この千葉ニュータウン鉄道 9000形 も2013年に第1編成が廃車となり、第2編成を残すのみとなった。だからといってこの車自体が極めて地味で日影の存在とすら呼べる様なものだったから、炎天下でも寒風の下でも追い掛ける様な輩がいた様には思えない。
1編成だけになった車でも、 北総7260形 とはその辺が違っていた様に思われる。尤も 7260形 は京成の歴史を物語る鉄道記念物とも呼べる存在だった事を思えば、同一次元に並び得ないものだったのか。
第2編成を立石駅の東側のカーブで2014年7月にくそ暑い中で撮影したショット。
この日も別にこれを狙ったわけではなく、 北総7260形 が最大の狙いだったのだが、この時キャッチ出来たのは非常にラッキーであった。
サイドを彩るギザギザが古めかしい感じを演出するが、この車の登場した1984年頃は軽量ステンレス車体がまだ普及していなかった。日本車輌で作られたこの車は旧式のスキンステンレス(セミステンレス)構体だったのである。
(軽量オールステンレス車体の普及は205系の量産化を待つ事になる)
因みに1984年といえば、グリコ・森永事件があった年で、三陸鉄道とプランタン銀座が営業を開始している。更には鈴木啓示氏(近鉄)が300勝を達成し、蔵前国技館が終焉。所謂「ミソラ事件」はこの年の大晦日。
そして何と言っても、伝説の深夜番組「オールナイトフジ」の第1次黄金期。
素人同然の女子大生軍団「オールナイターズ」から、おかわり・おあずけ・おかおりシスターズなんて派生ユニットまでが出現して女子大生ブームの集大成的状態の時だった。(おかわりシスターズに至ってはコンサートまでやっている)
この辺りの時代は深夜番組が一気に拡大して花開いて行った時でもあり、関東では生放送のワイド系番組や所謂お色気番組が土曜の深夜を彩ったのである。
(関東以外、特に西日本の御仁達には御理解頂けないであろう 註)
当時高校生だった小生にとって、サタデーナイトはベストヒットUSA→プロ野球ニュース→オールナイトフジと梯子するのが勝利の方程式wだった。
更には、翌年登場した夕焼けニャンニャンに代表される女子高生ブームのその前夜とも言うべき時代でもあったと言えるかも知れない。
まぁ、そこはともかく…
品川第1踏切で京急を撮影した祭に幸運にも出くわした 9000形第2編成 ・快特羽田空港行き
これが結局 9000形 最後のショットになってしまった。
本来ならコイツに対しても何らかの悪足掻きをすべきだったのかも知れない。
品川の踏切はキャパが少なくなかなかポジションが取れない事も多い。北総沿線まで出掛けるにもそこは不便である。いずれにしても万が一空振りだったら眼も当てられない。何と言っても小生がそこまで駆り立てられる様な状況でもなかった。
そして3月20日のラストランも天気が今一つ読み難い状況だった事もあって、結局はブッチしてしまったのである。
(3月は遠征とモデル撮影会があって余分なエネルギーも金も割けなかったという事もある)
2013年に 9001編成 を抹殺した9200形だが、コイツも1編成だけの珍車ということになりそうである。
公団がやや気合を入れて作った様にも見える C-Flyer こと9100形 、千葉NT鉄道のエースであるのは言うまでもない。ただ、これも京成3700形のパクリであるのは有名(機器類が一緒)
そしてこの度 9011編成 を抹殺したのは9200形第2編成…、ではなく、この京成の優等生とも称される3700形
ネットでも既に記事になっていて御存知の方も多かろうが、この3738編成がリースされて千葉NT鉄道9800形に変身した。9200形第2編成が登場するものと思っていた御仁も多かろうが、予想を見事に覆して借り物で済ませる所が受継がれた公団の血というものであろうか。
かくして中途半端な珍車が又一つ生れたのであった。
旧ブログ時代から続く、「さよならの後は…」のシリーズはこちらに移転してから最初となったので、その名の由来になったこの曲を改めて紹介したい。
二人の時間を刻む砂時計 気付かぬ間にそっと別れを告げた
lyrics=安本美緒、composition=萱生昌樹
(安本美緒の画像は2013年に川崎駅西口で撮影 絵が旧いのは色々お察しください)
6年前の古い動画だが、彼女が実際に歌っている所はこちらの映像を!(彼女もまだ20代だった)
旧ブログを始めた当初の見込みからは大きく遅れてしまったが、このサイトも漸く500アイテムに到達!
(今回こそ本当に!)
無論、その大部分は旧ブログからの移転記事だが…
(註)深夜番組はローカル放送が元々多い上に、関西ではエロ・グロ排除路線が高橋信三(MBS創業者)の下で定着していたのに加えて、関東・関西間の文化的な壁が非常に高かったので、東京で製作された深夜番組が関西で流れる事は殆ど皆無だった。
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1編成だけになった車でも、 北総7260形 とはその辺が違っていた様に思われる。尤も 7260形 は京成の歴史を物語る鉄道記念物とも呼べる存在だった事を思えば、同一次元に並び得ないものだったのか。
第2編成を立石駅の東側のカーブで2014年7月にくそ暑い中で撮影したショット。
この日も別にこれを狙ったわけではなく、 北総7260形 が最大の狙いだったのだが、この時キャッチ出来たのは非常にラッキーであった。
サイドを彩るギザギザが古めかしい感じを演出するが、この車の登場した1984年頃は軽量ステンレス車体がまだ普及していなかった。日本車輌で作られたこの車は旧式のスキンステンレス(セミステンレス)構体だったのである。
(軽量オールステンレス車体の普及は205系の量産化を待つ事になる)
因みに1984年といえば、グリコ・森永事件があった年で、三陸鉄道とプランタン銀座が営業を開始している。更には鈴木啓示氏(近鉄)が300勝を達成し、蔵前国技館が終焉。所謂「ミソラ事件」はこの年の大晦日。
そして何と言っても、伝説の深夜番組「オールナイトフジ」の第1次黄金期。
素人同然の女子大生軍団「オールナイターズ」から、おかわり・おあずけ・おかおりシスターズなんて派生ユニットまでが出現して女子大生ブームの集大成的状態の時だった。(おかわりシスターズに至ってはコンサートまでやっている)
この辺りの時代は深夜番組が一気に拡大して花開いて行った時でもあり、関東では生放送のワイド系番組や所謂お色気番組が土曜の深夜を彩ったのである。
(関東以外、特に西日本の御仁達には御理解頂けないであろう 註)
当時高校生だった小生にとって、サタデーナイトはベストヒットUSA→プロ野球ニュース→オールナイトフジと梯子するのが勝利の方程式wだった。
更には、翌年登場した夕焼けニャンニャンに代表される女子高生ブームのその前夜とも言うべき時代でもあったと言えるかも知れない。
まぁ、そこはともかく…
品川第1踏切で京急を撮影した祭に幸運にも出くわした 9000形第2編成 ・快特羽田空港行き
これが結局 9000形 最後のショットになってしまった。
本来ならコイツに対しても何らかの悪足掻きをすべきだったのかも知れない。
品川の踏切はキャパが少なくなかなかポジションが取れない事も多い。北総沿線まで出掛けるにもそこは不便である。いずれにしても万が一空振りだったら眼も当てられない。何と言っても小生がそこまで駆り立てられる様な状況でもなかった。
そして3月20日のラストランも天気が今一つ読み難い状況だった事もあって、結局はブッチしてしまったのである。
(3月は遠征とモデル撮影会があって余分なエネルギーも金も割けなかったという事もある)
同期デビューのプランタン銀座は一足早く消滅し(去年12月31日)、この車もその続行のスジの様な形で(?)消えたのである。小生は別に京成一門のファンという事はないから、基本的に影が薄い存在だったのは間違いない。
此処からの画像は全て2014年夏に立石駅東側のカーブで撮影したもの
此処からの画像は全て2014年夏に立石駅東側のカーブで撮影したもの
2013年に 9001編成 を抹殺した9200形だが、コイツも1編成だけの珍車ということになりそうである。
公団がやや気合を入れて作った様にも見える C-Flyer こと9100形 、千葉NT鉄道のエースであるのは言うまでもない。ただ、これも京成3700形のパクリであるのは有名(機器類が一緒)
そしてこの度 9011編成 を抹殺したのは9200形第2編成…、ではなく、この京成の優等生とも称される3700形
ネットでも既に記事になっていて御存知の方も多かろうが、この3738編成がリースされて千葉NT鉄道9800形に変身した。9200形第2編成が登場するものと思っていた御仁も多かろうが、予想を見事に覆して借り物で済ませる所が受継がれた公団の血というものであろうか。
かくして中途半端な珍車が又一つ生れたのであった。
旧ブログ時代から続く、「さよならの後は…」のシリーズはこちらに移転してから最初となったので、その名の由来になったこの曲を改めて紹介したい。
当ブログでも取り上げている安本美緒 嬢のデビューシングル、「さよならの後は(reprise) 」(2008)
そう言えば、彼女もこの 9000形 と同い年やったわ…
そう言えば、彼女もこの 9000形 と同い年やったわ…
二人の時間を刻む砂時計 気付かぬ間にそっと別れを告げた
キスした後ははにかんでた その横顔を
何時までも見れるように願っていたけれど
Good-bye my sweet heart, Never forget you
溢れ出す涙 この想い胸の中大切に終おう
Good-bye my sweet heart, Never forget you
指切りをしたね 離れても遠くでも 強くある様にずっとずっと
出逢いと別れを人は繰り返し 涙流す度 愛を知るの
手を繋いで歩いた道 一人で歩く
変わらない風の中 あなたに会いたい
Good-bye my sweet heart, Never forget you
振り向かない様に 前を見てしっかりと 進んで行くからね
Good-bye my sweet heart, Never forget you
約束をしたね 離れても遠くでも 強くある様にずっとずっと
Good-bye my sweet heart, Never forget you
溢れ出す涙 この想い胸の中大切に終おう
Good-bye my sweet heart, Never forget you
幸せだったよ 何時か又出逢えたら 一番の笑顔で手を振りたい
lyrics=安本美緒、composition=萱生昌樹
(安本美緒の画像は2013年に川崎駅西口で撮影 絵が旧いのは色々お察しください)
6年前の古い動画だが、彼女が実際に歌っている所はこちらの映像を!(彼女もまだ20代だった)
旧ブログを始めた当初の見込みからは大きく遅れてしまったが、このサイトも漸く500アイテムに到達!
(今回こそ本当に!)
無論、その大部分は旧ブログからの移転記事だが…
(註)深夜番組はローカル放送が元々多い上に、関西ではエロ・グロ排除路線が高橋信三(MBS創業者)の下で定着していたのに加えて、関東・関西間の文化的な壁が非常に高かったので、東京で製作された深夜番組が関西で流れる事は殆ど皆無だった。
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