Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

タグ:いさご通り

「最近のTweetから」は文字通り、比較的最近tweetした話から選んだネタを転用したのもので、今回は其の五となる。
このシリーズは書き下ろしではない使い回し手抜きであるが、Twitterには140字の壁があるから、文章を彼方此方端折らないとならない。こちらにはその壁が無いので、tweetした原文通りではなく、一部添削加筆を行って載せて、画像も追加差し替えも行っている事は御了承頂きたい。(Twitter=@sakyo_daimonji)


◎3連接tweet=6月5日
①唐突だが、小生が勝手に認定する2023年5月の月間MVPの発表!※敬称略
MVPの前に先ずは各賞発表。
話題賞笑い賞=チュ~獄は広東省東莞市の土管群(ホームレス若者男女・動画はこちら)・山極 壽一(笑劇の学徒動員発言)
敢闘選手賞=小出美里・朱里乃・八神桃花・りほたろ。・小池ジョアンナ。小出美里は5月14日のイベント雨天中止が響いて優秀選手賞を逃したか?
敢闘選手達紹介・先ずは↓ 小出美里=左画像、朱里乃=右画像(ミュージックレインボー@草加駅前にて)

coidm@soka101  julinho@soka101
続いて↓ 八神桃花=左画像、りほたろ。=右画像(同イベントにて)
yagamm@soka01  rihotr@soka01
続いて↓ 小池ジョアンナ(いさご通り街角ミュージック@川崎競輪)
koijoa@keirin01

②特別大賞=Recep Erdoğan(レセプ・エルドアン=言わずと知れたトルコ大統領)、Tucker Carlson(タッカー・カールソン=今や世界No.1ニュースアンカー、世界の良心)
優秀選手賞=相模鉄道。実はこれだって本来はMVPでもおかしくなかったが…

st20001@tsutwm02
20000系20001F・HM装飾付、鶴ヶ峰付近にて

③そして栄あるMVP=最高優勝は…、何つったって、TiiiMO(てぃーも)の5人!文句なし。
Everyboby, let’s call! M・V・P!、M・V・P!、M・V・P!、M・V・P!
こちらでは5人全員の画像を紹介↓ Nattiy=左画像、REEi=右画像 ※敬称略

nattiy@kity02  reei@kity03
続いて↓ U-CHiM=左画像、MiMA=右画像
uchim@kity01  mima@kity01
最後に↓ PiTiiy
pitiiy@kity01


JR東海News・Twitterに対するquote retweet=6月15日
20年弱慣れ親しんだ「は~げ~か~く~し~♪」というヤツもあと約35日で終焉。
この曲の生みの親である葛西敬之・なかにし礼の両氏はこの世にいない。そしてTOKIO自体も2名が抜け音楽活動は出来ず、更に師匠ジャニー喜多川氏も亡く、ジャニーズは知っての通りあのザマ。


◎3連接tweet=6月13日
①「撮り鉄の高校生」、「飲食店のバカッター」両者は殆ど一緒。世の中、若気の至りでは到底許されない事は幾らでもある。因みに1980年に京阪本線で起きた置石事件(@枚方市)の犯人は中学生。そして、ああいう奴等は、抑々というギ・ワ・クがズドコ~ン!(続)
②こういう奴等は犯罪を犯してまでも「映え」してバスりたいのか?「映え」・「バズり」にしか生きる意義を見出せない、スマホとアプリに人生捧げている様な奴等だっている。日本にこういう奴等が増える程、結局ほくそ笑むのは反日主義者なのだろう。(続)
③小生も犬走りに座り込んで取っていた人非人の被害にあった事もある。DQNに乱入され撮影妨害をやられた事だって何回もある。色々な所で撮り鉄をしてきたが、色々条件を考えて撮影地を選んで、場合によって色々な妥協も受け入れてやっている。
※①の「ちゃんとした日本人ではない」というのがどういう意味かは、各自で色々考えてみよう!


◎連接tweet=6月13日
①「反LGBT法」の類が全米各地で総計75本可決されているらしく、これに対しLGBTQ人権団体(言うまでもなく極左は確実)のHRC=Human Rights Campaignは6日に、「緊急事態宣言」を出した。だが、現実にはトランスによって女性の権利が蹂躙されて性犯罪も増えている。
緊急事態に遭っているのはノーマルの女性そして子供で、緊急事態を起こしているのは「俺様は女だ!」とぬかすトランスジェンダーどもやろ!、このチンカス!(続)
②良識ある一般の市民達は、LGBTの権利だ何だで極左の活動家達やそこに乗っかる企業に好き勝手され、大多数である自分達の生活が蹂躙されている事には嫌気がさし非常に怒っている様だ。LGBTゴリ押し企業に対しは大々的不買運動も全米で起こされている。


◎=6月19日
LGBT法や移民入れて日本人滅ぼすより前にやらなければならない事はアホ程ある。
セキュリティクリアランスとかスパイ防止はどうした?それこそ日本人の人権と安全はどうした?。日本もアメリカもEUも腐りきっている、西側陣営の滅亡はすぐそこ!


◎連接tweet(13日)
①【朗報】George Soros(ジョージ・ソロス)、92歳でやっと引退
引退と言っても勿論、「表舞台から」という限定が付く。このG. Sorosというヤツは億万長者として有名だが、実は世界的な極左のドン。アメリカで民主党随一のメガドナーで去年の中間選挙では約1.7憶$を献金した。
②G. Sorosはアメリカ各地に極左の検察官を送り込み、世界中で左翼という左翼に金をばらまき、国家社会秩序や治安を破壊しまくっている。G. Sorosの後継者は息子の一人Alexander Soros(アレクサンダー・ソロス)=37歳。代替わりして政治にもこれまで以上にドンドン介入して左翼思想を更に広げる見込み。【←これは悲報】


◎連接tweet=6月16日
①「ペイさん」こと、北別府学氏が本日逝去した、享年65。同氏は1957年に曽於市で生まれ、1975年のD1位で広島東洋カープに入団。以来1994年までの19シーズンで213勝を挙げた。2018年から成人T細胞白血病に罹患し、闘病を続けていた。(続)
②我々の世代は北別府氏の全盛時の投球もTVで見ていた。まさに精密機械の異名に違わぬその投球は見事で、213勝141敗で勝率.602。そんな同氏、日本シリーズに5度出場しているが、何と1度も勝利投手にはなれなかった。近年はブログやYouTubeで野球評論家としての非常に高い知見を見せ非常に評価されていた。




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

永遠なれ、闘魂
昨日=14日にアントニオ猪木氏の告別式が行われ、親族・プロレス格闘技関係者等総計358人が出席した。その中にアントキの猪木・アントニオ小猪木両氏もいた。祭壇には晩年のトレードマークとなった赤いマフラーを模した赤いバラが飾られて、出棺時には勿論、猪木コールが起きた。
同氏は参議院議員だったが、哀悼演説は現職中に死去した議員のみが対象なので、猪木氏はこの対象に入らない。
そして、本日15日には下関市の海峡メッセ下関で安倍晋三元首相の山口県民葬が14時から行われ、喪主は安倍昭恵女史で葬儀委員長は村岡嗣政山口県知事。国会議員110名・県内自治体首長・県内経済団体代表者等、合計2000名が参列した。
アントニオ猪木氏、EF66-0番台(ゼロロク様)安倍晋三元総理がもういないという現実が圧し掛かる。でもこの事を一言で言えば、Nothing Stays the Same.という事か、結局は。
ここでMötley Crüe(モトリー・クルー)の1989年のナンバー、”Time for Change”を今聞き返してみると色々考えさせられてしまう(収録アルバムは”Dr. Feelgood”、曲についてはこちらのYouTubeでも参照願いたい)


I heard some kids telling me how they’ve lost all the faith in the way
They’ve been talking world peace and the wars in the streets


The lines on their faces so deep
A revolution, or reach out, and touch the day
We’re overdue, child


Change, now it’s time for change, nothing stays the same, now it’s time for change
Change, now it’s time for change, nothing stays the same

I feel the the future in the hands of our youth will be safe, no more lies
Old, tired fools tell our future with tarot cards, and lie of crime


The lines on their faces so deep
A revolution, or reach out, and touch the day
We’re overdue, child


Change, now it’s time for change, nothing stays the same. now it’s time for change
Change, now it’s time for change, nothing stays the same, now it’s time for change


I’ll change..., I’ll change, not tomorrow but today

Change, now it’s time for change, nothing stays the same. now it’s time for change
Change, now it’s time for change, nothing stays the same, now it’s time for change
Change, now it’s time for change, nothing stays the same. now it’s time for change
Change, now it’s time for change, nothing stays the same, now it’s time for change

この曲が世に出た1989年は猪木氏が国会議員になった年で、何と言っても東西冷戦がヨーロッパでほぼ終結した年でもある。この曲も冷戦終結への流れというものを念頭に書かれたのは間違いないが、この2022年は新冷戦が顕著になって第3次世界大戦へのカウントダウンが加速しているとも言えそうである。

さて、「1・2・3・ダァーッ!」が1990年2月に完成した事は前記事で書いたが、猪木氏の勝利の雄叫びは70年代までは両腕両拳をただ大きく突き上げるスタイルで、右腕右拳のみを大きく突き上げるのは80年代に入る頃からと思われる。ここに「ダァーッ!」の一声が加わる様になって、議員になった後の1990年にあの名調子が出来上がったという事である。
88kir100lag01
猪木氏の生まれ育ったのは横浜でもキリンビールの工場がある辺り。画像は1988年に醸造された特別限定のビール。

1990年8月にイラクのクウェイト侵攻=湾岸危機が起きたが、その翌月にイラクに乗り込んで、年末には人質に取られた状態(名目上は"guest")の日本人41名を解放したのは今でも伝説である。
8月に湾岸危機が起きて12月には人質解放に。そこから日本人だけでなく、人質状態だったほぼ全ての人達が解放された。同氏が一介の議員でしかなかったらイラクに乗り込む事も、ましてや要人達に会う事も出来なかったのは火を見るより明らか。これを可能ならしめたのは同氏が世界的有名スポーツマンであった事である。

同氏を世界的スポーツマンに押し上げたのは、76年6月26日にMuhammad Ali(モハメドアリ)氏相手に行った異種格闘技戦だった(全世界にTV中継された)。この試合で新日プロは大きな負債を負ったとされ、経営は非常に苦しくなったが、「どんな時でも逃げたらダメ。どんなに苦しくても一度自分をとことん追い詰めてみる。そこから本当の自分が見える。」という事を試合から暫く後に話していたという。

世紀の凡戦とまで揶揄されたこの戦いだったが、14年の月日を経て政治家アントニオ猪木の非常に大きな武器になった。「迷わず行けよ、行けば分る。」「踏み出せば、その一足が道となる。」を地で行ったような形となった。1976年のM. アリ氏との一騎打ちの後に、パキスタンに乗り込んでAkram Pahalwan(アクラム・ペールワン)氏との一騎打ちも行ったが(結果はドクターストップで猪木氏の勝利)、この事も交渉では武器になった様である。

政治家・官僚も手を拱いていた中、イラクが渡航禁止になっていたにも関わらず、「踏み出せば、その一足が道となる」という言葉そのままにイラクに乗り込んだ。実はその直前にモハメド・アリ氏もバグダッドを訪れていたが、すれ違いになってしまったので会えなかった。猪木氏はイスラム教の洗礼を受けてMuhammad Hussein猪木になって、イラクのスポーツ大臣だったUday S. Hussein(ウダイ・フセイン)氏等と交渉を重ねる等して、遂にスポーツと平和の祭典というイベント敢行に漕ぎ付けた。この時、多国籍軍の空爆開始は直ぐそこまで近付いていた。

その当時、各企業が人質の配偶者等に「今回は救出に参加しないように」というFAXを入れていた事も判っている。その背景として、外務省から猪木氏への協力を禁止する通達等があったのは間違いないと考えられる。外務省としては、自分達のテリトリーに土足で乗り込まれ荒らされてスタンドプレーをされた事になり、霞が関・永田町が激怒しまくったのは或る意味当然であった。

そして猪木氏の努力は結実し、12月2・3日にスポーツと平和の祭典を開催するに至る。初日はコンサート及びサッカーの試合、プロレス興行が行われたのは2日目だった。イベント終了後、新日等の関係者は直ぐに出国したが、人質全員の解放を目指した猪木氏はイラクに残った、そしてイラク当局に対し人質達の解放に向けての交渉を続けた。そして同月5日に人質の全員解放が決まって、全員で歓喜の「ダァーッ!」というバグダッド市内のホテルでのあのシーンに繋がる。
このイベントの為のチャーター機はトルコ航空だったが、新日本プロレス創設時のメンバーにレフェリーとしてユセフ・トルコことYusuf Omar(ユセフ・オマー)氏がいた事で、それが縁でこの航空会社を動かせたのだという。


この当時の事について、同氏は「日本で早く人質を助けろと世論が沸き上がっても、政府は何ら具体的な行動はしない。それなら、オレが行くしかないだろう。なぜ、人質の救出ができたか? そんなの簡単だ、燃える闘魂。これで十分だろう」とプロレス雑誌のインタビューには答えていた。(この件=AERA dotより)

kbd5002@nag01
神戸電鉄も「1・2・三田(さんだ)ァーッ!

223ma01@yod01
福知山線も「1・2・三田(さんだ)ァーッ!

1995年、第17回参議院選挙で再選を狙った猪木氏だったが、その前年からスキャンダルが出たのが大きく響いて落選。元秘書の佐藤久美子女史と懐刀だった新間寿氏jから、ガセネタを含む幾つものスキャンダルをブチ上げられ、ワイドショーからは徹底的な「つ~る~し~あ~げぇ~!」を喰らって、牙を剥いたキャンセルカルチャーの餌食にされた(ワイドショーはこの時代からキャンセルカルチャーを18番にしていた)。
そして何と言っても1989年当時とは政治状況も大きく変わった事もあり、抑々勝ち目が薄い状況だったと思われる。(スポーツ平和党は2004年に解散)
プロレスは存在がスキャンダルであるというのも猪木氏のプロレス観の根底をなしていた要素だと思われるが、政治家としてもそれを地で行ってしまった。


その後はプロレス界の方に軸足を戻した。落選の直前には平和のための平壌国際体育・文化祝典を敢行した、このイベントは佐々木健介・鬼嫁=北斗晶の馴初めとしても有名だが、これ自体は大赤字に終わり、窮地に陥った新日本プロレスはUWFインターナショナルに急接近し、同年10月「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」が東京ドームで行われ、新日対Uインターという一連の対抗戦に繋がる。猪木氏は33回訪朝している模様。
ここから猪木氏は新日の総帥という立場を使って、格闘技路線を仕掛ける。これが新日にとっては2000~2005年辺りの混迷と主力選手の相次ぐ離脱、暗黒時代の大元になる。


猪木氏だが、2005年11月に所有していた新日プロの株式を(株)ユークス(YUKE'S Ltd)に売却し、新日の経営からは事実上撤退。2007年にIGF=Inoki Genome Federationを設立・同年6月に闘今Bom-Ba-Yeという旗揚げ興行を行い、それ以降プロレス・格闘技の興行を展開していた。
(2018年、IGFは猪木氏と断絶し、アシストと社名を変えて現在は東方英雄伝という興行を中国で行っている)
2010年にはWWE Hall of Fame(WWE殿堂)に日本人で初めて顕彰された。日本人でこの殿堂に入っているのは猪木氏と獣神サンダーライガー氏の2名のみ。2017年には自身がプロデュースする新イベント=ISMを旗揚げ、同年10月に行ったISMの興行では自身の生前葬を行った。2019年2月19日には両国国技館でのジャイアント馬場没後20年追善興行に来場し試合前に挨拶を行った。
その時の言葉は、「元気ですかぁ!元気があれば何でも出来る。元気があれば、送り人もできるということで、馬場の20周年ですかね。早いもので、あの、だいたい20年経つと忘れられてしまうんですが、今日はこのように会場にたくさんの方が駆けつけてくれでありがとうございます。ジャイアント馬場に成り代わってお礼を申し上げる。(中略)
私もそろそろ、送られ人になりそうかなと。その時は、せめて10年ぐらいたっても覚えていてほしいと思いますけどね。(中略)
格闘技、プロレスというのは永遠だと思うんで、形は変われどこれから50年100年、何百年先にも続いていくと思いますから、一つ伝統芸、スピリットというか。(中略)ほんとはね、リング上に上がろうと思ったんですが、上がったら挑戦状を受けたということになりそうなんで下からご挨拶させてもらってますけどね。ますます元気にプロレスは、師匠力道山から始まり戦後の復興に元気を付けてくれたそんな思いを込めて、若い選手にメッセージとして送り、ファンの人達も宜しくお願いします。行くぞ~っ!1・2・3・ダァーッ!」

政治家としては、2013年7月21日の第23回参議院通常選挙に日本維新の会から比例代表で出馬し、356600票という党内最多得票を稼ぎ出し当選、18年振りの国政復帰を果たした。当時のこの当時の共同代表は石原慎太郎氏だった。その後は次世代の党→日本を元気にする会→無所属クラブ→国民民主党・新風緑会と渡り歩き、2019年7月に任期切れと共に政界引退。

猪木氏が没した10月1日、小生は午後に横浜に行っていた。横浜といえば、猪木氏が生れ幼少期を過ごした街である。
この日、横浜でも小生にしては珍しく元町に足を運んだ。横浜音祭り2022「街に広がる音プロジェクト」というイベントが行われて、そこに竹内麻利菜(たけうち・まりな)嬢出演のステージがあった。横浜は彼女にとっても地元である。彼女は洗足学園音楽大学ミュージカルコース卒業、2016~18前田奨学金奨学生だった。
本職はミュージカル女優で、所属は(株)ピュアハーツ。BSフジで月2回放送の”Disco TV”にも出演中。今年から川崎名物のいさご通り街角ミュージックにも頻繁に出演する様になる。

takemar@yokmot02  takemar@yokmot01

takemar@yokmot04  takemar@yokmot03
10月1日・元町でのステージの模様=画像4点

この同日の横浜スタジアムでは、YDBS巨人軍相手に今永昇太が無双して1-0の完封勝利。巨人軍は4位が決定し、完全に死んだYDBSからすると、この勝利は横浜の英雄である猪木氏に捧げるべき勝利にもなったであろう。
一方、これで原辰徳はクビにならないのが理解不能、コーチどもも大概にせぇと思うが、♯原辰徳を斬首しろという様なツイデモは起きないのだろうか?
巨人軍のケースとは対照的に、2年連続2位から今年5位に転落し、そこで潔く身を引いた千葉の井口資仁氏とは大違い過ぎでも生えない。


そして横浜スタジアム巨人戦猪木氏を繋ぐものがもう一つある。思い出せば、40年前の10月もそうだった。(横浜大洋ホエールズYDBSという違いはあるが)
歴史には思わぬ所での符合を見出せるものである、それが感性でセンスというのかも知れない。

それについては、Chapter 54で触れる!



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
このエントリーをはてなブックマークに追加

ゆきこhr vs. 小出美里のPart 2 、この記事では昨年11月、南越谷で開催されたミュージックレインボーでの画像100%でお届けしたい。
以前、川崎で同所同日出演があったかも知れないが、小出美里嬢が川崎にあまり来なくなった代わりにゆきこhr嬢がミュージックレインボー進出を5月に果たしてから半年、この2人が同日出演という事が埼玉で起きた。


yukhr098  yukhr099

yukhr100  yukhr101
11月も半ば、この日はほぼ快晴であったが、ステージは北向きで終日完全にビル影。観客席もビル影だったので結構寒かった。ゆきこhr嬢の出番は15時頃からだった。

yukhr097  yukhr102
彼女が音楽のまち・かわさきの顔であるのは言うまでもない事だが、その威光は埼玉でも遺憾なく発揮されつつある。こちらでも半年で完全に顔になった。
(ただ、これに関してはイベントMC のボンちゃんのおかげではないかとも言われている)


この直後の続行のスジで15:30にやって来たのが小出美里嬢。
coid021  coid022
「やっちょんな、やっちょんよ」と「う、美味過ぎる十万石饅頭!」が正面から競合したのはこの日だった。何せ会場は埼玉という訳で、ゆきこ嬢がいつもの通り「やっちょんな~」という件を入れたのに対して、小出嬢が対抗心を剥き出しにして「やっちょんな~には負けません」と前置きして「う、美味過ぎる十万石饅頭!」のコールアンドレスポンスを求めて来たのであった。(結果はイマイチだった気がする

小出美里という名前を聞くと、あの話を思い浮かべる人も多かろう。
「中居くん決めて」なる深夜番組に出演した時の「CD 踏まれた事件」。あの後ネットでは炎上商法の疑いか掛かり随分叩かれた事もあった様だが、彼女は6月末から1週間程NY に武者修行に行った模様である。


coid023  coid024
マイクのは彼女のシンボルカラーみたいなもの。
彼女の曲の中にGood by Gloomy 時代のもので " Route 125 " というのがある。国道125号は埼玉県でも北部出身の彼女にとっては地元の道である。彼女は以前、春日部や宮代の有名施設でアルバイトとしていた事があると暴露した。
首都圏の外れを走るローカル国道は埼玉県内では久喜(旧栗橋町)・加須・羽生・行田を通過して熊谷に至っている。秩父鉄道に1000系が走っていた頃は小生もそれを撮影すべくこの道を飛ばした事が何回もあるからそれなりに思い出のある国道なのである。


coid025  coid026
彼女はPart 1 でも触れたゆきこhrの2月11日・川崎も観に行っていて、そのステージには元相方=松本翔平もサポートで出演していたという。
ゆきこ嬢は彼女について出会った当初は苦手なタイプだと思っていた様で、つるんで活動したりするなんて想像もつかなかったと言っている。それこそライブで一緒になったりしなければ話しかける事すらなかったかも知れないとまで言っている。


この日は14時に会場入りして、この2人に先立っての朱里乃(じゅりの)嬢という訳で合計3組のステージを観て、17時にイベントが終了するその間際までいたのだが、十分に楽しめた3時間だったものの、これだけの時間ほぼぶっ続けで外にいるのは疲れる。

さて、ミュージックレインボー@越谷についてだが、今年1月は開催されたがその後 2月は抑々開催予定がなく、3月下旬予定のステージは中止。代替として六本木のライブハウスから90分のライブ配信がこの 2人ともう1名を加えて3人の出演者で行われた。

余談だが、この 2名と同い年を挙げて行くと大田泰示東浜巨則本昂大菊池涼介小川泰弘西勇輝
大迫勇也、山口蛍、入江陵介、パトリック・チャン(Patrick Chan)、加藤諒、三浦春馬、八乙女光
浅田真央、ローラ、南沢奈央、佐藤栞里、谷村美月、水原希子、三戸なつめ、菊地亜美、誰逃明美、エマ・ワトソン(Emma Watson)、袴田彩会、ゆりやんレトリィバァ、ブルゾンちえみ、
東武鉄道100系(スペーシア)、叡山電鉄800系小田急20000形RSE近鉄26000系さくらライナー相鉄8000系といった辺りである。




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 酒ブログ ワインへ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

「やっちょんなぁ、やっちょんよぉ」vs.「う、美味過ぎる!十万石饅頭!」
前者はゆきこhr(ゆきこ・えいちあーる)嬢=宮崎出身の決め台詞、後者は小出美里(こいで・みさと)嬢の出身である埼玉県の合言葉。
実はこの2人は1990年生まれで俗にいう「同級生」の関係に当る上に、誕生日も10月26日12月3日でかなり近い。2016年には期間限定で「おすまし3人娘」なるユニットを組み、つるんで活動していたこともある。

yukhr087  yukhr088

yukhr091  yukhr092
去年11月上旬に行われた「川崎市民まつり」における「いさご通り街角ミュージック」でのステージの模様。小生は2年ぶりにいったのだが、川崎競輪場の北東側と南西側には常設のステージがあった。ところが北東側(東ステージ)は老朽化して使えなくなった模様で、臨時仮設のステージが用意されていた。
小生にとっては予想外だったが、皮肉にもこれで事態が却ってナイスな方向に行った。昼前から長時間順光で14時前の彼女は御覧の通り「バリ順」状態。彼女をこんな素晴らしい光線状態で撮れたのは随分久しぶりの様な気がした。


yukhr094  yukhr095
ゆきこhr嬢は去る2月11日にクラブチッタ川崎でワンマンライブを敢行。ただこれもあと半月遅かったら開催不能だった可能性は高い。(実は当日、小生は別の所に行っていた)

ここからは小出美里嬢、元々は「いさご通り~」の出演者だったのだが、ここ数年は殆ど出演がない。川崎は埼玉から遠過ぎるのだろうか?
小生が彼女と出会ったのも埼玉ではなく川崎。

coid015  coid016

coid017  coid018
2019年6月のミュージックレインボー(@草加駅前)での模様。この日は晴れた時間も長く彼女は夕方の出演=18時前だったので夕陽を浴びての姿が撮れた。
ミュージックレインボーに何があったのか分からないが、東日本大震災直後からメインの会場は草加駅前だったが、去年11月から会場が越谷サンシティ=南越谷駅近くに移動していて、これから流浪のイベントになってしまうのだろうか?


coid019  coid020
彼女は抑々高校の同級生である松本翔平と組んで、Good by Gloomy (グッバイ・グルーミー)というユニットを結成し2010年11月から2018年10月まで活動していた(1年間の休止を含む)。その時期はGood by Gloomy としてもこのイベントに出演していた事がある。

この2人、利き腕は右と左で異なるが背格好はほぼ一緒。音楽のスタイル・歌声の質は全く違う、人としてのタイプも全く違う事もあって真正面から競合する様な関係にはならない。

この記事をPart 1 といった以上、次のPart 2 もある=つまり、to be continued



当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 酒ブログ ワインへ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

2012年頃から川崎はいさご通りに現れた、宮崎県出身シンガーゆきこhr (ゆきこ・エイチアール)嬢。
それから約6年、「やっちょんなぁ~、やっちょんよぉ~」のお決まりのフレーズを振りかざして、今や音楽のまち・かわさきに欠かせない重要メンバーの一人に伸し上っている。川崎や都内のみならず、今年は仙台七夕のステージイベント出演を果たすなど、その勢力範囲を確実に広げている。
そして何といっても、今年6月には自身初のミニアルバム 2種類をリリース。
ただ、これももっと早く出来なかったのかと思うが、さらに飛躍のチャンスを求めて奮闘中である。


yukhr055  yukhr058

yukhr060  yukhr063

去年10月に代々木公園で行われた九州関係のイベントでのもの。毎年恒例で九州をアピールするイベントという事で宮崎出身の彼女はうってつけ。因みに、代々木公園のステージイベントを撮ったのはこれが初めて。
いつも小さな仮説ステージやステージすらなく地面で歌う事の多い彼女だが、代々木公園のメインステージに立つ姿はいつもの彼女の様でいて何処か違っても見える。これでそれなりのスポットライトでもあれば最高だったかも知れないのだが・・・。



yukhr064  yukhr066

これが実は5年前の彼女、今とは全然違うのは一目瞭然。違いは髪の長さだけではなく、ステージで着る服、更には歌う曲の傾向も違っていた。小生としても「綺麗な娘なんやけど、一体何がしたいんか?」という眼で見ていた時期があるのは事実だった。
この後一時はソロからバンド活動への転向も決まりかけたが、直前にキャンセルとなった。ただその事が迷走しかかっていた彼女の方向性を却って定めさせた様に思われた。


yukhr069  yukhr071


yukhr074  yukhr076

yukhr073  yukhr077

この 6点は 8月中旬・アリオ市原のステージでのもの。
彼女同様に「いさご通り~」で御馴染の Keishia (ケイシャ)嬢、yayA (やや)嬢と3人のローテーションで2ステージをこなした。16:30頃の2回目のステージは御覧の通りに光線状態抜群、久し振りに最高な条件で彼女を撮れた
これだけでも千葉ぐんだりまで行った甲斐があったというものである。


千葉という場所は余り得意ではないというより鬼門になりがちな所なのだが、R357 や R16 での大きな渋滞(殆ど常態化)も無く、湾岸習志野からの高速も順調で très bien  な夏の一日と相成った。

そして去る10月にはバースデイバスライブなるものを都内で決行。バス貸切で渋谷のあたりをグルグル走りながらライブ+オフ会みたいなことをやったらしい。
持ち前のポテンシャルがもっと発揮される事を望むばかりだが・・・





ここからはざつだん形式・・・

これ結局、在庫放出企画やろ? 正直に言えや!

やい、うP 主! お前はいさご通りの宣伝マンか?

宮崎弁いうけれど、彼女は確か内陸部の出身やったと思うから、都城弁とかそういうのに近いのか?
東国原英夫は都城弁やで。


そういう問題語るスレ違うやろ!

こういう女の子が所々お国言葉を入れてくるのはチートが過ぎるから、どげんかせんといかんンゴねぇ・・・ でも首都圏の男性にとってはどこか可愛らしく感じて胸キュンですこ!やねぇ

この娘、いくつや?

José Altuve (ホセ・アルトゥーヴェ)、浅村栄斗、西勇輝、ライアン小川、大田泰示、則本昂大、大迫勇也、三浦春馬、すみれ、松井咲子、浅田真央、菊池亜美、誰逃明美、ローラ、miwa あたりと一緒。

誰逃でダレノガレって、少々

この歳でまだそのポジションとはキツイなぁ

それを言ったらおしめぇよ~。

きっかけさえ掴めればそれなりの所までは行けるポテンシャルの娘は多いけど、それさえ掴めるのは非常に少ない。マーケットの寡占化が進み過ぎていて、女のソロにはとりわけキツイというのがもう10年近く続いている。

彼女の歌唱力は川崎では完全に片手に入る。今若し上田利治さんが生きていたら「ええで」を 5回は連呼するやろ。

5回かよ! 10回位にならんのかい!

川崎の地タレみたいにすんなや! せめて南関東位まで広げてやれや!

取敢えずでもシンガー兼地タレで売り出して良くねぇ?




当サイトは各種ランキングに参加しておりますので、画面右側若しくは記事内のバナーをクリック下さい。
御訪問の序でにその中のどれか1つでもクリックを頂ければ幸いです。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ   にほんブログ村   にほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へ   にほんブログ村   にほんブログ村 酒ブログ ワインへ   にほんブログ村



写真 ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ