Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:横浜

最初に記事本体に先立って御報告を…
小生、去る7日にTwitterを開始した。その垢は@sakyo_daimonijという事で宜しく御願いしたい。そのツイートはこの板の宣伝がメインだが、此処に書くほどでもない様な事も書こうと思う。


さて、6日の記事でも触れたが、悪質な落選運動を起こされて窮地となり?、それで一躍時の人になった?川崎市議の浅野文直氏(52歳)だったが、一部からの激しい落選運動を撥ね退けて7回連続当選を果たした。という事で、ツイフェミその他Colaboと連帯する奴等の落選運動は失敗に終わった、ザマぁ見ろ!。
川崎市宮前区での定数は9名で立候補者は14名、浅野氏は6007票で5位当選だった。


選挙最最終盤の7日にこの落選運動に神奈川新聞も加担してネガティブキャンペーンの記事を出した。投票当日にも追い打ちを掛けるべく「浅野候補、差別を助長」という様な記事を出してきた。新聞が選挙期間中に選挙妨害と取られかねない記事を特定の候補者相手に繰り出すというのは異常事態であろう。
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川崎市宮前区は東急田園都市線沿線

投票間際で反論の時間を与えないタイミングでやった事に左翼の狡猾さが透けて見える。神奈川新聞はヤバいくらいのド左翼新聞である。会社を挙げて浅野氏を抹殺する為に手段を選ばない展開になってきている。加えてColaboに味方する人間からは、実際に街中の選挙活動を妨害されそうになるケースもあったという。同氏の選挙には片山さつき、三原じゅん子という参院議員お歴々も応援に駆け付けた。三原議員は川崎が地盤である。

Colaboと共産党の関係の深さは良く知られているが、創設では立憲民主党の前身である民進党からサポートを受けていて、そういう意味では「立憲共産」だったといえる。左翼は1匹いたら10匹か20匹はいると思わなければならない。小生からすると左翼キモすぎ~っなのである。

Colabo及び210ゆめにゃんがこんなに追及されるきっかけはというと、“温泉むすめ”を攻撃し弾圧しようとした事にある。2021年11月15日、“出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの?と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別で性搾取。”とツイートして攻撃開始。

これで“温泉むすめ”は一時炎上したが、その後の分析で210側に付いた批判派のツイートは少数で思った様に燃やせなかった。顔パンパンKPP210としては「くそ~っ」という結果だったが、これで暇空茜(水原清晃)氏等のオタク界隈から怒りを買ってしまう。水原氏等は虎視眈々と反撃のチャンスを狙っていて、それが今のこの騒動に繋がって行く。

この“温泉むすめ”とは株式会社エンバウンドによる、日本及び台湾の温泉地をモチーフにした地域活性クロスメディアプロジェクト。そこに出て来るキャラクターのむすめは、源泉が湧出した際に誕生する低級の土地神で特別な能力は持たないためほとんど人と同じ存在。どの温泉むすめも生活拠点は地元の温泉地で、休日は主に旅館や観光協会のお手伝いをしている。」という事らしく、生まれて30年で昇級と同時に次代も生まれて代替わりするらしい。世という字は元々が丗=30というのとは整合性がある。
温泉むすめの数は全国各都道府県+台湾から現在124人、そこにナビキャラが2名。


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田園都市線も東急車より東京メトロ車の方の遭遇確率が高い場合もある

因みに神奈川の県知事選挙は投票率が仮確定の時点では39.68%だったが、その後に40%を辛うじて上回った=40.35%。そして案の定投票締め切りと同時に例の黒アワビ、じゃなかった黒いわ!祐治氏(無能すぎ~猥褻メールゲス不倫野郎)に当確!
これはもう実質無投票、謂わばGag Election=ギャグ選挙である。選挙をやったふり、実質フェイクで八百長同然出来レースというのが見え見え。無効票のパーセンテージも6.9%という異様な数字だった。出て来る候補者の顔ぶれを見て、文春砲でやっても大勢に影響はないと踏んで文春サイドもこの時期に炸裂させたのであろう。


神奈川というと神奈川新聞はド左翼で機関誌とすら揶揄されるレベルなので当然キモすぎ。平塚には河野洋平タロジロという超ド級筋金入の売国奴がいてキモすぎ。横須賀には小泉チョン痔瘻で馬鹿すぎキモすぎ。知事は上述の通りキモすぎ無能すぎ~、県内の東名は巨大監獄で渋滞しすぎのキモすぎ尾ビデ哉。
此処だけ見ると神奈川はもう地獄でしかない。人口900万の県の実態はコレ!、「小さなナチスドイツ」同然?になった大阪の事は笑えまへん…
そういえば、昔の2ちゃんねらーで「大阪には韓国人と野蛮人しかいない」という様なスレ入れて大炎上した奴がいた気がするなぁ~。でもそれって、一部当っている気がするんねやわぁ~。


勝ち鬨代わりに最後にこれを皆で歌おう!(取り敢えず2番まで)

浅野を…舐めんなよ!(イントロダクション)

浅野を舐めんなよ! Go-Go! には負けないぜ! Go-Go!
言うべきこと言うぜ! Go-Go! やるべき事やるぜ! Go-Go!
これが浅野のそれが浅野の~、浅野のRock 'n' Roll


不正はいけません! No-No! 210はいけません! No-No!
搾取はいけません! No-No! チューチューいけません! No-No!
これが浅野のそれが浅野の~、浅野のRock 'n' Roll!、Thank You!




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今年もダイヤ改正の季節、関東では東急相鉄直通開始が大きな話題だが、その他での鉄道車両の動向に関する話題を3つ。

この度のダイヤ改正でキハ85が特急ひだの運用から完全撤退。1989年の登場から34年が経過して、HC85に交代。ゴルフでHC85なんてあり得ない数字だが、ここのHCはhandicapではなくhybrid carの事。気動車といいながら各車の形式記号はクモロ・クモハ・モハで完全にここだけ見ると電車である。
キハ85が消えるのは高山本線のひだのみならず、7月には南紀HC85系に交代する。


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安濃川を渡ったキハ85の特急南紀=2017年3月・近鉄津新町駅付近にて

ここで捨てる神あれば何とやらという事で、キハ85の京都丹後鉄道(丹鉄・WILLER TRAINS)への移籍が決まって、既にその第1弾?が既に行われたのはご存知だろう。移籍したのはキハ85#3と#12の0番台非貫通先頭車2両

去る2月23日~3月5日に渡って、京都鉄道博物館でキハ85及びHC85の特別展示が行われたが、キハ85-3・12は名古屋に戻らすその足で西舞鶴まで行った。因みに、JR東海の在来線車両が同施設で展示されるのは初だったという。
2023年3月8日の時点で、丹鉄によると「走るのは2両1編成で、内装や外装を変更する予定は無い、2023年度に車両整備(経年劣化等の通常の整備)を行う予定で、車両の活用法は未定」という事だったが、追加でもう2両が譲渡されるという話もある。KTR001形(3連×2本)を代替するのに2×2=4両が要るのではないかという理由でこういう憶測が出ていると思われる。ただ、丹鉄はノープランで購入だけしたというのだろうか?


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多摩川を渡る横須賀線のE217系(先頭はY144編成・2022年廃車)=2021年11月

横須賀線の主力だったE217系、元祖「走るンです」の一つ。登場から30年が経過して電子レンジによる代替により全廃が予定されているのだが、まだ300両以上が残っている。近年の半導体不足等々の状況によって、電子レンジ増備が当初の予定より遅れているため、E217系の廃車も予定より当然遅れている状態であるという。

ここにきて、E217系の大々的な移籍話が持ち上がっている。インドネシアに300両以上が海を渡るというのである。現時点で残っている同系列の殆どがインドネシアに移るという事になるのではないか。インドネシアの鉄道というと嘗て日本で走っていた車両達がKRL Commuterline(KRLコミューターライン)でセカンドキャリアというか余生を送っている。E217が行くとするとこのコミューターラインという事なのだろうか。今世紀に登場した様な車両は「ハイテクで我々には使いこなせない」という事らしく、E217系はインドネシアでもハイテクでないという話なのだろうか?
これからハイテクでない車両は日本からなかなか出て来難くなる。関西の私鉄ならまだ狙えるかも知れないが。


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大和川を渡河する在りし日の近ヒネ103系低運転台=2015年10月

原型に近い103系が残っていて、しかも列車が走るのは朝と夕方だけというのに、立派に黒字という摩訶不思議な路線。その名は和田岬線。沿線にある三菱重工業神戸造船所等の通勤客が利用する路線で、日中は全く運転が無く、朝晩の通勤輸送に特化したダイヤが特徴。そういう事で非常に珍しい土曜ダイヤも存在、休日ダイヤに至っては1日僅か2往復の運転。この路線の103系はR1編成の1本、これが兵庫~和田岬の1区間2.7㎞をピストンしていた。
この路線には鉄道界でも非常に重要な役割があるのも御存じであろう。川崎車両株式会社兵庫工場JRの線路を繋いで落成した新車を各地に送り出したり、既存車両の改良改造等で入庫させる役割がある。甲種輸送等でよく話題に上るあの線路である。


この路線は神戸市の路線でありながら、神戸市から2011年に廃止要求が出たのは有名。累積赤字が1000億円超にまで膨らんだ市営地下鉄海岸線の利用者を「強制的」に増やしたいという思惑もあるのは明らか。(こんなのも木端役人のクソ発想が見え見え)
ただ、この路線は黒字。JR西日本としては経営に対する要らぬ干渉と言わんばかりに突っぱねた。
因みに地下鉄海岸線は小生も利用した経験があるのだが、端的に言うと「ヤバい」「あかん」「クソ」「要らん」。


ほんの数年前までは阪和線・同鳳支線にはスカイブルーの103系が、奈良線にも鶯色の103系がいた。大阪環状線ではオレンジの103系が走っていた。
その時代阪和線・奈良線共々、「老人ホーム」とか「時代に取り残された所」みたいに呼ばれるか、将又走る博物館みたいにも揶揄された。そんな時代ももやは隔世の感すらしている。


この路線は嘗て旧型客車最後の砦でもあった。旧型客車+ディーゼル機関車(DE10)という列車がバブル末期の1990年9月まで走っていた。そんなこの路線、最近は播但線と並んで103系最後の砦として注目を集めたが、2001年の電化以降22年間ピストン輸送を続けていたスカイブルーの103系近アカR1編成は18日で運行を終了する事となった、後任がR1編成と同じく近アカの207系になるのは確実である。

103系最後の週末」になる筈だった3月11~13日だが、103系の運行はキャンセルされた。鉄道ファンに来させないという「例の病気対策」なのは間違いないと思われる(穿ち過ぎ?)。
本来なら臨時便も走らせて一寸は「商魂込めたい」所であっただろうに…。
この国は行き過ぎのバカみたいな病気対策を何時まで続けるのか?、そこまでして世界の笑い物になりたいのだろうか?




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仲本工事氏の事故の話の後編に入る。
この事故現場至近の洪福寺、これ自体は横浜でも有名な臨済宗の寺院で700年程続いているという。14世紀に建長寺の住職だった枢翁妙環和尚によって創建されたらしい。
仲本氏だが、結婚は内縁状態のものも含め3回しており、内縁の妻=三代純歌女史とは結婚?10年目の節目の年だった。(式は挙げたが未入籍=内縁状態という事)
彼女は54歳だというので小生とは同い年だが、鬼嫁最低妻という事で非難轟々らしい。


元々都内(目黒区)に仲本氏自宅兼店舗がありそこで夫婦で飲食店を経営していたが、純歌女史が昨年夏に家出同然になって事故現場付近でカレー屋を経営し始めた。仲本氏は毎日の様に自宅から車で横浜まで通い使い走りの様な事もしていたなんていう話もある。目黒区の仲本氏宅は店舗は休業状態で、家はゴミ屋敷状態だったなんていう情報もある。

結局の所は「死人に口なし」なので、その辺の事の真相が本人から語られる事もなく、そこは判らない。ただ、純歌女史が女として最後の悪足掻きをしたくなって、結果この様な事態になったのではないかという一種のギワクは…ズドゴーン!でもある。

仲本氏は享年81歳だったが、件の事故の相手も73歳とまあまあ高齢なドライバーだったという。老老介護ならぬ老々事故だったと言える。ドライバーも歩行者チャリも高齢化するという前提なら、老々事故が社会問題に仕立て上げられる可能性も高い。

仲本氏はあの時、いつも利用しているコインパーキングが埋まっていたので、近隣の他の駐車場に入れて幹線道路を横断しなければならなかった様で、その事が事故につながったと言われているが、それでも洪福寺交差点まで行って横断すれば良い所を、交通量の多い横断禁止の所を不用意に横断したのだとすれば、悔やみきれない事であろう。


事故相手の側としても、認知と反応に於けるスピードは若い頃と比べ鈍くはなっていたのは間違いないが、ひょっとしたらまさかというのはあったかも知れない。如何なる物事の可能性を全て完全に予測し備えて運転しろと言われてもそれは実際は無理というもの、「こんなのあり得ないだろ」という事はある程度排除さざるを得ない。歩行者やチャリを見たら当り屋だと疑ってかからなければならないのであろうが、それも究極が過ぎる。
(最近は当り屋みたいな事を平気でやる奴等が多過ぎて非常に困っている。)

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仲本氏の事故現場は相鉄の西横浜及び和田町の両方に程近い

これで嘗てのザ・ドリフターズのメンバーの内、存命なのは高木ブー(高木友之助)・加藤茶(加藤英文)の両氏だけになった。
2000年に荒井注(荒井安雄)氏が71歳で死去。2004年にいかりや長介(碇矢長一)氏が72歳で死去。更に2020年に志村けん(志村康徳)氏も70歳で死去したのは記憶に新しい。そしてこの度の仲本工事(仲本興喜)氏の事故死である。


ザ・ドリフターズは1956年、マウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが合併して結成され、あのクレージーキャッツの後輩という事になる。1956年の結成から4年程はミュージックバンドだった。その流れで荒井氏はオルガン、碇矢氏はベース、仲本氏はギター・ヴォーカル、加藤氏はドラム・ヴォーカル、高木氏と志村氏はギター・キーボードという担当があった。

いかりや長介氏はバンドの3代目リーダーで1964年就任、前任者は桜井輝夫氏で初代は岸部清氏。最初はサンズ・オブ・ドリフターズ、その後1959~64年途中までは桜井輝夫とザ・ドリフターズと名乗っていた。60年代以降はテレビや映画出演が多くなり、コミックソング、コントやギャグを主体にする様になった。メンバーチェンジも数回あり、初期のメンバーには山下敬二郎・坂本九・小野ヤスシという名前もある。仲本氏の加入は1965年。1974年には荒井氏が脱退に追い込まれ、志村氏が加入する。
69年放送開始の「8時だよ!全員集合」からの快進撃は既に知る如しで、「ドリフ大爆笑」も20年以上に渡って制作された不朽の名作集である。

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高速道路(高規格道路)を逆走して死亡事故に到る…、一時期社会問題みたいにされた?こういう話は65歳以上でそのリスクが増すのは事実の様だ。小生も以前、高齢ドライバー(干からびた爺)が大きな交差点で右折したは良いが、そこから先で逆走(右側通行)して沿道の人間が警察に通報するという事態に遭遇した経験がある。その爺は程無く本来の車線に復帰して事なきは得た様だった。

重大事故全体を取ると、高齢者が引き起こす確率が他の年代に比べて異常に高いというデータ(エヴィデンス)は無い。そうは言っても小さい事故が増えるのは間違いない様だ。小生も先日、高齢ドライバーによる接触事故の被害に遭った。相手はどう見ても70は過ぎていたが、ドアミラーを僅かに掠った程度の事故だった。それでも警察を呼んで処理してもらわないとならなくなる。それで30分はロスした。
今の70代80代はアベガーで国葬反対とギャースカ叫んで、左に傾いたまま直らない連中が多いし、その他老害やりたい放題な連中も多くて最早有害鳥獣に近いと思ってしまうのは小生だけだろうか?


小生、実は今年に入ってからというもの、運転中の事だが、まず春先にはUBER害酷塵チャリカスに出合い頭で激突され、加えて最近高齢ドライバーの被害に遭うは、本当に酷い1年である。

今の70歳は若いとは言うが、65歳辺りからやっぱり色々ヤバいのは間違いない。70代後半辺りになるとそのヤバいが加速して相当なものになると思うべきである。80代はもう言わずもがなであろう。

小生の母方親族でも20年近く前の事だが老老介護擬きが1ヵ月程度乍ら起きたのを知っている。当時97歳の祖母宅に泊まり込んで74歳の伯父=祖母の長男が面倒を見ていたが、それがなかなか悲惨なものだったのは言うまでもない。母=祖母の長女は既に亡く、伯父も病気で「歩くミイラ」の様な状態、祖母も殆ど木乃伊状態。その後祖母は地方に住んでいる他の親戚に一時的に引き取られて、そこで程無く老衰で死んだから良かったが、それ以上生きていられたら本当に迷惑、孫の世代にも負担がかかる事すら充分に予想されて本当にヤバかった。抑々が女の悪い所盛り合わせ=身勝手鈍感の塊で、皮膚感覚も殆どゼロ、耳は殆ど聞えない、眼だって見えているか怪しいという状態、施設にブッ込んだって馴染めないでトラブルメーカーになるのは火を見るより明らかだった。意外と早めにタヒんでくれて助かったというのが偽らざる心境であった。

世という字は30から生まれている30を漢字1字で書くと丗(卅)。これは世の中は30年で1サイクルという事を著したと言われる。生れて30歳位で世代交代して親世代から色々なものの引き継ぎを完了し、同時に次の世代になる子供が生まれる。自分が60になる辺りで子供が30近辺になるので、親から引き継いだものを子供世代に引き継がせて、あとはある程度の年数余生を送ってタヒ!がイイ。「死ねない時代が来る」とかいって不安を煽っても、結局そういうのが最適解という可能性は高い。

誤解を恐れず言うと、70年はまだしも、本来なら80年90年ましてや100年なんて生きていて良い訳がないのである。木乃伊みたいな状態になっても90年だの100年だの生きていようとは思わない。
交通事故で亡くなるというのは予期していない非常に不本意で悲しい結果に見えるが、平均寿命もクリアしていて、老残を晒さないという意味では良かったのかも知れない


序に言えば、例えば80前後の人が例のアレで死んだとされても、本来は寿命が来て死んだというべきで、亡くなる時に偶然PCRで陽性が出たに過ぎないと考えるべきである。
PCR、太陽光パネルも今の日本で兎に角増やせと狂奔しまくる所にアタオカな闇が見えて、大陸のあの国が絡んだ疑惑の数々が、ドボドボドボドボ~




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安倍晋三=元総理大臣・7月8日死去・享年68
Dame Olivia Newton-John DBE(オリヴィア・ニュートン=ジョン)=8月8日死去・享年73
Elizabeth Ⅱ(エリザベス2世)=9月8日死去・享年96  三遊亭円楽(Ⅵ)=9月30日死去・享年72
アントニオ猪木=10月1日死去・享年79  仲本工事=10月19日死去・享年81


極々最近死去した有名人の中でも代表的な所を挙げてみた。
安倍氏の暗殺は青天の霹靂で超衝撃的だった。つい2年前まで総理で、退任後も多大な影響力を発揮している人物が簡単に暗殺された上に、マスコミが先導して左翼どもがその容疑者を「山神様」と言わんばかりに持ち上げるなんて呆れて物が言えない暗殺事件とそこからの一連の動きチュウ獄CCP・マスゴミと左翼がコラボした「超限戦」の一環だったという疑惑がドバドバドッカーン!ドドドドド!である。


エリザベス2世が即位したのは1952年、小生が生れる前からイギリスの国歌は「God Save The Queen」だった、これがこの度70年振りに本来の「God Save The King」に戻った訳である。ただ、王位継承したCharles Ⅲ(チャールズ3世)は既に74歳=川負とかいう何処かの知事と同い年、考えればエグい話である。Sex Pistolsの名曲にもGod Save The Queenがあるが、こちらはタイトル・歌詞変更はあるのだろうか?

ONJ女史も10年前に癌が見付かり、以来闘病をしていた。
三遊亭円楽氏は楽太郎というイメージが強い、円楽(Ⅵ)だったのは僅か12年。先代(Ⅴ)が47年間も円楽だったのに比べて、儚い感じに見えてしまう。先代(Ⅴ)が舘ひろし氏に似ていたというギ・ワ・クもズドゴ~~ンだったりしたものだ。
アントニオ猪木氏の事は言うまでもないし、この板でも5回に渡って書いたがそれでも全然書き足らないというのが本当である。
ONJ女史楽太郎氏猪木氏仲本氏、何れも小生幼少期から活躍していた人達であった。
小生としても時代の流れを感じさせられる。


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仲本氏の事故現場は相鉄の西横浜及び和田町の両方に程近い

ここ最近の主だった訃報をを挙げると…、先ずは2020年
高木守道=享年78・野村克也=享年84・渡哲也=享年79・大林宣彦=享年82・岡江久美子=享年63・志村けん=享年70・岸部四郎=享年71・竹内結子=享年40・Eddie VanHalen(エディ・ヴァンヘイレン)=享年65・小松政夫=享年78・Kenny Rogers(ケニー・ロジャーズ)=享年81・Kobe Bryant(コービー・ブライアント)=享年41・Bill Withers(ビル・ウィザーズ)=享年81・山本寛斎=享年76・李登輝=享年97・芦名星=享年36・Diego Maradona(ディエゴ・マラドーナ)=享年60・浅香光代=享年90・Sir Thomas Sean Connery(ショーン・コネリー)=享年90

2021年では、Henry Louis Aaron(ハンク・アーロン)=享年86・Larry King(ラリー・キング)=享年87・古賀稔彦=享年53・B.J. Thomas(B.J.トーマス)=享年78・Gerhard Müller(ゲルト・ミュラー)=享年75・千葉真一=享年82・瀬戸内寂聴=享年99・神田沙也加=享年35・すぎやまこういち=享年90・田村正和=享年77・田中邦衛=享年88・細木数子=享年83・橋田壽賀子=享年95・大島康徳=享年70・笑福亭仁鶴=享年84・高橋里志=享年72・Leon Spinks(レオン・スピンクス)=享年67・瑳川哲朗=享年84・チャーリー浜=享年78・神田川俊郎=享年81・富永一朗=享年96・江田五月=享年80・ストロング小林=享年81・Prince Philip(フィリップ王配)=享年99

今年に入っての主だった訃報だと…
小嶺忠敏=享年76・海部俊樹=享年91・水島新司=享年82・Meat Loaf(ミート・ロウフ)=享年74・Donald L. Wilson(ドン・ウィルソン)=享年88・石原慎太郎=享年89・Luc Montagnier(リュック・モンタニエ)=享年89・西郷輝彦=享年75・西村京太郎=享年91・三沢淳=享年69・宝田明=享年87・高橋国光=享年82・阪本敏三=享年78・Madeleine Albright(マデレイン・オルブライト)=享年84・藤子不二雄A=享年88・尾身幸次=享年89・柳生博=享年85・上島竜兵=享年61・河村亮=享年54・葛西敬之=享年81・ターザン後藤=享年58・出井伸之=享年84・葛城ユキ=享年73・佐野浅夫=享年96・山本コウタロー=享年73・若乃花幹士(Ⅱ)=享年69・島田陽子=享年69・市田ひろみ=享年90・森英恵=享年96・久野綾希子=享年71・古谷一行=享年78・稲盛和夫=享年90・Mikhail Gorbachev(ミハイル・ゴルバチョフ)=享年91・池永正明=享年76・柴田保光=享年65・Bruce Sutter(ブルース・スーター)=享年69・武村正義=享年88
※訃報の列挙については敬称略


皆様御存知の通り、仲本工事こと仲本興喜氏が事故死した。横浜市内で幹線道路の信号も横断歩道も無い歩行者横断禁止の所で車に接触されたのが18日午前9時頃。それから結局、急性硬膜下血腫を起こして死亡したのがその翌日。享年は81歳。 以前、仲本氏には国民民主党から国政選挙出馬の打診もした事があると党代表の玉木雄一郎氏が語った。同氏が事故に遭ったのは、西区浅間町の洪福寺がある所でR16現道から市道(♯7140・保土ヶ谷駅浅間線)沿いに1ブロック南に行ったスポットで洪福寺バス停の辺りと思われる。横浜の中心部にも近く、交通量の大変多い所なのは言うまでもない。

小生だって何度もこの辺りを通っているが、混雑や渋滞が出来る事も珍しくない上に、それが無ければ結構なスピードで流れる事もある。あの辺り、平日の朝9時あたりなら結構な交通量なのは牛馬犬猫の類でも想像に難くない。洪福寺交差点(=上述の国道市道の交点)まで事故現場まで凡そ30m程度と考えられる。あの交差点を回ったら合計100m程度遠回りする事になろう、それでも身体生命と100m、どっちを取るか?
遠回りするのが非常に億劫になる事情があったのか?そこは老いから来る判断力欠如なのか?その上、嘗ては体操を披露した身のこなしだって、以前の様には行かないのも明らか。
真っ当な判断が出来るならそんな横着をする可能性は低いと思われる。
81歳は日本人男性の平均寿命とほぼ一緒である。


後編に続く!



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今回の話は前回の続きだが、1982年10月8日、実はこの日は金曜日
という事で、テレビ朝日の20時台は当然ワールドプロレスリングなのかと思いきや…、横浜スタジアムでの横浜大洋ホエールズ読売ジャイアンツの試合(巨人軍のシーズン最終戦)が中継する予定だった。その当時、巨人軍中日ドラゴンズ相手に優勝争いで競っていた上に、番組改変期でイレギュラーな編成も組み易かった事もあるのかも知れない。しかし、その試合は雨で翌日9日に順延されたので、雨傘番組としてワールドプロレスリングが急遽放送され、かませ犬発言のシーンが公共の電波に乗って大々的にに拡散されたのだった.。
翌9日に順延された横浜スタジアムのゲームは巨人軍が敗北となり、この年の優勝を逃す大きな一因となった。これって猪木氏が死去した10月1日の展開と似ているといえば似ている。2022年10月1日と1982年10月8日、40年の時を挟んでの符合というものが見出せる

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桜木町駅付近にも1982年当時、勿論こんな建物は無かったが…

この事件は吉田光雄(当時は厳密に言うと郭光雄)というエリート逸材を、長州力として改めて売り出す目的で猪木氏と新日サイドが開発したアングルだった。ただ、実はこのアングルを考えたのは藤波氏だったとも言われている。
レスリングのエリートでありながら、その事が災いしてプロレスというものの理屈に適応しきれずに、地味な中堅選手に甘んじていたのが長州力というレスラー。吉田光雄はどこか長州力になり切れていなかったとも評せる。
80年代初頭の新日は外国人も充実、初代タイガーマスクブームで絶好調に見えたが、長州氏については、猪木氏に続くニューリーダーとして藤波辰爾氏と並ぶ看板的存在として大スターになってもらわないと困る事情もあったと推察出来る。鶴田友美(ジャンボ鶴田)氏を獲得出来ず全日本に攫われた所で、何としてもと獲得した超スター候補が吉田光雄という逸材だったのだ。
そして、その事情がUWFともガチャコーン!と接続していたと考える事も出来る。その事情として一番大きいのは、アントン・ハイセル事業失敗で生じた巨額の債務と思われる。


UWF爆誕の最大の理由は、この借金問題だというのは常識である。1983年にクーデターを起こされかけて、猪木・新間両氏は取締役から一時的に解任されていた。
そこで猪木・新間寿の両名が思い付いたプランは、UWFを新日の子会社として作り、猪木氏以下主力レスラーをそこに移籍させフジテレビの放映を付けて、TV放映料を借金返済に充てようという、虫が良すぎる絵に描いた餅だった。結局フジテレビの放映という話はアウトになり、餅を絵に画く事も出来なかった。テレビ朝日の介入で上述のクーデターも未遂に終わる。
ただ、こうした猪木氏の新日を私物化しまくるやり方に反発するレスラー等も出て来たわけで、これがジャパン・プロレス爆誕にも繋がって行くという事になる。


そんな事情を無視しても、このかませ犬事件はプロレス史でも一大事件であった。これが先ずは長州力・藤波辰爾の両氏の間の「名勝負数え唄」の出発点でもある事は紛れもない事実である。
当時の長州氏地味な中堅選手という印象が強く、ファンからももどかしく思われていた。新日本プロレス側も、この逸材を何とかトップレスラーに押し上げなければならないという焦りも感じていた可能性は高い。トップアスリートとして、アマレスでの実績は十分過ぎるレベルだったが、レスリングとプロレスリングは御存知の通り、「レスリングと」名がついても明らかに違う
実は、この日の対戦相手の中に長州氏と同等以上のスポーツエリートがいた。それはBad News AllenことAllen James Coage(アレン・ジェイムズ・コウジ)氏=モントリオール五輪柔道銅メダルだったが、これも一寸した皮肉と言えなくもない。

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闘えば腹も減る?

「彼の中には、それまでやってきたアマレスの世界で培ってきたものとプロレスの違いをどこかで感じてたようで。入門してきてから溜まってたイライラした気持ち、それを何とかしたいっていう気持ちがあって。」「猪木さんがいて、僕はジュニアの世界でやっていて、一番心地いい時代だったんですよ。そこに長州が割って入ってきて。彼の胸の内は、命懸け、これでダメだったら辞めてもいいっていう気持ちで凱旋帰国したらしいですね」とは藤波氏の後日談。

更に、彼だけの力だけではどうにも出来ない。上手く表現出来ない。あの時、猪木・藤波両名が眼前にいたので、リング上でああいう形で出すしかなかったのであろうと藤波氏は推測している。藤波氏との抗争が勃発し、ファンを熱狂させた伝説の名勝負数え唄に繋がる。長州氏もプロレスの本当の面白さを知り、アマレスでやってきた事とプロレスでの色々な表現が観客に受け入れられた。
彼にとってはもう1回、プロレスのスタートの立った形で、自身がやってきた事ががムダではなかったと確信したであろう。あれがなかったら、長州力はいなかっただろう。という旨の事を藤波氏は懐述している。(週刊プロレス・2021年11月の記事を参照)


その日、試合後の会場内でファンが東スポの記者(柴田惣一氏)に、「低迷したのは自分のせいなのに、逆恨みも甚だしいと思いませんか? 藤波がかわいそうですよね!」と食って掛かったという。
ここから生まれた名勝負数え唄も、長州・藤波の両名だから非常にスウィングした。この同世代の2人、受けの上手さと技の華麗さ、エリートではない叩き上げの藤波氏とは対照的に、五輪出場のエリート上がりだが華やかさは無いが武骨で攻めが強い長州氏、この2名だからこそ名勝負量産になったといえる。


この事件は1982年10月、そしてこの翌年(1983)5・6月には第1回IWGPリーグ戦が開かれたが、その決勝で猪木氏の「まさかの舌出しKO負け事件」が起きた。(普通に猪木氏が優勝したら大会に箔が付かないと考えて、故意に失神した様に偽装したという疑惑が、40年近く経った今でも…ズドゴ~~ン!)
猪木氏も80年代半ばあたりから加齢による衰えも目立ち始めて、落日の闘魂なんて揶揄されてきた。長州氏を革命戦士・大スターに創り上げておいて良かったのである。


この事件の主役となった長州力氏はスターダムに伸し上り、長州革命は日に日に支持を広げて行く。斯くして同氏は革命戦士としての歩みを進めて行く訳で、プロレス史の重要な転換点になる事件だったとも言える。
1984年9月にジャパンプロレスが新日を飛び出して全日本プロレスに参戦した事で、それまでワルツと揶揄され時代遅れとも言われていた全日のプロレスは、この「ハイスパートプロレス」伝来から変化した。そこから生じた天龍革命~明るく激しく楽しいプロレス~四天王プロレスといった変革の流れを辿ればそこに源流がある。歴史はやはり色々繋がって流れて行く。
(故・三沢光晴氏がタイガーマスクⅡになった背景にもこのジャパンプロレスが絡んでいる)


その一方、新日からの主力引き抜きに失敗し、フジテレビにもついてもらえなかったUWF。第1次・2次合計しても活動は3年程度だったが、格闘プロレス~総合格闘技というムーヴメントの作り出し、プロレス・格闘技興行の近代化にも貢献。日本でのプロレス自体も大きく幅が広がったのは事実で、その功績は大変大きいといえる。

長州革命という核分裂連鎖を起こして、遂には日本のプロレスの臨界までいったという様な事もいえるのか?

次回はどんなネタが飛び出すか?Chapter 56へと続く!



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