。同氏名場面のダイジェスト動画はこちら


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ここからは、11月に大阪(京セラドーム)行われた社会人野球日本選手権ⅩⅬⅧに関するPostをフィーチャーする。(敬称略)

◎=11月9日
第48回社会人野球日本選手権が8日に開幕、第2試合でENEOSTDKと対戦。話題の度会隆輝(わたらいりゅうき)も出場、2回に先制ソロHRを放ちそこからENEOSは4点先制。5回には丸山壮史(まるやままさし)がグランドスラムを炸裂させる等して、9-2で完勝。
試合のダイジェストはこちら


◎=11月9日
野球でもドラレコ動画でも無双安定のトヨタ自動車
社会人野球日本選手権の1回戦で日本製鉄鹿島を4-2で下す。先発投手=嘉陽宗一郎が11奪三振で完投勝利。2022日本選手権+2023都市対抗と秋夏連覇をしているトヨタ、秋夏秋の3連続優勝を狙う。試合のrecapはこちら

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◎=11月10日
第48回社会人野球日本選手権は3日目。1回戦でヤマハ=都市対抗準優勝、は日本通運と対戦したが、1-4で初戦敗退となった。適時打+犠飛2本+エラーで4点を失い、得点は大本拓海のソロHRのみだった。Game recapはこちら


◎=11月11日
社会人野球日本選手権4日目、1回戦でJR東海 vs JR四国という鉄道ファンにとって非常に芳ばしいカードが実現。四国東海に先制されたが、その後逆転。そしてそのリードを守り切り、4-3で勝利。四国の先発投手=近藤壱来は粘投が実って完投勝利。Click here for the recap of the game.


◎=11月12日
社会人野球日本選手権4日目、パナソニック與座健人以下4投手の完封リレーで伏木海陸運送に4-0で勝利。パナソニックは6回に久保田拓真の3ランHR等で一挙4点を挙げてワンチャンスをものにした。この試合の先発で勝利投手の與座健人與座海人埼玉西武ライオンズ)の実兄。
Game recapはこちらでも

◎=11月12日
社会人野球日本選手権5日目、三菱重工Westが第1試合で西部ガスと、続く第2試合で三菱重工East西濃運輸と対戦したが、何と三菱重工は東西揃って惨敗で討ち死に。因みに西部ガスは福岡の会社で「さいぶガス」である。という事で、西部警察を「さいぶけいさつ」と読んだら福岡人?
ゲームの模様はこちら


◎=11月12日
社会人野球嘗ての名門、新日鉄光は1995年に光シーガルズになり、2019年から日鉄ステンレス野球部になった。
この日鉄ステンレスが社会人野球日本選手権に登場し、Honda(埼玉・寄居)と対戦。7回まで無失点と粘ったが、8回に2点を献上し、0-2で完封され初戦敗退。
試合の模様についてはこちらでも




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今日の記事は3回目となる「スポーツ関係のPostから」。訳あって今回はNFL全部とMLBの一部のPostは除外してある。
毎度の事ではあるが、必ずしも原文通りではなく、一部に添削加筆がなされている事は御了承賜りたい。X=@sakyo_daimonji


先ずはラグビーワールドカップに関するものから…

◎連接式Post=9月9日
日本では猛暑台風洪水だと言っているが、昨日フランスRWC2023=ラグビーワールドカップ2023が開幕した。ただ、今のフランスで大丈夫なのかというのは一理ある。真っ黒マクロン=Emanuel Macronはこれで政権浮揚もしたいのだろうが、そう問屋に卸させてはならない。(続く)
(続き)開幕戦は決勝でもおかしくない様な好カード、France vs NewZealnad
勝ったのはフランス=27-13。開催国のプライドを見せたフランス、5本のPGを決めたのが非常に大きかった。一方、オールブラックスがグループリーグで敗戦するのは初のケースだった。


◎=9月10日
ラグビーの得点→TRY=5点、トライ後のキック=2点
Penalty Goal=3点Drop Goal=3点
一方、アメリカンフットボールの得点→Touchdown=6点、その後のキックを選択し成功なら1点エンドゾーン手前からの攻撃を選んで成功なら2点(Point After Touchdown)
FieldGoal=3点Safety=2点

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ここからはラグビー以外の所を、と言っても野球ばかりだが…。

◎=8月23日
全国高等学校野球選手権を制した慶応高校(横浜市)には清原和博氏の次男=清原勝児君がいる。勝児君は今日の決勝で9回表に代打で出場=四球。これで清原氏は親子2代で甲子園を制した事になる。でもこの後、親子2代で薬物中毒とかいうのは絶対アカンで!

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慶応高校のある日吉を通って、遠路はるばる海老名まで行く東急5080系

◎=8月23日
千葉ロッテマリーンズ ・GregoryPolanco氏、千葉で今夜3HRを放つも敗戦。前回1日3HRを放ったゲームも敗戦だった。北海道日本ハムファイターズ万波中正氏、5年目で遂に自身初となるシーズン20HR到達。郡司裕也氏は4打点!、試合は10-4で快勝!


◎=8月26日
田中将大氏が今夜、仙台のゲームで今季7勝目を挙げた。これでNPB+MLBの通算で197勝になり、200勝まであと3勝になったが、今期中に200勝に到達出来るかは微妙な情勢。
一方、ダルビッシュ有氏(SD)は今月勝ち星無しで今季8勝10敗、通算196勝だが今期中の200勝は難しいか。(結局両氏とも来期に持ち越し)


◎連接式Post=8月29日
古澤憲司氏が22日に75歳で死去していた。同氏は1948年3月愛媛県生れ、1964年に高校を中退し阪神タイガースに入団。78シーズン終了後に田淵幸一氏と共に西武ライオンズへ。82年途中に広島東洋カープにトレードされ、85年に引退。引退後は野球解説者を経て、広島阪神等でコーチを務めた。(続く)
(続き)阪神タイガースで一緒だった江本孟紀氏は古澤憲司氏と親しかった。
親しくなった理由を「不愛想な野球選手が多い中、唯一きちんと挨拶してくれたから」だと言い、訃報に接して「野球観、人生観が心底合うヤツ」と振り返っていた。因みに、小生は古澤氏というと阪神時代の印象が強い


◎=9月1日
巨人軍岡本和真氏が今日の横浜でのゲーム、第1打席で今季35号を放ち、通算200号HR達成
ただ、試合は戸郷翔征以下ヘボピッチャーどもがお約束通りにボロクソに打たれて惨敗。死ななきゃ治らない様な奴等ばかりでダメだこりゃ。名古屋のあのチームの事は笑えない。


◎=9月3日
阪神タイガース近本光司氏が神宮での試合で脇腹に死球を受けてそのまま交代して、離脱の危険が出て来たとの事。これで東京ヤクルトスワローズはSNS上で「ゴミ球団」とのレッテル貼りをされたが、巨人軍米騒動球団ゴミ球団=セントラル下位3チームは同じレベルで腐っているのか?、目糞鼻糞!(近本氏は結局無事だった)



◎=9月7日
本日坂本勇人氏が3Bでスタメン。このサード坂本は試験的な意味合いもあるのかも知れないが、この先は3Bのみならず、外野へのコンバートだってあるかも知れない。
2500安打、更に3000安打を目指すのをpriorityにするならいっその事、DH制のパシフィックリーグにトレードするのもありか?


◎=9月5日
吉田正尚氏(Boston Red Sox)が現地時間昨日、Tampa Bay Rays相手のアウェイゲームで、今季15号2ランHRを含む2安打を記録。前日の14号に続く2試合連続HRで、20HRクリアへの望みも繋がったか?
MLBに於いて、同一シーズンで複数の日本人選手が20HRをクリアした事例はなかった筈。
(吉田氏、9月は息切れの尻すぼみ)




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今日の記事は「スポーツ関係のPostから No.2」=「最近のPostから」の姉妹シリーズで、要はXの流用である。毎度の事ではあるが、必ずしも原文通りではなく、一部に添削加筆がなされている事は御了承賜りたい。X=@sakyo_daimonji

◎=8月16日
甲子園では専大松戸(千葉県)と土浦日大(茨城県)が対戦(3回戦)、これが「常磐線対決」とか「ちばらき対決」と揶揄されてトレンド入り。
18時38分現在で土浦日大が9-6と3点リードしている模様。対戦している小菅勲・持丸修一の両監督は共に、故・木内幸男氏の指導を受けていた事がある。


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常磐線の顔=E657系

◎=8月23日
仙台育英、甲子園連覇は相当厳しいか…15時40分現在、慶應8-2仙台育英=5回。3-2で迎えた5回表に、慶應は5得点で6点aheadに。
慶應高校のにある日吉といえば東急新横浜線が今年開業。その御祝みたいに慶應高校全国制覇か?


◎=8月23日
全国高等学校野球選手権を制した慶応高校(横浜市港北区)には清原和博氏の次男=清原勝児君がいる。勝児君は今日の決勝で9回表に代打で出場=四球。これで清原氏は親子2代で甲子園を制した事になる。
でもこの後、親子2代で薬物中毒とかいうのは絶対アカンで!

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日吉から新横浜線経由で相鉄線に入る東急5000系(4000番台)・鶴ヶ峰付近にて

◎=8月10日
大谷翔平氏が現地時間9日、今季の10勝目を挙げて、2年連続10勝30HRという記録を達成。大谷氏は先発投手として6回を1失点、チームは6回裏にMikeMoustakas氏の3ランHR等で逆転して勝利。大谷氏には日本人初のシーズン50HR+HomerunLeaderに期待が掛かる。

◎=8月10日
鈴木誠也氏が現地時間9日、遅ればせながら今季10号HRを放った。よって、大谷翔平・吉田正尚の両氏と合せて3名が2桁HR到達となり、これは2005年(松井秀喜・イチロー・井口資仁の3氏)以来か。吉田・鈴木の両氏には何とか20HRに到達してもらいたい、同一シーズンに於ける複数名の20HRはまだない筈。


◎=8月16日
鈴木誠也氏がWhite Sox相手のChicago Showdownで11号HRを4回に放った。何とかここからグッと盛り返して20HRをクリアして頂きたいと思う。同氏はライトで好守も見せたがその甲斐もなく、試合は敗戦。White Soxの決勝点はLuis Robert Jr.氏の32号HR。
(Chicagoのチーム同士の対戦の呼び名でその一つがChicago Showdown)



◎=8月13日
阪神タイガースがこの3連休(8月11~13日)に京セラドーム大阪で着た緑のユニ南海ホークスの出来損ないか将又、懐かしの関西本線103系みたいで違和感スゴ。そのうち懐かしの赤胴車ユニとかやりそう?(撮り鉄的発想?)


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今は亡き赤胴車の2000系=2008年・@甲子園駅

◎=8月18日
今日のPayPayドームでは、柳田悠岐氏が漸く?で1500安打到達。しかもその節目をHRで飾った。
ただ、この日の主役は石川柊太氏、なんとノーヒットノーラン達成=史上88人目。


読売巨人軍公式へのquote repost=8月18日
先程マツダスタジアムでドラ1ルーキー・浅野翔吾がプロ初HR=2ランを放った。5回表3点ビハインドの状況で森翔平から、レフト・アッパーデッキに突き刺さる見事な一発!この男、まだ未成年でっせ!(敬称略)


Ari Meirov(@MySportsUpdate)へのquote repost=8月22日(敬称略)
Tampa Bay Buccaneersのワイドレシーバーにしてキャプテン、Mike Evans (マイク・エヴァンズ)は2014年のルーキーイヤーから9年連続で1000ヤード獲得というNFLレコードを持っている。
(連続1000yards超えの記録はSF49ersのスーパーレジェンド・Jerry Riceの11年だが、これはデビューからのものではない。)
同氏が昨日21日に30歳の誕生日を迎えたが、Tom Brady引退後の新シーズン、新しいQB=Baker Mayfieldと組んでどの様な活躍を見せるのか。
(Baker MayfieldはCleveland BrownsCarolina PanthersLA Rams、今年からTampa Bay)



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このChapter 65では、1992年のスポーツの事を振り返って参ろう。

NPBではヤクルトスワローズが14年振りのセントラルリーグ制覇。今は亡き野村克也が監督に就任してID野球を標榜し3シーズン目だった。この年は古田敦也を筆頭に広沢克己・池山隆寛・Jack Howell・杉浦亨・秦真司・飯田哲也・西村龍次・岡林洋一・高津臣吾・伊東昭光という所を擁して戦っていた。ここでゲームチェンジャーになったこのチームはTeam of the 1990’sというべき存在に伸し上がる。
この年のセントラルリーグは大接戦、優勝したヤクルトスワローズでさえ69勝61敗1分、4位の広島東洋カープは3ゲーム差の66勝64敗、最下位=中日ドラゴンズまでも9ゲーム差だった。この年は延長が15回まで、引き分けは再試合というシステムだった。

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1992年当時、レインボーブリッジは…、まだ、開通していなかった。

特筆すべきはJack Howell(ジャック・ハウェル)の後半戦に於ける打棒爆発であった。オールスター時点では僅か8HRだったが、その後の61試合で30HRと打ちまくり、チームはリーグ優勝。同氏個人はMVP・首位打者・最多本塁打・ベスト9(3B)と無双状態だった。バットを1inch短いものに変えたら(35inch→34inch)、インサイドの速い球が上手く捌ける様になって、数字が飛躍的に上がったらしい。
セントラルリーグに於けるこの他のタイトルホルダーは、打点王=Larry Sheets、最多安打=Jim Paciorek、盗塁王=飯田哲也、最高出塁率=Thomas O’Malley、最多勝利・最高勝率=斎藤雅樹、最優秀防御率=盛田幸妃、最優秀救援投手=佐々木主浩、最多奪三振=仲田幸司


ペナントレースにはこんな伝説の試合もあった。9月11日、阪神ヤクルト19回戦@甲子園での事。9回裏阪神の攻撃で2アウト1塁から八木裕がレフトへホームラン性のライナーを打ち、線審=平光清は本塁打と判定したが、ヤクルト側が打球がフェンスに当たってスタンドに入ったので2塁打だとして抗議。平光はこれを受けいれ本塁打を二塁打へ訂正したが、今度は阪神監督の中村勝広が抗議。結局試合は約37分中断した上に、延長15回まで行った挙句、最後は3ー3の引き分け。加古川どころか明石や神戸の人も帰られへんという事になった。試合時間はプロ野球史上最長の6時間26分だった。

10月12日、巨人軍監督=藤田元司はこのシーズンを最後に退任し、翌年から長嶋茂雄が13年ぶりに監督に復帰する事となった。11月11日には横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズと改名する事が発表された。(大洋漁業=現・マルハニチロのCI導入に伴って)

一方、パシフィックリーグは西武ライオンズが3連覇と相成った。MVPは石井丈裕(正力松太郎賞もGetだせぃ!)、新人王=高村祐、首位打者・最多安打・盗塁王=佐々木誠、ホームラン王=Orestes Destrade、打点王=Boomer Wells、最高出塁率=清原和博、最多勝利・最多奪三振=野茂英雄、最優秀防御率・最優秀救援投手=赤堀元之、という具合。同年7月8日には新井宏昌(近鉄バファローズ)が40歳で2000安打を達成した。
日本シリーズは4勝3敗で西武ライオンズが勝利して、2度目の日本シリーズ3連覇。この時点でヤクルトスワローズに一気に時代を持って行かれるという事は避けられた。ただ、翌年はリヴェンジされてしまい、時代の変わり目を眼にする事となる。
それでも西武ライオンズが達成した1990~94年のリーグ5連覇(90~92は日本一)はバグり過ぎの領域である。しかもその前1985~88年もリーグ4連覇(86~88は日本一)

この前年末に強制猥褻容疑で逮捕されていた中山裕章(逮捕当時は横浜大洋ホエールズ所属)が1月5日に保釈され翌日起訴猶予になったが、更に7日には球団は同氏を解雇した。加えてリーグ会長の川島廣守は、本人が社会的に立派に更生出来るという事が確認された時点までは無期限契約自粛を要望するという異例の声明文を発表した。
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この年のアマチュア野球はというと…、先ずは社会人野球
オリンピックが行われていたため、8月27日~9月6日に移動した都市対抗野球(LXIII)は日本生命(大阪)が優勝(2回目)。橋戸賞(MVP)は杉浦正則、久慈賞(敢闘賞)は向山隆康、若獅子賞(新人賞)は小桧山雅仁・大久保秀昭・中山雅行。
10月に神戸で行われた日本選手権(XIX)は東芝(川崎)が制した。(2回目)


大学野球だと
全日本大学野球選手権(XLI)は駒沢大学が優勝。明治神宮野球大会(XXIII)は慶応義塾大学が制した。
東京六大学リーグ優勝は春=明治大、秋=慶應義塾大
東都大学野球リーグ優勝→春=駒澤大学、秋=日本大学
関西学生野球リーグ優勝→春秋共に立命館大学


高校野球では選抜高校野球(LXIV)は帝京が制し、全国高等学校野球選手権大会(LXXIV)は福岡の西日本短大付属高校が優勝、優勝投手の森尾和貴は一躍時の人となった。

ただこの年の夏の甲子園最大のインパクトといえば、松井秀喜5打席連続敬遠をおいて他はない。8月16日に行われた2回戦の星陵vs明徳義塾で事件は起きた。この日明徳の投手だったのは#8の本来は外野の河野和洋(帝京平成大学野球部・前監督)。試合前に、監督の馬淵史郎から「松井は相手にせえへんから」「全部やるから」と、指4本のサインと共に言い渡されていたらしい。

試合の7回表・2アウトランナー無しという場面で、松井の打席を迎えて球場中が「勝負!勝負!」というコールに包まれた。しかし馬淵は一切ブレず、敬遠のサインを出した。9回表2アウト・ランナー3塁で松井の最終打席。「勝負は…、しません!」(当時の実況アナウンサー)という具合に予定通り敬遠。そうなると観客が怒りのあまりにメガホンやゴミを次々にフィールドに投げ入れた。斯くして球場はパニック状態となり、試合は一時中断したが、この中断で明徳側は却って冷静になって、最後のアウトを確実に取って勝利した、スコアは3-2。

明徳の勝利の校歌斉唱は、甲子園球場全体に広がった「帰れ」コールでかき消された。これも異常事態であった。
試合後も明徳側の宿舎には抗議の電話がひっきりなしに掛かり続け、中には爆破予告まであったという。斯くして星稜相手に勝利した明徳も、次の3回戦=広島工業相手には完敗を喫した。


この1992年は、この国のサッカー界で一大変革が起きるその準備の年だった。3月を以てJSL=日本サッカーリーグが終焉となった。この翌年のJリーグ開始に向けて、JSLもJリーグに移行する事となった。JSL最後の優勝者は1部が読売クラブ(東京ヴェルディ1969の祖先)、2部ではフジタ(湘南の祖先)が優勝。
この年の元旦決戦=天皇杯決勝は4-1で、日産自動車が読売クラブを下している。


この年、Marius Johan Ooft(ハンス・オフト)氏が日本代表監督に就任(外国人としては初)。
10月末~11月初旬にかけては広島市・尾道市でAFCアジアカップ(X)が行われ、日本が初優勝を飾った。8か国で本大会を行ったが、奸酷は予選落ちしている。日本代表は初めてA代表でアジアカップに臨んだが、グループリーグはA組=日本UAE北超賤要らんに入り、UAEと1位タイで準決勝進出。セミファイナルの相手はチュ~獄だったが、3-2でこれを退けて、サウジアラビア相手のFinalでは高木琢也のゴールを守り切り1-0で勝利し、初優勝を飾った。

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大相撲でも新時代が一気に幕を開けた。
1月の初場所で貴花田光司(後の貴乃花光司)が史上最年少幕内最高優勝を果たした。更に同氏は9月の秋場所も制している。更に史上最年少での年間最多勝も記録。
そこから調子こいて?10月27日に宮沢りえとの婚約を発表したが、何でもそう上手くは行かず、翌年早々に破局した。この年5月の夏場所では曙太郎も幕内初優勝を飾り、大関の座もGetだぜぃ!となり、11月の九州場所も優勝。


千代の富士貢は前年に引退し、1月には旭富士正也(現・伊勢ヶ濱)が引退、そして5月8日に北勝海信芳(現・八角理事長)も引退となり、翌93年初場所まで横綱不在が続いた。この1992年は曙太郎貴花田光司が2場所ずつを制して、大相撲は「曙貴時代」に入ったと言える。

序にどうでもよい感じだが、6月23日には俳優として有名なMickey Rourke(ミッキー・ローク)がプロボクサーとして両国国技館で試合を行って勝利している、因みに当時40歳

締めにこの年のプロレス界の話をするが、新日の三銃士全日の四天王を始めとする当時30歳前後のレスラー達の活躍が目立って、平成のプロレスがガーン!と押して来た年だった。プロレス界全体では力道山から起算して第4世代、新日・全日それぞれでは第3世代という事になる。
新日本プロレスでは、4月のTop of the Super Jr.(Ⅲ)は獣神サンダーライガーが制し、エル・サムライは準優勝。
この年のG1 Cimax(Ⅱ)は8月6日~11日に両国国技館で行われ、16名のトーナメントを制して優勝したのは蝶野正洋=連覇、同時に第79代NWA王者にも認定された。2位はRick Rude(リック・ルード)。
Super Grade Tag League(Ⅱ)は9~10月に行われ、長州力+橋本真也が優勝。2位は「馳健」こと馳浩+佐々木健介だった。この年のIWGPヘビー級王者は長州力とグレート・ムタの2名

全日本プロレスの話に移ると…
この年の4月に20選手参加で行われたチャンピオン・カーニバル(XII)ではStan Hansenが無敗で優勝。三沢光晴は決勝で敗れ、2位に終わった。
7月には圧倒的エースだったジャンボ鶴田が内臓疾患で倒れ、一線を退く。その翌月に三沢はHansenからPWF・UN・インターナショナル三冠統一ヘビー級王座を奪取し=初戴冠、ここで全日本プロレスのエースの座を射止める。11~12月に行われた世界最強タッグ決定リーグ戦(XV)は11チームで争われて、三沢光晴+川田利明の「超世代軍タッグ」が優勝。このシリーズはAndré the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)最後の来日となり、シリーズ終了直後に大熊元司が急逝した。


この他では、5月6日のFMW・三田(さんだ)大会では国内初のファイアーデスマッチが行われた。このデスマッチは、ノーロープ有刺鉄線トルネードファイアータッグデスマッチと題され、四方に張られた有刺鉄線の各所に油を浸した布が巻かれ、それに火をつけた状態のリングでタッグマッチを行うという試合だった。
対戦したのは大仁田厚+ターザン後藤とThe Sheik(ザ・シーク)+Sabu(サブー)だったが、火力が大き過ぎたのか開始早々リング内は酸欠状態になってしまい、試合なんぞ出来る状況では無くなり、4分30秒程で無効試合になって終わった。


尚、東スポが表彰した同年のプロレス大賞は以下の通り
最優秀選手賞(MVP)=高田延彦(UWFインター)
年間最高試合賞(ベストバウト)=Stan Hansen vs 川田利明(6月5日・全日本プロレス)
最優秀タッグチーム賞=反選手会同盟(新日本)=越中詩郎+木村健吾+青柳征司+斉藤彰俊
殊勲賞=蝶野正洋(新日本)、敢闘賞=田上明(全日本)、技能賞=ウルティモ・ドラゴン(WAR)
新人賞:秋山準(全日本)、特別大賞:三沢光晴(全日本)


全日本女子プロレスではWWWA世界王者がブル中野からアジャ・コングに交代。これを機に中野はアメリカに主戦場を移す事となる。8月には山田敏代vs豊田真奈美という髪切りマッチがあった。豊田が勝利し、山田が坊主に。

一方、同年1月にジャパン女子プロレスか解散したのを受けて、4月にJWP女子プロレスが、8月にLLPWが旗揚げした。7月の全女の興行にFMWからクラッシャー前泊・シャーク土屋が乗り込んで、対抗戦を行う機運が出て来た。9月のFMW横浜スタジアム大会には、ブル中野+北斗晶が参戦、工藤めぐみ+コンバット豊田組に勝利。これを機に各プロレス団体に交流が呼びかけられる。
斯くして、この時期から女子プロレス対抗戦時代に入る。


この記事も敬称完全略でお届けした、てなわけで次回=Chapter 67へと続く!



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この企画、大台に乗るChapter 50からはスポーツの色々な事を取り上げて行くが、先ずは日本国内の野球の話から。(※この記事=全て敬称略

セントラルリーグでは中日ドラゴンズが最終戦でリーグ優勝を決めた=10月18日
10月9日の時点で巨人軍が最終戦で横浜大洋ホエールズ相手に敗戦し、中日に残り8試合でマジック5になった。そこから残り8試合全部使って漸くリーグ優勝を決めた事になる。優勝決定試合は横浜で行われたホエールズ戦だったが、この試合では田尾安志の5打席連続敬遠という事も起きた、これで彼の首位打者の夢は潰えたが、最多安打と最高出塁率には輝いた(首位打者は長崎啓二
この年のドラゴンズは64勝しかしていないのに、66勝の巨人軍を退けて優勝出来たのはこの年19回という引分の異様な多さが原因だった。(1986年の同リーグでも非常に似た事が起きた)
セントラルリーグMVPは中尾孝義


プロ野球では何と言っても、時代の変わる大きな波がこの年訪れた。超強力なゲームチェンジャーとしてその波を作ったのは西武ライオンズ
福岡野球(クラウンライター・ライオンズ)を国土計画が買収し、1979年に西武ライオンズとしてリスタートして4年目の事だった。監督を前任の根本陸夫(管理部長に転身)から広岡達朗にスウィッチして管理野球を徹底、主食を全て玄米にする等した。その効果もあって?球団移転後の初のリーグ優勝、更には日本シリーズも制した。斯くしてここから90年代前半まで10年を超える、伝説の黄金時代を迎える事となった。この年の広岡達朗は正力松太郎賞を受賞。

前期優勝となった西武ライオンズは後期優勝の日本ハムファイターズ(前年リーグ優勝)相手にプレイオフを戦った。当時日公のクローザーだった江夏豊を2試合連続で攻略する事にも成功し、3勝1敗でプレイオフを制してリーグ優勝を先ずは達成した。
その後の日本シリーズでは、先ず名古屋で連勝したが本拠地所沢で連敗。その後の「石ころ事件」の起きた第5戦は勝って、名古屋での第6戦、4点を先行したが追い付かれた。終盤に鈴木孝政その他を打ち込んで勝利した。名古屋では3勝0敗だった。第5戦の「石ころ事件」で中日側の当事者だった田尾安志(ランナー)・平野謙(バッター)共々後に西武のメンバーになって日本一も経験しているのはironicというか皮肉である。


この時のライオンズのメンバーというと…
先ずオリジナルメンバーとも呼ぶべき、田淵幸一・山崎裕之・太田卓司・立花義家・行澤久隆・鈴木葉留彦・東尾修・森繁和・永射保・柴田保光という所に、Steve Ontiveros・Terry Whitfieldの外国人、この年新加入の片平晋作・黒田正宏・高橋直樹。
若手・中堅どころで石毛宏典・広橋公寿(現・岩隈久志のウト)・西岡良洋・岡村隆則・蓬莱昭彦・松沼博久/雅之・杉本正・小野和幸・小林誠二、更にここに加えてルーキーだった金森栄治・伊東勤・工藤公康という辺りだった。


西武ライオンズはこの翌年=1983年の日本シリーズで念願の相手だった?巨人軍と対戦。今でも伝説となっているこの対決を4勝3敗で制して2年連続の日本一を達成。時代を一気に引き寄せた形になった。


この時代のオールスターゲームは3試合制で、この年は3試合ともパシフィックのホームゲーム。結果は1勝1敗1引き分けと綺麗に揃う形になった。

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今やYoiuTuber石毛宏典氏のサインボール・40年の歳月で色あせてかなり黄ばんでいる

この年4月には山田久志が200勝を達成。5月には松永浩美がプロ野球で日本人選手初の左右打席ホームランを記録、大杉勝男が450HR達成、有藤通世が300HRに到達。6月に山本浩二が400HRに到達。7月には江夏豊が200勝達成。8月には横浜スタジアムで審判集団暴行事件が勃発(やらかしたのは阪神タイガースのコーチだった島野育夫・柴田猛

この年引退した主だった選手は、星野仙一竹之内雅史山口高志白石静生柳田俊郎高井保広佐々木恭介木俣達彦富田勝上田次郎福士敬章渡辺秀武奥江栄幸という所。

落合博満が自身初の3冠王獲得+最多安打∔リーグMVP、但し前年に首位打者獲得した時より打率とホームランは数字が下がった。(1981年=.326・33HR・90RBI、1982年=.325・32HR・99RBI)
この年の年俸は実質800万程度でタイトル料200万を足して1000万、5年活躍しないと年俸が上がらないという時代だったらしい。(本人のYouTubeでの証言)(ただ、この年の年俸は1600万円とする記述は多い)
この部分については40年前の事とはいえ、1600万でも安過ぎなのに、若し1000万円だとしたらそれはさすがにあり得ないと思われるので、本人の記憶違いではないかとも考えられる。
彼はこの1度目の3冠王で、5400万円程(推定)に到達。さらに数年後に年俸1億を達成し、日本人初の1億円プレイヤーという称号を手に入れて、この大台が当たり前になるきっかけを作った。


この年の新人王は津田恒美大石大二郎、セントラルでは掛布雅之が3冠王こそならなかったが、ホームラン∔打点の2冠王になった。盗塁王は松本匡史福本豊=13年連続(9回目の最多得点でもある)
投手成績だと、最多勝利は北別府学工藤幹夫、最優秀防御率は斎藤明雄(当時は明夫)・高橋里志、最多奪三振は江川卓松沼博久、最高勝率は都裕次郎工藤幹夫、最優秀救援は山本和行江夏豊



アマチュア野球の話をすると…
第53回都市対抗野球(@後楽園球場)は、当時和歌山にあった住友金属が、第9回社会人野球日本選手権(@大阪球場)はヤマハ発動機(発動機は誤植ではない)が制した。
高校野球では春=選抜高等学校野球大会(♯54)はPL学園が制し、夏の全国高等学校野球選手権大会(♯64)は畠山準・水野雄仁両氏を擁した「やまびこ打線」の徳島県立池田高校が制した。
第31回全日本大学野球選手権は法政大学、第13回明治神宮野球大会は東海大学が優勝した。東都大学野球・春季=東洋大学が、秋季=専修大学が制し、東京六大学野球では春季優勝=法政大学、秋季優勝は早稲田大学だった。


この年、完酷にプロ野球が誕生(現在のKorea Baseball Organization League=KBO League)、Samsung Lions・Lotte Giants・MBC Blue Dragons(現・LG Twins)・OB Bears(現・Doosan Bears)・Haitai Tigers(現・Kia Tigers)、Hyundai Unicorns(消滅)の6チームでスタートした。
この年は前後期40試合ずつの「2ヒート制」で、前後期のチャンピオン同士で完酷シリーズを行った。初代チャンピオンはOB Bearsだった。奇しくもこの前後期制は日本のパシフィックリーグのパクリみたいになったが、パリーグの「2ヒート」制は1982年が最後になった。
完酷プロ野球最初の首位打者は懐かしいあの白仁天(打率は.412)、ホームラン王はキム・ボンヨン(22本)、MVPはパク・チョルスン。


次回=Chapter 51へと続く!



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