Dufftown 街角ミュージック

マイナーパワーがこの世を救う。今こそ日本を大和民族の手に取り戻せ!連綿と受け継がれる日本と大和民族を護ろう。 害人天国を~、ブッ壊す!

カテゴリ: wine

日本版蛎殻町というと人形町とか茅場町や兜町の隣で、有名な水天宮のある所である。まさに都心部と全然呼べる場所である。水天宮は安産祈願等で有名だが、その主な祭神は天之御中御主神、安徳天皇となっている。そして、総本宮(本社)は久留米にある。安徳天皇の母=按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が久留米に逃れて、1190年頃筑後川沿いの場所に水天宮を祀ったのが始まりとされる。
さて、そんな「都心に南アフリカが爆誕した」ってどういう事と思われるだろうが、爆誕したものは爆誕したのである。勿論。南アフリカ共和国の領土がいきなり日本に食い込んで来た訳では無い。


南アフリカワインを専門に扱うワインショップが都内に存在するという記事は2019年10月にアップしている。
その時の記事では…
>南アフリカワイン専門店と称する所が足立区の一寸マイナーな場所にあった!ので、思い立ったが吉日と増税前2019年9月に押し掛けてみた。その店の名は何とアフリカー(Af-Liqour)、アフリカ(Africa)とリカー(liquor)を足して2で割った何の捻りもないストレートなネーミング。
日暮里舎人ライナーの下にある尾久橋通り沿いで、西新井大師西駅・谷在家駅の丁度中間に当る様な場所にあるそんなに大きくもないマンションの1階にひっそりと所在して営業していた。如何せん非常に小さな店なので、店の2/3はセラーになっていて残りは狭いカウンターという具合で、動線を確保するにも苦労する様な所だった。


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このアフリカー(Af-Liqour)が何と、足立区の店を畳んで去年春に、Wine Square a2 by Af-Liquorとして日本橋蛎殻町なんていう都心部の場所に店を構えたのだ。しかも足立にあった時より店が明らかに広くなっているが、足立の時と比べて2倍になったのだとか。移転のアナウンスも去年3月末にショップのYouTubeでコッソリ突然やった感じだった
南アフリカのワインを大々的に扱う店で実店舗というとここ以外は小生も知らない。(EC専門なら幾つか存在するのを知っている)


因みに店主の小泉氏曰く、「株式会社ANPAN代表。南アフリカワイン専門店のアフリカー(https://af-liquor.com)を運営中。ソムリエ(JSA)。 他に旅人シェアハウスを運営中。 南アフリカワイン良さを日本に広めること、それと、旅人を増やすこと。 遊びに自分の事業。全て満喫できるようがんばります!!」(同氏Twitterより)

その店のスペース、以前は中古自転車の店だったらしい。セラーは地下フロアにあって地上のフロアには売り場とテイスティングのスペースがある。(有料のテイスティングは1種類で300円、3種で800円、6種で1500円)いずれにせよ、足立の時よりスペースには全然余裕があって、買い物がし易い。ここまで来ると、小さな南アフリカが爆誕したと言っても良いかも知れない。

蛎殻町での初の買い物はシラーのワイン2種類と相成った。
左画像から、Boekenhoutskloof(ブーケンハーツクルーフと読むらしい)が作り出すSyrah100%のワイン。ヴィンテージは2016で、7個の椅子が並んだラベルはこの生産者の最上級レンジの特徴でもあった。「あった」と書いたのは訳があって、これに使う葡萄からより厳選した物でPorseleinberg(ポルセレインベルク)という別のプレミアムブランドを作り始めたからである。
現在ここの蔵を率いる人物はマーク・ケント(Marc Kent)。
Boekenhoutskloofとは、アフリカーンス語で「土着の橅の木」を意味していて、南アフリカ#1のワイナリーに選ばれた事もある(2008)。Franschhoek(フランシュック)で1776年に創業した南アでも老舗名門ワイナリーで25haの畑からワインを作っている。葡萄樹はブッシュスタイルで仕立てられ、栽培はオーガニック。
Franschhoekはコースタル・リージョン(Coastal Region)地域の南東部にある小さなエリアで、有名な生産地であるパール(Parrl)・ステレンボッシュ(Stellenbosch)に隣接し、更にはケープ・サウス・コースト(Cape South Coast)地域のエルギン(Elgin)にも境を接する。
17世紀末、宗教迫害を受けて南アに移民したフランスのカルヴァン(Calvin)派プロテスタントであるユグノー(Huguenot)の人々によって開かれたワイン産地で、フレンチ・ユグノー文化を未だに残している「グルメの都」としても高名な街。L エルミタージュ・フランシュフック・シャトーアンドヴィラズ・ホテル(L Ermitage Franschhoek Chateau andVillas Hotel)も有名。



右画像はイギリス出身のRichard Kershaw (リチャード・カーショー)が作り出す、GPS Klein River Syrah(GPS クライン・リヴァー・シラー)
この生産者のElgin Syrah Clonal Selection 2014 (エルギン・シラー・クローナル・セレクション)2019年10月16日の記事で買ったボトルとして取り上げたが、そいつのラベルは青帯、このクライン・リヴァーのは緑帯。名前の通り、エルギン地域ではないクライン・リヴァー区域のSyrah 100%を使っている。Clonal Selectionは" cool climate, clonal select wines from Elgin "という通りにエルギンのブドウで作り、それに対しGPSは" Exploring exemplary parcels of vines from outside the Elgin region "という事で、エルギンでないWO(wine of origin=1973制定)のブドウで作る様だ。この生産者のワインはClonal SelectionGPS、" Single site, soil and clone wines from Elgin "と謳うDeconstructedの3種類のシリーズから構成される。。


R. カーショー氏は料理人で成功しつつも世界中を旅して南アフリカに1999年辿り着き、その後Master of Wine (マスター・オヴ・ワイン)の称号を獲得、2012年に自身のワイナリーを立ち上げた。赤ワインPinot Noir並びSyrahから、白ワインChardonnayから作られる。
このElginという所は、1000m級の山の麓にある標高250~400m辺りの緩斜面に葡萄畑が広がっている模様。画像を見る限りアフリカとはイメージし難い様な光景が広がっていて、それこそイタリア北部辺りと勘違いしてしまう様な所である。年月をかけてなだらかに削れた様な地形で地層は非常に古い。そこで池が各所に点在していて、地中の水分は適度に保たれやすい事も窺い知れる。
20世紀初頭からリンゴを始めとした各種のフルーツの生産地として急速に発展していた位の場所で、リンゴ果汁100%の炭酸飲料として世界的に有名な Appletiser (アップルタイザー)もこの場所で産声を上げている(1966年)
南緯34度といいいながら、ブルゴーニュに良く似た冷涼な気候で葡萄もピノノワール、シャルドネが主力になっているが、そんな気候で育つシラーも実は期待が持てる。
Elginのみならず、南アフリカでは10億年の歴史を持つ古い土壌が露出している所が多い。加えて気候の面では、南極大陸から海流で運ばれる冷たい海風が大陸の暑さを吹き飛ばし、ブドウ畑の気温が低く抑えられるという事らしく、その海流の水温は5℃位だという。


買い物の際に店の人と話していると、この両銘柄をローヌのワインで例えると前者は何しかHermitage(エルミタージュ)に似ていて後者はCôte Rôtie(コート・ロティ)をリマインドさせる様なワインだという話になった。

南アフリカはワインの産地としてはかなりの歴史がある、1659年に初のワインが出来たという記録が残っていて、アメリカより先輩となる。南アフリカという産地を決して侮ってはならないが、それを専門で扱うワインショップを実店舗でやるなんて普通は考えないかも知れない。でも、それをやってしまう小泉氏はある意味スゴイ。この店と南アの秀逸なワイン達に出会えたことも幸せだと思う小生である。



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今年初のワインの記事となるが、5月から飲酒は再開となってワインも飲みだした。
今回はブルゴーニュでもクラシックな作り手として名高い George Mugneret (ジョルジュ・ミュニュレ)の作品を紹介するが、この板では2回目(多分)。
George Mugnuret、その名は1988年に 59歳で死去した先代で、その死後は Marie-Christine(マリー・クリスティーヌ)、Marie-André(マリー・アンドレ)という 2人の娘に引き継がれて今に至る。Mugneret は Vosne Romanée では何世代にも渡って見られる名門というべき名前である。このドメーヌは先々代に当る André (アンドレ)及び Jeanne (ジャンヌ)の Gibourg (ジブール)夫妻によって1933年に創立され、その一人息子で薬剤師をしていた George に引き継がれ彼の名を冠する様になった。
ピュアで繊細にしてトラディショナルなワインを目指すという素晴らしいプリンシプル(principle)を貫いているのは間違いない。先々代の時からの畑は Mugneret-Gibourg (ミュニュレ・ジブール)を名乗り、先代はGeorge Mugneret を名乗っていたが、2009年ヴィンテージから統合され、Geroge Mugneret Gibourg(ジョルジュ・ミュニュレ・ジブール)となった。


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このワインも黄色っぽいエティケットが懐かしい。(現在は白地の物を採用)15年程度前に購入したと思うのだが、その時の相場は今と比べ物にならないほど安く、笑ってしまうレベルだが、その当時はコイツも8000円台だった様に記憶している。
現在、この作り手の特級(grand cru)に至っては¥50000に迫る等、草も生えず不毛としか言い様がない所までゴ~~ンぬっという訳である。


色は薄旨的な色の典型でクリアな大人しい感じのガーネット。くすんだ感じが微かにあるが、色調は明るめ。
拾い出せたエレメンツを挙げて行くとこうなる
第1の集団として、リコリス野薔薇、野苺、ラズベリー、赤スグリ、クランベリー、ハイビスカスティー煎ったカカオ(中南米系)ルバーブ桑の実Griottineコケモモタイベリー
サブになるものの一団は、Bénédictine、Jägermeister、Armagnac、ニルギリティー、キームンティー、黒文字、シナモン、フェヌグリーク、ハスカップブラックチェリー、プルーン乾式葉巻山査子
更にその下にはAmaro系リキュールスミレビターチョコ、楠、クコの実ドライデーツ


きめ細かいタンニンは結構大人しく見えるが、その代わりというか酸が強めに主張して全体を締めてくる。酸に締められてはいるものの、その酸がアフターまでを形成する。さすがはクラシックスタイルの厳格さがありながらシルキーなBourgogne という所か?その酸は旨味をシッカリシームレスに乗せているのが明らかで、更にそれに引っ張られる様なアフターはやや静かだが確実に非常に長い。特級(grand cru)にしては細く感じるかも知れないが、2001というヴィンテージの性格とこの生産者のスタイルがマッチしている結果と考えられる。

溶け込み感と旨味感が前面近くに出て来るのにはそれなりに時間が掛かると思った方が良い。酸が長くて美しい上に力を確実に感じさせる。厳しいながらも優しさ華麗さシルキーさそして抜ける様な青空の如きクリアネス・美しい海の様な深さがある様に見える。
(テイスティングは2021年5月)



本当に久し振りとなるスコアリングの結果だが…、18 / 20



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今回登場するCave des Clairmonts(カーヴ・デ・クレルモン)という生産者、マイナー過ぎて情報が本当に少ない。聞く所によると地元の協同組合に参加する生産者らしい。それは1972年に3つの生産者が立ち上げた協同組合らしく現在は14の生産者が加入する程になったという事で、ここもその中の一つだとか。このボトルとの出会いは恵比寿の某所。
Crozes-Hermitage Cuvée des Pionniers(クローズ・エルミタージュ・キュヴェ・デ・ピオニエ)なるワインは Crozes-Hermitage の中のChâssis(シャシ)という区画の古木のSyrah から作られるらしく、そこは非常に痩せた土壌だが葡萄は丸い小石に護られているという。
葡萄は収穫後、除梗されて色素とタンニンの抽出を優しく行うべく18~21日間かけてマセラシオンを行うが、その間にピジャージュとルモンタージュを日々行う。その後の樽熟は12カ月掛ける。まぁこれに関してはこんな所である。


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能書きはこれ位でちゃっちゃとワインのインプレッションに移る。

先ず色を見ると、少し暗めの鮮やかなガーネットだが色だけ見ると27年という割に若く見える。

拾い出したエレメンツをざっと挙げて行くと…
湿式葉巻、腐葉土、セミスウィートチョコ焼き立てのバゲットエスプレッソを第1のレイヤーとして
続いてはラズベリー古い刻み煙草、カラメルスタウト、プチグレインアロマ、ティートゥリー
3段目としてブラックチェリー、ブラックベリーハスカップ、煮詰めた黒葡萄、トドマツアロマ、Bénédictine
更にラヴェンダー八角、アニス、オールスパイス


トーンは全体的に暗いが、北のSyrah に欲しい要素はほぼ満たしていると思う。しっかりした酸とタンニンがボディを裏付ける。熟成した果実味と溶け込み感が非常に心地よい。なかなか甘美な液体に仕上がっている。意外と迫力もある。


最近まで蔵の中にあった事も(一見して明らか)あってか、まだヘタる事無くあと数年は楽しめるであろう。フィニッシュ~アフターも割と静かだが結構長いと来ている。


Crozes-Hermitageでこの出来とは全く侮れないどころか、腰抜かすヤツだっているかも知れない。小生も期待以上でビックリと同時に、これで除梗しているというのだから更にビックリ。ローヌの奥深さを思い知らされた気がする。(テイスティングは2020年6月)

採点結果発表… 18 / 20 もうこれ位遣ってもイイ!



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今年6月にテイスティングしたワインの話になるが、今回フィーチャーするのはPaitin(パイティン)として知られる作り手、Pasquero-Elia (パスクエロ・エリア)ともいう。本拠を構えるのはBarbaresco (バルバレスコ)でもNeive(ネイヴェ)区域、その南側にあるSerraboella(セッラボエラ)という所。地質が緻密で力強いワインが作れる。

この蔵は19世紀末からワインの醸造に加えて元詰を行い、当時当主だったGiuseppe Elia (ジュゼッペ・エリア)が1893年、Barbaresco del Bricco di Neive(バルバレスコ・デル・ブリッコ・ディ・ネイヴェ)という名のワインをデビューさせた。この時代はBarbaresco黎明期というべき時代だった。
その後1938年に休止の憂き目にあうが、10年後に再興される。
1965年にSecondo Pasquero-Elia (セコンド・パスクエロ・エリア)が設備を一新・葡萄樹の植え替えも行い、今の形のカンティーナを設立した。それから50年以上経った今も、Secondo の息子2人=Giovanni(ジオヴァンニ)とSilvano(シルヴァノ)がワインを作っている。現在は17ha程度の畑を持ち、Barbaresco以外にも、Dolcetto d'Alba、Langhe、Barbera d'Alba、Roero Arneis、Nebbiolo d'Alba 等を作っている


Barbaresco の場合、1.4ha前後の畑から収穫された葡萄はプレスと同時に除梗され、発酵はステンレスタンクで行われる。マセラシオンは4~6週間、26~28℃で行われる。Nebbiolo(ネビオーロ)種のブドウについてはすべて手作業で行われる。
熟成にはトーストされていないスラヴォニアンオーク・オーストリアンオークの大樽(30hl~50hl)が使われ、24ヶ月の樽熟が施される。その後瓶詰前にステンレスタンク内で2ヶ月休ませる。


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ワインのインプレッションに移る。
先ずカラーだが、全体がガーネット、深度が思ったよりある。エッジにレンガ色は入っていない。
酒質は固い、開きだすのに時間がかかった。そしてコイツの手強さを体感する事に…
最初大人しいのかと思ったら大間違い。時間経過と共に酸が貫きながら強烈に主張する展開に。続いて中々強固なタンニンも出て来る。でも、これがNebbioloという葡萄が本来持つ姿の一つの側面という事なのだろう。


拾い出したエレメンツを挙げて行くと
1段目のレイヤーとしては土、リコリス煎ったカカオ、刻み煙草、昔のFernet系リキュール
続いてのレイヤーはビターチョコプルーンブラックチェリー、ブラックベリーラズベリー古いバルサミコ酢キナリキュール葉巻
更には黒文字、白檀、その後の展開で薔薇、アフターの中から上質なニルギリティー…大体そんな所だろうか




アフターはまだまだタイトな所がある。酸とタンニンで引き締まってはいるが、その間隙を縫って出て来るものは更なるアフターの伸びを予測させる。その後は予測通り、ジンジンと迫り来る様なフィニッシュで長いアフターが演出された。

採点結果だが、18~18.5 / 20といった所だが、あくまでもテイスティングした今年6月時点の話。あと3~5年待てればもっと高い点を付けた可能性は充分ある。



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Côte Rôtie (コート・ロティ)でもモダン系の作り手と言われるBonnefond (ボンヌフォン)。今は西宮にあるミルコート(Bonili Japan)が千里丘にあった時代(ガチでMille CôteだったLOL)に静かに売られていてお勧めになっていたので買ったのが馴れ初め。
1955年に1haの畑から始まった。ドメーヌの拡張は1980年代初頭にCharles Bonnefond(シャルル・ボンヌフォン)が行った。80年代は葡萄をネゴシアンに売っているだけだったが、1990年までに部分的にはワインの自家醸造元詰を行う様になる。
1990年からは代替わりしてPatrick とChristophe のBonnefond 兄弟がドメーヌを仕切る様になり、95年までにはCôte Rôtie で5.5haの畑を持つようになる。それが今は7ha弱まで拡大している。
収穫は遅めにして熟度を最大にするやり方をしている様だ。土壌は鉄分豊かなシストで、平均樹齢は凡そ30年。発酵はタンクで行い、その後のMLF は40%を樽で残りはタンクに残して行う。Côte Rôtie で作る3種類のワインはSyrah 100%で、葡萄は全て除梗。


因みに、今回出て来る Les Rochains(レ・ロシャン)という畑は有名な La Landonne(ラ・ランドンヌ)のすぐ隣の区画で、Brune (ブリュヌ)区域を代表する区画の一つである。新樽使用率は25%、400リッターの樽で熟成を掛けて瓶詰している。年産は300ケース程であり、Bonnefond 兄弟の一番のお気に入りだという事である。

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ボンヌフォンが誇るこのワインのインプレッションに移る。先ずは色だがルビーパープルも結構残ったガーネットで少し暗い。そしてこの時点で少し厭な予感はしていた。
エレメンツを拾い出して分析すると、その「厭な予感」は的中


先頭に来たのは黒胡椒、カラメル。その後程無くしてブラックベリー並びビターチョコが圧倒する展開が結構長く続く。こういうのが小生はイライラする。
そしてその後漸く隙間を縫うようにブラックチェリー干した黒葡萄ラヴェンダーcrème de cacao、フェヌグリーク、シナモンシャンボールリキュール、といった辺りが出て来る。
もっと色々と展開があるのかと思ったら、そこからの変化は殆どなくモヤモヤと終わってしまった。


剛直といえば聞こえはイイが、正直言って単調さが拭えない。タンニンの特に甘苦さが目立つが、主だった要素は足りない訳では無い。そして酸もそれなりにしっかりある。
ただ、溶け込み方が今一つで何処かまだバラバラに主張している所があるとしか思えない。余韻だって決して短くはない、良いレベルだ。
でも結局物足りないしバランスが不満な上に、どこか「ニューワールド臭」までする


これはこの作り手がデビューして10年位の作品。それから時を経た近年のヴィンテージだと作りが変わっている可能性はあるが。

いつもの様に採点してみると、17 / 20 せいぜいこんな所



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