去る10月14日は30回目の鉄道の日だったが、同日に阪急9300系が20歳の節目を迎えた。同系列は阪急京都線の特急用車として2003年10月14日=10回目の鉄道の日にデビューした。以来、2010年までに11編成が投入され、従前の6300系(6330系を含む)を置き換えた。
去る9月20日からは9300F(第1編成)に記念のヘッドマークが掲出されて、その車内妻面にも記念プレートが掲出されている。(来年7月までの予定)
これに加えて記念グッズ2種類の発売もされた。
小生の年代だと阪急の車両=アルナ工機というイメージが定着してしまっていたが、同社が鉄道車両製造から撤退していたため、この9300・9000系共々に日立製作所笠戸事業所で製造され、その仕様はA-trainをベースにしている。
(アルミのナニワでアルナ。アルナ工機初の鉄道車両は阪急550形=1948年であった。)
屋根上の機器類はカヴァー(飾り屋根)で覆われて、通勤近郊形車両とは思えない特急形車両の様な出で立ちである。確か特急用ではあるが、所謂「特急形」ではない。
丸みを持った撫で肩の屋根形状や連続窓というそれまでの阪急には無かったシェイプは異彩を放っている。外見は2000系以来の阪急デザインは踏襲しつつも、どこか大きく変わった様に見えて違和感も感じるものだった。
阪急にとって9000・9300系は21世紀最初の新系列である事がこの様なデザインの採用に至った背景なのであろうか?ただ、これが1000・1300系になると阪急的な角張ったデザインに戻っている。
地上時代の崇禅寺駅付近で撮影
6300系と違って3ドアになり、扉位置は他系列と合わせてあるが、内装は車端部を除いて転換クロスシートで、車掌がボタン操作で一括して転換する。京阪特急やJR新快速と正面切って闘う(建前上は)以上は譲れない部分である。
京都・河原町~大阪・梅田間は凡そ40㎞、阪急京都線特急で45分程度、何故これでクロスシートなのかが理解出来ない連中は関東には多かろうが、兎に角詰め込む事のみを考える首都圏のノリこそが異常としか思えない。
国鉄(JR)・阪急・京阪の3者で激しいスピード・サービスの競争が長い間に渡り行われて来たのである。鉄道会社間の鍔迫り合いが殆どない首都圏とは大違いである。
Part 2へと続く!
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(アルミのナニワでアルナ。アルナ工機初の鉄道車両は阪急550形=1948年であった。)
屋根上の機器類はカヴァー(飾り屋根)で覆われて、通勤近郊形車両とは思えない特急形車両の様な出で立ちである。確か特急用ではあるが、所謂「特急形」ではない。
丸みを持った撫で肩の屋根形状や連続窓というそれまでの阪急には無かったシェイプは異彩を放っている。外見は2000系以来の阪急デザインは踏襲しつつも、どこか大きく変わった様に見えて違和感も感じるものだった。
阪急にとって9000・9300系は21世紀最初の新系列である事がこの様なデザインの採用に至った背景なのであろうか?ただ、これが1000・1300系になると阪急的な角張ったデザインに戻っている。
地上時代の崇禅寺駅付近で撮影
6300系と違って3ドアになり、扉位置は他系列と合わせてあるが、内装は車端部を除いて転換クロスシートで、車掌がボタン操作で一括して転換する。京阪特急やJR新快速と正面切って闘う(建前上は)以上は譲れない部分である。
京都・河原町~大阪・梅田間は凡そ40㎞、阪急京都線特急で45分程度、何故これでクロスシートなのかが理解出来ない連中は関東には多かろうが、兎に角詰め込む事のみを考える首都圏のノリこそが異常としか思えない。
国鉄(JR)・阪急・京阪の3者で激しいスピード・サービスの競争が長い間に渡り行われて来たのである。鉄道会社間の鍔迫り合いが殆どない首都圏とは大違いである。
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