Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

鉄道

The Legendary Super Star 東武鉄道DRC 1720系電車

小生位の世代だと、東武特急というとスペーシア100系ではなくこちらを思い浮かべる御仁達も多かろう。1960・70・80年代と東武鉄道の顔であり続け、その独特の風貌と相まってファンを魅了し続けた 1720系 、通称 DRC
DRC とはいっても DeLuxe Romance Car の略であるから、世界的に有名な彼の Domaine de la Romanée Conti (ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)ではない方の DRC である。(曝
実を言うと小生は東武、殊に伊勢崎・日光線とは縁遠い人生を送って来た為か、この車を生で目撃した回数は五指にも余る程度かも知れない。ただそういう個人的事情とは関係なく、この車両が伝説のスターである事に異論を差し挟む余地はなかろう。


東武博物館で 1721号車 (第1編成の浅草側)が保管されているのは有名だが、残されているのは運転台側の半分のみである。同一編成の日光側先頭車= 1726号車 は岩槻城址公園内に保存されている。車内が公開される事がある為、階段が付いてしまっているが、丸儘1両が保存されている。この編成の中間車2両=1724・25はわたらせ渓谷鉄道の神戸駅でレストランとして再利用されている。
今から5年以上前の話だが、1726号車目当てに2013年の9月末に岩槻城址に行ってみた。



tb1726@iwat02

1721号車はナニワ(アルナ)工機製造で、こちらの1726号車は日本車両製造(東京支社蕨工場)での製造である。第1・第2編成はナニワ工機と日車の混成軍であった。

実を言うと小生、幼少期に乗車した様な記憶もあるが定かではない。(ビスタカーはちゃんと記憶しているのに…)
小学校低学年の頃だったと思うが、図鑑でその姿を見た時には何しかゴツくて仰々しい出で立ちだと感じたものだった。
それから40年近くを経た2013年の時点でだが、静態保存車ではあっても改めてその姿を拝んでみると、クラシックでヴィンテージな佇まいに魅せられてしまう。ライト回りのゴツさには驚いてしまう。縦長のボックス状のライト回りというと、 EF66-0 番台 然り、 181系~489系 に至るまでの国鉄特急ボンネット達も採用していたが、この DRC の奴はやり過ぎ感がいっぱいである。鹿の角みたいな飾りも何か意味があったのだろうか?
作り易さや空力特性、メンテのし易さが求められる今の時代ではこんなデザインは到底許される訳がない。


tb1726@iwat04

撮影した時間は日没も迫った17時30分頃、周囲の木々の影が映らない様な時間帯を選んで夜景の様な撮り方で撮るのが良かろうと思ったのであった。西の空が小生の予想より明るかったのは計算外だった。
1720系が絶賛晒し中なのは公園でも北東側の隅っこで、隣接するのが第 3駐車場で、この駐車場だけ何しかクローズする時刻が早いので17時台の撮影になってしまった。
歩くのが面倒でも第 1若しくは第 2駐車場に入れておくべきだった。そうしておけばトワイライトやブルーモーメントで撮れたかも知れない。今の時期なら周囲の欅も芽吹いておらず、9月末に比べれば日の入りも早いから群青色の空をバックにした絵も可能かもしれない。
現在2019年、この車がこの場所にやって来たのは1994年なので、晒し者歴も 25年になるのである。


tb1726@iwat03

今でこそどの業界も「インバウンドが~」と喚き散らし、「外国人観光客へのアピール」なんて事を馬鹿の一つ覚えの如く連呼しているが、今から60年も前に外国人観光客誘致の為の仕様をふんだんに盛り込んで DeLuxe の名に恥じない豪華仕様の列車として登場したのは正にエポックメイキングな事だったと言える。
当初備えられたジュークボックスやサロンは後年外されてプチ豪華位にダウンしたとはいえ、この風貌そして格調高さと相俟って終生その存在感は褪せる事はなかったと思われる。
この 1720系 は打倒国鉄の切り札として登場し、東京~日光間の競争では完全に勝ったと言える。ただし、賞レースでは キハ81系 に敗れた(1961年)。
2006年から現在に至るまで東武とJR は「日光」・「きぬがわ」で相互乗入を行っているが、そんな事 DRC の時代には誰が想像しただろうか?


tb1726@iwat01

画面左サイドを見ると分かるが、何故信号機まで建ててあるのかは理解に苦しむ。(この蛇足は東武から押し付けられたのか?)

1960年から1973年にかけて 7編成42両が製造されたが、第6編成=1771F 竣工から第7編成=1781F 竣工までの2年の間に、1700系を1720系そっくりさんに作り替えて(更新して)しまったのは有名な話。
如何にもケチな東武らしい暴挙といえばそれまでだが、途中で1720系と同じ台車やモーターを交換してしまったので、それなら1700系は完全に没にして1720系を最初から真っ新で作れば良かったやんかという事は言えるが、それだと最終増備が第9編成になり、この系列の附番からすると1800番台に行ってしまう。それを防ぐために1700系を クリソツDRC に更新したのか…、というのはさすがに牽強付会が過ぎるか?


登場時と大きく変わる事無く走り続けた1720 / 1700系も100系スペーシアの登場でバブル末期の1990年から廃車が始まるのだが、そして1991年8月に定期運用終了、9月にラストランを行いその歴史に幕を下ろした。ただ、ここで東武鉄道を甘く見てはならない。同社は再びの暴挙に出る!
それがりょうもう用200系への「更新」だった(紙の上の話ではあるが)。ほぼ同世代の西武NRA 10000系でも101系の「廃車機器流用」なのにである。その「更新された姿」はシンプルといえば聞こえはイイが、何しか地方私鉄の特急というレベルにしか見えない。



tb209@kksgy01
209編成 北越谷~大袋間、所謂イ86号踏切にて 2009年1月

この200系、1990~98年の8年に渡って「更新」されてきたが、何せ1700系の機器を流用していたりする事も考えると、東武自体は将来の去就について何もアナウンスしていないが、あと5年以内にはその命運も尽きるのではないかと思われる。

tb20x@kask01
春日部を通過して野田線を潜る手前のカーブにて 2013年9月末
編成番号特定は出来ないが、パンタの形状からして201~206編成の何れかであるのは明らかである。

西武では遂に「肉棒電車」「走る肉茎」が登場し、実質上無塗装のボディと相まってデビュー前から悪趣味感を振り撒いている。鉄道に限った事ではないが今の世には如何せん見た目にチープで悪趣味な物が溢れ過ぎである。他に類を見ない存在感や格調高さという付加価値を生み出すようなデザイン力というものも消え失せてしまったのだろうか?

ここまで色々書いて来たが、最後に東武史上随一ともいえる名車にはこの曲を捧げてこの記事を締める事にする。

その曲とは…、Queen 初の本格的ヒットシングルである " Killer Queen " (1974)である。
アルバム " Sheer Heart Attack " からシングルカットされて英国でTop 3 、アメリカでもTop 20 入りを果たした曲だった。尚、一部の御仁達には歌詞の中の「gunpowder, gelatine 」という部分が「がんばれ田淵」と聞えるのだとか(曝)(笑)(余談だが、フレディと田淵氏は同い年)


因みに、Freddie Mercury (フレディ・マーキュリー)氏が死去したのは東武DRC ラストランから77日後の1991年11月24日だった。
実際の曲に関しては、こちらのようつべでも御参照頂きたいのだが、フレディの画面を通じて放つホモ感が半端なく草生える



She keeps Moët et Chandon in her pretty cabinet
Let them eat cake, she says just like Marie Antoinette
A built-in remedy for Kruschev and Kennedy
At anytime an invitation you can’t decline

Caviar and cigarettes, well versed in etiquette, extraordinary nice
She’s a kilker queen
Gunpowder, gelatine, dynamite with a laser beam
Guaranteed to blow your mind anytime
Recommended at the priceInsatiable an appetite…, wanna try ?

To avoid complications, she never kept the same adress
In conversation, she spoke just like a baroness
Met a man from china, went down to Geisha Minah
Then again, incidentally, if you’re that way inclined

Perfume came naturally from Paris ( naturally )
For cars she couldn’t care less, fastidious and precise
She’s a kilker queen
Gunpowder, gelatine, dynamite with a laser beam
Guaranteed to blow your mind anytime

Drop of a hat she’s as willing as playful as a pussy cat
Then momentarily out of action, temporarily out of gas
To absolutely drive you wild, wild…, she’s all out to get you

She’s a kilker queen
Gunpowder, gelatine, dynamite with a laser beam
Guaranteed to blow your mind anytime
Recommended at the priceInsatiable an appetite…, wanna try ?
You wanna try ?





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ビスタ、か~んれきぃ~! だった件 其の弐

1978年、それは ビスタカー が産声を上げて丁度20年という年だった。
従前の10100系は運用し易くする為か、コンパクトな3連接という形を取り、片方だけ流線型非貫通=A・B 編成、両方貫通=C 編成という3つのスタイルを持っていた。これで他系列との併結運用が比較的容易にはなった。連接という構造がやはり癌だったと考えられ、そこから来る各種の弊害は看過出来ないものだったと推測される。


ktvasat@isash01
22600系AT・22000系AS を後に従えての8連で名阪特急運用に就く 伊勢朝日~川越富洲原間 

10100系の廃車は12400系登場の1977年から開始されたが、初代・2代目の経験を踏まえて新世代ビスタカーとして開発されたのが 30000系だった。連接構造を廃止し、ボギー形式の4連ユニットを採用。顔も 12400系 と同じ貫通型正面に統一。他の特急車との共通運用化を最初から前提にしたと言える。
斯くして3代目が1978年12月に登場すると、残存していた2代目をわずか半年で置き換えた。翌1979年春~夏のトリプル連結「10100系引退興行」へと繋がっていったのである。


ktv@kois02
12200系に裏被りを食らいそうになる名古屋行きの単独運用 2016年2月・櫛田~漕代間

ktvns@kois01
12200系と組んでの8連名伊特急で賢島に向かう 2016年2月・櫛田~漕代間

この30000系、開発段階初期ではダブルデッカーは採用しない方向で考えられていた模様である。ダブルデッカーの欠点の一つとされる乗り降りに手間取るという部分が敬遠され、単なるハイデッカーという方向で考えられた。しかし、ハイデッカーでも乗降のし難さが解消されるわけでもないとされ、ダブルデッカー採用と改められたらしい。
そういう紆余曲折があったのも、先代と違い名阪ノンストップを想定せず阪伊・名伊特急に充当するという前提に変わってしまった事がある。


ktv@isnak01
単独の4連で賢島に向かう 2016年2月・伊勢中川~伊勢中原間

10000系、10100系はその特殊性が前面に出て、それ故に使い辛い物になってしまいそれぞれ13年・20年という比較的短命に終わってしまった。
これに対し、3代目は汎用性との両立によって去年末に40周年を迎えたばかりでなく、カラーリング変更を含めたリニューアルを受けて、50周年という大台まで行ける可能性が出てきた。

このビスタカー(Ⅲ)が産声を上げた1978年というと、成田空港開港、キャンディーズ解散コンサート=後楽園球場(「普通の女の子に戻りたい」と言って後々は普通の芸能人に成り下がった=曝)、江川卓氏の「空白の一日」、故・大杉勝男氏の「疑惑のホームラン」、宮城県沖地震、伊豆大島近海地震、第一次大平正芳内閣成立、故・植村直己氏の犬ぞりでの北極点単独到達、旧農林省が農林水産省に改組、王貞治氏の通算800号HR、「Star Wars Episode Ⅳ」=第一作の公開、世界最強タッグ決定リーグ戦初開催…、こんな辺りだろうか。

因みにこの 30000系 と「同期生」になる面々はというと…、サザンオールスターズ、石野真子、石川ひとみ、杏里、竹内まりやPrinceVan Halen、The Cars 、更にスポーツ界ではS.S. マシン(平田淳嗣)や達川光男が同期で、テレビでは「暴れん坊将軍」、「ザ・ベストテン」、「熱中時代」、「24時間テレビ」、「白い巨塔」(故・田宮二郎氏のヤツ)が、自動車界ではHONDA・プレリュード、三菱・ミラージュがこの括りに入る。
1978年生まれという括りに変えると、ヤクルトのミルミル、横浜スタジアム、サンシャイン60、浜崎あゆみ、Misia、椎名林檎、持田香織、ISSA、矢井田瞳、DAIGO、ファンキー加藤、堂珍嘉邦、長谷川京子、矢田亜希子、菊川怜、
釈由美子、大江麻理子、白石美帆、長瀬智也、小泉孝太郎、若林正恭、塙宜之、
スポーツ界では、Frank Lampard (フランク・ランパード)、Gennaro Gattuso(ジェンナー・ガットゥーゾ)、Kobe Bryant (コービー・ブライアント)、Manny Pacquiao (マニー・パッキャオ)、森野将彦、関本賢太郎、Vernon Wells(ヴァーノン・ウェルズ)、Chase Utley (チェイス・アトリー)、澤穂希、浜口京子、井上康生…等々まだまだ挙がる。



そんな30000系も1990年代後半に入り20年という大台に差し掛かると、車体・各種設備更新が必要になった。そこで、中間車 2階部分は新たに作り直して取り換えるというだけでも大規模工事だが、母線長が50mまでおK になった事でパンタの削減、その他諸々の工事を行った。これで観光客を運ぶリゾート特急としての性格を強めた VISTA EX に生まれ変わった。

これによる効果としては、パンタの異常近接配置のリスクが無くなったので重連が可能になり、他系列との併結の自由度も増した。W パンタの時代には不可能だった形の併結も可能になった。
1枚目や3枚目の画像を見ればわかるが、2丁パンタの車両を隣に持ってくる様な併結はEX になったから可能になったのである。
併結運用の場合、W パンタの他系列は阪伊・名阪では難波寄り、京伊では京都側、名伊では賢島側に持ってくる以外無かったが、EX 化でどちらでもおK になった。


ktv@kois01
漕代を通過し櫛田川を渡るべく築堤を駆け上がる難波行き 2016年2月・櫛田~漕代間

ktvns@iss01
12200系とほぼピッタリ並んでしまった…、2015年11月・宮川~伊勢市間

ヴィスタカーのネタ元はアメリカのEmpier Builder (エンパイア・ビルダー)だったと言われる。(現在もAmtrak の下で運行している)そのアメリカではスーパーライナー客車を使用したAmtrak の長距離列車群、更にはシカゴ・メトラのハイライナーといったダブルデッカー列車がある。
今やダブルデッカーは国内外に結構な種類が存在していて、珍しいものではない。
欧州での代表選手は何といってもTGV Duplex Avelia Horizonスイス国鉄のIC2000客車・RABe511形電車等々を始めとして、ダブルデッカー車両は各国で当たり前の様に走っている。
日本では乗降に時間が掛る等の理由で敬遠されがちで、重心も高く軸重も嵩んでしまう事もあり、新幹線からは排除されてしまった。ただそれ以外では首都圏の普通列車グリーン車、E26 系、285系京阪8000系JR 四国5000系(マリンライナー)が走っている。

日本に於いてダブルデッカーはあまり浸透しないが、ヴィスタカーはそのパイオニアであるのは間違いなく、名列車であるのは疑いようがない。
30000系は今でも単独運用が多いが、他系列との併結運転のケースは更に減って行くと考えられる。来年以降、3代目アーバンライナーが登場すると、名伊・阪伊等での6連運用も21000系・21020系におまかせ!という事になって行く可能性は高い。汎用特急車の6連は減って行くと考えられ、8連運用のケースも増えるとは思えずこの系列も 4連単独運用ばかりになってしまうかも知れない。(2025年の万博輸送(Ⅱ)という一時的要素を加味してもである)



ここからは初めて志摩線内で撮った画像=2017年3月を紹介する。

kyv@shmiso01
志摩磯部~穴川間の所謂磯部カーブにて 外国人観光客による誤乗防止の為の副標で特急表示を復活させた。 

2017年3月上旬撮影だが、カーブ外側の枯れ草は焼いてあったのは香ばしかったのだが、勿論撮り鉄的にも助かる。
磯部カーブというと望遠で切り取るこのアングルだが、秋冬期の昼頃の列車が順光になる



ktv@shmiso03
京都を目指す 上画像と同じ磯部カーブの反対側からのアングル

冬場は難しいが、春先や秋口なら午後遅い時間の上り列車はカーブの内側から広角標準系で狙える。遠近感が強く出てしまう事や架線柱の処理に結構きついものがあるのを厭わなければの話だが。

脇役に甘んじる様になってかなりの年月が経った様にも思えるが、40年に渡って活躍しまだこの先10年位は使い倒されそうなこの名車をこの曲を以て讃える事としてこのネタを締めたい。
又々の登場になってしまうが、Bobby Caldwell が1978年に放った有名曲、" What You Won't Do For Love " である。彼に関して一番有名なのがこの曲であろう。
どの様な曲かについてはこちらのYouTubeでも参照頂きたい


I guess you wonder where I’ve been, I searched for the love within
I came back to let you know. Got a thing for you, and I can’t let go

My friends wonder what is wrong with me Well, I’m in a daze from your love you see
I came back to let you know. Got a thing for you, and I can’t let go

Some people go around the world for love, but they may never find what they dream of
What you won’t do, do for love. You tried everything, but you don’t give up
In my world, only you..., make me do for love what I would not do

My friends wonder what is wrong with me Well, I’m in a daze from your love, you see
I came back to let you know. Got a thing for you, and I can’t let go

Oh, I only want the best, it’s true. I can’t believe the things I do for you
What you won’t do, do for love. You tried everything, but you don’t give up
In my world, only you..., make me do for love what I would not do

Make me do for love what I would not do..., make me do for love what I would not do
Make me do for love what I would not do..., make me do for love what I would not do





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ビスタ、か~んれきぃ~! だった件 其の壱

1940年代から走り続ける 近鉄特急 の顔といえば、今こそアーバンライナーしまかぜという事になるのだろうが、しまかぜ登場は2013年であり、1988年にアーバンライナーが登場する前は間違いなくビスタカーだったといえる。そのビスタカーが去年60周年を迎えていたのである。
ところが近鉄はこの大きな節目を「VISTA、か~んれきぃ~!」という感じで大々的に記念する事もなくあっさりスルーしてしまったのである。


ktv@masug01
阪伊特急として単独で賢島に向かう 2013年11月・松塚~真菅間

ktvas@masug01
22600系AT 編成を付けて鳥羽に向かう 1枚目と同日同所

ktvnn@tomsh01
12410 or 12600系?を従え名阪運用に就く 2013年4月・川越富洲原~近鉄富田間にて


ビスタカーは御存知の通り、初代が 10000系 、2代目が 10100系 、3代目が現・VISTA EX 30000系 である。

初代ビスタカー 10000系 の運用開始は1958年の7月11日、その編成構造は 2両+3連接+2両=4両+3連接で 7連という珍妙なものだった。しかもこの車両の存在自体がダブルデッカーの実証実験だったのである。実証実験という事で、7連ユニット 1編成のみが投入された。
3連接の両端(3・5号車)がドーム構造ダブルデッカー構造で、更には簡易運転台まで付いていた。この連接部分と連結される 2・6号車にも入れ替え用運転台があったから、4号車以外は運転台を備えていた事になり、7両中で6箇所も運転台があったというだけでもびっくりである。
何でこんなヘンチクリンな編成にしたのかといえば、3つのユニットに分割出来る様にしておいて、運用の自由度を上げたかったらしいのである。
標準軌車両という事もあり、高出力に最適なWN ドライブで駆動している。この駆動方式が日本に初導入されてから 5年(白黒テレビカーこと京阪1800系が最初)、この車両に於けるWN 採用はこの国の鉄道でも非常に早い部類に入る。


小生としては、この実車を見た経験すらないが、4枚折戸というのは興味をそそられる。
4枚折戸なんてバスの話かよと思われるであろうが、2枚折戸は今の鉄道やバスでも見かける事がある。昔の路面電車にも 4枚折戸の採用例はあるが、鉄道車両だと 711系試作車 を思い浮かべる方もおられよう。でもやはりその決定版はクロ157-1 、唯一存在した クロ157 という形式、つまり御料車(貴賓車)であった。幼少期にこれを図鑑で見た小生の脳裏には 4枚折戸の鉄道車両は特別な物だという認識が生じたと思われる。


ビスタカーという名前、本当はヴィスタカーと書かなければならない筈である。Vista という言葉はイタリア語で、英語にすると view、即ち眺望・景色という意味になる。大阪市電5号形電車がこの国での初採用例とされている。そう考えると、Vista Car なんて本来成り立たない言葉である。ここは本来、 macchina della vista (マキーナ・デラ・ヴィスタ)若しくは  view car (ヴュー・カー)にしないとならない筈なのだが、そんな事を気にするのは小生位だろうか?

そして、1959年には早くも2代目となる 10100系が登場する。それは始祖となる 10000系の登場から1年後の事だったが、要は中間3連接の部分を抽出し独立させた様な格好になった。3連接の中央部分だけダブルデッカーにしたが、こちらは非ドーム構造で2階が広くなり席数も増やせた。

実はこの10100系、小生は一度だけ乗車した経験があるのである、しかも中央の2階席だった。家族旅行で連れられて乗車したわけだが、その時の小生は小学校低学年だったので、余り鮮明な記憶はないが、インプレッションとしては何しか予想したより狭かった様な気がする。

この 10000系 だが、僅か13年という短い生涯だったものの、その間に2回の魔改造を受けている。1966年11月の河内国分での追突事故で伊勢側先頭部分が大破して、これを機に伊勢側先頭部は非貫通から貫通型に付け替えられ、同時に 4枚折戸も 2枚折戸に変更された。編成の両端の形状が全く違うものになってしまった事になる。1970年には、トイレが垂流し式からタンク式に変更され、同時に1か所は移設されている。
そして、1971年即ち大阪万博(Ⅰ)翌年の5月に13年の生涯を終えた訳だが、この13年というのは鉄道車両の減価償却が計上出来る年数のリミット(税法上)である。そこは何とも上手いタイミングだったとしか言い様がない。


何故、初代・2代目のビスタカーが連接構造だったのか、明確な答えは出し辛い。ただ連接という構造がこの両者の寿命を大きく縮めたと言って差し支えない。この国内では連接は使い辛いというのは間違いない。 フランスの誇る TGVThalys は19m級車体の連接構造だが、ヨーロッパの強固な地盤の上を走れるという環境的な部分並びに動力集中構造である事が組み合わされてそのメリットが出せているのである。
その一方、軟弱地盤の場所が多く動力分散方式が圧倒的主流となった日本では、軸重が増えやすいとかメンテナンスが面倒臭い等のデメリットが大きくなってしまうという違いがある。


ktv@kusdgw01
単独で京都に向かうべく櫛田川を渡る 2012年9月・櫛田~漕代間 

ktv@matdk02
阪伊特急として単独4連で難波に向かう 2013年11月・松塚~大和高田間

ktv@iss02
晩秋の昼下がり伊勢市駅にアプローチする賢島行き 2015年11月・宮川~伊勢市間

1959年は伊勢湾台風の襲来があった。近鉄も大打撃を受けたが、これを機に名古屋線の改軌に成功、当初は伊勢中川でのスウィッチバックという形だったが名阪直通列車という悲願達成と相成った。それに伴い新設された名阪ノンストップ特急10100系 が充当されたのだった。それが大当たりしたのか、名阪間の利用者シェアでは当時の国鉄を大きくリードして、国鉄にとってはまさにデンジャラス  K という存在になったのであるが、それも 5年だけだった。
1964年に東海道新幹線が開通すると状況は逆転、名阪特急は影の薄い存在として隅に追いやられて行った。近鉄特急も名伊・阪伊がメインになると、ビスタカーも伊勢志摩方面の運用に回された。(同車両は1975年に名阪特急運用終了)
そして時は流れて1978年末、あの車両が登場するのであった。


この先は其の弐へと続く!



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追悼、名神クロス 其の弐

去年お亡くなりになった名神クロス、名神高速と共に東海道線を跨ぐ一般道が出来たのは2005年位といわれているので、その生涯は僅か10年少々と短いものだった。
2017年秋の時点で線路南側の農地は潰されるという情報は受け取っていたので、その時から名神クロスの御臨終は覚悟していた御仁も多かろう。
線路の際まで 3階建てみたいな住宅がびっしり建てられるとまでは正直予想していなかったが、近い内の人口減少が目に見えているこんな場所で今更宅地開発を推し進めるなんて、旧態依然の土建国家っぷりには反吐が出てしまう。



210102@mescr01

直流区間の主役面をして我々を辟易とさせているEF210 、名神クロスでもデカい面をしてのさばっていた。この102号機は岡山のカマなので正式な桃太郎=100番台1次車・1999年投入

21016@mescr01

こちらは18機しか存在しない 0番台=16号機・1998年投入
901号機投入=1996年から2年後の1998年になって量産型機がデビューしたが、でもその翌々年の2000年3月には100番台にいきなりジャンプした。0番台から彼方此方変更されたらしいが、それなら最初(0番台)から変更しておけと突っ込みたくもなる。



66131@mescr01

こちらはEF66-131 号機、空コキ1両が一寸残念
EF210 がのさばる中でも午前中にEF66 のスジが確実に存在した時期もあり、運が良ければ2回捉えることも出来た。ただ、名神クロスに限らず関西で今まで小生が捉えたEF66 は何れもサメちゃんである。年に数える程しか関西に行く機会がないので、なかなかそうは上手く問屋が卸してくれない様である。

66108@mescr01n

普通電車に並ばれかかる108号機、空コキの隙間から207系の顔が覗いてしまった。

51002@mescr01n

この場所では日本海ルートからの列車も来るので、関東では見られなくなった EF510 が両パン状態で拝める。(敦賀以北では交流なので片パン)

510504@mescr01n

500番台もここで撮影出来たが、寝台特急牽引機時代の小綺麗に保たれた姿を何度も目にしている小生からすると、どこかやるせない気持ちにさせられる。この500番台レッドサンダーになる事なく全検をクリアしてしまったが、青いからといってブルーサンダーは名乗れずそんな「宙ぶらりんな状態」を何時まで続けるつもりなのか?

※ここまでは2014年11月、2015年10月撮影の画像を使用

81103nhk@mes01

EF81-103 の牽く日本海、2011年10月撮影
2011年の後半はトワ罐に牽引されるケースが非常に多かったと記憶している。
山に囲まれた場所である為か、急に曇られたりするパターンにも結構泣かされた。これも完全にマンダーラである(´;ω;`)


蛇足かも知れないが、名神クロスからも割と近い上牧築堤は如何かというと…

225i6@kamk01

225系網干車8連の新快速、2015年10月に名神クロスと掛け持ちして撮影したもの。

名神・新名神高速高槻JCT に繋がる府道79号が上を跨ぐ様になってしまったこの場所だが、築堤もこの有様に変わってしまった。現場に行くと何やら余計なものがあって色々煩い。初見という事もあり、どういう構図で行くか答えが出難かった。もう少しサイド気味のアングルで行くべきなのだろうが、それでも絵的に大きく改善する様にも思えない。



ここからはざつだん形式…

これは西山天王山が悪い! 阪急が悪い!
西山天王山・大山崎からも約1kmやけど、この辺をバスはほとんど走っていないし決して便利な立地でもない。


奥さんが車で駅まで送ってくれて、あとは電車という郊外型のパターンで行くんやろ。

そんな尽くしてくれる嫁なんて殆どおらんから、駅までチャリやろ。

これはこれは、開発してなけりゃ死んでしまう土建国家病が日本を巣食っているぜ~っ!

戦後すぐに日本人を思考停止に追い込んで、アメリカ式郊外型消費生活を無理やり刷り込んだGHQが悪い!

アメリカの物を大量に買わせて、郊外開発で土建屋と住宅メーカーを食わせられるという一石二鳥という話やったけど、結局それで幾つの街をダメにした?、エッ!

戦後60年間は人口が増えてきたからそれでも良かったんや!

日本国中何処も彼処も同じ景色同じ看板って頭がおか C

土建業界には完酷塵超賤塵がタップリ入り込んでる、道路や宅地を開発すればする程そいつらに富が吸い取られる

街がドーナツ化して旧市街がゴーストタウンになって、それはな、根付いてきた歴史や由緒、文化が蒸発してしまう事なんやで!

道路開発+宅地開発→ショッピングセンター+病院+ラブホテルのセットという定期
工場なんか作っても何処から来たか分からない様な派遣労働者ばっかり増える。

それって田舎の話やろ、大都市圏と一緒に語るな!

抑々今って、あの辺のJR って撮るモンあるんか?




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追悼、名神クロス 其の壱

関西でも有数の鉄道撮影地だった名神クロス、それが去年実質的に死亡したのが確認された。そこで当サイトでも今更ながらだが、名神クロス追悼企画を行う事とした。
今更のべるまでもないが、この場所で適したシーズンは秋冬期、早ければ9時半前にも順光になり、11時過ぎ位までは撮影が楽しめた。関東在住の小生でも5回程は足を運んだと記憶している。大阪方面の列車を狙う事になるのだが、手前になる列車線の方が明らかに狙い易かった。



117s4@mesc01

2015年10月中旬、その当時終焉近かった381系くろしおを捉えようと大阪駅前でレンタカーを調達し、阪高・名神を走りこの場所へ。現場に着いたのが9時15分頃だっただろうか、他には誰もおらず小生がその日の一番乗りだった。
その一番乗りの御褒美?がコレ、 原色117系S4 編成  そして、K-3 での名神クロス初撮影の幕を開けるショットでもあった。
福知山色から2008年に 原色 に復帰したがそれも8年しか続かず、この翌年6月に抹茶カラーにされてしまった。


683w36@mescr01n

こちらは2014年11月撮影のもの。11月も末になると緑の部分は少なくなり、スッキリ枯れた感じの絵になる。683系のサンダーバード、2015年3月の方向転換前で非貫通のクロが大阪側先頭というのも懐かしい。この時の小生の本務機はK-5 Ⅱだった。


681683@mescr01

こちらは2015年秋の方の作例、この列車はヨンダー681系3連が付いての12両という事で先頭が非貫通キャノピーになっていたので、そこはラッキーだった。

223w10@mescr01

こちらは223系12両だが、電車線走行なので新快速ではなく快速=2014年11月
ここでは列車線の新快速が電車線の快速を追い抜くシーンが撮れたりもしていた。

281@mescr01

外国人観光客(特にアジア諸国からの)増加で、息を吹き返して来た感のある281系はるか。=2015年
汚れと色褪せがが少々目立つがそれでも堂々の9連で、これ位の長さがこの場所この画角では嵌る。


223w4@mescr01

新快速として12連で走る223系、2015年の秋の時点で、W4 編成にはあのヘンチクリンなバンパーはまだ付いていなかった。10月中旬だと稲は色付き、ほかの草木はまだ青々としていた。
中望遠を使用して100mm相当辺りの画角で撮っていたのだが、列車線で12両だと、画面右奥側の竹林にケツが被ってしまう。広角または標準で手前に引き付けてややサイド気味に狙う撮影者も多かったと思われるが、そこはこの竹林を避ける狙いもあっての事だったかも知れない。


221a2@mescr01

JR 西日本御自慢のアーバンネットワーク中興の祖とも呼べる221系。東海道・山陽本線でのプレゼンスは低下し、奈良線・関西本線の主役という感じになりつつある。この画像のA2 編成も奈良に転属しNB802編成に変わっている。

321d8@mescr01n

321系の緩行も勿論撮れた。この321系、一応オールM方式だが全て0.5M なので実質のMT 比は1:1という少しややこしい車である。また、その登場が2005年という事もあり、福知山線の事故を受けて急遽設計が大幅に変更されたと思っている方も多かろうが、時系列からしてそんなのはどう考えても間に合うはずがない。321系の「なんちゃって全電動車方式」は125系のシステムを踏襲しているに過ぎない。

名神クロスで狙うものは電車でなくてコッチだろ!という声が聞こえて来る。なので、其の弐へと続く!




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