Dufftown 街角ミュージック

穏健リベラルの波とマイナーパワーがこの世を救う

2016年9月、FC2 から移転。
Blairfindy1号2号から大文字左京(だいもんじ・さきょう)に改名しリスタート
旧名義の画像が混在しているのは御了承願いたい

記事並び画像の無断使用転載はこれを固く禁ず!
画像をクリックすると大きな画像が出る。

鉄道

メモリーズ 富山のパーイチ ~EF81 生誕50周年~

今年で生誕50年を迎えた EF81、通称パーイチ。従前の EF80 をさらに進化させた謂わば「交直流機の決定版」として1968年12月に登場した。今月で丁度50年になったのである。
EF80 には1台車1電動機を採用していた事等から生ずる各種問題があり、新たな標準的交直流機の開発が必要だった。そこで50 / 60HZ の交流+直流の「 3電気対応機」として同世代の EF65 をベースに開発されたのがこのパーイチ様だったのである。


当時は交流機でサイリスタ位相制御が実用化されていて、パーイチも当初はサイリスタチョッパ制御の採用も検討されていたというが、抵抗制御という事で決着してしまった。汎用機として、日本海縦貫を中心にほぼ全国で使える様にするという大前提があった上、3 電気対応の為の各種機器を搭載する事等も考慮され 6軸(F級)で抵抗制御というシステムが採用された。

2014年北陸に遠征する事2回、この時のメインターゲットは 681/683系 はくたか であったのだが、サブターゲット達も豪華な大正義だった。無論、その中にはここで取り上げる富山の EF81 もあったのである。


2014年北陸遠征の1回目は5月末だった事は他の記事でも述べているが、初日の朝も500番台だったが新潟方面に向って来ていたのであった。
しかし、レンタカーの貸出手続きに手間取り、急いで撮影地に向ったが、到着したところで通過してしまい唯々見送るだけという破目になった。
(ジャパ〇レン〇カーは 24H 営業というのは助かるが、何せ場所が悪くて不便で対応もダラダラして今一つの事が多い)
その後 9時前の新潟方面もEF510-500番台だったので、パーイチ様は午後の部までお預けになってしまった




81721@tak01

初めて撮れた貨物パーイチは721号機の単機だった
関東在住の小生にとってはパーイチというと寝台特急を始め回送、工臨、イベント列車等々を牽引するJR 東日本所属機、真っ赤なパーイチのイメージが強かった。
正統派のパーイチはこの色であると確信した次第であった。


81404@tak01

富山にいた基本番台は運転記録装置の取付を機に600番台に改番されたが、こちらは404号機。元々は131号機だったが、九州用となり404号機に改造された、2007年に富山に転属。2011年には御覧の様な富山更新色に変った。
2015年以降はJR 東日本から移籍してきたEF510-500番台に役目を譲り、富山パーイチの運用が消滅。404号機は 2016年4月に門司に帰還を果たし再び九州内での運用に就いている。


そして翌日・・・。前日取り逃した7時台の 北 越 もパーイチも逃さずキャッチするぜぇ~という訳で

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7時半頃新潟に向う725号機=元125号機。湖西線開業に合せて1974年に投入され、旧敦賀第2機関区で活躍した後に富山に。入梅前の朝日の中でやってきた。

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2日目の午後に単機でやってきた735号機=元135号機・1975年製造、ヒサシ付きというのがマニア受けするらしい。ただ、ヒサシは上越線運用対応化の為の後付という事らしい。これも日本海縦貫での運用を失ってその挙句、去年廃車になってしまった

81729@tak01

この日の午後2本目のパーイチは荷のある 729号機だったが、編成長を読み違えてしまいケツが切れるという失態を犯してしまった 地方線区のカモレは不慣れなので編成長は余計に読み難いのは確かだが、多少長くても良い様に対応しておくべきだったと反省する小生である。
今から思えば、5月末で時刻も15時を過ぎていたのでここから少しだけ西高岡寄りのカーブでも撮れた気がする。それを思うと余計に残念なショットになってしまった。


同年9月末に遠征した時には、既にEF510 (0番台・500番台)が主体になっていた。門司所属だった500番台は続々と帰還してしまっていて、しかも撮影した場所が高岡ではなく富山だった事もあって、パーイチ様に出会う望みは叶わず、EF510 しか捉えられなかった。



81725@meis01

同年11月、名神クロスで晴天の下捉えた725号機。この罐とは半年振りの再会を果たせた事にはなるが、運用離脱が進んでいた事もあってこれが富山パーイチのラストショットになってしまった。この725号機も2016年に廃車されてしまった。
名神クロスでパーイチを撮るという一つの夢は何とか一度だけでも叶ったので良しとせねばならんのか?


元々九州用だった400・500番台以外でも門司に転属して走っているのは 717、716、718 の3機であり、2016年に721・725号機、2017年には726・735号機、今年には719号機が廃車になってしまっている。



参考がてらに旅客会社の方の EF81 も序に乗せておく

81101nhk@yod01

今は亡き敦賀の101号機(=JR 西日本所属)・2011年に淀川の鉄橋にて撮影
この101号機は2013年廃車、最後まで残った原色=106・108号機は2017年廃車となり原色は姿を消した。トワエク仕様の物でも先日 44号機 が廃車され残存するのは 113・114号機 のみとなっている


8198casp@krky01

JR 東日本所属 98号機牽引のカシオペア紀行=2017年2月撮影 98号機真っ赤なボディに流れ星マークの入った所謂北斗星カマ
E26 系も通常のカシオペアとしての運行は2016年春に終了し、以来はツアー列車として運行を続けているが、今年に入ってからその頻度は下がっている。



EF81 EF66 の様な圧倒的な存在感は無いのは事実、決してハイスペックでもない。汎用機というだけに一見平凡にも見えるが、同時に偉大なる平凡というものの凄さを確認させてくれたのだった。
生まれも育ちも東京で、EF81 というと嘗ての東北寝台特急のイメージを持ってしまう小生、貨物の EF81 とは御縁に恵まれなかった訳で、貨物のパーイチ様のこれだけしか押えられていない。
それならもっと早くから日本海側に足を運ばなかった?と突っ込まれれば返す言葉は無いが、小生も往還自在というには程遠い立場で、足を運ばなければと思っている内に2014年まで来てしまったのだった
JRFパーイチはまだ九州で走っているし、それも含めて国鉄形機関車は長寿である、非常に使い易いとされる事がその背景にあろう。 EF64 では1000番台=80年代製造ばかりになってしまったが、1970年製の 37号機JR 東日本)はまだ生きている。 EF65 でも70年代後半以降のロット(勿論PF1000番台)は 国鉄特急色 に復帰するなどしてまだまだ健在である。その一方、「JR 形」の 3桁機関車がそんなに長生き出来るのかは、はっきり言って疑問である。(多分ダメだろう・・・)



てなわけで、そんなパーイチ様に小生から捧げる珠玉の一曲は、この曲と相成った
Peter Cetera (ピーター・セテラ)並び Amy Grant (エイミー・グラント)がデュエットし、1986年の末に全米#1 をも獲得した超有名曲である " The Next Time I Fall " 
Peter Cetera は Chicago (シカゴ)のヴォーカルを長らく努めた後、脱退してソロに転向したばかりだったが、" Glory Of Love " に続く2曲連続の全米#1 獲得となりソロシンガーとして非常に良い滑り出しを見せた格好であった。
一方、Amy Grant は元々ゴスペルシンガーだったが、この曲の大ヒットでポップスシンガーとして認知度を上げて、その後90年代に入ると一気にメジャーな名前になった。(註1)(註2
因みに作曲者は Paul Gordon (ポール・ゴードン)と Bobby Caldwell (ボビー・コールドウェル)


この曲のPV はこちらのようつべでも御覧頂きたい。当時20代半ばだったエイミーは結構美しかったが・・・


Love, like a road that never ends
How it leads me back again to heartache, I’ll never understand
Darling, I put my heart up on a shelf‘
Til the moment was right and told myself


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., oh, oh, oh,
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Now, as I look into your eyes
Well. I wonder if it’s wise to hold you like I wanted to before
Tonight, oh, I was thinking that you might
Be the one who breathes life in this heart of mine


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I’m gonna follow through
And if it drives me crazy, I will know better why the next time I try


Next time I fall in love, I’ll know better what to do
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you


Next time I fall in love... ( next time I fall ), oh, oh, oh, oh...
Next time I fall in love..., ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo, ooo
The next time I fall in love..., the next time I fall in love, it will be with you...




註1)Peter Cetera=ピーター・セテラは1944年9月・イリノイ州生まれ=長池徳士、安仁屋宗八、杉良太郎、平泉成、内田勝正、渡瀬恒彦、野川由美子等と同い年に当る。
Chicago の前身時代(The Big Thing)を含めて1967~1985年までリードヴォーカル兼ベースと務め、1985年に41歳で脱退しソロ活動に転ずる。1986年のアルバム " Solitude Solitare " 及び1988年の " One More Story " は大ヒット作品となった
註2)Amy Grant=エイミー・グラントは1960年11月・テネシー州生まれ=清水ミチコ、コロッケ、安寿ミラ、福良淳一、津田恒実、旭富士正也(伊勢ヶ濱親方)、氷室京介等と同い年になる
1976年にゴスペルシンガーとしてデビュー、1982年のアルバム " Age to Age " はゴスペルとしては異例のミリオンセラーを記録。" The Next Time I Fall " の大ヒットを機にポップスに進出し、1991年のアルバム " Heart in Motion " からのシングル " Baby Baby " でソロでの全米#1を獲得。90年代はポップスシンガーとして大活躍。その後21世紀に入るとゴスペルに復帰。



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E653系U108編成、国鉄特急色スタイルに変身完了 ← コレ

今一寸話題になっている E653系 U108編成 =前・新潟所属だが、 国鉄特急色スタイル に早くも変身し羽越本線等での試運転を行い、9日に転属先の勝田に自力回送で向ったとの事。
転属に伴って編成番号が K・・・ に戻るのか等は今のところ情報がない。


e653k308@edg01
カツ K308 編成時代=2012年 金町~松戸間にて

ネットで見る限りではあるが、殊に正面の違和感が拭えない。国鉄色への塗り替えというのも唐突な印象である。一部の人の気まぐれとも思えないが、強いて言えば来年が国鉄発足70周年という事に理由を見出せるだろうか?
若しそうだとすると、来年にかけてJR 他社でも国鉄70年企画の類が出てくる可能性もある。





ここからはまたまたざつだん形式・・・

結構微妙で草生えた

微妙とか言っても来年実際に走り出したら、撮り鉄がわんさか追いかけに来る定期

651系を国鉄色にした方がええやん! 先端は長くてボンネットに近いし、トレインマークも大きく出るし、485っぽく出来るやろ。

E257 も秋田で転用の工事が始まったらしいで。どうせ踊り子に持って行くなら全部あまぎ色にした方がエエの違うか?

JR 世代の車で言うたら、一番電気釜に近い顔しとる 287系が一番似合うやろ。683の貫通は直線的過ぎてアウト。

小田急EXE なんか結構ピンズドかも知らんで。あれ 485パノラマグリーン のパクリみたいな顔してるし。

国鉄特急色にしてみたい車両
JR 北海道789系 キハ261・281・283系


スタイル的にはそこそこ似合うやろが、そんなことする余裕が肝心のJR北海道に無い、残念

近鉄21000系(アーバン)   近鉄23000系(伊勢志摩) 

どっちもパノラマグリーン系の顔やけど、近鉄で 国鉄特急色 やらすって草

それいうなら南海30000系の方がエエやろ

元々紅白の塗り分けなのに、そこから 国鉄特急色 にしても余り変わり映えせんと思うで

京阪8000系とかどうやろ? 違和感無いかも判らんで。キャノピースタイルでなくとも、キハ80系キハ181系みたいにはなる。

手当たり次第 国鉄特急色 にしてみたら如何にかなるという風潮作ろうとするのはヤメぇや

いっその事 475 みたいな交直流急行色も復活させてほ C ンゴねぇ

国鉄70年記念企画やるんなら、JR 貨物 EF66-30号機 を期間限定でも復活させてくれねぇかな。塗装の訓練だとは言っても広島でピッカピカにしたんやから。

貨物にはそんな気の効いた事する脳ミソは無いで PFロクヨン 国鉄色 に回帰してるからそれでガマンしろ




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メモリーズ 特急・北越 番外編 #2 ~485系生誕 50周年~

前記事からの番外編ストーリーは2016年5月末へと飛ぶ。
毎年恒例横浜開港記念イベント、横浜セントラルタウンフェスティバル2016・Y157 イベントの一環としてその土日=5月28・29日に渡り 485系 首都圏ラストランが催行されたのは御記憶にも新しいのではないか。小生も当然の如く両日とも狙う事となった。


土曜日、昼過ぎに石川町を出た列車は根府川に向い、折り返して貨物線経由で新鶴見、再び折り返し高島線に入り石川町に戻るというルート。新鶴見からゴールの石川町に向かい鶴見川を渡るのは15時20~30頃という事で、鶴見川の鉄橋の西側アングルならドンピシャ。

当日の天気予報は午後から晴れてくるという話で、それを信じて曇天の中都内から車を走らせ予定よりは遅れたが 13時前には現場にアプローチ。その撮影場所である護岸(狭い急斜面)も半分以上場所取りされて埋まっていたが、何とかポジションを確保。

待ち時間の間にも期待に反して晴れてくる気配は薄かった、後に「空模様が良くなるのは夕方以降」という情報が入り、居合わせた人間達は一同落胆
条件厳しいのは空模様だけではなく、昼過ぎから待っていても前座はカモレ 2本だけ。気を紛らわす事も難しく、足を滑らせたらシャレにならない急斜面に 3時間近く張り付くというのは本当に辛かった。


兎に角露出が確保出来る事だけを祈りながら待ち続けて・・・何せチャンスはこれっきり!非常にナーヴァスな時間が長く感じられた。
この橋梁でのスロー走行は目に見えていたので、1 / 500sec もあればこのアングルでは止められるという事は救いだったので、最低限何とかなった。


485a1a2y157a

載せられるクオリティにはなったから失敗ショットでは決してない!
普通なら撮影自体諦める位に条件が悪かったといえ、作品と呼ぶにも程遠い出来なのは否めず記録という程度のレベル。確実に押えるという唯一最大のミッションは完遂したが、3時間待って報われたという気持ちや達成感より、疲労感の方が大きかったは事実。


kin16@tsmg01n

テストショットの1枚も序に載せておく。EH500 - 16、2016年以降はEH500 も相模貨物までの運用が増えた(青函運用が無くなった為)



さてその翌日=29日のコースはと言うと、午前 8時半過ぎに石川町を出て高島線・武蔵野線等を経由して八王子、そこから中央線経由で新宿に至り、さらに湘南新宿ラインで横須賀に向かい折り返して大船経由で石川町で終着となるいうもの。

この日は前日と打って変わり早朝から強い日差しが照りつける。
この時期の光線状態とルートを考えると、石川町を出て高島線を鶴見に向う所でキャッチするしかないと考え、朝6時に都内の自宅を出発し、首都高を飛ばして現場に向ったが・・・
ただでさえもポイントがそう多くはない上に、どの場所も完全に満杯。場所を埋め尽くしていたのはその殆どが徹夜組だったのではと思われる
結局は三井倉庫のある所の運河を渡る所を完全なサイドアングルで撮るという不本意極まりない事を強いられた。水鏡なんて期待したのかとお思いかも知れないが、海からの波の影響を受けてしまうからそれは無理。


7時半あたりからは他の撮影地で当然あぶれたと思われる撮影者達が数名加わってきたので橋の上も10人程度はいただろうか?強い日差しの中で、コンビニのアイスコーヒーを飲みながらその時を待った。そして・・・

485a1a2y157b

この条件下ではまずまずというか精一杯という 1枚になったか?
惜別のショットがこんな程度とは情けない限りではあるが。最後尾側とセットで撮れれば良かったのだが、最後尾側を撮るのを失念してしまうというトンでもないしくじりを犯してしまったのだった
緊張の中待ち続けたこの極めて短い時間、過ぎ去ってしまえば本当に何事も無かった様に無機質な日常世界に戻ってしまう様に見える。


実はこの翌月にあった東北でのラストラン(ガチのラスト)も遠征して撮りたかったが、家の事情があって叶わなかった。
そこは本当に悔しい限りであり、こんな時に法事を入れさせた親戚達に対して許せないという気持ちが未だに残っている。
せめて最後の原形であった 仙台車 だけでも50周年の時を盛大に迎えさせてやって欲しかった
。あと2年何とか粘れなかったのか?

新潟とかにも遠征して撮りに行っとけば良かったという後悔は絶えない。言い訳がましくはなるが、東北や北陸には殆ど無縁な人生を過ごしてきた小生なので、そこまで出来なかった。そこまでの思いっきりが持てなかったという方が正しいか?

そして翌年4月、 485系 と同級生に当たる 583系 も秋田で遂にその歩みを終えた。


少し前の事ではあるが、新潟の E653系 U108編成 国鉄特急色風 になって、 485系 を駆逐した場所=常磐線(勝田車両センター)に還ってくるという話題が飛び込んで来た。
これを受けて 651系 K103編成 置換えという話がネットでは恰も既成事実の様に言われているが、485系改造車 R.E. ゆうが先日廃車になっている事を考えると、 651系 ゆうのポジションに入って E653系 651系 のポジションに入るとも充分考えられる。

青森で保留状態だった 3000番台 A5 編成 が去る11月1日に郡山に回送され解体準備に入った模様である。


485n201@tthc01
485系改造車彩(いろどり)2013年頃? トタハチにて

この「」を始めとした 485系 の忘れ形見とも言えるジョイフルトレイン達もここ 2~3年の間で続々と姿を消し、現存するのはきらきらうえつ(新潟)、(共に小山)、 リゾートやまどり (高崎)のみである。2016年に JR 東日本が国鉄形車両の部品メンテナンスを打ち切った事が大きく関わっているのは否定出来ない。




さて、この一時代を築いた 国民的特急車 に捧げる締めの曲として小生がセレクトしたのは・・・
Earth, Wind and Fire (アース・ウィンド・アンド・ファイア)の超有名曲 " After the Love Has Gone "
1979年のアルバム " I Am " からの 2nd シングルとして大ヒットとなり、EWF の代表曲の一つとなった。ただ、全米チャート(Billboard Hot 100)の #1 は The Knack の有名曲 " My Sharona " に阻まれて逃してしまった。
このグループの創設者で長く中心人物であった Maurice White (モーリス・ホワイト)氏が亡くなったのは、この 2016年の 2月の事だった。


この曲のライターは David Foster (デイヴィド・フォスター)、Bill Chaplin (ビル・チャップリン)、Jay Graydon (ジェイ・
グレイドン)の3名で、この内 Foster 並び Chaplin の 2人はこの後に Chicago (シカゴ)に関わることになるが、この曲の曲調からすれば納得する話であろう。


曲そのものについてはこちらのようつべでもご参照賜りたいが、1度や2度は耳にした事がある筈と思われる。

For a while, to love was all we could do We were young and we knew and our eyes were alive
Deep inside we knew our love was true
For a while we paid no mind to the past We knew our love would last
Every night something right would invite us to begin the dance

Something happend along the way What used to be happy was sad
Something happend along the way, and yesterday was all we had


And oh..., after the love has gone
How could you lead me on, and not to let me stay around ?
Oh, oh, oh... , after the love has gone
What used to be right is wrong Can love that’s lost be found ?


For a while, to love each other with all we could ever need Love was strong for so long
Never knew what was wrong, baby, wasn’t right
We tried to find what we had til sadness was all we shared
We were scared this affair would lead our love into


Something happend along the way, and yesterday was all we had
Something happend along the way, what used to be happy is sad
Something happend along the way, what used to be is all we had


And oh..., after the love has gone
How could you lead me on, and not to let me stay around ?
Oh, oh, oh... , after the love has gone
What used to be right is wrong Can love that’s lost be found ?


Oh, oh, oh, oh, oh, oh... after the love has gone, what used to be right is wrong
Can love that’s lost be found ?
Oh, oh, oh..., after the love has gone, what used to be right is wrong
Can love that’s lost be found ?


Oh, oh, oh... after the love has gone, what used to be right is wrong
Can love that’s lost be found ?, oh, oh, oh..


Oh. oh, oh, after the love has gone, what used to be right is wrong
Can love that’s lost be found ?
Oh. oh, oh, after the love has gone, what used to be right is wrong
Can love that’s lost be found ? (Fade Out)


(この曲のビル・チャップリンのヴァージョンも序にこちらの You Tubeからご参照頂きたい)

多くの伝説を作ってきた 国民的特急車 が本当に鉄路の上から消えてしまったなんて、今でも何処か信じられない御仁も多かろう、必ずそういう時は来ると判っていても



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メモリーズ 特急・北越 番外編 #1 ~485系 生誕 50周年~

Part 3 までは2014年の話だったが、この番外編 #1 はそこから更に1年遡っての話になる。
2013年10月13日は3連休のその中日だった。 ひたち 50周年号が 485系国鉄色 によるリヴァイヴァル列車として運行されたのを御記憶の方も多かろう。


その頃既に首都圏では 485系 が現れるケース自体レアになっていたので、小生も何とか撮りに行こうと策を練った結果、勝田周辺の通過時刻が10時20~30分前後と予想されたので、撮影地の候補は2箇所に絞られた。那珂川を渡る鉄橋か、佐和駅至近の場所かという選択だった。こういう時に慣れない場所はリスクが高いと判断した小生はキャパシティも非常に大きく、何回か足を運んだ那珂川の鉄橋を選んでしまった。

これは相当な激バも予想されたので、前日夜に笠間市にある健康ランドに入り、当日早朝に水戸に向かい通過 3時間以上前に現場入りしたが、先客は既に10人程度
この後待っている間にもドンドン撮影者の数は膨れ上がって、100人近くに上っただろうか?それでも周囲の人達と色々談笑なんてしながら本番に向けてテスト的撮影もして時間を過ごせた。
やはり通過予定時刻が近付くと緊張も一気に高まった。


裏被りもなく、大変貴重なワンチャンスはモノに出来た。この一瞬のために前日の夜から頑張った甲斐はあったというのは喜ばしい事なのだが・・・

485k2@nakw01

今振り返ると反省点は多い。

この鉄橋も架線柱の間隔が狭い。それを考えると正面がちなアングルを選択したのは正しいとは言えなかった。顔への日の当たりも10時30分頃だとまだ弱かったのも計算違い。
もう少し手前に引き付けたアングルで、もっとサイドにウェイトを置いたバランスの絵作りをすべきだったのである。
後日ネットで探すと佐和駅近辺の方が光線状態が良かったと判明


5年前と今では小生の構図作りのスタイルもかなり変ってきたが、色々な経験を重ねないと判らない部分は多い。
この列車、当初の予定では 仙台車(A1+A2)が充当される筈だったらしいが、実際に充当されたのは新潟の K 2 編成 だった。


この 1ショットだけだとさすがに寂しいので、この日に撮った別の作例を挙げて行く

e657k15@nkgw01

鉄橋の脇から水戸側を向いて撮った下り列車の作例、400mm相当以上の超望遠にトライしたが、何処か今一つな感じに・・・
この正面近いアングルだとモスラの幼虫とも揶揄される理由が判るか?


e657k7@nkgw01

今や常磐線の天下統一を成し遂げた E657系 だが、今風の安っぽさが拭えない。

415k536@nkgw01

今はもう見られない415系

その後正午過ぎまで撮影したが、安中貨物の時だけ曇られてアウト。
折角なのでと午後は気を取り直し、ひたちなか海浜鉄道にチャレンジする事とした。関東でも貴重な気動車王国である。


mik300103@isozk01

三木鉄道からやってきたミキ300形103号車、カラーも三木時代のまま。こんなローカル色の強い車が都内から約100kmの所で走っているのだ。
初撮影である上に非電化路線は撮り慣れていない小生としては、構図作りが難題。電化路線なら架線柱という厄介者が構図作りの補助目標にもなるのだが、非電化だとその手は使えない


実は件の 3連休、北陸本線では 475系 による100周年記念号の運行があって、そちらの方が話題になった様な気もするが、この鉄橋に居合わせた中にも翌14日の復路を狙って北陸に飛んだ人もいた可能性は高い。3連休では北陸への夜行バスやホテルも取れず、現地のレンタカーも難しいと判断して早々に諦めてしまったが、何処と無く後悔は残る。


ここで 485系 は1968年登場と聞いて訝しむ向きもあるだろう。確かに 481系 =西日本用が1964年に登場、翌1965年には東日本用の 483系 も登場。そして、全国で運用出来る形にブラッシュアップされて出てきたのが 485系 である。更に1971年になると横軽対応の 489系 も登場して来るのであった。
そうは言ってもこの一族の中では 481 / 483系 は運用エリアも限られ、両数も少ないので、 485系 があくまでも真打であり、前出 2系列はその露払いでしかなかったのは明らかである。


小生は東京出身という事もあって、東京圏の在来線特急というと高崎・上越・信越・中央・総武の各系統で主力だった 183/189系 の方が優勢だった様に思われる。 485系 は東北・常磐系統を主に担っていたが、御存知の通りに1982年の東北新幹線開通と共に つばさ 以外は殆どが姿を消してしまった。
そもそも幼少期から常磐線に乗ることも殆どなかった小生は 485系 とは縁が薄かったのであった。(後に日光・きぬがわの一部が485系小山車での運転になるが)
乗車したのも 雷 鳥 ひたち しかない。


先ず 雷 鳥 だが、最初に乗車したのは1983年8月だった(当時は中学生だった)と記憶している。家族と一緒に京都に行き、単独の自由行動で京都と金沢を往復した。ただ単に 雷 鳥 の乗り鉄しかしなかった様な1日だった。その翌々年(1985=高校生になっていた)には仙台から上野まで ひたち に乗車した。東北を旅行してその大トリ、特急 ひたち 全区間乗車での帰京と相成ったのである。
(知っての通り、2011年の大震災を受けて今や上野~仙台を ひたち で走破するのは不可能になってしまった)


それから 20有余年、2008年の晩秋だっただろうか、出張の時に京都大阪間の移動で30分程度乗車したのが結局最後の乗車になってしまった。
その日は湖西線が強風でストップし北陸からの特急もダイヤが大幅に乱れた、そこで乗る筈だったサンダーバードではなく 雷 鳥 に乗車するという今となってはそれこそ涙が出るようなセレンディピティを得る事が出来たのである。


485a06@osk02
パノラマグリーンだった京都車 A06 編成  2008年5月大阪駅にて


1回で終れる分量ではなくなったので、 其の弐を追加 する事とする。




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阪急5000系も50年に到達していた件

今年で 485系 が生誕50周年を迎えたという話はしているが、一部のジョイフルトレイン以外は消滅している。首都圏では車齢50年なんて車はまず見ない。もし残存するとしたら東武8000系しかないであろう。大手私鉄でも関西では事情が違う、アラフィフ(又はその近辺)という車が掃いて捨てる程走っている
南海6000系(1962~)を筆頭に、1960年代に産声を挙げた車両達も数こそ減らしているもののまだまだ現役である。70年代製にして主力に居座っている車両も多い。古い車両を末永く使い倒すというのは関西の文化として定着しているという事なのだろうが、遂にこの車両も50の大台に乗った
その車とは、阪急5000系である。
4~5月に架けて50周年記念のヘッドマークを付けての運行がなされたので、この事実自体はもう御存知の方も多かろう。



hk5008@yodg01
5008F 8連時代 2017年11月・中津駅付近

この車両は1968年にデビューしたが、当然の如く当時デフォルトだった抵抗制御を採用。2000系3000系と続いた流れを踏襲した作りになっていたが、車体は2000系を踏襲し、走行機器等は3000系と一緒にされた。神戸高速・山陽電鉄乗り入れを開始するに先立って、1967年に従前の600V から1500V への昇圧が行われた。昇圧後にデビューさせるという事で1500V 単電圧対応の新型車として投入されたのがこの5000系だった。製造数は47両と多いとはいえない数だが、1970年には冷房装備増備車に当る5200系にシフトした(こちらは製造数僅か25両だが・・・)事と、当時の阪急に於いては神戸線用と宝塚線用とでは異なる系列名になっていた(100の位が0になるか1になるか)事が背景にある。
5000・5200系の合計=82両でも、宝塚線用の5100系の90両に数では及ばない。


この車両が登場したのは1968年だが、この翌年=1969年になると関東では初の界磁チョッパ制御の量産車である 東急8000系 が登場する。この時営団(東京メトロ)も回生制動付電機子チョッパ(世界でも初)の 6000系 の試作車のテストに入っていた事まで考え合わせると、阪急が非常に保守的に見えてしまう。

hk5000@kzkgw02
5000F 今や唯一の神戸線編成 2017年4月・神崎川駅付近


hk5008@kzkgw01
5008F 5000F と同日同所 8連も神戸線運用も見られなくなった。

高度成長時代の阪急の姿を留めていたこの車にも、登場から35年に達するというその時に大きなターニングポイントが訪れた。2002年から始まったリフレッシュ工事である。
元々が3両編成だったこの系列、2000系のT 車を組み込んで4連化してそれをダブルで組んで運用している状態が続いていたのはご存知であろう。
それを約3年掛けてのリニューアルで、インサートしていた2000系5100系に差し替えた。同時に編成毎に違いがあったM 車T 車の配置も(梅田側から) MMTTMMTT というパターンに統一した。
そして言うまでもなく、ボディも一色からチョコレートパフェのスタイルに変って序に顔面プチ整形も施されて「今時の阪急」という佇まいに変った。



hk5012@yodg01
5012F 2014年11月 中津駅付近

小生自身は5000系を撮った回数は少ない。だが、神戸線を走る 8連はそれなりの確率で撮れたはずである。ただ、それも今年に入って大きく変った。5000F を除く 7編成が続々と6連に短縮されて今津線に転籍したのである(所属車庫は西宮で変らず)。
デビュー50年という節目が恰も計った様に本線からの撤退が進むという大きな転換点になった。


今年で50周年を迎えた車輌達の中で、阪急5000系はどうしても小物感が拭えない
このゴールデンどころかプラティナ・ジェネレーションすらと称えられる世代には 485系 がいて、しかも 583系 までいるから仕方がないが、この2系列と同等若しくは上回るレベルのウルトラ級スーパースター(しかも複数)がこの世代にはまだ存在するのである。それは勿論、このサイトでも今年内には登場するであろう。




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